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江戸東京博物館 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
墨田区横網1-4-1 TEL:03-3626-9974
JR両国駅すぐ隣。江戸当時の日本橋の再現した橋が館内に設置されており、商家、芝居小屋なども展示されて江戸情緒たっぷり。江戸の風景を模したミニチュアは精緻そのもの、よく眼を凝らしてご覧なっていただきたいと思う。又、明治時代や昭和の建物などがあり、江戸、明治、大正、昭和と変わってきた東京の変遷がよくわかるようになっている。この常設展示のほか、特別展が併催されているので、そちらを目当てに何度も訪れる方が多い。両国江東散歩には絶対はずせない施設の一つである。





回向院 http://www.ekoin.or.jp/
墨田区両国二丁目8番10号 TEL:03-3634-7776
    
両国駅からすぐ、国技館通りと京葉道路の交差点前。明暦3年正月の江戸の大火「振り袖火事」による10万人を超える焼死者の無縁仏を葬るために建立されたのが回向院の始まりである。境内にはかの鼠小僧次郎吉の墓(写真中央、天保2年8月18日 俗名中村次良吉)と刻まれている)があり墓参する人があとを後をたたない。また、回向院境内は江戸相撲の本拠地でもあり、物故した力士を供養する力塚(写真右)なども建立されている。


芥川龍之介文学碑
墨田区両国四丁目26番6号
回向院前から京葉道路を錦糸町方面に少し行った右側、両国小学校正門前にある。碑には多くの人が学校の教科書で読んだであろう「杜子春」の一節が刻まれている。芥川龍之介はこの地で19歳までの時代を過ごした。両国小学校、府立第3中学校、今の両国高校に進んだ。当時の生活、あたりの情景は彼の随想「大川の水」に詳しい。彼の文章をなぞりながら辺りを散策するのも趣きあると思う。写真右は京葉通り沿い、両国3町目22番(サンクス前)にある芥川龍之介生育の地の案内標識。


本所松坂町公園
墨田区両国三丁目13番9号
  
言わずと知れた赤穂浪士討ち入りの本所松坂町吉良邸跡である。元禄12年12月14日夜、大石内蔵助以下赤穂浪士47名が討ち入った。昭和9年、地元の有志が発起人となって、屋敷の中庭にあった「吉良首洗いの井戸」を中心に土地を買い、東京市に寄付、それを公園とした。本来の吉良邸は広大なもので、この公園はその76分の1にすぎないという。毎年12月14日には、地元の有志によって義士祭が、12月第2土曜日・日曜日には吉良祭が行われる。両国小学校、芥川龍之介の碑から2〜3分のすぐ近くにあるのですぐわかる。


勝海舟生誕の地
墨田区両国四丁目25番3号
明治維新の立役者として坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通などがよく知られるが、地元贔屓としては勝海舟こそ真の立役者と言いたい。咸臨丸の艦長として日本人初の太平洋横断を成し遂げた。後、軍艦奉行として幕府海軍の充実に活躍する。官軍江戸入府の際には西郷隆盛と会見し、江戸城を無血開城し江戸の街を戦火から救った功績は後の明治の発展し資するところ大であった。明治に活躍した政府要人にも多くの思想的影響を与えた。維新後は、自ら幕臣としてのおのれを貫き一切の明治政府の要職につかなかった潔さは彼の生き方の真骨頂であろう。彼はここにあった父の実家男谷家で生まれ、少年時代は本所入江町(今の緑四丁目)で過ごした。向島の弘福寺で禅の修行をし、浅草新堀端の島田道場で剣学び、生粋の下町育ちであった。写真右は墨田区役所(墨田区吾妻橋一丁目23番20号)にある勝海舟の銅像。


江島杉山神社
墨田区千歳一丁目8番2号 TEL:03-3634-1055
杉山流鍼術の創始者、杉山検校が屋敷隣に信仰する江ノ島の弁財天を建立したのが始まりとされる。江ノ島の弁天洞窟を模した洞窟があり、その奥深く弁財天が祭られている。


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