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【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)お化《ば》け師匠《ししょう》 |:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号 (例)四万六千|日《にち》で [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)眼はし[#「眼はし」に傍点]の利く方であった |
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| お化け師匠 三 | ||
| 寺を出て上野の方へ引っ返すと、半七は一人の背の高い男に出逢った。それは松吉という手先で、綽名《あだな》をひょろ松と呼ばれる男であった。 「おい、松。いい所で見つけた。実はこれからおめえの家《うち》へ寄ろうかと思っていたんだ」 「なんです、なにか御用ですか」 「お前まだ知らねえのか、お化け師匠の死んだのを……」 「知りません」と、松吉はびっくりしたような顔をしていた。「へえ、あの師匠が死にましたかい」 「ぼんやりするなよ。眼と鼻との間に巣を食っていながら」と、半七は叱るように云った。「もう少し身にしみて御用を勤めねえじゃいけねえぜ」 半七からお化け師匠の死を聞かされて、松吉は眼を丸くしていた。 「へえ、そうですかい。悪いことは出来ねえもんだね。お化け師匠とうとう憑殺《とりころ》されたんですよ」 「まあ、どうでもいいから俺の云うことをきいてくれ。お前はこれから手をまわして、この近所で池鯉鮒《ちりゅう》様の御符《おふだ》売りの泊っているところを探してくれ。馬喰町《ばくろちょう》じゃああるめえ。万年町辺だろうと思うが、まあ急いで見つけて来てくれ。別にむずかしいことじゃああるめえ」 「ええ、どうにかこじつけて見ましょう」 「しっかり頼むぜ。如才はあるめえが、御符売りが幾人いて、それがどんな奴だか、よく洗って来なけりゃあいけねえぜ」 「ようがす、受け合いました」 ひょろ高い男のうしろ姿が山下の方へ遠くなるのを見送って、半七は神田の家に帰った。その日は一日暑かった。日が暮れると、源次がこっそりたずねて来て、お化け師匠の検視はけさ済んだが、人が殺したか蛇が殺したかは確かに決まらないらしかったと話した。ふだんから評判のよくない師匠だけに、所詮は蛇に祟《たた》られたということに決められてしまって、あとの面倒な詮議はないらしいと云った。半七はただ笑って聴いていた。 「師匠の送葬《とむれえ》はいつだ」 「あしたの明け六ツ半(午前七時)だそうです。別にこれという親類もないようですから、家主や近所の者が寄りあつまって何とか始末をするでしょうよ」と、源次は云った。 松吉の方からはその晩なんの消息《たより》もなかった。あくる朝、半七は師匠の送葬《とむらい》の様子を窺いながら妙信寺へ出かけてゆくと、師匠の遺骸は駕籠で送られて、町内の者や弟子たちが三四十人ほども付いて来た。その中には源次がいやに眼を光らせているのも見えた。経師職の息子の弥三郎が蒼い顔をしているのも見えた。女中のお村の小さい姿も見えた。半七は知らん顔をして隅に行儀よく坐っていた。 読経が終って、遺骸は更に焼き場へ送って行かれた。会葬者が思い思いに退散するうちに、半七はわざと後れて座を起った。そうして帰りぎわに墓場の方へそっと廻ってみると、一人の男がきのうの墓のまえに拝んでいる。それは経師職の息子に相違ないので、半七は草履の足音をぬすんで、そのうしろの大きい石塔のかげまで忍んで行って耳をすまして窺っていたが、弥三郎はなんにも云わずに唯一心に拝んでいた。やがて拝んでしまって一と足行きかけた時に、うしろの石塔のかげから顔を突き出した半七と彼は初めて眼を見合わせた。弥三郎は少し慌てたような風で、急いでここを立ち去ろうとするのを、半七は小声で呼び止めた。 「へえ。なんぞ御用で……」と、弥三郎は何だかおどおどしながら立ち停まった。 「少しお前さんに訊きたいことがある。まあ、ここへ来ておくんなさい」 半七は彼を師匠の墓の前へ連れ戻して、二人は草の上にしゃがんだ。けさは薄く陰《くも》っているので、まだ乾かない草の露が二人の草履のうらにひやびやと泌みた。 「おまえさん御奇特に毎月この墓へお詣りに来なさるそうですね」と、半七は先ず何げなしに云った。 「へえ、若い師匠のところへはちっとばかり稽古に行ったもんですから」と、弥三郎は丁寧に答えた。彼はきのうの朝以来、半七の身分を大抵察しているらしかった。 「そこで、くどいことは云わねえ、手短かに話を片付けるが、おまえさんは死んだ若い師匠とどうかしていたんだろうね」
弥三郎の顔色は変った。かれは黙って俯向いて、膝の下の青い葉をむしっていた。 「ねえ、正直に云って貰おうじゃねえか。おまえさんが若い師匠とどうかしていた。ところが、師匠はあんな惨《みじ》めな死に様をした。丁度その一周忌に大師匠が又こんなことになった。因縁といえば不思議な因縁だが、ただ不思議だとばかり云っちゃいられねえ。若い師匠のかたきを取るために、お前さんが大師匠をどうかしたんじゃねえかと、世間で専ら評判をしている。それが上《かみ》の耳にもはいっている」 「飛んでもねえこと……。わたくしがどうしてそんな……」と、弥三郎は口唇《くちびる》をふるわせながら慌てて打ち消そうとした。 「いや、おまえさんがしたんでねえことは私は知っている。わたしは神田の半七という御用聞きだ。世間の評判をあてにして罪科《つみとが》もねえ者を無暗にどうするの斯《こ》うするのと、そんな無慈悲なことはしたくねえ。その代りに何もかも正直に云ってくれなけりゃあ困る。いいかい、判ったかね。そこで今の一件だが、お前さん、まったく若い師匠とどうかしていたんだろうね。え、嘘をいっちゃあいけねえ。この墓の中には若い師匠がはいっているんだぜ。その前で嘘をつかれた義理じゃああるめえ」と、半七は墓を指して嚇《おど》すように云った。 花立ての花もきょうはもう萎《しお》れて、桔梗も女郎花も乾いた葉を垂れていた。弥三郎はじっとそれを見つめているうちに、彼の睫毛《まつげ》はいつかうるんで来た。 「親分。なにもかも正直に申し上げます、実はおととしの夏頃から師匠のところへ毎晩稽古にいくうちに、若い師匠と……。けれども、親分、正直のところ、一度も悪いことはした覚えはありません。師匠はあの通りの病身ですし、わたくしもこの通り気の弱い方ですから、大師匠の眼を忍んで唯まあ打ち解けて話をするぐらいのことで……。それでもたった一度、去年の春でした。若い師匠と一緒にここに墓参りに来たことがありました。その時に師匠は、どうしても家にいられないことがあるから、どこへか連れて行ってくれと云うんです。今思えば、いっそその時に思い切ってどうかすればよかったんですが、わたくしも両親はあり、弟や妹はあり、それを打捨《うっちゃ》って駈け落ちをするわけにも行かないので、ともかくも師匠をなだめて無事に帰したんですが、それから間もなく師匠はどっと寝付くようになって、とうとうあんなことになってしまいました。それを考えると、わたくしは何だか師匠を見殺しにしたようで、明けても暮れても気が咎めてなりませんから、毎月その詫びながら墓参りには欠かさずに来るようにしています。唯それだけのことで、今度の大師匠のことには何にもかかり合いはありません。大師匠が蛇に殺されたと訊いた時には、わたくしは思わずぞっ[#「ぞっ」に傍点]としました。なにしろ、それが丁度若い師匠の一周忌というんですから」 半七が想像した通り、若い師匠と若い経師職とのあいだには、こうした悲しい恋物語が潜んでいたのであった。彼の懺悔に偽りのないことは、若い男の眼から意気地なく流れる涙の色を見てもうなずかれた。 「若い師匠が死んでから、おまえさんはもう師匠の家へはちっとも出這入りをしなかったかね」 「へえ」と、弥三郎は口ごもるように云った。 「隠しちゃあいけねえ。大事な場合だ。え、ほんとうに出這入りをしなかったのか」 「それが実におかしいんです」 「どうおかしいんだ。まっすぐに云いねえ」 半七に睨まれて、弥三郎はなにか頻りにもじもじしていたが、とうとう思い切ってこんなことを白状した。若い師匠が死んでひと月ばかり経つと、歌女寿が経師職の店へぶらりと来て、店に仕事をしている弥三郎を表へ呼び出した。娘の三十五日の配り物や何かについて少し相談したいことがあるから、今夜ちょいと家《うち》へ来てくれと云うのであった。その晩出てゆくと、配り物の話は付けたりで、師匠は弥三郎にむかって自分の家の婿になってくれないかと突然云い出した。頼りにしていた娘に別れて何分寂しくてならないから、お前さんを見込んで頼む、どうぞ養子になってくれと云った。 思いも付かない話でもあり、且は自分は惣領の跡取りであるので、弥三郎は無論にことわって帰った。しかし師匠の方でなかなか諦めないらしく、その後も執念ぶかく付きまとって来て、何かと名をつけて無理に彼を呼び出そうとした。一度は途中でつかまって、否応なしに湯島辺のある茶屋へ引っ張って行かれた。下戸の弥三郎は酒を強《し》いられた。歌女寿もだんだんに酔いがまわって来て、婿になれというのか亭主になれというのか、訳の判らないようなことを媚《なまめ》かしい素振りで云い出したので、気の小さい弥三郎は顫えるほどに驚いて、一生懸命に振り切って逃げて帰った。 「その茶屋へ引っ張られて行ったのは何日《いつ》頃だね」と、半七は笑いながら訊いた。 「ことしの正月です。それから三月にも浅草で出っくわして、無理にどっかへ引っ張られようとしたのを、それもようよう振り切って逃げました。それから五月の末でしたろう。日が暮れてから近所の湯へ行くと、その帰りにわたくしが男湯から出ると、師匠もちょうど女湯から出る、そこでばったり又|出遇《であ》ったんです。すると、相談があるから是非寄ってくれというんで、今度は逃げることもできないで、とうとう師匠の家まで一緒に行きました。格子をがらりと明けてはいると、長火鉢の前に一人の男が坐っているんです。師匠よりは七八歳《ななやっつ》も若い、四十ぐらいの色のあさ黒い男でした。その男の顔をみると師匠はひどくびっくりしたように、しばらく黙って突っ立っていました。なにしろ、客の来ているのは私に取って勿怪《もっけ》の幸いで、それをしおに早々に帰って来ました」 「ふうむ。そんなことがあったのか」と、半七は腹のなかでにっこり笑った。「一体その男は何者だか、おまえさんはちっとも知らねえか」 「知りません。女中のお村の話によると、なんでも師匠と喧嘩をして帰ったそうです」 その以上のことは弥三郎もまったく知らないらしいので、半七もここで切り上げて彼と別れた。 「きょうのことは、誰にも当分沙汰なしにして置いてくんねえよ」 |
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底本:光文社文庫「時代推理小説 半七捕物帳(一)」 1985(昭和60)年11月20日初版第1刷発行 入力:tat_suki 校正:湯地光弘 1999年5月25日公開 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 |
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