TOP連載小説中里介山
過去の掲載

大菩薩峠

白雲の巻

中里介山




         一

 秋風ぞ吹く白河の関の一夜、駒井甚三郎に宛てて手紙を書いた田山白雲は、その翌日、更に北へ向っての旅に出で立ちました。
 僅かに勿来なこその関で、遠くも来つるものかなと、感傷をたくましうした白雲が、もうこの辺へ来ると、卒業して、漂浪性がすっかり根を張ったものですから、※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊顧望なんぞという、娑婆しゃばッ気も消えてしまって、むしろ勇ましく、北地へ向けてのひとり旅が成り立ちました。
 得てして、人間の旅路というものはこんなものでして、ある程度のところで、ちょっとこらえられぬようにホームシックにつかまるが、これが過ぎると、またおのずからいい気というものが湧いて出て、かなりの臆病者でさえが、唐天竺からてんじくの果てまでもという気分になりたがるものです。
 白河城下を立ち出でたその夜は、須賀川へ泊りました。
 白河から八里足らずの道。
 この地に投弓とうきゅうという風流人があるからたずねてみよと、人に教えられたままにたずねると、快く入れて、もてなし泊めてくれました。
 その翌日、例の牡丹ぼたんの大木だの、亜欧堂のあとだの、芭蕉翁ばしょうおうの旧蹟だのといったようなものを、親切に紹介されて、それから投弓のために白い袋戸へ、山桜ときじを描いて、さて出立という時、主人が若干の草鞋銭わらじせんと「奥の細道」の版本を一冊くれました。
 若干の草鞋銭は先方の好意でしたが、「奥の細道」は先方の好意というよりも、こっちの強要と言った方がよかったかも知れません。
「奥の細道! これが欲しい、この旅にこれは越裳氏えっしょうしが指南車に於けると同じだ――ぜひこれを拙者にお貸し下さい」
 こう言って、白雲が強奪にかかったのを、根が風流人の投弓が、いやと言えようはずもなく、彼のらっし去るに任せたものです。
 白雲は、それから「奥の細道」の一巻を、道ながら、手よりかずに、ある時は高らかに読み、ある時は道しるべの案内記として、足を進めて行きました。
 白雲が「奥の細道」に愛着を感じていることは、一日の故ではありません。およそ、旅を好むものにして「奥の細道」を愛読せざるものがあろうとは思われません。
 白雲もまた、芭蕉の人格を偉なりとすることを知っている。その発句の神韻しんいんは、到底、後人に第二第三があり得ていないことを信じている。その発句のみではない、その文章がまた古今独歩である。黄金はどこへ傷をつけても、やっぱり黄金である。人格となり、旅行となり、発句となり、文章となるとはいえ、いずこを叩いても神韻の宿ることは、あたりまえ過ぎるほどあたりまえのことだが、その文章のうちでも、この「奥の細道」は古今第一等の紀行文である。単に文章家として見たところで、馬琴よりも、近松よりも、西鶴よりも上で、徳川期では、これに匹敵される文章は無い。少なくとも鎌倉以来の文章である――白雲は、かく芭蕉の紀行文を愛して、その貧弱な文庫にも蔵し、その多忙なる行李こうりの中にも隠さないということはなかったのですが、今度は忘れて来た。そうしてその忘れた時に最も痛切なる必要を感じてきた。今その一冊を持ち合わせないことが、秋風の吹きそめた時、あわせを一枚剥がれたように、うすら寒い。
 ところが、それが、目の前に、投弓の家にころがっていたものですから、若干の草鞋銭なんぞは辞退しても、これをかっさらって行こうという賊心にられたのも、また無理のないところがありましょう。それがすんなりと、草鞋銭も、「奥の細道」も二つながら、かすめ得たものですから、心中のよろこび、たとうる物なく、明治二十年代の子供が「小国民」を買ってもらった時のように、嬉しがって、声高に読み且つ吟じて行くという有様です。
 白河の関にかかりて旅心定まりぬ――なるほど、旅心定まりぬがいい――この一句が、今日のおれの旅心を道破している。
「『いかで都へ』と便りを求めしもことわりなり。なかにもこの関は三関の一にして、風騒の人、心をとどむ。秋風を耳に残し、紅葉もみぢおもかげにして、青葉の梢なほあはれ也。の花の白妙しらたへに、いばらの花の咲きそひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人かんむりを正し衣装を改めしことなど、清輔きよすけの筆にもとどめおかれしとぞ」
 古人の名文は、今人の心を貫くが故に名文なのだ。名文というものは人の言い得ざることを言うが故に名文なのではない、万人言わんとして言い得ざることを、すらすらと言い得るから名文なのだ。
 こうして、郡山、二本松、あさかの山――黒塚の岩屋をそれぞれに一見して、福島についたのは、その翌々日のことでした。
 福島の家老に杉妻栄翁という知人があって、これをたずねてみると、この人は藩の政治になかなか勢力ある一人ではあったが、またよく一芸一能を愛することを知るの人でしたから、白雲のために、その家がよい足がかりとなったのみならず、かなりの仕事を与えられたのみならず、狩野永徳を見んがために松島に行くという白雲の意気の盛んなるに感心し、
「なるほど――観瀾亭かんらんてい襖絵ふすまえのことは、わしも聞いている、それが山楽、永徳であるか、そこまではわしは知らん、しかしながら、たしかに桃山の昔をしのぶ豪華のもので、他に比すべきものはない。いやしくもその道に精進しようとするものは、一枚の絵のために、千里の道を遠しとせざるほどの意気が無ければならん。それに就いて思い起すことは、永徳ももとより結構に相違ないが――伊達家だてけには、まだ一つ、天下に掛替えのない筆蹟があるはずじゃ、それを御承知か」
「伊達家のことでござるから、それは天下に掛替えのない宝が一つや二つではござるまいが――刀剣であろう、茶器であろう、これらは拙者に於てあまり渇望もいたさぬし、また渇望いたしたからとて、拙者のような乞食画かきに、わざわざ宝蔵を開いて見せる物好きな三太夫もござるまいとあきらめています」
「それもそうだ、観瀾亭の襖絵は、相当の紹介があれば誰にも見せてくれるだろうが――もう一つのは――これは到底及びもつかないことだろう、その点はあきらめるのが賢明ではあるが、学問のために、伊達家には、しかじかのものがあるということを覚えて置くのは無益でもござるまい」
「左様――※(「足へん+曾」、第4水準2-89-48)※(「足へん+登」、第4水準2-89-47)そうとうとして他の宝を数えるのは知恵のない骨頂ですが、いったい、あなたがこの際、ぜひ覚えて置けとおっしゃる伊達家の至宝とは何物ですか」
「それはなあ、もちろん伊達家のことだから、天下無二の宝が数知れず宝蔵の中にうなっているには相違ないが――貴殿御執心の永徳よりも、それこそ真に天下一品として、王羲之おうぎしの孝経がござるはずじゃ」
「王羲之の孝経――」
 これを聞いて白雲が一時いっとき、眼をまるくして栄翁のかおを見つめましたが、押返して、
「それは、いささか割引がかんじんじゃ、大諸侯の物とて、一から十まで盲信するわけにはゆかん。いったい、羲之の真蹟はすべて唐の太宗たいそうが棺の中まで持ちこんで行ってしまったはずで、支那にも、もはや断簡零墨だんかんれいぼくもござらぬそうな」
「ところが、伊達家の羲之には、れっきとした由緒因縁がある、しかも、それには唐の太宗の御筆の序文までがついているそうじゃ」
「ははあ――眉唾物まゆつばものではござるまいなあ。まさか、奥州仙台陸奥守のことでござるから、嘘にしても何かよるところがあるでござろうがな」
「あるある、大いにある、そのよるところを話してお聞かせ申そう」
 ここまで主客の間に話が進んだ時、来客で話の腰を折られて、それぎりになりました。
 主人としては、なおくわしく、伊達家所蔵の王羲之の孝経――しかも唐太宗親筆入りという絶代ものの出所来歴を話して聞かせたかったらしいが、話がそこで折れた上に、その後は忙がしく、白雲もまた、いかに伊達家のことなりとも、羲之の真筆は少々割引物として、問いをほごすことをしてみませんでした。
 そこで、伊達家の王羲之は立消えになったままで、白雲がこの邸を暇乞いをする最後まで復活しなかったのです。
 けれども、この家の主人として、白雲が打立つ時に、仙台へ向っての有力なる紹介者となって、白雲の落着きを安くしてくれるの親切は残りました。その紹介者のうちに、
「仙台へ着いたら、ともかくも、玉蕉女史ぎょくしょうじょしをたずねてごらんなさい」
というのがありました。
 玉蕉女史――とは何者?
 それは才色兼備の婦人で、ことに漢詩をよくし、書をよくし、画を見ることを知り、客を愛し、旅を好む。ことに漢詩を作ることに於て最も優れている。
 ははあ、これは珍しい。婦人で、才気ある婦人は必ずしも珍しいとはしない、三十一文字みそひともじたえなる調べもて編み出し、水茎のあとうるわしく草紙物語を綴る婦人も珍しいとはしないが、婦人にして漢詩をよくするという婦人は極めて珍しい。
 それにしても、ただ単なる奥様芸で、覚束なくも平仄ひょうそくを合わせてみるだけの芸当だろうとタカをくくって見ると、なかなかどうして、頼山陽を悩ませた細香さいこう女史や星巌せいがん夫人、紅蘭こうらん女史あたりに比べて、優るとも劣るところはない、その上に稀れなる美人で、客を愛し、風流の旅を好む、以前は江戸に出て、塾を開いてを下ろして子弟を教えていたが、今は仙台に帰っているはず、ともかくも、あれをたずねてみてごらん――全く才貌兼備、才の方は別としても、思いがけないほど美しい婦人だから、その用心をして――
 ははあ、ほかならぬこの拙者に向って、左様、しかるべき才貌兼備の婦人をたずねよとは少々キマリが悪いと、白雲はがらにもない羞恥心しゅうちしんを少しく起しながら、とにかく、名前だけも覚えて置くことだと、更に念を押すと、栄翁が答えて、姓は高橋――名は玉蕉――家は仙台の大町というのへ行って、それと尋ねれば当らずといえども遠からず。
 かくて、福島に逗留二日。
しのぶ文字摺もじずり、しのぶの里
月の輪のわたし
瀬の上
佐藤荘司しょうじが旧跡
飯坂いいざかの湯
桑折こおりの駅
伊達の大木戸
鐙摺あぶみずり白石しろいしの城
 笠島のこおりに入ると、実方さねかた中将の遺跡、道祖神の祠をたずねなければ、奥州路の手形が不渡りになる。
 かくて、田山白雲は、仙台に入る前に笠島の道祖神の祠へ参詣の道をげてみると、そこであきれ返ったものを見せつけられないわけにはゆきませんでした。

         二

 それは別物ではない、露骨に言ってしまえば、人間の男性の生殖器が一つ、石でこしらえた、しかも、これが図抜けて太くたくましいのが、おごそかに一基、笠島道祖神の一隅に鎮座してましますということです。従来とても、路傍や辻々に、怪しげな小さな存在物を見ないではなかったが、これはまた優れて巨大なるものであって、高さ一丈もあろうと覚しいのがおごそかに鎮座しているのですから、一時いっとき、初対面の誰人をも圧迫せずにはおかないものです。
「呆れ返ったものだ」
 白雲といえども、思わず苦笑をとどめることができませんでした。
 いったい、これは何のおまじないに原因しているのだ――道祖神というと、こんなものを押立てたがる故事因縁がよくわからない。道祖神そのものは、猿田彦命さるたひこのみことだということだが、猿田彦命ならば、それは神代史に儼存の人であるに相違ない。それがこの露骨な男根と何の関係があるのか、これは柳田国男氏にでも聞かなければよくわからないものだと、白雲が途方にくれました。
 呆れ返った末に、とどめ難い苦笑いをもって、白雲は、図抜けた道祖神の表象のまわりをながめているうちに、その太く逞しいかり首のあたりに結びつけられた、一つの絵馬を認めないわけにはいきませんでした。本来ならば、このブラさがった絵馬そのものが、まず人の目につきやすいのですが、石体そのものが、あんまり奇抜過ぎるものですから、絵馬は第二第三の印象になってしまいましたが、よく見ると、つい、たったいまかけて行ったかと見えるほど新しいもので、しかもその絵がまた奇抜であることを認めずにはおられません。
 普通、絵馬に描く図柄はきまったようなものですが、この絵馬には、全く異様な般若はんにゃめんが、ごく拙いものではあるが一つ大きく描いてありました。
「迷信はところがらで致し方がないとしても、社へ納める絵馬に般若を描くやつもなかろうではないか」
 そう思って、白雲が見直すと、その署名に、
「清澄村、茂太郎納」
と筆太く記して、その頭へ小さく「仙台大手御門前」と割註わりちゅうがしてある。
「はてな――」
 田山白雲は、全く別様な頭の働きを、この異様な額面の絵と文字との上に向けて、一思案なからざるを得ませんでした。
「はてな――全く、これは、はてなだ――清澄村茂太郎なる者がこの額を納めたとな。広い日本の村々のうちには、清澄というのも一つ以上あっていけないというはずはない、また茂太郎という名乗りも公儀へ御遠慮を致すべき差合いのある名前とも覚えていない。房州の清澄の、あのでたらめの歌うたいの茂公のほかに、天下に、もう一人も二人も清澄村の茂太郎なるものが存在してはならない筋合いもないのだが、それにしても、これは少し度外どはずれだ、名前そのものは度外れでないにしても、図柄そのものが、度外れだ」
 白雲は、でたらめの歌うたいの茂太郎と、般若の面とが、くっついて離れないことをよく知っている。あいつは、母の腹の中から般若の面を持って生れて来たのではないかとさえ思っている。
 その般若の面の、描くべからざる場面に描かれているのは、どうして、清澄村の茂太郎が尋常一様の清澄村茂太郎としては通過しないことを証明しているではないか。
 それに――もう一つ合点がてんのゆかないのは、清澄村と名乗るからには村である。村である以上は、城下であるべきはずはないのに、その肩書を見給え、「仙台大手御門前」と明らかに註してある。
 どちらから見ても、ちぐはぐだらけ、矛盾だらけだ――こいつを納めた奴の常識のほどが疑われる。いやいや、その常識のほどを疑うこっちの判断が、こんがらかる。
 ちょっとこのままでは立去れないよ。そこで白雲は、手をさしのべて、そのまだ新しい、なぞの絵馬をひっくり返して見ると、裏面に、
「百姓、七兵衛納」
とある。
「はてな――これはまた、はてな以上のはてなだわい」
 白雲はついに、道祖神の御神体石の首から、その絵馬をもぎ取って、自分の鼻づらへ持って来てしまいました。

         三

 そこを立ち出でてから路傍の人をたずねて、事のいわれを問うてみるが、一向に要領を得ない。要領を得ないのではない、得させないのは、言語の不通がさせるのだ。
「おらあ、おくにやあ、くちいたてばっても、あんな折助言葉、うざにはくわなあ」
 さても鴃舌げきぜつの音、一時ムカとしてもみましたけれど、いやいや、ところかわれば品もかわるのだ、かえって、先方は、こっちの江戸弁――をさげすんで、嘲っているようでもある。今も子供が言った一語、「折助言葉――」だけが、耳ざわりに残っている。身不肖にして小藩に人となり、田舎まわりの乞食絵かきのようなザマはしているが、いまかつて折助風俗に落ちた覚えはないのに、陸奥みちのくはてへ来て、しかも子供の口から、こういったあざけりをあてつけられようとは、あさましい。
 白雲が舌を捲いて、名取川の岸まで来ると、そこで、一ぜん飯屋に身を投じました。前の川で取った川魚をあぶって、そのまま食膳に供えて客を待つ。
 白雲は、ここで亭主と女房とを相手に、わざと悠々と構えて、四方山よもやまの話をもちかけたのは、一つは、これから仙台郷へ入って、なるべくごうに従わんとする用意としての、奥州語の会話の練習を兼ねんがためでありました。
 ここで、気を練らして白雲が、夫婦を相手の会話の中から判断して、幾つかの仙台語のうちの単語を修得し、これを画帖の端へ、ちょいちょいと書きつけたものです。その一例を言えば、
△いぎやる――これは、普通、おっしゃるということらしい
△はるなたをこく――これはうそを言うということらしい
△にし――おぬしということだ
△ほいちょう――ほうちょうのことだ
△じいごばあご――じじ、ばばのこと
△われ様――おぬし様ということ
△よだっぽれ――馬鹿とか阿呆あほうとかいうこと
△ねいきをこく――腹を立てること
△なまだらくさい――じだらくなこと
△なじょたがな――何としたということ
△むぞい――可愛ゆいということ
△うちゃせた――忘れたということ
△やくと――わざとということ
△まくらう――食うこと
 川のさかなで一ぜん飯を食いながら、大体に於て、こういう奥州語を、聞くに従って判断しつつ、白雲は画帖のわきへ幾つも書き並べて、なおわからないところは、二三問いただしているうちに、さいぜんのあの一つの不快な、さげすまれの語源を知ることができました。
 仙台及びその附近では、江戸弁を称して、すべて折助言葉というのである。仙台では、品格ある家庭に於ては、江戸弁を用うることを決してしない。鈍重にして威儀ある、純然たる仙台弁を用うることを貴しとしているが、もちろん、軽快なる江戸弁は、用いようとしても用いられないにきまっているが、その模倣の軽薄を避けることが土人の品格となっている。若い者などが、たまたま江戸弁などを使ってみせると、家中では、何だ折助みたような言葉づかいをする――といっていやしめる。それは江戸へ出て折助奉公をしたり、商家の小僧なんぞに住込んだものが帰って来ると、往々江戸弁をつかうものだから、仙台の城下では、江戸弁そのものを軽薄なもの、下等なものとしてひんせきする――そこで、今も、白雲はなまじい関東弁をもって子供たちに問いかけて、かえって、折助言葉のさげすみを買った所以ゆえんがよくわかりました。
 白雲は、そんなことに恐縮しながら、なお相当に問いただしているうちに、この店へ、岡っ引が二人、川から上って来ました。
 白雲も、それがたしかに岡っ引のたぐいでなければならないと見て取ったし、先方でも、ジロリと白雲の方に眼をくれながら、亭主夫婦の方へよって、心安立てに問いつ語りつ始めたのは、やはり純粋の奥州語を、双方とも達者にしゃべりまくるのですから、白雲のにわかごしらえの語学では、とうてい追っつきそうなことになく、結局、何をどう受渡しているのだか、音声の上では全く要領を得ることができませんでした。それでも身ぶりや表情によって判断すると――何か事件が起って、職務の上から、非常線を張りに来たもののようでもあり、特にこの亭主夫婦に向って、川筋の警戒を申し渡し、頼み込んでいるらしい素振りであることは、判断がつきます。
 で、二人の岡っ引は、こうして純粋の奥州語を亭主夫婦と達者に取りかわしていながらも、ジロリジロリと白雲に眼をくれることは以前と少しも変らないが、こっちが存外泰然自若なのに、相当面負かおまけがしているようでもあります。
 しかし、お茶を飲んでしまうと、どうしても、この風来のたくましい旅絵師のえたいにさわってみないことには、役目の手前、立去れない羽目になったのは無理もないことです。
 そこで、二人の岡っ引は、田山白雲の方へまむきに向って来て、今度は純粋の奥州語に多少の標準弁を交ぜて、つまり、
「貴君は、どなたですか」
 こう詰問されたものですから、白雲が、
「拙者は、旅の絵師です」
と答えると、
「剣師――左様でござらば、剣道のお流儀は?」
と先方が反問して来たものです。うむ、では絵師といったのを、剣師或いは剣士と聞きそこねたのだな――いや、これは今にはじまったことではない、剣客と言えば通るが、絵師と言ったんでは通らないことになっているのが、生れついての人相だからいまさら致し方もない。しかし、まあ、どっちでもいいわ、道に剣客に逢う時はすなわち剣客になりすまし、道に絵かきに逢う時は絵かきになりすましている。ここでも、こちらは絵師だというのに、先方は剣士と受取ったのだからそれでもよろしいと、白雲が即座に答えました、
「左様、南北流を少々修行つかまつり、狩野、土佐、雲谷うんこく円山まるやま、四条の諸派へも多少とも出入り致しました」
「ほほう」
 これは八流兼学の大剣客とでも思ったのか、岡っ引二人は、少なからず度胆どぎもを抜かれたように、
「して、いずれからおいでになりました」
「江戸を立ち出でて、奥州街道を白河より福島を経て、これより仙台城下へまかり通ろうとする途中でござる」
「ほほう、して、仙台はどちらの先生の道場へお越しでござるかな」
「道場――それそれ、とりあえず仙台城下、高橋玉蕉先生の道場で一本お手合せを願い、それより松島へまかり越して、観爛道場に推参して、狩野永徳かのうえいとく大先生に見参仕る目的でござる」
「ははあ、左様でござるか――昨今、仙台御城下には、少々物騒な儀がござるによって、随分御用心の上――」
 二人は、多少とも、白雲の応対ぶりに呑まれたようにも見られるが、一つはその堂々たる体格と、わるびれない応答ぶりが、信用を買ったものと言わなければならぬ。事の進行によっては、一応剣客のめんを脱いで、改めて絵師としての自分を証明しなければならない運命のほどを覚悟もしていたのですが、存外すらすらとパスして、岡っ引は立去ってしまったものですから、白雲も店へ払いと茶代とを置いて、ここを出ようとして、ちょっとひっかかりになったのは、道祖神からここまで持って来たあの絵馬です。
 わざわざ持って来るほどのものではないが、捨てるのもなんだか心残りのようだから、ここまで持っては来たが、茂太郎ではあるまいし、これから先、どこまでも般若はんにゃの絵馬と道行も変なもの。
 そこで白雲は、このまま店へ置去りにしてここを出ました。
 店を出ると名取川です。

         四

 田山白雲は、名取川の仮橋を渡りながら、今の岡っ引のことを思い返しました。
 岡っ引の言うことには、仙台城下が今日は物騒がしいから用心しておいでなさいと。
 それよりさき、純粋の奥州語をもって、飯屋の亭主夫婦と会話を試みていたところを拾い聞きにしての判断から言うと、その仙台城下の物騒というのは、やっぱり盗賊沙汰であるらしい。それも、市中商家を荒した盗賊ではなく、どうやら城内のしかるべき部分をおかしたる某重罪犯人の捜索ででもあるらしい、ということを白雲が思い返しました。が、そんなことは深く心配せんでもいい。
 いつしか名取川の沿岸の風物にこうべをめぐらして、眼を放ちながら、幾瀬の板橋を渡りきろうとした時分、ついそこの柳の木の下で、蛇籠じゃかごを編んでいる男があるなという印象が、なんとなく眼にうつりました。
 と同時に、こちらの瀬には、魚を捕るためのやながかけてあるのを認めました。単にそれだけのことで、川岸で、いかだを組んだり蛇籠を編んだりすることはあたりまえの光景なのであり、川の中にやなをかけて魚を捕ろうとしていることも、名取川特有の風景でもなんでもないけれども、それがなんだか、白雲の眼に、どうも特有な風物のようにうつったものですから、歩みをとどめて、このやなのところまで歩いて行って見ました。
 そうして、その附近をのぞいて見ると、あゆがかなりにいることを発見しました。ははあ、鮎がいるな――今の飯屋で食わせたのも、焼いて乾かした鮎であった。瀬の清い、流れの早い川に鮎がいることは不思議でもなんでもない――この名取川には、特有のさけの子もいるということを聞いた。それよりも、名取川の名そのものと切っても切れない埋れ木というものがこの川から出るのだ――はて、鮎のほかに鮭の子はいないか。もし、その辺に埋れ木のひねったやつが頭を出してはいないか。
 そんなことで、無心にその辺の淵をのぞき込んでいると、背後うしろから、
「もし、あなた様は、田山白雲先生ではいらっしゃいませんか」
「えッ」
 白雲が、ぎょっとして後ろを向くと、いつのまにか背後に歩いて来ているのは、それは、確かに、いま、ついそこの柳の下で蛇籠を編んでいた老人に相違ないと直覚しました。だが、かぶっている笠をとりもしないで、なたを腰にさしながら、小腰をかがめている人体にんていは、思ったほど老人ではありません。
「お前は誰だ」
「田山先生でいらっしゃいますか」
「わしは田山だが、お前さんは?」
「ああ、それで安心を致しました、私は近頃、駒井の殿様の御家来分になった田舎老爺いなかおやじめにございまして」
「駒井殿の……」
 改めて、白雲が、その老爺のかおを見直しました。面を見直すまでもなく、それはもう言葉でわかっている。この辺では聞き慣れない関東弁ですから、耳を疑う余地はありませんが、そんならばこの老爺が、駒井甚三郎の家来分だというこの老爺が、なんのために、こうして、こんな奥州の名取川の岸で、悠々閑々と蛇籠なぞを編んでいるのだ。
 白雲は、油断のならない眼をもって、この老爺の面を見ていると、老爺は存外、落着いたもので、
「田山先生、何はともあれ、申し上げなければならないことは、駒井の殿様は、あなた様の御出立中に、洲崎すのさきをお出ましになってしまいました。手ずからお作りになりました、あのお船で……」
「ナニ、駒井殿が、あの蒸気船で洲崎を立たれたと、どうして、そう早急さっきゅうに……」
「はい、土地の人気が悪くなりましたものでございますから、大急ぎで人数を取りまとめて、船おろしと船出を一緒になさいました、あなた様をお待受け申している間もございませんでした」
「うむ――」
「それで、わたくしが、あなた様のおあとを慕って、このことをお知らせ申し上げようと請合うけあったようなわけでございましたが、運よくここでお目にかかれて、こんな嬉しいことはございません」
「なんだか、にわかに拙者のまわりで、廻り燈籠どうろうを廻して見せられているようで、とんと面食った気持だが、そう言われると、そうありそうなことじゃ。それで、駒井氏は洲崎を船出して、どちらへ行かれたか」
「はい、それが、その、このつい御近所の石巻の港を目あてに乗出しておいでになりました」
「ナニ、石巻――なるほど、駿河の清水港へ行こうか、仙台の石巻へ行こうかと駒井氏は常々言われていたが、して、なにかな、もはや石巻に到着しておられるのか」
「いや、それが、たしか今明日中には御無事にお船入りのはずなのでございます」
「それはそれは――で、なにかな、あの番所に居候の連中は、みんな同じ船に乗込んで来たのか」
「はい、一人残らず、茂太郎も、金椎キンツイさんも、マドロス君も、もゆるさんも――それから、お松に、登様――土地の船頭さんたち」
「おお、それはそれは――それを知らないで、このまま房州へ舞い戻ろうものなら、飛んだあとの祭りを見せられるところであった、よくお前さん、知らせておくんなすった」
「お話し申し上げると長うございますが……」
 この時、遥かにみとおしのきく河原の両岸を見ると、こしかたの方からは、さいぜん飯屋へ出張したらしい岡っ引が先に立って、村役人らしいのを数名引具ひきぐして、こちらへ取って返して来る様子。それからまた一方には、槍を押立てた同勢が、長町の方から物々しげにやって来る。
 それを見ると、右の蛇籠じゃかご作りが、多少そわそわし出して、
「のちほど、ゆっくりお話し申し上げましょう。今晩、先生は、どちらへお泊りでいらっしゃいますか」
「わしかい――まだどこといって、宿はきまらないが、とりあえず、大町の高橋玉蕉という女の学者のところをたずねて参るつもりだ」
「大町の高橋先生とおっしゃいますか」
「そうだ、女で有名な学者――それに家はなかなか金持の商家ということだから、そこをたずねて来ればわかるだろう。もしまた、別に宿を取った時は、その家へ申し置くから、わかるようにして置く」
「よろしうございます、私は、只今のところ、仕事が少々せわしうございますから、今晩――夜分も遅くなるかも知れませんが、必ずお伺い致しますから、おかまいなく、お休みになってお待ちくださいませ」
「うむ――では」
と言っているうちに、右の蛇籠作りは、大忙しがりで、ついそこの柳の木の下へ引込んでしまい、そこで、以前の通り一心に蛇籠を編み出したものですから、白雲も、ちょっと手のつけようがなく、そのまま川原道を急いで行くと、やがて、前から来た槍の同勢と、後から来た岡っ引の連中との間にはさまれたような形になりました。
 だが、別段、問題は起りません。白雲は川原道で、この前後の勢を無事にやり過して、自分は悠々閑々と歩いて行きながら、ふと、柳の木の下を見ると、蛇籠作りが一心不乱に蛇籠を編んでいるのがかすかに見られて、別段の異常を認めません。
 槍の一隊はと見ると、もう向うの岸についてしまって、自分が語学の稽古をした一ぜん飯屋のひさしに槍を立てかけて、それぞれ休んでいる姿までが、豆のように見えているだけのものです。

         五

 川を渡りきって、白雲、みちすがら思うよう、さては、駒井も洲崎にいたたまれなくなったのだな、どちらにしても、あそこが永住の地でないことはわかっているが、しかし、あわただしく出船を余儀なくされたというのは、駒井にとっては不祥だ。
 人間、馬鹿では楽ができないけれども、また、あんまり頭が進み過ぎていても、楽はできないものだ。駒井ほどの英才が、当世と相容れないのは、これも一つの人間界の約束ごとかも知れないが、由来、独創の気というものは不遇のいばらの中から開けるものだから、駒井のこれからも前途の方が、なまじい衰えかけた幕府のお役人をつとめて当世に時めいているより、どのくらい意義もあり、興味もある生涯か知れないのだ。
 思いきって、この石巻へ来たとか来るとかいうのは、この際、よいことを聞いた、またよいことを知らせてくれたものだが、あの知らせてくれた蛇籠作りの老爺おやじこそ、全くせないへんな奴だよ。なんにしても近々思いがけないところで駒井に逢えるのだ、そうして、もはや、自分に於ても、房州へ取って返す必要はなくなってしまったのか――それはいいとして、房州にはかなり自分としての財産を残して来たはずだが、あれはどうなったろう、まさか暴民どもに焼討ち、掠奪の憂目をこうむったとも思われないが、いや、蒙ったにしたところで金目にしては知れたものだが、丹念にして置いた写生帖だけは、自分としてかけ替えがないからな、そこで多少の心残りが房州にないことはない。うむ、よしよし、それもあの蛇籠作りの老爺が知っているだろう、今晩、たずねて来ると言ったが、急にそわそわした様子がおかしいけれど――まあ、今晩来たらつかまえて、委細を聞いてやる。
 こんなことを考えながら、田山白雲は、中田、大の田より長町――ここはもう仙台の城下外れです――大町というのを苦もなくたずね当てて、そこで、とりあえずまずおとのうてみようと心がけた高橋玉蕉女史をたずねると、これも難なく――これは大きな商家で、女史は宮城野の別宅にいるとのことですから、改めてそこをたずねると、ちょうど在宅でもあり、また極めて歓迎もしてくれました。
 女史の住宅は数寄すきをこらした家です。それよりも、白雲を驚かしたことは、玉蕉女史が本当の美人であることを見たからです。
 美人に、ウソの美人と本当の美人があるかどうかは知らないが、世にいわゆる才色兼備の婦人などといっても、才の方はとにかく、色の方は大割増がしてあるのを通例とするのに、玉蕉女史に限って割引なしの美人でしたから、白雲がおもはゆく思いました。
 女史が学者であるということを知らないで見れば、それ者と見たかも知れないほどいきな美人でした。もはや四十の坂を越していようと思われるのに、姿、かたち、どう見ても二十台で通るのです――それに、永く江戸で修業して、婦人の身で塾を開いて、生徒を教えていたというほどですから、その応接もことごとく江戸前で通り、白雲をして、俄仕込にわかじこみの奥州語を応用せしめる必要は少しもありませんでした。
 女史は、この遠来の客をよろこんで、相語るほどに、両々の興味が加わって、話はいつ果つるとも覚えません。
 その夜も――夜もすがら、語っても語っても尽きないものがありました。
「そういうわけで、拙者の奥の細道は、狩野永徳というそぞろ神にそそのかされたのですが――明日はとりあえず、観瀾亭へ行って永徳に見参したいと思うのです、簡単に許されましょうかな」
 こういって女史にたずねると、女史は、
「それは容易たやすいことです、月見御殿の拝見ならば、よい伝手つてがございますから、わたくしが御案内を致しましょう、山楽の襖絵といわれますものは、わたくしもかねて拝見は致しておりましたが、あなた様と御一緒に拝見すれば、またよい学問を致します」
「いや、それは恐縮です、拙者こそ、あなたのような学者に、御自身案内をしていただくということが、はからざる光栄でした。明日は、扶桑ふそう第一といわれる松島も見られるし、あこがれの狩野永徳にも見参ができるし、それに東道の主人が稀代の学者であり、絶世の美――」
と言って、田山白雲が、少しあわてて口を抑えたけれども、その尻尾が少し残ったものですから、玉蕉女史を追究させました。
「絶世の――何でございますか、扶桑第一の松島や、狩野家の大名人の次へ持って来て、絶世の……だけでは罪でございますね」
 玉蕉女史からからかわれて、田山白雲が、今度は額を抑えて、
「あ、は、は、は」
と声高く笑いました。玉蕉女史も、またつり込まれて無邪気に笑いました。田山白雲はそこで申しわけのように、
「全くあなたは、絶世の美人と申し上げてもお世辞ではありませんよ。実は、あなたが怖るべき才色兼備の御婦人ということは、紹介された者の口から、よく承って来たのですが、案外なのに驚かされました」
「どうせ案外でございましょう、いったい仙台は、昔の殿様が高尾を殺したたたりで、美人は生れないのだそうでございます」
「いや、違います、全く案外の、掛価なしの才色兼備なのですから――いったい世間では、身投げの婦人があれば必ず美人にしてしまい、はなはだしいのは首無し美人なんぞというのもありましたが、婦人で、学問がある、歌がよめるというと、おきまりに才色兼備にしてしまうのが慣例になっていまして、才の方はとにかく、色の方は大割引しなければ受取れないのが通例なのに、あなた様だけは、割引なしの美人でしたから驚かされました」
 白雲だから、これは全くお世辞ではありませんでした。
 そんな調子で、話がそれからそれとはずんで行くうちに、白雲が、ついに望蜀ぼうしょくの念を起してしまって、
「ああ、それそれ、もう一つ仙台家に――特に天下に全くかけ替えのない王羲之おうぎしがあるそうですが、御存じですか、王羲之の孝経――」
「有ります、有ります」
 玉蕉女史が言下に答えたので、白雲がまた乗気になり、
「それは拝見できないものでしょうかなあ」
「それはできません」
 女史はキッパリ答えて、
「あればっかりは、わたくしどもも、話に承っておりまするだけで、どう伝手つてを求めても拝見は叶いません、いや、わたくしどもばかりではございません、諸侯方の御所望でも、おそらくは江戸の将軍家からの御達しでも、門外へ出すことは覚束なかろうと存じます」
「ははあ、果して王羲之の真筆ならば、さもありそうなことですが、王羲之の真筆はおろか、拓本でさえ、初版のものは支那にも無いと聞いています――そういう貴重の品が、どうして伊達家の手に落ちたか、その来歴だけでも知りたい」
という白雲の希望に対しては、玉蕉女史が、次の如く明瞭に語って聞かせてくれました。

         六

 豊太閤朝鮮征伐の時、仙台の伊達政宗もおくせながら出征した。
 朝鮮国王の城が開かれた時、城内の金銀財宝には目をつける人はあったけれども、書画骨董こっとうに目のとどく士卒というのは極めて稀れであった。
 そのうちに、肥後の熊本の細川の藩士で甲というのがしきりに、王城内で一つの書き物を見ている――兵馬倥偬へいばこうそうかんに、ともかく墨のついたものに一心に見惚れているくらいだから、この甲士の眼には、多少翰墨かんぼくの修養があったものに相違ない。
「これこそ、わが主人三斎公にお目にかけなければならぬ」
 それを、かたえから、さいぜんよりじっとのぞいていたのが、伊達家の乙士であった。
 この乙士がまた、偶然にも同好の趣味を解し得ていたと見え――細川の甲士が一心をとられているそれを、のぞいて見ると、ああ見事――熟視すると、それがすなわち王羲之筆の孝経である。
 乙士の眼は燃えた。わが主人政宗公へ、この上もない土産――分捕って持ちかえらないまでも、一眼お目にかけたら、そのおよろこびはと、自分の趣味から、主人思いは細川の甲士と同様で、それに功名熱があおりかけたが如何いかんせん――先取権はもう、その細川の甲士の上にある。
 さりとて、どうも、このままでは引けない、ともかくもぶっつかってみようと、伊達の乙士は細川の甲士に向い、なにげなく、
「さても見事な筆蹟でござるが、拙者もこの道は横好き、なんとこの一巻を、拙者の好事こうずにめでてお譲り下さるまいか」
 こう言って持ちかけてみたが、甲士は頭を縦に振らなかった。
「敵将の一番首はお譲り申そうとも、この一巻は御所望に応ずるわけにはいかぬ」
「それは近ごろ残念千万ながら、是非に及ばぬこと」
 礼儀から言っても、名分から言っても、先方が譲らないと言う以上、こちらは、どうしても指をくわえて引込まなければならない。ぜひなく陣へ立戻ったが、残念で堪らないから、改めてその一条を主人政宗に向って物語った。
「それは残念無念――そのほうが我に見せたいと思うより以上、おれはその品を見たい、見ずには置けぬ」
 そこで独眼竜は馬をって、直ちに細川三斎の陣を訪れた。
「突然の推参ながら、たって所望の儀は、さいぜん貴公の家士が稀代の名筆を分捕られたそうな、それを一目拝見が致したい」
容易たやすき儀でござる」
 三斎もそれをこばまん由はなく、今し甲士が分捕ってもたらしたばかりの一巻をとって、政宗の手に置いた。
 政宗それを取り上げて見ると、唐太宗親筆の序――王右軍の筆蹟――独眼竜の一つの目が、その全巻の中へ燃え落ちるばかりになっているのを見て、急に驚き出したのは細川三斎であった。
 この勢いでは、この男に持って行かれてしまうかも知れない――所望と打出された以上は、相手が相手だけに、どうしても只では済まされない、ここは先手を打つよりほかはないと、老巧なる細川三斎は、政宗と王羲之おうぎしとをすっかり取組まして置いて、穏かにくさびを打込んだ、
「伊達公の御来駕ごらいがを幸い、密談にわたり候えども、かねがねの所存もござること故、折入って御相談を願いたい儀は――」
と、改まって物々しく出た。王羲之に打ちこみながら、政宗は、
「何事かは存ぜねども、御心置なく申し聞けられたい」
「余の儀でもござらぬが、太閤殿下の威勢によりて天下は一統の姿とはなりつるが、これで安定とは、我人共に得心のなり申さぬ時勢、太閤百年の後、天下再び麻の如く乱るるや否や――しかる上は、君は東北にあって本土の頭を抑え、不肖は九州にあってその脚を抑え、かくして、南北相俟あいまって国家のために尽しなば、そのしあわせ、我々の上のみならずと存じ申す。よって、今日貴公の来臨を機会とし、伊達公と細川家――末永く親類の名乗りを致したいものでござるが――」
 練達堪能れんたつたんのうの細川三斎から、こう言われて、豪気濶達の伊達政宗が、その返答を躊躇するようなことはなかった。
「それは、深慮大計の御一言、不肖ながら我等とても同様の所存、然らば今日より、細川家と伊達家は、末永く親類づき合いをすることに致そう」
「早速の御承諾かたじけなし――然らば、その結納ゆいのうの記念として」
 細川三斎は、伊達政宗の手から王羲之の孝経を受取って――その場で二つに裂いた。
「この上半を君に進呈し、下半は忠興ただおき頂戴し、これを以て心を一にして、両家親類和睦の記念とつかまつる」
 そこで、この一巻が、伊達家と細川家と、両家にわかれての家宝となった。
 それより物変り星うつり、伊達家は政宗より五代、名君と聞えた吉村の時代になり、細川家もまた当然越中守宗孝の時代となったのである。
「ところが、どちらがどう伏線になっていることでございますか、この二つに分れた王羲之が、それとは全く異なった因縁と出来事とによって、一つになる機会を得ました、それで話が伊勢の国へ飛ぶのでございます」

         七

 玉蕉女史は、事実の非常に奇なる物語を、やさしい物言いで、たくみに語り聞かせるものですから、白雲も膝の進むのを覚えませんでした。
 朝鮮陣の物語から、話題一転して、ここは伊勢の国、藤堂家の城下の舞台となる。玉蕉女史は、※(「女+尾」、第3水準1-15-81)びびとして次の如く物語を加えました、
「御承知の通り、伊勢の国は、大神宮参拝の諸国人の群がる土地でございます、それだけに土地に、他国人を相手に悪い風儀も多少ございまして、藤堂家の家中のさむらいにも、折々、通りがかりの旅人に難題を吹きかけ、喧嘩を売り、相手を困らせて置いて一方からなれ合いの仲裁役を出し、そうしてどうやら事を納めたようにして酒手さかてをせびる――というような風の悪い武家が無いではなかったそうでございますが、いずれも遠国の旅人ゆえ、相手が怖がって、無理を通したというようなわけでございましたが、藤堂家からはお隣りの、大垣藩の戸田家の方々がそれを聞いて苦々しいことに思いました。これはひとつ遠国旅人の迷惑のために、最寄りのわが藩中に於て目附役を買って出て、藤堂の悪武士の目に物見せて置いてやるべき義務がある、こんなように思いまして、戸田家の剣道指南役のなにがしという方が、わざと入念の田舎武士風によそおって、伊勢詣りを致すと、案の如く、藤堂家の悪ざむらいにひっかかりましたものですから、御参なれとばかり、それを取って抑え、さんざんにこらしめ、固く今後をいましめて許し帰したとのことでございますが、それだけで済めばそれでよろしいのでございますが……」
 右のこらしめの武士は、実は戸田家の指南役が姿を変えて、いたずらに来たのだといううわさが、藤堂様の耳に入ったものですから、藤堂様もいい心持はなさらず、それに家中の者が戸田家の仕打ちを憎んで、その儀ならば、仕返しとして、戸田家に向って、うんと恥をかかせてやれ――という一念が昂じて、ついに戸田の殿様を暗殺してやろうという血気にはやるのが、とうとう実行に現われてしまいました。
 それは藤堂家の家中で、板倉修理というさむらいが、江戸の西の丸のお廊下に身を忍ばせて、戸田の殿様のおかえりを待受けていて、不意に飛びかかって斬りつけたのですが――
 間違いのある時は、いよいよ間違いのあるもので――板倉修理が戸田の殿様と思って斬りかけた先方は、思いきや前申し上げた肥後の熊本の細川越中守宗孝侯でございました。
 細川様こそ、何とも申上げようのない御災難で――実は、その時、板倉修理の一刀で御落命になったそうでございますが、そこへ通り合わせたのが、これも前申し上げた通り、名君の聞え高い仙台の吉村侯でございました。
 殿中、上を下への騒動の中に、通り合わせた伊達吉村侯は、細川侯を介抱し、
「細川越中守、ただいま卒中にて倒る、伊達陸奥守お預り申す」
と言って、血の垂れたところへは、全部小判を敷きつめて、御自分のお乗物に、越中守の御死体とお相乗りになって下城なされました。
 桜田御門の検閲は厳しいそうでございますが、その時、吉村侯のお乗物は、東照宮御由緒附きの胴白どうじろのお乗物――それに太閤様以来、伊達家だけにお許しの活火縄いきひなわで、粛々と行列を練ってお通りになったので、どうすることもできず――御面会のために群がる者へは、
「越中守殿は卒中にて倒れたが、只今、かゆ一椀を召上られたから心配御無用、御療養中、面会は一切おことわり――」
ということで、とりあえず細川家へ急をお告げになりました。
 細川家では、その翌日、「細川越中守宗孝、薬用叶わず、卒中にて卒去」ということの喪を発しましたが、暗殺は公然の秘密に致しましても、伊達家の証明如何いかんともし難く、病気ということで公儀の取りつくろいも一切御無事に済みました。
 これはこれ、有徳院様お代替りの延享四年十月十五日のことでございました。
 御承知の通り、国主大名が殿中に於て非業ひごうの死を遂げた場合には、家名断絶は柳営りゅうえいの規則でございますから、伊達公のお通りがかりが無ければ、細川家は当然断絶すべき場合でございました。そこで、細川家が再生の恩を以て伊達家を徳とすることは申すまでもございません――その時に、細川家で家老たちが相談をして、文禄朝鮮征伐の時の王羲之の孝経の半分を持ち出し、いささか恩義に酬ゆるの礼として、これを伊達家に御寄贈になりました。これで細川家五十五万石が救われ、王羲之の孝経は完全な一巻となって、伊達家に秘蔵される運命になったのだそうでございます。
 右の来歴を逐一ちくいち聞き終ってみると、白雲はあきらめたようなものの、せめて、その※(「(墓−土)/手」、第3水準1-84-88)もほんでも、うつしでも、片鱗でも見たいものだとしきりに嘆声を発しました。
 玉蕉女史も、来歴のことだけはかなりくわしく知っているが、その片鱗をもうかがっていないことは白雲と同じ、そうして、しきりと渇望の思いにかられることも同じであります。
 けれども、結局、いかに執心しても、こればかりは我々の歯が立たないということに一致し、いたずらに王羲之の書――その他の書道の余談にふけることによって、夜もいたく更けたようです。
 いつまでたっても話の興はつきないが、この辺で御辞退と白雲も気をかせると、廊下伝いの立派な客間へ白雲を案内させて、美しい夜具の中に、心置なきねぐらを与えくれるもてなしぶりに、白雲もなんだか夢の国へでも来たような気持になって、うっとりと、その美しい夜具の中に身を置いてみると――王羲之を中心としての話に、あんまり身が入り過ぎて、他の多くのかんじんなことを、すっかり忘れ去ってしまっていたことに、我ながら苦笑いをしました。
 そのうちの最初として、今晩たずねて来る口約束になっていた、あの名取川の蛇籠作じゃかごづくりの変な老爺おやじ――こっちは話に夢中で忘れてしまってはいたが、先方は、自分から念を押して今夜はかならずやって来るとあれほど言っていたのにまだ訪ねて来た様子はなし――責めは先方にあるのだ、と独文句ひとりもんくを言ってみたりしました。

         八

 まあしかし、明日という日もあるし、何とか沙汰があるだろう――と白雲は、タカをくくって、その美しい夜具に身をうずめると、まもなく夢路の人となりました。
 旅の疲れと、夜更しとで、かなりの熟睡に落ち込んで行ったはずの白雲が、夜中にふと眼をさましたものです。夜中とはいうけれども、寝に就いた時が、もう暁間近になっていたかも知れません。
 ふと、眼がさめた途端、まず鶏のく声が耳に流れこむと一緒に、有明ありあけをつけて置いた朱塗の美しい行燈あんどんがぼんやりと――そうして、その行燈の下にうずくまっている怪しいものが一つ――睡眼に触れると、さすがの白雲がハッと身を起して、枕許の刀をとろうとしたのです。
「何者だ!」
 白雲として、自分ながらかなりあわただしい挙動であると思ったが、事態、そうしなければならない場合を、先方は全く静かなもので、
「先生、お静かに」
と、たしかにうずくまった奴が、説教でもはじめるように物を言いかけました。
「何だ、何者だ、貴様は」
 白雲は半分起き直って、刀を引寄せていました。そうして、もう睡眼がパッとえた眼で見ると、行燈の下にうずくまっている奴は、旅の合羽かっぱを、肩からすっぽりと着て、頭には手拭を米屋さんかぶりに捲いている。
「先生、お約束によって参上いたしましたが、少々遅くなって相済みません」
 でも、まだ白雲には、はっきりと納得なっとくができない。
「貴様、どろぼうの端くれだな、貴様たちと約束をした覚えはない」
 大抵のどろぼうならば、この豪傑画家の白雲から一喝を食えば、尻尾を捲くであろうのに、こいつに限ってどこまでも、いけ図々しい。
「お忘れあそばしましたか、日中、あの名取川の川原でお目にかかりました、蛇籠作りの老爺おやじでございます」
「うむ、そうか」
 白雲がまたここで、そっくり返らざるを得ません。
 そうか、そんならそうと、なぜ早く言わないのだ。それにしても、いよいよ変な老爺だ、いったい、いつ、どうして、このに、誰に案内されて入って来たのだ――というそのとがめ立ても、こうなっては気がかない。そこを先方が、いよいよいけ図々しくしゃべりました、
「夜分、あんまり遅くなりましたものでございますから――いえ、その実は、こんなに遅く参ったのではございませんが、先生が、あの御婦人様と、あんまりお話に身が入っておいででございましたから、ついあの時に、御案内を申し上げるすきがございませんで、で、つい、こんなに遅く上りまして、あいすみませんことでございます」
「なに、では貴様、なにか、拙者がこの家の女主人と対話をしていた時分に来ていたのか」
「はい――あんまりお話が持てておいでなさいますから、お邪魔になってもなにと存じまして、いったん出直して、また上りました」
「ふーむ」
 白雲は、そこにうずくまっている物のかたまりを、うんとにらみつけていました。遅くなって上りましたはいいとしても、夜更けたゆえ、案内を頼むことに気兼ねをして直接にやって来たのも、まあこの際ゆるすとして、いったいそのザマはそれは何だ、旅ごしらえのままで人の座敷へ侵入して来て、とぐろをまいたようにうずくまり込み、そうして、頭にまいた無作法な、下品な手拭かぶりを取ろうともしない挨拶ぶりは何だ。
 白雲は、いまさらその辺を咎め立てするのもドジを重ねるような気がしていると、
「先生、実は、わたくしも忙しい体だものでございますから、このままで失礼をさせていただきますでございます――で、手っとり早く川原のお話の続きを申し上げますと、駒井の殿様は今明日のうちに石巻の港へお着きになる、それからあの殿様の御家来や、居候といった一味のものもみんな同じお船でおともをして参ります、田山先生だけが御不足でございましたが、それもこうしてお目にかかれる、もはや申し分はございません。そこで、この七兵衛――いや、この蛇籠作りの老爺も、追っつけあとからせ参じさせていただくのでございますが、先生のお荷物、それからお書きになった品々などは、私が取りまとめて、船へおのせ申すものはおのせ申し、わたくしが持って参りましたものは一切、行李にしまいまして、石巻の田代屋という宿にあずけてございますから、あれへおいでになってお受取りを願います。残らず始末を致して参りましたはずでございますが、もしや、一品二品、取残しがございましても、あんな際の時でございますから、ごかんべんが願いたいので……ともかくも、石巻の田代屋というのをたずねてお越しになって、駒井の殿様のお着きをお待ち下さいませ」
 態度のいけ図々しいのに反して、その取りしきりぶりと、物言いとは、行届ききったもののようですから、白雲がいよいよ手がつけられない気持がしました。
「うむ、そうか、それは何から何まで厄介千万になったが――お前という男は何者だ」
「いや、それは、あとでお船のうちで、ゆっくりと身の上話を聞いていただく時節がございましょう――とにかく、これだけのことを申し上げて置きまして……」
「そうして、お前はなにか、これから旅立ちをしようというのらしいが、どこへ行くのだ」
「いいえ、旅立ちというほどじゃございません、ちょっと、この辺をかけめぐってみたいような虫が起りましたものでございますから。なあに、病気がなおりますと、直ぐにまたあなた様のおあとを追いかけて、石巻へ参ります」
「そうか」
 白雲は、それよりほかに何とも言いようがない。憮然ぶぜんとして、なお燈下にうずくまる男を見下ろしていると、右の老爺おやじ平蜘蛛ひらぐものような形をしているのが、気のせいか、見ているうちに平べったくなって、畳にべったりくっついてしまっているように見えて、白雲も少し気味が悪いような気分にさえなりました。
 ぴったりと畳の上へ、一枚になって、吸いついた形になって、顔だけを上げて、蛇籠作りの老爺は、
「時に先生――」
 いやに改まった物の言いぶりです。
「何だ」
「承りますと先生は、あの赤穂義士の書き物がたいそうお好きだそうで……」
「ナニ、赤穂義士の書き物――そんなものは別に嫌いではないが、改まってきかれるほど好きではない」
「でも先生は、仙台様の御宝蔵にあって、たとえ将軍家が御所望になってもお貸出しをなさらない赤穂義士の書き物を、一目見たい見たいとおっしゃったようにお聞き申しましたがな……」
「こいつ……」
 白雲がののしったのは、怒ったからではありません、あきれ果てたからです。思わず眼をまるくして「こいつ」と前置をして、
「それをどこで聞いた。赤穂義士ではない、支那の王羲之おうぎしといって、支那第一等の書家だ。その書が仙台家にあるそうだから、それを見たい見たいと言ったには相違ないが、それを貴様、どこで聞いていた」
「いや――その、ちょっと、失礼ながら立聞きを致しました。先生が、それほどにごらんになりたがるほどのものならば……と、この老爺、またしても持って生れた病がきざして参りましてな」
「ナニ、何がどうしたというのだ、仙台公秘蔵の王羲之は、国主大名将軍といえども借覧のかなわないものだから、是非に及ばない。それがどうしたというのだ」
「へ、へ、へ、実は、この老爺も乗りかかった船でございますから、まあ、止せばいいんでございますがね、持った病でございましてな――人の見られないものを見たい、人の持てないものを持ってみたいなんぞと、ガラにない山っ気がございますものですから、まこと仙台様の御宝蔵のうちに、国主大名将軍様でさえも拝見のできない品とやらがございますならば、ひとつ何とかして、ちょっとの間でも、それを……何とかして……」
「馬鹿――何とかしてと言ったところで、貴様風情ふぜいに何となる」
「そこのところを、何とかして、ここ二三日のうちに……駒井の殿様のお船がおつきになるまでの暇つぶしに――と申しては勿体もったいのうございますが、できないはずのそのお宝を、それほどの御所望でいらっしゃいますから、それを一目なりと、あなた様のごらんに入れて――それからまた思召おぼしめしによっては、元通り、どなたにもわからないように、もとのお蔵へ返して置いて上げたいと、こんな、いたずら心が出たものでございますから、ちょっと、御念を押しに参りましたようなわけで……では、それは赤穂義士じゃございませんでしたか、支那の王羲之という支那第一等の字を書く方、その方のお筆になった巻物――それだけでよろしうございますね。はい、承知を致しました、やり損ないは御容捨を願いまして……」
「うむ――貴様」
 田山白雲はいたずらに眼をむいて、大きなうなりを発するのみであります。
 その時にまた鶏が啼きました。そうすると、平べったくなっていた老爺が、急にのし上り、
「では、これで失礼を致します、御免下さいまし」
 すっくりと立って、障子の隙間から――事実は相当にあけて出て行ったのですが、白雲の眼からは、あのままで、畳の中へ吸いこまれてしまったのか、でなければ、障子の隙間から消えてしまったようにしか受取れないので、やっぱり眼を光らして呆れ返って、さて、ホーッと太い息をついたのみであります。

         九

 駒井甚三郎の無名丸むめいまるが、あれからああして、無事に牡鹿郡おじかごおりの月ノ浦に着いたのが、洲崎を出てから十四日目の夜のことでありました。
 着船は、わざと夜を選んだのは、駒井の思慮あってしたことでしたが、無論その前後、この辺の漁船商船が、駒井の異形なる船の出現を怪しまないはずはありません。
 だが、朝になって見ると、その船の上に、仙台家の定紋じょうもん打った船印が立てられてあることによって、浦の民が安心しました。
 御領主の御用船とあってみれば、文句はないのですが、駒井がそうして無断に仙台家の船印を濫用してよいのか、一時の策略で、それを利用してみても、あとのたたりというものはないか。
 その辺には、駒井としては充分の遠謀熟慮があってのことだろうから、それは憂うるに足りないことでした。第一、船つきをこの月ノ浦に選んだということにしてからが――故意でも、偶然でもなかったのです。
 そもそも、この月ノ浦というのは――それを説明する前に、さかのぼって、東北の独眼竜伊達政宗を説かなければならないのですが、そうすると記述が徒らに肥えて、ロマンの肉がせる。ただ、伊達政宗が、その昔、この港から、ローマへ使節をつかわした港であるということだけを、とりあえずしるして置く。
 そうして駒井甚三郎は、かねて海外に志ある人としての伊達政宗をかなり研究していたところから、一つはその思い出のために、この由緒ゆいしょある港を選んで着船したものと見て置いていただいてよろしい。
 本来ならばこの船が着くと同時に、真先かけて、はしけに立っている七兵衛の姿を見なければなりませんのですが、それが見えないことが、誰よりもまず清澄の茂太郎を失望させました。
 茂太郎は船の舷上に立って、左の小腋こわきには例の般若の面をかかえたまま、呆然ぼうぜんとして爪を噛んで陸地の方を見つめたままです。
「なあーんだ、七兵衛おやじが来ていないや」
 これが着いたその夜のことです。夜のことでも、漁村と漁船には点々たる火影ほかげが見えないということはなかったのですが、それでも陸地一帯は茫々模糊ぼうぼうもこたる夜の色に包まれている間を、茂太郎は淋しげに見渡して、
「七兵衛おやじが、こっちへ駈けて来るのが、船の上ではよく見えたんだがなあ」
 茂太郎としては、珍しく、ほとんど泣き出しそうな声をして、たたずみきって動こうともしません。
 なるほど、そう言えばそうです。海上遠くメーンマストの上で、茂太郎は、「七兵衛おやじが、走るわ、走るわ」とわめき立てたことがありました。その時の調子と、今日のしょげ方とを比べて見ると、それではあの時のは、ほばしらの上の出鱈目でたらめの即興ではなくて、真に、茂太郎の眼では、磐城平から海岸通りを北走する七兵衛の姿を認めたのか。
 そんなはずはあるまい。あの時は、陸地を避けて、船はあんなに遠く海洋の沖中を走っていたのだ。四顧茫々として、遠眼鏡を以てすら陸地がいずれにあるかさえわからなかったその中で、茂太郎が仙台領を走る七兵衛の姿を認め得られるはずはないのです。
 しかし、あれが即興の出鱈目であるとすれば、ここへ来て、こんなに失望する理由もまた消滅しなければならないのではありませんか。
 ましてこの夜のことです。はしけで迎えに来ないからといって、この見渡す海岸のいずれの地点にかその人が待兼ねていないとも限らないのに、以前の即興があまりに眩燿的げんようてきであっただけに、ここへ来ての失望が独断に過ぎるのは、多少気の毒と滑稽を感ぜしめないわけにはゆかないのです。
 今や茂太郎はパッタリと、出鱈目も歌わず、即興も叫ばぬ人になってしまいました。もっとも駒井としては、船がかり中は別して静粛を保つようにと、特に入港の前に申し渡してあるのですが、それを、すんなりと守り得られる茂太郎ではないはずで、船が着く時は、彼の即興がまたネジを戻すものとばっかり思われていたのに、ひっそりとして、全くそのことがありません。
「今晩は茂ちゃんが、バカにおとなしいではありませんか」
 お松が言うと、駒井が、
「珍しくあの子の上に船長の威令が行われた」
と言って微笑ほほえみはしたけれども、その実はなんとなく、淋しい思いに襲われていることは、お松も同じことです。
 さわぐべき人は噪いだ方がよろしい。歌うべき人は歌った方がよろしい。船長の威令を無視してまでも、あの子はあの子として出鱈目を歌った方がよろしい。むしろ歌ってもらいたいものだというような物足らなさが、駒井の胸にも、お松の胸にも、ひとしく湧き上ることを如何いかんとも致しかねました。
 ですけれども、茂太郎の歌は、決して聞えませんでした。
「よく寝れば、寝るとて親は子を思い」――お松は、そういったような一種の親心同様な思いにられて――船長室を立ち出で、
「茂ちゃあーん」
と呼んでみようとしたが、おとなしくやすんでいるものを起さないがよいとも思案しました。なまじい呼びかけて、またあの子の即興心をまで呼びさまし、はしゃぎ出されたのではたまらない。
 港へ入ったという安心で、あの子もぐっすり寝込んでいるだろう、明日まではそうして置くがよいと、お松は思案して、自分の部屋へ引返しましたけれど、茂太郎の歌わないことが、いよいよ我が身を滅入めいらせるような思いをしないではありません。
 こうして、入船の当夜は、特に静粛なるべき船長の思慮と命令がよく行われて、物音らしい物音、人声らしい人声は船内から一つも外へれないで、ほとんど無事にその夜が明け放れんとする時分に、船長の思慮と威令とが、遺憾なく蹂躙じゅうりんされた一大衝動を捲き起したというのは、本意ほいないことであります。
 さては茂公、いよいよまたネジが戻ったかな、七兵衛の姿をでもいずれからか発見して、急にはしゃぎ出したのか、そうではない。
 さわぐべく、歌うべき当人の株を奪って、その騒音は、意外といえば意外だが、さもそうありそうな船内の一角から起りました。例のマドロスが、突拍子もない大きな調子で、だみ声をあげたかと思うと、ガムシャラに歌い出すと共に、足踏み荒くダンスをはじめ出したことです。
 そのけたたましい物音に、一船内がことごとく暁の夢を破られてしまいました。
 夢を破られたもののすべてが、さてはマドロスめ――と、苦々しい思いをしましたけれど、マドロスは一向その辺の遠慮心を喪失してしまったものと見え、濁声だみごえはいよいよ濁り、調子はいよいよ割れ出し、ダンスの足踏みは盛んにあばれ出したものであります。
「奴、また飲みやがったな」
 船頭二三が歯噛みをしました。事実、マドロスとても、その後はかなり神妙にし、船中でも相当に働き、役にたつ時は羅針盤同様の必要な役目をさえ成し遂げて、ともかく無事――金椎の厨房ちゅうぼうから饅頭まんじゅうを取って来て、ひそかに兵部の娘に食わせたり、食ったりしたなどは別として――にこれまで来たのに、そうして、今夜一晩は特に静粛にという船長の命令もようやく呑込んでいたのに、九十里のところで物の見事にぶちこわしてしまったということは――それは必ずしも御当人に、航海中たくわえられた反抗心があってそうさせたのではない。あのだみ声の呂律ろれつでも、足踏みのしどろもどろでも分る通り、酒という魔物が手伝って、あれをああさせているのだ。
 それにしても、誰が酒を飲ませた。船中では一切飲ませないことにしてあったはず――飲みたくも、飲ませたくも、酔わせるだけの分量は貯えてなかったはずなのに。
 ははあ、では、あいつ待ちきれなくなって、早くもこっそりと小船に乗るかなんぞして、岸へ抜けがけをして、あのアルコール分を身体からだの中へ仕込んで来たのだな、そうと解釈するほかはない。
 そうだ、そうしてアルコール分をしっくりと体内に仕込んで帰って、いい気持で寝床にもぐり込むはずのところを、その仕込んだ分量が超過したものだから、ついにあの呂律となり、あのステップとなってしまったのだ。
 ちぇッ――世話の焼けた奴だなあ。
 まず、最も近い室の房州出の船頭の二人が眉をひそめると、同様の思いが、お松にも、駒井の室へも響かないということはありません。
 しかし、マドロスにこうもアルコール分が廻った場合に、この船内では遺憾ながら、それを制裁する実力を持ったものが一人もありませんでした。
 ウスノロはウスノロだが、体格は図抜けていて馬鹿力があるし――田山白雲でもなければこれに対抗するものはないのです。今のところでは、手をつけるより、手をつけないで自然の鎮静を待つよりほかはないと船頭はじめ眉をひそめて、苦々しく思っているのだが、あいにくそのアルコール分はいよいよ沸騰するだけで、いつ鎮静の時を得るか分らないもののようです。
 船長室へ駈けつけたお松が、駒井の迷惑と共鳴して、
「こっそりとお酒を飲みに、おかへ上ったのでございましょう」
「困ったものだ」
 駒井甚三郎も真に当惑の色であります。
 そのうちに、たまり兼ねたか船頭が取鎮めかたがたなだめに行ったもののようです。ところがその結果はかえって石灰の中に水を入れたような結果になり――喧々囂々けんけんごうごう、組んずほぐれつ、収拾すべからざる大乱闘が捲き起されてしまったことは、船長室まで手に取るように聞えて来ました。
「まあ、なだめに行った船頭さんたちを相手に、また乱暴をはじめたようです、どう致しましょう」
「困ったことだ」
 駒井は苦り切っている。お松はいても立ってもいられない心持。あちらの船室内の騒動はいよいよ驚天動地。
「ほんとうに、田山先生がいらっしゃるといいのですが……」
 お松としても、時かんにして英雄を思うの情に堪えられないが、いたずらに英雄を想うのみで、この際、自分としてはなんらの施すべき策も手段もありません。
 捨てて置けば、幾つかの人命にも関するほどになりはしないか――この上は、是非に及ばない、自分が出動して取りさばくよりほかはないと、駒井も思案して立ち上りました。お松もおどおどしてその後に従い、乱闘の方に進んで行きましたが、お松の心では、この殿様を、あんなところへお出し申したくはない、こんなことにまでいちいち殿様の御足労をわずらわさねばならないかと、痛々しさに堪えられませんでした。
 いかに酔っていても、船長の命令に服するだけの常識は残っているだろうが、もし、それをきかない時は、この殿様が御自身手を下して、あんな奴を御成敗――といっても、人間はダラシがないにはないけれども、船としてはいま無くてならない人になっているあのマドロス、殿様もあれを失いたくはなくていらっしゃるだろうから、思い切った御成敗をなさるわけにはゆかない、そうすると、あれが増長する。
 お松は、どうかして、この殿様をあの場へやりたくない。できることなら自分が出向いて取締りをつけてやりたい。しかし、ああなっては気ちがいよりも怖いのだから、わたしの力なんぞではどうすることもしようがない。
 ああ、困ったことだ。
 お松は、じりじりとじれる足どりで、駒井に従いながら、実はその行手に立ちふさがりたい心持です。
 こうして、一歩一歩乱闘の室に近くなった時分に、急にそのけたたましい喧噪けんそうがいくぶん緩和されたような気分になったのは意外でした。それでも、たしかにそうです。獣の狂うような渦巻が急にいくらかやわらかになってきたようだと感じた途端――女の声で、
「マドロスさん、いいかげんになさい、そんな乱暴をしないで、わたしのところへ来てお休みなさい、まだ夜が明けたわけじゃないから、もう一休み、ゆっくりと寝ましょうよ、ね、マドロスさん……」
 それは、兵部の娘の声であります。この女性の声が乱闘の中へ流れ込んだものですから、それで獣の噛合かみあいのような渦巻がいくぶん緩和されたものでありました。
 それを聞くと、甲板の上で、駒井甚三郎とお松とが、言い合わせたように足を止めていると、マドロスの声で、
「お嬢さんと、寝る、寝る、よろしい、寝る、寝る、よろしい、チーカロンドン、ツアン、バツカロンドン、ツアン」
 急に御機嫌が直ったマドロスが足踏みおかしく、よろよろとよろけた体を、兵部の娘に持たせている様子が手にとるようです。
もえさんと
寝る、寝る
よろしい
チーカロンドン
バツカロンドン
ツアン
 まさしく茂太郎の株を、この不埒ふらちなるマドロスめが奪って、そうして、兵部の娘にあやされながら、その寝室の方へと転げ込んで行く様子が、いよいよ手にとるようです。やがて一切の喧囂けんごうが拭うたように消え去ってしまいました。
 甲板の或る一点に、申し合わせたように足を止めた駒井甚三郎とお松は、そこでかおを見合わせました。
 けれども、駒井の面にも、お松の面にも、まあこれで安心という快い色は見えませんでした。そうして二人とも、なんとなく興ざめ面で、無言にとって返さなければなりません。
 お松は、ここでちょっと駒井に取りなす言葉のきっかけを失った思いです。事実、この際、もゆるさんが、あの人を自分の寝室に引取ってくれたから、それでようござんしたとも、いけませんでしたとも、お松としては言えなかったものですから、そのまま暫く無言で、船長室へ引返す駒井甚三郎のあとに従い、無言でたじたじと引返すよりほかはありませんでした。
 そうして、お松は親柱のところへ来ると、また、思わずギョッとして立ちすくんでしまい、
「まア――」
 檣柱ほばしらの下の俵を積んだ上に、人が一人、黙って坐り込んでいる。
「茂ちゃんじゃないの」
「あい」
「まア、お前――」
 お松は、呆気あっけにとられました。出鱈目でたらめのうちの出鱈目、饒舌じょうぜつのうちの饒舌である清澄の茂太郎が、ほとんど化石の彫刻みたように、チョコンとしてその俵の上にのせられたもののように坐っていたからです。
 熟睡していた人なら知らぬこと、今まであの騒ぎを知っていながら――一言も、この子の伴奏がなかったことは不思議中の不思議。それを今まで不思議とも感じなかったほど、自分たちは何かに制せられていたことを、いま気がついて見ると、やや明け方の光で見たこの少年の面色かおいろが、いやに沈み切っていることに、またなんとなく胸を打たれないわけにはゆきません。
「いったい、お前、そこに何していたの、どうしたんです」
「あたいは、七兵衛おやじを見つけ出そうとして、ここに一晩中ながめていたの」
「一晩中?」
「ところが、七兵衛おやじの姿が見えません、何をおいても見えなければならないはずの七兵衛おやじが、来ていないことを見ると……」
「だってお前、この闇の中で……」
と言ったが、お松はこの非凡な少年が、暗い中でもけっこう見える眼を持っていたのだということに気がつきました。
 そうして、この少年は、夜目遠目のきく非凡な眼を以て、夜もすがらここに立番をして、一心不乱に七兵衛おじさんの来ることを期待していたのに、それがむくいられないことによって、この痛心のおもてがあり、その一心不乱のために、さしも喧囂を極めたマドロス騒動の一幕にも、振向かなかったものに相違ない。
 それほどまでに、七兵衛おじさんというものの来ることと、来ないことに関心を置いているこの少年。それは、多少とも縁ある人の去就に関心を持つことは人情には相違ないが、この少年が、これほどまで七兵衛おじさんを待兼ねている、それを思うと、自分の方がもう一層、それをなつかしがらなければならない義理でもあった――とお松は、ここで七兵衛の安否について、この少年の懸念けねんわかつ心になってみると、この少年のなんだか沈んだ面色を見るにつけて、なんとなし、また一種の不安がこみ上げてくるのを如何いかんともすることができませんでした。
「ここへおつきになることが遅いなら遅いでよいが、何かまた道中に変事があったのでは……あのおじさんに限って、旅に慣れているから、万々間違いはないと思うけれども……」
 こう言っているうちに、そのなんとなしの不安が、いよいよつのってくるものですから、茂太郎の傍を立去りかねているうちに、駒井は、もう一人で自分の部屋へ帰ってしまいました。といって、それ以上どうすることもできないお松は、茂太郎をなだめすかすほかのすべを知りません。
「茂ちゃん、そう取越し苦労をしたって仕方がありません、いつまで待っていたって、来る時でなけりゃ来やしませんから、休みましょうよ、まだ明るくなるまでには充分時間がありますから、下へ行ってゆっくり休みましょう。わたしも、なんだか、まだ寝不足だから、もう少し休ませてもらいましょう」
 マドロスが兵部の娘につれられたのとは期せずして同工異曲に、お松は、茂太郎を引っぱるようにして自分の船室へ連れて行ってしまいました。
 そこで、船の上下こそ、今度は全く静かなものになりました。茂太郎も、存外素直すなおにお松の部屋へ来て、その一隅の寝床へもぐり込むと、早くもすやすやと寝息が聞えます。
 騒擾事件そうじょうじけん発頭ほっとうたるマドロスも、鼻唄の声さえ、いびきの声さえ、洩れないほどに納まり込んでしまっていると見るよりほかはない。明朝は、朝寝、昼寝おかまいなしというお触れですから、皆さんが安心しきって羽目をはずして寝込んだものです。
 ひとり、駒井甚三郎だけが、船長室にカンカンと明りをともして、その光に熱心な面を射させて、海図であろうか、航海誌であろうか、眼をさらしていて寝ようとはしないだけのものです――そのほかに、眠っているのか、めているのか、寂然不動のていを守ってともの方に坐っているのがムク犬であります。
 やがて、船長室のカンカンとした燈火も消えました。これで全く船のうちの人という人は眠りに就いたことの確定を見すましたかのように、今まで寂然不動のムクが、悠然として立ち上り、のそのそとして甲板に歩み出しました。これからが、おれの職分の世界だと言わぬばかりに――

         十

 ノソリノソリと歩み出したムク犬は、左舷さげんの舟べりに立って、海の上を見渡しています。
 この静寂な海港の夜を破るほどの物音ではないけれど、左側の船腹のところで、たしかに断続的に物音が立っているのです。ミシリといったり、カタリといったり……それが鼠でも、ミサゴでもない証拠には、極めて軽いながら人の息づかいと、ささやきとが聞えるのです。
 ですから、当然、ムク犬として、それに聞き耳を立て、注意深い眼を注ぐことはその職責であります。ただ軽々しく吠えないのは、この犬として当然の思慮で、その何たるを見極めて後にこそ、吠ゆべきは吠え、防ぐべきは防ぐことを心得ているからです。
 ムクは両足を揃えて、半ばのぞき込むような形で、船腹を見おろしたまま、あえて動きませんでした。
 たしかに、船腹のブリッジドアを開いて、一人の人体が出て来ました。それは大男ですけれども、身軽に船の腹からい出したが、這い出したその下には、いつのまにかボートがを備えてつり下ろされていました。大男は存外身軽に、ひらりとそのボートへ乗り移ると、続いて同じところのドアから、また一つのこぶが現われたものです。やっぱり、人影です。人影ではあるけれども、以前のとは違いました。小柄な、きゃしゃな、女の姿であります。
 この女の姿が半ば船腹からはみ出されると、それを待っていたとばかり、取り上げて引き抜くように無雑作むぞうさに抱きおろしたのは、その大男の手を以てして、同じボートの中でありました。
 ここで、二人は完全に、一つのボートの中におろされると、ホッと一息ついて親船を見返りがちに、何か二言三言ささやいたにちがいありませんが――ムクには聞き取れません。
 そうすると間もなく、大男の手はオールにかかったのですが、その以前に、もう二人のほかに、何か若干の手荷物が取りまとめられて、ボートの中に運ばれていたのです。
 こうしてボートは大男の、図体に似合わぬ熟練軽妙なオールさばきによって、ほとんど水音を立てず、鏡の上をすべるように、すーっと月ノ浦の港の上を辷り出したものです。
 その前後、誰ひとり見ているものはなく、また誰をしも驚きさます物音をも立てず、すっと抜け出した手際だけは、たしかに鮮やかなものだと称すべき価値はあったのでしょう。
 それを最初から見ていたのはムクだけでした。ところで、この豪胆にして且つ敏感なるムク犬が、ついに吠えることをしませんでした。
 月ノ浦から小鯛島の間を、右のボートが夢のように辷って行く。それを茫然として見送っていたムク犬――出て行くボートの者にも、留まっている親船の人に向っても、あえて一吠えの挨拶をも警戒をも試みないところを以て見ると、さしものムクも、もうヤキが廻ったのか、そうでなければ、出て行くものは追わざるがよし、留まる者をして安らかに眠らしめよ、という厚意ある諒解をもっての挙動と見るよりほかはありますまい。
 今朝に限っての朝寝昼寝を充分に保証された船の人も、日が三竿さんかんにもなって、相当の時が来れば、そうそういい気持で内職の船を漕いでばかりはいられないと見えて、一人、二人ずつかおが揃ってくると、早くも、
「おや、ボートが一ぱい足りねえ――おや、船窓があいている、マドロスが――もゆるさんが――まあ、荷物が――」
 二人の姿が全く親船の中から見えないのです。二人ともに、手廻りの物が程よく取りまとめられて持ち出された形跡も充分ですから、合意の上で逃げたものと見るよりほかはありません。どちらがどうそそのかしたか、そのことはわからないが、いずれにしても、相当の合意をもって計画的に馳落かけおちを遂げてしまったということは、疑う余地がありません。
 あきれ返るもの――ののしる者――地団駄を踏む者――直ぐに追いかけて、あん畜生、とっ掴まえて今度こそはと、マドロスを憎むこと骨髄に徹する者もある。もゆるさんももゆるさんだ、何だってあんな毛唐にだまされて、いったい、あのウスノロのどこがいいんだ――と歯噛みをする者もある。
 お松としては、言句ごんくも出ないほど浅ましい感に堪えなかったので、かたえにいたムクをつかまえて、こんなことを言いかけてみました。
「ムク、お前が昨夜ゆうべ、あの二人の逃げ出すのを、気がつかなかったというのがおかしいわね、あの二人は当然ここを出て行くべき人なんだから、それでお前が知っていても止めなかったの――ここにいるよりも、出て行く方が二人のためにも、船のためにもいいと思ったから、それでお前が見逃したの、どちらだか、わたしにはわからない。お前がいながら、二人を無事に逃がした気持が、わたしにはわからない」
 こういってムクに言いかけたが、その傍にいた金椎キンツイが、一種異様な表情を試むるだけで一言も吐かないのは、体質上是非もないが、兵部の娘とは切っても切れない馴染なじみを持っているはずの清澄の茂太郎が、ここへも姿を現わさないし、ウンだとも、つぶれたとも言わないのも異例の一つです。
 と思いやる途端に、親柱の上高く人の声がする、
「ああ田山先生が来る――七兵衛おやじは来ないけれども、田山白雲先生がやって来る」
 もう、あんなところに登っている。
 どこの方角を、どうながめているのか知らないが――遠く眼を空と山との間に注いで、そうして、人が来る来ると呼んでいる。果してその方角から来る人があるならば、それは雲際から降りて来る人でなければならぬ。
 甲板に立つ人が幾つの眼を集めて見たからとて、こちらへ来る人の影は――といううちに、土地の海女あまや漁師は別として、田山らしい、白雲らしい人の影は、いずれにも見えはしない、茂公の出鱈目がはじまった、これでまあ、天気も変らないで済む――といったような、一種の気休めを与えるだけの効はありました。

         十一

 茂太郎の予報から約一刻ひとときも経て、果して田山白雲のしょうのものが、月ノ浦の港の浜辺に現われて、船をめがけて大きな声をあげました。
 心得て、ボートが迎えに来る。親船について、白雲は駒井の案内で、なにもかも目新しく、物珍しい目で船の内外を見廻しながら、船長室に伴われて、そこで二人の会談がはじまりました。
 介添かいぞえには、お松が時々出てあしらう。
「駒井氏、せっかくここまで来たからには、どうして、目と鼻の間の石巻へ船をつけないですか――月ノ浦なんて、こんな辺鄙へんぴなところへわざわざもやったのは、どういう了見ですか」
「左様、この月ノ浦を選んでこの船をつけたのには相当の理由があるのです。今こそ、石巻や塩釜に比べて比較にならない月ノ浦だが、歴史上の由来は深いものがある。昔、伊達政宗が、支倉はせくら六右衛門をローマへ使者としてつかわす時分に、船出の港として選んだのがこの月ノ浦だ」
「なるほど、伊達政宗がローマへ使をった時の船が、ここから出たのですか」
「そうです、それが最初から我々の頭にあるものですから、石巻とは言い条、むしろここを我々の投錨地とうびょうち――次第によっては当分、第二の根拠地と想像して、予定してやって来たのですが、来て見ると案外でした」
「どう案外でした」
「どうも、政宗があれだけの船おろしをしたのは、この浦ではないようです」
「どうしてそれがわかります」
「あの時は――政宗がこしらえた船は、幕府からも船大工十人の補助を受けてやった仕事なのですが、長さが十八間、幅が五間半、高さが十四尺、乗組は南蛮人を合わせて百八十人という多勢ですが、どうもこの地へ来て見ると、ここでそれだけの造船がやれそうには思われないのだ」
「なるほど」
「伊達政宗という人は、船を造ることにはかなり興味を持っていた男だが、その事業や、野心の程度などについては、多くの疑問が残されている、月ノ浦の地形を見て、いよいよその問題が大きくなってきたところだ」
「そうだろう、独眼竜、あいつ、なかなか食えない奴だからな」
と田山白雲が、伊達政宗を友達扱いででもあるように言い放ちますと、駒井甚三郎が、
「そうです、政宗はなかなか食えない男です、邪法くにを迷わすなんぞと、詩にまでうたっていながら、その事実、宣教師を保護し、切支丹きりしたんを信じていたのですな。信じていないまでも、決してローマの法王なる者に悪意は持っていなかったのです。或いは切支丹を食いものにしようとした男かも知れません」
「そうでしょうとも。風向きによっては、秀吉や家康をさえ食い兼ねない男でしたから、切支丹を食うぐらいは朝飯前でしょう」
「それは少し比較が違う、秀吉や家康は、或いは食いものになるかも知れないが、切支丹は全然食いものにならん。これを迫害しないで、利用しようとした点に、政宗の頭脳あたまよさを認められない限りもない。あの時代、秀吉を除いて、本当に海外に志のあった豪傑は、まず政宗でしょうかな――近世の奇物、林子平りんしへいなんというのも、たしかに政宗の系統を引いている。他の土地からは出ない人物だ」
というような人物論からはじまって、白雲もまた、古永徳こえいとくかされて、こちらを志した行程から、仙台城下の所見を語り出し、結局――このはからざる奇遇を喜ぶと共に、この奇遇の結びの神たる七兵衛の身の上に、話が落ちて行かないはずはありません。
 実は、もっと早く、二人ここで相見た最初の時に、引合せの老爺おやじのことからいとぐちが開かれなければならない順序なのですが、船のことが先になって、次に人物論に花が咲いたものですから、勢い七兵衛おやじのことは、最後の時に繰りのべられてしまいました。
「名取川で、蛇籠じゃかごを作っていた怪しい老爺――あれには全く度胆を抜かれましたよ、あなたの御家来に、あんな怪物がいようとは思いも及びませんでした、あれには怖れました」
 田山白雲が全く恐れ入ったもののようにこう言うと、それを引受けたのは駒井甚三郎ではなく、傍らに介添役のお松でありました。
「そのおじさんは、それからどうなさいました」
「いや、おっつけここへ来るには来るはずなのだが、一つ土産を持って来ると言ったが、そのみやげたるや」
 ここまで来た時に、あわただしくこの部屋の前に立ったのが、清澄の茂太郎でありました。
「田山先生――」
「やあ、茂坊か」
「入ってもようござんすか」
「お入りなさい」
と許諾を与えたのは、駒井甚三郎でした。
 そこで室内に走り込んだ清澄の茂太郎が、まず田山先生に向って問いかけたのは、次の言葉であります。
「田山先生、七兵衛おやじはどうしたの?」
「今もそれを話していたところだ、おっつけこれへ、おみやげ持ってやって来る」
「そうか知ら――あたいは、どうも、あの七兵衛おやじはもう、ここへ来られないように思われてならない」
「どうして?」
 それを聞きとがめたのは白雲でしたが、さっとかおの色を失ったのはお松でした。
「どうしてって……」
 茂太郎は、むずかるような声で、
「あたいはどうも、七兵衛おやじが怪我をしたように思われてならない」
「怪我!」
「怪我ならいいが、もしかして、縛られてしまやしないかと……」
「何を言うのです、茂ちゃん」
 お松がたまりかねてたしなめると、茂太郎は、
「どうしても、あの七兵衛おやじの身の上に、変ったことが起ったに違いない」
「そんなことが、わかるものですか」
「だって、あたいは、もう二日というもの、あのおやじが、つかまって、縛られて牢屋へ入れられたところを夢に見た」
「ほんとに、いやなことばかり、茂ちゃん――何も悪いことをしない人が、縛られたり、牢屋へ入れられたりなんかするものですか」
「そうかしら、でも……」
「それに、白雲先生と、つい一昨日おととい、お話をしていたと申します、いやなことを言うものではありません」
「そうか知ら……」
 その時、田山白雲が、茂太郎の面をにらみつけるように見詰めて、そのくせ、心は玉蕉女史の家の離れのあの一夜のこと――王羲之おうぎしの秘本を土産に持って来ると誓った、夢のような、幻のような場面に集中しないわけにはゆきません。
 そうして、その夜の、あのおやじの怪挙動を、逐一ちくいちここで話したがよいか、もう暫く話さないでおいた方がよいのではないか――と、猶予し、且つ思案せしめられました。

         十二

 問題の七兵衛は、その日は観瀾亭の床下に昼寝をしておりました。
 七兵衛が昼寝をするということは、盗人の昼寝という本文に合致することだから、あえて異とするに足りないが、特にこの月見御殿の観瀾亭の床下を選んだというのは、どういう了見であるか。この床下の上には、田山白雲のあこがれのまととなっている古永徳か、山楽かが、絢爛けんらんとして桃山の豪華を誇っているのですが、七兵衛にとっては、特にこの床下が離れられないほどの魅力となるべき理由はなんにも無いはずです。七兵衛としては、別段、永徳でなければならないという見識も主張もないのですから、ところもあろうのに、この床下に昼寝の巣を選んだのは、偶然か、しからずんば何か商売上特別の便宜がなければなりますまい。
 観瀾亭、一名月見御殿の床下――御殿の床下なんという名目が七兵衛の芝居ごころを刺戟して、ちょっとひねってここへ寝てみたい心持にでもなったのか(明治大正の頃、華族芳川伯爵家の令嬢が、その自動車の運転手と情死する前に泊った宿屋へ、わざわざ出かけて行って、それと同じ室へ一泊して気分を味わった人間もある)そうでなければここはこれ、太閤様名残なごりの伏見桃山御殿のお間をそっくり移したということだから、大先輩の石川五右衛門氏が忍び込んだ手沢しゅたくのあともなつかしいなんぞの、そぞろ心から、ついこの床下を借用してみる気になったなんぞも、それも、あんまりコジツケに近い。第一、七兵衛は水呑百姓を以て自ら任じている素朴な男ですから、御殿の床下で、「ああら怪しやな」なんぞと騒がれてみたがったり、また大先輩の石川五右衛門氏のように、衣冠束帯の大百日だいひゃくにちで、六法をきってみようというような華美はでな芝居気のない男ですから、この床下を選んだことにしてからが、一方は牡鹿おじか半島方面の船の到着が気にかかり、一方はまだ仙台城下に無くもがなの心がかりがあるから、ちょうどその中間の、ここ松島の観瀾亭あたりを選ぶのが、地の利よりして最も適度と考えただけのものでしょう。
 地の利もいいし、場所柄も結構らしい。第一、床下とはいえ、海気がよく通って、陰深な気分がしないし、床の間が相当高くて、頭がつかえないし、そこへこもとむしろを敷きこんで、合羽かっぱを頭からスッポリとかぶり、軽い寝息で、すっかり寝込んでいるが、その枕許と、横ッ腹の方に、異形の物体が二つ三つ陳列してある。陳列とはいえ、そこへ投げ出して、ふわりと風呂敷を被せただけですから、中の物体はよくわからないが、形だけは風呂敷を抜いた角々で相当に受取れる。それによって恰好を案ずると、どうやら、いにしえの武将が着たかぶとのような形をしています。別に長い箱入りの軸物のようなものが二本――そんなのを枕許と横ッ腹に抱えて、七兵衛はすやすやと昼寝をしているのです。
 七兵衛の寝息は、いかなる場合にもほんとうに軽いものです。いかに熟睡の時といえども、いびきというものを聞かせたことはなく、障子一重にいても、寝息そのものを感ぜしめたことはない。身も軽いけれども、天性、息も軽いのです。形そのものさえ見せなければ、他のなんらの気配によっても、自己の存在を、目と鼻の先の人にさえ知られるということのないように――すべてが出来ておりました。
 そこで、誰にはばかることなく、昼寝の甘睡をむさぼっていること幾時――自分の存在を知らしめないだけの天地の上に、他の者の来襲に遭っては、針を落したほどの音にも眠りをさますの機能を授かっている。こうして甘睡を貪っていたところを、思いがけなく、息もつかせずにこの梁上床下の天才を襲いかけた不敵者がありました。しゅうーしゅうーっと鳴りを立てて、七兵衛が甘睡の枕許に、鼠花火のように襲いかかり、枕許の風呂敷を被せた兜様のものにカツンと当って七兵衛の面を横倒しに撫でおろしたものがあったのには、さすがの七兵衛が夢を破られて、一時は全く周章狼狽しました。
 何だ、もとより人間のお手入れではないし、そうかといって、鼠やいたちの類ではない。横倒しに倒れかかって自分の面を上から撫でおろした一件の物を、無性むしょうにかなぐりとって見ると、それは一筋の弓の矢でした。
「あ、矢だ!」
 縁の下のいずれかの隙間から、この矢が流れ込んで、自分の枕許をおびやかしたのだ。我ながら――人獣に備える心は不断に怠ったとは言えないが、まだ、ここで弓矢にねらわれようとは、さすがの七兵衛も予想していなかったことです。
 その矢を握りしめて、半分起き直って見ると、七兵衛の頭をかすめたのは、この一筋の矢が――果して、自分のここにひそんでいることを認めて来り脅したのか、或いは何かのはずみの流れ矢か、その二つのうちの一つでなければならぬ。後のものならばまず安心だが――前のであってみるとこれはたまらない。
 七兵衛は、素早く身づくろいをせざるを得ませんでした。
 ともかくも自分の身だけを、いま寝ていたところよりは、ずっと一段の奥、海に近い方の親柱の一本を小楯にとって、身を伏せたまま、二の矢の受けつぎを、じっと見つめて息をこらしたものです。
 まもなく外で人声がします――
「どこへそれた――」
「その植込の笠松の枝ではないか」
「塀の下を見い」
燈籠とうろうの蔭――」
「雨落の中――」
といの間――」
「いずれにも見えませぬ」
「では」
「このお床下へ飛び込んだものに相違ござりますまい」
「なにさま」
「お床下だ」
 二人のさむらいが来て、雨落の下でしきりに評定をはじめたが、もとより、七兵衛の耳へ手に取るように入る。
 まず安心――それ矢だ、どこかこの近隣で弓を稽古していたさむらいの矢が一筋それてこちらへ飛び込んで来たまでのことだ。あえてこの七兵衛のあることを知って、試みに射込んだ探りの矢でなかったことは安心だが、外の評定はこれで終ったのではない。もとより二人のさむらいは、もう縁の下だとあきらめて立去ってしまったのでもない。まだ同じところに立って評定を続けている。
「ちと困ったことだ」
「捨て置きましょう」
「いや、捨て置くわけにはならん、いやしくも藩の御殿の床下へ矢を射込んで、それをそのままにして置いては、後日の言いわけが相立たぬ」
「それもそうでござりますな」
「大儀ながら番人に申し入れて、よく床下を探させ下さい」
「心得ました」
 この問答を聞いて、再び七兵衛が不安に襲われました。
 なるほど、あやまって射込んだ矢一筋ではあるが、御殿の床下へ入ったものを、そのままにして置けない、もっともな言い分だ。だが、そうしてみると、当然、ここへもぐり込んで、あくまで矢を探しに来る人の数がある。矢一筋よりも、見つかってならないものが現にこの通り床下にあるのだ。それをどうしよう、七兵衛は本当に焦眉しょうびきゅうの思いをしました。
 自分一身がのがれるだけは何の苦もないことだが、枕許のあの一件、あの幾点の品、あれをこの際、土を掘って埋めるわけにはいかない、火をつけて焼くわけにもいかない、当然やがて寸分の後、ここへもぐり込む人の身が、一筋の矢よりも、もっとずっと大きな獲物を発見するにきまっている……
 はや、三方からメリメリと矢探しの手がかかって来た。黒い人影が、むくむくと湧いて来る。七兵衛は身をもって遁れるよりほかは、この際、すべのなきことを覚りました。

         十三

 それから後、果して、一筋の矢より、ずっと大きな獲物を発見した諸士たちの驚愕は非常なものでありました。大がかりで御殿の上へ持ち出して見ると、それは金光の古色を帯びた名将のかぶとであり、蒔絵まきえの箱に納まった軸物であり、錦の袋に入れられた太刀たちであり――一筋のそれ矢が射出した獲物としては抜群なる手柄であります。
 ただ抜群なる手柄だけでありさえすれば何のことはないのですが、実は、これらの物体は皆、観瀾亭の床下にあるべき品ではなく、五十四郡の伊達家の宝蔵の奥深く存在していなければならないはずの物体のみでありました。
 最初の諸士を中心として、松島のすべて、塩釜方面と瑞巌寺ずいがんじの主なる面々が、みんなこの観瀾亭に集まって、縁の下の獲物の検分に移ると、舌を捲かないものはありません。
 これは検分すべきものでなくして、拝観すべきものである。拝観も容易にすれば眼のつぶれるべきほどの「御家の重宝」ということに一致して、とにかく、無下むげなるものの口のにものぼらない先に、この宝物の御動座がなければならぬ。
 釣台にのせられて、これが非常な警護をもって、仙台より城内へ運び去られたのは久しい後のことではありませんでした。しかし、この大きな獲物の内容に就いては秘密に附されただけに、松島から青葉城下へかけて、さまざまの下馬評と、見て来たような当て推量が、事実らしく伝えられたのは是非もありません。
 この宝物こそ――伊達家秘宝の一つ、三宝荒神の前立まえだてのある上杉謙信公の兜だったというものもあります。いやいや楠木正成卿の兜だというものもあります。そうではない、伊達の大御先祖の軍配であったという者もあります。いやいや名代の武蔵鐙むさしあぶみに紫手綱たづなでござりました、という者もあります。長光ながみつの太刀だというものもあれば、弁慶の薙刀なぎなただと伝える者もあります。軸物は世尊寺家の塩釜日記だとか、古永徳の扇面であったとか、ついには王羲之の孝経であったというような説が、紛々として起ったけれど、事実、誰も現品を見たものはない。縁の下から出て、一路御宝蔵へ逆戻り、いわば闇から出て、闇へ消えたようなものですから、確証あってこの品と言い切るものは一人もなかったのです。
 御家の宝物の品調べは、そんなようなわけで、何の根拠もない無責任な下馬評のはやるに任せているが、そのままで済まされないのは、この大胆不敵なる曲者くせものの詮議であります。観瀾亭を中心として続々集まった諸士、顔役も、さすがにこの点は抜かりがありませんでした。
 一方、御宝物が厳重なる守護をもって送り返される前後より、たちどころに非常線が張られたのは申すまでもありません。
「まだ決して遠くは逃げていない」
と、炭部屋もどきに、縁の下のわらの寝床に手を触れてみた一人の諸士が言う。
「さりげないことにして網を張っていれば、戻って来る」
 そこを附込んで、虚をもって実を討たんと策を立てるものもある。
 それに応じてまた一方、いずれにしても、この非常線の非常なることを知って、それに処することに抜かりのあるべき七兵衛でないことはわかっているが、事が全く予期しなかった流れ矢一筋から来ているだけに、存外、転身の自由がかないおそれはあります。
 でも、その日の暮れるまでは、犯人がつかまったというなんらの報道もなく、仙台城下の内外の隠密おんみつが、密々のうちにいよいよ濃度を加えることほど、彼の身元が心もとないと言わなければなりません。

         十四

 こういう空気の真只中へ、駒井甚三郎がおともを一人連れただけで、仙台城下へ乗込んで来て、別段とがめだてを受けなかったということは、不思議に似て不思議ではありません。
 それは、駒井とこの土地とは、古い馴染なじみがあるからのことで、その由緒ゆいしょを語れば、今より約十年以前、この仙台藩で開成丸という大きな船を造った時にはじまるのです。
 その時に、江戸から三浦乾也が来て、仙台のための造船の一切の監督をしてやりましたが、当時、一青年学徒としての駒井甚三郎は、船を造る興味と研究のために、わざわざここへやって来て、その船で江戸までの廻航に便乗びんじょうしたということがあるというわけでした。
 ですから、駒井にとっては、この地は曾遊そうゆうの馴染があって、その当時、藩の要路にも充分の懇意があったものですから、相当の気安さで旅行もできるし、また石巻、松島、塩釜、仙台の間は、通学の往復路のようなものでしたから、少し立入れば、今でも顔馴染がいくらもある。
 そういうわけですから、駒井は、極めて無事安全に仙台城下に着いて、まず養賢堂の学頭を通じて、このたびの来着の挨拶をすると共に、当分、この地――月ノ浦に船をとどめて、修補に当りたいことの諒解を求めると、順調にその要望が達せられて、幾多の便宜が与えられるようになったのは、せても枯れても直参じきさんかおであることを、駒井がいまさら認めないわけにはゆきません。
 仙台の有志では、この不時の珍客を歓迎して、相当の集まりを催す計画が起りましたけれども、駒井はことごとくこれを辞退して、養賢堂の儒臣が送ろうというのも辞退して、そうして折返し月ノ浦への戻り道、松島へ来て瑞巌寺を訪れると、折よく典竜老師が臥竜梅がりゅうばいの下でほうきを使っていたのを見かけました。
「これは、これは」
というわけで、招ぜられて客殿へ通ると、つい話が面白くなりました。
 老師を相手の昔話や、今時の物語が面白くなってきたものですから、駒井は、今晩はここに一泊ということにきめました。
 その夜、この大寺の客殿の間にひとり寝かされてみると、今晩こそ、全く異なった世界へ持ち来たされたような気持にならざるを得ません。
 海の上に、波の音と風の騒ぎにのみ苦労をして来た身が、この大寺の森閑を極めたる一間に置かれてみると、昨日は昨日、今宵は今宵、二つの極端な世界を、両端から歩ませられている我が身を、我が身でないように感じました。
 そこで急に落着いて眠ることができません。静かなところもいいが、急にあまり静か過ぎることは、また人の身心を安定せしめないことがある――なんだか、寝ぐるしいようだ。寝苦しさを妨ぐべき何物もないのに、寝つかれない。
 なるほど静かなものだなあ、まるで四方千里、人烟じんえんを絶した山谷さんこくの中に置き放されたような心持がする。静寂といったところで海は直ぐそこだし、町も、城下も、そんなに遠いところではないが、洞然として森閑なる思いが身に迫るのは、寺が大きいからだ。
 駒井は寝ながら、行燈あんどんの光で、高い天井と、がっしりした木口をながめて、今更のように瑞巌寺の規模というものを考えさせられざるを得ませんでした。
 本来、駒井甚三郎は、科学工芸――ことに造船だの、新式兵器だのということに就いては、深甚しんじんなる研究も興味も持ってはいるが、土木建築となると、さほどに興味がないし、絵画彫刻となると、なお一層でした。
 ところが、こうして見ると、この寺を建てた政宗の規模を思い起さないわけにはゆきません。
 瑞巌寺は、寺ではなくして城だ――表は寺の構えにしてあるが、これを建てた最初の政宗の規模は城である。陽寺陰城とでもいうのかな、昔の大名が城としては持てないのを、寺として置いて、他日に備えるという用意は、この瑞巌寺に限ったことではない――加藤清正なんぞもその著しいもの、大名のうちの殊に大きなやつは、みんなそのくらいの用意を持っていた。
 あの当時は、造船の見学に多忙で、名所旧蹟の探訪におろそかでもあったが、今度はひとつその辺から瑞巌寺の規模を見直すかな、城としての寺の構造、要害としての地形を、明日になったらもう一ぺん見直してみよう。
 こうして駒井は眠られないままに、高い天井を眺めて、うつらうつらと伊達政宗のことを考えているうちに、ふと、この寺に「御座ぎょざ」があって、そこへは政宗が、いかなる貴賓をも立入らしめなかったという由緒の一間がある。といって、「御座の間」とある以上は、何かひとたびその名を空しうせしめざるほどの期待がなければならない。ひそかに伝うるところによると伊達政宗は、いつかこの土地に天子の行幸を期待し奉る大望があって、このために、特にこの「御座の間」が設け備え奉られたのだということだ。
 ありそうなことだ。
 それともう一つ、この瑞巌寺の天井のいずれかに、千人の甲を伏せて音もさせない、俗に「武者隠しの間」があるそうだ。そういうことは必ずしも当てにならないが、とにかく、明朝はひとつこの寺の構造をもう一ぺん見直してみよう。絵画彫刻の類も一応――いやこれは自分には少々畑違いだ、いずれ白雲画伯を紹介してよこすことにしよう――というようなことを感じているうちに、それでもまぶたがようやく重くなってくるのはやむを得ないことです。もうかなりの夜更け、先晩、田山白雲が仙台城下で、美にして才ある婦人と語って興が乗り、ようやく離れ座敷で眠りに落ちようとしたのとほぼ同じぐらいの時刻でありました。
 唐戸からとのような大きな障子が、すうーっとあいて、有明の行燈あんどんの中が、にわかにまたたきをはじめました。
「誰じゃ」
 その時の駒井の驚き方も、あの時の白雲の驚き方も全く同じでありました。違うのは、パッと睡眼をさますと共に、白雲は枕許の太刀たちを引寄せたけれども、駒井は蒲団ふとんの下の短銃ピストルへ右の手が触っただけのことでした。
 のんのんと瞬きをしつづけている有明の行燈の下に、人が一人、うずくまっている。
「御免下さりませ」
「そちは、何者じゃ」
「お静かにあそばしませ」
「何しに来た」
「駒井の殿様、わたくしめでござります」
「や、七兵衛ではないか」
 うずくまっていて頬かむりの頭を上げて見せたかおは、駒井としては、全く見紛うべくもない七兵衛おやじです。
「深夜、お騒がせ申して相済みませぬが、七兵衛は只今、この奥御殿の天井裏の忍びの間、武者隠しと申すのに暫く隠れておりますが、今夜、殿様のおいでが、願ってもない仕合せでございました」
「どうしたというのだ、何で、そちはこんなところの天井裏に隠れている。船ではみんなそちの来るのを待兼ねている、田山君もそちの案内で無事に船に着いている、それにそちだけが――どうしてまた、そんな姿で、こんなところに――」
 駒井甚三郎は、七兵衛そのものは、洲崎で働いてくれた七兵衛に相違ないが、その内容は全く別物か――どうかすると、或いは七兵衛の幽霊ででもありはしないかとさえ疑われるほどの眩惑を感じました。
「はい、その御不審は御尤ごもっともでございますが、この七兵衛は当分の間――まあ長くて七日間――はこの瑞巌寺様の構内から一寸も出られない余儀ない羽目になりました――これと申すも、よせばよいのに、年甲斐もない悪戯心いたずらごころがさせた業でございます、仔細はいずれおわかりになりましても、お聞捨てにあそばして下さりませ。ただ一つのお願いは、七日の間の兵糧が少しばっかり欲しいのでございます、お握飯むすびなり、おかちんなり、ほんのしのぎになるだけ――お松にでもお言いつけ下さって、あの、こちらのお庭の臥竜梅がございます、あの梅の大木のうつろの中へ、明晩でもひとつ……」
「ふーむ」
「なにぶんお願い申し上げます、委細は、あとからお耳に入ることもございましょうが、それにいたしましても七兵衛は、本来善人なんでございますから、白雲先生なぞはかまいませんが、若い者にはなるべくこんなことは聞かせていただかない方がよろしいんでございます」
「何を言っているのだ、どうも、今晩のお前の挙動というものは、全く拙者にはわからない」
 駒井は、いよいよ深く解し兼ねていると、鐘が鳴りました。
 寺の境内のことですから、その鐘が、突き抜けるように間近く響きました。七兵衛は、あわただしく立ち上り、
「では、時刻が遅れますと、なんでございますから、これでおいとま……」
 入って来たところから、完全に出て行ってしまったのですが、駒井はどうしても、夢でなければ魔である――ものを信ずることの絶無な駒井甚三郎が、何か実物以外の影の尾をいている姿を、認めようとして認め得られなかったのです。

         十五

 その翌朝、舟を雇うて、松島から石巻湾を横断して、月ノ浦に帰った駒井甚三郎は、何はさて置き、昨夜の怪事を田山白雲に向って物語りました。
 白雲は、自分が逢わせられたと同じ型を、異った舞台面で見せられた駒井の経験に、またおぞけをふるいました。そうして同時に二人が、七兵衛なる者が、今まで見ていた通りの篤実なおやじで、世話好きのために、けたはずれた道楽にまで踏み込むことを悔いない、珍しい田舎者いなかものだと見た見方を変えなければならなくなりました。
 しかし、駒井にまだわかりきらないところも、白雲には、いよいよ心胆を寒からしめるほどに深く突込まれるものがあるのです。王羲之おうぎしの孝経を一目なりとも自分に持って来て見せると誓ったような、あの不思議な応対が、今となっては犇々ひしひしと思い当る――奇怪、不埒ふらち、人を食った白徒しれもの――と奥歯を噛んでみたが、それにしても、頼まれてもやれない仕事を、好意ずくでやってみせようという男。やることに事を欠きこそするが、そこに憎めない何物かがある。結局、わからない奴だ、変な奴だ、油断のならない奴だ。だが、自分たちにとっては、好意のありたけを見せられたほかには、なんらの悪意を受けてはいない。
 駒井甚三郎は、七兵衛なるものを、ようやく解しきれないものに見直したのは同じだが、白雲ほどに深刻にはこたえていないのです。そこで白雲も、自分の見直したところを率直に駒井に言ってしまうことが、なんとなく忍びないような気持になりました。
 しかし、解釈の相違にその辺までの程度はあるけれど、何はいても、彼を一刻も早く救い出してやらねばならぬ、という気持は全然一致している。それをするには何でもないことで、金城鉄壁の中にかくされているというわけでもなんでもなく、隠れ家はちゃーんとわかっているし、ちょっと引出して、駒井が帰って来たように舟にでも載せさえすれば、いっぷくの間にここまで連れて来られるのだが、それを本人が希望しないで、少なくとも七日間はあれに窮命きゅうめい籠城ろうじょうしていなければならぬというのは、何か事情があるのだろう。その事情を諒察してやるとすれば、彼の申し出どおり、その間の糧食を運んでやることが唯一の道だ。それとても、そんな難事ではない、そっと人知れぬ宵闇に、あの瑞巌寺の、人目の少ない境内の臥竜梅のうつろの中へ、握飯なり、干飯ほしいいなり持って行って、隠して置いてやりさえすればいいのだ、それだけのことはしてやらずばなるまい。それをするには、誰彼というよりお松に越したものはない。
 駒井と白雲とは、このことを相談し合いました。けれども、お松にこの内容の一切を語り聞かせることは考えものだと思いました。お松が七兵衛を信じている心持は、どこまでも尊重して置かなければならないと考えたものですから――手際よく要領をのみこませ、そうして、田山白雲が、その翌日お松を連れて、また舟で松島へ渡りました。
 松島の風景を写さんがために逗留とうりゅうの画家が、当座の女中として、雇い入れたようにして宿をとり、白雲は駒井の紹介で、瑞巌寺の典竜老師を訪れたものです。
 松島の宿に着いたお松も、わからない心持でいっぱいです。ただ当分、七兵衛おじさんのためにこっそりと食物を運んであげる役目――宵々毎に瑞巌寺の臥竜梅のうつろへ、その使命だけを固く心にかけましたが、それにしてもどうもなんだか、牢屋へ入れられている人に差入物にでも行くような気持がして――愚図愚図していれば、七兵衛おじさんはお仕置に会って斬られでもしてしまうのではないか知ら、というような不安が、何とはなしにこみ上げて来るのです。
 白雲はその翌日から、瑞巌寺へ日参して絵を描くことになったのは幸い――そうしてその夕暮、お松は絵の先生を迎えに行くふりをして、臥竜梅のうつろの使命の第一日を首尾よく果しました。

         十六

 これとほぼ時を同じうして、仙台の町奉行丹野元之丞たんのもとのじょうが、何か感ずるところあって、仲間ちゅうげん一人を連れて不意に、古城の牢屋を見廻りに来ました。
兵助ひょうすけ、兵助、兵助はいるか」
「はい、お呼びなさるのは、どなたでございます」
「丹野じゃ」
「これはこれは、お奉行様」
 牢名主兵助が、立って戸前のところまで来ました。
 元之丞が、
「兵助――無事か」
「はい、おかげさまで、無事すぎるほど無事でございます」
 上目づかいにおとなしく返事をする囚人を、奉行は高飛車に、
「兵助、貴様も年をとったな」
「はいはい、年をとりましてございます」
「哀れなものだな、昔の元気はないな、その分では、目白籠めじろかごへ入れて置いてもこっちのものじゃ」
「へ、へ、へ、御冗談ものでございましょう、お奉行様」
と言って、獄中の人がはじめて冷笑しました。
「気にさわったか」
「御冗談もことによりけりでござります、お奉行様、兵助が年をとったと申しましたのは、往生を致したという次第じゃございません」
「なら、昔の元気が少しは残っているか」
「へ、へ、へ、万事若い時のようには参りませんが、お奉行様、兵助はおとなしくしているのが勝手でございますから、こうして牢畳の上で日向ぼっこをしてしらみをとっているまでのことでございます、をあげろとおっしゃるなら、いつでも兵助相当の音をあげてごらんに入れます」
「うむ、まだ音をあげる元気があったのか」
「早い話がお奉行様――このお牢屋なんぞは、どだい骨が細くって、朝夕の立居振舞たちいぶるまいにも痛々しくてたまらないんでございます、まあ、お奉行様の前ですが、ちょっと、ここんとこをこうしてみてごらんあそばせ」
 兵助はのこのこと立って来て、牢の一方の格子の角をゆすると、どうしたものか、その柱の一辺がガタガタとゆるんで、見ていると、そこから人間が楽々とい出しかねない隙間をこしらえて見せました。
「ふーむ」
と、奉行は目をすましてそれを見る。
「お奉行様、年はとりましたとは言うものの、兵助もまだ四十台でございますよ、やれとおっしゃれば、こんなヤワな細工をおっぺしょって娑婆しゃばへ飛び出して、もう一働きも、二働きも、罪を作るのは朝飯前でございますが――何を言うにも、もう四十の坂を越しましてな」
「四十がまだ若いというのか、年をとり過ぎたと申すのか、わからん」
「どちらにお取り下さってもよろしうございますが、盗人ぬすっとと致しましては、四十はもう停年でございますな」
「どうして」
「私が今日まで見ましたところが、盗人をする奴は二十五六止り、大抵その辺で年貢が上って、三尺高いところへ、この笠の台というやつがのっかるのが落ちでございますが、不思議とこの兵助は餓鬼の時分から手癖が悪いくせに、こうして御方便に四十の坂を越して、安穏あんのんに牢名主をつとめさせていただくというようなのは、全く例外なんでございます。ですから、観念いたしやした。世間では、兵助はロクでもない奴だが、親爺おやじが仏師で、徳人であったその報いで、ああして無事に長生き――盗人としてはでございますよ――をしている、とこう言っているそうでございます。そこで兵助も観念しましてな、こうしておとなしくして、牢畳の上で虱をとって神妙に納まっているのでございますが、なあに、お奉行様がやれとおっしゃれば今晩にも、こんな窮屈なところは飛び出してお目にかかりません」
「ふむ――そんなことをやれとは言わない、しかし、お前に少しばかり相談があって来たのだ、早くいえば頼みたいことがあって来たのだ」
「これは、な仰せでございますな、お奉行様が盗人に頼みたいこととおっしゃるのは――これは、どうしても頼まれて上げなければなりますまい」
 こうして奉行が、囚人である兵助の耳に口を当てて、ささやく。つまり、耳こすりという段取りになりました。
 その結果が――兵助の呑込みとなって、
「ようがす。その話は、牢へ新参しんめえの口から聞かねえ話でもござりません。なかなかしたたか者でございますぜ、わっしの眼の届く奥州五十四郡のうちには、まずそんなしたたか者はございませんから、つまりそれは、旅烏の、風来者の――といって、またたびでさいの目をちょろまかそうという三下奴さんしたやっこの出来損いにやれる芸当じゃございません。盗人の方でも、かなり本場を踏んで、五十四郡をのんでかかろうって奴でなけりゃやれません。年の頃だってそうでございます、まあ、この兵助と、おっつかっつでございますね、かなり甲羅こうらは経ていますよ。ようがす、ようがす、一番当ってごらんに入れましょう。お願いには、この兵助を七日間の間牢からお出し下さいまし、七日目に必ずここへ帰ってまいります、帰るからには、何とか目鼻を明けてごらんに入れたいと思います、七日とお約束をいたしやしょう、お奉行様」
 兵助がこう言って、ニッタリと笑いました。
 それからこの兵助が、松島の観瀾亭のお庭へ姿を現わしたのは、その翌日のことであります。
 事の順に戻って、この兵助なるものの身柄を、一応説明しておく必要がありましょう。
 今の自らの物語にもある通り、この城下生れの者で、父は仏師です。兵助、生れて身軽で、力があって、いつ習うともなく武芸が優れてきて、それが仇となって、今日までに幾多の悪事を重ね、数百の子分を持っている――
 これが今、町奉行の内命を受けて、特に刑中の身を以て、観瀾亭から瑞巌寺ずいがんじ方面へ派遣されました。
 これが裏を返すと、すなわち、仙台の仏兵助ほとけひょうすけと、青梅の裏宿七兵衛うらじゅくしちべえとの取組みとなるのです。

         十七

 お松はその翌日、新月楼という宿屋から、瑞巌寺の庫裡くりへ、田山白雲画伯のためのお弁当を運びました。
 白雲先生へという名題なだいで、実は、臥竜梅がりゅうばいのうつろの中が目的であること申すまでもありません。
 ところが、来て見ると、その臥竜梅の下が先客によって占領されていました。その老大木の前には、自分がたずねて来るずっと以前から、おそらく早朝からでありましょう、一人のずんぐりした小柄な桶屋さんが座を構えて、しきりに桶のたがをはめているところでしたから、お松は、これはいけないと思いました。
 意地の悪い桶屋さん――と、お松としてはそうとれたのもやむを得ませんが、ここで桶屋さんが仕事をはじめて悪いというわけはなし、よし悪いにしても、自分にそれをとがめ立てすべき権能はないのですが、どうも悪いところに桶屋さんが頑張っていると、小憎らしく感ぜざるを得ませんでした。しかも、この桶屋さんは、悠然と、朝からこの大樹の下の日当りのよいところを仕事場に選定してかかっているらしいから、そう急に動き出しそうな様子もありません。
 のみならず、この悠然たる桶屋さんの、いま仕事にとりかかっているのは、天水桶のうちでも優れた大きさを持ったやつですから、これ一つの箍の懸換えをするにも優に一日はかかりそうだ。
 ところが、仕事はそれだけには止まらない。桶屋さんの周囲を見ると、米磨桶こめとぎおけもあれば手桶もあり、荷桶もあれば番手桶ばんておけもあり、釣瓶つるべの壊れたのまで、ごろごろしているところを見れば、今日一日の雇いきりに限らず、当分失業問題は起らないものと見なければなりません。
 お松は困ったと思ったが、どうも仕方がない――何かの機会にこの桶屋さんが、ちょっとでもこの座を立つ機会を待って素早く使命を果してしまうよりほかはないと思いました。
 そこで、暫くあちらこちらさまようて、桶屋さんの動き出す隙を待っていたが、泰然として座を構えこんでしまった桶屋さんは、容易に動き出さないのです。いいかげんの時分になると、座右からかますを取り出して、カチカチと火をきって、ぷかぷかと二三ぷく煙草をのんでしまっては、さて悠々と、老木の梢の上なんぞを上目づかいでながめて、うぐいすがどこへ来ているか、雀が何羽止ったかという数なんぞ読んでいる様子が、お松にとっては、いよいよ小憎らしいばかりです。
 そこで、遠廻りをして臥竜梅のうしろの方へ廻り、そこから桶屋さんの隙をねらって、うつろへ投げ込もうかとしましたが、気のせいか、どうもこの桶屋さんが、それとなく自分の行動を注意しているように思われないでもありません。
 とうとう、近づきかねたお松は、いったん瑞巌寺の外へ出てしまって、法身窟のあたりの小暗い杉の中を歩み歩み行きました。
「どうも仕方がない、あの桶屋さんに追立てを食ってしまったようだ、なにも桶屋さんがわたしの仕事に意地悪をしようとしてあそこにいるわけではないが、わたしにはそうとしか思われてならない、ただの桶屋さんにしては、なんだか気が置け過ぎるのが、つまりわたしの疑心暗鬼というものでしょう、あの桶屋さんに圧迫されて、知らずらずわたしははみ出されたようなことになってしまった――どうも仕方がない、もう少し、よそを歩いて、また来てみましょう」
 お松はこんなひとり言を言って、お弁当を抱えたまま、まもなく松島の海岸の方をぶらつきはじめました。
 お松がこうして臥竜梅の下から圧迫され、ハミ出されたのと反対に、庫裡くりからひょっこりと身を現わしたのは田山白雲でありました。
 白雲は極めて気軽に出て来ましたが、手には写生帖と矢立を持って、早くもこの臥竜梅の姿に目をとめながら、近づいたり、やや遠のいたりして、ためつすがめつ、この木ぶり、枝ぶりを見ているのです。
 その有様は虚心坦懐で、眼中にただ、梅の木の木ぶり枝ぶりあるのみ。ちょっと当惑するのは日ざしの具合で、まぶしい感じがする時、左右に紙と筆とを持っているものだから、小手のかざしようがないだけのものです。
 ですから、お松をしてあれほど焦心せしめた桶屋の存在などは、最初から念頭になく、木ぶりのみをためつすがめつしていたが、ついには或る地点で行きつ戻りつしているところを見ると、この梅を写生せんがための足場をきめるための働きであること申すまでもありません。
 そこで、田山白雲は、いいかげんの地点を選定し得たと見えて、やがて、筆を動かし、写生をはじめました。
 こうなると一心不乱の形で、この臥竜梅の形神を、五彩のかんに奪い去ろうとの熱心が見えないではありません。
 ところが、お松を悩ませた臥竜梅の下の桶屋さんなるものは、その手許てもとを見ていると、存外不器用で、且つ不熱心と思われないでもありません。本来ならばお松が通りかかろうとも、白雲が出現しようとも、桶屋さんはその職業に於て一心不乱であり、またその職業としてもこのくらいの年配になれば、相当の業前わざまえを見せなければならないはずなのに、お松が来れば来たでよそみをし、白雲が出れば出たでそっとその人相をうかがうような目つきがいやです。
 しかし、気分に相当の差異こそあれ、二人ともにその職業とするところに一心であることは同じようなものですから、あえてこのさびのついた庭の面を荒すというようなことはありませんでしたが、不意に、二つの珍客が舞い込んで攪乱こうらんしました。
「あ、いたいた、田山先生がいたよ」
「茂公か――」
 田山白雲が、思わず写生の筆をとどめて見入ると、まごうべくもない清澄の茂太郎と、それから、もう一つの珍客はムク犬です。
 ムクは、この著作に於てこそ、かなり知名にして有要な役目をつとめつつある犬ですけれども、田山白雲とはいまだ相識の間でもなく、まして入魂じゅっこんの間柄でもありませんでした。
 白雲が船へおとずれた時は、ムクはひそかに睡眠の不足を船底のいずれかで補っていたかと見える。白雲がこちらへ来るまで誰も引合わせなかったものですから、この時、これは素敵な大物を茂公が連れこんで来たものだわい――この小僧は、山に入って猛獣毒蛇とも親しむだけの天才を持った小僧だから、もうここへ来ると、その辺のイカモノと馴染なじみが出来てしまったのだな。
「先生、七兵衛おやじはいないの?」
「うむ――」
 この時、白雲はあたりを見廻し、
「お前はどうして来たんだ」
「あたいは、舟で来ました」
「そうか」
「ムクも来たいというから連れて来ました」
「駒井船長のゆるしを得て来たのか」
「うむ、いいえ――」
「黙って飛び出して来たな?」
「済みません」
「おれにびを言っても仕方がない、お前の悪い癖だ」
「だって、ムクがついているからいいでしょう?」
「ムクというのはその犬のことか」
「ええ」
「誰がついて来ようとも、だまって舟を出て来ることはいけない」
「でも、金椎キンツイさんにだけことわって来たからいいでしょう?」
「金椎に? あれはつんぼだ」
「だって――」
「まあ、仕方がない、金椎君にでも、ことわって出て来たんならいいとして――」
「ねえ、先生」
「何だ」
「大きなお寺だね」
「うむ、奥州第一等のお寺だ」
「広いお庭だね」
「うむ、広い」
「七兵衛おやじはどこにいるの」
「ナニ?」
 白雲は、またしてもあたりを見廻しました。この小僧が、七兵衛、七兵衛と無遠慮に言うのが気がかりになってならない。その度毎に、あたりを見廻したが、幸いにも誰も聞きとがめる者はない、ありとすればあの桶屋のおやじだけだが、桶屋のおやじがどうなるものか。
「ねえ、先生、お松さまはどこにいるの」
「お松さんか、お松さんは宿屋に待っているだろう」
「宿屋ってどこ」
「つい、そこの海岸だ」