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(例)銚子|縮《ちじみ》で眼を拭いていた
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(例)わたくしもまあほっ[#「ほっ」に傍点]として
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奥女中 三
「そりゃあ心配だろうね。今の話の様子じゃあ相手はいずれ大きい御旗本か御大名だろうが、なぜそんなことをするんだろう。茶店の娘だって容貌《きりょう》のぞみで大名の御部屋様にもなれねえとも限らねえが、それなら又そのように打ち明けて召し抱えの相談もありそうなもんだが、少し理窟が呑み込めねえな」と、半七はしばらく考えていた。「それになにしろ肝腎の玉が向うに引き揚げられているんじゃあ、どうにもならねえ。おまけにその屋敷もどこだか判らねえじゃ手の着けようがねえ。困ったもんだ」
 半七に腕を組まれて、お亀はいよいよ頼りのないような顔をしていた。
「娘がこれぎり帰って来ませんようだったら、どうしましょう」と、彼女は二、三度も水をくぐったらしい銚子|縮《ちぢみ》で眼を拭いていた。
「だが、その御守殿風の女とかいうのが、いずれ一日二日のうちにまた出直して来るだろうから、ともかくも俺が行って、それとなく様子を見てあげよう。その上で又なんとか好い知恵も出ようじゃねえか」と、半七は慰めるように云った。
「親分がいらしって下されば、わたくしもどんなに気丈夫だか判りません。では、まことに勝手がましゅうございますが、あしたにもちょいとお出でを願いとうございます」
 お亀はしきりに念を押して頼んで帰った。あくる日は十五夜で、晴れた空には秋風が高く吹いていた。朝早くから薄《すすき》を売る声がきこえた。半七は午前《ひるまえ》にほかの用を片付けて、八ツ(午後二時)頃からお亀の家をたずねた。お亀の家は浜町河岸に近い路地の奥で、入口の八百屋にも薄や枝豆がたくさん積んであった。近所の大きい屋敷のなかでは秋の蝉が鳴いていた。
「おや、親分さん。どうも恐れ入りました」と、お亀は待ち兼ねたように半七を迎えた。「早速でございますが、娘がゆうべ戻ってまいりましてね」
 ゆうべお亀が半七をたずねている留守に、お蝶はいつもの通りの乗物にのせられて、河岸の石置き場まで送りかえされていた。詳しいことは阿母《おっか》さんに話してあるから、おまえも家へ一度帰ってよく相談をして来いと、お蝶はかの女から云い聞かされて来たのであった。
 こういう場合に本人を素直に帰してよこすというのは、いかにも物の判った仕方で、先方に悪意のないことは能く判っていた。気疲れで奥の三畳にうとうと眠っているお蝶を呼び起させて、半七は彼女から更に詳しい話を聴きとったが、やはり確かな見当は付かなかった。お蝶の話によって考えると、その屋敷はどうも然るべき大名の下屋敷であるらしく思われたが、その場所も方角も知れないので、それがどこの屋敷だか見当が付かなかった。
「今に誰か来るかも知れないから、まあ、待っていて見ようよ」と、半七も腰をおちつけて、そこに居坐っていることにした。
 この頃の日※[#「※」は「上部は日、下部は咎」、183-4]《ひあし》はよほど詰まって、ゆう六ツの鐘を聴かないうちに、狭い家の隅々はもう薄暗くなった。お亀は神酒《みき》徳利や団子や薄《すすき》などを縁側に持ち出してくると、その薄の葉をわたる夕風が身にしみて、帷子《かたびら》一枚の半七は薄ら寒くなってきた。殊にもう夕飯の時分になったので、半七はお亀にたのんで近所から鰻を取って貰った。自分一人で食うわけにも行かないので、お亀とお蝶の母子《おやこ》にも食わせた。
 飯を食ってしまって、半七は楊枝《ようじ》をつかいながら縁先に出ると、狭い路地のかさなり合った庇《ひさし》のあいだから、海のような碧い大空が不規則に劃《しき》られて見えた。月はその空の上にかかっていなかったが、東の方の雲の裾がうす黄色くかがやいているので、今夜の明月が思いやられた。露はいつの間にか降りているらしく、この頃ではもう邪魔物のように庭さきにほうり出されている二鉢の朝顔の枯れた葉が、薄白くきらきらと光っていた。
「みんなも出て拝みなせえ。もうじきお月様があがるぜ」と、半七は声をかけた。


江戸風俗模様 画:北斎


 この途端に溝板を踏む足音がきこえて、一人の男がここの格子のまえに立った。お亀がすぐに出てみると、それは見識らない武士《さむらい》姿であったが、かれはお蝶母子が家にいることを確かめて、唯今お女中が逢いに来られると伝えて行った。
「まあ、おれはいない積りにして置いてくんねえ」と、半七はあわてて草履をつかんで、お蝶と共に奥の三畳にかくれた。そうして襖の隙き間からそっと窺っていると、やがてはいってきたのは三十歳前後のやはり奥勤めらしい女であった。
「初めてお目にかかります」と、女はお亀にむかって丁寧に挨拶した。お亀もおどおどしながら相当の挨拶をしていた。
「早速でございますが、こちらの娘のお蝶どのの身の上について昨日《さくじつ》もほかの御女中がまいって詳しいお話をいたしました筈。親御も御得心ならば、今夜からすぐにお越し下さるように、わたくしがお迎いにまいりました」
 女は切り口上で云った。お亀はすこしその威に打たれたらしく、唯もじもじしていて、はっきりした挨拶もできなかった。
「今さら御不承知と申されては、わたくしどもの役目が立ちませぬ。まげて御承知くださるように重ねておねがい申します」
「娘はゆうべ帰りまして、それからなんだか気分が悪いとか申して、きょうも一日|臥《ふせ》って居りますので、まだ碌々に相談いたす暇もございませんで……」
 お亀は一寸|遁《のが》れの口上で、なんとか此の場を切り抜けるつもりらしかったが、相手はなかなか承知しなかった。女は嵩《かさ》にかかって又云った。
「いえ、それはなりませぬ。篤《とく》と御相談くださるように、昨夜わざわざ戻してあげましたのに、いま以て何の御相談もないというは、こちらの志を無にしたような致され方、それではわたくしはおめおめ引き取るわけにはまいりませぬ。娘御をここへ呼び出して、わたくしと三《み》つ鼎《がなえ》であらためて御相談いたしましょう。お蝶どのををすぐこれへ」
 凛とした声できめ付けられて、お亀はいよいようろたえていると、女は袱紗《ふくさ》につつんで来た小判のつつみを出して、うす暗い行燈の前へ二つならべた。
「御約束の御手当ては二百両、封のままで唯今お渡し申します。さあ、どうぞ娘御をこれへ」
「は、はい」
「あくまでも御不承知か。お役目首尾よく相勤めませねば、わたくし此の場で自害でもいたさねば相成りませぬ」
 彼女は更に帯のあいだから袋に入れた懐剣のようなものを把《と》り出して見せた。その鋭い瞳《ひとみ》のひかりに射られて、お亀は蒼くなってふるえ出した。掛け合いはもう手詰めになって来た。
「あの女はおまえ識っているか」と、半七は小声でお蝶にきくと、お蝶は無言で首を振った。半七はすこし考えていたが、やがて三畳から台所へ這い出して、水口《みずぐち》からそっと表へぬけた。
 路地のそとは月が明るかった。角から四、五軒さきの質屋の土蔵のまえには、一挺の駕籠が下ろされて、そこには二人の駕籠舁《かごかき》と先刻の武士らしい男が立っていた。半七はそれを見とどけて、今度は表の格子からはいって来た。そうして、黙って女のまえに坐った。女は受けあごの細おもてに薄化粧をして、眼の涼しい、鼻のたかい、見るからに男まさりとでもいいそうな女振りで、髪は御殿風の片はずしに結っていた。
「御免くださいまし」
 半七は何げなく挨拶すると、女は黙って鷹揚に会釈《えしゃく》した。
「わたくしはこのお亀の親戚《みより》の者でございますが、うけたまわりますれば、こちらの娘を御所望とか申すことで。なにぶんにも婿取りの一人娘ではございますが、それほど御所望と仰しゃるからは、御奉公に差し上げまいものでもございません」
 お亀はびっくりして半七の顔を見ると、彼はつづけてこう云った。
「勿論、あなたの方にもいろいろの御都合もございましょうが、いくら音信不通のお約束でも、せめて御奉公の御屋敷様の御名前だけでも伺って置きたいと存じますのが、こりゃあ親の人情でございます。どうぞそれだけをお明かじ下さいましたら……」
「折角でありますが、御屋敷の名はここでは申されません。ただ中国筋のある御大名と申すだけのことで……」
「あなた様のお勤めは……」
「表使を勤めて居ります」
「左様でございますか」と、半七は微笑《ほほえ》んだ。「では、まことに申しにくうございますが、この御相談はお断わり申しとう存じます」
 女の眼はじろりと光った。
「なぜ御不承知と云われます」
「失礼ながら御屋敷の御家風が少し気に入りませんから」
「異なことを……。御屋敷の御家風をどうしてお前は御存じか」と、女は膝をたて直した。
「奥勤めの御女中の右の小指に撥胝《ばちだこ》があるようでは、御奥も定めて紊《みだ》れて居りましょうと存じまして」
 女の顔色は急に変った。
「御免くださりませ。たのみます」
 格子の外で案内《あない》を頼む女の声がきこえた。
底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
   1985(昭和60)年11月20日初版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:湯地光弘
1999年6月4日公開
2001年6月2日修正
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