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大菩薩峠

農奴の巻

中里介山




         一

 近江の国、草津の宿の矢倉の辻の前に、一ツの「さらもの」がある。
 そこに一個の弾丸黒子だんがんこくしが置かれている。往来の人は、その晒し者の奇怪なグロテスクを一目見ると共に、その直ぐ上に立てられた捨札を一読しないわけにはゆかぬ。その捨札には次の如くしたためられてあります。
この者、農奴の分際を以て恣にてうさんを企てたる段不埒ふらちにつき三日の間晒し置く者也。
 この捨札を前にして、高手小手にいましめられて、晒されている当の主は、知る人は知る、宇治山田の米友でありました。
 彼が、この数日前、長浜の夜を歩いた時に、思いもかけぬ捕手と、だんまりの一場を演じたことは、前冊(恐山の巻)の終りのところに見えている。その米友が、今はもろくもこの運命に立至って、不憫ふびんや、この東海道の要衝の晒し者として見参せしめられている。
 彼は今や、彼相当の観念と度胸とを以て、一語をも語らないで、我をなぶり見る人のかおを見返しているから、その後の委細の事情はわからないながら、右の簡単な立札だけを以て、一応要領を得てく人も、帰る人もある。ところが、この捨札の意味が簡にして要を得ているようで、実は漠としてつかまえどころがないのです。
 そもそも、「この者、農奴の分際」とある農奴の二字が、わかったようで、よくわからないのであります。事実、日本には農民はあるが、農奴というものはない。内容に於て、史実なり現実なりをただしてみれば、それは有り過ぎるほどあるかも知れないが、族籍の上に農奴として計上されたものは、西洋にはいざ知らず、日本には無いはずであります。だが、往来の人は、別段この農奴の文字にはとがめ立てをしないで、
「ははあ、ちょうさん者だな」
「なるほど、ちょうさんでげすな」
ちょうさんおますさかい」
「ふ、ふ、ふ、ちょうさん者めが……」
などと言い捨てて通るものが多い。それによって見ても、農奴の文字よりは、ちょうさんの文字が四民の認識になじみが深いらしい。
 ちょうさんといえば、すでに、ははあ、と何人も即座に納得が行くようになっている。その一面には、農奴は農奴でそれでもよろしい、ちょうさんに至っては、ゆるすべからざるもの、赦さるべからざるもの、ちょうさんの罪なることは、まさにこの刑罰を受くるに価すべくして、免るべからざる適法の運命でもあるかの如く、先入的に通行人の頭を不承せしめて、是非なし、是非なしと、あきらめしむるに充分なる理由があるものと解せられているらしい。
 しからばちょうさんとは何ぞ。

         二

 ちょうさんは即ち「逃散」であります。現代的に読めば「とうさん」と読むことが普通である。「逃」をちょうと読むことと、とう」と読むことだけの相違なのです。これを訓読すれば、「逃げ散る」というのほかはない。
 そこで、農奴なる分際のこのさらものは、「逃散」の罪によって、ここにこの刑に処せられているという観念は明瞭になりましたが、それはただ、捨札に表われている文字だけの意味のことであって、これを本人の方より言えば、宇治山田の米友が、ここで、どうして「農奴」という身分証明のもとに、更に「逃散」という罪名を以て、今日この憂目うきめを見なければならない事態に立至ったのか、その観念に至っては、明瞭なるが如くして、いまはなはだ明瞭を欠くのであります。
 米友が、賤民階級に生れ出でたということは、本人自身も隠すことはしない。しかしながら農奴という身分を自称したこともなければ、未だかつて他称せられたこともありません。やはり米友とても、農業のことを働かせれば働きます。伊勢の拝田村では、宇治橋の河原へかせぎに出る間は、自宅で相当の百姓仕事をやっていたのです。現に胆吹山の王国では、お銀様の支配の下に、ついこの間まで、極めて僅少の時間ではありましたけれども、くわをとって、あらく切りなどを試みていたくらいですから、やってやれないことはないのですけれども、特に農奴という戸籍に数えられていたわけではない。
 それからまた、「逃散」の罪は、盗みの罪ではない。殺しの罪でもない。大抵の場合に於ては、逃げるとか、走るとかいうことは、本罪ではなくて、いわば副罪ということになっている。すなわち、殺しをし、盗みをしたことなどのために、現地に安住がし難くなって、それから他領他国へ――或いは天涯地角へ逃げ走る――ということが順序になっている。他領他国へ逃げ走らんがために、殺しをし、盗みをするということはないのです。はたまた、殺しでもなく、盗みでもなく、人の大切の妻女と合意の上で逃げるという事態に於てすらが、その目的は逃げることが本意ではなく、現住地では越ゆるに越えられぬ人為のいばらがあればこそ、彼等は手に手を取って逃げるのである。
 もし罰するとすれば、やはり殺しに於ける、盗みに於けると同じように、私通であり、姦通であり、そのことに罰せらるべくして、逃散そのことに罪があるべきはずがないのです。
 しかるに、この場の晒し者は、これらのいずれもの罪科に適合せずして、ひとり「逃散」が罪になっている。「逃げ走る」こと、或いは逃げ走ったことだけが罪となっている。観念がはなはだ明瞭なるが如くして、不明瞭なるものではないか。
 にも拘らず、通るほどの人は、いずれもそれに黙会を与えて過ぎ去る。
ちょうさんか――」
ちょうさんではやむを得ない」
ちょうさんでは、どないにもならんさかい」
 畢竟ひっきょうずるに農奴なるが故に「逃散」が罪になるということは、当時の常識に於て、ほぼ納得せられているらしい。
 然らば、農奴なる者に限っては、殺しもせず、盗みもせず、私通も姦通も行わずして、いわば、なんらの罪というべきものがなくして、ただ単に「逃げ走る」ということだけが罪になるのか。
 事実は、まさにその通りなのである。罪があってもなくても、逃げるということがいけない、逃げるということが罪になる。

         三

 胆吹いぶき上平館かみひらやかたの新館の庭の木立で、二人の浪人者が、木蔭に立迷いながら、語音は極めて平常に会話を交わしている――
「ありゃ、身内のものなのです、土地っ子ではありません、ですからこの土地へ来て農奴呼ばわりをされる籍もなければ、ちょうさんの罪を着せられる因縁が全くないのです」
と言っているのは、ほかならぬ元の不破ふわの関の関守氏、今やお銀様の胆吹王国の総理です。それを相手に受けこたえて言う一人の浪人者、
「そうでしょう、数日前、拙者の寓居を訪れてから間もない出来事なのです、あの者がこの土地の者でないことは、拙者もよく存じておりました、しかるにこの土地の農者として、あの男一人がちょうさんの罪をきたという所以ゆえんに至っては……」
と言ったのは、過ぐる日、琵琶の湖畔で、釣を試みていた青嵐居士せいらんこじその人であります。この二人の浪人者は至って穏かな問答ぶりでありましたけれども、その問題は、やはり農奴ちょうさんとの上にかかっている。すなわち草津の宿のさらもののことに就いて、一問一答を試みているのであります。
「ちょっと想像がつきません、洗ってみれば直ちにわかる身の上を、ことさらにいて、彼をこの土地の農民扱いにして、そうして、ちょうさんの罪を着せて晒し者にしたということの処分が、どうも呑込めないのです」
と不破の関守氏が、青嵐居士への受け答えと共に新たなる疑問の主題を提供する。
「それは、ある程度まで想像すればできる、またそれを真正面から見ないで、反間苦肉として見れば、政策的に、時にとっての魂胆がわからない限りでもございませんがね……」
と青嵐居士、かさず相受ける。すなわち不破の関守氏は、宇治山田の米友が、突然ああしてちょうさんの罪を着せられて晒されたことの由に相当面食って、その理由内状のほどがさっぱりわからないと言うと、青嵐居士は、その点は多少想像をたくましうして、魂胆のほどをも見抜いているところがあるに似ている。
「左様でござるかな」
「左様――あの男とは、先日偶然の縁で、長浜の湖畔で対面しましてな、それから拙者の寓居まで立寄らしめたという因縁がござるが、その節、彼は夜分にもかかわらず、振切って町へ出て、それからついにあの始末です、その間の事情を、人伝ひとづてに聞いてみますと、なるほどと思われない事情を含んでいないという限りもございませぬな、あれは一種の人身御供ひとみごくうなのですな、当人から言えば、ばかばかしい人違いの罪科で、代官の方から言えば怪我の功名こうみょう、ではない、功名の怪我を、そのままおとりに使ったという次第であろうと想像するのです」
「なるほど」
 青嵐居士が粘液的に話しぶりを引出すと、不破の関守氏は、他意なく傾聴ぶりを示すのであります。
「後で土地の人に聞きますと、あの晩、思いもかけぬ物凄い一場の場面が、深夜の長浜の街上で行われたそうです。伝うるところによりますと、あの小男はあれで、勇敢無比なる手利きであるそうですな、捕方に向った一方も、その方では名うての腕利きであったが、すでに危なかったそうです。すなわち、さしも腕利きの捕方も、すでにあの小男の一撃のもとに危ない運命にまで立至らせられたものらしいが、半ば以下、形勢が急転して、難なくばくについたものらしい。つまりあの小男は、最初のうちは、自分にやましいところがないから、理不尽の取押え方に極力反抗したけれども、相手が、わかっても、わからなくても、とにかく正当の職権を以て来ているのを認めたから、ぜひなく縛についたという落着らくちゃくらしいのです。ところで縛りは縛ってみたが、連れて来て糺問きゅうもんしてみると、なんらの罪がない――」

         四

「ははあ、わかりました」
 不破の関守氏は、青嵐居士からの一くさりを聞いて、相当の頓悟があったらしく、二度ばかりうなずく。
「罪のないものに刑は行えない、刑を行わんとすれば、相当な罪をきせてかからなければならん、そこであの先生、その政策にひっかかったのだな」
「そうです、時節がら、農民おどしの案山子かかしに決められたという魂胆なのでしょう、案山子として使用するには、不幸にしてあの男は恰好かっこうの条件を備えていたものと認められる」
「ありそうなことです」
 二人はここで、合点して多少の思案にうつりました。
 二人の結論では、宇治山田の米友が、草津の辻で、ああいった運命に落されているのは、要するに時節柄、農民おどしのための案山子として使用せられているのだということの推想と断案とに、あえて異議がないもののようです。
 かりにそうだとしてみても、こういうことをして、あの一人の若者を案山子に使用せねばならない時節柄の、農民の問題の急務ということについては、相当の予備知識がなければならない。
 すなわち、こういうような時節柄であって、もしあやまって土地っ子の一人二人をでも捕えて刑に当て行う段になると、反動を増すばかりである。それをきっかけに暴動を誘発するようなものである。そういう場合に於ては、うじ素姓すじょうもわからない風来者を捕えて、人身御供にして置けば、人気をそらして、群集を煙に捲くこともできるというものである。その意味の案山子としての使用物件には、米友公あたりは恰好の代物しろものと目をつけられたものらしい。そうなると、案山子に使用せられた彼が運命こそ、不幸にも気の毒至極のものと言わなければならぬ。
 青嵐居士は、かねて長浜にいてお銀様一党の行動をうわさに聞いていた。ぜひ一度会ってみたいと、米友にまで、それを言葉にあらわしたことがある。その機縁がもう熟して、ここで二人が対面している。この二人の智者が対面して、談、米友の身の上のことに及んで、その立場がほぼ明瞭になってみると、あれをあのままで見過ごして置くわけにはいくまい。すでに、あれをあのままで見過ごさないとすれば、二人の話題は進行して、いかにしてあの男を救済せんかにある。
 あの男を救済せんとするには、代官を相手にしてかからなければならぬことが、当然わかり過ぎるほどわからなければならぬ。そのお代官も、公儀お代官なのである。徳川幕府直轄の天領お代官ということになる。
 してみれば、二人が打揃って、おとなしく「貰い下げ」運動でも試みようとするようなそんな甘い手では行くまい――だが、多数を率いて示威運動などはこの際、なお悪い――と観念してみたり、或いはまた他に別の手段方法を試むることにでもなるか、いずれにしても、この二人の知恵者が底を割った以上は、あの冤罪えんざいさらものを、あのままで置くわけにはゆくまい。

         五

 徳川時代の法によると、「晒し」というものは、おおよそ三日間を定例とする。三日間を生きたままで晒して置いて、それから生命いのちを取るという段取りになっている。その生命を取る方法には、首斬りもあれば鋸挽のこぎりびきもある。そのうち、坊主だけは、ただ単に「晒し」だけで生命は取らない。いやしくも出家の身として「晒し」にかかることは、生命を取る以上の刑罰に価すると認められたのかも知れない。いつのどの頃の大臣の如く、七年も八年も晒し同様の憂目を見せられた上に、更に二年も三年も実刑を課せられるというような深刻な例は、徳川時代にはなかったらしい。
 してみると、あだしごとはさて置き、宇治山田の米友も、出家でない限り、俗人である限り、三日間こうして晒された上で、生命を取られることに運命がきまっている。とすればかわいそうではないか。当人は、この運命を自覚しているや否や、ものすごく沈黙したなりで、決して口をきかない。役人番卒が何と言っても口をかない。見物が何と言ってののしっても口を利かない。
 こうして、いよいよ二日間完全に晒されてしまった。明日は三日目の「晒し」である。明日が終れば、「晒し」の方はこれでおゆるしになるが、その代り生命の方を召されてしまう。
 さて、こうして二日間、誰ひとり助けに来ようという者はない。貰い下げを歎願に来ようという者もない。また、多数の威力でデモを以て奪還を試みようとする勇気もない。
 それもまたそのはずです。この晒し者に限って、所番地というものが更にわからない。単に「農奴」としてあるだけで、何の郡の、何村の農奴に属するのだか、その人別が書いてない。書いてないだけではない、事実、いずれの村の農奴だか、この騒ぎの中で誰ひとり見知ったものがないのだから、いたずらに面食うのみで、同情を表したくも表するきっかけがない。
 そこがまた、役向の見つけどころかも知れません。
 さて、その日の夕方になると、縛られている米友の前へ、二人のひにんがやって来て、無遠慮に穴を掘り出しました。三尺立方の真四角な穴を掘りにかかりました。
「おい、兄い、よく見て置きな、明日になると、お前のその笠の台と、胴体とが、上と下への生き別れだよ――首が落っこっても痛くねえように、土をやわらかに掘りふくらめといてやるぜ」
と、ひにんが小声で戯れに晒し者に言いかけました。
 それを聞いていい心持がするはずはない。新聞紙上には、議会が自らの墓穴を掘る、というようなことがよく出ているけれど、文字として無雑作むぞうさに扱う分には何でもないが、墓穴というものを目の前で掘られる心持は決していい心持のするものではあるまい。
 米友は、それを黙って聞き流しました。あえて一言のタンカを切るでもなく、むじつを訴えるでもない。明日は、この穴の中へ、自分の素首そっくびが斬り落されて、文字通り身首ところを異にする運命をまざまざと見せつけられながら、米友は何も言わない。
 非人が二人で、三尺立方の穴を、ほとんど掘り上げてしまった時分に、通りに林立している見物の群集の中に、
「あっ!」
と思わず口へ手を当てて、かおの色を変えてこの「晒し」を見直したものがありました。

         六

 この男はキリリとした旅慣れたいでたちで、三度笠をいただいていたが、人混みにまぎれて物好き半分、この「晒し者」を一見すると卒倒するばかりに気色ばんだが、やや落着いて、
「どうしたというんです、ありゃあ」
 そっと、ささやくように、傍らの人に問いかけたものです。
ちょうさん者ですよ」
ちょうさんてのは……」
「つまり、百姓一揆いっきでござんすな」
「あれがですか、あの男が百姓一揆なんですかね」
「へえ、あれ一人が百姓一揆というわけじゃあございませんな――やっぱり一味ととうの一人なんでしてな」
「あれが……」
「左様でござんす、一味ととうのうちでも、ちょうさんを企てた最も罪の重い奴ですから、それであの通り、『晒し』にかかりました、明日あたりは打首という段取りでござんしょう」
「冗談じゃあない――あれが、あの男が、この土地の百姓なんですか」
「そうですなア、さればこそ、ああして『晒し』にかけられるんでげさあ」
「嘘をお言いなさんな」
 あわただしい旅の男が、問答者を相手に気色けしきばんで、
「嘘をおっしゃるな、ありゃあ、この土地の者じゃありませんぜ、あの男は、この国の百姓じゃござんせんぜ」
「でも農奴のうやっこと書いてござんすぜ、捨札をごろうじろ」
「何を書いてあるか知らねえが、あの男はこの土地の百姓じゃあねえ、大違おおちげえだ」
「お前さんの御親類かね」
「ばかにしちゃあいけねえ、お前さんこそ、あの男が百姓だと頑張りなさるんなら、人別にんべつを言ってごらんなさい、どこの何というお百姓さんだか、それを言ってごらんなさい」
「そりゃ知りませんなア、わしゃ、やっぱり通りがかりの者でござんして、人別改め役じゃござんせんから」
「じゃ、何と書いてあるか、読んでごらんなさい、所番地が何と書いてあるか、読んで聞かせておくんなさい」
「それが、ただ農奴だけで、所も、番地も、名前も、記しちゃあござんせん」
「そうらごらんなせえ、あんな百姓があるものか」
「あれが百姓でないとおっしゃるお前さん、ではありゃ何者なんです、御承知なら聞かして下さい」
 今度は、たずねられた方から逆に反問と出かけられると、たずねた方が、やっぱり相当に昂奮して、
「あの男は、ありゃあ、やっぱり旅の者なんだ、ついこの間まで江戸にいた男なんだ、それがお前さん、どうしてこの土地へ来て百姓一揆に加わるひまがあるもんか、人違いだあね、人違いだよ」
「へえ――」
「人違いで『さらし』にかかっちゃあたまらねえ、あいつもまた、そんならそのように何とか言えばいいじゃねえか」
「江戸の方なんですか」
「そうだとも、生れはどこか、よく知らねえが、ついこのじゅうまで永らく江戸に住んでいて、こちとらとも附合いがあるんだ、あいつが、どう間違って、江州ごうしゅうくんだりまで来て、百姓一揆に加担するなんて、物好きにも、人違いにも、方図があらあ。人違いだよ、間違いだよ――晒される奴も晒される奴だが、晒す奴も晒す奴じゃあねえか」
 ここまで来ると、右の江戸者らしい旅の男はいよいよ昂奮して、舌なめずりをしてみたが、急に、自分の昂奮ぶりと、物の言いぶりが、つい知らず度外どはずれになっていたと気がつくと、あわてて自分で自分の口を押えながら、忙がわしく左と右を見廻しました。

         七

 なるほど、そう気がついたのも道理で、この旅の者の物言いぶりがあまり際立ったので、誰も彼もが、晒しを見る眼をうつして、この、ひとり昂奮した旅の者の方へ集中させられるのですから、はっと気がついたのですが、それにしてもこの旅の者が、一方ひとかたならずテレたり、怖れたりする様子が変です。
 あんまり自分の物言いぶりが過ぎたと感じ、彼はテレて、こっそりと口を押えたまま人混みに紛れようと試むるらしい時に、その後ろにいた千草ちぐさ股引ももひきをはいて、菅笠すげがさをかぶり、腹掛をかけたのが、ちょっと後ろからすがるようにして、
「モシ」
と問いただしたものです。
「エ」
 呼びかけられてみると、挨拶をしないわけにはゆかなかったが――挨拶というよりむしろ捨ぜりふで逃げ足と見えたのを、千草股引が、また食留めにでもかかるもののように押迫って、
「あんたはん、あの晒しの男は、この土地の百姓じゃあないとおっしゃいましたか」
「え、その、何ですよ――そうです、そうです、たしかに人違いなんですよ」
と言って、やっぱり振り切るように急ぎ足になるのを千草股引は、透かさず追いかけるようなこなしで、
「お手間は取らせませんが、そこでひとつ、お聞き申したいんですが、あんた様ぁ、あの者の身性みじょうをよく御存じなんですか」
「そりゃ、知ってるといえば知ってるがね、そう言ってわっしにおたずねなさる、お前様はどなただね」
「わしは――あの男の身性を知りたいんでして」
「あの男の身性を知りたければ、係り役人にお聞きなせえな、そうでなければ、直接、御当人に聞いてみなせえ」
「お役人はこわいでしてね。あの御当人は、根っから口を割らねえんだそうでござんしてな。ところで、あんたはんは、どうやらあの『晒し』の身性を御存じらしい、ぜひ、教えていただきてえ」
 全く、その千草股引は、この旅の男を逃がすまいと畳みかけて問いかけるのを、こちらは非常に迷惑がり、
「お上役人も当人も知らねえものを、こっちが知るかなあ。ただ、ちょっと、見たようなことがあるような気がしただけなんだ、何も知りゃあしねえよ、先を急ぐから、まあ、このくらいで御免なせえ」
 旅の男は、もう全く逃げ足で走り出そうとする。つまり、一時の昂奮から、心にもないことを口走ったことを悔い、こんなことから、変なかかわり合いになってはつまらない――と、素早くこの場を外してしまおうとするものごしでした。それと見て取った千草股引が、急に権高くなって、やにわに飛びかかって参りました。
「待ちろ――逃げちゃあいけねえぞ」
「何を……」
 むんずと飛びついて来た千草の股引は、これはただの股引ではありませんでした。充分に腕に覚えのある捕手の一人でした。腕に覚えのあるべきのみならず、前のいきさつを知っている者は、たしかにかおにも見覚えがあるべきはずです。これぞ長浜の夜中の捕物に、現にここに見る宇治山田の米友ほどのものを取って押えて、ここへみごとさらしにかけるまでの手柄を現わした、あの夜の名捕方――とどろきの源松という勘定奉行差廻しの手利てききでありました。
 それに飛びかかられた旅の男――もう四の五もない、ぱっちにかかった雀のように、おっかぶされたかと思うと、
「何を、田舎岡っ引め、しゃらくせえ真似をしやがんな」
 武者ぶりつかれてかえって、度胸が据ったらしい旅の男――窮鼠きゅうそ猫をむというよりも、最初に猫をかぶっていた狐が、ここで本性を現わしたというような逆姿勢となって、
「まだこんなところで手前たちに年貢を納めるにゃ早えやい」
 そこで、またしても大格闘がはじまったかと思う間もなく、旅の男の風合羽がスルリと解けて千草股引の頭の上からかぶさり、その間に股の間をスリ抜けて、一散に逃げました。
失策しまった!」
 さすがの名捕方に空をつかませて、身を翻したそのすばしっこさ。同時にり抜けて走るその足のはやいこと――ここに至って、只のむじなでないことの面目が、群集をあっ! と言わせる。

         八

 とりにがした、名捕方の轟の源松は歯噛みをしました。事実、こんなはずではなかった。有無うむを言わさず引括ひっくくり上げるつもりであったが、相手を甘く見すぎたのか。そうではない、相手が全く意表に出でたからである。意表に出でたといっても、およそ悪いことをするような奴は、いつでも人の意表に出でなければ立行かない商売なのだから、人の思うような壺にばかりはまっていた日には、悪党商売は成り立たないのだから、そういうやからを相手に一枚上を行かなければならない捕方連が、不用意とは言いながら、そう甘い手を用いたはずはないのに、ことに先頃は、ここに見る宇治山田の米友をすら、あのめざましい活劇の下に、最後の鉤縄かぎなわを相手の裾に打込んで首尾よくからめ取ったほどの腕利きが、ここでこんなに無雑作にカスを食わされるとは、気が利かな過ぎるというものであるが――それにはそれでまた理由もあって、実は最初、「待ちろ――逃げちゃあいけねえぞ」と居直った時に、この捕方は早速に相手の利腕をむんずと掴んだつもりでした。ところが掴んだつもりの相手の利腕を掴みそこねてしまったのが意外です。自分ながら腕の狂い方の激しいのに一時、あっとしたが、その掴んだ手ごたえがさっぱりなかったので、はっと狼狽したのも実は無理がない、合羽の下に当然ひそんでいなければならない右の腕が、その相手の旅の男の肩の下に有合わさなかったのです。
 それは、あえて懐ろ手をしていたわけでもなければ、その激しい掴みかかりを引っぱずしたという次第でもない、本来、この旅の男には右の腕がなかったのです。いかな名探偵といえどもないものは掴めない。
 有るべく予期して無かったというのは見込違いではない。誰でも、普通の人間である限り、この合羽の下に二本の腕がある、一方が右腕であれば、一方は当然左腕であることは常識になっている――ところが、この旅の男には、取らるべき利腕の右が存在していなかった。そこでまず殺してかかるべき利腕を殺すことができないのみならず、その掴みそこねたこっちの破綻はたんを透かさず泳がせて置いて、間一髪かんいっぱつに摺り抜けてしまったという早業になるのです――摺り抜けた途端が、すでに走り出したことになる。摺り抜けるのも鮮やかなものだったが、その逃げっぷりがまた一層あざやかなもので――敵も、味方も、あっ! と言って、思わず胸を透かさせたと言いつべき切れっぷりでありました。
 ここまで言ってしまえば、当然このすばしっこい摺抜け者が、がんりきの百蔵という名代なだいやくざ野郎にほかならないことは、定連じょうれんはみな感づいていないはずはないのであります。
 果して、がんりきの百の野郎は、かくの如くしてこの場を走り出しました。
 一方、名探偵の轟は、ひとまずは不意を食って泳がせられたものの、これをこのまま口をあいて見送っている男ではない。
 かくて、白昼、意外な捕物沙汰が街道を驚かして、この事のセンセーションのために、「晒し」そのものの場は閑却されたのみならず、「晒し」見張りの役人非人までが、轟親分の捕方の方へ気を取られて、バラバラと走り出したという乱脈になりました。

         九

 悠々と八景めぐりをして、大津の旅籠はたごへ戻って来た女軽業の親方お角は、戻って見ると、思いがけなくも甲州有野村の伊太夫からたよりのあったのを発見して驚きました。
 伊太夫はすなわちお銀様の父である。自分はこの人からお銀様の附添ならび監督を仰せつかって来たものである。
 その大旦那様が、どうしてまた急に、こっちへお出むきになったのか知ら、なんにしてもこれは、取るものも取りえずに本陣へお伺いをしなければならないと、ともの者共に、そのまま折返して外出を言いつけてから、鏡に向って身なりを直し、髪をき上げたのも女の身だしなみです。
 そもそもお角が、かくもゆるゆると八景めぐりをして道草を食っているのは、一つには胆吹へ道をげた道庵先生を待合せのためであったのですが、その先生は、どうやらまた脱線したらしく、まだなんらのたよりもないところへ、有野村の大尽のお越しという便りを聞いたのは、たしかに意外でした。さても自分は、大尽からあれほどに信任されてお銀様の身を托されながら、お銀様の胆吹へ留まることになったのを留める由もなく、実は、自分の力ではとうてい思いとどまらせることができないと観念して、しばらくお銀様の御意ぎょいのままに任せて置き、またせん様もあるべしと腹をきめていたのを、今ここへこうして突然に、その頼まれ主の大旦那様に見えられてみると、お角として、いささか面目ない次第のものがある。つまり、頭のおさえてのないやんちゃ娘、へたに逆に出るよりは、するようにさせて置いて、飽きの来た時分を待つに越したことはないと考えたればこそ、お角も、米友と道庵とを振替えて、しばし京大阪で気を抜いてから、またここへ出直してのこと――とだいたいそんなふうに考えて、一時お銀様の監督を敬遠することが最上の緩和と考えた次第なのですが、そのなかばへ大旦那に来られてみると、さて、どう復命をしたらよいか、さすがのお角さんも、その辺に大へん気苦労を生ぜざるを得ないで、大旦那様に会ったらば、この点、どう申しわけをしたらよかろうかと、それをとつおいつ考えてみる。
「お角さん、お前という人も、存外頼み甲斐のないお人だね、お前さんに限って、娘を引廻せると信じてお任せしたのに、娘を胆吹山なんぞへおっぽり出して置いて、自分ひとり八景めぐりなんぞは、あんまり暢気のんき過ぎるじゃないか」――もしかして、こんな皮肉を大旦那様から聞かされでもした日には、わたしはやりきれない、困ったねえ……
 まさか伊太夫が、こんなに急に上方かみがたのぼりをして来ようとは夢にも思っていなかったお角、差当っての当惑はかまわないとしても、いささか自分の責任感に及ぶとすると、お角さんの気象としてやりきれないのも無理はない。
 しかしまあ、悪いことをしたわけじゃなし、やむにやまれぬ事情はお話し申せばわかって下さること――観念もして、そこはかと身なりをキリリとしたが、さて出かける前に、お手水場ちょうずばへ入って落着いてという気分になりました。
 お角さんがお手水場を志して、なにげなく縁側をめぐって、秋蘭の植えてあるお手水場のところへやって来て、開き戸を手軽くあけて、厠草履かわやぞうりをつっかけて、内扉へ手をかけて、それを何気なく引いて開く途端――
「おや――」
 お角さんほどの女が、ここでまた一種異様な叫びを立てて立ちすくんだのが、不思議千万でした。

         十

 便所の内扉を開いたままで、お角さんが、「おや」と言って、異様な叫びを立てて立ちすくんだも道理、その便所の中には、先客があって、悠々としゃがみ込んで用を足している最中であったからです。
「無作法千万な!」
 誰でもこう思わなければなりません。このお手水場は、お角さんの座敷に専用のお手水場になっている。そこへ、余人が入っていようとは思いもしなかった。且つまた、誰か臨時に借用したにしたところが、用を足しているならばいるように、内鍵というものもあるし、それがかないとすれば、咳払いぐらいはしてもよかろうもの、それが作法じゃないか。わたしがここへ来た廊下の足音でもわかりそうなものじゃないか。開き戸をあけた音でも気取けどれそうなもの。それを内扉をあけるまで、すまし込んでいて、人に恥をかかせるのはともかく、自分もこんなところを見られていい図じゃあるまい、間抜けめ! とお角が腹が立って、出て来たら横っ面をくらわしてやりたい気持で、扉を外から手強く締め返してやろうとしたその途端に、向うにぬけぬけしゃがんでる奴――しかも女ではない男なんです。そいつが、しゃあしゃあとして、
「こんちは」
と言いました。
「畜生!」
とお角さんは、思わずこういってののしろうとしたが、そのしゃがんでいる奴の面を見ると、
「ナンダ、ナンダ、手前てめえは百の野郎じゃないか、このやくざ野郎」
 お角さんの悪態は悪態にならず、全く面負けの、あきれ返りの捨ゼリフでした。
 こうして、お手水場の中にわだかまっていた奴は、昔は腐れ合いのがんりきの百蔵というやくざ野郎そのものに紛れもないのですから、忌々いまいましくってたまらないながら、喧嘩にもならない。
「馬鹿野郎、なんだい、そのザマは」
 お角さんは、続けざまに怒鳴りつけてみたまでですが、中の野郎はいよいよイケ図々しく、お尻を持上げない。
「たまに来たものを、そんなにガミガミ言わずとものこっちゃあねえか――」
「相変らず図々しい野郎だねえ。だが表玄関からは敷居が高くて来られもすまいねえ、臭い奴は臭いところが相応だよ」
「おっしゃる通り表向きには、やって来られねえ身分だからかんべんしておくんなさい」
「どうして、わたしがこの宿にいることがわかったんだい」
「どうしてったって、そこはじゃの道はへびだあな、お前がこの街道を、どこからどこへつん抜けて、どこへ泊って、どこそこから立戻って、どこそこへ出かけようというのか、こっちじゃもうちゃんと心得たものなのだ。だが、そんなムダを言いてえがためにわざわざこうして臭エところに待っていたんじゃねえ――こういう辛抱もして、一言お前に知らせをしてやりてえと思うことがあればこそなんだ。と言ったところでなにもお前という女に未練未釈があって、こんな臭エ思いをしているわけじゃねえんだから安心しな。手取早く言ってしまえば、それ、お前のところにいた、あのよねとかともとかいう変てこな兄いが、どうした間違えか役人にとっつかまって、ちょうさんてえ罪で、草津の辻で三日間のさらし、それが済むとやがて鋸挽のこぎりびきになろうてんだ。どうも、むじつにしてもあんまりけたが違い過ぎるようだから、何とかしてやりてえが、おれは世間の暗い身柄で、どうにもならねえ。だが、あの滅法無類の正直者が、何かの間違えでああいうことになって、今日明日のうちに首がコロリという仕儀であってみると、いかにやくざ野郎でも、あのまま見過ごしにゃできねえよ、あの男とはお角親方、お前の方がずっと縁が深いと思うから、どうにかしてやんな――三日の晒しの後は、鋸挽か、打首、ここに間近え坂本の城ではねえが、今日明日のうちに首がコロリってえんだ――何とかしてやるがいいと思ったら、何とかしてやりねえな」
 がんりきやくざ野郎からこう言われたお角が、またかおの色を変えました。
「何だって、あの友が、米友の野郎がなにかい、草津の辻で晒しにかけられてるって、そうして今日明日のうちに首がコロリだって、そりゃ本当かい」
「嘘を言ってお前をたぶらかすために、こんな臭い思いはしねえよ」
「ばかにしてやがら」
 お角さんが、ここで捲舌まきじたを使ったのは、それはがんりきののしったのではない。あの一本調子の、気短かの、グロテスクめが、また何か役人を相手にポンポンやり出して、とっつかまったのだろう、だが、相変らず手数のかかる野郎だ。それにしても、三日間晒しの、今日明日のうちに首がコロリはひど過ぎる。友という野郎は、本来ああいうキップだが、悪いことは頼んだってする野郎ではない。それをどう間違えたか、三日間晒しの、今日明日のうちに首がコロリとは、役目を預かる奴等にも、あんまり目がなさすぎるというものだ。
 そこで、お角が歯噛はがみをして、お手水場の床を踏み鳴らしました。

         十一

 がんりきの百の野郎といえども、一から十までロクでなし野郎だという限りでもない。それから後暫くあって、臭いところからい出したこの野郎は、お角親方の特別借切りの一室を一人占めにして、すっかり納まり込み、長火鉢の前で、長煙管でパクリパクリ、そうして煙を輪に吹きながら、ひとり言――
「ふ、ふ、ふ、そうら見ろ、あの女め、火のように怒り出しやがった。だから、言わねえこっちゃねえ、あいつを、ああけしかけて置きぁ、火の中へも飛び込むよ。あの勢いで押しかけて行った日にゃ、やにっこい役人はタジタジだぜ。何とかするよ。何とかしねえまでも、ただじゃあ首にさせねえよ」
と言うのは、つまり、自分の寸法がすっかり図に当ったことを己惚うぬぼれている。いやしくも自分の子分子方であったものが、今日明日のうちに首がコロリという運命に陥っているのを、知らざあともかく、それと聞いて、ああそうかとすまし込んでいる女では決してない。自分としては、あんなところへつらも体も出せた身じゃねえが、あの女ならばどこまでも押して行くよ。そこを見込んで、かけ込んだおれの寸法が当った。
 がんりきの野郎は、その寸法を己惚れきっている。その一方にはこうして、お角を火の玉のようにして転がし出して置きながら、そのあとを然るべき要領で、お角親方の連衆つれしゅうの一人にこしらえ、留守番をひとり守っているていにして、避難と、休息とを兼ねて、ゆっくりと落着くことができる、つまり、一石二鳥にも三鳥にもなるという寸法だ。これから、あの掻巻かいまきの中へ、すっぽりとくるまって、めまぐるしいこのごろの湖畔うみべりのやりくりの骨休めをすることだ。
「有難え、お茶を一ぺえ――甘えお茶菓子も有らあ」
 そこで、お茶を飲み、菓子を食い、さて、ゆっくり掻巻へもぐり込んで一休みと、足腰をのばしにかかってみると、指が痛む。
「ちぇっ、右の腕はブチ落される、今度は残った左の方を小指からなしくずしなんぞは醜いこった――因縁いんねんものだなあ」
と言いながら、繃帯ほうたいを外して捲き換えている。長浜の浜屋で落された指一本のきずあとがなかなか痛い。めまぐるしさにまぎれていたが、安心してみると痛み出す――懐中から薬を取り出して、それをつけ直している。また繃帯を捲き換えてみる。

         十二

 果して、がんりきの予想通り、お角さんは火の玉のようになって、この宿を転がり出たのです。
 その勢いで、本陣へ上って伊太夫に面会したが、もうその時は、さきほど心配した自分の責任感のことなどは、いつしかケシ飛んでしまって、晒しの鬱憤で張りきっていました。それでも、つとめて抑制して、伊太夫へは丁寧な挨拶を試みたつもりですけれども、挨拶が済むと早くも暇乞いとまごいでした。
「ほんとに、大旦那様、万事ゆっくりとお話し申し上げ、おびも申し上げなければなりませんのですが、急に、急ぎの用事が出来ましたから、これから、ちょっと一走りかけつけて見て参ります、様子を見届けた上で、引返してすぐまたお伺い致します、ほんとに、旅へ出たからって、楽はできません」
 お角さんの余憤満々たるのを、伊太夫は只事でないと見て取ったものですから、
「まあ、落着きなさい、何かお前さん、よっぽど張り切っておいでなさるが、何事が起ったのです」
「いえ、なあに、つまらないことなのですが、うちの若い者が……いいえ、以前うちに使っていた若い奴が、気が早いものですから、旅に出て、失敗しくじりをやらかしちまいまして――困った奴ったらありません」
「どうしたのですかな。旅に出ては間違いが起りやすいから、うっかり張りきった気分のままでやると、かえって事こわしになりますよ、何事です」
「いえ、もうらちもない奴なんでございますが、どう間違えられたか、草津の辻とやらで、さらしにかかって、今日明日のうちに首がコロリ――と聞いてみると、いい気持は致しません、いい気持どころか、こうして、いても立ってもいられないのが、わたしの性分なんでして」
「まあ、待って下さい、その晒し者のことなら、わしも見ましたよ」
「まあ、大旦那様、あなたもごらんになりましたか、あの米友の奴が」
「名前は何というか知りません、また、あの男がお前さんのかかわり合いの男だということも、はじめて聞くのですが、どうも通りかかって、あれを見て、わしも変だと思いましたわい」
「全く変な奴なんでございます、あの友という野郎は、変った野郎には相違ございませんが、ちょうはんをしたり、晒しにかかったりするような、気の利いたことのできる野郎じゃないのです、あいつは、天性曲ったことのできない野郎なんですが、それが間違って、晒しにかかった上に、今日明日のうちに首がコロリでは、どうあっても、このままでは済まされません、こうしている間も気がくんでございます、あの野郎は、どう間違ったって、ちょうはんなんぞをする野郎じゃありません、人違いにも程があったものでございます」
 お角さんの言葉によるとちょうさんちょうはんになっている。ちょうさんの説明は前に言った通りですが、ちょうはんとなると僅か一字の相違で、内容も形式も全く別なものになる。すなわちちょうはんというのは「ばくち」の一種で、丁よ、半よと、輸贏ゆえいを争うことのいなのであります。これによると、お角さんという人の頭には、ちょうさんの解釈が成り立っていない、一途いちずちょうはんと受取ってしまっている。すなわち、丁よ半よと血眼ちまなこになって勝負を争ったことのためにお手入れがあって、それがために捕われてお仕置になっている、と受取る方がお角さんの頭には通りがよい。
 ちょうはん、ちょぼいちの罪の罪たるべきことはお角さんの頭にもある。ただ、そのちょうはん、ちょぼいちをろうしたということのために、今日明日のうちに首がコロリというのは、ところ柄かも知れないが厳し過ぎる。まして、あの正直一方の米友が、ちょうはんちょぼいちなどにひっかかる人物でないということは、お角親方が頼まれなくとも保証するところである。それがためにお角さんの激昂が一層、あおられていると見なければならぬ。

         十三

 お角の激昂するのを聞いていた伊太夫は、
「なるほど、そういう場合では、お前さんの気象として、じっとしていられないのも無理はない。だが、相手は何といってもお上役人だから、たとえ理があっても正面からポンポン行くと、かえって事こわしになるおそれがある、相当の筋を辿たどって、何か穏かな助命方法はないものかね」
 そう言われると、お角さんも馬鹿でないから、昂奮のうちにも、敵を知りおのれを知るの分別が出て来ないはずはない。お上だろうが何だろうが、理に二重はないという勢いで押しかけてみたところで、相手にされなかったらどうする。それを強く押してみたところでどうなる。よし、それはどうなろうとも、当って砕けろだ、ここで後へ引くようなお角さんとはお角さんが違うと言ってしまえばそれまでだが、お角さんの米友と違う点はそこにある。伊太夫は言葉をつづけて言いました、
「そうじて、お上役人というのにぶっつかるには、更に、も一段上から出るか、側面から当るのが最も効目ききめのあるものだ。役人というものは、上役に対しては頭の上らないものだから、天降あまくだりである以上は否も応もない。そうでなければ搦手からめてから運動することだ、そこから穏かに話をつけると存外物わかりのよいことがある。名役人というものは上も下もありはしない、理が聞えれば、誰の言葉も聞いてやるが、なかなかその名役人というものはないものでな――だから、天降りとか、搦手とかいうやつが、いつの世でも相当効目があるものなのだ。どうだい、お角さん、そんな意味で何か上の方からこう、運動するような手筋はないかね。わしも一応は、心当りをこれから思案しようと思っているが、何をいうにも旅の身でねえ」
 伊太夫からそう言われて、お角としても、いよいよなるほどと思わせられないわけにはゆかないで、
御尤ごもっともでございますね……」
と言ってみたが、そのほかには急になんらの思案も浮ばないから、二の句もつげない。なるほど、この大旦那が、甲州一円の土地であるならば、ずいぶん面も利き、おしもお利きなさろうけれど、この大旦那でさえ、旅の身ではねえとかこごとをおっしゃる――まして、女興行師風情のわたしで、どうなるものか、それを考え出すと、腐ってしまわざるを得ない。
 お角さんが、やきもきしながら返答ができないでいる、その心持を伊太夫は充分察することができるから、お角さんからいて返答を催促するのでなく、自分のこととして自問自答を試みて、
「いったい、この土地は、どこの藩に属しているのかな、水口藩みなくちはんか、膳所藩ぜぜはんか――そうだとすればここの権者きれものは何の誰という人か、その人に向っての手蔓てづる――ただし、彦根の藩中には相当の重役に知り合いがある、そうだ、あれから渡りをつけてやろうか、彦根ならば他の小藩への通りがよかろう。だがもし、いずれの藩にも属していない天領だとなると、幕府直轄のお代官だとなると、事が少々面倒だぜ、御老中差廻しのお代官に悪く出られた日には、大藩でも扱いきれないことがある――さあ、その辺を一つ考えてみないことには……」
 伊太夫は、自問自答式にこうつぶやいて、ようやく思案が深入りして行く途端に、お角さんが、急に声を上げて言いました、
「ああ、いいことがございました、ほんとに、どうしてこれに気がつかなかったんでしょう、わたしという女も、実に頭の悪い女でござんしたよ」
「何か、いい分別がつきましたか」
「大旦那様、誰彼とおっしゃるよりは、新撰組がようござんしょう、新撰組をお頼り申すのが、手っとり早くて、いちばんがありそうでござんす」
「なに、新撰組――」
「左様でございます、とっくにそこへ気がつかなければならないわたしという女の頭が、こんなにまで悪い頭とは思いませんでした、旅の風に吹かれ通したために、脳味噌が少し参ったんでしょうと思います」

         十四

 お角はひとり呑込んで、しきりに意気込んでいる。
 それから、お角が伊太夫に向って、いま京都からこの地方にまで及ぼすところの、新撰組、すなわち壬生浪人みぶろうにんというものの威力の、いかに強大であるかということの、たったいま、仕込み立てのホヤホヤの知識を述べ立てました。
 新撰組の行動に就いては、御領主様といえども、お奉行様といえども、これに加うることはできない。当時、名立たる大藩といえども、会津といえども、彦根といえども、これには一目も二目も置く。新撰組ににらまれた以上は、公儀役人といえども、到底その私刑を免るることはできない。さしも横議横行をたくましうする大藩の勤王浪士といえども、新撰組だけは苦手である。「恐山の巻」の百七十六回前後のところに、その威力のほどが見えている。その新撰組の威力を借りる時は、たとえ相手が大藩領であろうとも、天領であろうとも、断じて押しの利かないことはないということの信用を、お角が今、やきもきと思い起して伊太夫に吹聴しました。
 しかして、その新撰組を意のままに駆使するところの大将が近藤勇で、副将が土方歳三ひじかたとしぞうである。その副将軍土方歳三とわたしは心安い。つい今の先も、昔の歳どんで附合って来た。その力を借りて、押しきって行けば、何のちょうはんの一人や二人、事も雑作ぞうさもあるものではない、とお角さんが張りきってこのことを伊太夫に申し出ると、伊太夫もこの際、一応はそれを承認しました。
 というのは、当時、新撰組の及ぼす威力は京洛の天地だけではない。その時代の動静が、かなり敏感に伝えられるところの、甲州第一の富豪の手許まで情報が届いていないということはない。どこまで彼等に全幅の信用を置いていいか悪いかわからないが、この際は、事の思案よりは、急速の実行を可なりとする。時にとっての強力が必要である。そこで、伊太夫も一応お角の提議を承認するまでもなく、お角さんは早くも庄公を次の間まで呼ばせて、
「庄公――お前これから大急ぎ、馬でも駕籠かごでも糸目はつけないで、一走り使に行って来ておくれ――ほらあの、新撰組の土方という先生――いいかい、これから山王様までまた駈けつけてもらうんだよ、あそこへ行って歳どんに、わたしがぜひ加勢に頼みたいことがあるって、言伝ことづてをしておくれ。わけを言っては長いから、お角親方が大難に出あっている、草津の北の辻で、お角親方が晒しにかけられるという段どりになって、九死一生なんだから歳どんに加勢に来てもらいたい、とこう言って頼んでごらん。もし歳どんがいなかったら、あのやさ男で小天狗と言われた沖田総司という先生でもいいし、永倉新八という先生でもいいから、大急ぎで加勢に来てもらいたいと言ってね――歳どんも、沖田さんも、永倉さんもいなければ誰でもいい、新撰組と名のついたお人ならば誰でもいいから、頼んで来ておくれ。ことによると、どこぞへ引上げておいでなさるかも知れない、今時、新撰組といえば、泣く児もだまるんだそうだから、どこにいたって居所は知れそうなものだ、大急ぎ、九死一生の場合、今日明日のうちに首がコロリてんだから、そのつもりでお前、しっかりやっておくれ」
 こう言いつけて置いて、お角自身も急に伊太夫に向い、
「大旦那様、では、わたしの方もこれから現場へ駈けつけてみますから――時が遅れてはいけません、救いの手が来るまで、どっちみち、現場へ因縁をつけて置いてみることに致します」
 かくてお角さんは、ゆらりと立ち上りました。
 一つは新撰組へ救いの手を求むべく、一つは自身、グロテスクの晒しの現場へ出頭して、水の手の来るまで因縁をつけて置こうとの策戦らしい。

         十五

 お角が立ったあとで、伊太夫は考えている。お角を助けるために来たのではないが、こうなってみると、彼女のために相当の力添えをしてやらなければならぬ事態になっている。
 但し、自分の力の及ぶ範囲ならば知らず、旅へ出ての身である、まして今度の旅は、人も、我も、思いがけない旅である、人に知られたくない旅の身である、彦根の家中の重役には相当知辺しるべはあるけれども、事改めて、そこへ持ち込みたくない。
 だが、何とかして、側面から、お角が急を訴えている冤罪えんざいの者の助命をしてやらなければならぬ。新撰組なるものの威力が、果して間に合うだろうか。いずれにしても焦眉しょうびの急である――とりあえず、この宿の亭主からたずねて、きっかけを求めねばなるまい。
「どうもあの女親方が、ああ張り切るのはよくよくのことだろう――何とかしてやらずばなるまい、お前、とりあえず支配地の籍を調べて、役人の筋を辿たどって、ひとつ穏かな助命運動ができるものなら、至急その道を講じてもらいたい」
 家来の藤左に向って、伊太夫がこのことを申しつけると、藤左は心得て、宿元からして急速に調べ上げた情報が次の如くです。
 この地に長谷久兵衛はせきゅうべえという鬼代官がいる。名代なだいの農民いじめで、年貢不納のものは遠慮なく水牢に入れる。厳寒の節に水の中に立たせる。泣き叫ぶ声が通路まで聞えて、人の身の毛をよだてる。女房娘は遠慮なく身売りをさせたり、自分が没収したりする。たまり兼ねて瀬田の橋から身投げをして果てる男女が続々と相つぐ。
 草津の辻のさらものも、江戸老中差廻しの役人がさせたのか、この地の役人がしたのか、それはよくわからないが、ともかく、この久兵衛が悪い。久兵衛のさしがねでなければ、その献策に相違ない。なんでもかんでもその長谷久兵衛が鬼代官だという情報が、どちら方面からも、期せずして伊太夫の手許てもとへ集まって来る。
 してみると、長谷久兵衛なるものは、悪辣あくらつであるだけに権者きけものである。なんにしても、こいつを押えてかかるのが有利だと伊太夫が覚りました。
 押えてかかると言ったところで、力を以て押えてかかるわけにはゆかない。手段方法を以て、この代官から理解してかからぬことには、事は運ぶまい。その代り、この代官の理解さえ届けば、必ずや相当の緩和方法があるに相違ないということに伊太夫が合点して、とりあえず、家来にその運動方法を命じたのです。
 運動方法といったところで、今の場合、さし当り特別の手段方法があるべきはずはない。伊太夫の持てるものとしての力は、その財力です。微行しのびで旅に出たとはいえ、甲州一国を押えている力は何かにつけて物を言う。金力が時、所を超越して、権力以上に物を言う場合が大いにある。伊太夫の取り得べき手段方法としては、その有り余る金力を、有効に行使してみる側面運動のほかにはないでしょう。
 しかし、いきなり小判で鼻っぱしを引っこするような真似まねはできない。手蔓てづるのない、しかも焦眉の急に応ずるための財力の発動としては、その方法に、相当微細にして巧妙なるものがなければ、かえって事を仕損ずる。
 伊太夫は、それを藤左に向って考えさせている。

         十六

 草津の辻のグロテスクな晒し者は、多くの方面にいろいろの衝動を捲き起したが、意外千万なことには、その翌朝になると、「ちょうさん」の罪人として晒された宇治山田の米友の姿は、晒し場から跡を消して、そのあとへ別に一つの「梟首きょうしゅ」が行われました。首が晒されているのです。つまり、生きた人間を縛ってさらす代りに、人間の首を切って、そうしてそれをさらしにかけました。
 さては――と人だかりの中に、血相を変えたものもありました。と、そのうちには、あの無言のグロテスクも、とうとう首になったか、ともかくも生きて晒されている間はまあいいとして、首を斬られて「梟首」に行われるようでは、もういけない。
 あれほど、いきり立ったお角さんはどうした。
 そのところに、まさに右の如く人間の「梟首」が行われていることは事実に相違ないが、よくよく見直した時、いずれも失笑しないものはありません。
「あっ! なあーんだ」
 人間の首がさらされているには相違ないけれども、その首というものがはなはだ無難なる首でありました。
 木像なのです。木像の首なのです。しかもその木像の首たるや、ほぼ普通人間の三倍ほどある分量を持っていて、木質だけはまだ生々しいのに、昨今急仕立ての仕上げと見えて、その彫刻ぶりが、荒削りで、素人業しろうとわざが、たくまずして七分は滑稽味を漂わせている。
 しかしながら、とにかく、人間の形をした首は首です。その首が、昨日までは米友が全身を以て生きながら晒されておったところに、置き換えられている。しかも、その首を、なおよくよく見るとまた見覚えがある――誰でも相当見覚えがある。束帯そくたいこそしていないけれども、かんむりをかぶっている。その冠も、天神様や荒神様のかぶるような冠ではなく、世に「唐冠とうかん」として知られている、中央に直立した一葉があって、両翼が左と右に開いている。古来この冠をかぶった画像、木像に於て、最も有名なのは「豊臣秀吉」である。ことにこの附近は、秀吉の第二の故郷として、その功名こうみょうの発祥地と言いつべきですから、この「唐冠」の太閤様は、ほぼ児童走卒までの常識となっている。
「やあ、太閤様が晒し首になっている」
 人も騒げば、我も騒ぐ。
「太閤様の晒し首」
 子供たちは嬉しがって騒ぐが、苦笑せぬ大人とてはない。
 何者がした悪戯か、いたずらが過ぎる。まさに知善院蔵するところの天下一品と称せらるる豊臣太閤の木像の首を模して、斯様かような素人細工を急造し、そうして、昨日までの生きた現物と引換えてここへさらしたものに相違ない。農奴とはり出された宇治山田の米友にとってみれば、今度は、かりにも豊太閤の面影と引替えになったということになってみると、いささか光栄とするに足るというべきだが、太閤の影像にとっては迷惑この上もあるまい。
 何の理由があって、何者がこういう摺替すりかえを行ったかということはわからない。無論、有司の仕業ではなく、何者かの最も悪趣味なるいたずらであることはよくわかる。この時代に於ては、こういうたちのいたずらが、よく流行したもので、その最も代表的なるものは、京都の等持院の足利家累代の木像を取り出して、四条磧しじょうがわらにさらしたことである。
 しかして、この場合に行われたのは、足利家とはなんらゆかりのない豊臣太閤が、同様の私刑に行われたという現象であって、一見して誰もが、相当に度胆を抜かれたが、その傍の捨札までが、いつしか書き替えられてあるということは、文字ある人だけが気のついたことであった。新たなる捨札の文言もんごんいわく、
「コノ者、農奴ヨリ出世ノ身ニカカハラズ、農民搾取ノ本尊元凶タル段、不埒ふらちニツキ、梟首申シツクルモノなり
 この意味がわかるものもあるし、わからないものもある。いずれも度胆を抜かれた体に於ては同じものです。

         十七

 琵琶湖畔に農民暴動の空気が充ち満ちている――
 ということは、前冊書にしばしば記したところであるが、その要領としては、「新月の巻」第四十九回のところに、不破の関守氏が、お雪ちゃんに向って語ったところに、「まあお聞きなさい、お雪ちゃん、こういうわけなんです、事の起りと、それから、騒動の及ぼす影響は……」と前置をして、
「今度の検地は、江戸の御老中から差廻しの勘定役の出張ということですから、大がかりなものなんです。京都の町奉行からお達しがあって、すべての村に於て、この際、如何いかようなお願いの筋があろうとも聞き届けることはまかり成らぬ――村々からあらかじめ、そのお請書を出させて置いての勘定役御出張なのです。そこで老中派遣の勘定役が、両代官を従えて出張して参りましてな、郡村にわたって、検地丈量の尺を入れたのでござるが、もとよりお上のなさることだから、人民共に於てかれこれのあろうはずはないのでござるが、そのお上のなさるというのが、必ずしも一から十まで公平無私とのみは申されませんでな。
 つまるところわいろなんですね。当節は到るところ、それなんだからいけませんなあ、わいろでもって、すっかり手心が変るんですからいけません。いったい、役人がわいろを取って、公平を失するということほど政治上いけないことはありませんね……今度の騒ぎも、そもそもそのお江戸の御老中派遣の勘定方が、わいろによって検地にはなはだしい手心を試みたそれが勃発のもとなんで……」
 江戸老中派遣の、わいろを取る役人が出張して、思う存分に竿を入れる。そのくらいだから寛厳の手心が甚しく、彦根、尾張、仙台等の雄藩の領地は避けて竿を入れず、小藩の領地になるというと、見くびって烈しい竿入れをしたものだから、領民が恨むこと、恨むこと。そこで、これはたまらぬと、庄屋たちが寄り集まって、竿入れ中止の運動を試みようとしたが、そこはわいろ役人に抜け目がなく、あらかじめ一切の訴願まかりならぬという覚書を取ってある。しかし、領民たちになってみると、死活の瀬戸際だから黙っていられない、その鬱憤が積りつもって、大雨で水嵩みずかさが増して行くように緩慢に似て漸く強大である。どこの村から、どう起ったかということは今わからないけれども、近江の四周まわりの山水が湖水へ向って集まるように、湖岸一帯の人民の不平が、ある地点へ向って流れ落ちてあふれて来る。
 たとえば野洲郡やすごおりと甲賀郡の歎願組が合流して水口へ廻ろうとすると、栗田郡の庄屋が戸田村へ出揃って来る。勘定役人が甲の川沿いから乙の川沿いに行こうとすると、両の郡の農民が結束して集まるもの数千人、ことに甲賀郡西部方面から押し出した農民は、水口藩警固の間をそれて権田河原ごんだがわらたむろし、同勢みるみる加わって一万以上に達し、破竹の勢いで東海道を西上し、石部いしべの駅に達したが、膳所藩ぜぜはんの警固隊を突破し、三上郡に殺到、そこで他の諸郡の勢と合し、無慮二万人に及んで、三上藩に押寄せるという勢力になった。
 幕府の勘定方の役人は、その時、三上藩にいたが、藩の役人が怖れて急ぎ避難をなさるようにと勧めたが、剛情我慢な幕府勘定役人はそれを聞き入れない。ついに群集は陣屋へ殺到して、勘定方役向を取囲んで口々に歎願を叫んでいる。幕府勘定方役人の生命も刻々危急にひんしている――

         十八

 なお、そのことのあった前後、青嵐居士せいらんこじがまたしても、胆吹の山荘に不破の関守氏を訪れての会話が漸く興に乗ると、次のようなことを滔々とうとうと論じ立てました、
「そもそも徳川氏ばかりが、農民の敵だと言いふらすやからは、二を知って一を知らないものですよ――例の豊臣氏なんぞが、むしろ農民をしぼる方の本家と言ってしかるべきでしょう。たとえばです……
 日本に於て、農民が最も幸福であった時代は鎌倉時代、とりわけ北条時代であったのですが……さて、応仁の乱以後、天下を平定した豊臣秀吉というものが、御承知の通り、彼は全く名もなき農民の出でありましてな、そんなら、その純粋の農民の出であるところの豊臣太閤というものが、どういう扱いをその親元の農民に向って試みたかと申しますと、まずあの時のあの人が行った『検地』というものでよくわかりますな。秀吉の時までは一段歩は三百六十坪であり、一坪は六尺五寸平方であったのですが、それから一段三百坪に改め、一坪を六尺三寸平方とし、これによって約二割以上の増収を農民の上に加えたのであります……
 秀吉も、その武力統一を完全にすると共に、大陸政策を実行する上に、どうしても農民をしぼらなければならなかったのですな。農民を搾るためには、農民を無力にして置かなければならなかったのですな。そこで『検地』の一方には『刀狩り』というようなことも行われましたのです。農民から一切の武器を取り上げて、いやしくも反抗のできぬように丸腰にしてしまったのが秀吉です……
 それを徳川氏に至って、更に徹底的に強行政策を用いて圧迫しきったというのですな。だから、徳川氏の政策は農民を人間扱いにはしておりません、濡手拭と百姓は、絞れば絞るほど水が出る――最後の一滴まで絞るように慣らしてしまったのですな。徳川氏の対農民政策はその通りですが、そのようを作って与えたものは豊臣秀吉なのです。ことに徳川氏は少なくとも城主大名の家に生れたのですが、豊臣に至っては、尾張の中村の純粋なる農民の出であるにかかわらず、農民の地位を向上せしめず、これを奴隷以下に置くことの俑を作りました。もし、農民が目下の検地の残忍刻薄を恨むならば、当然、さかのぼって徳川家康を恨まなければならない、家康を恨む以上は、秀吉もまた同罪のみかは、同罪以上の元凶であることを恨まなければならない理窟になるのです」
 青嵐居士は、自分がこういう意見の所有者ではない、広く歴史を読んでいる間に、こういう史上の事実をつかみ出でて語るものらしい。すると不破の関守氏も、その説には相当共鳴するところあるものの如く、
「秀吉は農奴から起って関白に至ったということは、争うべからざる素姓すじょうと考えますが、家康とても必ずしも、生え抜きの城主大名とはいわれますまい。近頃、ひそかに研究した人の説によると、彼は農民よりもなおいやしい、乞食の徒、願人坊主がんにんぼうず、ささら売りの成上りだということであります」
「ははあ、それは新説です、徳川家康の幼名竹千代、岡崎の城主松平広忠の公達きんだちというのでなく、願人坊主、ささら売りの成上り……それは果して根拠のある説ですか」
「当人の研究によると、なかなか根拠があります、つまり、その説は……」

         十九

 不破の関守氏は、村岡融軒著「史疑」と称する一書を取って、青嵐居士の前に置いて言いつづけました、
「この書物は、相当丹念に研究して成ったもので、面白い説ですから、拙者は要領をうつし留めて置きました、お暇の時に御一覧下さい。しかして要するに、徳川家康の真実の素姓を突留めんとした書物でありまして、結局この著者の研究の結果は、家康は簓者ささらものの子であって、松平氏の若君でもなんでもない、十九歳までは乞食同様の願人坊主であった、それが、正銘の松平の曹司竹千代が駿府すんぷに人質となっているのを盗み出し、それを信長に売り込んで、出世のいとぐちを開いたのだという説です……」
「ははあ、そういう新説は今まで聞きませんでした、それだけの説を立てるからには、必ずしもるところがないわけでもありますまい、荒唐無稽の小説ならばとにかく、新研究とあるならば、一応読んで置く必要があると思います、拝借いたしましょう」
「どうぞ、ごゆっくりごらん下さい――ところで、秀吉も、家康も、右の通り、その出生が農奴であり、非人同然であるに拘らず、成功した暁には、その発祥民族を酷使虐待する、なるほど、そのようを作ったのは秀吉でありましょう、それに輪をかけ、たがをはめたのは徳川氏です」
「左様、徳川氏の農民政策に就いては、拙者も心がけて少々研究を試みていないでもありませんが……」
と言って、そこで、今度は、またも徳川氏の農民政策問題に復帰して、おのおのその懐抱を傾けて語り合いましたが、落つるところは、神尾主膳が百姓を憎むところの根拠の裏を行っているようなもので、徳川家直参の旗本であることを誇りとする神尾主膳が、極力農民を侮辱している。それは、やはりこの大菩薩峠の「恐山の巻」の百四回のところから見るとよくわかる。

 神尾は生れながら、百姓というものは人間ではない――ものの如く感じている。
 それは当然、階級制度の教えるところの優越性も原因であることには相違ないが、それほど神尾というものが百姓を、み、嫌い、にくみ、のろうというのは、別にまた一つの歴史もあるのです。
 それは、神尾の先祖が、百姓をしぼろうとして、かえって百姓からウンと苦しめられ、いじめられている。神尾の祖先のうちの一人が、自分の放蕩濫費の尻を、知行所の百姓にすっかり拭わせようとしたために、百姓一揆ひゃくしょういっきを起されて家を危うくしたことがある。
 体面の上からは勝ったが、事実に於ては負けた。領主としての面目はかろうじて立ったが、内実は百姓の言い分が通ってしまったのだ。
 だから、心ある人は、それから神尾の家風を卑しむようになっている。
 その歴史が、今も神尾を憤らせている。百姓というやつは厳しくすれば反抗する、甘くすればつけ上る――表面は土下座しながら、内心ではこっちを侮っている。最も卑しむべき動物は百姓だ――これには強圧を加えるよりほかに道はないと、それ以来の神尾家は、代々そう心得て百姓をおさえて来ていた。今の神尾主膳も、百姓を見ると胸を悪くすること、この歴史から来ている。
 この点に於て、神尾主膳は徳川家康の農民政策を支持している。
「権現様の収納の致し様」といって、百姓は、生かしもせず、殺しもせざるようにして搾れ――ということが、すなわち徳川家康の農民政策であったと今日まで伝えられているのだ。
 毎年の秋、幕府直轄の「天領」を支配する代官が、その任地に帰ろうとする時、家康はこれらを面前へ呼びつけて、郷村の百姓共をば、「死なぬように、生きぬようにと合点がてんいたし、収納申し付くべし」と申しつけたということである。
 その伝統を承って、これは家康の落胤らくいんだと言われた土井大炊頭どいおおいのかみの如きは、ある年、その居城、下総の古河こがへ帰った時、前年までは見る影もなかった農民の家が、今は目に立つようになって来たとあって、「百姓、生き過ぎはしないか」と部下の役人へ詰問的の問いをかけたということになっている。
 その当時の一村の名主の家には、必ず水牢、木馬の類が備えてあったのだ。百姓共が年貢を滞納する時は、水牢へ入れ、木馬に乗せてこれを苦しめたものだ。
 それだけを聞いていると、いかにも農民に対して血も涙もないやり方のように聞える。徳川家は農民を見ること牛馬以下であって、農民にとって、徳川家は仇敵きゅうてきででもあるかのように聞えるが――事実、天下の政治をするものに、好んで農民を苦しめたがる奴があるものか、苦しめるには苦しめるだけの理由があるからだ、苦しめられる方は、苦しめられるだけの因縁いんねんがあるからなのだ。
 いったい、発祥時代の徳川家の地位を考えてみるがいい。天下は麻の如く乱れて、四隣みな強敵だ。その間から千辛万苦して天下を平らかにする――勢い兵馬を強からしめねばならない。兵馬を強からしめるには、後顧の憂いを断たなければならない。兵馬を強からしめるには、兵馬を練ればよろしいが、後顧の憂いなからしむるためには、百姓を柔順にして置かなければならぬ。百姓は、矢玉の間に命がけで立働くには及ばない代り、柔順に物を生産して、軍隊の兵站へいたんを補充しなければならない。万一、百姓を強くしてこれに反抗の気をたくわえしめた暁には、強い戦争ができるはずはない。そこで百姓を骨抜きにして置かなければ、軍隊を強くして、天下を平定することはできないのだ。
 だによって、家康が百姓を抑えたのは、武力を伸ばさんため。武力を伸ばすのは、天下を平定せんがためなのだ。そうして、家康はそれに成功したのだ。天下の平和のために、百姓を犠牲にしたのだ。百姓をいじめたいから、自分が栄華を極めたいから、そこで百姓を虐待したわけではないのだ――現に、百姓共が、安穏に百姓をしておられるのも、この徳川の武力があればこそではないか。強い武力がなければ、国は取られ、田は荒され、百姓はかせぐところを失うどころか、稼ぐべき田地をさえ持つことはできない。
 だから、百姓は百姓として、分を知って服従していさえすればいいのに、ややもすれば反抗したがる。表面服従して、少し目をはなせば一揆を起したがるのが百姓だ――ことに近来は、一揆の無頼漢の音頭を取るものを称して「義民」だのなんのと祭り上げるやからが多いから、百姓がいよいよ増長する――云々うんぬん

         二十

「どこの国の百姓も、百姓としては皆うだつの上らないのは同じだが、ことにこの近江の国の百姓はみじめなものです」
と、青嵐居士が不破の関守氏に向って言うと、
「どうしてですか」
「それは、京都をつい背後に控えているだけに、戦争というと、この国が唯一の要路となるのです。東国の兵がこの国を通過せずして京都に入ることはできません、西国の兵もここを通過せずして東征はできません、そこで、乱世に於ては国土が絶えず兵馬に蹂躙じゅうりんせられ、人民が残暴をこうむりますから、土地に安堵あんどして生活を営むということができません、いつ剽掠ひょうりゃくを蒙るか、掠奪せられるかわからないのみならず、人力も絶えず徴発せられて争闘の犠牲とならなければならない、生民そのに安んぜずというのが、この近江の国の住民の運命でした」
「なるほど」
「しかし、人間というものは運命に妨げられると共に、運命に逆らって新境地を打開する力を与えられているようでありまして、かく不幸なる境地に置かれて、堵に安んぜざる変通力が、一転して商業の方へ注がれたというわけです。故にこの国の勤勉にして機を見るに敏なる土民共は、農業を捨てて商業の方に着目し、転向することになりましたのです」
「なるほど」
「土着の土地を相手にしないで、他領他国を目的とする、自分の生れた土地で生産して、それから恵まれることを断念して、他国へ進出して富を吸収して来るという新方向を案出したのも、自然の径路とはいえ、この国の住民が馬鹿でない証拠です」
「なるほど」
「そこで、近江商人の名が天下に聞えるに至りました。勤勉実直にして、知らぬ他国から金をもうけて産を成し、その産を蓄積することに於て、また非凡なる忍耐と進取との才能を持っておりました。他国に向っての積極的進出と、自ら守ることの堅実な消極的忍耐と、両方をこの国の人間が持つことができたという次第で――そこで、自分の国の乱れるということが、商人として成功する逆縁となりました。今日、大阪に於ける、江戸に於ける、近江商人というものの財力の、いかに根強くして盛んなるかを思い合わせてごらんなさるとよくわかります」
「なるほど、そうおっしゃられると、それがいわゆる近江商人の勢力の一大原因であるかのように感ぜられます。国土が争乱のちまたとなるが故に、住民が他国へ進出する機縁となる、逆縁がかえって利縁となったという次第ですな」
「そうです。しかし、そんならば、すべて自分の国が乱れているところの人民は、外に向って大いに発展をするかと申すと、それは一概には言われません、全く疲弊しきって、奴隷以下に没落してしまう国民もあるのですから、要するに気質の問題ですな」
「なるほど」
「江州人は、素質的に、逆境を打開する勤勉の気風を備えていると見なければならない理由もあるのです。たとえばです、これから越前の方へ向けて出る途中に、難渋な峠が三ツもある、たいていの人だと、それを聞いてうんざりし、せめて三ツの峠が二つにでもなればいいと、こういって歎息するところを、江州人は、峠が更に二つばかり余分にあればよい、そうすれば、人がいよいよ難渋がって出かけない、そこを自分は出かけて行って、商売をひとり占めにしてしまう――大体こういった気風なのですから、そこに近江商人の勝利があろうというものです」
「なるほど――おおよその人は地の利をたのむのだが、江州人は地の不利に恵まれるというわけですな。もとより、それは素質とも相関係しましょう」
「もちろん、天の時、地の利と言いますが、江州人には、天の不祥時と地の不利益の場合に、恵まれるのです。彼等はおのれの国土を対象としないで、他国進出を目標としています、そこに彼等の発展があります。しかし、こういう、恵まれずして恵まれたる土地の半面には、恵まれたようで実は恵まれない不幸の民が多いことを思わなければなりません。近江商人が最も恵まれた成功者だとすれば、近江農民は最も恵まれざる落伍者だということもできます――」
「なるほど」
「江州人だとて、皆が皆、そう他国へ進出して成功する者ばかりではありません、この国に残って兵馬の奴隷となり、或いは痩畑やせばたけの番人とならなければならぬ運命に置かれた農民こそ、最も恵まれざる者と言うべきでしょう」

         二十一

「かく、一方には他領他国へ進出して富を成す成功者があると共に、一方にはちょうさんすることさえ許されざる農民が存することは、おたがいよく考えてみなければならないことです」
「なるほど」
「外へ発展するの機運に恵まれず、内にとどまっていては、しぼられて骨も身も食われてしまう、そこで、やむを得ず他領へ出奔せんとすれば、ちょうさん律があって、厳として身動きが許されない、下手な講釈師のやる荒柳美談ではないが、たたずむな、立つな、歩むな、居坐るな、というところが即ち農民の立場なのです」
「なるほど、そうなりますと、いよいよいにしえのことわざにあるが如く、民に倒懸の苦ありということになりますな、農民はさかさにブラ下がっているより仕方がないというわけですな」
「なんにしても、ちょうさん律はよくありませんな、行動の自由、移住の自由を奪うということはよくありませんな。民に移住されると、領土を耕す人がなくなる、自然、領主がやりきれなくなる、という結果が怖い、移住されることがそれほど苦しければ、民を優遇するに越したことはないではないか、優遇というのが為し難ければ、人間が住めるだけのようにしてやる責任が領主にはあるでしょう、罪人ならざるものを、一定の土地に監禁して、動くなかれと命ずるのは悲惨ですね」
「あらゆる農民いじめのうちに、このちょうさん律が最も不合理だと思います。最近です、湖岸の町々村々にも、このちょうさん律の制札が出ましたのをごらんになりましたか」
「私も、ちょっと見かけました」
「あの文言をお読みになりましたか」
「一読いたしました」
 ここで、二人の問答にかかって、見たか、読んだかの問題に上っているちょうさん律の制札なるものは、多分、先日の日、長浜の町の会所の附近に於て、宇治山田の米友の目に触れたあれであります。
 それならば、「胆吹の巻」の十八回のところにある――

 長浜の会所へ、両替の使に用心棒としてついて来た宇治山田の米友は、会所の前にしばらく待っていたが――そこに高札場があって、いくつもの札のかけてあるのを見つけました。その高札を片っ端から読んでみますと、その真中のいちばん大きいのに、次の如く書いてありました。
   「定
何事によらず、よろしからざることに、百姓大勢申合せ候を、とたうととなへ、とたうして、しひて願事企てるをがうそと言ひ、あるひは申合せ村方立退候をてうさんと申し、他村にかぎらず、早々其筋の役所に申出づべし、御褒美として、
 とたうの訴人  銀百枚
 がうその訴人  同断
 てうさんの訴人 同断
右之通下され、その品により帯刀苗字も御免あるべき間、たとひ一旦同類になるとも発言いたし候ものの名前申出づるにおいては、そのとがをゆるされ、御褒美下さるべし。
 一、右類訴いたすものなく、村々騒立ち候節、村内のものを差押へ、とたうにくははらせず一人もさしいださざる村方これあらば、村役人にても、百姓にても、重にとりしづめ候ものは、御はうび下され、帯刀苗字御免、さしつづきしづめ候ものどもこれあらば、それぞれ御褒美下しおかるべきもの也。
  年 月 日
奉行」
 それを読んでしまった米友が、高札の表を横目ににらんで、
「ははあ、一味ととうしちゃいけねえってえんだな、申合せをして村方を立退くのもよくねえてえんだな、それを訴人しろてえんだなあ、訴人した奴には銀百枚を御褒美として下しおかれようてえんだな、なおその上に、次第によっちゃ苗字帯刀も御免あろうてえんだな……一味ととうして乱暴を働くのが悪いのはわかり切ってるが――苦しくって堪らねえから、村をちょうさんして、どこぞへ落ちのびて行くのも罪になるんだ、いてもわるし、動いても悪し、立って退けばまた悪い、百姓というものは浮む瀬がねえ」
と言って彼は浩歎したのであったが、思いきや、そこで、その悪逆なる罪名を自分がこうむって、ちょうさんの罪を着せられて、「さらし」にかかる運命に落されていようとは。

         二十二

 長浜の浜屋の別館に割拠しているお銀様と竜之助とが、襖越しに深夜の会話。お銀様がまず言う、
「だが、おかしいほど芝居気たっぷりの男でしたわね」
「ふーむ」
「いやに気取って、セリフ廻しからしぐさまで、すっかり芝居になっていましたよ、キザもあそこまで行くと、ちょっと笑えない」
「ああいう奴なのだ」
「あなた、以前から御存じなんですか」
「ちっとばかり知ってるよ」
「そうすると、あなたのことも、わたしのことも、知り抜いていての悪戯いたずらなんでしょうか、それにしては仕上げがまずうござんしたわ」
「は、は、何に限らず、あれはちょっかいを出してみたがるように出来てる男なんだ」
「その、ちょっかいが怪我のもとでしたねえ、殺生せっしょうなことでした」
「うむ」
「殺生は殺生ですけれども、あなたとしては、あんまり、しみったれな殺生でしたね、どうして二つに斬っておしまいなさらなかったのですか」
「ふーん、そりゃ、座敷を汚してもいけないからな、少し考えたよ」
「かまいませんよ、畳なんぞは、いくらでも新しくなりますから。ですけれど、指一本というところが、かえって細工が細かくて面白いのかも知れません。それにあいつは気のせいか、右の腕がないようでしたね、ああ、わかりました、わかりました、あいつの片腕を打落したのが即ち、あなたなんでしょう――女のことで」
と、お銀様がここでひとり合点をすると、四方の空気がいとど収斂性しゅうれんせいを加えてきて、夜更けに近いのか、夜明けが迫っているのか、ちょっとわからない気分が漂いました。
がんりきの百蔵という奴があれなんでしょう」
と、ややあってお銀様が、机の上に片肱かたひじを置いて言いましたが、竜之助の方では、とんと返事がない。お銀様は別段それを追究するでもなく、
「それはそうと、あいつの今の言葉で、わたしの父親が、この近いところに来ているということをお聞きになりましたか」
「聞いた」
「そうして、わたしの父親から、その脇差をもらって来たとか言って、それを仔細らしく、わたしのところへ押売りに来たと言っておりましたねえ」
「その通り――」
「さあ、それが本当だとすると、わたしはどのみち父に会わなければならないでしょう、父は、わたしが胆吹にいると知って来たのに相違ありません、上方見物かみがたけんぶつかこつけで、実はわたしの行動を見届けに来たのです」
「それは、そうかも知れない」
「してみれば、わたしは結局、会わなければならないことになるでしょう、わたしは、父の宿を大津まで訪ねて行く気にはなれないが、父が胆吹へやってきた以上は、まさか、それを追い返すわけにはゆかないでしょう、会わないというのも卑怯ですからね」
 左様、父の伊太夫が甲州から旅立ちをしてこの近いところ、大津に宿っているということを、先刻侵入のあの小ざかしい、生意気な、色男がかった小盗人こぬすっとの、今いうがんりきの百とやらから、キザなセリフ廻しで聞かされた。現にまぎれもなき、父が愛用の腰の物を証拠に持参したのだから、まんざらの出鱈目でたらめでないのは分り切っている。そこで、次の段取りは、いかにしてこの父に応接すべきかでなければならぬ。お銀様は、当然それを考えていたのが口に出たまでである。これも相手に返答を求めるために言ったのではない。
「そうなると、わたしは一応、胆吹へ帰らなければなりません、その間、あなたはここにじっとしていらっしゃい、動いてはいけません――」
と、今度は、相手に向って宣告を下したのです。なお、その宣告につけ加えて、
「わたしが、またこの宿へ戻って来るまで、この一間でじっとしていらっしゃい、犬を斬りに出てはいけません、もうこの辺には斬って斬栄えのするものは何もいませんから。それに、このだだっ広い加藤清正の屋敷あとなんですもの、隠れているには恰好かっこうですよ、宿へ言いつけてありますから、誰も気兼ねはありません、おとなしく、じっとして待っていらっしゃい」

         二十三

 お銀様は、竜之助に監禁を申し渡して置いて、
「ですけれども、誰かお給仕がなくてはいけませんねえ、誰か、しょっちゅうついていてあげる者がなければ生きられない人なんですから」
とつけ加えて、当惑がりました。
「なあに、一人だってかまわないよ」
と竜之助が、ブッ切ったように言う。
「かまわないことがあるものですか、さし当り、誰が朝夕の御膳を運んでくれますか」
「女中がいるだろう」
「女中任せなんぞにできる人なら、心配はありませんよ」
「では、宿のおかみさんか誰か」
「宿のおかみさんというのは、まだ若いのです」
「若くったって、かまわない」
「こちらはかまわなくても、あちらがかわいそうです」
「どうして」
「どうしてたって、あなた、あなたという人は、人の若いおかみさんが好きなんでしょう」
「何を言ってるのだ」
「わかってますよ。それに、この宿のおかみさんは、若くて、愛嬌があって、上方風の美人なんです」
「それがどうしたというのだ」
「そればかりじゃありません、ここは近江の長浜というところですよ」
「長浜はわかっている」
「そうして、この宿は、長浜の浜屋という宿なんです」
「それも、前から聞いて、ようくわかっているよ」
「そればかりじゃないのです、その若いお内儀かみさんの名前が浜っていうんです」
「え」
「驚いたでしょう、そのお内儀さんを、あなたのところへ出せますか」
「うむ――」
「どうです、そう聞いているうちに、そら、もうあなたの血の色が変ってきました、かわいそうに、これでもう、この宿のお内儀さんが見込まれてしまいました。わたしという人も、うっかり言わでものことに口をすべらしたために、また一つの殺生をしてしまいました。これではとても、ここへひとり残して置くわけにはゆきません。といって、この人をわたしが連れて、白昼どこへ歩けますか、夜更けにはなおさらあぶないものです」

         二十四

 胆吹の新館のお銀様の居間で、お雪ちゃんがしきりに桔梗ききょうの花を活けている。
 お雪ちゃんとしては、お銀様に出し抜かれて湖水めぐりをされてしまったようなものの、それでも心からお銀様を恨むということも、憎むというほどのこともあろうはずはなく、今では充分の好意をもって、その不在の間にお花を活けて、床の間への心づくしをして置いて上げたいという気持にまでなっているのです。
 思うようには活けられないけれど、せめてお銀様に笑われないように――ああも、こうも、と枝ぶりに精をこめている間に、つい我を忘れる気持にまでさせられてしまいました。芸術的気分とでもいうものでしょう――無心になって花を活けていると、その後ろから、不意に物影が暖かくかぶさりましたのに、無心の境を破られて、はっと見向くと思いがけなく、自分の背後にお銀様が例の覆面のままで、すらりと立って、こちらを見下ろしているではありませんか。
「まあ、これはお嬢様、お帰りあそばしませ」
 お雪ちゃんは少し周章あわてて、いずまいを直して挨拶をしますと、お銀様は、
「たいそうお上手ですね」
「いいえ、お恥かしいんでございますよ」
 お雪ちゃんは恥かしそうに申しわけをすると、
「結構じゃありませんか」
「いいえ、お嬢様のお留守の間に、ほんのお笑い草までにと思いまして」
「どうも有難う」
「ほんとにお恥かしい……」
「全くお見事ですよ、わたしなんぞには、とてもそうは参りません」
「どういたしまして、お嬢様なぞは、お仕込みが違っていらっしゃいますから」
「天性のものですね、わたしなんぞいくら稽古をしても、無器用なものですから」
「いいえ、お嬢様は万事に筋がよくっていらっしゃいますから」
「芸事では、お雪さんにかないません」
「どう致しまして」
「それで結構です、頂戴して飽かずながめることに致しましょう――お手並もよいが、花の選みも悪くございません」
「少しでもお気に召しましたら、わたし本望でございます」
「部屋全体が、これですっかり落着きが出来ました――お雪さん、そこはそのままにして、あとで誰かに片づけさせましょう、早速ですが、一つあなたに頼みがあるのです」
「何でございますか」
「あのね――」
「はい」
「御苦労ですけれども、お雪さん、これから、あなたにひとつ長浜まで行っていただきたいのです」
「長浜まででございますか」
「はい、長浜へ行って、暫くあそこに泊っていていただきたいのです、しばらくといっても、そう長い間ではありません、せいぜい五日か十日」
「承知いたしました、どういう御用か存じませんが、お嬢様のおっしゃるお言葉でしたら……」
「それでは早速お頼みしますが、長浜へ行きますと、浜屋といって、古い大きな構えの宿屋があるのです、そこへ裏木戸から行って、お雪さんに、暫く泊っていていただきたいのです」
「よろしうございますとも、いつでもおともを致します」
 おともと言われて、お銀様の言葉が少しセキ込みました。
「いいえ、わたしは行きません」
「では?」
「お雪さん、あなた一人で行って泊ってもらいたいのです」
「わたしが一人で、その宿へ泊りに行くのでございますか」
「ええ――一人で行って、向うに人がいますから、その人の介抱をしてもらいたいのです」
「まあ――どなたかのお世話をして上げるのでございますか」
「それはね、行って見ればわかります」
「でも……」
と、こんどは、お雪ちゃんの言葉がよどみました。お雪ちゃんとしては、お銀様のおともをして長浜まで行くものとばっかり思っていたのが、そのお銀様は行かないで、自分一人で行け、行った先に人がいるから、その人を介抱に――しかも、その人は誰か、行って見ればわかると言われるほど、お雪ちゃんの気分が、わからないものになります。

         二十五

「ねえ、お雪さん、あなたは、わたしのたった一人の妹でしょう、たしかにそのはずです」
勿体もったいないことです、わたしは、お嬢様にそうおっしゃっていただきましても、あなた様の御家来のつもりでおります、御姉妹なんぞ及びもつきません」
「では、もし仮りに家来として置きますと、なおさらわたしの言いつけをそむきはしないでしょう」
「反きませんとも、お嬢様のおっしゃることならば、火水ひみずの中でも……」
「では、黙って、長浜へ行って下さい、そうして浜屋の裏の木戸口へ行きますと、刎橋はねばしがあります、そこから入って、しるしがしてありますから、誰にことわる必要もありません、廊下伝いに行きますと、秋草の間というのがありますから、そこへ入って行くと用向がすっかりわかるようにしてあります」
「承知いたしました」
 お嬢様のためならば火水の中までも、と言った手前、お雪ちゃんは無条件でその言うことを聞き従わなければなりません。
「そうして、つまり、病人がいるのです、その看病を、心ゆくばかりあなたに頼みたいのです」
「御病人の看病でございますか、承知いたしました、わたしでできますことならば、できます限り――」
「できますとも、あなたでなければならないのです」
「いいえ、わたしは御病人の看病なんぞ、あんまり慣れませんから」
と、お雪ちゃんが謙遜し、服従しながらも、心の中では合点し難いものが多いのです。病人の看護は頼まれればできない限りはないが、わたしでなければならない病人の看護というものがあるべきはずもないでしょうのに、お銀様の言い廻しが、どうも少し変だと思われないではないが、やはり、絶対服従を誓っている以上は、反問は許されないことで、お雪ちゃんとして、このお嬢様の特異性を心得ているばかりか、このごろでは、心から崇拝する信仰的にさえなりつつあるのですから、否やはあろうはずはありません。お雪ちゃんを退引のっぴきさせないようにして置いてから、お銀様はなおも畳みかけて言いました、
「その病人は、病人のくせに、退屈がって出歩きをしたがっていけないのです、ことに夜分は気をつけなければいけませんから、お雪さん、あなた、目を離さずついていて、一寸も外へは出さないようにして下さい。もっともあなたがついていれば、お出なさいと言っても、出ないかも知れません」
「そんなはずはございません」
 お銀様の言いぶりが、いよいよ消化しきれないものがあるので、その申しわけも、お雪ちゃんとしていよいよ要領を得ないものになる。それをもお銀様は押しかぶせて、
「でも、そうしているうちに、わたしも行くでしょう、そうしたら、その人たちと一緒に、竹生島へでも参りましょう、湖水めぐりもやりましょう」
「それは嬉しうございます」
 お雪ちゃんがお礼を言う。お銀様は冷然として、
「では、これから直ぐお頼みします、行きだけは誰かに連れて行ってもらいましょう。ああ、誰かというより、友さんがいいでしょう、米友さんに頼んで送って行ってもらいましょう」
「あ、お嬢様、その米友さんでございますが……」
 ここで、お雪ちゃんの気色も、言葉も、ガラリと変ってしまいました。
「友さんが、どうかしましたか」
「あの、お嬢様、米友さんの行方が知れなくなったのでございます」
「どうして」
「なんでも、お嬢様がお出かけになって間もなく、やっぱり長浜の方へお出かけになったまま、音沙汰おとさたがないのだそうでございます」
「あの人のことだから……」
 お雪ちゃんがあわただしいわりあいに、お銀様は冷淡な挨拶です。それというのは、行方不明といったところで、あの男のことだから、やがてひょっこり帰って来るだろう。或いはもう立帰って、料理場の隅に好きな栗でもでているのではないか、といった程度のものです。ところが、お雪ちゃんの不安な色は容易に去らないで、
「いいえ、それが只事ではないらしうございます、役人に捕まって、さらしとやらにかけられているというような、不破の関守さんのお言葉でしたが、くわしいことをわたくしに知らせて下さらないのが、いっそう心配なんでございます」

         二十六

 米友の行方については、お銀様も、お雪ちゃんも、関心の限りでないことはないが、さりとて、上の如き運命が、今や盛んに米友の上を見舞いつつあるとは、お雪ちゃんはもとより、お銀様といえども想像の限りではありませんでした。
 そこで、二人とも、米友のことについては、ちょっと暗い思いをしましたけれども、お銀様はたちまち平静に返って、お雪ちゃんに向って言いました、
「では、お雪さん、頼まれて下さいね、米友さんがいなければ誰でもいい、誰かに附添ってもらって、乗物でおいでなさい」
「いいえ、長浜までは三里の道でございましょう、わたし、そのくらい歩くことはなんでもございません」
「いいえ、それには及びません、乗物といっても、馬はあぶないから、駕籠かごでいらっしゃい」
「いいえ、徒歩かちで結構でございます」
「それはいけません、そうしてね、着物も着換えていらっしゃい、髪も結い直していらっしゃい」
「有難うございます」
「あの戸棚をあけてごらんなさい、二重の乱れ箱の下の方が、あなたのためにこしらえて置いた着物です」
「まア――」
「それから、お雪さん、あの鏡台をここへ持出して下さい、わたしが、あなたに髪を結って上げます、上手ではありませんけれど」
「まあ、お嬢様、それはあんまり勿体ないことでございます」
「いいえ、かまいません、わたしも久しく女の髪を手がけませんから、変なものが出来るかも知れませんが、結わせて下さい」
「では、お言葉に従います」
 この女王の言うことは、高圧である。好意をもって言ってくれるにしてからが、命令とよりほかは誰にも響かない。お雪ちゃんといえども、それ以上、辞退する力はない。
 ほどなく鏡台の前へ坐らせられたお雪ちゃんは、申しわけのように、
「あれから、わたしは髪を結んだことがございません、いつもこの通りにしておりますから、もう、すっかり癖がついてしまって、とてもお結いにくいことでございましょう」
 ここにお雪ちゃんが、あれからというのは、ドレからであろう。お雪ちゃんがこういうふうにして、現代式に――或いは、平安朝式に結び髪にして後ろへ下げたなりの風俗は久しいことでありました。それがまた、女王様の手にかかって新たに結び直されようとする。この女王は果して、この少女の髪を、いかように扱うつもりか知らん。それは任せるだけであって、問うことを許されない。許されないわけではないけれども、お雪ちゃんはまぶしくて尋ねられない。その座へ坐らせられてみると、髪を結うことはおろか――首を斬ると言われても反問はできない。そんなような心持でお雪ちゃんが神妙に髪結の座に直っていると、後ろへ廻ってお銀様は、のするように、くしを入れて、癖直しにかかりながら、
「今日は島田に結んで上げましょう」
「まあ――」
 お雪ちゃんは、我知らず顔が真赤になりました。
「お雪さん、あなたは島田よりか桃割ももわれが似合うかも知れない、桃割に結ってみて上げたいとも思うけれど、それではあんまり子供らしいから」
 お銀様の手先の存外器用なことにも、お雪ちゃんは驚かされました。手先が器用だけではない、この人は、人の髪を結ってやることが好きなのだと思わずにはおられません。人の髪を結ってやることが好きというよりも、人の髪を結ってやることに於て、自分の芸術心に満足を求めているのだとしか思われないことほど、非常に丹念に絵を描いたり、彫刻したりするような気分を、はっきりと見て取ることができます。
「お嬢様、あなた様は、どうしてまあ、髪上げなんぞにまで、こうもお上手でいらっしゃいます」
と、やっとこれだけの推称をしてみますと、お銀様は、
「長浜へ行ったら、この次にはお雪さんを丸髷まるまげにしてあげます」
「え」
 お銀様の言うことすことの意表に出づることは、わかり切っていながら、その度毎に、お雪ちゃんのきもを奪うことばかりです。

         二十七

「お嬢様、丸髷まるまげなんて、それはあんまり……」
 桃割のきまりの悪いよりも、お雪ちゃんにとって丸髷と言われることは、なお一層、きまりが悪い程度を越して気味が悪い、と言った方がよいでしょう。そうすると、お銀様が、何かしら少々の自己昂奮を覚えたものの如く、
「いいえ――もうお雪さんは、丸髷に結っても似合わないことはありませんよ」
御冗談ごじょうだんを……」
「桃割から島田になり、島田から丸髷にうつる時に、女が女になるのです。ですから、丸髷というものは憎いものです」
 お雪ちゃんは何と挨拶していいかわからない。
「でもお嬢様、丸髷っていいものでございますね、あんないきで、人がらな髪はございません」
「お雪さん、あなたも丸髷がお好き?」
「え、わたし、自分はそんな柄ではありませんけれど、好きなという点から言いますと、あんな好きな髪はありません」
「わたしも、丸髷は大好き……」
「お嬢様、あなたこそ、丸髷が全くお似合いになりますよ、すらりとしたお姿に、粋で高尚な丸髷を結んでごらんあそばせ、それこそ、わたしたち女が見て、うっとりするお姿になるでしょうと思います、ほんとに、お嬢様の丸髷姿こそ、どんなにお人柄でございましょう」
「そうか知ら」
「丸髷は江戸風がよろしうございましょうか、京風でございましょうか。長浜にも、きっと上手な髪結さんがいることでしょうから、お嬢様、今度は、あなたこそ、丸髷にお結いあそばして、お見せ下さいまし」
 お雪ちゃんがこう言ったのは、あながち、お銀様の意を迎えるためにばかり言ったのではない、事実、お銀様その人の姿かたちというものを見ているうちに、ことに、そのすらりとした後ろ姿などを見せられる時は、女ながら、うっとりさせられてしまうことは度々なんでした。日頃、心にあることが、うっかり口へ出ただけなのでしたが、その言葉と共に、お銀様の元結もとゆいを結ぶ手が、ブルッと異様にふるえたのを感づくと、電気に打たれでもしたようにハッとして、
失策しまった」
と、これは口には出さなかったが、自分ながら、鏡にうつるかおの色がさっと変ったのを気づかずにはおられません。
 この女王様に、髪を結って見せろと言ったのは、いかに重大なる禁忌に触れたのではなかったか。姿のいいことばかりを考えていたが、その首から以上の神秘に於ては、お雪ちゃんは今日まで、ついに何物にも触れていないし、許されてもいない。この女王様が、朝から晩まで、屋外にあると、室内にあるとを問わず、秘密を守り通しているこの覆面の中の神秘は、いまかつてお雪ちゃんの前に開かれていない。お雪ちゃんとしては、女王様の威力に圧倒せられて、仰ぎ見ることができないといった、ある程度のはばかりもあるが、同時に女性として、包み隠さねばならぬほどの秘密を、かりそめにもあばきうかがうには忍びない、というしおらしい惻隠そくいんもある。そこで、お雪ちゃんは、今日まで起居を共にしていても、お銀様の首から上の形態は問題にしていない。その頭脳の精鋭には心服しているが、形態的には首から上の先天的に存在しない人として、この女王と応対するに慣らされている。ところが、たった今、不用意で言ったことは、明らかにこの禁忌に触れていたということを、口をすべらしてはじめて気がついたのです。
「わたしは、人の髪を結ってあげることは好きだが、自分の髪を結うのは嫌いです、自分の髪の毛が、どんな色に変っているか、それは見たこともない、見ようとも思わない……見ようとも思わないものを、人に見せるわけにはゆきません」
と、お銀様の言葉は存外平調でしたから、お雪ちゃんもホッとしました。
 髪を結い終ると、お銀様が、
「では、お雪さん、あの衣裳箱をとり出して、あなたの身に似合う着物を見立てて下さい、いいえ、かまいません、上も下もみんな抽斗ひきだしを抜いて見て下さい――わたしが手伝って着つけをして上げましょう、長浜は縮緬ちりめんの本場で、衣裳のことにはみんな目が肥えているでしょうから、笑われないようにして行って下さい」
 お銀様の結い上げた島田の出来栄えに、お雪ちゃんはのぼせるほど興味を感じているところへ、立てつづけに衣裳の詮議、それもこの場に於てのあらゆる豪華を尽して展開されようというのですから、お雪ちゃんはわくわくとして、別の世界へ連れて行かれる気分にさせられてしまいました。

         二十八

 やがて出来上ったお雪ちゃんのよそおいは、結綿ゆいわたの島田に、紫縮緬の曙染あけぼのぞめの大振袖という、目もさめるばかりの豪華版でありました。この姿で山駕籠やまかごに揺られて行くと、山駕籠が宝恵駕籠ほえかごに見えます。
 春照しゅんしょうから長浜へ行く、なだらかな道筋、その駕籠わきに小風呂敷を引背負って附添って行くのは、近頃この王国の御飯炊きになった佐造というお爺さん。人里近くなるにつれて、村人村童の注視の的とされずには置きません。
「あれ、綺麗きれいな人が通るよ」
「お人形さんみたいのが通るよ」
「お駕籠で、どこぞのおいとはんが通りなさるよ」
「まあ、綺麗」
「立派だな」
「どこのおいとはんだすやろ」
「あ、ありゃお軽さんだぜ」
「おお、お軽さんだ」
「お軽さんなら山科やましなへ行かるるのでおまっしゃろ」
「いいや、お軽さんは祇園ぎおんへ売られて行くんだっせ」
「祇園だわ」
「京の祇園へ、おいとはん、売られて行くんだっせ」
「かわいそうに――」
「あの年でなア――」
「お軽はん、かわいそうに」
 彼等は口々に、お雪ちゃんをお軽にしてしまいました。
 山科から祇園へ売られて行くお軽さん。多分、村人村童たちは、村芝居の教育によって、駕籠かごに揺られている美しい女を、いちずに、お軽ときめてしまっているらしい。お雪ちゃんはそれを聞いていい気持はしない。いい気持のしないのは、今に始まったのではなく、最初から、こういう極彩色に自分の身をして町に下らしめられることが、本意ではなかったのです。お銀様の意志によって、こういうことにさせられてみると、恥かしいやら、おかしいやら、苦しいような、くすぐったいような気分にさせられてしまいましたが、それでも若い娘のことですから、美しい粧いをさせられたということに、堪え難い嫌悪けんおの念は起しませんで、どうかすると、一種の得意の念をさえ催して、年にも似合わずけていた自分というものを、急に青春を取戻したような心持にもなってみたが、村人村童から忠臣蔵のお軽に見立てられて、祇園一力いちりきへの身売り道中にさせられてしまったことには、笑っていられないものがありました。
「お軽さんだぜ、ほら、お爺さんが附添っているだろう、あれが与一兵衛よいちべえはんだっせ」
「おお、与一兵衛さん……」
 お雪ちゃんがお軽にさせられた巻添えを食って、気の毒に佐造老爺が、与一兵衛にされてしまう。
 誤解も、誤伝も、慣れてしまえばあまり気にはならない。本来、さばけた気風きっぷを持っていたお雪ちゃんは、長浜へ近く、ようやく人の眼と口とに慣らされてくると、もう全く度胸が据ってしまいました。何とでもお見立てなさい、また何とでも品さだめをおっしゃい、わたしはこうさせられたこの身上で、行くところまで行きますよ、珍しければ、いくらでもごらんなさい、見られるだけで、穴はあきませんよ、といったような自暴やけに似た度胸にまで変ってきてみると、かえって自分が人から注視の的とされることに、幾分の得意をさえ感じないではありません。
 さて、こんな、見栄みえだかさらしだかわからない身上で、わたしはいったいどこへ落着くのだろう。お銀様から、落着くべき絵図面は事細かに書いてもらってある。そこへ落着きさえすれば、万事はきまることはわかっているが、落着く先の空気と、相手になるべき人の身の上のことは、一向にわからない。

         二十九

 そのうちに、お雪ちゃんは、ふいと、こんな気持になりました――
「では本当は、わたしはお軽さんと同じ運命に売られていくのではあるまいか、与一兵衛さんに見立てられた佐造老爺さんは、実はぜげんの源六という人ではないか、長浜へ用向とは表面上、わたしは、真実は売られて行く身ではないかしら、もしか真実に、わたしがあの忠臣蔵のお軽さんと同じ運命に置かれた身であったとしたら、わたしはどうしよう……」
というような空想。お雪ちゃんは最初から相当なロマンチストでありますから、駕籠に揺られながら、思わず忠臣蔵の劇中の人に身を置いて、あの芝居の中の最高潮の悲劇のことを、とつおいつ考えはじめましたが、いつしか、そんな空想も破れて、それはあるべきことではない、第一、お銀様という人が、わたしをだまして売るなどと、そんなことのあろうお人柄であろうはずはない――いったい、わたしは何のために、どうしてこんな盛装までさせられて送られねばならないのか、単にお銀様その人の好奇ものずきの犠牲としての、この成行きであろうはずはないが――問うてみても許さるべきでなかったし、問わない方がかえって気休めであると思って、こうして送られて行くが、行先のことが考えれば考えるほどわからない。人の看病ということにしても、なにもそれだけなら、ことさらに、わたしをわずらわさなくとも、いくらもほかに人はあろうものを、わたしでなければならないようなこの仕打ち――それをお雪ちゃんが、また駕籠の中で思いめぐらしているうちに、ようやくはたと気がついたことがありました。
 ああそうだ、昨日、不破の関守さんのお話の末に、ふと、お銀様のお父様が、こちらへ旅をしておいでになったとのこと、それを小耳にはさんだように覚えているが、それで分った。お銀様のお父様がその長浜の浜屋とやらに泊っていらっしゃる、お銀様としては、あの気象で、お父様を取持つことはできないから、それで、わたしを代りに――それそれ、それに違いない。お銀様のお父様という人は、甲州第一のお金持、その大家の長女としてのお銀様との間に、何か言うに言われない悲しい事情がおありなさるということは、わたしもうすうす聞いていた。父にそむいた娘を、父の方から見届けに来るということも、また有りそうな親心。
 お雪ちゃんは、そう合点がてんをしてみると、急に明るい気持になりました。その役目としてわたしが選ばれた上は、できるだけお銀様のお父様の御機嫌もとり、なおできるならば、父と子との間の相剋そうこくの融和の足しにもなって上げたい。これは全く光栄のある役目につかわされたものだ。それだけ責任というものも重きを加うる所以ゆえんで、お銀様のお父様のお気に入られないまでも、あんな卑しい女とさげすまれないように心がけなければならぬ。その点もあればこそ、お銀様もこうして、それとなくわたしの身だしなみにまで心をつくして下さったのだと、それで万事が呑込めました。
 お雪ちゃんは、こんな心持になってみると、世間が明るくなった思いでしたが、日はいつしか暮れ方で、早くも長浜の町に入って、与一兵衛どのの案内知った手引で、浜屋の裏口に着いていました。
 浜屋の表から案内を頼むには及ばない、万事は絵図面に描いてもらってある。鍵をあずかっているから、直接に裏口の木戸からと言われる通りに、その辺で下り立って、夕まぐれひとり浜屋の裏口の木戸に向って行きますと、石畳の二間ばかりの堀に、町としては美しい水が流れていて、そこに刎橋はねばしがある。
 そこを渡って、木戸の錠前じょうまえを外からあけにかかった時に、お雪ちゃんがまたなんとなく陰惨な気分に打たれました。

         三十

 湖畔にこういう突風が起りつつあることを知るや知らずや、道庵先生は抜からぬかおで、大津の旅宿鍵屋かぎや店前みせさきへ立現われました。
「わしゃ江戸の下谷の長者町の道庵というものだが、この宿に同じ江戸者で、お角さんという、下っ腹に毛のねえのがいるはずだ」
と、いきなり店先へ怒鳴り込んだものです。
 江戸の下谷の長者町の道庵とみずからを名乗ることもよろしい、同じ江戸者で、お角さんという相手の名を呼ぶのもよろしいが、下っ腹に毛のないというのはよけいなことです。下っ腹に毛があろうとも、なかろうとも、この場合、そんなよけいなことを附け加える必要は断じてない。この点では、いきなり玄関払いを食うべき無作法だが、不思議と宿では、
「それ、おいでなすった」
 この無作法千万なる来客を、待っていたとばかり、帳場も、男衆も駈出しというていで、下へも置かず、手をとって、早くも座へ招じ上げようとする。
「まあ、そうおせきなさるなよ、医者だからとて、旅へ出たら少しは楽をさせてもらいてえ。旅人たびにんだよ、この通り、旅路だから草鞋わらじ脚絆きゃはんという足ごしらえだあな、まずゆるゆるこれを取らしておくれ――それ、お洗足すすぎの用意用意」
 道庵は、上り口へどっかと腰を卸して、泰然自若たるものです。
「さあ、お脚絆、さあ、お草鞋――さあさあ、お洗足……」
 全く下へも置かず、頭の慈姑くわいつまみ上げんばかりのもてなし。道庵としては全く初めてのふりのお客である。馴染なじみでもなければ、定宿でもないのに、いくら下へ置かぬ商売だからといって、これはあまりに要領が好過ぎ、呑込みが好過ぎ、サーヴィスが有り過ぎる――と一応は、そうも受取れますけれども、これあながち、その根拠がないわけではないのです。
 お角さんは、道庵の来るのを待兼ねていて、いつ何時、これこれこういう人が、尋ねて来るかも知れない。必ずよっぱらっておいでになり、口にはたいそう毒を持っているから、そのつもりで扱って上げてください。なアに、口に毒は持っているけれども、御商売は薬を扱う江戸でも名代のお医者さんだから、失礼のないように。もしわたしが不在でも、かまわず部屋へお通し申して、できるだけ丁寧に扱って上げておくれ。そうしてまた、御酒が大好きなんだから、吟味したところを、いくらでも御所望次第差上げておくれ。おさかなもこの琵琶湖の選抜えりぬきのところを――なあに、いくら召上っても正気を失うような先生ではない、わたしが帰るまで、そうしてできるだけ丁寧に取持って置いておくれ――
 こういうことが、お角さんからかねがね吹込んであるものですから、宿でも先刻心得たもので、
「それ、おいでなすった」
 車輪になって、お角さんの申しつけて置いた通りに、サーヴィスをはじめたものです。
 かくて、足も取り、洗足すすぎも終ってみると、早速通されたところは、お角さん借切りの豪華な一室でありました。
 御輿みこしを据えるとたん、早くもお銚子の催促であり、その催促を皆まで言わせない先に、続々とお好みの見つくろいが取揃えられる手廻しぶりに、道庵すっかり悦にってしまって、
「どうも、これだから、上方かみがたの奴は油断がならねえ、ことにこの江州者ときては、昔っから近江泥棒、伊勢乞食といって、こすいことにかけては泥棒以上だから油断もすきもありゃしねえ、道庵きたると見て、ハイ灰吹の格で、このサーヴィスぶり、いやはや全く、江州者には油断がならねえ」
と、早くも盃をとりながらこういう御託宣ですから、給仕に立った女まであきれたかおをしました。
 幸いに、この給仕女が他国者であったからまず無事とはいうものの、その土地へ来ていきなり、「近江泥棒、伊勢乞食」と浴せかけるなんぞは、いくらなんでも毒が有り過ぎて、相手が気の短いものなら張り倒されるにきまっているが、これは多分、山城の場末あたりから来た新参の女中だったのでしょう、
「ホ、ホ、ホ、仰山ぎょうさん、御機嫌よろしうおますな」
「おますよ、おますよ、おましちまわあな」
 たあいもなく道庵も、駈けつけ三杯を納めることができました。

         三十一

 道をげて胆吹山へ侵入した道庵が、どうして、いつのまに、ここまで来着したか、順路を彦根、八幡はちまん安土あづち、草津と経て、相当の乗物によって乗りつけたか、或いはまた徒歩でテクテクとやって来たのか、そうでなければ、いったん長浜へ出て、あれから湖上を、ここまで舟で乗りつけたか――ただしは例の脱線ぶりあざやかに、湖水の北岸廻りをして、野洲やすから比良比叡の山ふもとを迂廻して来たか、その詮索はひとまずさしおいて、もし徒歩でテクって来たとすれば――道庵先生は老いたりといえども、あれでなかなか平地を歩かせては達者なものです。それは裏宿七兵衛や、がんりきの百蔵といったような生れ損ないの足とは比較にならないけれども、背が高くて、コンパスが長いだけに、足には充分覚えがあるのですから――相当な突破をしていると見てもよろしいのですが、陸路を来たとしても、八幡、彦根、安土の順路を取らなかったことは確かです。何となれば、草津街道へかかりさえすれば、いやでも昨今のあの「さらし」を見ないわけにはゆかない。あの「晒し」が一目なりと道庵の眼に触れた以上は、さア事です。その沸騰は、まさにお角さん以上と思わなければならない。それが無事でここへ来ているというのが、あの晒しの現場を通らなかった証拠――と言えば言えるに違いないが、それにしても、もしまた駕籠かごか馬でもハリ込んで、揺られながら、いい気持の寝呆先生ねぼけせんせい気取りで、「乗せたから先は……」なんかんと納まり込んで、さしも街道名代の草津の晒し場を、ムニャムニャのうちに突破して、ここへ無事に到着の段取りと解釈のできないこともない。
 いずれにしても道庵先生は、自分が唯一無二の股肱ここうと頼み切った米友が、今日明日のうちに首がコロリという、きわどい、危ない運命のほどを、一向に御存じないことだけは確かなものです。
 さればこそ、この油断も隙もないもてなしを、遠慮会釈もなく引受けて、太平楽に納まり込み、
「江戸を一歩一歩と離れるのは、それだけ故郷に対して一歩一歩とさびしくもあるが、京へ一歩近づくほどに、こいつがよくなるのは有難え。江戸は道庵が第一の故郷である、酒は第二の故郷である、第一の故郷を離れて、第二の故郷へと進んで行くんだ、有漏路うろじより無漏路むろじに帰る一休み、と一休坊主が言ったのは、ここの呼吸だろうテ」
 途方もないでたらめを言いながら、たしかに吟味してある酒と、これは吟味しなくともおのずから備わる湖上の珍味とを味わいつつ、ひたすら興に乗ってしまい、いったい訪ねて来た相手のお角親方はどこへ行った、いつ帰るのだ、と駄目を押すことさえ忘れている。この酒と、このさかなさえあれば、尋ねる主などは、いてもいなくても差支えないという御輿みこしえぶりでしたが、宿ではあらかじめ、かなりにその予備知識が吹き込んで置かれてありましたから、さのみ驚きません。
 道庵先生は、いよいよ御機嫌斜めならず、しきりにくだを捲いたり、取りとまりもないことを口走ったりしておりましたが、相手の年増女中がいっこう気のないのを見て取って、
「お前、あっちへ行きな、おらあひとり者なんだから、この手酌でチビリチビリというやつに馴れてるんだ。そうして置いて、頃を見計らって、お代り、お代りと持って来て、そこへ置きっぱなしにして、そうして行っちまいな――いい、おらあ、ひとりで、チビリチビリと独酌というやつでねえと、酒がうまく飲めねえたちなんだから――」
と、また一本の徳利を逆さに押立てて、したみまでも、しみったれに猪口ちょくの中へたらし込みながらあごでそう言いましたから、女中も心得て、
「それでは、失礼させていただきまんな、御自由に、たんとお上りあそばせ」
 女中を追払ってしまった道庵は、いよいよいい気になって、独酌の天地に自由陶酔をはじめる。一杯、また一杯――京も大阪もみんなこの道庵を迎えるために存在している天地のように心得て、いよいよ太平楽をならべているうちに、酔眼をみはって、そろりそろりとこの部屋の中を見廻しました。
 相当にった作りのこの造作を見廻し、関東風の旅籠はたごとの調度の比較などを試みているうちに、部屋の一隅に張りめぐらした六枚屏風ろくまいびょうぶきっと酔眼を留めて、鋭く中を見込むようなこなしをやりました。鋭くといっても、朦朧もうろうたる酔眼に、いて力を入れての虚勢ですから、威力のないことおびただしい。しかし、何か感じたことがあると覚しく、幾度か眼に力を入れ直しては、この六枚屏風をためつすがめつ、
「怪しい、この屏風の中が怪しいとにらんだ」

         三十二

 道庵先生が酔眼をみはって、この屏風の中こそ怪しけれと不審をうったその屏風の中には、なんらの物音もしないのだけれども、そう言われてみれば、たしかに、物の気がその中にあるらしい。たとえ物音はしないにしてからが、物の気が中にあるのとないのとは、弁信法師ならずとも、勘によってわかる人にはよくわかる。
 たしかにこの中に物の気ありと見てとった――いや、勘で受取ったらしい道庵は、もう放すことではない。今まで、ひとり天下で、何を当てともなく、捲いていた管槍くだやりのやり場を、この屏風に向って集中し、
「たしかにその屏風の中が怪しい、七尺の屏風の中こそ怪しけれ」
といっても、立って、つかみかかって、引剥いで見るようなことはしない。
「七尺の屏風も、躍らばなどか越えざらん、あやの袂も、引かばなどか断えざらん」
 朗詠まがいの鼻唄になってしまいましたが、次には、そんな優雅なのではなく、
「コン畜生、やい、近江泥棒――」
と悪態を吐いてしまいました。
「その屏風の中にいるのは、近江泥棒だろう、油断も隙もならねえが、余人ならばいざ知らず、この道庵の眼をくらまそうなんぞとは、近江泥棒もすさまじいぞ」
 近江泥棒を連発するのははなはだ聞き苦しい。単に聞き苦しいだけではない、悪態も品によりけりで、その国人を泥棒呼ばわりすることは、重大な名誉毀損めいよきそんであって、人によってはなぐられる。酔ってはいながらも、性根を失わない道庵は、さすがにそこに気がついたと見えて、急に、
「ハ、ハ、ハ」
と、いやに笑いくずして、
「と、いったものさ、近江の人に言わせると、近江泥棒、伊勢乞食というあれは、語呂の間違いで、本当は近江殿御に伊勢子正直というんだそうだ、その方が正しいのだそうだ。ところで近江の人間は商売が上手で、その道で成功する、伊勢の人間は貯蓄心に富んでいるから、金持になる、近江の人間が成功して大商人になり、伊勢の人が金を貯めて金持になる、それをケチな奴等がねたんで悪口を言ったのが、すなわち近江泥棒、伊勢乞食となったのだ、ひとの成功をうらやむケチな了見りょうけんの奴が、得てして真面目正直の成功人種をとらえては、そういうケチをつけたがる、取るにたらねえよ、怒んなさるな、ハ、ハ……」
と道庵が、自分で弁解をつけて、いいかげんに如才なく笑い崩したところは、やっぱり旅へ出ての引け目である。この先生の食えない一面である。
 そういう下らないことを口走りながらも道庵は、やっぱり屏風に着けた酔眼をしつこくして、
「といったものだが、屏風の中にいらっしゃるのは泥棒だか、聖人だかわかりはしねえ、この近江の国には、泥棒もいるか、いねえか、その事はよく知らねえが、聖人だけは確かにいる、その点は道庵が保証する、近江聖人といって立派な聖人がいる、こいつはゴマかしものじゃねえ、近江聖人は本場のからへ出しても立派な聖人で通る男だ、本格の聖人だ、近江なんぞへ置くのは惜しい男だよ、ああいうのには道庵も頭が下るねえ――ところで、その屏風の中にいらっしゃるのは、泥棒でげすか、そもそもまた聖人でげすかな、しからずんば君子――君子でげすかな。君子、君子、君子にも梁上りょうじょうの君子というやつがござる、大方その梁上の君子というやつでござろうな。盗人の昼寝といってな、白昼、人の家に忍んで昼寝をする奴は油断がならねえ、名乗んな、尋常に名乗んな、名乗って出ればお近づきに一杯飲ませて上げるが、いよいよ狸とあってみれば、退治るよ」
と言ったかと思うと、道庵がすっと立ち上って、屏風に向って歩み寄って来ました。
 しらばっくれてはいるけれども、道庵として合点がてんなり難き一応の不審を感じたればこそ、管まきにかこつけて、一応の検討をしてみようという気になったらしい。

         三十三

 道庵先生の勘といっても、それはもちろん、弁信法師のような鋭いものではないけれども、さすがその道の名人(?)だけのものはあって、この物の気に、たしかになんらかの異常を感得したものではあるようです。
 留守であるといえば、人のいないこの部屋に、たしかに何者かがいる。屏風の中に物の気がする。もし従者だとすれば、主人の不在をつけ込んで、主人の寝床にもぐり込むなんぞは図々しい。まさかお角が、旅にまでイカモノをくわえ込んで隠して置くはずはない。そこに道庵が不審を打ったのも、さすがに眼が高いものです。
 案の如く、この屏風の中には、がんりきの百蔵というやくざ野郎が、先刻から息を殺してひそんでいる。
 臭いところから侵入して来て、お角を焚きつけて置いてから、自分はこの部屋へ納まり込んで、早速のことに戸棚から夜具蒲団を引っぱり出し、有合せの六曲を引きめぐらすと、いい心持で足腰を伸ばしてうつらうつらとしているところへ、不意に道庵先生の御見舞です。最初のうちは、お角が立戻ったのか知らと思ったが、そうではない。極めて口に毒のありそうな奴が、女中をからかいながら乗込んで来ました。こいつはいけねえと、急に狸をきめ込んでいたのが、何かの拍子でせきを一つした、それをついに道庵に感づかれてしまったという事態になってしまいましたのです。
 飛び出して走る分にはなんでもない。逃げ走ることは商売同様だから、それはなんでもないが、出ればすっかり網が張ってある。いま飛び出してはあぶない。あれから、こうして、ここに隠れていれば、もはや金城鉄壁。そこでこいつとしては、久しぶりでのうのうと足腰を伸ばしていたところへ、またしてもこの邪魔者――蒲団の中で忌々いまいま)<