一
今日の小春日和、山科の光仙林から、
逆三位一体が宇治
醍醐の方に向って、わたましがありました。逆三位一体とは何ぞ。
信仰と、正義と、懐疑とが、袖をつらねて行くことであります。本来は、まず懐疑があって、次に正義が見出され、最後に信仰に到達するというのが順序でありますけれども、ここではそれが逆になって、懐疑が本体になって、正義と信仰とが
脇侍であり、もしくは従者の地位しか与えられていない、というところが逆三位一体と、かりに名づけたもので、三つ一緒に歩いているから三位の観を呈するまでのこと、内心に於ては必ずしも一体でなく、また一体ならんと予期してもいない。
信仰がまず正義を呼んで言いました、
「ねえ、友さん、しっかりしなくっちゃいけないよ」
「うん」
ここで、まず、信仰と正義との受け渡しがありました。
女がまず口を開いて、男がこれに応じたこと古事記の本文と変りはありません。だが、ここでは巻直しにならないで、女の方があくまで押しが強い。
「お前という人は、正直は正直なんだが、信心ごころというものがありません、人間、正直はいいけれども、正直ばかりじゃ世に立てないよ、信心だね、人間のことは神様仏様がお見通しなんだから、神様仏様を御信心をして、それからの話なんですよ、今日はお前、お嬢様が御信心ごころでおいでになるんだから」
ここまで教訓した信仰の鼓吹者は別人ならず、江戸の両国の
女軽業の親方、お角さんなのです。お角さんはあれで信心者だから、仮りに三位一体の信仰の
一柱に見立ててみたたまでのことで、その神妙な指令の
受方になっているのが即ち宇治山田の米友なのであります。
宇治山田の米友は正義の
権化です。そこで、これを三位一体の一柱と見立てたが、信仰の申渡しに反対して、正義はあえて主張を試みないでいると、懐疑が代っておもむろに、それをあしらいかけました。
「わたしは信心者ではありません」
とまず、おごそかに否定をしたのは、逆三位の本体たる懐疑者の声明としては至当の声明であります。
「わたしは、神様も仏様も信じません、では何を信ずるかと言えば、まあ自分を信ずるというほかはないでしょう、だが、その自分も信じきれないのでね、何を信じていいかわからないんですよ」
覆面をして、背たけのすらりとした美人、姿だけを見て言う、お銀様です。否定された信仰者はあえて動揺もしないで、直々に受取って、
「わからないでする信心が本当の信心で、わかってする信心は本当の信心じゃないって、伝道師さんがおっしゃいました」
「そんなことがあるものですか」
信仰者が、逆らわずに
補綴を加えようとするのを、懐疑者は立ちどころにハネ飛ばして、
「そんなばかなことがあるものですか、わからないで何の信心ができますか、物の道理がわかって、はじめて信心をする気になるのでしょう、わからないものを信ぜよと言って、信ずることができますか」
「いいえ、お嬢様、そこのところが……そこのところが、その何なんです……」
何か相当の
拠りどころはあるらしいが、口に上せてはっきりと補うことができない、そこに信仰者の
悶えがありました。ハネ飛ばされてもしょげもしないし、反撥もしないところに、信仰に於ける相当の自信があることはあると受取れるのですが、さて、立ちどころにその反撥に応酬して、相手を取って押えるだけの論鋒が見出せない、その悶えをかえって懐疑者が補ってやるという逆三位。
「いいんですよ、親方のは親方のでいいんですよ、お前さんは信心者なんだから、それでいいのよ、
鰯の頭も信心から、って言うでしょう、それは軽蔑して言うんじゃありませんよ、鰯の頭をでさえ信じきれる人が結局エライんです、鰯の頭をでさえ信じ得られる人が、人間を信じなくてどうするものですか、人間を信じ得られる人は、神をも、仏をも、信じ得られる人なんです、それは幸福です、偉大でさえあるんです、ところが、わたしときた日には何ものをも信じ得られません、悲惨ですね」
ここに至って、女軽業の親方はグウの音が出ませんでした。相手から逆十字がらみに抑え込まれたのですから、抗弁の仕様もなく、さりとて納得しきるには頭が足りない。こうして女軽業の親方は、いつもこの暴女王ばっかりが
苦手なのです。
なるほど、お角さんという人は、信心者は信心者に相違ないけれども、その信心たるや、あまりに広汎にして色盲に近く、その祈念たるや、あまりに現実的にして取引に近いだけのものです。それは熱田神宮へ参詣して、そっと茶店の女中に耳打ちして、「この神様は何にきく神様なの」とたずねて女中を面喰わしたことでもわかります。ドコの
荒神様を信心すれば金談がまとまるとか、ドコの
聖天様は縁結びにあらたかだということは、江戸府内ならば大抵は暗記していて、おのおのその時と事件に合わせることを心得ての信心ですから、いわば神仏に信心を捧げて置いて、それからお釣を取ろうという信心なのです。そうかといって、その信心を捧げた神様仏様がお釣をくれないからと言って、それを
怨むようなことは
微塵もなく、それはちょうどこの時分に、神様が御不在であったり、さらずば自分の信心の仕方に足りないところがある。
己れの信心の誠意は自ら疑うことはないが、その作法に何ぞ神様仏様のお気に召さないことがあって、それでお聞入れにならないから信心が届かない、こう信じているのだからかえって己れを
直くすというわけで、この点では、やはり功利以上に超越した信心者の名を許して、さしつかえがないと言わなければなりません。
二
かくて、この三位一体は、山科から
醍醐への道を、小春日をいっぱいに浴びて、
悠々閑々と下るのであります。道は
勾配になっているわけではないが、さながら満帆の春風を負うて、長江に
柔艫をやるような気分の下に、醍醐へ下るのであります。
お角さんは、称して、お嬢様は御信心のために醍醐へいらっしゃるのだと言う。御当人は、それを排して、わたしが醍醐へ行くのは信心のためではありませんと言いきったが、それでは信仰以外の何の目的を以て行くのか、それは言いません。さりとて、今はその時でないから、醍醐までお花見と言ってもそれは成り立ちません。単純に散歩の気分ならば、なにも特に醍醐を指定する理由もなかろうと思われるけれども、それを問いただすことをしないのが、お角さんの気象でもあり、信心者の大らかさでもあり、且つまた、この暴女王をあしらいの
勘所でもあると思いますから、お角はあえてそれ以上には押すことなく、また押すべき必要もないと口をつぐみます。
しかし、本来を言えば、お嬢様の醍醐をたずねる目的は、三宝院の庭と絵とを見んがためでありました。
それをそそのかしたのは不破の関守氏でありまして、関守氏は、つい昨晩、お銀様に向って、こんなことを言いました――
「醍醐の三宝院へ参詣してごらんなさいませ、あそこの庭が名作でございます、しかし、庭よりもなお、その道の人を驚かすのは、国宝の絵画彫刻でございまして、その絵画の数々あるうちに、ことに異彩を極めたのは
大元帥明王の大画像でございます、
大元帥と書きましても、帥の字は読まず、ただ大元明王と
訓むのが宗教の方の作法でございますが、あの大画像は、いつの頃、何者によって描かれたものか存じませんが、いずれは一千年以前のものでございましょう、幅面の広大なること、図柄の奇抜なること、彩色のけんらんなること、いずれも眼を驚かさぬはありません。但し、眼を驚かすために描かれたのではなく、密教の秘法を修する一大要具として描かれたものに相違ございませんが、絵そのものが、たしかに
素人をも
玄人をも驚かさずには置きません、実にめざましいグロテスクを描いたものです。大元帥明王――そのいかにグロテスクであるかは一見しないものにはわかりません、宗教的にはなかなか以て神秘幽玄なる見方もあるに相違ございませんが、これを単に芸術的に見てですな、芸術的に見て、実に筆致と言い、墨色と言い、彩色といい、全体の表現と言い、すばらしいものです。ことにその彩色が――彩色のうち、人目を奪う
紅と
朱の色が大したものです。なにしろ千年以上の作というにかかわらず、朱の色が、昨日
硯を発したばかりの色なんです、今時の代用安絵具とは違います、絵かきが
垂涎しておりますよ、こんな朱が欲しいものだ、ドコカラ来た、舶来? 国産? いかなる費用と労力をかけても、それを取寄せてつかってみたいとの心願を致しますけれど、あんな朱はドコで求めることもできません、科学者は研究をはじめましたが、今以て、その原料が何物であるかわからんそうです、動物質か、植物質かさえもわからないのだというのですから――つまり、千年の昔に悠々として使いこなした顔料を、千年後の今日の科学で解釈がつかないというんですから、現代の科学も底の知れたものです。あれはぜひ一見の必要がありますな」
こう言って説き立てたものですから、お銀様が、その明日という日に、この通り醍醐詣でとなった始末であります。随行に選ばれたのはお角と米友、これは不破の関守氏の当然の見立てでもあり、本人たちも納得したところであります。
山科から醍醐までは下り
易い道です、歩き易い距離でした。道は
平坦だが、前に言う通り、流れに
棹さして下る底の道であります。ほどなく、逆三位一体は、醍醐三宝院の門前に着きました。
三
お銀様とお角さんが三宝院のお庭拝見をしている間、米友は門前の石橋の
欄に腰打ちかけて休んでおりました。そこへ、六地蔵の方から突然に、けったいな男が現われて、
「
兄い、洛北の岩倉村に
大賭場があるんだが、ひとつ、かついで行かねえか、いい銭になるぜ」
と、いったい、
藪から棒に、誰に向って、こんなことを言いかけたのか、米友としても、ちょっと途方に暮れて、忙がわしく前後左右を見渡したけれども、自分のほかに
手持無沙汰でいる人っ子はないから、多分、このおいらという奴を目にかけて呼びかけたんだろうが、それにしちゃあ、人を見損ってるぜ。
「兄い、どうだ、行く気ぁねえか、いい銭になるぜ、洛北の岩倉村に
前代未聞の大賭場があるんだから行かねえか」
同じようなことを繰返して、今度は、ひたと自分の眼の前へ足を踏みつけて突立ち止っての
直接談判だから、もう思案の問題ではありません。
「おあいにくさまだよ」
と米友が言いました。
「おあいにくさま、いやはや」
と、けったいな男は苦笑いをしたが、それで思い止まるとは見えない、ニヤリニヤリと笑いながら、米友の前におっかぶさるような姿勢になって、
「そんなお
愛嬌のねえことを言わねえもんだ、やびなよ、やびなよ」
「やばねえよ」
「やびなよ」
「やばねえてばなあ、しつこい野郎だなあ」
ここで、
やべと
やばぬの押問答になりましたが、
やべというのは「歩め」或いは「歩べ」という急調な
訛でありまして、ところにより、俗によって使用されるが、必ずしもこの辺の方言とは思われない。ただ、やびなよ、やびなよ、と言うのは、先方の希望であり、懇願でなければならないし、
やぶと、
やばぬとは、こっちの勝手であり、権能でありますから、断じてそれを強要すべきではありません。しかるに、このけったいな男は、懇願と強要との区別がつかないらしいから、米友は改めて、このけったいな男の
面を見上げてうんと
睨みつけたが、そのとき気がつくと、このけったいな男は、肩にしこたま背負いものを背負っている。袋入りの米ならば五升も入りそうなのに、米ではなくて米より重いもの、袋の角の突っぱりでもわかる、この中には銭という人気物が
しこたまつめてある。そこで、米友も、このけったいのけったいなる
所以を覚らないほどのぼんくらではない。よくある手だと見て取ったのは、渡る世間によくあるやつで、つまり、ばくち打ちの
三下、相撲で言えば関取のふんどしをかつぐといったやからと同格で、貸元のテラ銭運搬がかりというものがある、そいつだな、そいつが、どうも
己れの責任が重くてやりきれねえ、そこで路傍のしかるべきルンペン子を召集して、自分の下請をさせることはよくある手である。今、おれをその下請のルンペンに見立てやがったのだ、ということを米友が覚ったから
一喝しました。米友から一喝されても、その野郎はなおひるまず、
「二貫やるぜ、二貫――洛北の岩倉村まで二貫はいい日当だろう」
「お気の毒だがな、おいらあ主人持ちだ、こうして、ここで、ひとりぽっちで、つまらねえ
面をしているようなもんだが、職にあぶれてこうしてるわけじゃねえんだぜ、頼まれておともを仰せつかって、御主人がこの寺の中へ入っている、おいらはここで待ってるんだ、だから、誰に何と言って頼まれたからって、御主人をおっぽり出して
銭儲けをするわけにゃあいかねえ」
米友として、珍しく理解を言って、おだやかに断わりました。
これほどまでに理解を言って聞かせたら、いかにしつっこい野郎とても、そのうえ
強いることはあるまいと思っていると、そのけったいな男が、突然きょろきょろと
四方を見廻して、落着かないこと
夥しい。今まで米友を見かけて
口説いていた眼と口とが、忙がわしく前方へ活動をして、面の色さしまで変ったのは挙動が
甚だ不審です。米友も
解せないと思って、その男の落着かなくなる目標の方を見やると、笠をかぶった二三人連れの人がこちらを向いて、徐々に歩んで来るのです。距離としてはまだ一丁の上もあるから、親の
敵にしたところで、そう今から狼狽するには及ぶまいと思われるのですが、この男の体勢はいよいよ崩れて、ほとんど腰の据えどころがありません。
先方の動静を見ると、この男を狼狽せしむるような、なんらの体勢を示しているのではない。いわば先方は、こちらに、けったい
在ることも、グロ在ることも一向知らず、平常の足どりで歩んで来るのですが、その姿形だけを見て、このけったいをして身の置きどころなきを感ぜしめるほどの権威が、先方に備わっていると見なければなりません。つまり、あれは十手取縄をあずかるお役人なんだ。その途端、何と思ったか、けったいな野郎は、背中のしこたま重い銭袋を、米友の頭から投げつけて置いて、自分は一散飛びに飛んで横丁の
竹藪の中へ飛び込んでしまいました。
「危ねえ――」
と叫んだのは、けったいな野郎でなく、米友の声でありました。
四
「危ねえ――」
これは米友が叫びました。全くあぶないのです、五升袋へ詰めた銭を、まともに頭からブッつけられた日には、たいていの面はつぶれてしまう。米友なればこそ
体をかわして、銭の袋は後ろへ外したけれど、余人ならば相当の怪我です。だが、出来事は、それっきりの単純なものでありました。
目標の笠は、ほどなく米友の前へ、ずっしずっしと通りかかりましたけれど、何の騒がぬ面色、足どりで、そのうちの一人が、チラと米友を横目に見ただけで、その前を素通りしてしまったのですから、けったいとも言わず、
薬袋とも言わず、何事もなく素通りをしてしまったのですが、その一行は山科方面から来たには来たが、六地蔵の方へ向けて行くかと思うとそうでなく、米友の眼の前を素通りして、すぐに鍵の手に曲ったのは、三位一体の二体がすでに入門したと同じく、三宝院の門に向うのでありました。
宇治山田の米友は、しばしそれを見送っていたが、二三子の姿は三宝院の
境内に消えても、竹藪に飛び込んだ、けったいな野郎は容易に二度と姿を見せません。
時が経つうちに、米友もようやく退屈を感じ出してきました。退屈を感じはじめると、この男は生来短気なのです。短気が
癇癪を呼び出して来るのが持前なのですが、ようやく少し
焦れ出すと共に、後ろ捨身に投げられた銭金袋に目がつかないわけにはゆきません。これが米友でなかった日には、何事を措いても、この
しこたまのテラ銭が気になってたまらないはずなのですが、今になって、ようやく草むらの中に、かっぱと伏している袋に気がついたのは、無慾は感心としても、この男の神経としては鈍感に過ぎる。
「やっけえなものを置いて行きやがったな」
試みに、草むらの中へ分け入って、その袋に
諸手をかけてみました。重い。幸いにしてこの男は稀代の怪力を持っている。
かくて、この金袋を抱き起してみたが、さてこれからの処分法が問題です。
実は問題でもなんでもありようはずはない。およそ、盗難や遺失物は交番へ届けさえすれば、それで済むことなのです。当時まだ交番が出来ていない、出来ているとしても、その近所にないというならば、これに代る一時の手段はいくらもあるべきはずなのです。これを米友が、重大なる問題かの如く悩み出すのも、この男に限って、交番へ届けるという簡単な手続を、極めて
おっくうがる理由があるようであります。
届ける分には何も
おっくうはないが、届けた後には必ず住所姓名を問われるにきまっている、その住所姓名を問われるということが、今日のこの男にとっては苦手なのです。
彼は、自分で自分を隠さなければならぬ不正直さはどこにも持っていない。また自分で自分を
韜晦せねばならぬほどの経国の器量を備えているというわけではない。それなのに、天地の
間に暗いことのない精神を持ちながら、天地を狭められたり、行動を緊縛されたりするというのは、何のわけだか、自分で自分がわからない。ただその度毎に
蒙る不便、不快、不満というものは、いかばかりか、ややもすれば生命の危機に追い込まれることも今日まで幾度ぞ。
そうかといって、一身の危険を回避せんがために、公道の
蹂躙を敢えてしてはならない。正義の名分をあやまらしめてはならない。届け出て、住所氏名を問われるが、いかに個人的に不利、不益、不快、不満であっても、遺失物に対して相当の責任を取るべきことは、免れ難き人間の義務である。
かくて、五升袋の銭塊を前にして、米友が、とつおいつと思案に暮れました。
五
宇治山田の米友が、門前に於て、かくばかり当惑している時に、お銀様とお角さんとは、三宝院のお庭拝見をしておりました。
二人の
東道役をつとめるのが、院に子飼いと覚しい一人の小坊主でありましたが、最初からこの坊主に気を引かれたのは、女軽業の親方だけではありません、お銀様でさえが、玄関に現われたその瞬間から、ハッとした思いです。
というのは、この小坊主が、別人ならぬ宇治山田の米友に生きうつしなのです。違うところは、米友よりも年まわりが一まわりも違うかと思われるほどの幼年ですから、背丈も、本来高くもあらぬあの男をまた一けた低くしたようなもので、これが
友しゅうの弟でなかったら、世に米友の弟はないと思われるばかりです。
そこで、お銀様とお角さんが、思わず眼と眼を見合わせてうなずいたのは、二人ともに、ぴったりと観るところが一致したので――これは一致しないわけにはゆきません、一致もこの程度になると、
啄同時のようなもので、言句を言わないで眼だけでよくわかる。
「よく
肖ていますねえ」
「よく肖ているわねえ」
言語に発して、しかして後、呼吸を合わせる程度のものではなかったのです。昭和現代の支那事変のつい近ごろ、日本で、ある映画会社がフィルムに製造すべく、かの憎むべき
蒋介石のモデルを、一般に向って募集したことがありましたそうです。そうすると、四国かドコかの山中から現われた一人の応募者があったそうです。テストに現われた係員が、まず
呆気に取られたのは、この応募者が、蒋介石に肖ていること、肖ていること、そっくりそのまま以上、本人よりもよく肖ていたそうです。
斯様にして求めさえすれば、日本の中にさえ蒋介石よりも蒋介石によく似たという人間も現われるものなのでありますが、ここでは求めざるに不意に現われたものですから、さすがの暴女王様も、お角親方も、舌頭を坐断されてしまって、うなずき合うよりほかに言語の隙を与えないほどでありました。
もし、ところがこうしたところでなかったら、お角親方は、
啖呵を切って叫んだかも知れません――「これは友の舎弟なんですよ、間違いっこはありません、本人よりもよく友に似てるんです、もともとあいつも上方の生れと聞いていました、家もあんまりよくないもんだから、
藁のうちから別れ別れにされて、一匹は関東へ、一匹はこっちへお弟子に貰われたんですよ、友を呼んで見せてやりましょうよ、生別れの兄弟の名乗りをさせてやろうじゃありませんか、ほんとうに当人よりもよく似ていますよ、これがあの男の弟でなかったら、世間に弟というものはありゃしません」
こう言って、親方まる出しのけたたましい叫び声を立てて、権柄で友を呼び込んで、否も応も言わさず、兄弟名乗りをさせたかも知れません。しかし、ここはところがらですから遠慮をしました。ところがらをわきまえて遠慮のたしなみがあるところが、さすが女親方の取柄で、本来自分が字学が出来ないし、身分に引け目があるところから、場所柄によっては必要以上におびえ込み、謙遜以上に謙遜してしまうことが、この女性の美徳といえば美徳の一つでありますことがまた、ここでけたたましい叫びを立てなかった一つの理由なのであります。
そこで、二人がうなずき合っただけで、この奇遇的小坊主の案内を受けて、玄関から
名刹の内部の間毎の案内を受けようとする途端、これはまた運命の
悪戯! とまでお角さんをおびえさせて、
一時、その爪先をたじろがせたほどの奇蹟を見ないわけにはゆきません。
本人よりもよく米友に
肖ているこの小坊主が、先に立って案内に歩き出したところを見ると、どうでしょう、これが
跛足なのです。
「まあ、お嬢様!」
と今度は音に立てて、さしもの親方が、オゾケを振って一時立ちすくんだのは無理もありません。暴女王でさえが覆面の間から鋭い眼をして、この小坊主の
足許を見定めたほどであります。
世に遺伝ということはあって、子が親に似ているのは当然中の当然。その子の弟が、兄に似ていることも当然中の当然。親が頭がいいから、子も頭がいいというのも不合理ではない。子の体格のいいのは、親の譲りものというのも無理はないし、悪いのになると、悪疾の遺伝、悪癖の遺伝までも肯定されるが、跛足が遺伝するということは、あまり聞かないことです。
親が跛足であったから子が跛足、兄貴が跛足だから、弟の跛足に不足はないということは言えないのです。賢愚と、不肖と、性格と、体格には、遺伝があり得るけれども、怪我というものは後天的なものだから、兄貴が負傷して跛足になったからとて、弟まで怪我をして跛足になり得るという遺伝はないのです。
おっちょこちょいと
おっちょこちょいが
夫婦になれば
出来たその子が
また、おっちょこちょい
これは、ふざけたような口合い唄でありますけれども、また一面の真理たるを失わない。
おっちょこちょいの
倅に、おっちょこちょいが生れるということは有り得ることで、
王侯将相豈種あらんやというは、それは歴史上を
均して、幾千億万分の一の特例であって、標準とすべくもありません。百姓の子は百姓になり、大工の子は大工になり、町人の子は町人になることに、わけて階級制度のやかましい日本の国では、
滔々たる世間並みのおきてになっているが、
跛足の子が跛足であり得ること、兄が跛足なるが故に、弟も跛足という常識はありません。
腕の喜三郎親分(前の政友会総裁鈴木喜三郎氏のことではない)は、兄貴が喧嘩で片腕を失ったから、おれも両腕があっては面白くねえと言って、自分で自分の片腕を切り落して、兄貴と同格になったという特例はあるが、あれは遊侠のする気負いです。これは運命の
悪戯! と、さすがの両女傑が、案内の小坊主を見て一時、立ちすくんだのも無理はありません。
六
だが、お角さんとても、驚くべきものは驚きもするけれども、驚いてそうして、度を失うお角さんではありません。直ちに平常心を取戻して、案内役の小坊主を、ちょっと杉戸の蔭に小手招きして、耳うちをしました、
「兄さん、御苦労さま、あのね、わたしのお連れのあのお方はね、少しわけがあって、お怪我をしていらっしゃるんだから、あの通りかぶり物を取りません、ね、それを承知してね」
と言って、その途端に、ふところ紙でおひねりを一つこしらえて、この小坊主に持たせようとしました。
これは、お角さんとしては常識の手法の一つで、悪い意味ではない一つの軽少なる
賄賂、あるいは最も好意ある鼻薬! むしろ儀礼の一つであって、お角さんの社会で普通に行われるのみならず、世界的に公認の闇取引――ではない、計算書にまで公然と記入して来られる、記入して来られた方が来られないよりも、むしろ気持のよい世界的の社交関税、通称を「チップ」と呼ばれるところのものの労力に対する報酬、ある場合には敬意を含めたところの意志表示なのでありましたが、この小坊主は、前のかぶり物御免に対しては相当の黙認を与えたけれども、後者の関税闇取引に対しては、断然それを拒絶して、お角親方の好意を無にしてしまいました。つまり、同行の女性が特殊の事情によって、
面に覆面を施しながら間毎を通過するという特権を黙認したのは、これは一種の同情心がさせるわざなのでありました。儀礼を重んずべき女性として、あえてこの無礼を忍ばなければならない事情というものは、他よりは本人が苦痛とするところでなければならぬ。それを押して行こうという事情には、よくよくのものがなければならぬ。そこに小坊主も暗黙の間の同情心が発揮されたと見えるが、白い紙でこしらえた社交関税は、すげなくお角親方の手から拒絶して、押しつけるその手先をかいくぐるようにして、早くも先に立って、お庭先の舞台の方へ逸出してしまいましたから、さすがの親方も、すっかりテラされてしまいました。ぜひなくお角さんは、せっかくこしらえたおひねりをそのまま帯の間へ突込んでしまって、そのあとを追いましたが、この時、もはや女王様は、廊下舞台の欄干に立って、一心に三宝院のお庭をながめているところであります。
三宝院の庭は、京都に於ける名庭園の一つであります。いや、日本の国宝の一つとして、世界的に名園の一つであります。音に聞いてはじめて見るお銀様には、大なる興味でなければなりません。名園の名園たる
所以の常識は、お銀様の教養の中には、もうとうに出来ている。お銀様が余念なく、自分の眼と頭によって余念なく名園を観賞し、解釈しているところへ、お角さんの社交的儀礼をすげなく、すり抜けて来た小坊主が、早くもそちらに立って
滔々と説明をはじめました――
「これなるは有名なる醍醐の
枝垂桜、こちらは表寝殿、
葵の
間、襖の絵は
石田幽汀の筆、次は秋草の間、
狩野山楽の筆、あれなる
唐門は勅使門でございます、扉についた菊桐の御紋章、桃山時代の建物、勅使の間――襖の絵は狩野山楽の筆、竹園に
鴛鴦、ソテツの間、上げ舞台、板を上げますと、これが直ちにお能舞台になります、中の間、狩野山楽の草花、柳の間――同じく狩野山楽の筆、四季の柳をかかれてございます、こちらの廊下の扉、この通り雨ざらしになっておりますが、これに松竹の絵のあとが、かすかに残ります、同じく狩野山楽と伝えられておりまする、これから奥寝殿、この
屏風は、醍醐の百羽烏として有名な長谷川等伯の筆、こちら
[#「こちら」は底本では「これら」]が
門跡の間でございます、あの違棚が、世に醍醐棚と申しまして、一本足で支えてございます、その道の人が特に感心を致します、あの茶室がこれも名高い『舟入茶室』松月亭と申します、太閤様がお庭の池の方から舟でこの堀をお通りになって、この茶室へお通いになりました、太閤様お好みの茶室、これは桜屏風、山口雪渓の筆、これからが三宝院の本堂、正面が
弥勒仏、右が弘法大師、左が理源大師の御木像でございます、これが枕流亭……
さてこれからがお庭でございます、このお庭は太閤様御自作のお庭でございます、あれが名高い藤戸石、一名を千石石とも申します、錦の袋に入れて二百人でこれへ運びました、天下一の名石でございます。
これが琴平石、
平忠度の腰掛石、水の流れのような
皺のあるのがなんか石、
蝦蟇石、あの中島の松が前から見れば
兜松、後ろから見れば
鎧松、兜かけ松、鎧かけ松とも申します、向うの小山の林の中に小さく見えます
祠が、豊臣太閤をお祀り致してございます、なぜ、あんな小さく隠してあるかと思いますと、徳川家の天下の御威勢に遠慮をしたのでございます、この名園に一つの欠点がございます、それはあの二つの土橋が同じ方面へ向けてかけてあることが一つの欠点でございます」
名園の名園たる来歴を一通り説明してのけた上に、その欠点をまで附け加える小坊主の口合いは、そういうことをまで附加せよと教えられているのではなく、案内しているうちに、誰かその道の者があって、立話にこんな批評を加えたのを小耳に留めて置いて、その後の説明の補足に用いているものと思われます。
この
滔々たる説明を、小坊主の口から一気に聞かされたことに於てお銀様とお角さんが、再び眼を見合わせたのは、今度は、弁信法師に似ている、今までは宇治山田の兄いに
肖過ぎるほど肖ていたのが、今度は、あのお
喋り坊主のお株をも奪おうとする、重ね重ね、怖るべき運命の悪戯だと思わないわけにはゆかなかったからでしょう。
しかし、この点は前ほどに、二人をおびやかすに至らなかったことは、この程度の雄弁は、いわゆる門前の小僧の誰もよくするところで、あえて天才の異常のさせることではないのです。口癖にのみ込ませて置きさえすれば子供でもすることで、ここに行われるのみならず、他のいずれでも行われる。また、素材をとっつかまえて来て、もっと誇張した吹込みをして、世人の好奇心の前へ売り物に出すことは、むしろお角親方の本業とすることだから、こういうのには、さのみおびえるには及ばなかったのです。
つまり、弁信法師の怖るべき舌堤の洪水は、超絶的の脳髄がさせる、千万人の中の天才の仕業ですが、この小坊主のは、そんな手数のかかるものではない。この場合、またよく似ている、あんまりよく似ている、さきに米友で、あれほど人をおびやかしながら、またもお喋り坊主のお株にまで手をのばそうとする、このこましゃくれが面憎くなったからでありましょう。
七
お庭拝見が済むと、お銀様だけが改めて、弥勒堂後壁の間へ案内されました。
弥勒堂後壁の間というのは、建築が極めて高いだけに、光線の取り方が充分でありませんから、室内はなんとなく暗陰たる色が漂うております。けれども、古風な建築としては、相当光線の取入れには注意がしてあるらしく、明るいところから、急にこの一室へ入ったのですから、その当座こそ視覚の惑乱がありますけれども、落着いてみれば、掛物を見て取るに不足な光線ではありません。見上げるところの正面に、とても広大なる画幅がかかっていて、その周囲には、この
脇侍をつとめるらしい一尺さがった画像があるのであります。これらの脇侍の画像とても、その一枚一枚を取外して見れば驚くばかり広大な軸物に相違ないが、正面の大画幅の大きさが、すぐれてすばらしいものですから、脇侍が落ちて見えるのは、ちょうど、奈良の大仏の仁王門の仁王が、それだけを持出せば絶倫の大きさのものなのですが、なにしろ大仏の本尊の
盧遮那仏が、五丈三尺という日本一の大きさを誇っている、その前ですから、仁王としては無双の仁王が、子供ぐらいにしか見えず、ただ、その芸術の優秀なことに於て前後を
睥睨しているのと、案内人が遠慮会釈もなく、「これが有名な東大寺大仏殿の仁王、右が
運慶、左が
湛慶――」と言って、作ということを言わないから、仁王尊そのものの右が運慶尊、左が湛慶尊になりきって、本体と、作者が、見事に習合せしめられている。識者はそれを笑い、愚者はそれに感歎する。案内者自身はまた、右が運慶尊、左が湛慶尊と信じきって、眼中に信仰と芸術の差別なきところが、お愛嬌のようなものであります。
そこで、お銀様はじっと立って、この特異の大画を上から下へ、下から上へ、見上げ見おろしてじっと立ちました。
この怪異なる、人ともつかず魔ともつかぬ大画像は、いったい何を意味しているのか、不幸にしてお銀様にはこれがわかりません。
ただ見るところは、不動尊以上の不動尊の
形相を呈しているが、不動のような赤裸のいつわらざる形体を誇っているのではない、身辺はあらゆる紅紫絢爛たる雑物を以て装飾され、彼の如く、しかく単純に剣と縄との威力を誇示するには止まらない。なるほど、不破の関守氏から予備知識を与えられた、これが三十六
臂の形式というものでしょう。一つの形体から三十六の手が出て、それがおのおのの方向に向って、おのおのの武器を持っている。世には
千手観音という尊像もあるのだから、三十六や七は数に於て問題でないが、その生血の滴る現実感の圧迫にはこたえざるを得ない。
五体を見ると、
逞しい黒青色の黒光り、腰には虎豹の皮を巻き、その上に
夥しい人間の
髑髏を結びつけている。背後は一面の鮮かな火焔で塗りつぶされている。よく見ると、その火焔の中に無数の蛇がいる。おお、蛇ではない、竜だ。夥しい小竜大蛇がうようよと火の中に鎌首をもたげているのみではない、なおよく見ると、あの
臂にも、この腕にも、竜と蛇が巻きついている。
顔面はと見ると、最初は、正面をきった不動明王のようなのばかりが眼についたが、その左右に
帝釈天のような青白い穏かな
面が、かえって物凄い無気味さを以て、三つまで正面首の左右に
食っついている。なおよく見ると、その三つの首のいずれもが三眼で、その眼の色がいずれも血のように赤い。その口には、牙をがっきと噛み合わせた
大怒形。
なお、その振りかざした三十六臂のおのおのの持つ得物得物を調べてみると、合掌するもの、
輪をとるもの、
槊を執るもの、
索を執るもの、
羅を握るもの、棒を
揮うもの、刀を構えるもの、印を結ぶもの、三十六臂三十六般の形を成している。
再び頭上を見直すと、さきには
忿怒瞋恚の形相のみが眼に入ったが、その頭上は人間的に
鬢髪が黒く、しかもおごそかな
七宝瓔珞をかけている――
物に
怖じない暴女王の眼も、このまま見上げ見下ろしただけで消化するには混乱しました。その時、お銀様は甲州の家にあった「
阿娑縛抄」一部を惜しいものだと思い出さないわけにはゆきません。
甲州の家には文庫が幾蔵もあった。お銀様は、それを逐一風を入れて虫干をしたことがあります。ゆくゆくは残らず、それを頭に入れるつもりでありましたけれども、その時は一通りの風入れでありましたが、「阿娑縛抄」百八冊を手がけてみたのも、その時のことでありまして、この大部の書のあらわすところが何物であるかに歯が立ちませんでした。他日必ず読みこなしてみせるとは、この女王の気象でありましたが、その時は、一種異様な大部な書物である、内容がなかなか食いつけないのは、その中には
夥多異様の彩色絵で充たされている、その彩色絵が一種異様なグロテスクのみを以て充たされていて、いわゆるさしえの常識では全く歯が立たない。何を書いてあるものか知ら、これぞ世間に言う「真言秘密の法」を書いた本に違いない、ということを、その時にお銀様が感じました。
「真言秘密の秘伝書」――これは研究して置かなければならない、と心がハズンだのは秘密そのものの魅惑で、この女王は秘密を好むのです。その時は秘密の法は即ち魔術の一種で、超自然力以上の魔力の秘伝がこの本に書いてある、この本を読んだ人が
役の
行者になれる――というような世俗的魅力がお銀様をとらえたのですが、その
直下にこれをこなすの機会と時間とを与えられなかったから、いつか「阿娑縛抄」を読み解いてみせるとの心がけだけは失われていなかったのですが、それがあの時の火事で、すっかり焼けてしまいました。そのことを今になって、くやむの心がお銀様の胸に動いて来ました。
お銀様は剛情です。わからないことはわからないとして、知らざるを知らずとして問うことは、この女性のよくするところではありません。また、こんな人おどしの仏像の存在の理由を、
己れを空しうして教えを乞うてみたところで、無用無益なりとの軽蔑さえも起りました。
画像そのものは、この女性を、
昏惑から来る反感へ導いて行くのですが、その表現の色彩だけは、それと引離して、多大の躍動と、快感とを与えずには置かないのであります。のっけに見せられた
素人に向っては、何の色が幾つだけ、どの部分に点彩され、使用されているかというような、複合の観察は遂げられませんでしたけれども、まず打たれるのは、その赤と朱との与うる燃ゆるばかり盛んなる威力と、快感でありました。
これとても、不破の関守氏から、特に力を入れて予備知識を与えられていた点でありますけれども、そういう予備知識が全然与えられていないにしてからが、この盛んなる燃ゆる色には、いかなる素人も魅せられざるを得ないものが確かに有ると信じました。絵は千年を経ているけれども、色彩、ことに赤は、昨日
硯海を飛び出したほどの鮮かさである。そうして、その道の丹青家をして
垂涎せしめる。この色を出したい、いかにしてこの色を出せるか、そもそもこの清新なる色彩の原料は何物であって、いずれより将来し
来れる――ということが、古来、専門家の間の疑問であって、今日に至って、なお解釈されていないということに、お銀様は、最初から最も大きな期待を持っていたのです。信仰の上からしても、芸術の上からしても、画像そのものを特に拝するという気分は、そんなに切迫したものではありませんでしたが、古来
未だ知られず、今人なお発見し難き色彩の秘密が、お銀様の意地を
煽りました。そういうものを見てやりたい、見て見破ってやりたい、というほどの反抗心を、異常なるもの、難解なるもの、威圧なるものに対するごとに起されるこの女性の通有癖であることに過ぎません。だが、その難問に体当りをして行くには、科学が足りないことは
省みずにはいられない。問うことを好まないこの女性が、ここで僅かにくちばしをきったのは、
「この絵は、いつごろのものですか、時代は」
ただ、それだけの質問を発しました。質問を受けた当の案内役は、以前のこましゃくれた、
肖ている小坊主ではありません、しとやかな学僧の一人で、且つ、極めて無口の若者でありました。
「は、吉野朝時代でございます」
ただそれだけ答えたのみで、更に知識の先走りをしないのは、知らないのか、知っても言うことを好まないのか、それはわかりません。とにかくに、拝観人から、それだけの質問の口火を切れば、それをきっかけに、学僧によっては、
滔々と知識を
振蒔いて見せる、
諄々と豪者を
啓くの態度を取ってみたりする学僧もあるのですが、この学僧には絶えてそういう好意がなく、
衒う気もありませんから、お銀様はそれ以上に知識を要求するの機会を失いました。
だが、吉野朝時代でございます、という簡単な応答に対して、お銀様をして相当の考証に
耽らしめた余地はありました。この点は少々、不破の関守氏の与えた予備知識に不足がある、不足でなければ放漫がある、不破の関守氏は千年以上の作と言ったが、吉野朝ではまだ千年にならない。
そこでお銀様の、年代記のうろ覚えを頭の中で繰りひろげてみると、徳川氏が二百年、織田、豊臣氏が五十年、足利氏が百有余年と見て、どのみち五六百年の星霜には過ぎまいと思いました。
もしかして、吉野朝と言ったのが、
浄見原の天皇の御時代とすれば、これは、たしかに千年以上になりましょうが、ここに吉野朝と言ったのは、足利氏以前の南北朝時代の吉野朝時代のことに違いないと思われるから、そうしてみると、どう考えても五六百年以前には
溯らない、しかし、古い物を称して千年と言うのは、一種の口合いなのですから、それはさのみ
咎めるには及ばないとして、千年を経て、その朱の色が昨日
硯を出でたるが如しという色彩感は、さのみ誇張でも、誤算でもないということを、お銀様も認めました。
本来は、そういう質問や、そういう認識だけで、この画像
[#「画像」は底本では「面像」]を卒業してしまおうというのが無理なので、そんなことよりも、まず最初に問わなければならないことは、「
大元帥明王とは何ぞや」ということなのであります。これが解釈なくして、この画像を、色彩と年代だけで見ようとするのは、縁日の絵看板のあくどい泥絵だけを見て、木戸銭を払うことを忘れたのと同じようなものなのです。
お銀様がそれをしらないということは、不幸にしてそれを知るだけの素養を与えられていないという意味であります。
八
それはそれとして、お銀様が後壁の間に参入した瞬間に、お角さんとしては、これに追従を試むることを遠慮しました。というのは、後壁の間に参入、大元帥明王に見参ということは、お銀様だけの志願であって、お銀様だけに許されたというよりも、お角さんにとっては、よし、もし許されたからといって、猫に小判のようなものなのであります。特別に教養のあるものだけに許される特権でなければならないし、特別に教養の無いものが、それに追従することは、不敬であり、不遜であることを自覚しての、お角さんとしての遠慮なのです。
そこで、明王に特別謁見の間を、お角さんは、次の間というよりも、奥書院の廊下に立って待受けておりました。そこに立っていると、またも本庭の余水の
蜿々たる入江につづく「舟入の茶屋」を見ないわけにはゆきません。お角さんは、太閤様お好みの松月亭の茶室に、じっと見入っている。が、それとても、大元帥明王の画像の前に立つお銀様と同様の、色盲ならぬ色盲をもって、木石の配置だけを深く見入っているような
恰好をしているけれども、内容極めて空疎なるは致し方なく、お茶を知らない、
寂を知らない、わびというものを知らないお角さんは、ただ眼の前にあるからそれを見ているだけで所在が無いから、ことにお場所柄であるから、
枉げて、つつましやかにしているだけのものなのです。
その時、廊下の
彼方で、高らかに経を読む声が聞えました。多分お経だろうと思われる。お寺へ来て朗々と読まれる文言を聞けば、お経とさとってよろしい。お経は何のお経だかわからないが、その読み上げている主は門前の小僧であることが、お角さんによくわかります。門前の小僧ではない、本当は門内の小僧なのですが、さいぜんから門前の小僧にしてしまっているあの薄気味の悪いほどよく似た、びっこの小僧の読み立てる声に紛れもないと思いました。
全く、お角さんの思うことに間違いなく、たしかに右の門前の小僧が、廊下の一端に膝小僧を
据えて、朗々と音を挙げていることは確実なのですが、それは、正式に机を置き、経文を並べて読んでいるのではない、膝小僧と談合式に、上の空で暗誦を試みているものであります。何を読み上げているのか。注意して聞けば、次のような文章を読み上げているのです。
「鎮護国家ノ法タル大元帥御修法ノ本尊、斯法タルヤ則チ如来ノ肝心、衆生ノ父母、国ニ於テハ城塹、人ニ於テハ筋脈ナリ、是ノ大元帥ハ都内ニハ十供奉以外ニ伝ヘズ、諸州節度ノ宅ヲ出ヅルコトナシ、縁ヲ表スルニソノ霊験不可思議也」
音をたどればそういうような文言を読み上げているのだが、お角さんには、そのなにかがわからない。ただ、お経を読み上げているとのみ聞えるのですが、わからないのはお角さんばかりではない、読んでいる御当人もわかっているのではないから、ただ音を並べているだけなのが、そこが即ち、お角さんの言う門前の小僧が習わぬ経を読むもので、こうして無関心に繰返しているうちに、説明となり、密語となって
巻舒されることと思われます。
お角さんは、そのいわゆる、習わぬ経を繰返す門前の小僧の
咽喉が意外にいいことを感づくと同時に、これをひとつ
ものにしてみたら、どんなものであろうという気がむらむらと起りました。
ものにするとは、何かお手のものの商売手に利用してみてやろうじゃないかという
謀叛気なのであります。このお寺の
納所で、案内係であの小坊主を腐らせてしまうのは惜しい。惜しいと言って、なにも惜しがるほどの器量というわけではないけれど、米友でさえも、利用の道によっては、あのくらい働かして、江戸の見世物の相場を狂わしたことがある。いまさし当り何という利用法はないが、一晩考えれば必ず妙案が湧く。第一、あのお経を読んでいる咽喉がステキじゃないか、咽喉が吹切れている、あれを
研いで板にかければ、断じて
ものになる――とお角さんが鑑定しました。
発見と、鑑定だけでは、
ものにするわけにはゆかぬ。人間を買い取るに第一の
詮索は親元である。親元を説くことに成功すれば、人間の引抜きは
容易いことだ。ところで、あの小坊主の親元ということになってみると、存外
埒が明くかも知れない。というのは、いずれもあの年配の子供を寺にやるくらいのものに於て、出所のなごやかなるは極めて少ない。いずれは孤児であるとか、
棄児であるとか、そうでなければ、身たとえ名門良家に生れたにしてからが、放たれ、棄てられたと同じ月日の下に置かれた人の子が、こういうところへ送り込まれるのだ。あわよくば名僧智識にもなれようけれど、それは千万人に一人。そういうわけだから、存外、この買出しは楽かも知れない。そんなような謀叛気がお角さんの頭にむらむらと湧いて来たのは、実行の
如何にかかわらず、商売商売の
冥利だから仕方がありません。
だが、それともう一つ異った人情味に於て、お角親方は、あの小僧をつれ出して、友公と引合わして兄弟名乗りをさせてやりたい、そうすれば二人も喜んで、こっちも功徳になる――なんぞという人情味も大いに湧いているのです。これとても独断千万なことで、似ているからといって、それが兄弟ときまったわけのものではないが、さすがのお角さんの頭も、今日の瞬間には、想像と実際とが混乱していると見える。
九
三位一体を
醍醐へ向けて送り出して後の不破の関守が、
がんりきの百蔵を端近く呼んで、こう言いました、
「
がんちゃんや、洛北の岩倉村に大バクチがあるが、行ってみる気はねえか」
「そいつは耳寄りですねえ」
と言って、
がんりきの百が、耳から先に、関守氏の膝元へ
摺りつけて行きました。
普通の青年ならば、バクチなどという言葉を聞いてさえ苦々しく思うのですが、そこは、
がんりきの百ちゃんのことですから、それと聞くや、耳よりだと言って
身体を摺りつけたのは浅ましいものです。それと知りながら、浅ましい心に誘惑をかけた不破氏の挙動も、断じて君子の振舞でないと言わなければなりますまい。
「行ってみな、お前は今まで関東のバクチは相当に功を積んでいるとのことだが、こっちの方の大バクチは見たことがあるまいから、後学のために見て置きなせえ」
「有難い仕合せ」
ますますよくないたくらみです。後学のためにも、前学のためにも、バクチなどは見学して置かなくてもよろしい。むしろ、そういう見学は避けた方がよろしい、避けしめるのが、先輩のつとめというものだが、ここで
嗾けるようなことを言う関守氏は、その言葉つきからしてわざと下品に砕けて、
「行くなら行ってみな、
資本としては
たんともねえが――ここに二十両ある」
胴巻ぐるみ、百の前へ投げ出したのは、いよいよ怪しからぬことで、行って見ろと嗾けた上に、資本金までも供給するのですから、シンパ以上の、むしろ共謀に近いほどの
不逞なのです。ところが
がんちゃん、否やに及ばず、早速二十両の胴巻を頂戴に及んで、
「善は急げ、これから早速飛んで参りましょう。ところでその洛北岩倉村てえのはいったい、どっちの方向で、当日のトバの貸元てえのは、どういう顔でござんすかねえ、そこんところをひとつ、伺って置きてえもんでござんさあ」
ロクでもない片腕で、早くも二十両の胴巻ぐるみ懐ろへ
捻込みながら、中っ腰になって、善は急げと来たが、その善なるものを急ぐにつけても、善戦をしなければならない。善戦をするには、彼を知り、我を知らなければならない。そこで相手方の地の理と、相手方の親分大将の身分について、相当の知識を持たなければならないというのは、この男として相当の心づかいでありましょう。
「うむ――洛北岩倉村というのはな」
そこは不破の関守氏も抜からぬもので、
がんりきの百のために、洛北岩倉村の地理を説くことかなり
詳かなものであります。
その説くところによると、これから、日岡の峠を通って
蹴上粟田口へ出るが、三条橋は渡らずに、比叡山の方へとずんずん進んで、それ、名代の
八瀬大原の方へ行く途中のところにその岩倉村というのがある。そこの岩倉村は岩倉中納言の領地で、大バクチはその中納言殿の屋敷の中で行われるのだ――という説明を皆まで聞かずに、
がんりきの百蔵が、急に白けきった
面をして開き直り、
「へえ、上方じゃあ中納言様がバクチを打つんでげすかエ」
「いや、中納言殿がバクチを打つのではない、その岩倉村の山ふところにある中納言殿のお屋敷の中で、大トバの開帳が行われると言うのだ」
「へへえ、考えやがったな、江戸でも御老中の屋敷の中なんぞで、そいつが、しょっちゅう御開帳になるんですよ、
仲間や
馬丁が、寄ってたかって御老中のお馬屋の中で、
しゃそじょうこてやつをきめこむんでさあ、御老中でさえその位なんだから、中納言様ときちゃあ豪勢なもんだろう、フリにこっちとらが行ったって歯が立つめえがなあ」
と、いささかゲンナリしたのは、
がんりきの百に、中納言は少し
食過ぎる。中納言の方でも、
がんりきの百などはあまり食いつけまい。そこで、百が、つまり位負けがしてしまった様子を不破氏が見て取って、
「中納言だからって、そんなに
慄えるこたあねえぞ、百五十石の中納言様だ」
と言って聞かせました。
「百五十石でげすか、位は中納言で、お高が百五十石でげすか、そんなこたあござんすまい、そりゃあ間違いでござんしょう」
「間違いではない、摂家筆頭の
近衛家だって、千石そこそこだ」
「セッケはそうかも知れませんが、中納言様が百五十石なんてえな受取れねえ、水戸も中納言でござんしょう、三十五万石でげすぜ、仙台も中納言でござんしょう、六十四万石でげすぜ、百五十石ではお前さん、馬廻りのごくお軽いところじゃがあせんか、そんなはずはございませんよ、おからかいなすっちゃ罪でござんすぜ」
「からかうわけではないが、まあ、そんなことはどうでもいいから、行ってみろよ、そのトバへ。とても面白い面が集まるんだそうだ、全国的にな。全国的にそのトバへ面の変った鼻っぱしの強いバクチ打ちが集まって、ずいぶんタンカを切るそうだ。だから、行ってみな、変った人相を見るだけでもためになるぜ。手前も甲州無宿の
がんりきの百とやら、相当啖呵の切れる男じゃねえか、なにも中納言と聞いて、聞きおじをするような柄でもあるめえ」
不破氏に、こんなふうに油をかけられて、
がんりきの百がまた躍起となりました。
「ようがす、行きますとも、そう聞いて後ろを見せた日には、甲州無宿が
廃りまさあ、一本だけ不足だが
がんちゃんの腕のあるところを、その洛北岩倉村というので見せてやりてえ、さあ出かけましょう」
ここで、張りきって力み返ったのは現金なものです。
「まあ待て、今からでは遅いから、今晩は泊って明日」
この時、もう日の暮れ方で、関守氏は炉辺の火を取って、座右の
行燈に移し入れました。
十
逸る
がんりきを控えさせて置いてから、不破の関守氏は、醍醐から帰ったはずの女王様の御機嫌伺いにと本邸の方へ
伺候しましたが、ほどなくわが
庵へ戻って来てから、改めて控えの
がんりきを呼び出して、わが庵の炉辺の向う際へ
据えつけ、さて言うよう――
「明日は、しっかりやってくれ、
がんりき名代の腕を上方衆に見せてやってくれ、頼むよ。時に、その
前戦の小手調べに、ひとつそのバクチというやつの本格を、拙者に見せてくれまいか。拙者通俗の概念というはあるが、実際の経験というはない、予行演習をひとつこの場で見せてもらえんものかなあ」
「
合点でござんす――ずいぶん、
がんりきの腕のあるところをお目にかけやしょう」
と言って、
がんりきの百は、いま一方だけの手を懐ろの中に差し込んだと見ると、ズラリ引き出した自前の胴巻、それを逆さにふると、一つの小箱が飛び出しました。小箱の大きさ全長が一寸五分、幅が一寸足らず、関守氏が拾い上げて見ると、「下方屋」と書いてある。
がんりきが受取って、パチンとその小箱の合せ目を
外すと、コロがり出した
賽粒というものが大小四個。大小というが、その大なるも三分立方はなく、以下順次四粒、中なると小なるはそれに準じて、
小豆に似たような
代物まであります。
「イヤに、ちっぽけな賽ころだねえ」
と関守氏が言う。百はそれをもとのように小箱に並べながら、
「これは
商売人の
懐賽ってやつで、駈出しには持てません、さて早速ながら本文に移りますが、バクチというやつも、その種類を数え立てると千差万別、際限はねえんですが、まず
丁半、
ちょぼ一というやつがバクチの方では
関なんで、それにつづいて花札、めくり、
穴一、コマドリ、オイチョカブ……そこで、丁半を心得ていれば即ちバクチを心得てるも同様というわけなんでげす。
先以て、物の数というやつは、たとえ千万無量の数がありましょうとも、これを大別して丁と半とにわける、丁でない数は即ち半、半でない数は即ち丁、世間に数は多しとも、この二つのほかに種はございません。これを人間にたとえて申しますてえと、人間の数は天の星の数、地に砂の数ほど有るにしましてからが、種をわければ男と女、この二つに限ったものでげす。すなわち男でない人間は即ち女、すなわち女でなければ即ち男、というわけで人間の区別には、この二色しかござんせんよ、たまにゃ、
ふたなりなんていうのがあるが、あれは出来そこないなんで、本来は有るものじゃございません。ところで数というものも、天地の間に、丁と半とこの二つだけに限ったもので、それを当てるのが即ちバクチの
極意なんでございますねえ」
がんりきが講釈をはじめました。これは驚くべきことで、手の人、足の人であったこの野郎は、今晩は口の人に転向してしまって、まかり間違えば、ここでもお喋り坊主の株をねらう奴が、やくざの中から現われようとは、ところがらとはいえ、ふざけた野郎と言わなければならぬ。これを、
「ふん、ふん」
と聞いているから、この手のふざけた野郎が、いよいよいい気になって、
「さあ、これは数の取引でござんすが、今度は物でござんすよ、この賽っ粒というやつが、バクチの方では
干将莫耶の
剣でござんしてな、この賽粒の表に
運否天賦という神様が乗移り、その運否天賦の呼吸で
黒白の
端的が現われる」
「大したものだ!」
関守氏が気合を入れたもので、
がんりきがいよいよ乗気になり、
「ごらんなせえな、額面が六個あって、一から六まで星が打ってある、一をピンとも言い、六をキリとも申しやす、さてまたこのピンからキリまでに、天地四方を歌い込んで、一
天、
地六、
南三、
北四、
東五、
西二とも申しやす、まずこの六つの数を、丁と半との二種類に振分けること前文の通り、丁てえのは丁度ということで、ちょうど割りきれる数がとりも直さず丁、割って割りきれねえ
半端の出るのが半――つまり
一は割りきれねえから半、二は割りきれるから丁、三が半で、四が丁、五が半ならば六が丁、という段取りなんで、おっと待ったり、このほかに五の数だけはごと言わずにぐと申しやす、
五の
目というやつで――こうして置いて、この賽ころを左の手にこう取って、右に壺をこう構える、手が足りねえから
恰好がつかねえ、旦那、その湯呑を一つお貸しなすっておくんなさい」
と言って
がんりきは、炉辺に飲みさしの関守氏の九谷の大湯呑に眼をつけました。
「よし来た」
関守氏は異議なく、その茶がすを湯こぼしに捨て、
がんりきの前へ提供してやると、
がんりきの百は、左手に隠した四個の小賽を、左の耳元で、
巫女が鈴を振るような手つきに構えたが、関守氏は、その構えっぷりを見て感心しました。
十一
こいつ、ロクでもねえ奴だが、さすがにその道で、賽を握らせると、その手つきからして、もう堂に入ったものだ。
四粒の天地振分けが、その中に隠れているのか、いないのか、
外目で見てはわからない、軽いものです。もとより商売人の賽粒のことだから、軽少を極めて出来たものには相違ないが、それにしても軽過ぎるほど軽い、その手つきのあざやかさに、関守氏がある意味で
見惚れの価値が充分ありました。
そこで、耳元で振立てると、はっと呼吸が一つあって、振一振、左の小手が動いたかと見えると、天地振分けを
四箇まで隠した五本(?)の指がパッと開きました。その瞬間、四粒の天地は、早くも五倫の宇宙から、
壺中の天地に移動している。つまり、はっという間に四つの小粒が、今し関守氏から借り受けた湯呑の中へ整然として落着いているのです。これまたその手つきのあざやかさに、またも関守氏の舌を捲かせ、
「うまいもんだ」
と言って、思わず感歎すると、
がんりきは、こんなことは小手調べの前芸だよと言わぬばかりの面をして、
「本来は、この壺皿を左の手にもって、右で振込むやつをこう受取るんでげすが、手が足りねえもんですから、
置壺で間に合せの、まずこういったもので、パッと投げ込む、その時おそし、こいつをその手でこう持って、盆ゴザの上へカッパと伏せるんでげす、眼に見えちゃだめですね、電光石火てやつでやらなくちゃいけません」
左で
為すことを右でやり、右で行うことを、また引抜きで左をつかってやるのだが、一本の手をあざやかに二本に使い分けて見せる芸当に、関守氏が引きつづき感心しながら、膝を組み直し、
「まあ、委細順序を立ててやってみてくれ給え、ズブの
初手を教育するつもりで、初手の初手からひとつ――いま言ったその盆ゴザというのは、いったいどんなゴザなんだ、バクチ打ち特有のゴザが別製に編ましてあるのか、いや、まだそのさきに、この場では湯呑が代用のその本格の壺というやつの説明も願いたい」
「壺でげすか、壺は、
かんぜんよりでこしらえた、さし渡し三寸ばかりのお
椀と思えば間違いございません、
雁皮を細く切ってそれを
紙撚にこしらえ、それでキセルの筒を編むと同じように編み上げた品を本格と致しやす、それから盆ゴザと申しやしても、特別別製に編ましたゴザがあるわけではございません、世間並みのゴザ、花ゴザでもなんでもかまいませんよ、それを
賭場へ敷き込んで、その両側へ丁方と半方が並びます、そうすると壺振が、そのまんなかどころへ南向きに坐り込むのが作法でござんさあ」
「まあ、待ち給え、いちいち実物によって……時節柄だから代用品で間に合わせるとして、ここにゴザがある」
と言って関守氏は、つと立って、なげしの上から捲き込んだ一枚のゴザを取り出して、それを
がんりきの前で展開しました。
「結構にござんす、それじゃあひとつ、盆ゴザを張って、本式に稽古をつけてごらんに入れやしょう、いいでござんすか」
「相手に取って不足ではあるが、拙者が君の向うを張るから、本式に、稽古と思わず勝負のつもりで、一つやってみてくれ給え、つまり、君が丁方となり、拙者が半方となる、では、君が半方を張り、拙者が丁と張るから、一番、委細のところを見せてもらいたい」
「ようがす、そのつもりで、手ほどきから御教授を致しましょう」
と言って、
がんりきは、座を立ち上ると、盆ゴザの中央のところへ、前に言った通り南向きにどっかと坐り込みました。
十二
盆ゴザの中央へ坐り込んだ途端に、
がんりきの百が、無けなしの片腕を内懐ろへ逆にくぐらせたと見ると、パッと片肌をぬいでしまい、それと同時に着物の
裾をひんまくった
源氏店、つまりこれが俗にいう尻をヒンマクる形だと関守氏が、見て取りました。今時は芝居でよく見る形、悪党がかけ合いをする時の常作法、尻をマクルというやり方を舞台では見るが、本場はこれがはじめて、下品極まる伝統的作法ではあるが、下品のうちにも作法は作法、こうしたものかと見ていると、
「まず壺振りの芸当始まり――こうして
諸肌ぬぎの、本式は諸肌なんですが、ここは片肌で御免を
蒙りやすよ、こう尻をヒンマクる、これ壺振りの作法でござんして、つまり、こりゃ野郎のみえでするんじゃございません、さあ、この通り潔白、頭のてっぺんから、
毛脛の穴まで見通しておくんなせえ、イカサマ、インチキは
卯の毛ほどもございやせん、という、潔白を証拠立てるヤクザの作法の一つなんでさあ――」
と説明を加えたことによって、関守氏がまた改めて覚りました。
大肌ぬぎになったり、尻をヒンマクったりすることを、このやからのみえであり、強がりの表示であるとのみ見ているのは誤りで、なるほど、頭のてっぺんから毛脛の穴まで見通してくれという、潔白表明の作法から来ているのかな、一挙一動でも、その出所には名分が存するものだと感じたものです。
そこで、
がんりきの百は、代用品拝借の湯呑を取って、それに紙を敷き、最初の形式で置壺に構え、これも最初の形で左の掌で軽小に一振り、眼にも留まらぬ天地振分け、
賽はカラリと壺に落ちたか落ちないか、その瞬間、左の手は早くも壺の縁に飛んで、壺は天地返し――カッパと盆の上へ伏せられたものです。
「さあ、旦那、お張りなせえ、丁方なりと、半方なりと、気の向いた方をお張りなせえ」
「よし、丁と張った」
「勝負!」
と言った
がんりきの百は、その壺皿を引起こすと、関守氏の眼で四つの小粒が行儀よく並んでいるだけ。
「さあ、持っておいで」
と言って
がんりきは、その粒を消してみました。
賽を見せられただけで、どっちが勝ったか負けたかわからない。つまり場面には丁と出たのか、半と出たのか、けじめがつかないうちに賽を消され、眩惑された関守氏が、
「いったい、どっちが勝ったんだ」
「はは、そりゃ
素人衆にゃわからねえ、今のは丁と出たんでげすが、四つじゃあおわかりになりますまい、二つで真剣にやりましょう」
と言って、小粒を握った手を耳もとへ軽くあてがった形で、
がんりきが言いました、
「四粒でやるなあ、
玄人に限ったもんで、
素人には見わけがつきません、二つでやりましょう、二つで……ごく
すろもうというところで伝授しようじゃございませんか。伝授にしてからが、
素手じゃあ息が合いませんから、何ぞ
賭けやしょう、コマを売りやすから、張ってごらんなさい」
「コマというのは何だ」
「コマ札というやつがあって、貸元からそれを買って張るのが
定法なんでげすが、そういうことはこの場では行われませんから、まあ、ようござんす、何ぞおかけなさい」
「よし、何ぞ無いかな」
と言って関守氏は――あたりを見廻す途端に裏小屋で、烈しく吠え出したのは、例の電光石火のデン公に相違ない。
十三
犬の吠える声を聞いて、人の近づくことを知り、その人も
うろんな人ではない、犬係を志願した米友が、犬小屋の前を通過したことによって、犬が挨拶をしたに過ぎないということを関守氏が知ると、まもなく、ガタピシと裏戸を開いて、米友がそこへ現われました。
「どっこいしょ」
と言って入り込むと同時に、肩にかけた何か特別に重味のある一個の袋を、土間の俵の上へ、ずしんと
卸してしまいます。
「何だい、めっぽう重そうなものをかついで来たね、
南京米じゃあるまいな」
と関守氏がききますと、
「持って来るには持って来たが、置場所に困ってるんだ、お前さん、こいつを預かってくんな」
「何だよ、いったい、品物は。南京米でなけりゃ、じゃがいもか」
「そんなあ、不景気なもんじゃねえんだぜ」
と米友が、汗を拭き加減に、今そこへ取卸した至極重みのかかる袋を、伏目に見ながらの応対です。
「何だか、中身を名乗りなよ」
「当ててみな」
と、米友としては変に気を持たせるような返答ぶりでしたけれど、ワザと言うのでないことは、すぐに自問自答で底を割ってしまったことでわかるのです。
「
銭だよ、こん中に、銭がいっぺえ詰ってるんだぜ」
「そいつぁ驚いた」
と、関守氏と、
がんりきと、二人が思わず
音を上げました。
代用食類似の不景気な品ではなく、銭とあってみると、たとえ
鐚にしてからが、天下御免のお宝である。それを質の
如何にかかわらず、ともかく、袋にいっぱい包んで、小柄のくせに怪力を持つこの野郎が、汗を拭き拭きかつぎ込むというその重量は大したもので、「お気の毒」(一厘銭の異名)にしてからが莫大の実価である。それを人もあろうに、
銭金にはあんまり縁の遠かりそうな男が、不意にかつぎ込んで来たのですから、大黒童子が戸惑いをして来たようなものです。
二人が
呆気に取られている間に、米友は素早く、何故に自分が重たい思いをして、この袋をここへ
荷い
来ったかということの因縁を、手短かに物語りました。
それによると、今日、この男は、暴女王のおともをして醍醐へ赴いたが、その三宝院の門前で、他の二体がお庭拝見をしている間を待合わせている時に、変な奴が来て、このおれを見かけて、袋をかついで洛北岩倉村へ行けと言う。いい銭になるから行けと言う。いい銭になろうとなるまいと、こっちはこっちの果すべき職務がある、人は同時に二人の主に仕えるわけにはいかない、それをいくら説いて聞かせても、このけったいな野郎が、強引においらを誘惑する。それを虫をこらえてあしらっているうちに、
観修寺の方から役向と覚しい二三の両刀がやって来ると、何をうろたえたか、このけったいな野郎が、この金袋をおいらに
抛りつけて一目散に逃げてしまった。役人は素通りをしたが、その野郎はかえって来ない。いつまで経っても取戻しに来ない。
そこで、米友はさんざん考えさせられたが、本来は、なにも少しも考えることはない、手取早い話が、交番へ届ければいいのである。交番がその辺にまだ設けられてなければ、しかるべき役向へ、土地の人を介して届けてもらいさえすれば、事は簡単明瞭に済むのだが、今日、米友の場合、それがなかなか簡単明瞭には済まない。盗んだ物とすれば盗んだ奴に罪はあるが、拾った者に罪があるはずがない。拾って、しかしてこれを隠せば当然罪になる。拾ってそうして我が物とすれば、これは
猫婆というものであって、泥棒に準じた罪に置かれることは米友もよく知っている。
ただ、米友の場合、困るのは、拾い主には拾い主としての義務がある、責任もあるというその心配なので、まず第一に、自分の住所氏名から
訊される、これが苦手であること。領分は変り、
国境は違っているのだけれども、いったん
生梟しにまでかけられた自分の
古瑕が、不必要なところであばかれた日には気が
利かねえやな。
いやだなあ! そこで、米友は一気にあきらめてしまって、その金袋を、通行人の隙をうかがって、三宝院の境内の
藪の中へ投げ込んでしまったのです。
そうして置いているうちに、暴女王と女親方
[#「親方」は底本では「親分」]の方の宝物拝観も、御庭拝観も済んで、また三位一体となって、この光仙林へ立戻って来たには来たが、またも、あの金袋で苦労する。金で苦労するのは、大抵の場合は、金の欠乏で苦労するということになるが、米友の場合は、金があり過ぎて苦労をする。ああして置けば早晩、誰か発見する、発見された日のお取調べという段になると、結局は、探りさぐって、このおいらが呼出しということになってみると、どうでも事がうるさいよ。
ちぇッ! いくたび地団太を踏んだことであろう。ここへ戻ったものの、今のさきまでそのことを苦心して落着かなかったのですが、とうとう思いきった決断としては、とにかく、ここまで持って帰って、不破の旦那に相談をして、その知恵を借りるに越したことはない。
そう思って、夜中に、またまた醍醐まで、びっこ足を引きずり引きずり立戻って、藪の中をさがしてみると、まだあるある、いい気持ですやすや眠っているような形で、袋が藪の中に横たわっている。そいつを、御丁寧に抱き起した米友は、重いやつを、えっちらおっちらとここまでかつぎ込んで、この始末です。
「そういうわけだから、こいつは、おいらの金じゃあねえ、洛北の岩倉村というのへやるのが筋道だ」
「洛北岩倉村」
「うん、そこで
賭場のお開帳がある、そいつの貸元へ納める金らしいぜ」
「そいつは、いよいよ
運否天賦のめぐり合せだ」
と
がんりきの百も、頭でのの字を書いて、横目に金袋を
睨んで、口にはよだれという
体は、全く以て授かり物、渡りに舟と言おうか、一方の旦那は、
嗾けて
資本を貸して洛北岩倉村の賭場へ
推しやろうとするのに、一方の野郎は、場銭を一袋かつぎ込んで、おれに使えと言わぬばっかりだ。人間、運のいい時はいいもので、鴨が
葱を背負って、伊丹樽をくわえ込んだようなものだ。
このところ、
がんりき、すっかり
有卦に入って、天下の福の神に見込まれた、この分じゃ明日の合戦も百戦百勝疑いなしと、むやみに勇み立ちました。
十四
米友は、金の袋を置きっぱなしにして、そのまま出て行ってしまう。
そのあとを、関守氏は引きつづいて、
がんりきからバクチ術の実地教授を受けて、丁半、ちょぼ一の何物なるかを、ほぼ了解しました。その間にも、
がんりきの百はしきりに勇みをなして、明日の合戦
幸先よし、上方では
初陣、ここで
がんりきの腕を見せて、甲州無宿の腕は、片一方でさえこんなもの、というところを
贅六に見せてやる。
そういう心勇みで、しきりに浮き立っていたが、いいかげんにバクチのコーチも切上げて、はなれた控間で一睡を催すと、その翌朝、早くも宇治山田の米友と連れ立って、洛北岩倉村へと遠征に出で立ちました。
この場合、何のために米友が同行するかというに、それは言わずと知れた金の袋の運搬用のためであります。あえて
がんりきの百の随行というわけではない。
本来、米友としては、こんないけ好かない野郎との同行を好まないのです。
暴女王お銀様の
尊大倨傲は快しとしない点もあるが、ドコか意気の合うところもあるし、なんにしても、女王と立ててあるところに寄留をしていれば、主人でないまでも、家主であるから、これに服従、と言わないまでも、頼まれればイヤとは言えない、行ってやるという気分にもなる。女軽業のお角に就いてはどうしたものか、ほとんど唯一と言ってよいほどに米友の苦手で、天下にこの女にばかりは頭が上らない。頭が上らない弱味はないのだが、それに押されて、この女に臨まれると身が
竦むというのは、全くがらにないことで、米友自身にもナゼだかわからない。駒井能登守に対してさえポンポン
啖呵の切れる米友が、お角さんの一喝を食うと縮み上ってしまう。お角さんには、友公、友公と言って叱り飛ばされるけれども、道庵先生でさえが、友さん、友さんと立てなければ用を弁じないことが多いのに、お角さんばかりには無条件で
御せられる。それほどの米友だから、
がんりきの野郎を好まないのは
勿論です。こんな、いけ好かない野郎のおともなどは以ての外、同行をさえ嫌っているのだが、今日はこの、いけ好かない野郎に同行するのではない、この金袋と同行するのだ。性のいい金か、悪い金か、それは知らないが、この金の行きどころは洛北岩倉村にあるので、山科光仙林に置くべきものではない、
在るべきところへ在らしめるように働くのはおよそ人生の義務であるという建前から、いけ好かない野郎と同行の不快を忍んで、金かつぎの役目に廻った次第です。
ですから、途中、一言も
利きません。いけ好かない野郎が、しきりにおてんたらを言って御機嫌を取ろうとするのを、うるさいとばかり
素気なく、一言も口を利いてやらないのであります。
いけ好かない野郎にしてもまた、このグロテスクの気象を先刻御承知だから、できるだけその御機嫌を取結んで、いけ好くようにしようとつとめるのだが、さっぱり利き目がありません。
「兄さん、団子を買ったが食わねえか、それともお
饅頭の方がよけりぁ、お饅頭にしな」
と言って、日岡の峠茶屋で甘い物を振舞おうとしたが、米友は根っから受けつけません。
「食いたかねえよ、おいらは食いたけりゃ自分の銭を出して食うよ、お前に買ってもらって食うせきはねえ」
と、この時に米友がはじめて応答したぐらいのものです。かく応答するかと見ると、自分は汚ない
巾着を出して、手早く鳥目を幾つか並べると共に、茶屋の大福餅を
鷲掴みにして、むしゃむしゃと頬張りました。
そういうわけで、
がんりきもあきらめたのです。こいつは買収もできないし、懐柔も利かない。触らぬ神に
祟り無しだと、神様扱いにして道のりを進め、粟田口から三条橋は渡らず、二条新地をずんずん北に取って、八瀬大原の方へと急ぎます。
十五
ほどなく、洛北岩倉村に着きは着いたが、さて
賭場の
在所がわからない。
トバはドコだ、トバはドコだと聞いて廻るわけにはゆきません。なあに、広くもあらぬ山ふところの岩倉村だ、やがて嗅ぎつけてみせると、
がんりきは
がんりきの意地で、里人に物をたずねようともせず、そこここと嗅ぎ廻ったが、相当この道に鋭敏なはずの
がんりきの鼻が利かないのは不思議なほどです。
少々たずねあぐんだ時に、ふと小ぎれいな垣根越しに見ると、庭にうずくまって植木いじりをしている一人の老人を見かけました。
「モシ、お爺さん、ちょっと物をたずねたいんですがね」
と、
がんりきが猫撫声で問いかけると、垣根越しに、
「何だ!」
と言って、頭を上げた途端にこちらを
睨んだ眼つきに、
がんりきが思わず
慄え上りました。
「これは飛んだ失礼――」
と、やみくもに頭を下げたのは、お爺さんなんぞと呼びかけてみたが、これはまだお爺さんというべきほどの年ではない、四十歳の前後でしょうが、その人相が、今まで見たことのないほどの異相を備えているということが、
がんりきをおびえさせたので、つまり威光に打たれたというような気合負けなのでした。見てみると、色が黒くて頭が人並
外れて大きい、そうして、その頭の結い方を見ると、武家にも町人にも見られない形。そうかといって、お
公卿さんのようでもあり、
還俗した出家のようでもあり、どうにもちょっと判断のつけようがない人柄ですが、その眼光の鋭いこと、人品におのずから人を圧する威力というようなものがあって、
がんりきの野郎などは一睨みで、危うくケシ飛んでしまいそうなところを危なく食いとめたが、食いとめてみると、「おどかしやがんない、やい」といったような反動で、こいつにひとつ、しつこく物をたずね返してやろうという気になったところが、
がんりきの意地です。そこで、
「ええ、少々ものをおたずね致したいんでございますが、この辺に中納言様のお屋敷てえのがございやしょうかねえ」
「中納言の
邸、知らん」
「その中納言様には用があるわけじゃございません、中納言のお邸で、何かお慰みが行われるそうでござんすが、それをひとつ御案内を願いたいものでござんす」
と猫撫声を
逞しうしたが、今度は手ごたえがありません。手ごたえの無いのは軽蔑してやがるんだ、
癪なおやじめと、
がんりきはややかさにかかって、
「早い話が、そのお邸の中をお借り申して、関東関西のあんまりお固くねえ兄いたちが集まって、お慰みをやろうてえんでございますが、なんとお心当りはございますまいか」
「…………」
やっぱり、手ごたえが無い。そこで、
がんりきが意地になってなおも畳みかけて、
「ええ、手取早く申し上げちまえば、つまりその賭場が開けるんだそうで、そういう
噂を、道中でふと承ったから、
三下冥利にお尋ねしたようなわけなんで、噂に聞くと大したもので、なんでも北は会津から、東は水戸、南は薩摩の
涯から、赤間ヶ関の親分までが、ズラリと面を並べる
凄えんだそうですが、来て見ると、見ると聞くとは大きな違い、ドコにそんな大親分がいらっしゃるか、ドコに天下分け目のトバが御開帳になっているか、てんで
烟も見えやしません。もしやこの山の上か、谷の底か、そんなところに本陣が据えてお有りになるんじぁございませんか。土地のお方に伺えばわかると存じまして、おたずね申し上げるんでございますが、そんなような気分の場所は、この近辺にございませんかなあ」
がんりきが、こう言ってイヤに含み声を鼻にかけたが、相手は全然取合わない。
「外で何ぞ物を言う奴がいる、追い返せ」
と、奥に向って人に命ずる気色ですから、
がんりきがテレもし、狼狽もし、こいつはお歯に合わないと、そのまま、ほうほうの体でその垣根を立ちのいて、次へと移りました。
こうして、広くもあらぬ岩倉村を、
がんりきと米友とは、次から次へとおとのうて歩きましたけれども、中納言のお邸というのは、見当りもせず、聞き当てもせず、まして丁々発止のトバの気分などは、この男自慢の鋭敏な鼻を以てしても嗅ぎつけることができず、結局、うろうろして再び舞い戻って来たのは、さいぜんの垣根越し、あの癪にさわる、威光のある
親爺から追払われた、その垣根から屋敷の周囲をめぐって見ると、とにかく、村中きってこれだけの構えの家はない。なにも驚くほどの宏でも壮でもないけれども、作りに奥行があって、なにか物々しい屋敷といえば、これほどのものはほかにない。
ということを、
がんりきが再吟味をしてみると、はて、ことによると、今のあの色の黒い、頭のでっかい、眼の光るおやじが、あれが中納言かも知れない。
してみると、たずねる山は、このお屋敷かな、その気になって見ると、どうやら少々臭いぞ、だが――ここは大トバの開かれるキボでねえと、
がんりきの鼻は直ちに否定してかかったけれども、それでも念のためと、今度はひとつ、表門から正式は
憚りがあるとして、裏門の方からこっそり探りを入れてみようじゃないか。
その気取りで、
がんりきは垣根をグルリと一めぐり、裏門の方へ向ったが、どうも、ややともすると胸がドキついてならない。敵を見て、人見知りをするような兄さんとは兄さんが違うと、自分で力んでいるのだが、なんだか胸がドキつくというのは、考えてみると結局、あの今の頭のでっかい、色の黒い、眼つきの怖ろしく光る、あのおやじの眼つき、面つきが、変に頭に残ってならない。
どうも、あのおやじは只物でねえ、
人によって威光というやつはあるが、一眼であんなに睨みの利く奴にでくわしたことがねえ、どうもあれが魔をなすんだな。あの眼で、「何だ!」と言って、一睨みされた時から、おこりをわずらった。なんだか、この屋敷は
怖いよ、見たところ、下屋敷でべつだん用心の構えも厳しいというわけじゃあねえが、ちっとばかり犯し難いな、犯し難え気がするよ。
こいつは一番、不破さんにからかわれたかな。関守先生、あれでなかなか
業師だから、何か所存あって、
がんりきめを
囮に使いたいために、わざわざこんなところへ反間の手を食ったかな。だが、タカの知れたこのヤクザ野郎を、かついでみたところではじまらねえ話さ。よしんば、かつがれたところでおれはいいが、この同行の兄さんに気の毒だ。昨日から重い荷物をかつぎ通し、これが自分のものになるじゃなし、あっちへかつぎ、こっちへかつぎ、いいかげん御苦労さま――という気持で、思わず米友を見返ったが、その途端、それそれ、この金袋が物を言うよ、不破さんがおっしゃるだけじゃねえ、この金袋が物を言う、こいつも洛北岩倉村を目にかけて来たお金だ、すいきょうで大金を餅につく奴もあるめえじゃねえか、事は正真いつわり無し。
金の袋を見てまた巻直しという心で、この屋敷の裏手へ廻ったが、やっぱり何となしにドキつく。水を汲んでいる姉さんに、そっと物をたずねて――
「姉や、この屋敷はいったい、どなたのお屋敷なんだエ」
そうすると、
大原女が答えて言うには、
「
岩倉三位さんのお
邸どすえ」
「岩倉三位――中納言様とは違いますかねえ」
がんりきの百には、三位と中納言の
さかがわからない。中納言にも、百五十石から六十四万石まであるのだから、たいがい戸惑いしているところへ、三位ときた日にはまたわからなくなった。
そこで、
がんりきの百が、狐につままれたような
面をして、岩倉三位の門前を、振返り、振返りながら退却に及ぶと、それと行当りばったりに、一つの団隊と衝突しました。衝突というわけではないが、危なく
摺違って、見ると、これは穏やかならぬ同勢でありました。都合十人も一隊をなして、いずれも肩を
聳やかし、一種当るべからざる殺気を
漲らして、粛々と練って来たのでありますが、その
風体を見ると、今の流行の壮士風、大刀を横たえたのが数名、それに随従する無頼漢風のが数名。先頭に立った一人が、
恭しく三宝を目八分に捧げて、三宝の上には何物をか載せて、その上を黄色のふくさと覚しいので
蔽している。
がんりきの百が危なく体をかわす途端に、
「コレコレ、岩倉三位の屋敷はドコだ」
それが、あんまり粗暴で横柄なたずね方ですから、
がんりきの百もいい気持がしない。
顎を突き出して、唇を
反らして、たったいま新知識の岩倉邸の門を、つまり顎で指図して教えてやると、先方は、ちょっと妙な面をしたが、相手にせず、すぐさま立て直って、
がんりきに顎で教えられた通り、門をめざして粛々と繰込んで行きます。
がんりきは、御大相な奴等だ、いったい何をかつぎ込むのかと、一行の後ろ影を見送っていましたが、はっと気のついたことは、そうだ、そうだ、うっかり釣り込まれて、本職を忘れていたわい。
こっちは、中納言様、中納言様と
下手にばっかり出て来たが、あいつらは、岩倉三位、岩倉三位と、大きそうに出やがって練込んで行くが、結局、
帰するところは一つで、東西きっての大賭場が開けるというその貸元をたずねて行く奴なんだ。こっちの
符牒が間違っているから、グレ通しだが、おいらと同じ目的のため、ああして乗込んだにちげえねえ。こいつぁ、うっかり口をあいて見ているばっかりの場合でねえぞ。あの尻尾をつかまえてやれと、百は早くもそこを合点したものですから、忙がわしく米友に向って、
「兄さん、おいらが、きっと突留めて来るからお前、そこんとこでひとつ待っててくんな、首尾がよければ、あの門の前で手を挙げるから、この手が挙がったら、お前、物言わず門の方へやって来てくんな」
こう言って、米友を小蔭に休らわせて置いて、自分は抜からぬ面で、いま顎で教えてやった一行の後をくっついて、再び岩倉三位の邸前まで取ってかえしたものです。
十六
そうして、
動静いかにと
窺っていると、この物々しい一行は、玄関へかかると、恭しく、先手が承って捧げた三宝を式台に置き、おごそかにその錦の覆いを払って、それから、一同はこれより三歩さがって、土下座をきりました。
「岩倉三位殿に献上!」
「岩倉三位殿に献上!」
こう言って、土下座をきって
跪まった一同が、異口同音に呼ばわったかと思うと、そのまま突立ち上り、
踵を返して、さっさともと来し門外へ取って返すものですから、ここでも、
がんりきの百が、すっかり拍子抜けがしてしまいました。
これは、てっきり、こちとらと目的を同じうした東西のお歴々、壺振、
中盆、用心棒、の一隊と見て取って、直ちに諒解があって、玄関へ通されるか、裏手へ廻されるか、こっちの方もそれに準じてと、
固唾を呑んでいると、案に相違して、かくの如く、献上物を捧げっぱなしにしたままで、さっさともと来た道へ帰ってしまう。賭場の仁義にこんなことはない。
そもそも、献上物ならば献上物のように、捧げる方ばっかりの片仁義というのはなく、受ける方にも相当の応接がなければならないのに、置きっぱなしの献上物というのが、どだい礼儀に
叶わねえ、いってえ、何を献上に来やがったのかと、
がんりきの百が、二つの眼を使いわけて、その玄関の式台に置据えられた三宝の上の錦のふくさと覚しいのを払った献上物というやつの現物を一眼見て、この野郎がまたしても、三斗の
酢を飲ませられたような面をしました。
「えッ……」
何だ、何だ、何だてえんだ、ありゃいってい、人間の片腕じゃあねえか、イヤに当てつけやあがるぜ、人間の
生腕が一本、三宝の上に置いてあるんだぜ、いってえ、何のおまじねえだ、当てつけるなら少々お門違いのようなものだが、あいつらの言った今の口上は、「岩倉三位殿に献上!」「岩倉三位殿に献上!」と
吐かして、決して、「
がんりきの百様へ進上!」「
がんりきの百様へ進上!」とは聞えなかった。あの献上物なら、こっちが欲しいくらいなもんだが、さて、また何の由で、岩倉三位ともいわれる
御仁が、あんな献上物を持込まれなければならないのか、また何の由であの奴らが、こんな献上物を持込んだのか、何が何やら、
煙に捲かれ通しで、居ていいか、立っていいかさえわからない。今日は
幸先がいいと思って出て来てみると、現場へ来てはカスの食い通し。こんな日にゃ、出る目も出ねえ、ちぇッ面白くもねえと、
がんりきが唾を
噛んでやたらに吐き出しました。
そうすると、後ろ手の方で、またしても
喧々囂々、人の
罵る声、騒ぐ物音、さあまた事が起ったぞ、喧嘩だな、喧嘩となれば、てっきり今の物々しい奴等、してまた、その相手は、待てよ、ことによると、おいらの御同行のあの気の早い、
あんちゃんじゃあねえかな。こいつ事だぞ、あのあんちゃんときた日にゃ、相手かまわずだからなあ、事だぞ!
がんりきは宙を飛んで駈けつけて見ると、果して、宇治山田の米友が、石の上に腰をかけて、大地を指さしながらたんかを切っている。それを取りまいて、いきり立っているのはたった今、岩倉三位へ献上物の一行に相違ありません。
いったい、何がどうしたと言うんだ。何が行きがかりで、こうなったんだい。つまらねえいさかいをしなさんなよ。
がんりきは、加勢のつもりではない、
取和めのつもりで、例の馬力で一足飛びにその現場へ戻って見ました。
十七
大地を指さした宇治山田の米友が、
生腕献上の一行を相手に、何をたんかをきっているかと聞いてみると、
「そんなら証拠を出しな、証拠を出してから物を言いな、なるほどと思う証拠がありさえすりゃあ、この場でおいそれと渡してやるよ、証拠がなけりゃあ、誰が何と言ったって渡さねえよ、たしかにこの袋が、お
前たちのもんだという証拠を見せてくんな、お釈迦様に見せても承知のできる証拠を出してみねえな、そうすりゃ、この場で文句を言わずに渡してやるよ、証拠がなけりゃ、誰が何と言ったって渡すこっちゃあねえ!」
と
啖呵をきっている米友。これと正面相対して、青筋を立てているのは、さいぜん、生腕献上の先手を承って、三宝を目八分にささげた若い
髯むじゃの浪士風の男であります。
「黙れ、証拠呼ばわりすべき性質のものじゃないぞ、その袋は、我々の仲間が昨日醍醐の三宝院の門前へ預けて置いて来た品じゃ、袋と言い、中味といい、これに相違ないから申すのじゃ、その方は、黙ってこちらへ引渡して行けば、それでよいのだ、仔細ないから置いて参れ、つべこべと物を申すに於ては、眼を見せて
遣わすぞ」
と、右の浪士風の男が、つとめて抑損して、馬鹿をさとすつもりで言ったようですが、相手が宇治山田の米友ですから通じません。
「お前の方は仔細なかろうが、おいらの方はそれじゃ済まねえよ、当然渡すべき人に渡さなけりゃあ、義理が済まねえんだ」
「その当然渡すべき人々が我々なんだ、我々の所有物を、我々が受取ろうというのだから、これより以上の当然はなかろう」
「だから言わねえこっちゃあねえ、お前さんたちが、当然受取るべき本人なら、本人のような証拠を見せてくれと言ってるおいらの理窟がわからねえのかい」
「証拠というて、貴様に受取を出すべき筋はない、どだい、貴様は誰に渡すつもりで、その金袋を持って来たのだ、貴様は、さいぜんから、渡すべき人に渡すと言っているが、その渡すべき人というのは、いったい誰だ」
「うむ、そりゃあな……」
と言って、さしもの米友が、ここで少し
口籠ったのは、当然の所有者に渡してやるべきつもりで、ここまで持って来たには相違ないが、その、当然の当然とすべき本人が何者であるかは、御当人にもわかっていないのです。これから、その御当人を探し当てて、返すところへ返してやるというつもりで、目下捜索中なのですから、こればっかりは、さすが米友の正義を以てしても即答がなり兼ねて、不覚にも言葉尻が濁るのを、相手は、ソレ見たことかと鋭く突込んで、
「それ見ろ、それは言えまい、本来、貴様らの持つべき筋合でないから言えないのだ、悪い
了簡を出すもんじゃない、さもしい心を起すもんじゃあないぞ、物が欲しければ、相当の筋道を踏んで持つべきものだ、さあ、素直に我々の手に返せ、戻せ、わかったか」
「わからねえ!」
米友が決然として言いきったのは、この場合、正道がかえって、わからずやのように受取られるのみならず、拾得物を横領の悪漢のようにも受取れるものですから、
堪忍袋の緒を切りました。どっちが堪忍袋の緒を切ったのだか、わからないところがお愛嬌だと、
がんりきの百はせせら笑ったが、笑いごとではない。この時、浪士の右の足が
撥ねたかと思うと、米友の
胸板めがけて、
肋も砕けよと蹴りが一つ入ったものです。普通ならば、これだけで事は解決してしまうのですが、
「何をしやがる!」
と米友は、蹴りを入れたその足を、両手でがっきと受留めて、こぐら返しに逆にひっくり返したものですから、蹴りはきまらず、浪士の身体が横ざまにひっくり返って、あっぷ、あっぷと言いました。
その事の
体が、今まで、さげすみ半分に、処分をこの一人に任せて、傍観の体勢でいた献上の一行を、残らず沸騰させてしまい、
「こいつ」
「この野郎」
「この馬鹿野郎」
「この身知らず」
「こいつ、気ちがいだ」
「泥棒だ」
「
胡麻の蠅だ」
寄ってたかって袋叩きの乱戦になると、こうなると、宇治山田の米友が本場です。
こういう喧嘩にかけては、相手の
拳を受けて立つような男ではない。相手の一つの拳が来る前に、ぱた、ぱた、ぱたと三つ四つは、こっちから打ちが入っていて、あっ! と言わせる間に素早く飛びのいて、例の金袋を引っかつぐや否や後ろへさがったのは、逃げるつもりではない、足場をつくるつもりらしい。
十八
そこで、梨の木を一本、後ろ
楯に取って、袋をかこい、
蟠った米友は、例の手練の杖槍を取って、淡路流に魚鱗の構えを見せるかと思うと、そうでなく、後ろにかこった金の袋の結び目へ手をかけて、
「面倒くせえから、それ、欲しけりゃあくれてやらあ、手を出すなら出してみな、
面でも腕でも持って来な、目口から押出すほど食わしてやらあ!」
袋の結び目を手早く解いて、その両手を袋の中に突込むと、すくえるだけのザク
銭をすくい上げ、
「そうれ!」
と言ってバラ
蒔きました。バラ蒔いたその当面は、
呆気に取られた献上隊の目と鼻の間です。
「あっ!」
と、これにはまた事実上の面喰いで、予期しなかった目つぶし。相手にこれほどの飛道具が有ろうとは思わなかった。
さて、それから、花咲爺が灰を取り出して蒔くように、
掴んでは投げ、掴んでは投げる。
何といっても、
盲滅法に投げるのではない、十分の手練に、二分の怒気を含めて投げるのですから、敵いかに多勢なりとも、
面を向けることができません。面を向ければ、
多武の峰の十三重の塔と同じく、向いたところが満面銭で刻印されてしまう。
額へ当れば額、頬っぺたへ当れば頬っぺた、縦に来た時は
箆深に肉に食い入ろうというのだから、この矢面には向うべくもない。加うるに、この弾丸はなかなかに豊富で、むやみに掴投げにしてさえこの一袋は相当の使いでがあるのに、これを適度に使用されてはたまらない。左に持った一掴みの中から、右手で一枚を抜き取って、その片面にしめりをくれる。
「総花にフリ
撒いてやるというのに、そう遠慮するなら今度ぁ、
狙撃だぞ、それその前につん出た三ぴん野郎! こっちへ向け、そうら、手前のお
凸の真中へ、一つお見舞」
と言って、はっと気合をかけると、予告の通り三ぴん氏の額の真中へ、寛永通宝子がぴったりと吸い着く。
「そうら見ろ、お次ぎはこっちの三下野郎、イヤにふくれた手前の赤っ面の頬っぺたに一つ――こんにちは」
と言う言葉の終らぬ先に、なるほど、三下氏の頬っぺたに吸いついた文久通宝子、まるまっちい
蝙蝠安が出来上る。
「その昔の、おいらの先祖の
鎮西八郎為朝公じゃあねえが、お望みのところを打って上げるから申し出な、頭痛、目まい、立ちくらみ、
齲歯の病、
膏薬を貼ってもらいてえお立合は、遠慮なく申し出な、そっちの方の大たぶさの兄いが、イヤに物欲しそうな
面あしておいでなさる、ドレ一丁献じやしょうか、そうら!」
空を切って飛んだのは、今度は名代の
当百。以前のよりは少々重味があって、それが物欲しそうな大たぶさの耳の下をかすめて、
鬢つけの中へ、ダムダム弾のようにくぐり込んだのだからたまらない。
「あっ!」
と、自分で自分の髪の毛をかきむしってとび上りました。
「そうら、こちらの方でも御用とおっしゃる」
今度は一っ掴み、数でこなしてバラ蒔いて、
「あちらの方でも御用とおっしゃる」
指の股へ四枚はさんで、四枚を同時に振り出すと、それが眼あるもののように飛び出して、相手四人の顔面へ好みによって喰いつこうというのだから、眼も当てられない。
「こちらの方でも御用とおっしゃる」
恵方を向いた年男。
「あちらの方でも御用とおっしゃる」
蛤をつまみ上げた長井兵助。
これを見て、
がんりきの百の野郎が、手を
拍って嬉しがりました。
「寛保二年、
閏十月の
饑饉、武州川越、
奥貫五平治、
施米の型とござあい――」
頼まれもしないに寄って来て、袋の結び目から、受けなしの片手をさし込んでの一掴み、口上交りで米友の手伝いをはじめました。
「下総の国、
印旛の
郡、成田山ではお手長お手長」
いい気持になって、人の懐ろで施しをはじめる。友兄いほどにはないが、こいつもまた、相当の曲者で、投げる銭に眼はつけないが、鼻ぐらいはくっつけて飛ばすから、受けきれない。
さしもの献上組も、これには全く
辟易していると、頃を見計らった
がんりきの百蔵が、米友を顧みて、
「あんちゃん、物は切上げ時が
かんじんだぜ、この辺で見切りをつけようじゃねえか、お
前は
跛足で、おいらは足が早いんだから、お前、ひとつおいらの背中へ飛びつきな、猿廻しの与次郎とおいでなさるんだ、お前を背負って、おいらが走る分にゃあ、ドコからも文句の出し手はあるめえぜ」
「
合点だ」
その時の米友は、感心に人見知りをしません。投げるだけ投げた手を、ぱたぱたとはたき上げたかと見る間に――
袋はそのまま杖槍は腰に、猿が猿まわしに取っつくように、
がんりきの背中へ御免とも言わずに飛びつくと、心得たもので、
がんりきの百が、そのまま
諸に肩をゆすり上げて――
「あばよ!」
と言って、献上組を尻目にかけ、足の馬力にエンジンをかけると、その
迅いこと。
「あれよ、あれよ」
と献上組、あとを追わんとする者なし。
十九
駒井甚三郎の無名丸が、東経百七十度、北緯三十度の附近にある、ある無名島に漂着したのは、あれから約二十日の後でありました。
漂着というけれども、むしろこれは到着と言った方がよいかも知れぬ。
船がある一定の航路を持っている限りに於て、それが誤れば漂着であり、それが正しければ到着であるが、駒井の船は到着すべき目的地を持ちませんでした。
海上は、
天佑と申すべきほどに無難でありました。
無難とはいうが、なにしろ、一葉の自製船を以て、世界の太平洋中に約一カ月を
遊弋したものですから、その苦心と、操縦は、容易なものではないが、運よく、颱風の眼をくぐり、圏をそらして、世の常の漂流者が
嘗める九死一生の思いをしたということは一度もなかったのですが、それだけ、駒井船長の隠れたる苦心というものが、尋常でないことがわかります。駒井甚三郎でなければ、頭髪もすでにこの一航海で真白になっていたかも知れません。
東経百七十度、北緯三十度の辺に一島を見つけて、ようやくこれに漂着したとはいうものの、これはあらかじめ、駒井が測ったところの地点であり、予期したところの一島でありました。
いずれにしても、この辺に島がなければならぬ。人の住む島か、鬼の
棲む島か、ただしは、人も鬼も全く棲むことなき島か、その事はわからないが、この辺に
島嶼が存在することを予想して、そうして、針路をそちらに向けたところ、果してこの島を発見したのですから、極めて好条件の漂着であったことに相違はありません。
「それでも、この辺の海上は至極無事なのです、天候はいずれの海上へ行っても予想はできませんが、地理と人情はたいていわかります、この辺には、人を食う種族の住む島はなく、人の船を襲うて荷を奪う海賊というものも、あまり現われないのです、支那の近海とは違って、
亜米利加へ近づくほど海賊が少ないのです、土地が豊かで、天産物が多く、そうして、人間の数が少なければ、人は人の物を奪わずとも、天与の物資そのものを目的とします。与えられたものが即ち運命なりとすれば、とにかく、あの島が、最初に我々を迎えてくれたのですから、あれに我々の運命をかけてみることも天意かも知れません、全員総上陸の用意を命じていただきたい」
駒井甚三郎は、遠目鏡を離さず、船橋の上に立ちながら、相並んで島をながめている田山白雲に向ってこう言いました。
ほどなく、総上陸の用意が整えられた時、駒井甚三郎は、みなに命じて大砲を一発打たせてみました。この航海で大砲を使用したのは、これで二発目です。一発は鯨の群の
遊弋に向って試みてみました。今度は島へ向って礼砲のつもりです。その、
轟然たる響きを聞いても、島のいずれの部分からも、人獣の動揺する姿を認めることができなかったものですから、駒井は遠目鏡を
外して、また田山白雲に向って言いました、
「無人島です、人間は住んでおりません、もし相当多数の住民がありとすれば、船がここまで来る間に土人の舟が現われるはずですが、舟がちっとも現われない上に、人も現われて来ない、人間の使用品の類も漂うて来ない、煙も揚らない、人間の住んでいる気配はありませんから、一同
揃って、このまま上陸ができることは幸いです。しかし、一方から考えると、人間が住んでいないということは、人間の眼の発見から逃れていたという意味にもとれますが、同時に、人間がすでに見つけたとしても、土地そのものが住むに堪えないから、それで放棄したものとも解釈がつくのです。総員上陸の用意はして置いて、下検分のため一応、先遣隊をやる必要がありますね、誰彼と言わず、わたしとあなたとで、検分を試みてみようじゃありませんか、
船夫を二人連れて、バッテイラで漕がせて、もう一枚、ムクを加えて行こうではありませんか」
駒井からこう言われて、それを拒む白雲ではありません。
「至極妙です――早速手配をしましょう」
ここで、駒井と白雲とが、二人の
船夫をつれて、ムク犬をも乗組に加え、小舟でこの島に上陸を試むることになりました。残された船員一同は、そのいずれにも不安を感ずるということがなかったのは、出で行く人は、自分たちの頭ではわからぬ用意周到の船長であり、それと行を共にする田山白雲は、世に珍しい豪傑の一人ですから……それに、船長は精良なる銃器を持っているし、白雲は有力なる日本刀の二本を差している。船頭二人はこの道の熟達者であるし、ことにムクという奴が、未知未開の蛮地へ入り込んでは、必ずや人間以上の本能を発揮するに相違ない。たとえ鬼が出ようとも、引けは取らない――という信頼が充分だし、また船に残る者も、残された者も、僅かの航海の間に相互の協同精神が熟しきっている。ことに、七兵衛入道の
肝煎ぶりというものが無類です。動かす必要のない船を預かる場合に於て、水も
洩らさぬ用心が、この入道の胸にあることも、船中の信頼の一つでありました。
二十
それから清澄の茂太郎が、
逸早くメイン・マストの
頂辺に打ちのぼって、本船を離れて行く船長と白雲の一行を、視覚の及ぶ限り監視の役をつとめている。
船の甲板では七兵衛入道が、やがて総員上陸すべき人員の点検と、陸揚げすべき資材の整理に
大童となっている。
七兵衛のその後のいでたちを見ると、いったん入道した形を決して変えない。あれ以来、絶えず船中で、頭へ
剃刀を絶やさないと見えて、入道ぶりがもはや堂に入っているところへ、潮風で磨きがかかって、地頭そのものがいっそう自然の形に見えるようになりつつあります。
その着物も、またそれに応じて、日本木綿を縫い直して筒袖にし、それに駒井形のだんぶくろをつけて、船員としても板についた形になっている。
かくて、全員総上陸の点検の上、物資は物資でこれを大別して、船に残すべきものと、陸上に持って上せるべきものとし、とりあえず衣食住を保証すべき物資と、その用具の取揃えにかかりながら、七兵衛が言いました、
「まず第一が水ですね、水の手がなければ人が住めない、井戸を掘るとか、水口を取るとか、
鶴嘴と、
鍬と、鎌と、
鉈、
鋸――そういったような得物を、ここへお出しなせえ。それを
束にして、がっちりとここへ並べて置きなせえ。それから、
煮炊をする鍋釜、米と塩、鰹節と切干――食料は、よく中身を調べて、この次へこうしてお置きなせえ。とりあえず野陣を張る天幕はいいかね、張縄から
槌、落ちはないかね。それからお医者さんの道具と薬箱、これは潮水に当てねえように、雨にかからねえように、
桐油をかけて、細引にからげて、取扱注意としておくんなさいよ。めいめい足を忘れねえように、蛮地の山坂を歩くには足が大事だよ、足が――
沓に慣れた者は沓、
草鞋草履の用意、二足でも、三足でも、よけい腰にブラ下げるようにして、水筒には、それぞれ湯ざましを入れて、これも腰から放さねえことだ。
陸へ上ったら、直ぐに飲める水が有るか、ねえか、そこのところの用心だ、時候がわりの土地へ来て、うっかり悪い水を飲んじゃあ、取返しがつかねえぜ」
さてまた、婦人と小児の周旋は、お松が承って、これを担当する――
婦人といっても、監督のお松と、それから
乳母、七兵衛入道が押しつけられて来た南部の
生娘のお喜代――番外としては、ほとんど監禁同様に船室に留められている兵部の娘、それだけのもので、小児としては登少年たった一人――清澄の茂太郎は、小児扱いをすることはできない。
男子はすべて、総上陸の用意をしているが、婦人と小児は、必ずしもそうは急がない。というのは、果して、あの島に安全生活の保証が立つか立たないかは、船長と総監(白雲のこと)が帰って来てでなければわからない。よし、人間の生活に堪えることが充分に保証ができたとしても、婦人小児連は当分の間、野営同様の空気に
曝されるよりは、この船の中を当分の住居としていて、陸上に相当の住宅準備が出来て後、本上陸ということにしても遅くはない。よって、これら婦人部隊は、比較的に動揺が穏かです。
幸いにして、婦人部隊に至るまで、いずれも健康に恵まれている。恵まれているというよりも、船長の周到なる用意と知識とが、船上衛生に抜かりなからしめている。その上に、食糧から医薬に至るまでの準備が潤沢であった――等々の条件が、船員のすべての健康を保証していたので、健康以上に張りきった精力に
溢れて見えるのさえある。
してみると、ここまで、世間の漂流記にあるような極度の欠乏や困苦から、この船員はすべて免らされて来ている。天候と言い、健康と言い、珍しいほど好条件に恵まれているもので、ある意味では、世界周遊の遊覧船に乗せられて、たまたまこの地に船がかりをしたような気分をさえ与えられるのでありますが、前途のすべてが、こんな洋々たる気分ばかりではあるまい、ということは誰にも予想されるのです。
ことに船長の身になってみると、現在の好条件がかえって、未来の多難を暗示するような考慮もないではない。それをまた本当に思いやっているのが、船長についではお松です。白雲は豪放で、それらの点には、さのみ頓着はしていないようです。
お松は、一通り甲板から各船室を見舞った上に、ひとり船長室へ来て留守をつとめていながら、眼の前に浮ぶ島と、それに向って漕ぎ行く駒井と白雲一行の小舟を、窓の内から見送って、希望と心配とに張りきっておりました。
二十一
ここにもう一つ、隠れたる功績をうたわなければならないことがあります。
それは、メイン・マストの上にいる清澄の茂太郎であります。
この少年は
出鱈目をうたい、足拍子を取り、また興に乗じて踊り出すことに於て、船中の愛嬌者とはなっていますが、愛嬌者以上の実用の
功力を認められたこと、今度の航海の如きはありません。それは何人よりもまず、駒井船長に認められました。
というのは、時に感じては、逸早くメイン・マストへ
攀じ上って、出鱈目の口上を口走るが、その出鱈目のうちに、驚くべき天気予報を感知したのが駒井船長でありまして、今日は無事であること、明日は降るであろうこと、曇るであろうこと、または即今、南の方から低気圧が捲き起ること、北の方の潮の色が変っていること、そういうことが出鱈目の口うらのうちに含まれているのみならず、彼の音声の変化だけでも、気象に合わせて科学的に考慮してみると、経緯度ごとに音節の変調を来たしているやに見える。それを最も早く見て取り、聞き取った駒井船長は、船室のうちから、その研究を統計に取りかかりました。その結果が、その少年の声によって、気象の変化をある程度まで識別し得られる――船の針路が、ある程度まで暗示せられ得る、ということを発見して、有力なる航海指針のうちに加えました。それで、この航海が、漂流に似て漂流にあらず、初心の航海者が当然受くべき苦難から、きわどい潮さきによく
逃るることを得て今日に至ったということと、今日に至ってこの島へ安着したその予感も、この少年の感覚に負うところが多いのであります。
もちろん、人間のことだから、機械のように固定した正確を得ることはできない点もありますけれども、観察の
如何によっては、生きた気象台であり、生きた羅針台であり、生きた航路案内者となり得ることを、駒井船長が見て取ったものですから、これを観察し、これを利用することを怠りませんでしたけれども、それが評判に上ることによって、船中の要らぬ好奇心を加え、当人の鋭敏な感覚に無用な刺戟を与えてはいけないから、誰にもそのことを知らせずに、当人にのみほしいままに歌わせ、ほしいままに
躍らせて、その純真性をつとめて保護して置かなければならないと思い、誰にも言わないうちに、ただ一人、お松にだけには、相当の暗示を与えて置きました。
それですから、船長が島に渡った後のお松は、船長室を守ると共に、マストの上なる茂太郎の言動挙動に、それとなく注意を払っておりますけれども、今日の茂太郎は、歌うべくして歌わないのが不思議です。陸に着いたら真先、サンサルヴァドルの歌を歌うべきはずになっていたのが歌いません。
茂太郎がこの島を歌わないということが、お松にとっては、この島が人の住むべき島でない、人が住むことに、何ぞ障壁のあるべき島だということの暗示にならないでもありません。
それよりもなおいけないのは、万々一、そんなことは予想するさえいやで、また予想するほどの必要が
微塵もないことですけれども、島の検分に
赴いた船長さんと田山さんの一行の上に、何かの異変が――というようにまでもお松は念を
廻してみるのであります。
そこで、身は船室に於て、船長なき後の船の一切の機密をあずかると共に、耳は高くメイン・マストの上に働いて、今にも起るべき、予報と、合図を待つことに集中されているのであります。
幸いにしてやや暫く、歌うべきものの歌う声が起りました。お松は
福音を聞き
貪る如く、その声に執着すると、その歌は――
ダコタの林の中に
小屋を作り
パンを作り
泉を飲み
大地と岩と
五月の花をながめ
星と
雨と
雲とに驚けば
ものまね烏が啼く
山鷹が飛ぶ
わたしは
新世界のために歌う
脚には聖なる土
頭の上には太陽
地球は廻転する
偉大なる哉、先人
ここに女性と男性の国
魂はとこしえに
海よりも遥かに偉大に
満ちては退く
退きては満つる
わが魂もて
不滅の詩を歌え
国々に起る
海と陸との
英雄
私は悪を歌おう
悪というものはないもの
現在に不完全なものはない
未来に不可能なものはない
ごらんなさい
大地は決して疲れないから
例によって出鱈目の歌だが、その出鱈目にも相当に根拠はあるのです。
どう根拠があるということは、当人には無論わからないが、駒井船長や、田山白雲の会話を聞き、また船長から口うつしのお松の筆記の席に侍し、そんなこんなで、うろ覚えが興に乗じて、前後左右、交錯したり、焼直されたりして、飛び出して来るのですが、今の歌もまさしくその
反芻に相違ない。お松もその歌詞をそっくり受取ったわけではないが、その音節を聞いていると平和であり、その歌調の表現は、悲観でも失望でもない、むしろ、積極的に、大地と自然とを
謳歌する歌になっているものですから、お松は、この島が豊かな土地であり、船長はじめ検分の一行も極めて無事満足に探検を進めて、希望に満ちているということを、この歌が暗示すると認めたものですから、ほっと安心しました。
二十二
上陸して島内の最寄りを一応視察した駒井甚三郎は、同行の田山白雲に向ってこう言いました、
「水も掘れば出て来る見込みは充分だし、土地も開けば耕作の可能性がたしかです。ただ川がないから、水田は
覚束ないと思うが、陸稲及び麦、しからずば
蕎麦などは出来ましょう。そのほかに、この地特有の食糧を供する植物があると思います。ともかくもここへ我々の根を卸してみましょう、相当生活してみて見込みがなければないで、また手段方法を講ずる余地が有りそうなものです。それにこの島は、周囲せいぜい二三里のものでしょうが、必ずや遠からぬ附近に、これに類似した大小幾つかの島が存在すべき見込みがあります。ひとまずここを足がかりとして、近き海洋を視察している間には、我々に与えられた最も適当な楽土を発見するかも知れない、約束せられたる土地というようなものがないとは限らない――左様、東経は百七十度、北緯は三十何度の間、ハワイ群島はミッドウェイ諸島に近いところ、或いはその中の一部に属しているかも知れません。これらの島々は、まだ名あって主のなき島と
謂うべきだから、我々に先取権が帰着すべき希望も充分あります。では、船へ帰って、この旨、一同に申し告げて、総上陸ということを決行しようではありませんか」
白雲がこれを聞いて
頷き、
「結構ですね、そうして、いよいよ総上陸ということになりますと、まず第一に住居地の選定をして、上陸早々、住宅の建設に取りかからねばなりません、図面を一つ引いて行きましょうかね」
「そうして下さい、とりあえず海に近いところ、あの辺か、或いはこの辺がいいでしょう、材料は、近辺の、成長するあらゆる植物を、利用のできるだけ利用することですね」
「設計図は任せて下さい、拙者が、原始的で、そうして気候風土に
叶う様式を創案してみますから」
「そう願いましょう。それから特に注意しなければならんことは、気候はこの通り温かいのですから、霜雪の難はありません、大河湖沼が乏しいから、洪水の憂いというものからも救われましょう、唯一の心配は風ですね、海洋の中の一孤島ですから、風当りは相当強いものと見なければなりません。しかし、波は岸を洗うとも、島をうずめるようなことはありません、
海嘯だけは用心しなければなるまいから、単に海岸の舟つきの部分だけを念頭に置かず、半ば岩穴づくりにして、堅固に掘立てを構えることですね、風の当りさわりを本位にして」
「そうでしょう、強風暴風に堪えると共に、この通り暑いところですから、風通しをも考えなければなりませんな」
「それともう一つ、大家族主義で行くか、分散主義で行くか、それも重要な構図のうちです、つまり、海の生活を直ちに陸にうつしたような方式で行くか、或いは陸は陸のように、おのずから個性を尊重する建前で行くか、その建築方式を、あらかじめきめて置いてかからねばなりますまい」
「それもありますな。しかし、あれだけの人数が、いちいち一戸を持つなんぞということは、今日直ちにできることではありませんから、当分は大家族主義を取るほかないでしょう」
「しかし、物は最初がかんじんです、最初にその様式を整えて置かないと、後日改良をすると言っても、容易なものじゃないです」
「いったい人類生活は、大家族主義が本当ですか、個々分立主義が正しいですか。日本でも、
飛騨の山中へ行きますと、一棟に四十家族も包容する大家族主義が現に行われていますが、我々の将来も、あれで行けるものか、或いはまた一人一家、少なくとも一夫一婦毎に一棟を分つという近代の行き方に
則らねばならないか、我々の植民第一に、その方針を決定してかかる必要はたしかにあります。あなたの趣味は、いったいどちらですか」
と田山白雲から尋ねられて、駒井が相当
確乎たる所信を以て、次のように答えました。
「私は一人一家主義です、ここに一人が独立の生計を与えられれば、必ず独立した一家を持たなければならぬという論者です、いわんや結婚生活者に於てをやです。かりに我々の仲間で、結婚以外に行き道がないものは、大家族主義を捨てて、独自の生活を営ましめるようにありたい、飛騨の大家族主義の如きは、自然生活にはかなっているかも知れませんが、私は個人の確立のためにそれを取りません、結婚者は当然独立した一家庭を持つべきは勿論、結婚した後に於ても、男女ともに別々に一家を成してさしつかえないと考えているのです、そうする方が合理的になるのじゃないかと考えているのです」
白雲には、駒井のこの論旨が、よく呑込めませんでした。結婚生活者にはぜひ一家庭を持たしめよということは聞えるが、結婚した後に於ても、おのおの別々に生活するがよろしいという論理は、そのままでは
甚だ不透明だと思いました。
二十三
しかし、この場合、そういうことに議論を
逞しうしているべきでない。白雲はそれを追究せず、そのうちに乗って来た小舟のあるところに到着すると、一行がこれに取乗って、本船さして漕ぎ戻る極めて無事な光景であります。
船へ帰ると駒井甚三郎が、船員全体を上甲板に集めて、次のような申渡しをしました。
「さて、我々はこの島へ上陸して、今後、この島の主となると共に、この島に骨を埋める覚悟で働かねばなりません。ここは我々だけの国であり、おたがいだけの社会でありますから、今までの世界の習慣に従う必要もなければ、
反くおそれもありません。もしこの島の生活を好まぬ時は、いつでも退いてよろしい。生活を共にしている間は、相互の約束をそむいてはなりません。ここには法律というものを設けますまい、命令というものを行いますまい、法律を定める人と、それを守る人との区別を置かないように、命令を発する人と、命令を受くる人との差別を認めますまい。仮りに私が
先達<