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《》:ルビ
(例)お化《ば》け師匠《ししょう》
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(例)四万六千|日《にち》で
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(例)眼はし[#「眼はし」に傍点]の利く方であった
過去の掲載
お化け師匠 二
「まあ、なにしろ行ってみようじゃあねえか」
 半七は先に立って横町へはいると、源次もなんだか落ち着かないような顔をして後から付いて来た。歌女寿の家の前にはだんだんに人立ちが多くなっていた。
「ちょうど若い師匠の一周忌ですからね」
「きっとこんなことになるだろうと思っていましたよ。恐ろしいもんですね」
 どの人も恐怖に満ちたような眼をかがやかして、ひそひそと囁き合っていた。そのなかを掻き分けて、半七は源次と裏口から師匠の家へはいると、雨戸もまだすっかり明け放してないので、家のなかは薄暗かった。蚊帳《かや》もそのままに吊ってあって、次の間の四畳半には家主《いえぬし》と下女のお村が息を嚥《の》むように黙って坐っていた。半七は家主の顔を見識っているので、すぐに声をかけた。
「お家主さん。どうも飛んだことが出来ましたね」
「ああ、神田の親分でしたか。店中《たなうち》に飛んでもないことが出来《しゅったい》しまして……。番太郎に云い付けて早速お届けはして置きましたが、まだ御検視が下りないので、うっかり手を着けることもできません。近所ではいろいろのことを云っているようですが、死に様もあろうに、蛇に巻き殺されたなんて一体どうしたもんでしょうか。なにしろ困ったことが出来ましたよ」と、家主もその処置に困っているらしかった。
「ここらはふだんから蛇の出るところですか」と、半七は訊いた。
「御承知の通り、こんなに人家が建て込んでいるところですから、蛇も蛙も滅多に出るようなことはありません。おまけにここの家は庭といったところで四坪ばかりで、蛇なんぞ棲《す》んでいそうな筈はありませんし、どこから這入って来たのか一向判りません。それですから近所でまあ、いろいろのことを云うんですが……」と、家主の胸にも歌女代の亡霊を描いているらしかった。
「蚊帳のなかを見ても宜しゅうございますか」
「どうぞお検《あらた》めください」
 半七の身分を知っている家主は異議なく承知した。半七は起って次の間へゆくと、ここは横六畳で、隅の壁添いに三尺の置床《おきとこ》があって、帝釈《たいしゃく》様の古びた軸がかかっていた。蚊帳は六畳いっぱいに吊られていて、きのう今日はまだ残暑が強いせいであろう。歌女寿は蒲団の上に寝蓙《ねござ》を敷いて、うすい掻巻《かいまき》は裾の方に押しやられてあった。南向きに寝ている彼女は枕を横にはずして、蒲団から少し乗り出したようになって仰向けに横たわっていたが、その結び髪は掻きむしられたようにおどろに乱れて、額をしかめて、唇をゆがめて、白ちゃけた舌を吐いて、最期の苦悶の痕がその死に顔にありありと刻まれていた。寝衣《ねまき》は半分引きめくったように、肩から胸のあたりまで露出《あらわ》になって、男かと思われるような小さい乳房が薄赤く見えた。
「蛇はどうしました」と、源次もあとから来てそっと覗いた。
 半七は蚊帳をまくってはいった。
「薄暗くっていけねえ。庭の雨戸を一枚あけてくれ」と、半七は云った。


江戸風俗模様 画:北斎


 源次が起って南向きの雨戸をあけると、もう六ツ(午前六時)すぎの朝の光りは、庭から一度にさっと流れ込んで、まだ新しい蚊帳の波をまっさおに照らした、死んだ女の顔はいよいよ蒼く映って物凄くみえた。その蒼ざめた腮《あご》の下に黒くなめらかに光る鱗《うろこ》のようなものが見えたので、蚊帳の外から気味悪そうに覗いていた源次は、思わず顔をあとへ引いた。
 半七は少しかがんでよく視ると、黒い蛇は余り大きくなかった。ようよう一尺ぐらいのものらしく、その尾は女の頸筋にゆるく巻きついて、その扁平《ひらた》い首は蒲団の上に死んだようにぐたりと垂れていた。生きているのかしらと、半七は指のさきで軽くその頭を弾《はじ》いてみると、蛇はぬう[#「ぬう」に傍点]と鎌首を長くあげた。それを見て少しかんがえていた半七は、ふところから鼻紙の畳んだのを出して、その頭を又軽く押えると、蛇は物に恐れるように首をすくませて、蒲団の上へおとなしく首を垂れてしまった。
 蚊帳をぬけ出して来て、半七は縁先の手水鉢で手を洗って、もとの四畳半へ戻った。
「判りましたか」と、家主は待ち兼ねたように訊いた。
「さあ、まだ何とも申されませんね。いずれ御検視が見えたらば又お係りのお考えもありましょう。わたくしは一と先ずこれでお暇《いとま》いたします」
 取り留めた返事を受け取らないで少し失望したらしい家主の顔をあとに残して、半七は早々にここを出ると、源次もつづいて表へ出た。
「親分。どうでした」
「あの女中はまだ若いようだな。十七八か」と、半七はだしぬけに訊いた。
「十七だということです。だが、あいつが真逆《まさか》やったんじゃあありますまい」
「むむ」と、半七は考えていた。「だが、なんとも云えねえ。おめえだから云って聞かせるが、師匠は蛇が殺したんじゃあねえ。人間が絞め殺して置いて、あとから蛇を巻きつけたに相違ねえ。お前もそのつもりで、あの女中は勿論のこと、ほかの出入りの者にもよく気をつけろ」
「じゃあ、死んだ者の執念じゃありませんかね」と、源次はまだ疑うような眼をしていた。
「死んだ者の執念もかかっているか知れねえが、生きた者の執念もかかっているに相違ねえ。おれはこれからちっと心当りを突いて来るから、おめえも如才なくやってくれ。そこで、どうだろう。あの師匠はちっとは金を持っていたらしいか」
「あの慾張りですからね。小金を溜めていたでしょうよ」
「情夫《おとこ》でもあった様子はねえか」
「この頃は慾一方のようでしたね」
「そうか。じゃあ、なにしろ頼むよ」
 云いかけてふと見かえると、家の前に立ってこわごわと覗いている大勢の群れから少し離れて、一人の若い男がこっちの話に聴き耳を立てているらしく、時々に偸《ぬす》むような眼をして二人の顔色を窺っているのが半七の眼についた。
「おい、あの男はなんだ。おめえ知らねえか」と、半七は小声で源次に訊いた。
「あれは町内の経師職《きょうじや》の伜で、弥三郎というんです」
「師匠の家へ出這入りすることはねえか」
「去年までは毎晩稽古に行っていたんですが、若い師匠が死んでからちっとも足踏みをしねえようです。あいつばかりじゃあねえ。若い師匠がいなくなってから、大抵の男の弟子はみんな散ってしまったようですよ。現金なもんですね」
「師匠の寺はどこだ」
「広徳寺前の妙信寺です。去年の送葬《とむれえ》のときに私も町内の附き合いで行ってやったから、よく知っています」
「むむ、妙信寺か」
 源次に別れて、半七は御成道《おなりみち》の大通りへ一旦出て行ったが、また何か思いついて、急に引っ返して広徳寺前へ足をむけた。土用が明けてまだ間もない秋の朝日はきらきらと大溝《おおどぶ》の水に映って、大きい麦藁とんぼが半七の鼻さきを掠《かす》めて低い練塀のなかへ流れるようについと飛び込んだ。その練塀の寺が妙信寺であった。
 門をくぐると左側に花屋があった。盆前で参詣が多いとみえて、花屋の小さい店先には足も踏み立てられないほどに樒《しきみ》の葉が青く積まれてあった。
「もし、今日《こんにち》は」
 店口から声をかけると、樒に埋まっているようなお婆さんが屈《かが》んだ腰を伸ばして、眼をしょぼしょぼさせながら振り向いた。
「おや、いらっしゃい。御参詣でございますか。当年は残暑がきびしいので困ります」
「その樒を少し下さい。あの、踊りの師匠の歌女代さんのお墓はどこですね」
 要《い》りもしない花を買って、半七は歌女代の墓のありかを教えて貰った。そうして、その墓には始終お詣りがあるかと訊いた。
「そうでございますね。最初の頃はお弟子さんがちょいちょい見えましたけれど、この頃ではあんまり御参詣もないようです。毎月御命日に欠かさず拝みにお出でなさるのは、あの経師職の息子さんばかりで……」
「経師職の息子さんは毎月来るかね」
「はい、お若いのに御奇特なお方で……。きのうもお詣りに見えました」
 手桶に水と樒とを入れて、半七は墓場へ行った。墓は先祖代々の小さい石塔で、日蓮宗の歌女代は火葬でここに埋められているのであった。隣りの古い墓とのあいだには大きい楓が枝をかざして、秋の蝉が枯れ枯れに鳴いていた。墓のまえの花立てには、経師職の息子が涙を振りかけたらしい桔梗と女郎花《おみなえし》とが新しく生けてあった。半七も花と水を供えて拝んだ。拝んでいるうちに何かがさがさという音がひびいたので、思わず背後《うしろ》をみかえると、小さい蛇が何か追うように秋草の間をちょろちょろと走って行った。
「こいつを持って行ったかな」と、半七は少し迷ったように蛇のゆくえを見つめていたが、「いや、そうじゃあるまい」と、又すぐ打ち消した。
 もとの花屋へ帰って来て、死んだ師匠は生きているうち、墓まいりに時々来たことがあるかと、半七はお婆さんに訊いた。歌女代は若いに似合わない奇特な人で、墓まいりにはたびたび来た。たまには経師職の息子とも一緒に来たことがあったと彼女は語った。これらの話を寄せあつめて考えると、悲しい終りを告げた若い師匠と、その墓へ泣きに来る若い経師職との間には、なにか糸が繋がっているらしく思われた。
「どうもお邪魔をしました」
 半七は銭《ぜに》を置いて寺を出た。
底本:光文社文庫「時代推理小説 半七捕物帳(一)」
   1985(昭和60)年11月20日初版第1刷発行
入力:tat_suki
校正:湯地光弘
1999年5月25日公開
青空文庫作成ファイル:
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