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大菩薩峠

京の夢おう坂の夢の巻

中里介山




         一

 同じそのよいのこと、大津の浜から八十石の丸船をよそおいして、こっそりと湖中へ向って船出をした甲板の上に、毛氈もうせんを敷いて酒肴を置き、上座に構えているその人は、有野村の藤原の伊太夫で、その傍に寄り添うようにして、
御前様ごぜんさま、光悦屋敷とやらのことは、もう一ぺんよくお考えあそばしませ、大谷風呂の方は、どちらへ転びましても結構でございますがねえ」
 それは女軽業の親方のお角でした。
 女軽業の親方お角さんは、今では伊太夫第一のお気に入りになっている。お角が伊太夫を御前様と称えてみたところで、あえてへつらうわけではない。伊太夫は伊太夫としての貫禄から言っても、その系統から言っても、大名以上の実力はあるのだから、おかしいことにはならないのだし、お角もまた、この人を御前様以上の御前様として心からの尊敬を以て言うのだから、それもおかしいことにはならない。伊太夫は軽くうなずいて、
「それは、どちらでもいい」
と答えました。そうすると、同じ取巻の町人ていなのが引きついで、
「いや、山科やましなの光悦屋敷の方も、ぜひお引取りなさいませ、今の御時世でございませんと、寝かして置きましても、持主がちょと手放す気にはなれません、あれだけの由緒あるお屋敷は、さがし求めた日には、なかなか出物があるわけのものではございませぬ、万一、売主がございましても、買切れる主がございません、買いたいと申しましても、二度と売主は出ますまいかと存じまする、お大尽のお耳に入りましたのが、全く以て千載一遇――売主のためにも、お買取りの方にも、またいにしえの光悦様のためにも、三方への功徳くどくになるかと心得ておりまする」
 おたいこを叩いている言葉尻から察すると、この辺に地所の買入れの周旋が相当進んでいるらしい。しかし、今晩は、そういうことの取引を熟談するために、この船をよそおうて湖へ出たのではないらしい。そうかといって、今晩に限って、湖上の月を眺めようとの風流のための一座でないこともわかっている。地所家屋のことが口に上ったのは、当座の口合いだけのもので、この船は別に何か目的あって沖に向って進むものらしい。
 宿へは、月も見がてら、夜をこめて竹生島まで行きつき、泊りの参詣をして帰ると言って出たのですが、その竹生島参詣にしてからが、なにも今晩、この船路を選ばなければならない必要も、理由もないようなものですが、それを伊太夫の発意によって、急にこの船よそおいをさせたというものは、一つは湖中へ向って、陸上から避難の意味でありました。
 避難といえば、今の伊太夫の身辺に、何か急に迫る危険が予想されたのかというに、急にそうあるべき事情もないことはわかっている。そもそも伊太夫、今日の旅路というものが、極めて微行しのびの形式で、関西の名所めぐりということになっているが、その実は、やっぱりあの胆吹山いぶきやまの麓に根を張っている、やんちゃ娘の女王様の動静が、さすがに親心で気にかかる、それを見届けんがための旅立ちということが、内心の主力を占めているのですから、まだ当分は、胆吹と相望むところのこちらの湖岸を離れることにはなるまいと思われる。お角親方にしたところが、このお大尽に附添うていることの限りに於ては、あえて、そう京阪地方に一日を争わなければならぬ兼合いはないものと見なければならぬ。
 悠揚として迫ることの必要のない伊太夫が、今晩避難の意味を兼ねて湖中に出でたということは、どうも表面見ただけでは、その内情を察するに難い。さては、あのがんりきの百とやらの小盗人こぬすっとめにねらわれて、つきまとわれる煩わしさからのがれようためか。まさか、藤原の伊太夫ともあるものが、タカの知れたゴマの蠅一匹のために、陸上に身の置きどころがないという解釈も、あまりに浅ましい。実のところ、伊太夫の怖れを成したのは、この前から度々隠見する、湖上湖岸の物騒なる空気の動揺がしかあらしめたもので、これが伊太夫の心持をも少なからず動揺させてしまいました。湖南湖北を通じて、すさまじい百姓一揆勃発の気運が、今やハチ切れんばかりに胎動している、いや胎動ではない、もはや、宿々領々によっては爆発の暴動をあげてしまっている。それが伊太夫の心を常ならず不安にしました。
 持てる人としての伊太夫は、他の何事にも驚かぬことの代りに、持たぬ者共の動静に神経が過敏となる。伊太夫はしかるべき家に生れてしかるべきように今日まで来ているから、あえて力を以て、暴圧と搾取とを、持たぬ者共に加えた覚えはないのだから、モッブの恨みを買うべき事情は少しも備えていないとは言いながら、持たぬ者共が動揺をはじめた時は、その波動が、いつどこにいようとも、誰人にも増して身にこたえるのは、持てる人の身にならなければわからない。
 湖岸暴動の風聞を聞くにつけて、伊太夫はいやな気になって、それで急に、船よそおいをさせて、竹生島詣でを口実の水上避難という次第でありました。

         二

「おやおや、何か変なものが流れて来ますねえ」
 ややあって、お角さんが湖上をながめてこう言いました。
「あれごらんなさい、あれはまだ新しい盃とはんだい――まあ、こちらの方から、女の帯が流れて来ますよう」
 盃とはんだいと言っていた間はまだいいが、女の帯と言われて、一座がゾッとしました。
 杯盤の流れたということは、いささか風流の響きもあるが、女の帯が流れたということに、何か一座の身の毛をよだてるような暗示があったらしい。そうして湖面を見て、その言う通りの酒器が浮びきたることは誰もそれを見たが、女の帯が流れているということを、舟の上の誰もがまだ気がつかない。酒器は水に浮ぶものだが、女の帯は必ずしも水に浮いて流れるとは限らない。帯によっては水に沈み勝ちでなければならないのをめざとくその一端を見つけて、帯、しかも女の帯と認定してしまったそれは、お角さんの勘と言わなければならない。
 そこで、一座は、お角さんの勘を基調として一同に身の毛をよだてたのですが、帯を帯として認め得た者は、お角さんのほかには一人もありませんでした。
 だが、そう言われて見ると、一筋の女の帯が暢揚ちょうようとしてたけを延ばして、眼前に腹ばって、のして行く。さきに流れた、誰にも認められるべきところの酒器台盤がそれに先行して行く。見ようによると、一匹の大蛇が、その酒器台盤を追うて、これを呑まんとして呑み得ざるままに、追走してのして行く形に見えて、いっそう物すごくなったのです。
 一座は無言で、ゾッとしたままで、その酒器を追う平面毒竜の形を見入ったまま、水を打ったように静寂に返りました。
 そうすると、暫くあって、その毒竜の尾について、間隔は二三間を隔てて濫觴らんしょうのような形のものが二つ、あとになり、先になり、前なるは振向いて後ろなるを誘うが如く、後ろなるが先んじて前なるものに戯るるが如く、流れ流れて行くものを認めないわけにはゆきません。
「あれはポックリです――女物の、二十歳はたち前の女の子でなければ穿きません」
 んで吐き出すようにお角さんが言う。それが一層のまた凄味を物言わぬ一座の上に漂わせたと見えて、ちょっと目をそらす者さえあったが、かれたように、その行手を見据えているものも多かったのです。
 湖上はと見れば、その時、立てこめた一面の霧です。
 行手も霧、返るさも霧、ただその霧が明るいことだけは、霧の上に月がある余徳なのであって、この霧の中を迷わずに進み得るのは、船頭そのものの手練である。ところが、その多年の船頭そのものの手腕が怪しくなったと見えて、
「な、な、なんてだらしのねえ船扱いだ、おいおい、何とかしなければ正面衝突だよ、舟と舟とが、まともにぶっつかるよ、おい、その舟にゃ舟夫せんどうがいねえのか」
 こちらの船頭が舟の舳先へさきで、あわただしくこう叫んだのが、また一座の沈黙の空気をおびやかしました。
 今までは静かに漂うものの無気味さに打たれていたのですが、今度は、さし当りこちらにのしかかって来るものがあるらしい。その警戒のためにとて、こちらの船の舟夫が、あわただしいこの警告です。見ればなるほど、一隻の舟がこちらに向って、正面衝突の形で、前面より突き進んで来つつある。こちらの船頭が叫ぶのも無理はない、あのままで来ればまさしく正面衝突です。しかし、正面衝突とすれば、その危険性は我になくしてむしろ彼にあるのです。何となれば、かの舟はこの船に比べてはるかに小さいから、正面衝突の場合の損傷を論ずるという日になると、まるで比較にならない。そこで、こちらの船頭の警告というものは、むしろ我の危険のためにあらずして、彼の危険のための忠告の好意ある叫喚に過ぎないのだが、その好意を好意と受取らないのが、先方の舟の行き方であって、そういう危険状態が目睫もくしょうに迫っているにかかわらず、あえて警告に応じて、舟の針路を転向しようとも、変換させようとも試みないで、霧の中を出て、霧の中を平気で漂うがままに、あえて正面衝突も、木端微塵こっぱみじんも辞することなき、無謀千万の行き方でやって来るものですから、こちらの船頭が、火のついたように地団太を踏んで、
「あ、あ、いけねえ、何とかかじを取れねえのか――」
 先方は小舟だけに操縦が容易である、こちらは大船だけに運用が自由にならぬ、避けようとすれば先方は、ほんの一挙手の労で済むのだが、それをそうしないために、こちらの船頭は倍級の狼狽をしなければならない。それでも多年の熟練でようやく方向転換ができて、正面衝突だけは避けられたが、その途端に、さおをやって邪慳じゃけんに相手方の小舟を突き放してみると、そこにも手ごたえがなく、すんなりとはなれる。
「なあんだ、空っ舟だ――」
 相手がありさえすればこの場合、舟の衝突は免れても、舟夫同士に相当の口論、腕立てが起るべきところを、相手が人なし舟では喧嘩にならぬ。乗る人がなくて霧の中からさまよい出て来て、突き放さるればまた文句なしに突き放されて行く小舟を、船頭は腕のやり場もなく、しばらく見ていたが、それを見のがしにしなかったのがお角さんです。
舟夫せんどうさん、ちょいと、その舟を留めてみて頂戴、こっちへ引き寄せて見せてもらうわけにはゆかないかねえ」
 お角さんだけが、この人なし舟を、人なし舟として突放しにする気にならなかったのは、何かこの女の勘にさわるものがあったればでしょう。勘というのは、弁信法師に限ったわけではない、脳味噌の働きの利鈍によって、何人にも勘の能力の大小がある。弁信法師の如きは超人的で、それは何者にも比較にならないが、お角さんの如きは、女性として最も勘のすぐれた方の女性なのです。目から鼻へ抜ける勘持ちで、いわゆる、こらえぬ気象なのです。ただ、「勘」という字が、お角さんの場合に於ては、「疳」とか「癇」とかいう字を使った方が適切な場合が多かろうというものです。
 癇走るお角さんの命令によって、船頭は二言ともなく、いったん突き放した小舟を、また自分たちの大船の船べり近く引き寄せて、生かそうと殺そうと御意のまま、という体で、お角さんの眼の前へ突きつけたものです。

         三

 いくつもの提灯ちょうちんをさげつつ、この引き寄せられた舟の中へ入り込んで見たのは、お角さんをはじめ、伊太夫周囲の取巻連でありました。お角さんが見ると、この小舟の中が狼藉ろうぜきを極めておりました。
 ほかの者が見たのでは、何が何やら気ぜわしいばかりです。
 そこで、お角さんが、
「ちぇッ」
と舌打ちをして、眉根に八の字を寄せながら、舟底をちょっと蹴立ててみたというのは、その狼藉ぶりが例の癇にさわったからでありましょう。
 他の者が見ては特に目立たない場合に、ナゼお角さんだけが、その狼藉ぶりに癇を鳴らしたかと見れば、小舟の中が、あまりに見苦しい取散らかしぶりであったからです。
「なんて、たしなみのないザマなんでしょう」
 お角さんは、小舟の中を見て眼をそむけてしまったが、改めて大船の上を見上げる。燈籠とうろうの下の座に席をくずさずに坐っている伊太夫も、なんとなく、こちらが気がかりのように見おろしている様子にぶっつかると、そのままにして置いて、
「さあ、上りましょう、これだけのものなんです、でも、船頭さん、この舟をいて行ってあげてくださいよ――しかるべきところまでねえ」
 狼藉は狼藉としてのままで、一応、引くところまで引いて行って調べてやろう、というお角さんのはらです。
 その声に応じて、提灯片手の取巻連が、一応もとの席に戻りますと、右の小舟は無雑作に曳舟として扱われて、無意味従順にこの親船のあとに引かれて行く。
「何でした、別にあぶないこともなかったですかね」
 伊太夫からたずねられて、お角さんが少し息をはずませ、
「ちょきが一ぱい流れついただけのことなんですがね、御前様、どうも、その中が穏かでないんでございますよ」
「どう、穏かでないのですか」
「なんぼなんでも、ああまで取乱さなくってもよかりそうなもの」
「ははあ、そんなに見苦しくなっていましたかな」
「見苦しいにもなんにも、いったい、心中でもしようという人間には、もう少したしなみというものがなくてはいけませんね」
「心中? 相対死あいたいじにですか」
「そうでございますよ、さっきのあの盃と、帯と、駒下駄の判じ物でもわかりますよね、あの舟で思いきり楽しんで、それから死出の旅という寸法なんでしょう、行き方は洒落しゃれていないではありませんけれど、ああ取乱したんじゃお話になりません」
「どうして、そういうことがわかります、ほんとうに心中者があったとすれば、このままでは済まされますまい、迷惑千万なことだが、一応、手を尽してやらなきゃあなるまいが」
と伊太夫が、そこに思いやりをはじめました。小舟の中が取乱してあるか、取乱してないかはこの際、論外なことで、お角さんの見込みの通り、程遠からぬ時間の間に、そういう変事をやり出した人間がありとすれば、その分別と、無分別の如何いかんは問うところでない、通り合わせたものの人情として、船同士の普通道徳として、一応も二応も、捜索に取りかかることが当面の急でなければならぬ。
 そこで、船には緊急命令が下されて、さし当りこの小舟のもたらした予感通りに、掃海の作業を試むることになる。
 といっても、事は近くで発見されたにしろ、うみは広い。霧というものがその広さを、無限大のものにぼかしている。よし広さに限度が出来たとしても、底は深い。ましてこの竹生島の周囲は、深いことに於て、竹生島そのものが金輪際こんりんざいから浮き出でているというのだから、始末の悪いことおびただしい。全く手の下しようもないのだが、手の下しようがないからといって、船舶道徳は守らなければならない。
 伊太夫の大船は、とどまり且つ進みつつ、遠近深浅に届くだけの眼と、尽せるだけの力を尽しつつ掃海作業を続けて進みました。
 その間、伊太夫は動ぜぬ座を占めている。お角さんは居たり立ったり、舟夫せんどうに指図をしたり、伊太夫に講釈をしたりして、年増女の落着きを失わずに、その周到ぶりを発揮していたが、事が周囲七十余里の湖水を相手だから、そうヤキモキしただけではいけないと、やがて伊太夫の傍に寄添って、次のような観察を物語りはじめました。

         四

「男も男ですが、女も女です、水にでもハマろうとするくらいなら、ハマるだけのたしなみというものがなけりゃなりませんよ。女の締めくくりは帯なんです、その帯を初手しょてに流してしまうなんぞは、お話になりません」
 お角さんが、噛んで捨てるように言ってのけたのは、それは伊太夫の知ったことではないが、お角さん自身に、これと異った趣に於て、充分に体験を持っているわけです。この女は上総房州の海に身を投じて、橘姫命たちばなひめのみことの二の舞を演じたことがある。
 その時は、無論、意気の、心中のというような浮いた沙汰さたではなく、いわば凡俗の迷信と多数の横暴に反抗して、身を以て意地を守った気概のために海中に没入したのですが、それが、ゆくりなく洲崎すのさきで、駒井能登守の手にたすけられたことがある。あの時、駒井に発見されなければ、無論、今日のお角さんは有り得ないのです。その時の体験からお角さんが語り出でました。その啖呵たんかの要領によると――
 女というものは、水に溺れようとする瞬間に、何事よりも締めくくるべきは帯です、帯をしっかり結ぶことです。帯というものは無論、表の胴体を締めているこの無双や、鯨というだけには止まらない、下帯から、下締から、丸帯の一切、女の身体からだを横に防衛し、同時に装飾を兼ねているそれらのものをいうのであって、これが締っていなければ、女が女にならない。
 水に没入して、息が有っても無くても、いったん人間の住む水際へ浮き出した瞬間に、それを見つけて騒ぎ立てる野郎共の大多数は、女を人間として見ないで、女として見るんですからね、したがって、女は死んだ後までもが、女としての体面を保護して置かなければならない、もし男性として品性の高い、教養の深い人が、それを発見した場合は、真先にその辺を保護して置いてから、改めて人に報告するようにしてやるのが紳士の礼儀である。
 それに、どうでしょう、あの舟の女は、最も保護すべきものを真先に投げ出している、帯を取ってしまったお土左どざなどは、おそらく人間艶消しの頂上でしょう。
 子供なんですよ、からっきし子供なんだから、その辺のたしなみを知らない、そこらへポカリ浮き上ってでも来ようものなら、見てごらんなさい、見られたザマじゃない――とお角さんが、あざけり足らない。
 そうでないとしたら、察するところ、意地で見せつけという寸法なんでしょうよ、思いきってだらしのないところを、誰かに見せつけてやろう――たとえばねえ、生きていては仕返しができないから、せめて、死んだ死骸に、思いきり自分で自分に恥をかせて、相手の恥に面負けをさせる、つまり、面あてをする、当てつけをして自ら慰めるというやつなんです。いやで添わされた亭主持ち、金ではずかしめられた女の仕返し、そんな事も有り得ることなんですが、あの舟のは、そんなんでもないようです。娘ですね、無茶な小娘で、死ぬのを伊達だてにしているというような行き方です、つまり浮気娘が出来心で、思いきり死んでみてやれ……といった気分に過ぎませんねえ。
 そんな、ませた小娘は、よく大物をくわえたがるものです、石部いしべ宿やどのお半さんがいい見せしめです、長右衛門さんという人は、何をどうといったエラ物でも大物でもなかったようですが、年上なんでしょう。いったいどちらにしても、年上と恋をするというのがこの上もなくマセた人種なんですよ、年上にダマされてかつがれたというんじゃないですね、年上の奴でないと食い足りない助平が、つまり、女にも男にも強いから起ることなんで、だいたい、女は男よりも幾つか年下という世間のお約束を破らないとたんのうができない、まあいわば色気ちがいに近い方なんですから、年増の女に捲かれる男はかえって図々しいんです、年上の男を相手にする小娘こそ、こまっちゃくれて憎らしいもんです。見ていてごらんなさい、この娘っ子のくわえて来たのは相当大物ですからね。大物でなければ、キッと年上の男なんですよ。ことによると、白髪しらがまじりの重役なんぞをくわえて来ているかも知れません、そんなのが好きな娘なんですよ、相当大物をつかまえて来て、むりやりに水の中へ引張りこんだんですね。
 ええ、女が働きかけたんですとも。分別盛りの男が、自分から、小娘を相手に心中なんかする気になるものですか、みんな女が知恵をつけるんです、女が誘惑してそうさせるのです。長右衛門だって、長右衛門がお半を口説くどいたと思うは大間違い、お半の方で、長右衛門さんに持ちかけてああなったんです、お半の方が、長右衛門にれきっていたんですよ。
 好者すきものとなってみると、お雛様ひなさま飯事ままごとのようなことばっかりしていたんでは納まらない、そういう図々しいことをしてみたがるんです。それでお半はお半としてわかっているが、相手の長右衛門という奴のかおが見てやりたい、やいの、やいのと、小娘から首っ玉へかじりつかれて、いい気になって水の中へ引っぱり込まれたおめでたい野郎の面が見てやりたいもんですね――
 お角は、伊太夫に向って、この心中から身投げの一伍一什いちぶしじゅうを見て来たように話がはずんで、ひとり昂奮の程度にまで上るのは不思議なくらいでしたが、それにつり込まれでもしたように、座持の一人の取巻――伊太夫に光悦屋敷を買え買えとたいこを叩いていた取巻の一人が、膝を乗出して、おあと交代と差出ました。

         五

「いや、御尤ごもっともでございますよ、太夫元さま、そのお見立ては、さすがに勘所かんどころでございます、実は、わたくしも先年、まざまざと心中者の最期を見届けた覚えがございますんで、いま思い出しても変な気分になりますが、それは、いま太夫元さんのお話とは違いまして、年頃寝頃という頃合いの女夫仲めおとなかでござんしてな、ところはやはり大津の浜辺、御存じの吾嬬川あづまがわの石場の浜へ打上げられたのが、しっかりと抱き合った美しい年頃の心中者」
 こう語り出でたのが、幾分か今までの凄味を消して、なんとなくつやっぽいような、物の哀れを添えることになりました。
「へえ、お前さんも、その心中者を実見したんだね」
「へへ、たしかにこの眼で、まざまざと見せつけられてしまいましたが、ただいま太夫元さんのおっしゃる通り、最初に見つけたのが、たしなみのある人でよかったんです、もう少し事が遅かろうものなら、仲仕の人足たちに見られてしまうところでした。そいつらがドヤドヤと来て、見せろ見せろと言って、死体へ押迫って、いきなり天秤棒で女のすそをまくり出しましたから、わたしたちが驚いて差留めたのです。蔵屋敷の衆がまず見つけたからいいようなものの、あのかせぎ屋連に最初見つかった日にゃ、今おっしゃる女の体面のみじめさが思いやられますでな、つくづく太夫元のお言葉が思い当りました。男も勿論そうですが、女子おなごというものは、心中の一つもしてみようという女子は、その何をさし置いても帯を大切にすることですね。あとで聞きますと、あの時の女子さんも、その辺には充分のたしなみがありまして、もし、そんなふうに死骸に加えられる狼藉がありましても、立派に保護の用意が出来ていたと聞きましたから、ひとごとでないように安心を致して見ました。いや、思い出しますよ、あの時の男女は惜しい花ざかりでした。聞いてみると、思い詰った事情も、色恋ばかりではないのだそうで、男は京都の者、女は伊勢の亀山――いいなずけ同士の親類仲とかいうことでございました」
 取巻が、別に心中物語をはじめたので、お角さんがくさびを入れて、
「死にたいものを死ぬなとは言わないが、死ぬんなら死恥をさらさないようにして死なせたい、およそ、心中の死にぞこないぐらい、みじめなものはありませんからね」
「ところが、その時の心中が、あとで聞きますと、その死にぞこないなんだそうでございましてね、変なことになりました」
 取巻がつけ加えて物語ることには、
「二人ともに、そうして、まあ立派に心中を遂げたには遂げたのですが、あとで聞きますと、男の方はそれっきり、女だけが助かりましたのやそうでございます」
「おやおや、運が悪いねえ、心中の生残りは浮ばれない」
「それから後、男の方の菩提ぼだいは、この上の長安寺の方で葬って上げていてあるはずなんでございますが、女の方は、早速引取りの親類が大和の岡寺から参りまして、死にたい死にたいというのを、不寝ねずとりで引取ってしまいましたが、今ではどうなっておりますか。ところだけは大津屋で聞いておきました、大和の岡寺の薬屋源太郎というのが、その女の方の伯父おじさんに当るとやらで、当分そこへ引取られたはずなんですが、わたくしも、もしあちらへ出向く機会がありました節は、ひとつ外からのぞいて見てやりたいと思っているのでございます。いい娘でした、少しさびしみのある面立おもだちをしておりましてな。もう五年も前のことですから、今頃はすっかり手創てきずなおって、しかるべきところへ縁づいて、子供の二人も出来ている時分なのでしょうが、大和の岡寺の薬屋源太郎という名前が妙に気になりましてな、今でも、あの娘さんが、宿の離れに隠れて、世を忍んででもいるような気がしてたまりませんから、一度大和へ行ったら見てやりたいと、よけいな心づかいをしているばっかりで、まだ、あちらへ参る折もございません」
 見たって仕方がないじゃないか、とお角さんが言うと、伊太夫が、何か野心があるのだろうとからかう。取巻も、それでいったんは口をつぐんでしまったが、これによって見ると、大和の国、岡寺の薬屋源太郎と言ったのはこの取巻の聞誤りで、実は同じ国、三輪の里、大明神の門前のことではなかろうか。
 そうして、その心中者の男の方の名を真三郎と言い、女をお豊とは呼ばなかったか。
 しばらくして、また取巻の口が開いて、右の心中話に決着を与える――
 あの時の若い男女は、心中の方式については全く無知識であったこと、入水じゅすいをするにしても、どういう方法を取るのが最も安全で、且つ見事であったか、それを知らなかった。かつまた、入水の空間にしてからが、ドノ辺が沈みよくて浮き難く、ドノ辺が遠浅で、浮きやすくして沈み難いかをさえ、てんで地理の理解がなかったことを思いやられる。ただ水に入りさえすれば死ねるものと心得て入ってみたが、さてここが死にどころというのが見当らなかった。浜辺に近いところ、遠浅のあたりを、より広く遠く、二人は抱き合いながら水に浸ってさまよい歩いた形跡があること、そうして、やっと深いところへ、この辺ならば沈むに堪えたところ、死ねるに違いないと思われるところにたどりついてはじめて身を横にして、やっと水のきたり沈めるに任せていたという形跡もあったから、とてもそれは、二人相抱いて、高いところから落ち、一気に生涯を片づけてしまったというあざやかな手際にはいかなかったこと、全く無経験無知識な身の投げ方をしている――心中にそうたびたび経験や知識があってはたまらないけれども、それにしても幼稚極まる身の投げ方をしていたことが、見る人をいじらしがらせた。そうして、心中の仕方に於ては、さほど無経験無知識であったにかかわらず、そのたしなみに至っては、打って変って行届き過ぎるほどに行届いていたというのは、つまり、お角さんが、たったいまかんにさわったとは全く反対の行き方で、二人の身体こそ、がっちりと水も洩らさず帯で結んでいたけれども、女も男も、いついかようになって人目にさらされようとも、いて剥奪するのでない限り、ちっとも醜態を現わさないように、裏から表までよそおいを凝らしていたということが、今でもめものになっている。
 これを取巻が、この際、新発見でもしたもののように、そやし立てて、つまりあの心中は、遺書かきおきにも書き残してあった通り、女の一方が一つか二つか年上で、弟をいたわるように、心ならずも引かされて死んでやったと見るべきだから、万端の注意があの女の心一つで行届いていたということになって、女のたしなみのかがみでもあるかのように取巻が並べたので、
「いやに女の方にばかり肩を持ちたがるじゃないか」
と、またしても伊太夫から冷かされたが、それでも取巻は一向にめげず、
「全く、あの女子おなごはよい女子でしたねえ、こう、少し淋し味はありますが、それがかえって魅力でございまして……いまだに眼についてはなれません。実際、あれが生き返ったのですから、ただは置けない道理じゃございませんか、その当座はひとごとならず気がめました」
 その当座だけではない、今もなお気が揉めているから、こんなことも口へ出るのだろう。そこでお角さんが、
「心中の片割者なんか、女ひでりの世じゃあるまいし」
 お角さんにけし飛ばされても取巻はひるまない。
「ところが、かえって一段と気が揉めましてな、どんなまずい女房も、後家になると色っぽく見えると言いますからなあ、片割となってみますと一層惜しいものでした、あの女子だけはただは置けないと、その当座は正直のところそう思いましたよ。もう、二三人の子供が出来てるんでしょうがねえ、今の御亭主の面が見てやりたいです」
「よけいな心配をしたものです」
 お角さんは深く取合わないが、何か一道の魅力がありそうで妙に気が引かれる。
 男を殺して、自分だけが生き残った女の尽きせぬごうというものが、ほんの行きずりのこの取巻屋をさえ、いまだに引きつけている魅力というものを以てして見ると、その女も、必ずそれからまた罪を作り出しているには相違ない。
 さればこそ、三輪の里には業風が吹きそめて、藍玉屋あいだまやの金蔵はそれがために生命いのちをかけた。そこまでは、この一座の誰でもが知らない。とにかく無事に永らえているとすれば、あの女にも、はや二人三人の子供があってよいはずと、その辺にだけ気を揉んでいる間は無事でしたが、その時に船首の方に当って、急にけたたましい声――
「ござった、ござった、正体が届きましたよ、御推察の通り抱合い心中、それそこに流れついた土左衛門とお土左がそれじゃ」
 湖面を見つづけていた船頭の叫びで、水手かこ共が、よってたかって眼を皿のようにする。
 二間ばかり近く、波の間に、ふわりふわりと浮いては沈み、沈みては浮びきたる物体がある。予備知識がもう十二分に出来ているから、誰もそれを見誤るものはない。しかも、浮きつ沈みつして、上になり下になり流れ漂う物塊は、人間の死骸が二つ、からみ合ってたがいに放さない形になったまま、見た眼では、まだたしかに息が通っている、生温かな肉塊とさえ見えるのが重なり合って、船をめがけて、からまって来るのです。
 船頭せんどう水夫かこも昂奮したが、船上の一座もすくんだように重くなって、立ち上る元気よりは、こわいものを見る心持が鉛のようになる。

         六

 事態は重くるしかったけれども、手数は極めて簡単でした。船をめがけて漂い来った二つの抱合い死体は完全にこの船の内部に助け上げられました。その報告を綜合してみると……案のごとく男女の抱合い死体であったこと。
 ことにお角さんの予言的中してしんの如く、男が年上で、女がズッと年下であったこと。
 さりとてお半と長右衛門ほどの相違ではないが、女はお半だとしても、相手がとうてい長右衛門では有り得ない、黒い衣紋えもんのうらぶれの三十いくつの浪人風情であったということ。
 帯のない女の衣裳形が、水手かこたちの口のに上らないところを以てして見ると、これは早くもお角さんのたしなみがあずかって救われたものです。お角さんは従容しょうようとして言いました、
「これは心中じゃありませんよ」
 心中でないとすれば、脅迫か。脅迫とすれば力の問題だから、この小娘がどう間違っても、このおさむらいを脅迫する道理はないから、女の子がこのさむらいに無体な脅迫を受けて、水に逃れようとしたのを、男が追いすがって、我がものにした。
 そう解釈してみると、解釈しきれないのは、では、ナゼ男も死んだ、これだけの男ならば、水練がないはずはなし、どう間違っても、この小娘一人を水上に扱い兼ねる代物しろものではないはずなのに、おぞくも生死を共にして抱合いの形に落ちてしまった。それがわからない。
 がやがや騒ぐ水手かこ楫取かじとりどもをおさえた船頭が、またも何か驚異の叫びを立てて、
「おかしい……二人とも、ちっとも水を呑んでいねえぞ」
と言いました。
 水を呑まない溺死人ということは、この際、考うべきことでした。
 抱き合って身を投げたものが、浮きつ沈みつ、ここまで漂いきたることの間に、水を一滴も飲まないということは有り得べきことでない。もし飲んでいないとすれば、それは飲まないのではなく、飲ましめなかったのだ。満々たる水の世界に身を投じて、ともかく、相当の深さまできわめたはずのものが、水を飲んでいないということは、あらかじめ水を飲ましめないようにしてあったのか、そうでなければ、舟を出る時に、のみたくも飲めないような生理状態になっていたのか、ということが疑問になるのです。
 この疑問は、物に慣れた船頭が直ちに解釈してくれました。
「それは、この娘に水を飲ませまいとして、このおさむらいが当てたんですよ、一当て当身あてみをくれて息の根をとめて、それから水に入ったんですから、それで女の子が水を呑んでいない――おさむらいの方は、何か別に仕方があったんでござんしょう、そうでなければ疲れてうっとりと来てしまったんでござんしょう、とにかく、どっちも、まだ脈はあるんですぜ」
 二人の生命いのちにまだ見込みのあるということを、物に慣れた船頭が保証しつつお角さんに報告しました。とにかく、そこで二つの生命は引上げられたわけです。まだ生命としては、どっちのものかわからないながら、水中から船の上へ取上げられて、そこで、心得ある人々に介抱されて、専門家こそ乗合わせていなかったが――道庵先生の如き専門家が居合わせなくてかえって幸い――物に慣れた人から完全に生き返ることを保証されて、何はともあれ安静のところに置くことが養生第一として、船の一室に、無事に納められました。伊太夫は、この二人の遭難者を、わざわざ席を立って見に行こうとはしなかったが、かりそめにも自分の主となった船の中で、二個の生命を収得し得たことを満足としないわけではない。お角さんとしては、実際に立会って、つぶさに二人の者を観察したようですが、その報告はまだまとまって伊太夫の前にもたらされず、また齎されるいとまもなく、取巻子は幾度か同じような場所で、同じような情景を見せられることに奇異の感情を加えただけで、何が何やら煙に巻かれているような事体のうちに夜が明けなんとしました。
 夜が明けかかると、今までの霧にこめられた湖面の白さとは性質を異にした、光明を含んだ白さが湖上に流れ出したと見ると、それにつれて、ようよう霧も亡び去って行く。霧の晴れ間を湖水がひたひたと侵略して行って、夜が全く明けた時分に、船がピタリと停った前面を見ると、もう竹生島の全面が行く手にうっすらと、墨絵がにじんだように浮んでおりました。

         七

 朝まだき、伊太夫の大船が、竹生島の前に船がかりしてまだ動かない先に、一隻の早手はやてがありまして、これは東の方から真一文字に朝霧を破って走りついて来ました。走りついたというけれども、伊太夫の船に向って走りついたわけでないことは、そのきたるところの方向が全然違っていることでもわかる。たとえば、伊太夫の船が大津を出でたとすれば、この早手は、その反対側の長浜方面から走って来たものであることは確かです。そうして朝霧を破って、なお急調で走って行くくらいですから、昨宵の霧も、昨晩の霧も、同様の整調で破って来たと見なければなりません。
 そんならば、同じように、この竹生島めざして舟がかりをするかと見ればそうではなく、霧が破れようが、夜が明けようが、急ピッチは変らない。名にし負う竹生島もよそにして、漕ぎ行くことは矢の如く、その行手は、ちょうど、夜明け前に平面毒竜がさかずきを追うて流れた方向に向って急ぐのですから、めざすところは湖中の何物でもなく、湖岸のどの地点にかあるのでしょう。
 急ピッチで、竹生島の眼前を乗打ちをしながら、さいぜん船がかりをしたばっかりの、伊太夫の大丸船おおまるぶねを朝もやの中から横目ににらんで、この早手の中の一人が言いました、
「あれが百艘ひゃくそうのうちの一つなんです、あの船が、木下藤吉郎の制定した百艘船の一つなんです、今はすたりましたが、一時はあの大丸船でなければ、琵琶湖に船はありませんでした、船はあっても、船の貫禄がなかったものです」
 こう言って、相対した一方の人に向って説明をしますと、その相対していた一方の人というのが無言でうなずいているのにつけ加えて、
「竹生島が朝霧の間に浮いて、あの大丸船が一つ船がかりをしている、湖面がかくの如く模糊として、時間と空間とをぼかしておりまする間は、我々も太古の人となるのです、太古といわないまでも、近江朝時代の空気にまで、我々を誘引するのですが、夜が明けると、近頃の琵琶湖はさっぱりいけません、沿岸には地主と農民の葛藤かっとうがあり、湖中にはカムルチがいたり、塩酸が流れたり……この湖水を掘り割って北陸と瀬戸内海を結びつけたら、舟運の便によって、いくらいくらの貿易の利が附着する、また湖水を埋め立てて、何千けい干潟ひがたを作ると何万石の増収がある、そういうことばかり聞かせられた日には、人間の存在は株式会社の社員以上の何ものでもありません。人生はすべからく夢を見ることですな、人生から夢を奪うのは、琵琶湖をすっかり干し上げて、田畠でんぱたに仕上げるのと同じことです、少なくとも我々は、今のうちに夢を見て置かなければならないでしょう、まだまだ夜と朝とは、我々をいざのうていにしえの夢を見せるに足るの琵琶湖であり得ることを、せめてもの幸いとしなければなりません」
 早手は早くも竹生島の前面をかすめ去って、問題の大船も後ろに見るくらいに、急行をつづけているにかかわらず、舟の中の人は、年代を超越した悠長さで、時代と歴史とに向って感想を発しました。これはたしかに不破の関守氏に相違ありません。
 現に胆吹王国の総理であり、参謀総長を兼ねていたはずの不破の関守氏が、急に水上の人となり、早舟の急がせ方はこうも急調なるにかかわらず、語るところのものはすこぶる悠長です。しからば、その相手となっているのは何人か。近ごろ近づきの青嵐居士と、不破の関守氏とは、よく話が合う、今日もその人を同行の、釣の脱線かと見るとそうではないのです。関守氏の相手に控えている人間は、決して青嵐居士のような饒舌家じょうぜつかではない、あくまでも関守氏にしゃべらせて、自分は、言語と態度を極度に惜しむかの如く、傲然ごうぜんとして、それに聞きいるだけの姿勢にいる。しかも、不破の関守氏も御免をこうむって、一種風雅な檜笠をかぶっているが、これは日を避けんがための実用として容赦さるべきにかかわらず、前に対して彼の話を受入れているこの人は、最初から覆面の仕通しです。
 いやしくも人に対して正坐する時に、おのれの覆面を取らずしてこれに対するということは、非常なる無礼であり、傲慢でなくて何であるか、臣下に対してさえも、対坐には相当の礼があるべきもの、それにこの人は、不破の関守氏ほどの人物を前にして、覆面のままで、傲然としてこれに応対し得る強権の人。誰彼と言おうよりも、当時これだけの権式を持ち得る人は、胆吹王国の女王様以外には、その人のあるべきはずがない。
 平明に言ってしまえば、この早手の中の対坐の客は、お銀様に対する不破の関守氏であって、それに従者が一人、神妙に後ろの方に控えていると、蓑笠みのがさをつけた舟夫せんどうが一人、勇敢にをあやつっているだけのものです。
 早手は急ピッチを変えず、島も大船も見えずなり、それにまたもや一陣の霧が、一むれ襲うて来たものですから、四辺あたり煙波浩渺えんぱこうびょうたり、不破の関守氏の懐古癖が充分に昂上を見たと覚えて、
大船の――
かとりの海に
いかりおろし
いかなる人か
物思ものもはざらむ――
 朗々たる名調子で、一種独得の朗詠が湖上の上に漂いました。

         八

 湖面が再び白殺はくさつされて、夜が明けたのか、月が出戻ったのかわからないような気分のうちに、大船も、早手も、みんな隠れてしまっている。その中から、不破の関守氏のいい心持になった懐古の饒舌が続いている、
「いい歌です、ともかく大湖のおもてに船がかりして、ああして安定しているあの大船を見ると、まずこの歌が心頭に上って来ます、単にいい歌とか悪いとかいう批評を超絶した歌です、大きな鳴動であり、大きな姿勢ではありませんか、古今無双です、まさに天地のかんに並び立つものがありませんな」
 関守氏が自己陶酔的に感歎している。その傍らから、お銀様の傲然たる声音こわねで、
「それは、かとりの海――この琵琶湖のことじゃありません、琵琶湖は大きいのなんのと言っても、かぎりの知れた湖です、かとりは海ですからね」
「なるほど……そうおっしゃられると、拙者もそこに、かねがねの疑問を持っていたのです、お言葉通り、かとりの海と人麿ひとまろは詠みました、かとりといえば、たれしもが当然、下総しもうさ常陸ひたち香取かとり鹿島かしまを聯想いたします、はるばるとえびすに近い香取鹿島の大海原おおうなばらに、大船を浮べて碇泊した大らかな気持、誰もそれを想像しないわけにはいかないのですが、拙者はこの歌を酷愛する一人であるにかかわらず、この歌の持つ空間性に、まだ疑いが解けきれないというのは、第一、柿本人麿かきのもとのひとまろという人が、あの時代に、あずまはてなる香取鹿島あたりまで旅をしたことが有るかないかということです。その次には、下総香取の海とすれば、香取のどの地位に船を碇泊せしめたかということです。下総の香取に大船津おおふなづというところがあるにはありますが、仮りにあの辺に船を回漕せしめたとしても、その船は、どういう船の持主によって、ドコの浜から回航されたかということ……一説によりますると、ここのいわゆるかとりの海というのは、下総常陸あたりをあげつらうべきものでない、大津の宮に近い湖岸の一角にかとりの浜、或いはかとりの海と呼ばれた地面、或いは水面が、その当時存在していたのだ、ということを言いますが、或いはそれが正しいかも知れません。そういうことは、池田良斎がよく知っています、我々無関門の鑑賞者は、まずその歌の持った無限に大きな音階と、姿勢に打たれるだけでよろしい、和歌といえども、大きなものになると、しょうすべくして解すべからずでよろしい。たとえば、他に人麿の歌にしてからがです、
ともし火の
明石大門あかしおほと
入らむ日や――
 吟じてごらんなさい、声は千年の深韻を以て響き、調べは千古の心に微妙にみ渡るです。拙者はこれがまた大好きな歌の一つでしてね、これを吟ずると陶酔するです。ところが、この歌の全体の解釈に至ってみると、人麿が西海から帰る時の歌だか、西国へ向って出て行く時の歌だか、その帰趨きすうはなはだ不明瞭を極めてくるという次第ですが、そういう解釈の如何いかんにかかわらず、その想に驚き、調べに酔わされることは渾心的こんしんてきです」
 お銀様を前にして、こういう歌物語をはじめている。広長舌は必ずしも弁信法師の専売ではない、ということはわかるのですが、いったい今時、船をこんなにまで急がせながら、乗り手ときてはこの通りの悠長さ、それに第一、女性の方は女王であり、男性の方はその総参謀長であるべき身が、二人ともに山を出てしまったのでは、留守のことも思われるではないか。
 そもそもこの二人は、何の要あってか、かくも急行船に乗り、いずれの地に向って走り行くものか。沿岸に向って、遠く大津朝廷の故事をしのび奉り、或いは藤樹先生とうじゅせんせいの遺蹟に巡礼するというようなことをするには、他にその人もあり、時もあろうというもの。行きがかり上、風流をこそ談ずるらしいが、少なくともこの二人が舟を急がせて行く以上は、左様に漫然たる遊歴の旅ではないにきまっている。
 そこで、この行程の底を割ってしまえば、実は不破の関守氏のたっての献策で、お銀様を父親伊太夫に会わせにやるのです。
 父といえども、きたり見るなら格別、行いて礼をすべきなんらの心構えを持たないという女王様を、不破の関守氏が説いて、口説くどき落して、自分が介添かいぞえとなって、いま大津の宿に逗留の日を送っているという父の伊太夫を、これから訪問せしめようとすることに成功して、善は急げと急ピッチを上げさせた、これがこの早手の飛ぶ使命の全部なのです。
 訪ぬべき当のぬしは、今し問題の大船にあって、竹生の島の前面に船がかりをしているのだから、かくも急ピッチで早手が大津方面へ乗りつけてみたところで、その当座は当然行違いにきまっている。そういうことは知ろう由もない不破の関守氏には、この女王を父に会わせれば会わせるで、そこに相当の秘策がある。この女王様を父と会わせるに就いては、自分が介添となるべきことを最も有利なりと信ずるものがあればこそ、彼は女王を擁して、善は急げで、内外の多事多端なる責任の地位を抛擲ほうてきして急行しつつあるものでしたが、その秘策のいかなるものであって、成功すべきや、せざるべきやは未来の疑問としましても、お銀様の黒幕にこの人がいることは、伊太夫の傍らにお角さんが取巻いているよりは、遥かに智嚢ちのうが豊かで、舞台が大きいことは申すまでもありますまい。

         九

 西国旅行をかこつけに、そこは親心の甘さで、胆吹王国のやんちゃ娘の行動視察を眼目とする伊太夫が大津にいない時に、お銀様と不破の関守氏の一行は大津へ着きました。
 当座の行違いになってしまったのですが、その際、当座の在と不在の如きは、さのみ問題ではない。関守氏は、目的地に着いたからといって、驀直ばくじきに目的に向ってこせつくような軽策を取らない。悠々としてお銀様を押立てて別に宿を取って長期の形を構え、副目的が主目的を牽制しつつ、その帰るを待つことを遅しとしない策戦を取りました。
 この総参謀長不破の関守氏は、女王様を盛り立てて、これに絶対服従の範を示すと共に、一方には女王様を後見して、これを教育するの心がけを忘れない、ただ、その教育ぶりがあくまで六韜三略的りくとうさんりゃくてきであることが、この人の特徴になっている。美濃に縁があるだけに、竹中半兵衛式の芝居がついて廻るように思われる。その点に於ては、この人も、お角さん同様の興行師的素質を多分に持ち合わせていると見なければならない。ただしかし、野心満々たる不破の関守氏が、お銀様を動かして父に会わしめようとする魂胆の裏には、やはり、伊太夫の金力があると見なければならないことは確実だが、お角親方の方は、いかに腕によりをかけてみたところで、タカが仕込みとか仕打ちとかの融通の水の手がつなげればよろしい、あえて伊太夫の身上にビクとも響くものではないが、不破の関守氏などにへたをやられると、一国一城を寝かしたり起したりするくらいのことはやり兼ねないから、伊太夫の富といえども必ずしも気は許せない。しかし、いいことにはみな善人です。不破の関守氏は野心家なりといえども、本来、野心そのものを楽しむ、これも一種の芸術家であって、破壊と復讐とを念とする革命家ではないから、この点は充分の御安心を願っておいてよろしいのです。
 とにかくに、この早手は翌日の夕方、無事に大津の石浜に着くと同時に、早くも宵闇よいやみにまぎれて、町のいずれかに姿を消してしまいました。
 大津の町といえども、伊太夫でさえ騒々しさを避けるくらいの時代でしたから、空気がなんとなく動揺している間へ、こっそりと上陸したこの一行は、別段、出迎えるものもなく、目ざされる憂いもなく、ほんとうに尋常な気分で着いて、尋常な気分で散じてしまったのは、一つは不破の関守氏の用意のほどもあることでしょう。
 かくて不破の関守氏は、お銀様を、本陣へも、脇本陣へも、自分もろともに送り込むことをせずに、いつ、何によって、ドコへついたという形跡もないようにして、その翌日になるとお銀様は、もう長安寺山の牛塚の上、小町のいおりへ、十年住み慣れたもののように納まっておりました。
 昨夜、お銀様をここに納めて置いてからの不破の関守氏は、胆吹から率いて来た一僕を召しつれて、たちまち市中郊外のいずれへか姿を消してしまいました。
 ここにお銀様の当座の庵は、関寺小町せきでらこまちの遺跡だということですが、それはしかとした考証があるわけではありません、小町の晩年が、関寺にロマンスを残すのは、小町らしい時とところとを得たものであるが、史実としては、どの辺まで真実か、それはわからないが、小町と関寺とは切っても切れない余生の道場として残されているから、しかるべきところへ、しかるべき土を盛りさえすれば、それが小町塚になり、しかるべきところへ、しかるべき庵を結びさえすれば、小町庵となるべきものです。お銀様がいま納まった庵も、小町をいただくにふさわしい形勝の地でないということはありません。
 形勝というよりも、第一、便利なことです。土地柄が町とは離れているが、街道とはさのみ遠くはない。高観音たかかんのんの右に当って、当然、地は長良山ながらやまの一角で高層を成しているだけに、市中並びに人馬の喧噪からは相当隔離されているし、そうかといって、煙塵を絶ち、米塩に事を欠くほどに浮世離れはしていないのですから、かりそめの閑者を扱うためには甚だ便利がよいのです。それに加うるに、婆やが一人いて、留守番を兼ねて、身の廻りのことは何でもしてくれる、そういう好都合を、あらかじめ抜かりなく打合わせて、女王様の我儘わがままが妨げられない生活が、来着同時に実現されることになったのは、単に不破の関守氏の働きというのみではなく、およそ湖上湖辺のことに関する限りに於て、ドノ辺のふちにカムルチがみ、どの辺の山路にはムラダチが生えているということをまで心得ている、かの知善院寄留の青嵐居士のよそながらの斡旋あっせんが、大きにあずかって力あるのでないかと思われることです。すなわち、青嵐居士の添書てんしょで、居士の知人であるところの、この長安寺の住職へあらかじめ諒解が届いていたものですから、万事が極めて素直に運んでいるのだろうと思われることです。
 青嵐居士といえば、あれから早くも、胆吹王国のオブザアバーとなって、今では自分から興味をもって、あの上平館かみひらやかたの留守師団長をつとめているのです。あれだけの人物を留守師団長として留め得たればこそ、女王様も、参謀総長も、かく安心して、悠々乎たる、自適然たる旅――というよりも外出の程度なのですが、それができるというものでしょう。事実、留守師団長というよりは、この人の存在は、胆吹王国の女王代理、臨時総理の役目をまで兼務しているのでありました。

         十

 お銀様を小町塚のいおりに安定せしめて置いた不破の関守氏は、その夜は引返し大津の本陣の、つまり伊太夫の宿についたようでしたが、翌早朝には、例の一僕を召しつれて、旅装かいがいしく本陣を立ち出でました。
 出がけに、程遠からぬ小町塚の庵へ立寄った不破の関守氏は、縁に腰をかけて、敷居越しにお銀様に向って話しかける様は、
「あいにくのことで、行違いとなりました、御尊父は船で竹生島詣でにおいでになった、そのあとへ我々は乗込んだという次第です。しかし、ホンの外出の程度ですから、直ぐに戻っておいでになる……といっても、今日明日というわけには参りますまい、単純な竹生島見物だけですと、日帰りにもやってやれないことはないですが、なんにしても避難の意味を兼ねての船出なんですから、存外、日数を要するかも知れません。湖辺湖岸は、御承知の通り物騒で、宿々の旅籠はたごがかえって体よく客を追い立てるという際ですから、鄭重な客には湖上への避難をおすすめ申してはおるようなものの、それとても限度がござります、長期ならば長期のように、心構えをしてお待ち申すだけのことですが、長期と申しましても、先は見えているのですから」
 そのことの報告を兼ねて、お銀様に長期応戦の秘策を授け、自分は身軽く立って、その裏山から尾蔵寺びぞうじの歓喜天へ出て、それから長等神社ながらじんじゃ境内けいだいを抜けて小関おぜき越えにかかりましたのです。
 小関はすなわち逢坂おうさかの関の裏道であって、本道は名にし負う東海道の要衝であるにかかわらず、この裏道には、なお平安朝の名残なごりをとどめて、どうかすると、深山幽谷に入るのではないかと疑われたり、義朝よしとも一行が落武者となって、その辺から現われて来るのではないかと疑われるような気分にもなります。
 不破の関守氏は、笠も軽くこの小関越えをなしながら、きこりやまがつに逢うと、おさだまりのように、
「この道を真直ぐに行くと山科やましなへ出ることに間違いはありますまいな。時に、この道中には目洗い地蔵というのはございませんか」
 そういうような発問をして、道を誤らずに山科街道まで出てしまいました。
奴茶屋やっこぢゃやはドコになりますか、柳緑花紅の札の辻はどちらですか」
 この質問はナンセンスでした。不破の関守氏らしくもない愚問で、二つの異なった方向を同時に質問したのですから、いわば碁を打つにあたって一度に二石を下ろしたようなもので、いたずらに相手方を当惑せしむるに過ぎません。それでも、奴茶屋は右へ進み、追分の札の辻へは左へ小戻りをしなければならないことを教えられて、暫く立ちどまって首を傾けていたが、暫くして、次なる旅の人をつかまえ、
「山科の光悦屋敷というのはまだ遠いですか。では大谷の風呂の方は……この地点から、まずどちらへ行くのが順で、どちらへ行くのが近いですか。ああ、そうですか、左様でございましたか、しからば、その大谷風呂の方から先に……何とおっしゃる、そのあいだに有名な走井はしりいの泉があって、走餅を売っておりますから御賞翫ごしょうがんくださいですって、よろしい、いただきましょう。では、そういうことに」
 途中での道案内を、そのまま素直に受けて、不破の関守氏は街道を小戻りをして、大谷風呂というのを目ざして進んで行きました。
 そのかん、東海道に名の高い走井の水、それを飲み、同時に名物の走餅、それを味わう気になって関守氏は、そのあとをたずねてみると、教えられたところあたりに乙女の花売りが一人いる、それに向ってたずねてみると、
「走井の井戸は、この石垣のうちにあるのでおますが、ごらんの通り、今ではもう人様の御別荘に買われてしもうたから、旅の方も気儘きままに見るというわけには参りまへんのや」
「はは、公有の名物が、私人の所有に帰してしまったのですか」
 関守氏は、いて走井の泉を見なければならぬ使命というほどのものを感じていない、盛名のがいつかは知らずしかるべき旦那に身受けをされて、囲われたような気分がして、
「では、割愛しましょう」
 野山の花が名門のそのに移し植えられたからといって、その花にいささかも関心のない者が、あえてさのみ執着を持つべきではない。不破の関守氏はあっさりと、走井見物を思いあきらめて、大谷風呂に向って進もうとすると、花売りの方でかえって残り惜しげに、
「でも、何なら、御別荘にはお留守がいらっしゃいますによって、たずねてごろうじませ、手軽う見せて下さるのやろうと存じますさかい」
「そうですか、たとえ個人の所有に帰したとはいえ、手軽に見せてもらえるならば、見せてもらった方が、見せてもらわないよりはよろしい、ひとつ門を叩いてみましょうかな」
 不破の関守氏も、つい、その気になって、小戻りをして、走井の別荘の門をおとのうてみる。犬がえる、同時に小門の下からおびただしい小犬が走り出して来て、関守氏の足もとにまつわる、同時に、中では吠える親犬をしまい込む家人のあわただしい物音が聞えたが、やがて門が内から開かれて、
「お越しやす」
 極めて尋常な女中が一人、現われました。
「有名な走井の水というのは、あなたのお家にあるのですか、旅の者ですが、一見させていただきたい」
「おやすいことでおます、どうぞ、こちらへお入りやして」
 女中に導かれるまでもなく、門からつい一足の右手は、花崗石の高さ三尺、径四尺ぐらいの井筒いづつがあって「走井」と彫ってある、そこから滾々こんこんと水を吹き上げている。
「ははあ、これが走井の水ですか、一杯頂戴――」
 関守氏は柄杓ひしゃくを取って、うがいをして、呑みたくもない水をグッと一口試みてから、
「で、走餅というのは、もうこの辺にございませんか」
「ええ、もう、だいが変りやはりまして」
「そうですか、どうも有難う、お手数をかけました。犬の子が盛んに蕃殖をいたしつつありますな」
「はい」
「いったい、今はどなたの御所有に帰しているのですか、この御別荘と、それからこの井戸は」
「寒雪先生の御別荘になっていやはります」
「寒雪先生とおっしゃるのは、あの樫本寒雪先生かしもとかんせつせんせいのことですか」
「はい、左様でござります」
「そうでしたか、寒雪先生、東海道名代の名物を自分の垣根に取込んでしまうなどは心憎い。そうして先生は、時々これへおいでになりますかな」
「はい、月に一度ぐらいはお見えなさりやす」
「絵を描きにおいでになるのですか、ただ休養にだけいらっしゃるのですか」
 不破の関守氏が、よけいなことまで口に出して聞いてみたのは、樫本寒雪といえば当時、聞えたる有名の画家であって、絵の方に於ても一代の名家だが、貨殖も相当なもので、なかなかに豪奢ごうしゃな生活を営んでいるということも聞き及んでいる。到るところに幾つもの別荘を構えていて、この別荘の如きは、ホンの小附こづけの一つに過ぎまいと思われる。関守氏は走井のほかには、家の建前や庭のこしらえなどにはあまり心をひかれなかったものと見えて、そのまま辞して、早くも大谷風呂の前まで到着しました。
 だらだら坂を少し上って行くと、門があり、植込がある。玄関へかかって、
「頼もう、旅のものでござるが、一風呂浴びさせていただきたい」
 しばらくは返答もなかったが、ややあって、
「お越しやす」
 ようよう現われたのは、やはり女で、しかも今度のは丸髷まるまげのすごいような大年増、玄関に現われるや否や、不破の関守氏とかおを合わせて、
「あら――関守の先生でいらっしゃるわ」
「やあ、これはこれはお宮さん、珍しいところでお目にかかりましたな」
 不破の関守氏が、熱海海岸の場の貫一さんのような発言をして、さすがの策士も、ちょっと度胆どぎもを抜かれたようでしたが、先方も相当、心臓を動揺させたと見えて、
「どうしてまあ、関守の先生、いつごろ、こんなところへ――何はともあれお上りやして……」
 十二分の面見知かおみしりであるらしい相手で、すっかり納まり込んだ関守氏は、玄関に腰うちかけていい気持で草鞋わらじひもを解く。
 それにしても、今日は関守氏、ことのほか艶福の日と見えて、走井の水をたずねた時は花売りの乙女――寒雪画伯の別荘で名所を見せてくれたのが極めて尋常ながら、これも年に於ては不足のない妙齢の処女、こんどこのところへ来て見ると、現われたお宮さんがすごいような丸髷の大年増ときている。しかも、それも双方相当の前知ということであってみると、穏かでない。だがしかしここに現われたお宮さんは、富山家とみやまけの令夫人としては少々凄味が勝ち過ぎているし、ここを訪うて来た関守氏は、貫一君としては少し白髪が有り過ぎる。まずまあ、これも安心して置いてよろしい。

         十一

 長安寺の小町塚のいおりに残されたお銀様は、決して、しかく緩慢にして悠長なものではありません。お銀様はいきどおっている、いかにして何物を憤っているかということは、前巻の終りに次のように記されてあったはずです。

「胆吹の御殿ではお銀様が憤っている。
 お銀様は絶えず憤っている人である。その人が、憤りの上にまた一つの憤りを加えた。
 何を憤っている。
 お雪ちゃんという子が、恩を忘れて裏切りの冒涜ぼうとくの行動をしている、それを憤っているのか。そうではない。
 竜之助という男が、無制限の放縦と、貪婪どんらんと、虚無に盲進する、それを憤っているのか。そうでもない。そんなことはこの暴女王にとっては、憤慨ではなくて、むしろ興味である。
 そもそも、この暴女王が今日に及んで、かくも深く憤りを発しているという所以ゆえんのものは、おのれの夢想する王国が、土台からグラつき出したから、それを見せつけられるがために憤っているのに相違ない。
 人間というやつは度し難いものだ、人間というやつは救うよりは殺した方が慈悲だ、とさえ、ややもすれば観念せしめられることの由を如何いかんともし難い。
 ナゼならば、彼女は己れの強力を傾注して、有象無象をよく生かしてやらんがために事を企てているが、ここに来る奴、集まる奴にロクな奴はない! いや、ここに来る奴、集まる奴にロクな奴がないのではない、およそ生きんことを欲する人間にロクな奴がない! という断案を得ようとして、それを得させまいがために、自ら苦心、焦慮、憤慨しているのである。
 もし、こういう論理を許すとすれば、自分の王国主義を、甘んじて虚無主義に屈服せしむる結果となる、それでは絶滅の使徒、虚無の盲人に笑われるばかりだ。生の哲学から、死の哲学に降服を余儀なくされるばかりだ。
 彼女は、ここに働く人間共の表裏を見せつけられる。人間は働きたいが本能でなく、なまけたいのが本能だ。生をぬすまんがために、表面追従するだけで、生の拡大と鞏固きょうことを欣求ごんぐするような英雄は一人も来やしない。彼等の蔭口を聞いていると、この王国を愚弄ぐろうし、わが暴女王の甘きにタカるあぶら虫のような奴等ばかりだ。こんな連中に世話を焼いてやるべきものではない。残らず叩き出して出直させるに越したことはない! とさえ、この女王を思い迫らせる。
 王国の門をとざし、垣を高くして、いま来ている奴等を残らず叩き出して、新たに出直さす――と言ったところで、彼等をどこへ、どう叩き出して、どこから出直させる。所詮、母の胎内へ押戻して、再び産み直させるよりほかに道はない。
 お銀様は、この深い憤りをおさえて、御殿の一間から琵琶の湖前をながめている。
 憤っているのは、お銀様ばかりではない。道庵というような出しゃばり者を別にしては、誰も彼もが、みんな憤っている――ように見える。およそ今の時勢に、笑ってなんぞいられる奴はない。
 お銀様が、これを深く憤っている時に、城下――御殿下とか、屋敷下とかいうよりは、ここからは城下といった方がふさわしい、胆吹御殿の城下がにわかに物騒がしくなりました。春照、弥高の里で、早鐘が鳴り出しました。
一揆いっきが来るぞ!』
『百姓一揆が押して来たアー』
 どこからともなく響く号叫」

 これが大菩薩峠第十八巻「農奴の巻」の終りの一章でありました。
 お銀様はこの一室に納まって見ると、かなり閑雅で、小町の名をおかして恥かしからぬ古色もあるにはあります。床の間には掛軸があって、長押なげしには額面がある。書架があり、経机があって、一通りの調度がととのっている。茶の間には茶道具一式があり、行燈あんどんもあり、火鉢もある。お銀様が来ても、そこへ坐りさえすれば、あとはもう召使を呼ぶだけになっている。これはあながちこの女王様を迎えんがために、調度を急いだというわけではなく、前住者がついこの間まで居抜いたものを、そっくり置きえただけのものであります。
 床の間の掛軸の、懐紙風かいしふうしたためられた和歌の一首――
花のいろは
 うつりにけりな
   いたつらに
  わか身世にふる
    なかめせしまに
 ここにあるべくしてある文字で、かえって当然過ぎる嫌いはあるが、さりとて、侮るべき筆蹟ではない。筆札ひっさつに志あるお銀様が見ても、心憎いほどの筆づかいであったのは、それは名家の筆蹟を憎むのではない、どうやらこの文字のぬしが、やっぱり女であると思われることから、お銀様の心を幾分いらだたしめました。
「わたしにも、このくらいに書けるか知ら」
 書いた主は何人なんぴとだかわからないが、女の筆のあとと見込んだばっかりに、お銀様が嫉妬心を起したのも、この人としては珍しくありません。ことに行成こうぜい品隲ひんしつし、世尊寺をあげつらうほどの娘ですから、女にしてこれだけの文字が書けるということ、そのことにあるねたみを感じ、同時に自分もこのくらいに書けるか知らとひがんでみたまでなのです。床の間の傍らに、仏壇とも袋戸棚ともつかない一間があって、そこに一体の古びきった彫刻が控えているということは、この室へ入った最初の印象で受取りきっていましたから、今更どうのというわけではありませんが、あれが小町の本当の姿か知らんとお銀様は、その瞬間に感じていたのです。
 その彫刻は二尺ばかりの木彫の坐像で、一見しょうづかのばばとも見える姿をした女性が立膝を構えている。おどろにかぶった白髪と、人を呑みそうな険悪な人相と、あらわにした胸に並んで見える肋骨の併列と、布子ぬのこともかたびらともつかない広袖の一枚を打ちかけた姿と言い、誰が見ても三途さんずの川に頑張って、亡者の着物をぐお婆さんとしか見えないのでありますが、辛うじてそれがしょうづかの婆さんでないことから救われているのは、片手には筆を持って、垂直に穂先を下に向けた一方の手は薄い板っぺらのような物を持添えて立膝の上に置いてある。その薄っぺらな板のようなものが短冊たんざくというものであることを認めることによって、このお婆さんが亡者の衣服を剥ぐことを商売とする人でなく、短冊に対して優にやさしい水茎のあとを走らせることを知る風流の心を持ち得る人種であるということがわかるだけのものです。
 しかし、それほどに、小町というものの通俗にうたわれた容姿風采とは趣を異にしているけれども、彫刻そのものが凡作でない証拠には、この年になっても、どこやらに人に迫るものがある。いにしえは美で人を悩殺したが、今は鬼気を以て人を襲うという凄味があるのは、小町その人の生霊いきりょうこもるというよりも、彫刻師その人の非凡がさせる業に相違ない。眼の高いお銀様は、早くもこの彫刻の非凡さを見て取って、しかしてこれが小町であることに大なる共鳴を感じました。美人としての小町なんぞは語るに足らない、鬼女としての小町、小町としての本性格は、これでなければならないと、お銀様は入室の最初からその木像を愛しました。
 ただ、気に入らないのは、床の間の一方に、算木さんぎや、筮竹ぜいちくや、天眼鏡てんがんきょうといったようなものが置き散らされてあることで、これとても、この室の調子を破るというほどではないが、算木とか筮竹とかいうようなものが、お銀様は嫌いなのです。人間の運命を、人間以外の者に向って伺いを立てるというような不見識が、お銀様の常日頃からのお気に召さないのです。
 ようやく、机によって、間近な書架から書を取って検閲をはじめました。読む気ではない、検閲をしてやるつもりなのです。つまり、今までの前住者が、どれほどの教養があった人か、少なくとも、あの木像を守り、あの歌をかけて置くほどのものが、キングや文芸春秋ばかり読んでもおられまい。古えの小町の名をはずかしめぬぐらいの読書はあってよかりそうなもの、なくてはならぬはずのものと、お銀様は、前住者の器量を見抜くつもりで、書架の書を取って見ると、第一に手に触れた「三世相」――部厚に於ては群を抜いているけれども、これがお銀様の軽蔑を買うには充分の代物しろものでありました。取って投げ出すように「三世相」を下に置いて、次の大判の唐本仕立てなるを取って見ると「周易経伝しゅうえきけいでん」――
 お銀様は「三世相」の余憤を以て、そこにも若干の軽蔑を施しつつ、でも、これは一概に投げ出すようなことをせずして、不承不承にちょうを繰りながら読み下してみました。
「乾 元亨利貞 初九潜竜勿用 九二見竜在田 利見大人」
 何のことかさっぱりわからない。お銀様の学力を以てすれば、文字だけを読み砕くには何の不足もないが、こればかりは文字あるところに直ちに意味が附着して来るのではない。お銀様は何かしら憤りをこらえて、なお読み進んで行くと、
「九三君子終日乾乾夕※(「りっしんべん+易」、第3水準1-84-53)※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)无咎 九四或躍在淵无咎九五飛竜在天利見大人」
 いよいよ読み進んで、いよいよ何のことかわからなくなる。
 お銀様は憤りました。

         十二

 えきを読んで、お銀様が腹を立つ、それは立つ方のお銀様が無理です。孔夫子でさえも、五十初めて学ぶという易を、女王様風情で物にしようというのが大ベラボウのもとなんですが、傲慢ごうまんと、呪詛じゅそと、増長で持ちきっているこの女には、その分別がつかないのです。
 事実、わかるわからないは別として、現在お銀様には歯が立たないのです。立たないのがあたりまえなのですが、それをそうと素直に受けることのできないことが、この女の持つ重大なる不幸でもあり、生存の根拠でもありましたのです。同時に、この女王はこの書物を征服しなければならないという憤りを発しました。この人は早くから世をすねている、人にかおを合わせることを憎んでいる生活が内面に向って、書を読むことは読みました。おそらく、お銀様ほどの年頃で、お銀様ぐらいの読書家はなく、そうしてその読書の範囲に於ては、曲りなりにも自分の見識の立たなかった書物というものは、まず今までになかったのです。四書五経の如きも一度は目を通したことがあるに相違ないのですが、今日ここで単独につきつけられてみると、ほとんど歯が立たない、というよりも、手も足も出ないのです。文字そのものが異った国の文字であるならばとにかく、文字そのものだけは、立派に読みこなすことができて、意味らしいものが、どうにもこうにもつかめないことをお銀様は憤激しました。
 この憤激がお銀様を、無二無三に易伝の中へ突入させましたけれども、いよいよ進んで、いよいよ相手にされない。相手にされないだけならまだしも、相手を征服できないことは、同時に自分が征服されるという意地であってみると、もはや我慢ができない。お銀様は易を読みながら創痍満身そういまんしんになりました。
「ああ、これは読み直さなければならない、今日まで人間の力で読みこなした人がある以上は、わたしにだって読みこなせないはずはない、もしまた本来、何もわからない出鱈目でたらめが書いてあるものとすれば、これが千年も二千年も世の中に残っているはずはないから、この中にはきっと、人間の中の千人に一人か、万人に一人でなければ理解のできない奥深い真理がこもっているに相違ない、もしそうだとすれば、自分もその千人に一人か、万人に一人の人になってみなければならない――」
 えきにぶっつかって創痍満身のお銀様が、からくもここまで反省したことは、さすがでありました。難解には難解に相違ない、いま読んで今わかるという本でないことはわかっている、だが、時日を与えれば、自分もこれをわかってみせる――という持久心を取戻したことが、お銀様のさすがでありました。
 そこで、お銀様は「周易経伝」の巻を伏せて、その一部四冊だけを別にこっちの経机の上に取って置いてから、次へと書棚の検討をつづけました。
 その次に触れたのが「古今集」――これは歯に立つも立たぬもない、自分の家の中庭の花園へ分け入るようなものである。ただ見返しにしるされた、このぬしの墨書すみがきが、なかなかに見事で、しかも女の手、そうして、どうやら床の間の「花の色は」の筆蹟と似通っていることだけです。
 どうも女文字ばかり多いが、ことによるとこの庵の前住者というのが、やっぱり女ではなかったのか、そこへお銀様がふと気を廻してみました。そういうふうに気を廻して見れば見るほど、その気分が全体ににじんで来る。そこへちょうど婆やが別棟からお茶を持って参りました。
「婆や、前にここにいらしった方はどんなお方でした」
「はい、あなた様と同じような女子おなごのお方でいらせられました」
「ああ、そうですか、で、この御本は皆そのお方がごらんになったのですか」
「左様でございます、書物をごらんになり、お歌をお作りになって、よくこの町の娘衆などにも添削てんさくをしておやりになりました」
「そうでしたか、それでは、なかなか学問がお出来になるお方でしたね」
「はい、お身分もすぐれていらしったそうでございますが、学問の方も大したお方で、和歌や文事ふみごとのほかに、易をごらんになりました」
「易というのは、あの身の上判断やなにかのことですか」
「はい、易経と申しまするものは、なかなか身の上判断などに使うべきものではない、貴い書物だとおっしゃりながら、それでも、町の人たちが困ってお頼みにおいでになる時などは、あの算木さんぎ筮竹ぜいちくで易を立てて、噛んで含めるように、ていねいにおさとしをしておやりになりましたものですから、それがために救われたものも多分にございました」
「易を立てて、身の上判断をして、それで暮しを立てていたのですか」
「いいえ、左様ではございません、お礼物れいもつなどは決してお受けになりませんでした、ただ人の気を休めるために筮竹を取るのだとおっしゃいました。お礼などをお受けにならないでも、立派に御身分のあるお方でございまして、大僧正様なども、どうかするとお見えになりましたが、大僧正様と易経のお話をなさいましたことを、わたくしは蔭ながら伺っていたことがございますが、その時におっしゃったお言葉と、身の上判断を頼みに来る人に向ってあそばす易経のおさとしとは、全く違った見識のもののように承っておりました」
 婆やから、こう言って説明されると、お銀様の心がまた穏かならぬものになりました。
 自分で見ては歯の立たないものを、ここの前住の女庵主は、立派に消化しきっているように思われたのが、お銀様の心を少なからずいらだたしめたもののようです。
 こうして書物の検討をしている間に、夕方から雨が降り出しました。

         十三

 小町塚の雨の第一夜を、お銀様は、しめやかな気分のうちに眠りに就きましたが、お銀様としては、こと珍しい環境のうちに、珍しい夢を見るの一夜であります。
 胆吹御殿の上平館の一室も、静かな一室であることに於ては、ここに譲りません。あるいはここよりも一層、懸絶し、沈静している胆吹御殿の女王の一室ではありましたけれど、女王としての権式を以て寝ね、女王としての支配を以て起きるのですから、放たれたる夢を結ぶということは、まずないことでした。
 しかるに、今晩という今晩は、きょうが変れば心が変るのであって、夢が現実から古昔に向って放たれました。関ヶ原以来、歴史にさかのぼった夢を見ることは稀れでありましたのです。
 まず、夢に入り来るところの人は小町でありました。最初の印象の壇の上の、しょうづかの婆さんに紛らわしい関寺小町せきでらこまちが、壇の上からおもむろに下りて来ました。
「どうです、一枚お書きなさいな、あなたもあのくらいに書ける手じゃありませんか、書いてごらんなさいましな」
 自分の片膝に持添えていた短冊と、右の手に七三に下向きに持っていた筆を取添えて、お銀様の前へ突きつけるのであります。そうして、あなたもあのくらいに書ける手じゃありませんか、とそそのかして、ふいと床の間を振向いたところには、やはり夜前、つくづくと見て、心憎さを感じたところの懐紙風のかけものが、そのまままざまざと浮き出している。
花のいろは
 うつりにけりな
   いたつらに
  わか身世にふる
    なかめせしまに
 そう言われると、お銀様にも軽快な競争心といったようなものが動きそめたと見えて、関寺小町のつきつけた筆と色紙しきしとに、手をのべて受取ると、いつのまにか受身が受けられるような立場となって、関寺小町の姿は消えたが、「花の色は」の大懐紙の前に、美しい有髪うはつの尼さんが一人、綸子りんずの着物に色袈裟いろげさをかけて、経机に向って、いま卒都婆小町そとばこまちが授けた短冊に向って歌を案じている。気品も充分だし、尼さんとしては艶色えんしょくしたたるばかりと見られるばかりであります。
 お銀様は夢のうちにも、その尼さんの姿を、やはり心憎いものだと見ました。どこの何という人か知らないが、その美色はとにかく、気品としては、尼宮様と言っても恥かしからぬ高貴の人のようにも思われるが、短冊を取り上げて、和歌を打吟じ打吟じているかと見ているうちに、その手に持つ筆が、いつしか筮竹と変じ、その膝に当てた短冊が算木となって机の上に置かれてある。
「ああ、前住居の女易者――」
 むらむらと、そんなような気分になると同時に、主観と、客観とが、お銀様の夢の中で混合してしまって、夢を見ているのが自分でなくなって、夢に見られているのが自分でもあるように混化してしまいました。
 お銀様自身が、算木筮竹を持って思案する身になってみると、眼前に現われて、しきりに我を悩ますものは、やはり前夜、これにぶっつかって悩まされた易経の中の卦画けかくと、その難解の文章でありました。
 易者としてのお銀様は、算木筮竹をもって吉凶と未来とをうらなっているのではないのです。
 この難解の文字を打砕かんとして苦闘をつづけているのですが、こればっかりは現実で歯が立たなかったように、夢になっても歯が立ちません。
 そうして、現実の時に反抗したと同様の弾力を以て、夢で易経と取組んで、これに悩まされている自分を如何ともすることができません。
 その時、庵外の夜に人のおとなうものがあって、ホトホトと柴折戸しおりどを打叩いている。
 はて、深夜にここまで自分を訪ねて来る人はないはずだ、あるにしても、昨晩からここに宿を求め得たということは、自分も予期してはいなかったし、ここへ着いてはじめて不破の関守氏の肝煎きもいりの結果なのだから、いずれのところからも、深夜に使者の立つ心当りはないのです。取合わないがよろしいと、お銀様も思案をきめまして、そのまま、また卦面けめんに眼を落していると、
「もしもし、女易者様のお住居すまいは、こちら様でございましたか、夜分、まことに恐れ入りますが、思案に余りましたことがございまして、お伺い致しました」
 外でするのは、まだ若々しい男の声に相違ないが、その声音こわねによって見ると、いかにもしおらしい、死出の旅からでもさまよい出して来たもののような、すさまじさがこもるので、お銀様の心も妙にめいりました。だが、滅多に返事を与うべきものではない。そこで、返事がないことを、外ではもどかしがっていると見えて、
「もし、後生一生のお頼みでございます、人の魂二つが、生きようか、死のうか、迷い抜いての上のお訪ねでございます、御庵主様にお願いがあって打ちつれて参りました」
 そう言うのは、こんどは、うら若い女の声でしたから、お銀様の胸が安くありません。
 前の声は、まだ若い男の声で、こんどのは同じほどの女の声。その世にも哀れに打叩く声音というものは、全く血を吐くような切羽せっぱのうめきがあることを、聞きのがすわけにはゆきません。
 それでもお銀様は、なおなんらの応対の返事を与えないでおりましたが、お銀様自身よりも、たまり兼ねたものは別室の婆やでありまして、
「どなた様ですか――何の御用でござりましたか知ら」
と言って、起き上った様子です。
 婆やが立ってくれれば、何とか取仕切って帰してしまうだろう。こういう頼みの客に対しては、易者の玄関番としての日頃の商売柄、うまく扱ってなだめて帰すことには慣れているはずだ。お銀様はこちらにあって、そのことを心恃こころだのみにしていると、しばらくあって、畳ざわりの音が軽いながら入乱れて、どやどやと、この座敷めがけて続いて来る。
「おや――」
と思っているうちに、隔ての襖がサラリとあいて、次の間に手をつかえているのは案内の婆やと、その後ろの暗がりに白く浮いて見えるのは、たしかに若い男女の者の二人。
 おやおや、たのみ甲斐がいもない、うまく扱って帰してしまってくれるとばっかり思っていたのに、その頼みきった婆やが、こちらの一応の内意も聞くことをせずに、先に立って引きつれて来てしまったのでは話にならないではないか。
 だが、つれて来てしまったものは仕方がない、女だてらに声を荒らげて叱り帰すわけにもゆくまいではないか、お銀様もあきれて襖の向うを見渡していると、白く浮いた二人の男女のうちの一人が、
「おはつにお目にかかりまする、わたくしが真三郎でござります」
「わたくしは豊と申しまする」
 許されない先に入りきたった男女の者は、問われない先に、自分の名を名乗ってしまいました。

         十四

「こちらへお入りなさい」
 名乗りまでしかけて来られてみると、お銀様もぜひなく、こちらへ招じ入れないわけにはゆきません。招ぜられて二人は、辞することなく、するすると座敷へ通って程よく並んだと見ると、もう案内の婆やの姿はき消されてしまって、行燈あんどんの下に、しょんぼりと坐っている男女の姿のみを見るのであります。
「夜分、こんなにおそく、恐れ入りましてございますが、七ツの鐘が六つ鳴りまして、あとのもう一つがこの世の聞納めの切ない末期まつごに立到りました故に、どうでもお訪ねを致さねば済まないことになりまして」
 二人はこう言って、行燈の下に、お銀様の前に向って、さめざめと泣くのでありました。
「まあ、何はともあれ、心を安めなくてはなりません、わたしで御相談に乗れますことか、どうか、そのことはわかりませんが、せっかくのことに、お話を伺うだけは伺って置きましょう」
 お銀様はこう、二人の気休めに言います。二人は、なげきのうちにもよろこびました。
「御親切のお言葉、何よりの力でございます、そうして、こんなに夜更けて推参を致しましたのは、二人の狭い胸では、どうしても理解の届かないものがございますので、あらたかな御庵主様の御易面ごえきめんから見て、御判断を賜わりたいのでございます」
 二人が、また声を合わせてかく言う。そこでお銀様が、ははあ、ではこの男女は、わたしを女易者だと信じてやって来たのだな、若い分別の二人の狭い胸では解釈のしきれない迷路に立って、易者の門を叩くということは有りそうなことだ、だが、戸惑いにも程があるという気位になって、お銀様が夢の中にも笑止の思いを致しました。
「わたしには、易はわかりません、易によって判断などは思いもよらないことで、本来、易というものは、人間の身の上判断をするように出来ている文字ではないのです」
とお銀様の言うことは、理に落ちているんだが、二人はそういう理解を聞きに来たものではないのです。
「お聞き下さいませ、わたくしたち二人の者の身の上と申しまするのは……」
 ここで二人の身の上話を話し出されてはたまらない、というような気分にお銀様が促されまして、
「お身の上をお聞き申すには及びませぬ、現在のあなた方の立場と、本心の暗示とを承ればそれでよろしいのです」
 お銀様にこう言われて、若い男女はたしなめられでもしたように感じたと見えて、
「恐れ入りました、現在のわたしたち二人は、死ぬよりほかに道のない二人でございます、ねえ、豊さん、そうではありませんか」
「あい、わたしは、お前を生かして上げたいけれども、こうなっては、お前の心にまかせるほかはありませぬ」
と女から言われて、男はかえって勇み立ち、
「嬉しい!」
 それを女はまたさしとめて、
「まあ、待って下さい」
「いまさら待てとは」
「ねえ、真さん、死ぬと心がきまったら、心静かに落着いて、もう一ぺん考え直してみようではありませんか」
「ああ、お前は、わたしと一緒に死ぬと誓いを立てながら、その口の下から、もうあんなことを言う」
「いいえ、死ぬのは、いつでも死ねますから、死ぬ前に申し残したいことはないか、それをもう一ぺん、思い返して下さい」
「そういう心の隙間すきまが、もうわたしはうらみです、申し残したいことがあれば、どうなるのですか、わたしはもう、この世に於ての未練は少しもありませぬ、片時かたときも早く死出の旅路に出たい」
「それでも、もし、思い残したことが一つでもあっては、その冥路よみじのさわりとやらになるではありませんか」
「もう知らない、もう頼まない、思い直せの、考え直せのと、ゆとりがあるほど、この世に未練があって、死出のあこがれがないのです、そんな水臭い人、もう頼みませぬ」
「聞きわけのない、真さん、たとえ一つでもわたしが姉、目上の言うことは聞かなければなりませぬ」
「いいえ、年がたった一つ上だとて、夫婦めおとの固めをした上は、お前は女房で、夫はわたし、女房というものは、身も心も、みんな夫に任せなければなりませぬ、わしが死ぬというからには、お前も死んでくれるのはあたりまえ」
「真さん、お前と、わたしと、いつ夫婦ふうふの固めをしましたか」
「あれ、まだあんなこと、たった今、お前の命をわしにくれると言うたことを、もう忘れて」
「それは違います、真さん、わたしはお前を好きには好きだけれど、わたしの夫と定めた人は別にあることを、お前の方が忘れている、わたしは、定められた許婚いいなずけの人を嫌って、お前といたずらをしたのです」
「それほどお前、いたずらがいやなら、その定められたお方の方へ行っておしまい、その了見なら、少しも一緒に死んでもらいたくない、一人で死にます、お前の真実心を思うから、死ぬ前に一度会いたいと、ここまで来たのは、わたしの愚痴でした」
「それでも、お前一人が死ぬというものを、わたしが見殺しにできましょうか、昔のことを考えてみて下さい、ねえ、真さん」
「それは、わしの方で言うことです、昔のことを考えれば、いまさらお前が、定まった夫の、許婚のと言われた義理ではありますまい」
「ああ言えばこう言う、お前の片意地――もう聞いて上げませぬ、おたがいにいさかいをするのはもうやめましょうね、こっちへいらっしゃい、黙って死んで上げますから」
「わしも、もう恨みつらみは言い飽きた、黙って死のう、黙って死なして、ね、豊さん、わたしの大好きなお豊さん」
「よう言うてくれました、わたしの大好きな大好きな真さん、さあ、こっちへいらっしゃい、一緒に死んで上げるから」
「わしがお前を先に死なそうか、お前がわしを一思いに殺してたもるか」
「後先を言うのが水臭い、いっしょに死ぬのではありませんか」
「ああ、嬉しい」
「お前、ホンまに嬉しいか」
「離れまいぞ」
「離れまじ」
「未来までも」
「七生までも」
「さあ、お前、これでも生きたいと言わしゃるか」
「ああ、死にたい」
「あれ、真さん、そこは深い」
「深いところがいいの」
「お前ばかり先に深いところへいって、わたしだけが残されるようで、いや、いや」
「そんなら、お前、先にお進みなさい」
「後先を言うのではないはず、後へ引こうにも、先へ行こうにも、二人の身体からだは、この通り結えてあります、動けるなら動いてごらん」
「こうなっても、いやならいやと言うてごらん」
「もう知らない」
「嬉しい、く、く、苦しい」
「わたしも苦しい、水――」
「水――」
「二人は苦しいねえ、真さん」
「二人は嬉しいねえ、豊さん」
 痴態を極めた男女の姿を眼前に見ているお銀様。思案に余って、身の上判断を請うと言って、わざわざ人の寝込みまで襲いながら、人の見る眼の前で、このザマは何だ、相談に来たのではない、心中に来たのだ、しかも、このわたしというものの眼前で、思いきった当てつけぶり、何という愚かな者共。いやいや、わたしが徒然つれづれを慰めんがために、わざわざ芝居をして見せに来たと思えばなんでもない。叱責とあざけりの唇を固く結んで、お銀様が、彼等のす痴態の限りを為し終るまでながめてやろうと、白い眼ににらんでおりますと、行燈が消えました。
 闇かと見ると、その行燈の消えた隙間から一面に白い水――みるみる漫々とひろがって、その岸には遠山の影をひたし、木立の向うに膳所ぜぜの城がかすかにそびえている。昼にここから見た打出うちでの浜の光景が、畳と襖一面にぶち抜いて、さざなみや志賀の浦曲うらわの水がお銀様の脇息きょうそくの下まで、ひたひたと打寄せて来たのでありました。
 その湖のまんなかに、いま見た二つの物影が、浮きつ沈みつもがいている。
 ははあ、今し生命判断を頼んで来た痴態の限りの二人の者、やいばで死ねずに、水で死ぬ気になったのか、愚かなる命の二人よ、とお銀様は、写し絵にうつるような湖面の一巻の終りを飽くまで見据えて、眉一つ動かそうともしません。
 そのうちに、二人のもがき合った湖面の水が逆まいて、怖ろしく浪立ったのはつか、やがて漫々とまたもとの静かさに返ると、急に闇が迫って――おりからゴーンと三井寺の鐘、あつらえたように、お銀様の夢のうちの耳にまで響き渡りました。

         十五

 だが、夢はそこで破れたのではありません。夢の中なる夢路かなという、人生そのもののうつしのような暗示が、お銀様の枕の上で続いているのです。
 動揺した湖面が平らかになって、三井寺の鐘がゴーンと鳴り響いたことに於て一幕の終りとなったかと言うに、さにあらず、静まり返った湖面の風景は暗転にもならず、引返しにもならないで、そっくりいっぱいの大道具のままに運転をしておりましたのですが、なまぐさい風がドコからともなく吹き渡って来て、お銀様の身辺にせまると同時に、湖面湖上いっぱいに黒雲が立ちふさがったものですから、こんなところに長居は無用と、お銀様はそぞろ湖岸を立ち去ろうとすると、突然、湖面の一端が破れて、その穴から、河童かっぱでもあるような、勢いとしては脱兎の如く、浮び出たが早いかかけめぐって、早くもお銀様の行手に立ち塞がったものがあります。
「誰だえ」
「今の、あのわたしでございます」
「おや、お前は、さきほど身の上判断を頼みに来た真三郎さんとやらではないか、お連れのお豊さんはどうしました」
「そのことでございます、あれほどしっかり結びついたものが、とうとう離れてしまいました」
「これはこれは」
「お豊が離れて生きて返ったのか、わたしよりも一層深い底に沈んでしまったのか、それがわかりませぬ」
「やれやれ」
「お豊の行方をつきとめていただきとうございます、そう致しませんと、わたしは死んでも死にきれませぬ」
「それは、わたしの知ったことじゃありません」
 この時、お銀様が厳然として言いました。
「そうおっしゃられると、とりつく島はござりませぬ」
「それも、わたしの知ったことではない、お前さんたちは、あれほど固く結びついていながら、いまさら片方かたかたの行方を人に問うなどとは、あんまり虫がよすぎる」
「でも、湖の深い底へ二人が沈んで行きますると、お豊が離れたのです、離れたがったのは本人の意志ではなく、誰か上の方で、あの女の後ろ髪をしきりに引くものがあるので、それでお豊がわたしから離れてしまいました」
「誰が、心中者の後ろ髪なんぞ引くもんですか」
「誰彼と申しましょう、あなた様のほかにはその人がございません」
「何を言います、ではお前さんは、お豊さんとやらの後ろ髪を引いて、この世に引戻したのは、わたしの仕業だとおっしゃるのですか」
「あなたでなくして、ほかに誰がおりましょう」
「ようござんす、では、わたしがそのお節介役せっかいやくを引受けたとしましょう、お前さんだけを死なして、あの女子おなごを引戻したのがわたしだとしたら、お前さんはどうします」
「恨みます、七生までも」
「恨んで、どうなさいます」
「あなたの身の上にとりついて、一生のうちに必ず、あなたを亡ぼしてお目にかけます」
「おやおや、たいへんな執念ですね、一生のうちに、わたしを亡ぼすとおっしゃるが、一生の後に亡びない生命がどこにありますか」
「いいえ、亡ぼすにもただは亡ぼしませぬ、こうだと思い知らせて上げるだけの亡ぼし方で、亡ぼします」
「なお大変なことになりましたねえ、長い目で見ておりましょう」
「見ておいでなさい、そうら、竜神の森が焼けました、あそこに斬られているのは、ありゃ誰だと思召おぼしめしますか」
「そんなことを、わたしが知るものですか」
「金蔵なんです、金蔵の奴、わたしの恨みで死にました」
「ははあ、では、少し見当違いになりましたね、最初のもくろみでは、わたしの身の上にとりついてやるとおっしゃったようですが、いつのまにか金蔵さんとやらの方へ振替わりましたね、お門違いじゃないかね」
「違いはありません。それから、もっと恨みなのは机竜之助という奴なんです、あれがお豊を自由にしてしまいました、お聞きの通りお豊は、わたしのために死ぬんじゃない、わたしを殺して死ぬんだと、あの時にうわごとのようなことを言いましたが、今ぞ思い当るところがお有りでございましょう、真三郎のために死んでくれたというのは嘘でした、あの人は竜之助の奴のために自由にされたのです、あの男のために死にました、あの男のために死んでやりました、恨みです」
「その机竜之助とやらいう男ならば、かまわないから、うんと取りついておやりなさい」
 お銀様から冷然として言い放されると、水死人は躍起となって、
「それを言われると、わたしの五体が裂けます、お豊もお豊です、わたしを水の底へ追い込んで置いて、自分は立戻って好きな男と勝手な真似まねをした女――ですから、あれの末期まつごをごらんなさい、鳥は古巣へ帰れども、往きて帰らぬ死出の旅――おっつけ、わたしのあとを追って地獄へ来るあの女のかおが見てやりたい。いいえ、こちらへ来たら、また私は可愛がってやります。お豊、おいで、わたしはお前を憎めない」
「おやおや、たいそう甘いんですね、ですが、その通り、あの人なんぞは本当に哀れむべき人で、憎むべき人ではありませんよ」
「よくおっしゃって下さいました、お豊は憎い女じゃありませんね」
「憎いものですか、あなたのために死んで上げたのも嘘じゃないのです、一人は死に、一人は助かったのも当人の了見じゃありません、運命のいたずらというものです」
「そうかも知れません、人間の力ではどうにもならない――まして、あの気の弱いお豊さんの力などで、この運命の大きな力というものがどうなるものですか、お豊を憎むことは、やめましょう」
「それがよろしいです、あの人は憎める人ではありません、憎むとすれば、憎んでも憎み切れない人が、まだほかにいくらもあるはずです」
「誰を憎んだらいいでしょうね」
「まず運命のいたずらを憎みなさい」
「憎みます」
「その次には、大和の国の三輪の大明神のいたずらを憎みなさい」
「え」
「三輪の大明神の神杉が、お豊さんをあやまりました」
「滅相な、神様を恨むとばちが当ります」
「それでは机竜之助を憎んでおやりなさい」
「憎みます、憎んでも憎み足りないと思いますが、残念ながら、今のところは歯が立たないのです」
「植田丹後守を憎んでおやりなさい」
「憎みます」
「薬屋源太郎を憎んでおやりなさい」
「憎みます」
「みそぎの滝の行者を憎んでおやりなさい」
「憎みます」
「竜神八所の人を憎んでおやりなさい」
「憎みます、一人残らず憎みます、まして、あの藍玉屋あいだまやの金蔵という奴、室町屋という温泉宿を開いておりましたあいつを最も憎んでやりたい、あいつが、お豊をいいように致しました」
「いいえ、あの男も、それほど憎むべき男じゃないのです、かえって哀れむべき男なのです、最も同情すべき好人物なのですよ。幽霊の戸惑いは落語にもなりませんから、恨むにしろ、憎むにしろ、よく気をつけてしないといけません」
「憎い、憎い、誰もが憎い、お豊の身体からだと魂とを、わたしの手から奪い取って、再び世間のなぶりものにした、すべての人を憎みます、のろいます、恨みます」
「そう言うお前さんは、真三郎さんという優男やさおとこの本色を失って、どうやら、金蔵さんとやらの不良が乗りうつっているようです」
「そんなはずはございません」
「それでもそうとしか見えません、致されるものが致されてしまいました、人を呪わば穴二つということがそれなんです、あんまり強く人を恨んで人につきたがるものですから、かえって、お前さんが人につかれてしまいました。今のお前さんの狂態痴態というものを見ていると、京の六条でうたわれた大家のぼんち真三郎はんの本色は少しもなく、あの三輪の里の不良少年が、そっくり乗りうつりの形になっておりますよ、お気をおつけなさい」
「左様でございましたか、つい、とりのぼせましたために、見苦しいところをごらんに入れて、まことに相済みません、改めて自省を致します」
「殊勝なことです、そういうやわらいだ気持になることが自分を救います、同時に人を救うわけになるのですね、憎み、恨み、呪うことによって、決して、自分も、人も、救われるということはありませんからね」
「有難うございます」
「昔の真さんにおかえりなさい」
「そう致しましょう」
「真さん」
「はい」
「京の六条の蔦屋つたやぼんちの色男の真三郎さんは、あなたですか」
「はい」
「人を憎むことをやめて、人を愛しましょうよ」
「はい」
「そんなに、しゃちょこばらないで、こっちへいらっしゃいよ」
「はい」
「わたしもさびしいんです、秋の夜長でしょう、小町塚でしょう」
「はい」
「卒都婆小町、関寺小町はあんまり寂しいねえ」
「はい」
「少しは察して頂戴な――お前さんのような優男をおとぎにして、このながながし夜を一人ならず明かしてみたい、弁慶と小町は馬鹿だと言いました」
「はい」
「まあ、可愛らしいこと、身じまいを直しているところが何という頼もしいんでしょう、そうして身なりをきちんとし、髪を取上げたところは、どう見ても水の垂れる色男――お豊さんとやらがれるも無理はない」
「はい」
「お豊さんのためには死んで上げたけれども、わたしのためにはどうして下さるの」
「…………」
「そんなに、もじもじしないで、こっちへお入りなさい、誰も取って食おうとは言いませんよ」
「…………」
「そんな気の弱い、それは意気地無しというものです、女が許してお伽を命ずるのに、それを聞かない男がありますか」
「…………」
「どうしたのです、その突っころばしは、あんまり骨がないので歯がかゆい」
 れ立ったお銀様は、もう経机の前に経かたびらを装うて、算木さんぎ筮竹ぜいちくろうしている女易者の自分でなく、深々と旅寝の夜具に埋もれて所在のない寝姿を、われと我が身に輾転してみるお銀様でありました。
 お銀様から迫られた色男の真三郎は、もじもじして一方に固まっていたが、急にふるえ上って、
「もし……念のために伺いますが、ここはあの吉田御殿とやらではございませぬかいのう」
「何を言っているのです、吉田がどうしました、御殿がどうしました、近江の国は長等山ながらやまふもと、長安寺の境内けいだい、小町塚のいおりがここなんですよ」
 それが耳に入らないと見えて、真三郎は立ち上って、
「そうして、あなた様は、その吉田御殿におすまいになる千姫様ではござりますまいか、もしや……」
「まだ何か言っている、千姫がどうしたというのですよ」
 お銀様自身が荒っぽく寝返りを打ったのは、身体からだが熱く溶け出して来たようで、どうにもたまらなくなったからです。
「講釈に承りますると、参州の吉田御殿というお城の上の高いやぐらから、千姫様が東海道を通る男という男をごらんになって、お気が向いた男はみんな召上げておとぎになさるということでござんす」
「そんな話もありましたね、そういう事実も、まるっきり跡形なしのことではありますまいよ」
「わたしも、実はあの時、千姫様のお目にとまった一人なんでございまして」
「おやおや、それはお安くない、千姫様のお目に留まって、さだめて、たんまりと可愛がられたことであろうのう」
「御免下さい」
「逃げるのですか」
こわくなりました」
「意気地なし、幽霊のくせに、人間を怖がって逃げる奴があるものですか」
「でも、怖くなりましたから、これで御免をこうむります」
「逃げるとは卑怯です、逃がしません」
「お豊に申しわけがない」
「何を言っているの、お豊はお前にそむいた女じゃないか」
「でも、お豊に済みません」
「済むも済まないもあったことじゃない、お前のようないい男は、女にもてあそばれなければならない運命に置かれてあるのですよ」
「なぶり殺しでございますか、もうたくさんでございます、吉田御殿の裏井戸には、千姫様に弄ばれた男の骸骨でいっぱいでございました、わたしは怖い」
「意気地なし」
「逃がして下さい」
「逃がさない」
「罪です」
「罪なんぞ知らない」
 かわいそうに、迷って出るにところを欠き、とりつくに人を欠いて、偶然にも暴女王の前へ出現したばっかりに、可憐かれんな色男は逆に取って押えられてしまいました。幽霊が人間の手につかまって、じたばたして悲鳴をあげる醜態、見られたものではありません。一方、傲然として圧服的にのしかかる女王様――閑寂なる秋の夜が、人間性の争闘の血みどろな戦場に変りつつある。あまりの騒々しさに、
「大分お騒がしいことですね、もう夜が明けますよ」
 衝立ついたての後ろから、ぬっとおもてを現わして、にたにたと笑っているのは、しょうづかのばばに紛らわしいあの晩年の小野の小町の成れの果ての木像の精が、生きて抜け出して物を言っているのです。

         十六

 お銀様も小町にこうして出られてみると、さすがに面はゆいものがある、大いにテレて力がゆるむ隙を、得たりと振りもぎって前にのがれようとしたが、真三郎が何に怖れたか、急に方向を転じて、後ろへ逃げて、かえってお銀様の夜具の裾へ隠れるという窮態になってしまいました。
「あんまり弱い者いじめをしないがいいぜ、ことに女が男を脅迫するなんぞは、見て見いい図ではないぜ」
 衝立の後ろから半身を現わして、二度目にこう言ったのは関寺小町ではなくて、顔色の蒼白そうはくな、月代さかやきの長い机竜之助でありました。小町に向っては悪いところを見られたとテレきったお銀様も、竜之助に対しては少しも引け目を感じません。
「あんまりいい図でないところを見せて、お気の毒さま、あなたこそ、いったい何だって、こんなバツの悪いところへ出しゃばるのですか」
「琵琶湖の舟遊びに行った帰り途、つい何だかここが物騒がしいから、のぞいて見る気になったのだよ」
 竜之助も人を食った返答なのですが、お銀様はやっぱり逆襲的に、
「人のことを気に病むより、自分の脚下あしもとにお気をつけなさい、いったい、あなたは誰とどこへ行っていたのです」
「そう来るだろうと思っていた、どうもつい遊び過ぎて申しわけがない」
 竜之助が人を食った調子で、わびごとのような言葉で頭をかくと、不意にその足許から、
「わあっ」
と泣き伏した者があります。お銀様もちょっとこれには驚かされたが、すぐに冷静を取戻して、
「お雪さんだね、泣かなくてもいいでしょう」
「お嬢様、御免下さいませ、先生を連れ出したのは、わたくしでございます」
「そうさ、小娘と小袋は油断がならないと昔からきまっている、そんなこと、うから、こっちは感づいているのですよ」
「あんまり月がよかったものですから、鬱屈うっくつしてらっしゃる先生に湖上の月をお見せ申して、慰めて上げたいと思ったばっかりに……」
「お雪さんらしくもない、そらぞらしい申しわけ、目の悪い人に月が見せられますか」
「申しわけがございません」
「でも、よく帰って来てくれましたね」
「面目次第もございません」
「面白かったでしょう、相合舟あいあいぶねで、夜もすがら湖の月を二人占めにするなんて、王侯もこれをし難い風流なんですね、わたしなんぞも一生に一度、そんな思いをしてみたい」
 お銀様が針を含んで突っかかるのを、竜之助がとりなして、
「いや味を言うなよ、本来、お雪ちゃんにちっとも罪はないんだ、この人は一種のロマンチストで、自由行動が罪であっても罪にならない無邪気な少女なんだ、もし誤っているとすれば、誤らせた誰かが悪いので、世人は憎むべきじゃない、かんべんしてやってくれ」
「いいです、わたしは、ちっとも人を責める気なんぞはありゃしませんよ、今も二人の心中者が来ましてね、憎むの、恨むのと口説くどいているから、わたしが説法をして上げたところなんです。でも、あなた方は湖中で心中をしなくてようござんした、わたしは、あの勢いでは、お前さん方も、前に来た人たちと同じように、湖水の中へ、おっこちるんじゃないかとタカをくくっていましたが、まだ死んでしまいもせず、生恥もさらさず、どうやらここまで戻って来てくれたことだけでも、わたしは嬉しいと思いますよ。お雪さん、泣かないで、こっちへお入り」
「お嬢様に合わせるかおがございません」
「だって、いつまでも、そうして泣き伏しているわけにはゆきますまい、こっちへお入りなさい、みんなして仲よく秋の夜話をしましょうよ」
「そうおっしゃっていただくと、なおさら面目がございません、わたくしは、このまま消えてなくなります」
「おや、消えてなくなるとはすごいですね、せっかく、助かって戻ってくれたのを喜んで上げるのに、消えてなくなるなんぞとはえんぎが悪いのねえ」
「御機嫌にさわって重々申しわけがございませんが、消えてなくなると申しましたのは、また死を急いで死にに行くという意味ではございません、わたくしは、このままお許しをいただいて、もうどなたにも面を合わせずに、ひとり大阪の親戚へ帰ってしまうつもりでございます」
「おや、お雪さんには大阪に御親戚がありましたの」
「はい」
「そこで、音なしの先生は、これからどうあそばしますつもり?」
 お銀様から反問的に問いかけられて竜之助が、所在なさそうに、
「拙者は、ついこの近いところの大谷風呂というのへ暫く逗留させられることになったから、そこで当分養生をしようと思っているのだ、近いところだから、話しにおいでなさい、いつでも風呂が沸いているし、おさかなもあるし、別嬪べっぴんもいる」
「有難う、では、近いうちにお伺い致しましょう。おや、もうお帰りなの?」
「夜が明けそうだから」
「夜が明けては悪いのか知ら」
「でも、お雪ちゃんがかわいそうで、なるべく人目にかけないように落してやりたいからな」
「なるほど、その心づかいも悪くありません、人目にかけないようにして、行きたいというところへ行かしておやりなさい」
「お嬢様、有難うございます、それでは、わたくしはこれで失礼をさせていただきます」
「大事にしていらっしゃい」
「御免下さいまし、永々、お世話さまになりました」
「お雪さん、なんぼなんでも、それほどに面目ながらなくてもいいじゃありませんか、せめて面だけは一目見せて行って頂戴な」
「いいえ、わたくしは、このままおゆるしを願いたいのでございます」
 お雪ちゃんは、しおらしくあやまりながら、一方、がんとして泣き伏した面をあげないままで暇乞いとまごいをします。
「そんなら、みんなして追分まで送ろうじゃありませんか」
「そうしましょう、それがいいです」
「さあ、皆さん、お雪さんが大阪へ帰るそうですから、みんなして追分まで送るんですよ」
「拙者は御免蒙ろう」
と竜之助が言うと、お銀様が興ざめた面で、
「どうしてですか、あなただけ」
「あの追分はうるさいんだ、薩摩の野郎かなんかが出て来て、喧嘩を売りかけたりなんぞしてうるさいから、刀の手前、今度は遠慮をした方がいいと思っている」
 そこで鶏の鳴く音が聞える。
「ああ、夜が明けます、明けないうちに」
「では、行って参ります」
「お大切に……ですが、お雪さん、わたしが注意をして上げて置きたいことはね」
 お銀様は、言葉を改めてお雪ちゃんに向い、次のような餞別せんべつの言葉を与えました。
「大阪にお帰りなら、一筋に間違いなく大阪へお帰りなさいよ、途中で魔がさすといけませんからね、間違って三輪の里へなんぞ踏み込もうものなら、今度こそ取返しがつきませんよ、それは申して置きます」
「はい、有難うございます」
 その時にまたしても鶏の鳴く音――
 お銀様の夢が本当に破れました。無論、夢中に現われた人の一人もそこにあるはずはなく、衝立ついたてはあるが、その後ろから正銘のここの雇い婆さんが現われて、
「お目ざめでございますか。昨晩は、たいそうお疲れのようで、よくお休みになりました。今日は雨もすっかり上りました、お天気は大丈夫でございます。それそれ、昨晩お使がございまして、この上の大谷風呂から、あなた様へこのお手紙でございました」
 一封の書状を取って、お銀様の枕許まくらもとに置く。

         十七

 逢坂山おうさかやまの大谷風呂を根拠地とした不破の関守氏は、その翌日はまた飄然ひょうぜんとして、山科から京洛を歩いて、夕方、宿へ戻りました。
「お帰りやす、どちらを歩いておいでやした」
 お宮さんが迎える。
「行き当りばったりで、古物買いをやって来た」
と言って、不破の関守氏は風呂敷包から、そのいわゆる古物の数々を取り出して、お宮さんに見せました。
 古ぼけた木像だの、巻物の片っぱしだの、短い刀だの、こうがい小柄こづかといったようなものが出ました。好きな道で、暇に任せて、古物すなわちこっとうあさりをやって来たものらしい。
「この紙きれは、これは確かに奈良朝ものですよ、古手屋の屏風びょうぶの破れにほの見えたのを、そのまま引っぺがさせて持って来たのだ」
「えろう古いもんでおますな」
「それから、この金仏様かなぶつさま――これが奈良朝よりもう少し古い、飛鳥時代あすかじだいから白鳳はくほうという代物しろものなのだ、これは四条の道具店の隅っこで見つけました」
「よろしい人相してまんな」
「こっちを見給え、ずっと新しく、これがそれ大津絵の初版物なんだ」
「大津絵どすか」
「大津絵といえば、藤娘、ひょうたんなまず、鬼の念仏、弁慶、やっこ、矢の根、座頭ざとう、そんなようなものに限られていると思うのは後世の誤り、初代の大津絵は皆このような仏画なのだ」
「そうどすか」
「それから、ズッと近代に砕けて、これが正銘の珊瑚さんごの五分玉、店主はまがい物と心得て十把一じっぱひとからげにしてあったのを拙者が見出して来た、欲しかったら、お宮さん、君に上げましょう」
「まあ、有難うございます」
といったようなあんばいで、暇つぶしに彼は、山科から京都くんだりを遊んで来たもののようだが、必ずしも、そうばかりではないらしくもある。
 その翌日もまた宿を出かけて、同じような時刻に帰って来て、またこっとう物を懐ろから引張り出して、お宮さん相手に説明する。お宮さん、白鳳期がどうの、弘仁がああのと言ってもよくわからないが、そこは商売柄、いいかげんに調子を合わせると、不破の関守氏も、いい気になって、次から次へでくの坊を引っぱり出して悦に入るが、どうかすると、こっとう以外の珍物を引っぱり出して、よろしかったらこれはお土産みやげとして君に上げようと来るものだから、お宮さんは、思いがけない珊瑚の五分玉だの、たいまいのくしだのというものにありつけるので嬉しがる。
「そないにこっとうばかりあつめて、どないになさいますの、小間物屋さんでもおはじめなさる?」
とお宮さんがあきれるほど、毎日毎日、がらくたをき集めて来る。ある時は脱線して、
「お宮さん、これはダイヤモンドの指輪です、その当時は三百円もしましたよ、よろしかったら君に上げよう」
「まあ、三百円のダイヤモンドだっか」
「今時は、三百円のダイヤなどは誰も振向いても見ないが、その当時はこれが幾つもの人間の運命を左右するほどの魅力があったものだ、今日にすると十倍以上だろうな」
「では、三千円だっか」
「それ以上はするだろう」
「本物だっか」
「はは、それが、お宮さんの魅力となって、貫一の一生を誤らせたというわけなんです、実は……」
 この分だと、貫一の着た高等学校の制服だの、赤樫あかがしの持った鰐皮わにがわのカバンまで探して来るかも知れない。閑話休題としても、当人は閑人気分ひまじんきぶんが充分で、一人で出かけることもあれば、一僕を召しつれて出て戻って来ることもある。
 こっとうが飛び出さない時は、地所家屋のこのごろの相場のことなどが口に出るものですから、風呂の者は、この人はこっとう屋を営み、その掘出しかたがた、地所家屋の売買の周旋もする人だろうぐらいに見ておりました。
 なるほど、外出先を推想してみると、この男はこっとうあさりばかりではない、相当の地所家屋を見つけながら歩いて来るものらしい。現に問題となっている山科の光悦屋敷の如きは、一僕を指図して縄張りまで張って、半日をその測量に費したような形跡もあります。

         十八

 三日目の午後、今日は早帰りをして、風呂につかっていると、三助が一人やって来て、
「お流し致しましょう」
「済まない」
 手拭を渡して不破の関守氏が、背中を向けると、その三助の流しぶりが変っているのに気がつきます。この三助は、背中を流すに片手をつかっている、左手だけしか使わない、最初のうちは勝手だろうと考えていたが、変ですから、不破の関守氏が気をつけて見ると、手んぼうなんです。わざと気取って片手あしらいをして見せるのではない、片手しかないから、そのある方の手だけで働いているのだと認めました。
 しかし、人の不具を認めたからといって、必要なきに注視するのも心なき業だ。片手であろうとも、両手であろうとも、職務そのことだけがつとまりさえすれば何も言うことはない。ところで、その職務が、片手あしらいで両手の持つ働き以上の働きをする器用さに、不破の関守氏が内心舌を捲きました。
「いや、どうも有難う」
 一通りの三助のすることを手際よくやってのけた上に、上り湯を二三ばいたっぷりとかけてくれて、肩をとんとんと三つばかり叩いた気持などというものも、相当にあざやかなもので、なお一杯をなみなみと汲み置きをして、
「ごゆっくり」
と言って、その片手の三助が退却してしまったあと、不破の関守氏は、おあつらえ通り、ゆっくりと湯につかって、さて上りとなって脱衣場へ来て着物を引っかけようとすると胴巻がない。
「やあ――」
と関守氏が、げんなりしたのは、たしかにしてやられたと感じたからです。やられたのは出遊の途中でやられたのか、或いは途中で落してつい知らずここまで来て、いま気がついたのか、その辺に抜かりのある関守氏ではない。たったいま風呂にはいる前に、脱衣ともろともにここへ押し込んで置いた胴巻が今なくなっているのですから、その点に問題はない。しかし、あえて声を高くして盗難を呼ぶ関守氏ではありませんでした。かつまた、かりそめながらこの辺へ、そう貴重品をむやみに持ち込む関守氏でもない。胴巻とは言いながら、小出しの胴巻に過ぎないので、被害は案外軽少であったためにを上げなかったのかも知れない。
 とにかく、的確にこの場で胴巻が紛失したのだが、関守氏は何食わぬかおではない、何盗まれぬ面つきをして、自分の部屋へ戻って来ました。
 部屋へ戻っても、あえて人を呼んで帳場へかけ合うでもなく、全く以て、あきらめてしまっているらしい。
 そこへ、お宮さんが熱いお酒を一本持って来ました。今日も出歩きの道中を少々物語ってから、お宮さんのおしゃくで一ぱいを傾けながら、不破の関守氏が、
「お宮さん、ここの風呂場の若衆わかいしゅは、ちょっと乙な男だね」
「三蔵はんどすか」
「三蔵というのかね、名前はまだ知らないが、なかなか如才なくて、第一腕が器用だ」
「三蔵はん、このごろおいでやはったが、取廻しがよろしいので、なかなか評判ようおます、腕が器用とおっしゃいますが、あんた、あの片一方でな、米搗こめつきから、風呂焚き、流し、剃刀使いまでこまやかになさりますから、みんな感心しておりますのや」
「ははあ、器用な男もあったもんだ、ありゃあれで、なかなか苦労人だよ」
「はい、それに、なかなか気前がようおまして……」
「だから、女に相当騒がれるだろう、あぶないものだぜ、お宮さん」
 冗談半分に、女中を相手に関守氏が聞き得たところによると、右の手なしの番公は、最近ここへ雇われて来た男ではあるが、早くも女中たちの人気を取っているらしい。相当にこの道で苦労した肌合いが、女中連を騒がせていることをも知りました。
 関守氏は、一応お宮さんをからかった末に、こう言いました、
「あの若衆に一ぱいあげたいから、手隙てすきになったらここへ来るように言っておくれ」
 そう言っている口の下に、外の縁側から声がかかって、
「少々御免下さいまし、先刻お風呂の旦那様のお座敷は、こちら様でございましたか、三助でございますが、お忘れ物を持って参上いたしました」
「え、なに、忘れ物を持って来てくれたのかい」
 関守氏がなんだか先手を打たれたような気分で、こちらが少々あわて気味です。

         十九

 その翌日、ここへ来てから第四日目――
 今日は関守氏が、逢坂山の裏手から細道伝いに、大谷風呂の裏口へ下りて来て見ますと、小屋があって、その中で、地がらの米をいているのが例の三助の三蔵でありましたから、言葉をかけました、
「三蔵どん、御精が出るね」
「はい、有難うございます」
 野郎は頬かむりをして、しきりに地がらを踏んでいましたが、本来この小屋の一方には、渓流を利用して小さくとも水車が仕掛けてあって、一本ながら立杵たてぎねが備わっている。水力でやりさえすれば足で踏まなくともいいことになっているのに、わざわざ時間と労力を空費しているとしか見られないものですから、不破の関守氏がたずねました、
「どうして水車を利用しないんだね、万力まんりきけば早いだろうに」
「それが、旦那、そういかないわけがあるんでござんしてな」
「車がこわれたのかい」
「そうじゃございません」
「当時流行の渇水というやつかな」
「なぁーにごらんの通り一本杵いっぽんぎねを落すだけの水はたっぷりあるんでございますがね」
「じゃ、どうして水車をつかわないんだね」
「まあ、聞いておくんなさいまし、水車があっても、水車を使ってはならない、水車御法度ごはっとというお触れが出たんでござんしてね、それで、利用のできる器械をすたらせたままで、わざわざこうして足搗あしづきをやらなきぁならねえ世界になったんでございます」
「とは、またどういういきさつで」
「こういうわけなんでございますよ」
 三助の米搗が説明するところによると、以前は、やっぱりこの地方で、米搗きが頼まれて越後の方からやって来たものだが、近頃になってこの藤尾村というのへ、善造と五兵衛という二人の者が水車を仕掛けた、なにぶん、水車が出来ると、人間の労力より安くて早いことおびただしい。そこで善造と五兵衛がはじめた水車が、みるみる繁昌して、ここへもみを持ち込むものが多くなり、その結果、市中の搗米屋つきごめや米踏人こめふみにんが恐慌を来たして、我々共の職業が干上るから、水車を禁止してもらいたいと其筋に願い出た。そこで水車が禁止されることになった。せっかくの文明の利器がかえってまれて、人間労力の徒費に逆転することになったというわけになるのだが、もう一つ水車禁止の理由には、ここの水車へ持ち込んで米をしらげることの口実で、実は京都へ向けて米の密輸出を企てるものがある。いったい京都の米は近江の一手輸入になっている。一年中この近江から京都へ供給する米が、豊年に於ては七十五万俵、凶年には四十万俵、平均のところ無慮五十万俵の数になっていて、米を京都に入れるにはいちいちかみの番所の検閲を受けて、切手口銭を納めるということになっている。ところがこの藤尾村に水車が出来てから、前記の如く、ここへ持ち込んで米をしらげてもらうという口実の下に、京都へ米を密輸入して、切手口銭のかすりを取るというやからが出て来た。その取締りのために、水車禁止の別の有力な理由が出て来たのである。その上に俵物はいっさい小関越えをしてはならないということになった――そのとばっちりで、ここでも水車を仕かけるには仕かけたが、それを遊ばして置いて、こうしてわざわざ足踏ロールに逆転しているのだという説明を、三蔵から聞いて、不破の関守氏は、
「なるほど、それは機械文明に反抗する人間労力の逆転というものだ」
とひとり合点をしました。
 それから二人の会話が少し途絶とだえていると、その時、不意に腰障子の外から、
「三ちゃん、いる、お茶うけよ」
 姿は見えないで、窓の外から、そっと言葉をかけると同時に、お盆へ何かのせたものを突き出したので、米をいていた三蔵が、やや狼狽気味うろたえぎみで、
「いけねえ、いけねえ、お客様だよ」
 そうすると、何かのせたお盆を中へ突込んで置いて、姿を見せず、何とも言わずに、あたふたと行ってしまう。残る足音を聞いて、三蔵がテレきったのを、不破の関守氏が、ちょっと苦笑いをして、
「何か、御馳走が来たようだね」
「へえ、どうも」
と米搗きが、また一方ならずテレている。
「御馳走が来たら、ついでに、いただいて行こうじゃないか」
 関守氏は人が悪い、炉辺へ侵入して来て、
「三ちゃん、お茶をいれないか、わしが代って米の方を受持ってやる」
「いや、どうも、恐縮でげす」
「遠慮することはないよ、せっかくお茶うけが来たんだから、お茶をいれな、米はわしが搗いてやるよ」
と関守氏が、うすの方へちかよって促すものだから三公も、
「じゃ、お茶を一ついれますかな」
「そうしなさい、拙者もこれで米搗きは苦労したものだよ、昔取った杵柄きねづかだよ」
と言いながら、三公の踏み捨てた地がらへ乗りかかって踏みかけると、その調子が板についている。
「うまいものですな、旦那」
 三公からめられて、不破の関守氏が、
「君よりうまいだろう、さっきから見ていると、君のはものになっていないよ、わしなんぞは書生時代からこれで勉強したもんだ」
「へえ、そうですかね」
「君ぁ、流しをさせちゃうまい、剃刀を使わせても一人前だが、米搗きはまずいよ、生れは越後じゃあるまいな」
「恐れ入りますねえ――どうも場違いなものでござんして、米搗きの方はさっぱりいけません」
「そうだろう、君は関東もんだろう、へたをすると江戸っ児だ、頼まれても江戸からは米搗きは来ないはずだ」
「冷かしちゃいけません、旦那」
「どうして、お前、こんなところで米搗きなんぞをやるようになったのだ」
「旦那、まあ、お茶を一つおあがんなさい」
 三公が炉の鉄瓶を卸して、番茶をいれてすすめましたから、不破の関守氏も地がらから下りて、ふたり炉辺に物語りをはじめ出しました。

         二十

「三ちゃん、このお茶うけはうまいねえ」
「これが海道名代、走餅はしりもちというやつなんでござんして」
「ははあ、これが走餅か。この間、名所の走井はしりいを見ようとしてたずねてみたら、もう人の垣根の中に囲われてしまっていたっけ、走餅はないかと聞いてみると、本家は大津浜の方へ引越したということで、とうとう名物の