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大菩薩峠

不破の関の巻

中里介山




         一

 経済学と科学が、少しく働いて多く得ることを教えると、人間の慾望はそれに拍車を加えて、ついには最も少しく働くか、或いは全く働かないで、最も多くをせしめるように増長して行こうとするのに、最も多くを働いて、最も少なく得ることに満足し、それを楽しんで生きて行くものがあるならば、それは奇特というよりは、馬鹿という部類のものに属すべきものの仕事でしょう。
 ところが、与八の働きぶりというものがそれでした。
 この男が、甲州有野村の藤原家の普請ふしんに参加してから、過失といっては、暴女王の残して行った悪女塚を崩したということのほかには過失が無く、仕事としては、ほとんど何人前か計上しきれないほどの仕事をしていることは、疑いがありません。
 しかし、その仕事の多寡たかを計算して、労銀を払い渡すという時になると、与八はいない。いないのではない、姿が見えなくなるのです。この男は自分が何時間働いた上に、自分の持つ労力は常の人の何倍に当るから、これだけの労銀を与えられなければならぬということを主張した例がないから、与えられる時の元締の計算は、やっぱり普通一人前の人夫の計算にしかなりません。
 でも、苦情も不平も出ないのは、当人がその分配の席にいないからです。それで、頭割りをする役割は、当人の主張の無いのに、当人に代って割増しを主張するほどの好意はないから、常人足並みの労銀が、組の者に托して与八に向って支給されて納まってしまうのです。
 それにしても、一人や二人は、与八という特種人物の力量が抜群であって、仕事ぶりに蔭日向かげひなたというものがないという点ぐらいは認めてやる者があってもよかろうと思われるが、それすら無いというのは、証跡がかくれてしまっているのです。
 つまり、与八はその非凡な力量を以て、常人の幾倍に当る仕事をしていることは確実なのですが、その仕事は、蔭日向がないというよりは、蔭ばかりで日向が無い、日向ばかりで蔭が無い、というような仕事ぶりになっているからでありましょう。
 彼は山で石材を運び、土を掘り、木の根を起すにしてからが、なるべく離れたところを選び、離れたところの人の面倒がるところに好んで食いつき、いつのまにかそれを綺麗きれいに整理して置いて、他の人が処分するに最も都合のよいようにして置いて、人が来る時分には、もう自分は次なる根仕事こんしごとにひとりコツコツいそしむという仕事ぶりを取っているから、当座の人は、与八の仕事の忠実なることは感得するけれども、忠実なる仕事の成績ぶりにはあまり注意を払わしめられないように出来ています。ただ一度、悪女塚を崩した時だけは、非凡な怪力を二三の者に示したけれど、それは当然見ていた二三の者に限り、それらの者も与八の怪力よりはむしろこの塚を築いた暴女王の後日の怒りのほどを怖れて、口をつぐんでしまったほどだから、与八の力量のことも、その辺で立消えになって伝わってはいないようになりました。
 ただ、いつも眼につくことは、与八の背におぶったり、手をいたり、傍に立たせたり、休ませたりして置く一人の子供のことで、これをよく面倒を見ることの方が、いたく人の心を刺戟しました。見ると与八彼自身の子供とは思われないのです。そうかといって、他人ひとの子供をあれほどまでに大事にするのも変なものだとは思われる。これには何ぞ仔細がありそうだという気はするが、それを聞咎ききとがめたり、調べ上げたりなんぞしようとする者は一人もなく、ただ、そういう光景を、そういう気持を以て眺めやるばかりのことでありました。
 こんなような働きぶりで、与八は幾日かを、藤原家の改築の工事のために働いておりましたのです。

         二

 ところが、この与八の経済学を無視した働きぶりを認めずにはおられないものが、ここに一人現われました。
 それは誰あろう、藤原家の当主の伊太夫以外の何人でもありません。
 伊太夫は、絶えずとは言わないが、思い出したように工事の見廻りをする。その見廻りの都度に、経済学を無視した一人のデカ物があることを、どうしても認めずにはおられませんでした。
 それとなく注意して見ていると、最も多く働いて、最も少なく得ることに甘んじて、そうして分配の時は姿を没し、かつて不平と不満とを主張したことのないのを、伊太夫がようやく認めました。
 同時に、このデカ物は、自分の子とも、他人の子ともつかない、一人の子供を親切に養っていることを認めずにはおられません。それはこの工事のうちに、乳呑児を背負ってエンヤラヤアの地搗じつきに来ているような女労働者も相当にないではないが、男の身で子供を連れて来ているのは、このデカ物に限っていることを認めずにはおられません。経済学を無視する行為を認める以前に、このデカ物と、そうして瘤附こぶつきとの異常な形体が、伊太夫の眼をそばだてしめたものでしょう。
 それ以来、そのつもりで見ていると、見ているほど光り出して来るのが、このデカ物の働きぶりです――この男は経済学を無視している、分配の法則から飛び離れている。他の何事よりも経済学を無視しているということが、伊太夫にとっては不思議であり、驚異であり、無謀であることを感じずにはおられないらしい。何となれば、伊太夫の頭は、ほとんど全部が経済学から出立しているのです。
 自分の家のすべての者が、自分に対してそむき去っているということ、その反き去ってしまった結果として、惨憺さんたんたる家庭争議がついにこのたびの業火となって、家財、人命をも焼き亡ぼさずにはおかなくなった破局というものも、伊太夫の頭では、やっぱりもとはといえば経済学に根を持っているのだということを信ぜずにはおられません。
 つまり、すべてのわざわいの根元は、藤原家のこの財産にあるのだということは、何人よりも、深く伊太夫は観念しているのです。
 前妻の子と後妻の子とにわだかまりがあるのも、後妻とお銀様との間が火水のようになっているのも、本来、この藤原家の財産がさせる業なのだ、なんのかのというけれど、要するに人間は慾に出立している、慾が無ければ人間がないように、財産が無ければ藤原家はないのだ。家庭争議はいまわしいとは言いながら、先祖以来藤原家が、この国で並ぶものなき家柄に誇り得るのは、こうしてどんな災難があろうとも、災難は災難として、ひとたび自分が顎を動かしさえすれば、たちどころに幾千の人も集まり、幾倍の工事をも為し得るという力、その力に比例して、権勢名聞が周囲に及ぶというのも、一にこの財産ある故にこそである。
 大まかに経済学とはいっても、伊太夫のは、佐藤信淵や、河村瑞軒ずいけんあたりから得ている経済学ではなく、わが藤原家の祖先伝来の財産というものから割出している経済学なのですから、この私有財産あってこその経済学で、その私有財産を基礎としないことには、経済も、倫理も、道徳も、学問も、芸術も、総てが消失してしまうのです。そこで彼は藤原家の財産を損ぜぬ程度に於て、またいつか利息を含めて戻って来るという計算の上に於て、慈善のようなこともやり、贅沢ぜいたくのような金づかいもやりました。
 自分の威勢といったところで、兵力を持っているわけではなく、官位を持っているわけでもない、家は古いには古いが、摂家清華というわけではない、人がつくもつかざるも、要するにこの財産の威力のさせる業なのだ。
 伊太夫はそれがよくわかっているだけに、人を使うにも、人の慾を見ることに抜け目がないのです。少なく与えればうらむ、多く与えればおごる、一時、威圧で抑えて、労銀以上の働きをさせても、能率や実際から見ると、それはいけない、安ければ安いようにどこかに仕事が抜いてある、やっぱり人を使うには少なく与えていかず、多く与え過ぎていかず、その辺が経済の上手と下手との分るるところだ――そういうような経済眼は発達しているから、少なくとも祖先以来の家産を減らさなければ、いやでも増殖させて行くことは測られないほどでありました。
 この経済の蔭に、家庭のあの暗い影のあるのは望ましいことではないが、やむを得ないことだと腹にこらえてもいるのです。家庭の暗い影は、もとより望ましいことではないが、この暗い影のために藤原家というものを抛棄ほうきすることができるか。それは藤原の宏大なる資産というものがなければ、一家親戚のこれに頼る心と、これを見る眼というものが消滅してしまうにきまっている。自然、暗い影はそこでサラリと解けるかもしれないが、藤原家というものが消滅して何の家庭争議だ。肉体を持つ人には病苦というものがある、病苦を除くために肉体を殺してしまえ、ばかな! そんな理窟や学問はどこにもない。
 今日しも与八は、おひるの時分、いつものように大勢とは離れて、小高みになった藪蔭やぶかげのところに竹樋たけといを通した清水をすくいながら、握飯おむすびを郁太郎にも食べさせ、自分も食べていると、不意に後ろから人の足音があって、ガサガサッと藪の下萌したもえが鳴る。
「あ! 旦那様」
と振返った与八が驚きました。自分の後ろに立っているのは、日頃見知りごしのこの家の主人、伊太夫その人でしたから、
若衆わかいしゅ、毎日御苦労だね」
 伊太夫が一人足にんそくに向って、こんな会釈えしゃくを賜わるほどのことは例外でありました。
「はい、はい、おかげさまで毎日、有難く働かせてもらっております」
「お前はほんとうによく働く」
 杖をとめたなりで、伊太夫がちょっとその場を動こうとせぬのも、思いがけないことと言わなければなりません。
 常ならば、番頭や書き役が附いて見廻りをなさるはずなのに、今は誰もついていないのみか、わざわざひとり、この藪をくぐって来られたていにも見えるし、与八に向って、特別に念入りの挨拶をすると共に、杖をとめているのは、何かまた特別に与八に話したいことがあるために、事にかこつけて、人目を避けてこれまで来たもののように見られないでもありません。
 そこで与八も、大口をあいて無遠慮に握飯おむすびを頬張ることもなり兼ねていると、伊太夫が、
若衆わかいしゅさん、お前さんはどこから来なすった」
 今度はなお特別ていねいに、さん附けであります。与八は答えました、
「はい、はい、恵林寺の和尚様からのお引合せで、御当家様へ御厄介になることになりましたのでございます」
「おお、そうそう、忘れていた、慢心和尚からの御紹介のはお前さんだったか」
「はい、はい」
「生れはどこだね」
「武州の沢井というところでございます」
「そうかね――当分、こちらにいなさるか」
「こちら様の御用が済みましたらば、これからまた西の方へ旅をしてみようと思っているのでございます」
「西の方へ――西はどこへ」
「どこといって当てはございませんが……」
「当てが無い――」
 伊太夫は、ちょっとかおを曇らせて、与八と郁太郎とを等分に見おろしました。
「はい」
「当てがなければ、お前さん、当分わしのところにいてはどうだ」
「そりゃ御親切さまに有難うございますが、御用が済んだ上に、長く御厄介になっちゃあいられましねえ」
「用なんぞはいくらでもあるよ」
「はい」
「仕事なんぞはここにいくらでもある、この普請が終ったからといって、そうさっぱりと出て行かなくってならんというはずのものではない」
「そうおっしゃっていただくのはいよいよ有難うございますが、実は、わしたちも心願がございまして、諸国を巡ってみてえとこう思って出て参りました身の上でございます」
「そりゃ、諸国を巡ることは悪いとは言わないが、どうだ、もう少し、普請が終るとか、終らないとかいうような時をきめる必要はない、いやになる時節まで、わしがところにいてもらえないかな」
「はい」
 与八は、伊太夫直々じきじきのこの好意に対して、何と返事をしていいかわからない。人を使うことも、人を信ずることもかなり厳密なこの大家の主人が、直々に、初対面といってよい与八に対して、こんな言葉を下し置かれるというのは、かなり異例であるということを与八はよく呑込んではいないで、どういうわけかこの主人が、自分に対して特別、好意を持っていてくれるということはよく分るのです。与八の明答に苦しむのを見て取ったかのように、伊太夫が言葉をつけ加えました、
「わしの家も、今こそこの通り混雑しているが、これが済んでしまった日には、ひっそりしてしまうのだ、雇人もかなりいるにはいるがね、急に、家中がにぎやかになるというわけにはいかないのだ」
 与八は、なんだかこの言葉のうちに、痛々しいものがあるように思われてなりませんでした。
 ああ、そうそう、そう言えば、この間の火事で、ここの奥様と、あととりの坊ちゃまが、焼け死んでしまわれたそうな。それに、一粒種のお嬢様というのが、一筋縄ではいかない方で、今、遠くの方へ旅をしておいでなさるとか。してみると、ここの御主人がさびしいとおっしゃるお心持も、ほぼお察し申すことができるようだ。

         三

 それから間もないこと、藤原家の番頭から別に話があって、与八はこの家の別扱いの雇人となりました。
 臨時の人足として使われた男が、穀物庫の傍らの一室を給されて、この家の准家族のような待遇を与えられる身となりました。
 与八としては、いてこれを辞退もしなかったが、そうかといって、永くこの家の奉公人となりきるつもりはありませんでした。
 だが、こうなっていることは、自分はとにかく、郁太郎の教育のためによいことだと思わずにはおられません。
 ともかく、今までの相部屋あいべやと違い、自分としての一家一室が与えられることになると、与八は沢井を離れてから、はじめて居心地が落着いたのです。
 郁太郎、どうしたものかこの子の発育が、肉体、知能ともに世間並みの子供より鈍いことは、与八も知らないではありませんが、それでも、もう四歳よっつになった以上は、単に育てるだけではいけないということに気がつきました。
 哺乳の世話だけは、もう卒業したようなものだから、それを教育の方に振向けなければならないと与八が感じて、夜なべに米をく傍ら、郁太郎を坐らせて、いろはを習わせることからはじめたのはこの時のことです。
 与八は焼筆をこしらえて、郁太郎のために板切れへ「いろは」を書かせることを教えながら、自分は地殻ちがらを踏んで米を搗いている。燈明皿の燈心は、教師である与八と、教え子である郁太郎との間を照して余りある光を与えておりました。
 今晩は雨が降り出している。与八と郁太郎の師弟が、例によってこの雨夜を教育にふけりはじめているところへ、フト外から訪れる客がありました。
「与八」
「はい」
 与八は直ちに、訪れて来た客人が、藤原家の当主の伊太夫であるということを知りました。
 伊太夫がじゃの目の傘を土間と戸の桟との間に立てかけ、合羽を脱ぎかけているのは、わざわざここを訪れるために雨具を用意して来たのか、或いは他を訪れたついでにここへ立寄ったのか。それにしてはともがついていないのみか、自身、包みをぶらさげて来ている。
「これははあ、旦那様」
 与八は恐縮して、地殻つきから下りて来ました。郁太郎は、この来客にちょっと目をくれただけで、しきりに板の上へ焼筆をのたくらせている。
「与八、どうだ、お前ひとつ、お茶をいれてくれないか」
 合羽を脱ぎ終った伊太夫は、自身携えて来た包みを取りおろして炉辺に置きながら、自分はもうその炉辺に坐りこんでしまいました。
「旦那様、まあ、お敷きなさいまし」
と言って、与八は有合せのゴザを取ってすすめます。
「今夜は雨も降るし、静かな晩だから、お前と一話ししようと思ってやって来たよ」
 してみると伊太夫は、他家よそへの帰りにここへ立寄ったものではなく、雨の夜を、わざわざ合羽傘かっぱからかさで、ここへ話しに来ることを目的として来たものに相違ありません。
 何してもそれは与八として光栄でもあり、恐縮でもないはずはありません。
 米搗こめつきはそのままにして、与八は自在の鉄瓶を下へ卸し、火を焚きつけにかかりました。
 伊太夫は、抱えて来た包みを解いて、また別の一つの箱を取り出しました。その箱には煎茶せんちゃの道具が簡単に揃えてあるし、お茶菓子も相当に用意して来てあるようです。
 やがて湯が沸くと、主人伊太夫が手ずから茶を立てました。
 茶を立てたといったところで、なにも与八のためにお手前を見せに来たわけではないから、持参の茶器へ、普通に民家でする通りお茶ッ葉とお湯を入れて、飲みもし、飲ませもしようという寸法だけのものです。
「さあ、お茶をおあがり、お菓子を一つおつまみ。その子供さんにもおあげ」
 ちょうど、この場合、主客が顛倒したように、伊太夫が二人をもてなすような席になりました。
「有難うございます、そりゃ、勿体もってえねえことでございます、郁坊や……ではこのお菓子を頂戴しな」
 郁太郎に菓子をすすめようとしたが、この子はそれを食べようとしないで、暫くじっとながめている。
 与八は与えられたお茶を推し戴いて飲み、伊太夫もうまそうにそれを味わいました。
 こうして二人の話に、しんみりと雨夜の会話が進むことの機会が熟して行く。
「与八、今夜は、心ゆくばかり、お前の身の上話が聞きたいのだ」

         四

 この晩、伊太夫が、与八と打解けての会話の結果は、与八には特に附け加えるものはなかったが、伊太夫にとっては、それは自分とは全く方法を別にし、主義を異にした新しい一つの生き方をいきている人のあるということを、つくづくと知ることができました。
 すなわち、自分というものは、有り余る財産というものに生きているのだが、世間には、それと反して、全く無所有の生活にいきて行く人と、またいき得るものだという実際上の知識でありました。
 無所有には怖るるところは無いという論理は、伊太夫にも相当よくのみ込めます。無所有なるが故に、求めらるるところがなく、また無所有を生命とすれば、求むるところなくして生きて行けるという事実は承認できます。
 だが、それだけのものです。それは一つの奇妙なる実例として、伊太夫にはながめられるだけで、自分がその生活に飛び込もうとか、そうすることが本当の生き方であったと、解悟したわけでもなんでもないのです。
 ですけれども、与八と話をすることが、伊太夫にとっては無上の興味でありました。自分にとって、命令すべき相手はあるが、相談をすべき相手というものは、伊太夫にとっては今日まで無かったのでした。心置きなく話そうとすれば、直ぐにその心置きないところに附け込もうとするもののみです。教えようとすれば、かえっていじけるもののみでした。
 全く打解けてはばかりなく話のできる相手というものを、この年になって伊太夫は、はじめて与八に於て発見し得たと言ってもよいでしょう。そこで、一日増しに与八というものが、伊太夫の生活に無くてならないものになりつつゆくのを、伊太夫自身も如何いかんともし難いらしいが、与八に於ては、特にそういった意味で、伊太夫から選ばれているともなんとも思ってはいません。
 伊太夫はついに、この男を放すまいと決心してしまいました。
 永久にこのデカ物を藤原の家に置きたいものだ、だが、当人の志というものは本来そこにあるのではないことをよく知っている。これから西へ向いて行って諸国の霊場巡りをするのだという希望のほどをよく知っている。何という名目と、誘惑で、この男を引きとめようか。伊太夫はこのごろ、こんなことまで苦心するようになりました。
 与八の方では、そんな苦心や、好意だか慾望だか知らない伊太夫の心のうちには気がつきません――もうほどなく、この家をお暇乞いしようと心仕度をしています。
 そのうちの、ある晩、伊太夫が与八を訪れて、ハッキリとこういうことを発言しました、
「与八さん、変なことを言うようだが、お前と、それから郁太郎さんと二人、わしの家の養子になって、永久にここの家にいてくれまいか」
「え」
 与八も、これには多少驚かされましたが、伊太夫は真剣でした。
「お前さんの身の上も、郁太郎さんの生立ちもよくわかりました、そこで、わしはお前に頼みたいのだが、どうです、二人一緒にわしの家の養子になって、この家にとどまってはくれまいか」
「そりゃあ、どうも……」
と、さすがの与八も、即答のできないのは当然です。
 伊太夫は、いよいよ真剣でつづけました、
「わしの家には、あととりがない、親類もあるにはあるが……これに譲ろうというのは一人もない。与八さん、お前は、お前としての心願もあることだろうが、どうだろう、お前さんにその心がなければ、この郁坊を、わしに養子としてくれるわけにはいくまいか?」
「そりゃ、どうも……」
 与八は、やっぱり目をパチパチしている。
「さあ、それが、おたがいの幸福になるか、不幸になるかわからないけれど、これでも、わしは、この頃中、考えに考えぬいてこのことを言いに来たのだ、わしはお前のほかに頼もしい人を知らない、お前を後見として、この郁太郎さんという子に藤原家をそっくりいでもらいたいものだ――わしが、これを言い出すからには、相当に深い決心をしている」

         五

 宇治山田の米友は、尾州清洲の山吹御殿の前の泉水堀の前へ車をえて、その堀の中でしきりに洗濯を試みているのであります。
 その洗濯というのは余の物ではない、彼は、今、泉水堀の前に引据えた檻車おりぐるまの中から一頭の熊を引き出して、それの五体をしきりに洗ってやっているのであります。
 この熊の来歴たるや事新しく説明するまでもない。とにかく、米友はこの熊を洗ってやることに、会心と、念力とを打込んでいる。
「もっと、おとなしくしてろ、そんなに動くもんじゃねえや」
 米友が親切を尽すほどに、子熊がそれを受けていないことは相変らずで、食事から、尻の世話までも米友にさせて、今はこうして気の短い米友に、甘んじて三助の役目をさせながら、しょうも感もないこの動物は、これを感謝せざるのみか、洗われることを嫌がって、米友の手を離れたがるのであります。
「ちぇッ――手前てめえという奴は、てんからムクとは育ちが違っていやがらあ」
 米友は思わずこの世話焼かせ者の、恩知らずの動物に、浩歎こうたんの叫びを発しました。
 事実、米友がこの子熊を愛するのは、熊そのものを愛するのではない、熊によって彼は自分の無二の愛友であったムク犬のことをしのべばこそ、どんな艱難辛苦かんなんしんくを加えようとも、この動物と行程を共にしようとの気持になったのであります。
 しかるに、形こそムク犬を髣髴ほうふつするものがあれ、その心術に至っては、雪と墨と言おうか、月と泥と言おうか、ほとほとあきれ返るばかりであるのです。
 全く同じ四肢よつあし動物ではありながら、ムク犬と、この子熊とは育ちが違う、育ちだけではない、うじが違うと言って、先天的に平民平等観の軌道を歩ませられている米友さえが、氏と育ちとの実際教育をしみじみと味わわせられ、子熊の度すべからざるを知るごとに、ムクの雄大なるを回想せずにはおられない。といって、米友は、ムクの雄大なるを回想することによって、この熊の不検束に呆れ歎きこそすれ、まだこれに愛想をつかしているわけではないのです。愛想をつかしていないのみならず、この熊めがふしだらであればあるほど、そこに幾分憐憫れんびんの情を加えて、
「なあに、こいつだってなんしろまだ子供のことだから、丹精して、うまく仕込んで行きさえすりゃあ、立派なムクのあとぎにならねえとも限らねえわさ、今、朝顔を作ればといって、丹精一つのものだあな」
つぶやいています。今ここで米友が朝顔を引合いに出したのはどういう縁故かよくわかりませんが、どこまでも被教育者そのものに責任を置かず、あらゆるものに向って、教育だの、陶冶とうやだのということの可能性を信じているのであります。従って、しつけの悪いのは、しつけられる方のとがではなくて、躾ける方の力の如何いかんにあるということを信じているらしいから、そこでさしも短気な米友が、頭の上から尻の世話まで焼いて、その親切がてんで受けつけられないに拘らず、いまかつてこの動物に向って絶望を投げつけたことのないのでわかります。
 かかる親切と信念の下に、米友ほどの豪傑に三助の役を勤めさせながら、それを恩にも威にも着ないこの動物は、
「兄い、もういいかげんでいいやな、そんなにめかしたって誰もかまっちゃくれねえんだ、それよりか、おいらを少しの間でもいいから野放しにしてくんな、あんなに広い原っぱがあるじゃねえか、あれ見な、あの森には真紅まっかな柿の実がなっているよ、栗もんでらあな、ちっとばかり放して遊ばせてくんなよ」
 こういうような我儘わがままで、米友の親切を振りもぎりたがって暴れているのみであります。
 けれども、米友は、親としても、師としても、左様な駄々っ児ぶりは許すべき限りでないと、あがく熊を抑えつけては、ごしごしと五体を洗濯してやっています。

         六

 かくして宇治山田の米友は、熊を洗うことに打ちこんで総てを忘れてはいるが、実はそれと相距あいさること遠からざるところに、熊よりも一層忘れてはならない相手のあるのを忘れていました。
 枇杷島橋びわじまばしの上で、ファッショイ連を相手に、さしも武勇をふるった道庵先生が、ここは尾州清洲の古城址のあたりに来ると、打って変って全く別人のように、そこらあたりをさまようて、いにしえを懐い、今を考えて、徘徊顧望、去りやらぬ風情に、これも自身我を忘れているのでありました。
 道庵先生の真骨頂は、平民に同情することと共に、英雄に憧るるところにある。さればにや、日頃は十八文を標榜して、天子呼びきたれども、船に上らず、なんてたわごとを言っているに拘らず、日本の英雄の総本山たる尾張の地に来て見れば、英雄の去りにし跡のあまりに荒涼たるに涙を流し、なけなしの旅費をはたいて英雄祭の施主となって、ために官辺の誤解を蒙ることをさえ辞さぬ勇気があるのであります。
 さほどの義心侠血に燃ゆるわが道庵先生が、名古屋よりはいっそう懐古的であり、ある意味に於ては、天才信長の真の発祥地であるところのこの尾州清洲の地に来て、城春だか秋だか知らないが、葉の青黄いろくなっているのを見て、涙おさえ難くなるのも無理はありません。
 くどいようだが、銀杏ぎんなん城外の中村では、英雄豊太閤のほぞのために万斛ばんこくの熱涙を捧げた先生が、今その豊太閤の生みの親であり、日本の武将、政治家の中の最も天才であり、同時に最大革命家であるところの織田信長の昔を懐うて、泣かないはずはありません。
 そこで、道庵先生は今し(米友及び熊の子と程遠からぬ地点)清洲の古城址の内外を、やたらむやみに歩いております。歩きながらブツブツとしきりに独言ひとりごとを言っているのであります。
 見ようによっては、それはまさしく狂人の沙汰です。ついに、土地の甲乙丙丁はいつしか集まり集まって道庵先生の挙動に眼をとめつつ指差し合って、しきりに私語ささやくのを見る、
「どうもあの旅の人は少し変だ――あんな原っぱの中を独言を言いながら、さいぜんから行きつ戻りつして、時々はっはと言ってみたり、石を叩いたり、木を撫でたり、おめき叫んだりしている――様子が変だ、キ印ではねえか」
 物事は、当人がれば凝るほど、信ずれば信ずるほど、凡俗が見て以て狂となし、愚となすのは争われ難いもので、この場合の道庵先生としては、平常より一層の真面目と熱心とを以て、懐古と考証とにふけっているので、世上の紛々たる毀誉きよの如きは、あえて最初から慈姑くわいの頭の上には置いていないのです。
 すなわち先生がブツブツとひとり言を言っているのは、織田信長勃興の地であり、信長が光秀に殺されてから前田玄以法師が三法師を抱いてこれに居り、信雄が秀吉と戦ったのもこの城により、後、秀次の城邑じょうゆうとなり――関ヶ原の時にはしかじか、後、福島正則が封ぜられ、家康の第四子忠吉より義直に至って――この城を名古屋に移すまでの治乱興廃を考え、従って五条川がここを流れ、天守台はあの辺でなければならぬ、斯波しば氏のいたのをこの辺とすれば御薗は当然あれであり、植木屋敷があの辺とすれば山吹御所はこの辺でなければならぬ、ここに大手があって、あちらにくるわがある。翻って城下の形勢を観察すると、ここがやっぱり昔の往還になっていわゆる須賀口というやつは、今、田圃たんぼになっている。
酒は酒屋に
よい茶は茶屋に
女郎は清洲の須賀口に
 そうだ、それから考えてみると、出雲の阿国おくにがしゃなりしゃなりと静かに乗込んで、戦国大名によだれを流させたのはこのところだ。
 須賀口から熱田の方へ行く道に「義元塚」というのがあるから、ついでがあらばとむらってやって下さいとお茶坊主が言った――義元といえば哀れなものさ、小冠者信長に名を成させたも彼が油断の故にこそ、信長が無かりさえすれば、武田よりも、上杉よりも、毛利よりも、誰よりも先に旗を都に押立てたものは彼だろう。家柄だって彼等よりずっと上だからな。そうなると信長はもとより、勝家も、秀吉も、頭を上げるこたあできねえ、人間万事、夢のようなものさ。そういえばそれ、この城から桶狭間おけはざまへ向けて進発する時の、小冠者信長の当時の心境を思わなけりゃあならねえ。
人間五十年、化転けてんの内をくらぶれば、夢幻ゆめまぼろしの如くなり
ひとたびしょうをうけ、滅せぬもののあるべきか
 世間並みのやり手は、芝居がかりで世間を欺くが、信長ときてはお能がかりだ。
人間五十年、化転の内を較ぶれば……
 道庵先生はこの時、異様な声を張り上げて、繰返し繰返しこの文句をうなり出しましたので、さてこそと集まるほどのものが、いよいよ眼と眼を見合わせました。
 この異様なる音律を、繰返し繰返ししているうちに、道庵先生の自己感激がいちじるしく内攻して来たと見ると、音声だけでなくて、一種異様なる身体からだの律動をはじめてしまいました。
 しかし、それとても、無学文盲なるこの辺の児童走卒にこそ、道庵先生の為すところのすべてが異様にも異常にも感ぜられるのだが、実際はお得意の喜多流(?)によって、謡につれておもむろに、仕舞と称する高尚なる身体の旋律運動を試みているだけのものなのです。
 この先生が、馬鹿噺子ばかばやしにかけては古今きっての自称大家であることは、知るものは誰も知っているところだが、それよりも一段と高尚なるお能と仕舞とに就いても、これほどの造詣があるということを買ってくれる人のいないのが浅ましいことではないか。
 しかし、御当人は、買ってくれる人があろうがあるまいが、御当人の自己感激は、こうしていよいよ深み行くばかりで、もはや眼中に清洲の城址も無く、あたり近所の児童走卒も無く、古英雄信長もなく、今川義元もなく、ただ人生五十年の夢幻と、他生化転の宇宙実在とがあるばかり。自己感激はついに悠然として自己陶酔にまで進み入りました。
 しかしながら、いつもの型の通りに、この放恣浩蕩ほうしこうとうなる自己陶酔から、わが道庵先生の身辺と心境とを微塵に打砕くものの出現は、運命と言おうか、定業じょうごうと言おうか、是非なき必至の因縁でありました。

         七

 この場面へ、東の方より、つまり先刻道庵先生がファッショイ共を相手に一代の武勇をふるった枇杷島橋の方面からです、一梃の駕籠かごを肩に、まっしぐらにはせつけて来た二人の仁があります。
 これは雲助です。
 道中をこうして駕籠をかついで走る者に、雲助以外のものがあろうはずはありますまい。
 世間では往々、雲助と折助とを混同する者がある。混同しないまでも、ほぼ同様の性質を持っていると見るものがあるが、それは大きなあやまりで、雲助にとっては大きな冤罪えんざいであるが、その事は後に談ずることとし、とにかく、この場に於ける二人のたくましい雲助は、この地点までまっしぐらに走って来たが、ただ見る清洲古城址の草の青黄色いところに、一人の狂人らしいのが児童走卒に囲まれながら、しきりに身ぶり声色を試みているていたらくを発見するや、後棒と先棒との見合わせる目から火花が散って、
合点がってんだ」
 駕籠をそこにおっぽり出して、向う鉢巻勇ましく、やにわに走りかかって来たのは、意外にも道庵先生の身辺でありました。
 右の二人の逞しい、いけ図々しい雲助らは、道庵めがけ近寄ると見れば、無茶にも、惨酷にも、あっと言う猶予も与えず道庵に飛びかかって、さながらパッチ網にかかった雲雀ひばりを抑えるが如く、左右から道庵を押し転がし、取って抑えて、有無うむをも言わせません。
「あ、こいつは、たまらねえ」
 そうして道庵がうんがの声を揚げ得た時は、もう、軽々と引きさらわれて、道に置き放した商売道具の四枚肩中へ無理に押込まれたその途端のことで、かくの如く、有無をも言わさず道庵を取って抑えて駕籠の中へ押込んだ雲助は、群がる見物の驚き騒ぐを尻目にかけて、そのまま駕籠を肩にして、
「エッサッサ、エッサッサ」
 飛ぶが如くに西の方――つまり木曾川から岐阜、大垣の方面、道庵主従が目指す旅路の方面と同じではありますが――へ、雲助霞助に飛んで行ってしまうのです。
 これは実に、誰にも分らない雲助の振舞であり、今日まで、脱線と面食めんくらいにかけては、かなり腕にも頭にも覚えのあり過ぎる道庵自身すらが、全く解釈のできない、非常突発の行為でありました。
 それは、つもってみても分らず、いやしくもファッショイ、三ぴんの余党でない限り、道庵に対して、この辺にそう魂胆や遺恨を持っている者はないはず――
 また、道庵先生がもう少し若くて、別嬪べっぴんででもあるならば格別――そうでなくても、もうすこし福々しいお爺さんででもあるならば、さらわれる方も覚えがあり、さらう方もさらい甲斐があろうものを、大江戸の真中へほうり出して置いても拾い手のなかったじじむさい親爺が、尾張の清洲へ来てさらわれるようなことになろうとは信ぜられぬことでした。
 だが、世間には、好んでお医者を担ぎたがる悪趣味者がある。
 京都のある方面の、仏法僧のく山奥へ医者を担ぎ込んで、私闘のきずを縫わせた悪徒もある。
 或る好奇ものずきなお大名が、相馬の古御所もどきの趣向をして、医者を誘拐して来てもてあそんだというようなこともないではない。そのいずれにしても、道庵のこうむる迷惑と困却とは、容易なものではないことは分りきっています。そこで、走り行く雲助霞助の中にいて、駕籠越しに有らん限りの号泣と、絶叫とをはじめました、
「友様――後生ごしょうだから助けてくれ!」

         八

 熊を洗濯することに我を忘れていた米友は、道庵先生の九死一生の絶叫を聞き漏すことではありません。
 俄然としてめて、そうして声のする方を見ると、今し道庵が、二人の雲助のために無理無態に駕籠の中に押込まれて、担ぎ去られる瞬間でしたから、すっくと熊を抛擲ほうてきして立ち上りました。
 しかし、この際、米友の責任感としては、前後の事情を忘却することを許しません。わが師と頼む道庵先生が、またしてもの九死一生の危急を瞬時も猶予すべきではないが、同時に、この動物をこのままにして置いてはいけないということの、民衆的警戒性がひらめきました。
 なぜならば、たとえ子供とはいえ、猛獣の部類である。日本にむ動物としては、これより以上の猛獣は無い。その子熊をこのままにしてせつけた日には、後患のほどが思いやられる。現にただ出現したことだけによって、先日のあの講演会の席の混乱はどうです。あの時はあれだけで済んだものの、まだこいつは、しつけが足りないから、人の出ようによってはいかなる猛勇ぶりを発揮するか知れたものではない。子供の二人や三人を引裂くのは朝飯前の手並であり、まかり間違えば、人畜におびただしい被害を与えないとも限らないのだ。
 先生の危急は危急として、それに赴くためにはまず、この駄々ッ子から処分してかからねばならぬ。賢くも米友は、こうも感づいたのですが、そこは上手の手からも水が漏れるので、米友が道庵の声に驚いて立ち上った瞬間のすきねらって、右の駄々ッ子が素早く陸へ飛び上ったかと見ると、通りかかった子供が三人、火のつくように泣き叫びました。
「それ見たことか」
 幸いにして、まだ子供を引裂いて食っているというわけではなく、子供の方へ向って馳け出しただけのところを、米友が後ろから行って引捉ひっとらえると、それを振切って、人間の子供と遊ぼうと駄々をこねる熊――そうはさせじと引き留むる米友。この際、熊を相手にくんずほぐれつの仕儀となりました。
「ちぇッ――仕様がねえ熊の餓鬼だなあ」
 米友は歎息しながら熊を取って抑える。事実、米友なればこそです、子熊とはいえ、羈絆きはんを脱して自由を求むる本能性の溢れきったこの猛獣族を、この場合に取って抑えることのできたのは米友なればこそです。
 こうして子熊を取って抑えて、むりやりに檻の中に押込む米友、
「ちぇッ――聞きわけのねえ餓鬼だなあ」
 全く今の場合は、熊と組打ちなんぞをしている場合ではないのです。師と頼み、主とかしずいて来たその先生が、いやしくも、「友様! 後生だから助けてくれ!」と、意地も我慢も打捨てて、S・O・Sを揚げている時に、熊なんぞを相手にしていらるべきはずではないのですが、いま言う通り、この場合はまさに、前門熊をふせいで、後門先生を救わねばならない苦境にいる。
 ようやくのことで小猛獣を取って抑えて、檻車の中へブチ込んで、さて当の主師の方を見やれば、雲助霞助の砂煙を巻いて行く後ろ影は早や小さい。
「ちぇッ」
 米友は舌打ちをして地団駄を踏みました。無論、杖槍はもう小腋こわきにかい込んでいるのですが、このはるか隔たった雲助霞助を見ると、幾度も地団駄を踏み、歯噛みをしないわけにはゆきません。
 猛烈にはせ出したことははせ出したけれども、さて、自分の足では、これをどうすることもできないという自覚が、米友の心を暗く、胸をむしゃくしゃさせました。
 というのは、腕に於ては相当に覚えがあり、胸に於てはあせり切っているが、足に自信が無いのです。本来、自分の足は生れもつかぬ片輪になっている。片輪にされたところで、まかり間違えば両足そろった奴にもおくれはとらないつもりだが、先方は走るのが商売の雲助ではあり、そうでなくても彼と我との距離があり過ぎる、ハンディキャップがあり過ぎる。自分の力の及ぶべきところと、及ぶべからざるところと、見境のないほどの頭の悪くない米友が、走りながら歯噛みをするのも全く無理はありません。ところが、天なるかな、この場に当って忠勇なる米友のために、偶然に助け舟――とかりに信ぜらるるところのものが米友の眼前に現われました。

         九

 それは、枇杷島びわじまの青物市場へ青物をつけて行った一頭の馬が、馬子にかれて、帰りの空荷の身軽さにひづめを勇ませて、パッタリと横道から米友の眼前に現われたものです。
 それを見ると、馬鹿でない米友の頭が咄嗟とっさに働きました。
 そうだ、この場合、おいらの足では、おいらでなくても普通以上の人間の足でも、あの先生の急に赴くことはできないことだ。
 これを拝借するに限る――この四足の力を借りるに限る。この時、この際、自分の眼前に駒の蹄が躍り出したのは、渡りに舟というか、迎えに駒というか、ともかくも与えられたる天の助けであらねばならぬ。
 それを頭にひらめかした米友の心持は機敏なものでしたけれど、かく俊敏に感得したが最後――そこに所有権の観念が圧倒されてしまって、人の物、我が物という差別観がくらまされてしまったのは是非もありません。
 少なくとも、こういう際だから、自分としては天の助けに反いてはならぬ。ただ先方として、それを諒とするか、しないか、その辺のことまでは、米友の悪くない頭も働く余裕がなかったというのは、この場合ではまた是非がなかったと言えば言えます。猛然として馬の前へ立ち塞がった米友は、
「この馬を少しの間、貸してくんな、おいらの先生が……の場合なんだから」
 もうこの時には、馬子の手綱をふんだくって鞍の前輪へ手をかけて、ひらりと身軽く飛び乗ろうとする瞬間でした。
 これが普通の馬子であったならば、この只ならぬ小冠者の気合に呑まれて、茫然として米友の為すままに任せて、天の助けの使命を全うさせたかも知れませんが、不幸にしてこの馬子が、軽井沢の裸松と甲乙を争うようなしれ者であって、また同時に、この辺の草相撲では後れを取ったことのない甚目寺じもくじの音公でしたから、たまりません。
「何でえ、何でえ、どうしやがるんでえ、馬泥棒の河童野郎!」
 有無うむを言わさず米友を引きおろしにかかったのは、馬子としては当然の態度です。
「後生だから――おいらの先生が、今かどわかしにひっかかって、あっちへ――あっちへ担がれて行ったんだ、九死一生の場合だ、だから貸してくんな、ちょっとの間だから、貸してやってくんねえな、頼むよ、おじさん」
 米友のこの哀求は、このままで受入れられるべくもありません。
「ふざけやがるない、こん畜生、馬に乗りたけりゃ、助郷すけごうの駄賃馬あぜにゅう出して頼みな、こりゃ人を乗せる馬じゃねえんだ」
「そんなことを言わねえで」
「この野郎、餓鬼のくせに、馬泥棒をかせぎやがる、いけ太え畜生だ」
「おじさん、場合が場合だから、ね、貸してくんな、決して悪いようにゃしねえから、頼むから、後生だから」
「河童野郎、手前の方は場合が場合か知れねえが、おれの知ったことじゃねえ」
「わからねえおじさんだな、人助けになるんだからいいじゃねえか」
「ふざけるなよ、馬泥棒、手前の方は人助けになるか知れねえが、おいらの馬は助からねえ」
「そんなことを言わねえで、こういう場合なんだから」
「いけねえ……」
 米友が再び馬の上におどり上ろうとするのを、馬子が力任せにひきずり下ろした上に、ポカリと一つくらわせる。
「あっ! 痛え」
「あたりめえよ、手前、気がふれてやがるな、いきなり横から飛び出しやがって、人の馬に飛びついて、よこせの、貸せの、途方もねえ野郎だ、見せしめのためだ、この河童野郎、どうするか……」
 甚目寺じもくじの音公は、米友を引きずり下ろしておいて、力任せにポカリポカリなぐりはじめました。
 常ならば、たとえ一つでもそう擲らせておく米友ではないが、実際、この時は、もうどうしていいか思案に迷い切っていたが、急に決心したのは、どうなるものか、後で話はわからあ、力ずくでも、この馬を一時借りなけりゃならねえ、そうしなけりゃ恩人の命の危急なんだ。
 そこで、度胸を据えた米友が猛然として立ち直りました。
「話はあとでわからあな」
と言って、今までポカリポカリと擲らせていた甚目寺の音公の腕を取ると、物の見事に仏壇返しに地上に投げつけてしまいました。
「あっ!」
と驚いたのは甚目寺の音公でした。たかの知れた小童こわっぱ、それにしてはイケ図々しい奴と、らしめのためにポカポカやっていたのだが、急に反抗すると、それは驚くべき腕ざわりで、油断をしていたとはいえ、甚目寺の音公ともあるべきものが、とんぼ返しで、地上へ取って投げられてしまった。
 あっ! と目がくらんだけれども、そこは甚目寺の音公も、草相撲の関を取るくらいの男であり、しかも郷党の先輩、加藤の虎や、福島の市松の手前もあり、投げられてそのまま、ぐんにゃりとしてしまうことはできない、直ちに残して起ち上るや、三たび鞍壺にかじりついていた米友の両足をとって、力任せにグングン引張り、ついにやっとすがりついたばかりの米友をまたしても地上に引きずりおろしてしまいました。
 それから後は、ここでくんずほぐれつ両箇ふたりの乱取り組打ちがはじまってしまいました。
 人通りが黒山のようにたかり出したのは、申すまでもないことです。

         十

 この甚目寺じもくじの音公が相撲の手を相当に心得ているということのほかに、なおいっそう米友にとって戦いにくいことは、戦いの名分が、どうしてもあちらに取られてしまいそうなことです。
 この音公は、軽井沢に於ける裸松のように、街道筋から毒虫扱いにされているというほどではないのみならず、草相撲で博した贔屓ひいきも人気もあるのに、相手にとった一種異様なグロテスクは、土地の人にさっぱり顔馴染かおなじみがないのみならず、「馬泥棒馬泥棒」という相手方の宣伝がはなはだしく、米友にとって不利なものになります。
 事実この音公は、米友を馬泥棒以外の何者とも解釈のしようがなく、見物の人々も馬泥棒の仕業しわざとよりしか米友の仕業を信じ得べき事情を知らないから、すべての環境も、心証も、いよいよ以て米友を不利なものに陥れてしまうのです。
 ただ、かくて見物しながらも、寄ってたかって米友を袋叩きにしてしまわないことは、米友の働きが俊敏であって、怖るべきものがある上に、その態度にドコやら真摯しんしなるものがあって、左右そうなくは手出しのできない気勢に打たれて、そのまま見ているだけのものですから、群集心理の如何いかんによっては、どう形勢が変化しないとも限らず、いずれにしても米友のためには百の不利あって、一の同情が作り出されないというだけのものです。
 そういう事情から、米友の戦いにくいことがいよいよおびただしく、第一、自分自身の正義観からしてが、軽井沢の時のようには働きがないから、投げつけてみたところで、大地にメリ込むほどやっつける気力が減退し、相手に怪我をさせてまでその戦闘力を封じる手段にも出で難く、そこで米友としては、その力の十分の一も発揮できないでいる始末です――
 こんな形勢が続けば、いよいよ以て米友の立場が悪化するばかりです。米友としては、ほとんど進退に窮する場合にまで立至って、徒らに組んずほぐれつしていましたが、相手はいよいよかさにかかって、小力を十二分に発揮して相撲の手を濫用して来るから、米友が怒りました。別の意味で怒りました。
 こうなった上は、こっちを本当にやっつけておいてからでないと動きがとれない――
 みるみる米友の眼に、すさまじい真剣の気合が満ち、
「やい――わからずや!」
 音公をなげつけておいて杖槍を取り上げたものだから、音公が、
盗人ぬすっとたけだけしいとは、本当に手前てめえのことだ、うむ、どうするか」
 つかみかかろうとした音公が、二の足、三の足を踏んだのは、杖槍を構えた米友の形相ぎょうそうが、今までとは全く打って変った厳粛なものである上に、両眼にアリアリと決死の色を浮ばせて来ましたから、馬方がヒヤリと肝を冷やして、思わずたじろいでしまったのです。
 だが――騎虎の勢いです。米友を米友と知らない馬子は、名人としての米友の真骨頂を満喫しなければ納まらない運命になる。
 だが、また米友としても、それは悲しい武勇伝の一つなのです。この時分に、偶然ではなく、もう少し早めにこの場へ到着せねばならぬ人が到着しました。
 見れば前髪立ちのみずみずしい美少年――怖るる色なくその場へ分けて入りました。
 その少年、岡崎の郊外で、友のために腕立てをした岡崎藩の美少年、梶川与之助というものです。
 いや、梶川一人だけではない。

         十一

 梶川のともには、江戸からお角さんよりぬきの若い者もついている。自然この背後には宿しゅくつぎの駕籠かごの中に反身そりみになった女長兵衛も控えていようというものです。それとかなり間隔を置いて別扱いの腫物はれものが、たれも当らずさわらずのところに、乗物を控えさせている様子です。
 当然、通るべくして通り合わせたこの一行のうちの、目から鼻へ抜ける美少年の仲裁は、難なく成立してしまいました。その後始末として、お角さんの駕籠の中に呼びつけられた米友の油汗を流しながらの吃々きつきつとした弁明が、かえって当の相手の甚目寺じもくじの音公を失笑させるという次第でした。
 米友を相手にあれまで働いた馬子の甚目寺の音公は、米友のお角さんに対する弁明を聞くと、たちまち打解けて、かえって大きな口をあいて言いました。
「そいつはおめえぶったくりにかかんなすったのだよ」
 音公はこう言って、米友はじめお角さんの一行に向って、委細呑込み顔に説明するところによると――
 道庵先生のさらわれたのは、なるほど一大事突発のようではあるけれども、内容はそれほど驚くべきことでも、憂うべき性質のものでもないということです。
 街道筋の雲助は、どうかするとこのぶったくりということをやる。つまり道庵先生は、雲助の策略であるところのぶったくりの手にひっかかったのだ。
 ぶったくりというのは、人間の無断横領で、常にはやらないが、稀れには行われる雲助の政策の一つであるが、危険のようで、実は危険性の更に無いものであるということを、甚目寺の音公が委細語って聞かせました。
 それをなおくわしく言えば、雲助が客を送り迎えのために、かなりの遠距離を、空駕籠を飛ばして行かねばならぬ使命を帯びたとする、空駕籠というやつは実のあるのよりも担ぎにくいことを常例とする、肩ざわりから言っても、足並の整調の上から言っても、駕籠の中には、どうしても人間相当の重味のあるものが充実していなければ、遠路を走るイキが合わないという結果になる。
 こういう場合に、雲助は、人を頼んでロハで乗ってもらうか、そうでなければ無警告にこのぶったくりを強行することがある。
 つまり、走りながら、空駕籠の充填物じゅうてんぶつにはまりそうなおとりを物色し、それを見つけたことになると、否応いわさずひっとらえて只駕籠の中へねじ込み、目的地までは有無を言わさずに担ぎ込み、まつり込むのである。目的地に着きさえすれば、忽ちつまみ出され御用済みしだい解放されるのだから、生命にも、財産にも、べつだん差障りはないのだし、何十里走らせようとも別にまた駕籠賃だの、酒料さかてだのを要求される心配は更に無いとはいえ、ぶったくられた当人と、その身寄りの者の迷惑といったらたとうるに物がないのです。
 しかしながら雲助といえども、その辺には相当の常識と、社会性とを働かせている、ぶったくりとは言いながら、その人選は無茶に行われるわけではなく、ぶったくるにしても、なるべく迷惑のかかる範囲の狭いと見られるものを選んでぶったくることになっている。
 そこで、無論、優良なる階級の旅人や、善良なる土地の住民をぶったくるようなことはなく、大抵は薄馬鹿だの、きちがいだの、酔っぱらいだの、或いは仲間のうちから自選した奴だの――というのを選定して、ぶったくる
 今日の道庵先生こそは、まさしく雲助の選定をこうむってぶったくられの運命に逢着したものと見れば、かわいそうでもあり、気の毒でもあり、いい面の皮でもあるが、一方から見れば、道庵先生自身が、雲助君のぶったくりを蒙るに該当する資格を備えていたということが、運の尽きであると見なければならぬ。
 お角は、それを聞いて、
「お話にならないよ」
と横を向きました。全くそれはお話にならないことです――江戸ッ子のチャキチャキ、下谷の長者町の道庵先生ともあろうものが、木曾川くんだりの雲助にぶったくられるなんて、お話にも絵にも描けたものじゃないに相違ないけれども、一方、これが御当人の道庵先生その人になってみると、一時はあの通り、「後生だから助けてくれ!」と絶叫はしてみたけれども、今となっては、別仕立ての早駕籠を命じたつもりで、いい気になって、早くも高鼾たかいびきで納まり込んでいるかも知れない。
 お角は米友に向って、
「そういうわけなんだから、ありそうなことだよ、あの先生のことだから、こちらが気を揉むほど、あちらはお感じがない、お前、そうやきもきしないで、わたしと一緒においで、わたしはちょっとこの先の山吹御殿というのへお伺いをして行くから、荷物があるなら後からでいいよ、先生の方は、先生の方で何とかなりまさあね」
 お角一行は米友にこう言い含めておいて、いわゆる山吹御殿の方へと急がせて行きました。
 すべての人が散じて、取残された宇治山田の米友――
 悄々しおしおとして、熊の檻車のところまで戻って見れば、熊がキャッキャッと言っておどり上って米友を迎える。
「ガツガツするなよ」
と米友が言いました。
 熊がキャッキャッと言って米友を迎えるのは、米友が無事で戻って来てくれたことを、なつかしがるわけではないことを米友はよく知っている。
 この事件のために、食物をあてがう暇がなかった、それがための催促であり、不平であることを、米友はよく知っている。
「ガツガツするなよ」
 彼はこう言って、用意の袋の中から、柿の実だの、栗だのを取り出して与えると、遮二無二しゃにむにそれに武者ぶりついて、眼中に感謝もなければ、応対に辞儀もない。
 むしゃむしゃと食事にありついている熊の子を米友はじっと眺めて、
「ムクはそうじゃなかったんだぜ」
と吐息をつきました。
 物心を覚えてから、ムク犬は主人のお君に向っても、米友に向っても、かつて食事の催促をした覚えがない、まして不平がましい挙動を示したこともない。それは長い間には、自分たちも苦労をしたり、ムクにもずいぶん苦労をさせたが、ムクそのものがかえって我々に苦労をかけたことは一度もない。我々に苦労をかけないのみならず、我々が憂うる時は、我々と共に憂えたが、我々が喜ぶべき時に、彼を喜ばせなかったことが幾度あるか知れない。
 それだのに、ついぞあの犬が、不平と反抗とを表現したことがあるか。あれほどの豪犬だから、食物だって世間並みでは不足があたりまえだのに、世間並みの栄養を給してやることができなかったばかりか、旅路の間では、二日も三日も食わせずに置いたようなこともないではなかったのだ。
 その時、いつ、あいつがひもじい顔をして見せたことがあるか。食物の催促をして見せたことがあるか。今、この子熊がしたように、ガツガツして居催促を試みたことがあるか。

         十二

 宇治山田の米友は、こうして熊の檻車の前に腰打ちかけて、頬杖を突いて何か深く考え込んでしまいました。
 今は、ちょっと立ち上る気にもなれず、立ち上ったところで、どこへどう車を引張り出していいのか、見当がつかず、深い沈黙のうちに若干の時が経ちました。
「君!」
 後ろから肩を叩いた者がある。
「ああ」
 茫然ぼうぜんとして米友は見廻す。そこに立っているのは、さいぜんの仲人、岡崎藩の美少年梶川与之助でありました。
「何を考え込んでいるのだ」
「何も考えていやあしねえ」
「ともかく、君、あの山吹屋敷まで来ちゃどうだね、君の尋ねるお医者さんのことは心配するがものはないそうだ」
「うん」
「生命には別条なく、これから西へ向って何駅かの間に、極めて無事に、あの先生を発見する見込みがあるそうだから――それはそれでよいとして、君には、あの先生よりも、この荷物が荷になるだろう」
「ううん」
 ううんというのは、否定の意味だか、肯定の意味だかよく分らないが、そう言われてみると、この荷物が荷にならないではない、本来ならば、安否がどうあろうとも、あのことの解決のついたと同時に、道庵先生のあとを慕うて一文字に追いかけなければならぬはずのものが、ぼんやりこうして考え込んでしまっているのは、米友は米友としての深い感慨におちて、その言い知れぬ感慨が米友の頭を重くし、足を鈍くしたものには相違ないが、一方から言えば、このお荷物あればこそである。これさえなければ、ここにこうしてぼんやりと腰をかけている米友ではない。
「聞いてみれば、君がこの熊を手放せないのももっともと思われる節もないではないが――今後もこういう場合を予想すれば、長い旅路の足手纏あしでまといが思いやられる。いっそ、預けて置いて出かけちゃどうだ」
「うん……」
 米友は、そこで、少し考えました。事実、この熊を手放そうとまでは思っていなかったのだが、実際、足手纏いといえば足手纏いに相違ないのである。熊も大事だが、人は更に大事である。この熊があるがために、主と頼む先生に対しても忠義を励むことができず、自分の身体をさえ拘束されるようなことになってはたまらないことの理義を、米友がわきまえないほどに没常識ではない。
 といって、あれまで苦しんで、人様にもお頼み申して手に入れたこの小動物に対して、単に厄介払いという意味で、見捨てたり、置き捨てたりすることは、人情が許さない。いや、米友特有の道義が許さない。
 さきほどから頭の重かった一部分には、たしかに、その処分法についての悩みも手伝っていたのです。そこで、美少年からこういって水を向けられてみると、ついムラムラと、
「いい預り手がありさえすりゃなあ」
と、歎息のように答えてしまいました。そうすると、岡崎藩の美少年は呑込み顔に、
「そりゃ、あるとも」
「ある!」
 米友はいささか頭を上げて眼を円くして、
「あるったって、香具師やしじゃいけねえぜ」
「そんな者じゃない」
「だって、お前、馬なら荷物を運ばせたりなんぞして、駄賃をとって、暮しのたそくにするということもあるが、熊はお前、稼ぎをしねえから、飼ったところで食いつぶしだけのもんだぜ。だからお前、やにっこい身上しんじょうじゃあ、熊あ一匹飼いきれねえよ」
「そりゃ、そうだ」
「それからお前、子供だといったからって、熊は熊だぜ、犬や猫たあ違うんだからな、厳重な檻をこしらえてやらなけりゃならねえ、それには家屋敷も広くなけりゃならねえんだ――」
「君の言う、そのすべての条件に叶った飼主――預り主があるのだ、わしに任せてくれないか、で、また必要の時は、いつでも君に返してあげるようにする」
「そう誂向あつらえむきのところがあればだがなあ」
 米友が、まだ半信半疑でいるところへ、岡崎藩の美少年は、次のように事実を証明して、米友の信用に訴えました。
 それは、この清洲の城、あの背後に俗に山吹御殿という一廓があって、かなり広大な家屋敷を持っているが――こんどそこの当主が肥後の熊本へ旅立ちをする。都合によっては長くかの地で暮すようになるかも知れない。そこで相当の留守居をつけてこの屋敷を引払うことになった。その留守番に、否応いわさず、自分が引受けさせて、熊の養育を托して置いてやる。あそこならば邸内は広いし、熊一匹養いきれないほどの身上ではなし、留守居の人間も親切であり、動物好きだから、むしろ喜んで面倒を見るにきまっている。
 それを聞くと、米友が深くうなずいてしまいました。

 やがて米友が熊の檻の大八車を引き出すと、岡崎藩の美少年が、そのあと押しをして、えんやらやあと山吹御殿に引き込んで行くのを認めます。

         十三

 それからまたやや暫くの後、この屋敷から現われた二人の者の一人は、空身になった米友に相違ないが、もう一人の方は、これも確かに岡崎藩の美少年には相違ないが、これだけは風采ふうさいが全く変っている。
 米友は依然として米友、車を曳かないだけの米友ですが、美少年は饅頭笠まんじゅうがさに赤合羽といったような、素丁稚姿すでっちすがたにすっかり身を落している。
 こうして二人は街道を西へ向って急いで行きます。
 木曾路の脱線から、怠りがちであった里程表を、この辺から、名古屋を起点にはじめてみますと、
名古屋より清洲へ一里半
 そうして清洲から次の丁場を一里半、稲葉へ曲ろうとする六角堂まで、変装した美少年が先に立って急いでやって来ましたが、六角堂へ来ると堂の前で立ち止まりました。
 これより先、そこに待合わせていたらしい一行がある。
 この一行はかなり物々しい乗物二梃に、数名の従者と、それが槍一筋を押立てていることによって、庶民階級の旅人でないことがよくわかります。
 ここへ追いついて、ホッと息をついた岡崎藩の美少年の物ごしを見て、米友は、ははあ、この少年はこの一行に合するために、わざわざ変装して来たのだということが充分に呑込めました。
 待合わせていた一行もまた、美少年の来り合したことを会釈えしゃくして、しからばいざ一刻も早く、という段取りでした。
 美少年は、ひたいにじむ汗を拭いながら、自分は休もうともせず、先に立って、
「いや、お待遠さまでございました」
 その時、前の乗物の戸が細目に開いて、それに挨拶の合図のように見えたばっかりで、何とも言葉はありませんでしたが、その乗物の戸を細目に開いた瞬間に、米友は、その白いかおを見ました。微笑を含んで会釈するらしい人の面をちらと見ました。そうして色の白い、髪の黒い、身分ありそうな女の人であることだけを、米友は認めてしまいました。
 前なる乗物の主がわざわざ駕籠の戸をあけての挨拶にかかわらず、美少年はそれをちょいと振返ったばかりで、すっと自分が先頭をきってしまい、一行のすべてがそれに従って進みました。
 この場合、米友としては、先頭をきってさいぜんの美少年と歩調を共にしたものか、それとも殿しんがりを承って、この見も知らぬ一行について行った方がいいかと迷いましたが、よしよし、やっぱり先へやって、やり過した方がいい。
 こうして、このかなり物々しい一行は六角堂を乗出して、真直ぐに北へ行けば一宮から岐阜へ出る街道を、左に取って、長束ながづかから稲葉伝いの大垣街道を打たせるのです。
 計らず殿しんがりを承った米友は、街道の左右を見て広い田場所だなあと思いました。見渡す限り田圃だ――おれも国を出てからずいぶん諸所方々を流浪したが、今までこんな広い田圃を見たことがないと思いました。
 米友は今、名も知れぬ一行の殿を承って、茫然として進み行くばかりです。
 これに従って行けば道庵先生の跡が確かまるというわけでもなく、お角さんその人はどの道をとったのかさえ明らかでないが、ともかく、あの美少年はなかなか目から鼻へ抜けている上に、お角さんとも充分に諒解のある間柄だということを信じているから、それに従って行きさえすれば悪いようにはなるまいという心だのみのみで、無心に足を運ばせて行くだけのものです。
 やがて清洲から一里半の丁場、稲葉の宿を素通りして、同じような広い左右の田圃道を行くことまた一里半。
萩原――の宿で中食
萩原よりおこしまで一里
起より墨俣すのまたまで二里――
 墨俣より二里四町にして、ついに大垣の城下へ着いてしまいました。
 これを、かりに清洲からの発足としても約八里の道、女連れの旅としてはかなり急いだものと見なければならない。
 ともかくも一行は、こうして無事に大垣の城下に着き、木村という本陣に宿を据えました。
 米友も御多分によって、宿屋の中へまぎれ込み、一番最後に目立たないところで足をとめていると、
「友さん――」
「あっ!」
 顧みて見ると、そこに立っているのはお角さんでした。
「友さん、お前、御苦労さまだがね……」
 お角さんは存外他念なく、米友に対して物やさしい物の言いぶりでありました。
「御苦労さまだけれど、その足で、ちょっと頼まれてくれないかね」
「何だい」
 その足で頼まれてくれというのは、今し取りかけた草鞋わらじを取るなという命令のようなものです。米友としては、それをかないわけにはゆかないのです。いつもならば権柄けんぺいずくで命令されても、このお角さんだけは米友にとって苦手にがてであって、どうともすることはできないのだが、今日はいやに生やさしく頼まれるだけ、一層いやに圧迫されるような嫌味が無いではない。
「お前、今晩ここで泊らないで、関ヶ原まで行ってくれないか」
「えっ」
 米友としても身心ともに相当に疲れている――ここへ着いたのをホッと一安心と心得ていないでもないところを、その足で……と来た。
「うん」
 これもまたいやとは言えないようになっていたが、いったい、その関ヶ原とはどこだ。

         十四

 お角さんは、最早ここに先着していたので、その先着は米友の一行に先立つこと、ほんのしばしの間――万事はかの岡崎藩の美少年としめし合わせてしたことという筋道は、米友にもよくわかります。当然、米友もあの一行に伴われてここへ落着くのだということも、お角さんは先刻心得て待っていたに相違ない。そうして、米友の到着を待ってこのことを言おうと構えていたこともたしかです。
 せっかく草鞋わらじを取りかけた米友はいやとも言えない、この際、迷惑には迷惑であるが、事と次第によっては、頼まれたことを引受けられない米友ではない。ことに自分は、ここに泊るつもりで来たのでもなければ、泊らねばならぬ勤務を持っているわけでもない。
 そこで、いやとも言わず、応とも言わず、お角さんの頼みをなお念入りに聞こうとして草鞋を解く手を休めていると、お角さんは、いつもよりは角を立てないで、お気の毒だがねえと言って、米友に頼み込むわけというのはこうなのです。
 実はお連れ申して来た、お前の知ってのあのお銀様が……また横紙破りをはじめて、わたしはどうしてもこの宿へ泊らない、これから先の関ヶ原というところまで行って、そこで今晩は泊るから――と言って、どうしてもかない。
 言い出したら引く人ではないが、そうかといって、わたしはここで皆さんをお待受けしている約束があるから、そんならと言って、お嬢様の思召おぼしめしに従って、関ヶ原までのすわけにはゆかなかったのさ。仕方がないから、庄公をつけて、お嬢様のお気に召す通り、関ヶ原というところまでさきへお送り申すようにして置いたが、それでも心配でたまらない。そこで、友さん、お前さんが来たら、お気の毒だけれども、お頼みしようと思っていたところなのさ。
 友さん、お前は、それ、あのお嬢様にはお気に入りなんだろう。そこでお前がお嬢さんについていてくれりゃあ、わたしは本当に気が休まるよ。
 御苦労だが、これからその足で関ヶ原まで行っておくれでないか――
 こう頼まれてみると米友は、いよいよいやとは言えないのです。
 御苦労だが……とか、お気の毒だが……とか、お角さんから米友に対しても、あまり使い慣れない辞令が連発される上に、頼まれるそのことも決して悪いことじゃない、仮りにも人の身の上の保護を托されるということになれば、米友としても男子の面目でなければならない。それに今、お角さんから言われてみると、あの難物のお嬢様という人に、自分はお気に入られているんだそうだ、なにもおいらはあのお嬢様にお気に入られようとも、入られまいとも企てた覚えはないが、そう言われてみると、親方のお角さんほどの代物しろものが、あのお嬢様には腫物はれものに触れるように恐れ入っているのが、おいらにはおかしくてたまらねえ。
 あのお嬢様なんてのは、つき合ってみりゃ、ちっとも怖くもなんともねえ、話しようによってはずいぶんおいらと意気が合わねえでもなかったなあ、なるほど――言われてみると、おいらはあの難物のお気に入りなのかも知れねえぞ。
 お嬢様に気に入られるくらいなら、こっちもひとつお嬢様というのを気に入れてやろうじゃねえか――お角親方に向っちゃ、おいらはどういうわけだか、気が引けて頭があがらねえが、そのお角親方が恐れ入っているお嬢様というのには、てんで友達扱いでいられらあな――お安い御用だよと米友が思いました。
「じゃ、頼まれてあげよう。そうして、その関ヶ原というのは、これからどっちの方へ、何里ぐらいあるんだね」
「この街道筋を西へ向って行けば、二つ目の丁場がそれだとさ、この次が垂井たるいというので、それまで二里半、垂井の次が関ヶ原で一里半ということだから、まだ四里からあるにはあるんだがね――馬に乗っておいでよ」
 今、草鞋を取ろうとする時に、これから四里も歩かせられるとしたら、米友といえどもうんざりしないわけにはゆくまいが、馬をおごってくれるという親方の好意で、帳消しにならないということはない。だが、米友の気性として、
「なあに、四里ぐれえの道は馬でなくたっていいよ」
と頑張ってみました。事実、米友は従来の旅で、ここと思って突っ放され、夜道も野宿も覚えがあるのだから、その気になれば四里ぐらいの追加はなんでもないし、また馬に乗せてもらうなんぞは、自分の分として贅沢ぜいたく過ぎるようにも、意気地がなさ過ぎるようにも感ぜられないではない。そこをお角は透かさず、
「なあに、そんなにみえを張らなくてもいいよ、そら、馬が頼んであるんだからね、あれがそうなんだよ――いいからお乗り。あのう、姉さん、お弁当が出来たら急いでこの人に渡して下さい」
 お角さんは、門の中へ引き込んで来る一頭の駄賃馬の合図と、後ろの方、台所の方面へ向って女中へ弁当の催促を一度にしました。
 女中は竹の皮包の握飯に、梅干かなにかを添えて持って来たものです。
 さすがに万端抜かりがない、だしぬけに人を頼むには頼むようにする、こういうところだけは親方は感心なものだ。
 米友は、お弁当を貰って腰につけ、そうして勧められるままに駄賃馬に乗せられてしまいました。お伝馬てんまで旅をするなんて洒落しゃれたことは、これが初めてでしょう。まして行先は、名にし負う美濃の国、不破ふわこおり、関ヶ原――

         十五

 こうして米友は、美濃、尾張から伊勢路へつづく平野の中を、南宮山をまともに見、養老、胆吹いぶきの山つづきを左右に見て、垂井の駅へ入りました。垂井の宿へ入ると、そこで流言蜚語りゅうげんひごを聞きました。不安の時代には、流言蜚語はつきものであります。健全なる時代には、よし流言蜚語を放つ者があっても、それがたちまち健全化されて、はねかえしてしまうけれども、不安の時代には普通の世間話までが流言蜚語の翼を添えるのは是非もないことです。
 今し、この夕方、垂井の宿いっぱいにひろがる流言蜚語そのものは、
「明日になると、武田耕雲斎が押しかけて来て、この宿を占領する」
ということでありました。
 中仙道と尾張路との岐れ路で、清冽せいれつなる玉泉をもって名のある、平和な美濃路の一要駅が、今夕、この流言によって、多少とも憂鬱の色に閉されていることを米友が認めました。
 だが、こういった程度の流言は、歴史と言わないまでも、近代的の常識さえあれば、忽ちに雲散霧消すべきはずのものですけれど、そうもいかないところに、やはり時代の不安があるのです。
 武田耕雲斎が来る!
 なるほど、水戸の武田耕雲斎が、手兵を引具ひきぐして、京地けいちを目指して乗込んで来るという事実と、風聞が、東山道沿道の藩民の心胆を寒からしめたことは昨日のようだけれども、もうその事が結着してから、少なくとも今年は三年目になっている。
 信濃路から侵入して来た耕雲斎の手兵が、大垣の兵にさえぎられて北国へ転じ、ついに一族三百余人が刑場の露と消えたのは誰も知っているはずであるに拘らず、その幽霊が、かくもこの辺の人心をおびやかしている。
 垂井の宿の入口でその流言を聞いたのが、宿の中程へ来ると、
上方かみがたからは毛利大膳大夫だいぜんのたいふが来る!」
ということになっている。
 そうして、二つの結合点が、東から武田耕雲斎がきたり、西から毛利大膳大夫が来て、明日にも関ヶ原でいくさがはじまる、垂井の宿はその昔、天下分け目の関ヶ原の時にあわされたと同様な運命に落ちて焦土となる――というようなことになってしまっているようです。
 これもまた、常識を加えるまでもなく、おかしいことです。西から毛利がやって来て、武田耕雲斎を相手に天下取りを、名代の関ヶ原で行うということは、少し釣合いがとれない。
 今の毛利は、一族を以て日本全国を相手として戦い得るほどの力を備えているに拘らず、それが単なる武田耕雲斎を向うに廻さねばならぬというのは滑稽なことです。
 果して、進むにつれて風聞がまた拡大してきました。
 東から来るのは武田耕雲斎だけじゃない、水戸の中納言が、武田耕雲斎を先陣として乗込んで来るのだ。いや、引連れて来るのは武田耕雲斎だけではない、武州、相州、野州、房州、総州の諸大名が、みな残らず水戸様に率いられて来る!
 それからまた一方、西の方から来るのは単に長州の毛利だけではない、備州[#「備州」は底本では「尾州」]も来る、雲州も来る、因州も、芸州広島も来る。薩州の鹿児島までが、後詰として乗込んで来る。それが関ヶ原で再度の天下を争うのだ!
 そういうふうにまで変化してくると、いささか釣合いは取れてきたわけだが、それにしても、一方の毛利はよいとしても、東軍の総大将が水戸様はおかしいじゃないか。
 尾州とか、紀州とかいうことならば、長州征伐のむし返しが関ヶ原で行われるという理窟にはなるが、水戸徳川は、むしろ長州はじめ勤王党のお師匠格である。
 しかしながら流言蜚語りゅうげんひごは、認識や弁証の過不足については、なんらの責任を持たないのを常とする。
 こういう空気の中を米友が垂井の宿を抜けきる時分に、宿を覆うた不安の雲が、哄笑こうしょうの爆発で吹き飛ばされてしまったというのは、流言蜚語の正体の底がすっかり割れてしまったからです。
 それは、この街道筋の東西の雲助という雲助が、明日という日に関ヶ原で総寄合を行うということの訛伝かでんでありました。
 雲助には国持大名が多い――彼等は長州と呼び、武州と呼び、因州と呼び、野州、相州と呼ぶことを誰人の前でもはばかりとしてはいない。国持大名の二十や三十の頭を揃える分には、彼等の社会に於ては朝飯前の仕事である。
 つまり、明日の何時なんどきかに、斯様かようの意味に於ての国持大名たちが、関ヶ原に勢揃いをして、しゃん、しゃん、しゃんとやろうという、その訛伝が、こんなことに伝えられたものと見える。
 そういう空気のうちに、米友は関ヶ原の駅へ乗込もうとして、その間の野上のがみというのを通りかかったものです。
 そこにかなりの混乱を見ました。
 とある店前みせさきかがりを焚いて、その前で多数の雲助が「馬方蕎麦そば」の大盤振舞にありついているところです。
 女中たちが総出で給仕をしてやっているが、その奥の屋台に控えて、
「さあ、みんな、遠慮せずに食いな、うんと食いな、ここは桃配りといってな、家康公が桃を配ったところだ。ナニ、桃じゃえ、家康公のは柿だと――どっちでもいいやな、今夜は蕎麦配りの山だ、うんと食いな。お代り、お代り、あちらの方でもお代りとおっしゃる、こちらの方でも……おいきた、若衆わかいしゅ、こっちへ出しな。さあ、お待遠さま――」
 大盤振舞の施主せしゅ自身が、大童おおわらわになって盛替えのお給仕の役をつとめている。
 それを見て馬上の米友が、あっ! と仰天しました。
 この大盤振舞の施主は、ほかならぬ道庵先生でありましたからです。
 それとも知らぬ道庵先生は、
「さあ、遠慮をせずと、いくらでもお代りを言ってくんな、今日はお蕎麦でたんのうしてもらうんだが、明日という日は白いおまんまを炊き出して、兵糧をうんと食わせるから、すっかり馬力をかけて石田三成をやっつけてくんな、毛利も、浮田も、何のそのだ、さあ、お代り、お代り」
 道庵が声をからしてどなっている。メダカが餌にありついたように、無数の雲助は寄りたかって、ハゲ茶瓶ちゃびんを振り立てつつ馬方蕎麦をむさぼり食っている。

         十六

 あきれ返って、馬から飛び下りて来た米友に向って道庵は、いかにこの場に集まった雲霞の如き雲助という種族が、愛すべき種類の人類であるかということを、滔々とうとうと説いて聞かせました。
 道庵の昂奮した頭で説明された雲助礼讃は、言葉そのままで写すと支離滅裂になるおそれもある。よってこれを散文詩の形式で現わしてみると、こうもあろうかと思われる――
 嗚呼ああ、愛すべきは雲ちゃんなるかな
 わが親愛なる雲助諸君こそ、現代に於ける最も偉大なる自然児の一人である。
 悪口あくたいは君達の礼儀であり、野性は君達の生命である。無所有が即ちその財産で、労働が即ちその貨幣である。家は無しといえども、天を幕として太平に坐し、一本の竹杖がありさえすれば万里を横行するの度胸があり、着物が無ければからかさを引っぺがして着るだけの働きがある。
 しかるに世間には往々、この愛すべき自然児たる雲ちゃんをつかまえて、道中筋の悪漢の代表でもあるかの如く讒誣ざんぶする心得違いが無いではない。はなはだしいのは、この愛すべき雲助をかの卑しむべき折助と混同する奴さえある。
 わが雲助こそは、天真流露の自然児であるのに、かの折助は、下卑た、下等な、安直な、そのくせ小細工をろうする人間の屑である。
 雲助諸君こそは、天地のかんに裸一貫で堂々たる生活を営むに拘らず、かの折助は何者だ!
 由来、道庵と折助とはそりが合わないものの型になっている。雲助を礼讃する一面が、自然、折助の弾劾となるのは免れ難い因縁かも知れない! 自然、雲助を引立てるために折助のアラを数え立てることを、道庵先生はちっとも遠慮をしていない。
折助は暗いところで
まあちゃんと戯れ
夜鷹よたかを買い
さしを折り
鼻を落し
小またをすく
れ合い
時としては
デモ倉となり
時としては
プロ亀となり
まった、風の吹廻しでは
ファッショイとなり
国侍となり
景気のいい方へ
出たとこ勝負で渡りをつけ
お手先となり、お提灯持ちょうちんもちとなり
悪刷あくずりを売り
世を毒し、人を毒する
要するに下卑た、下等な
安直な人間の屑は折助だ
 道庵の見るところでは、折助はかくの如く下等なものだが、わが親愛なる雲ちゃんに至っては、決してそんなものじゃない。
 銅脈もかつて、雲助の出所のいやしからざることを歌って、
雲助是何者、更非雲助児、尋昔元歴々……
と言っている通り、この素姓すじょうが賤しくねえから、貧乏はしても、折助あたりとは品格が違わあ。
 およそ、当代の下劣なる流行と、野卑と煽動と冒涜ぼうとくとは、ほとんどすべてが折助の手によって為されぬというのは無いけれど、雲助に至っては、いったい何を悪いことをしましたか?
 調べてごらんなさい、道中筋の悪漢の代表でもあるかのように見られているわが雲助が、今までに何を悪いことをしている。彼等は天真な自然児であると共に、善良なる労働者である。彼等あるが故に、箱根八里も馬で越せる。越すに越されぬ大井川も鼻唄で越せる。荷拵にごしらえをさせては堅実無比であり、駕籠かごの肩を担いでは、お関所の門限を融通するの頓智もある。雲助唄を歌わせれば、見かけによらず、行く雲を止めるの妙音を発する者さえある。いて、彼等が為す悪いこととして見るべきものがありとすれば、それは酒料さかてをゆするくらいのものだろう。だが、その酒料をゆするにしてからが、無法なゆすり方は決してしない、こいつはゆするべき筋があるとにらんだ時に限るのである。それも、その際、旅人が自覚して、相当に財布の紐をゆるめさえすれば、彼等は難なく妥協してこだわりがない。彼等は強盗をしない、小細工をしない、見かけは鬼のようであって、実は淡泊にして、親切にして、且つ苦労人であって、同情ということを知っているが、決してそれを押売りはしない。
 彼等は、落ちたりといえども一国一城の主をもって自ら任じ、決して親のつけた名前なんぞを呼ぶものはない。
 試みに、天下の街道から、この愛すべき雲ちゃんを取去ってみると――
 交通はぱったりと止り、景気はすっかり沈んで、五十三次の並木の松には不景気が首つりをする。雲助があって天下の往還があり、天下の往還があって雲ちゃんがある。
 嗚呼ああ、敬愛すべきわが自然児雲助諸君、おらあほんとうにお前たちに惚れたよ。
 おおよそこういったようなもので、道庵先生の雲助に対する礼讃ぶりは最大級のものに達しているのは、一つには、これは折助の卑劣なるものに対する日頃の反感が手つだっているとはいえ、また今日のぶったくりなんという振舞が、すっかり道庵の気に入ってしまったものと思われる。当時泣く子も黙るところの長者町の大先輩ともあるべきものを、一言の挨拶もなく、いきなりふんづかまえて、手前物の駕籠の中へ押込み、約十里というがもの宙を飛んで、ところも嬉しい関ヶ原の野上へ持って来て、さあ、どうでもなりゃあがれとおっぽり出した度胸なんぞは、まことに及びやすからざるものじゃないか。
 一も二もなく雲助のきっぷに惚れ込んだ道庵が、ここで彼等のあぶものをすっかりかり集めて、大盤振舞をした上に、明日はこの勢いで関ヶ原合戦の大模擬戦を行って見せるのだという。
 すなわち、自分が雲助の大将として、大御所の地位に坐り、一方、石田、小西に見立てた西軍を編成して、あちらに置き、そうして明日はひとつ天下分け目の人騒がせをやるのだということを、道庵がしきりに口走っている。
 ははあ、垂井からこっちへの流言蜚語りゅうげんひごの火元はこれだな!
 東は水戸様が出馬し、西は長州侯が出陣し、東西の国持大名がくつわを並べるというのはこれだ。
 米友は、道庵の雲助礼讃が終るのを待ち、清洲以来の自分の行動を物語って道庵の諒解を求めた上に、親方のお角から頼まれて、これから関ヶ原まで行かねばならないことの承諾を求めたけれども、雲助にのぼせきっている道庵の耳には入らない。
「ああ、いいとも、いいとも」
「ああ、いいとも、いいとも」
 道庵は一切無条件で、米友の申し出を受入れてしまうものだから、米友としては手のつけようがなく、そうかといってこうまでのぼせ切っている道庵を、この多数の雲助の手から取り上げて、常道に引戻すことは不可能のことだ。
 それともう一つ、今晩このところから道庵先生をテコでも動かせないことにしたところの理由が、まだ存在する。というのは、この野上の地点というものが関ヶ原合戦の時、まさしく大御所家康が本陣を置いたところなのです。桃配りという名は、家康が桃を配ったからだというのは道庵一流のヨタだが、この地点に徳川家康が百練千磨の麾下きかの軍勢を押据えて、西軍を押潰おしつぶしたという史蹟は争えないものがあるのです。
 そこで、道庵先生、雲助に共鳴してはしゃぎ切っている一方、自分はいつしか大御所気分になって、のぼせきってしまって、ここに今晩の本陣を押据えて、明日は西軍を微塵に踏みつぶして、小関のあとで首実検をするという威勢に満ち満ち切っているのですから、米友が何を言うかなんぞは全く耳に入ろうはずもありません。
 しかし、米友としては、この先生の気象は呑込んでいることだし、相手に心酔し、共鳴してやる仕事だから、危険性のないという見極めがついているから、道庵の為すがままに任せるよりほかはないと思いました。
「じゃ先生、おいらは先に関ヶ原へ行ってるよ」
 かくて、てんやわんやの野上駅の騒ぎをあとにして、米友一人はまた馬にまたがって、関ヶ原へ向けて出発しました。

         十七

大垣より垂井へ一里十一町
垂井より関ヶ原へ一里半(その間に野上)
 お角から指定された宿の恵比須屋へ米友が到着しました。
 恵比須屋の上壇の座敷を二間も占領して、頑張っているのはお銀様でありました。お銀様はあの事あって以来、ことにお角との同行を好まないらしい。あの事というのは、お角がぜひなく岡崎藩の美少年と相駕籠で、自分の先をきったということでありましょう。それに、今日は、あの美少年としめし合わせて、どうやら、別にまた一行の他人と旅を共にする約束が出来たらしい。
 相手の何者かはわからないが、ただでさえ毛嫌いをはじめたお銀様が、それをうべなうべきはずはない。お銀様は一行の頭をおさえて自由気儘な行動をとる。それだから無論、六角堂で待合わせて、大垣で落合うというようなことは知らない。
 ただ、今晩はどうしても大垣でお泊りなさるようにと、お座敷まで取ってあるのを聞き流してお銀様は関ヶ原まで打たせてしまいました。お角、及び新たに加わった一行の空気と相触れることはお銀様としては絶対に許せない。お銀様としては、このまま全く自分勝手の自由行動をとって、行くところへ行ってしまいたいのだが、それは、旅慣れないお銀様の気持が許さないのではなく、保護者として、預り主としてのお角さんの立場が許さない。そこで、眼にも余り、手にも負えない我儘わがままいっぱいの自由行動を黙認しながら、しかもお角さんは、お銀様に対する監視の眼だけはちっともゆるめないのです。
 今夕も、関ヶ原まですという行動には一切干渉しない代り、心利いた若い者の庄公を目附として、ここまでつけてよこしました。
 庄公は宿の一間、いつもお銀様へ眼の届くところに部屋をとって、監視の任に当っていたが、旅の疲れで眠りこけてしまいました。
 夜更け、人静まった時分、お銀様は籠行燈かごあんどんの下で関ヶ原軍記をひもとき出しました。
 お銀様は、まだ知らない行先の土地のことをよく知っている――これが、この行中もお角さんの最も驚異するところの一つでありました。
 自分はかなり世間を歩いているのに、世間を知らないことが多い、はじめて旅に出たお銀様が一から十まで、まだ踏まないさきの土地のことを知っている。このことの驚異が、お角さんとして、お銀様というものを、いよいよ底気味の悪いものにしている。人は自分の持たぬものを見るのに過大な影を置くもので、まのあたり眼でみ、耳で聞くことのほかに知識の鍵をもっていないお角さんが、一室に閉籠ってたくわえていたお銀様の読書の知識というものに思い及ばないからこそ、大きな驚異と、怖れとがある。
 それにしても、お銀様の知識というものは、単に普通の人のする読書や見聞から来る知識以上に豊富なものがあり、また同時に読書の知識と、旅の実際とを考証してみることに、少なからぬ興味を持っていたものですから、到るところの名所古蹟に対する予備知識に加うるに、その土地土地に於ての参考資料をおろそかにはしなかったのです。
 名古屋にいる時にもうすでに、関ヶ原に関する史料を相当にととのえて持っていました。いま関ヶ原軍記を繙いているのは、明日は指呼歴々のかんに、軍記の示す配列を実地に眺めようとの下心に相違ない。
 だが、お銀様の関ヶ原に興味を持つのは一日の故ではない――お銀様は関ヶ原合戦の歴史に於て、どうしたものか、西軍に同情を持っている。石田、小西に勝たせたいという贔屓ひいきが、物の本を読むごとにこみ上げて来るのを如何とも致し難い。それだけに家康を嫌います。或いは家康を虫が好かない故にこそ――西軍に贔屓が出るのかも知れない。けれども、あの時に於て、お銀様の贔屓とか、興味とかいうものが、石田、小西に集中しているわけではない、その人は別にあるのです。
 およそ関ヶ原軍記のうちに、お銀様をして、この人こそと、無上の共鳴と、同情と、贔屓を与えている人がたった一人あるのです。常の時でさえ、お銀様はその人のことを想い出でると、涙を流して泣くだけの同情と、贔屓とを持っている。それは誰人ぞ、大谷刑部少輔吉隆おおたにぎょうぶしょうゆうよしたかその人。歴史上の人物で、お銀様がこのくらい自分を打込む人は、唯一とは言わないまでも、稀れなる例であります。
 まして、この時、この場へ来て、夜更けて人静まった時分です。えきった眼の前に、朦朧もうろうとしてその人が現われて来るのは是非もないことです。

         十八

 お銀様は、今ここで次のような大芝居を見ている。
 宏大なる一室に紙帳を釣らせて、その中に敷皮を敷いて、白絹の陣羽織に白金物しらがなもの打ったよろいを着て、坐っているのが大谷刑部少輔吉隆である。
 紙帳がよく透き通っているから、芝居の土間の二三あたりで見るよりも、はっきりとお銀様は、刑部少輔の科白せりふから表情の一切を見て取ることができる。
 かく身体はいかめしくよろっているのに、頭は法体で、面目が崩れている。お銀様としても、それを、崩れているとよりほかは見ようがありませんでした。眼だけは爛々らんらんとして輝くものがあるのに、鼻梁は落ち、顔面はただれ、その上にうじが湧いている。
 誰人も、この名将の面影に、その無惨なる天刑(?)の存することをまともに見るには忍びないはずであります。しかるにお銀様は、じっと瞳をこらして、それをまともに見ているのであります。こうして大谷刑部少輔は紙帳の中に、ひとり端然と控えていることしばし、これも武装をした一人の使者が眼前に現われました。
「石田治部少輔の家来、柏原彦右衛門にござりまする」
 使者の者がこう言って頭を下げる。刑部少輔吉隆はうなずいて、
「うむ、彦右か、大儀であった、さいぜん治部殿から御手紙であったが、重ねて、そなたを使者としてつかわされた次第は?」
「主人よりの申附けにより、刑部少輔殿を、げて佐和山の城へ御案内申せとのことにござりまする」
「それは心得ぬ、我等このたびの出陣は、内府公の加勢をして会津発向のほかに用向はこれ無きはず、治部少輔がこの際、我等を途中より招かるるは、さだめて何ぞ別段の思惑もあることであろう、そちは使者を命ぜられたほどの者である故に、その仔細を存じておらるるはず、申し聞かせられい」
「主人事、私共へはなんらの申し聞けはござりませぬが、内府公の御手前の儀は、我等主人に於て何分にもおとりなしつかまつるべきにより、枉げて佐和山の城へお立寄りを願いたい、我等主人胸中には、刑部少輔殿に格別の御相談を申し上げたき儀もあるやに察し申しておりまする」
 刑部少輔吉隆は、それを聞いて、暫く打吟じて思案にふけっていたが、
「よろしい、しかる儀ならば、これより佐和山の城へ同道いたそう」
と言い切って、かおを上げた大谷刑部少輔の崩れたその顔面。深い覚悟の程も、思い切った表情の程も、その崩れただれた面には、更に現われてこないことが悲惨である。それをお銀様は悲惨として見ないで、かえって自分の顔として見ているようです。
 石田治部少輔三成のために――単なる一友人であるところの石田のために、せっかく越前の敦賀から踏み出して来て、江戸の家康の手にはせ加わって、会津の上杉征伐に向うつもりとばかり期待して軍勢を引連れて出て来た身が、ここでガラリと向きをかえて、江州なる佐和山の城――つまり石田の居城への招請を甘んじて引受けたこの名将の心理が、少しもその顔面の表情に現われてこないことを、お銀様だけが痛快に感じ、その崩れかかった顔面の中に大谷吉隆を見ないで、かえって自分の面体を見て、お銀様の心がよろこび躍りました。
 舞台がそこで暗転の形となる。

         十九

 ここはいわゆる佐和山の城の大広間であろう。大谷刑部は以前と同じ姿形で一方の敷皮の上に胡坐あぐらしている。
 それと相対して、烏帽子えぼし大紋の容貌優秀なる大名が一人、同じように敷皮の上に座を構えている。これが当城の城主――石田治部少輔三成に相違ない。
 かくて、両者の対話と問答がはじまる。
「実はこのたびの会津反乱というは仮りのこと、実は我等、多年思い立ち候事なり」
 多年の企画がここに火蓋を切って、いよいよ徳川家康を向うに廻して天下分け目の大謀がその緒についたことを、三成が逐一ちくいち、大谷に向って打明ける。会津の上杉にすすめて兵を挙げさせ、家康がその征伐のために伏見を立って東下する――という表面の事態、裏には石田と直江山城との策動が熟し切っていて、家康の東下を待って、そのあとをねらおうとの方寸を三成が吉隆に打明けたのであった。
 それをいちいち聞いていた大谷刑部は、例の崩れかかった面を燈火に向けて言った、
「これは以ての外の不了見でござる」
「以ての外の不了見とは?」
 心さわぐ三成を、吉隆は制して言った、
「貴殿という人は、江戸の内府を並大抵の人と見ておらるるのか。この点は我等よりはいっそう認識のことでござろうに、今更あの人を向うに廻そうなどとは、途方もない無謀である、拙者には貴殿の胸中がわからない」
「家康とても鬼神ではござるまい」
「なかなか以て。もとの太閤ですらも我々へ常々申し聞けらるるには、家康の儀は知勇共にそなわりたる人であるによって、我等のよき相談相手と思って馳走いたすのじゃ、お前たちの合点がてんのいくことではないと、事毎に言われたものだ。太閤ですら、それほどに遠慮を置いた人物を、貴殿がいまさら相手に取って弓矢に及ぶとは沙汰の限りのことでござる、左様な無益の儀を思い止まって、我等と一緒に会津表へ下向なさるがよろしい」
 三成はそれに答えて言った、
「それはそうでもあろう、貴殿の諫言かんげんに従って思いとどまるのが道理かも知れないが、今はもう退引のっぴきのならぬ事態になっている。というのは、我等上杉景勝の家老直江山城守と堅く申し合わせ、当春より直江が主人景勝をすすめて旗を揚げさせ、そこで、家康父子をはじめ徳川一味の諸軍がみな景勝退治とあって会津発向のように仕組んで置いた仕事が、予定通り今日の段取りとなって現われたものである。この際拙者が思いとどまって、景勝一人を見殺しにできようか、できまいか、武道の本意によりて推察ありたし。合戦の勝負のことはどうあろうとも、この儀を思い止まることは、三成としては決してまかりならざるの儀でござる。貴殿御同意なきに於ては是非に及ばぬ儀でござる故に、急ぎ関東へ参陣あらせられるがよろしい」
 三成は存外、失望することなく、右の如く吉隆に応答した。
 それを聞き深めていた吉隆は、沈痛な返事をもってこれに答えた、
「意見の相違、是非に及ばぬことだ、しからば貴殿は貴殿の計画に任じ、思うように計り給え、拙者は拙者として、このまま会津征伐にせ加わるのみじゃ」
「全く以て、是非に及ばぬこと」
 ここで舞台が暗くなると共に、幕が落ちた。
 お銀様は関ヶ原軍記を前にして、自分が見ようとする芝居の筋書を、こんなふうに胸に描いているのでありました。

         二十

 やがて幕が下りたのではなく、やはり暗転の形で次の舞台が現われたのであります。
 それは前の大谷刑部少輔吉隆が手勢を引きつれて出て来たには相違ないが、この時の装いは全く違っている。ねりの二ツ小袖の上に、白絹に墨絵で蝶をかいた鎧直垂よろいひたたれは着ているけれども、甲冑かっちゅうはつけていない、薄青い絹で例の法体の頭から面をつつんでいる。そうして、四方取放しの竹轎たけかごを四人の者にかつがせて、悠然としてそれに打乗っている。前の場の石田との会見から垂井へ戻るにしては、胆吹山いぶきやまの方角が違っている。物のすべての面目が変っていることを、お銀様は奇なりとしました。
 かくて大谷の一行が街道の並木の中を上に向って行くと、ハタと行会ったところの一隊の軍勢がありました。
 五七の桐の紋の旗じるし。
 さんざめかした、きらびやかな一軍の中の総大将と見ゆる錦の鎧直垂――まだ年少血気の一武将であった。
「金吾中納言殿」
 大谷刑部少輔の左右の者が言った。大谷はうなずいた――やがてこの両隊は行きあいばったりとなる。大谷吉隆はそれを知らざるものの如く眼をつぶって行き過ぎてしまった。
 これは実に違礼であった。秀秋は高台院の猶子ゆうしで、太閤の一族、福島正則ほどの大名でもこれと同席さえすることのできなかった家柄である。刑部は何故に礼を忘れた。それは顔面が崩れて、もう物を見る明を失うていたのか、そうでなければ深き物思いのために、つい礼を失したものであろう。
 そうしてやり過した並木道。
 刑部少輔の手の者が山蔭に形を没してしまった後、金吾中納言は、畦道あぜみちに馬を休ませながら、家老にたずねた、
「あれは大谷刑部少輔ではないか」
「御意にござりまする」
「無礼千万な奴、会津征伐に加わるために東下すると聞いたが、どこへ行くのだ」
「不審に候」
 家老の松野主馬が答えると、他の一人の家老の稲葉正成が言う、
「大谷刑部も存外、目先の見えぬ愚将じゃわい」
「愚将とは?」
「あれは志を翻して、石田三成を助けに行くのでござる」
「治部少輔へ加勢にか……」
螳螂かまきりの軍に加わるきりぎりすのようなものでござる」
 一軍の間に嘲笑が起ろうとする時に、家老の松野主馬がそれをさえぎった。
「大谷ほどの者がなんで成敗の道を知らぬはずがござろう、あれは石田を助けに行くのではない、三成に首を与えに行くのだ」
「首を与えに」
「あの汚ない首を……」
 一軍の間に嘲笑の色が動くのを、松野主馬がまた抑えた。
「事の成るを知りつつ事を共にするは尋常のこと、わが不利を見て相手に節を売るは売女の振舞――成敗を眼中に置かず、意気を方寸に包んで、甘んじて弱きに味方する英雄の心情、それは英雄のみが知るものに相違ない、偉なる哉、刑部少輔――」
 嘲笑の色が、この悲壮なる讃美の声で圧倒されてしまった。
 小早川金吾中納言秀秋の血気の上に、愴然そうぜんたる雲がかかる。
 家老松野主馬は、それに附け加えて、全軍に諷するところあるが如く、主人にいさむるものあるが如く――またいささか自ら絶望の気味あるかの如く、次のように言う、
「彼は、上杉征伐に従うべく、居城越前の敦賀を出て、この美濃の国の垂井の宿まで来た時分に、石田三成から使者を受けたのだ。年来のよしみで、石田に加勢を頼まれたのだ。彼はこれを意外とした。彼ほどの聡明な武人が、敵を知り、我を知らぬという法はござらぬ、今の世、徳川内府を向うに廻して歯の立つ者のござらぬという道理を噛んで含めるように三成に説いて聞かせたものだ。三成も、大谷が説くくらいのことは知っている。知ってはいるが、今、思い上っている――意見の相違。ついに物別れになって、かれ大谷は垂井の陣へ引返したのだが――彼は成敗の理数を知ると共に、朋友の義を知っていた、そうして垂井へ帰った後に、三たび使者をやって三成に反省を促したものだ。その効無きを知って、ついに一身をなげうって三成に与えるの覚悟を決めたものなのだ。そうして今日は垂井の陣を引払って、ああして佐和山の城へ三成を助けに行くところなのだ。あの顔色を見給え、彼は気の毒に病気ではあるが、あの無表情な面に深刻な反省があり、決意が溢れきっているのを見遁みのがしてはならない。事の敗るることを万々承知の上で、甘んじて友を助くるの魂を見て置くがよろしい」
 松野主馬はそれから、主人金吾中納言の馬前に膝を突いて、言葉をうやうやしくして次の如く言った、
「あれをごらんあそばしませ、ただいま軍勢に向って申しました通り、あれは大谷刑部少輔が、石田のために命を与えに行く道すがらでござりまする。まことにもののふのかがみと申すべきではござりませぬか。恐れながら、わが御先代の小早川隆景公は日本第一の明将でございました。御一身の栄達を犠牲にして毛利の本家の礎を据え、筑前五十万石を、太閤殿下よりの御養君たるあなた様のために残し、御身は何物をも持つことなくして生涯を終りになりました。この御陰徳がいつの世か報い来らぬことの候べき――豊臣は亡び、徳川は衰えるとも、毛利の家は動くことなかるべしと人がうわさをするのは、一に隆景公の御陰徳と申しても苦しうござりますまい。太閤殿下の御血筋を引き、この小早川の名家を御相続あそばされた我が君――おそるべきは後代の名でござりまする、あやかりあそばしませ――いま目のあたり見る大谷刑部が義心を御覧ごろうじませ、事の成らざるを知りつつ一身を友に与うるは、もののふの鑑にござりまする、我等武人としては、この後塵を伏し拝むべきでござります」
 松野主馬はこう言って、主人の馬前から向き直って、ただいま大谷吉隆が過ぎて行った馬印の後ろかげを合掌して伏し拝んでいる。一軍粛として声がない。夕陽が松原のあなたに沈む。お銀様も、もらい泣きというにはあまりに溢れる涙を如何いかんともすることができない。袖と袂を押当てて、面をあげられない気持になってしまった。
 その時、関のかなたで鶏が啼くような声がしたが、まだ夜明けではあるまい。
 ああ、いい芝居、わたしはこの芝居を見たいために関ヶ原へ来た。
 三成も悪い男ではないが……
 吉隆はいい男ですねえ。
 わたしは、日本の武士で、まだ大谷吉隆のようないい男を知らない。
 今は、その人の討死した関ヶ原の駅頭に来ているのだ。あのいい男の首塚が、ついこの辺になければならぬ。
 わたしは、何をおいても、あの人の墓をとむらってあげなければならぬ――明日、明朝――いいえ、今夜これから――ちょうど、月もあるし……
 大谷吉隆の首塚を、わたしは、これから、とむらってあげなければならない。

         二十一

 あの晩、道場へ逃げ込んだために虎口をのがれたお雪ちゃんは、おりから道場の中で居合を抜いていた宇津木兵馬のために擁護されました。
 しかしお雪ちゃんも、それが兵馬であると知って救いを求めたのではなく、兵馬もまたお雪ちゃんと知って、その急を救ったのではありません。たちまち続いて起ったあの兇変のために、おたがいの見知り人などは飛んでしまいましたけれども、翌日になれば、それは当然、あいわからなければならないことであります。
 わかってみれば、それは上野原以来の相識あいしれる人でした。すなわち、道に悩んで一杯の水を求めた人が兵馬で、快くそれを与えたのみならず、温き一夜の宿もかしたのがお雪ちゃんであります。
 兵馬とお雪ちゃんとの名乗り合いがあり、その後のおたがいの変化のある身の上話があり、結局は再び相応院へ送られては来たが、その住居すまいには竜之助がいないのみならず、貸本屋の政どんが来た形跡があり、それと同時に何者にかいたく踏み荒されて行った跡が歴々であります。けれどもお雪ちゃんは、器用にそれを兵馬には押隠し、自分の生活は、久助さんのほかには水入らずだということを示し、同居人、すなわち竜之助のことを兵馬に語るはずのないのは、その以前から二人の間にわだかまる何物かを察しているからのことです。
 そのうちにお雪ちゃんは、いろいろの方面から、それとなく聞き込んだところによると、どうも、あの代官を殺し、妾を奪うたという大悪人が、自分と生活を共にしていた竜之助ではないか、あの人に相違ない――というような心に打たれて、身も世もあらぬほどに驚き、同時に、竜之助はもはやここへは決して帰って来ないということを信ずるに至りました。
 竜之助はいない――ということをお雪ちゃんが見極めてしまって、兵馬を迎えるような順序に知らずらず落ちて行ったことは、兵馬もいてこちらへ来るつもりもなく、お雪ちゃんも決して兵馬に来てもらうつもりはなかったのですが、この際、一人の生活の不安と、それから兵馬としても頼まれた新お代官というものが、ああいう羽目になってみれば、代官屋敷うちに居すわりにくいものがある。その両者の雲行がどちらから誘うとも、求めるともなしに、兵馬はお雪ちゃんのいるところへ暫く身を寄せていることにし、お雪ちゃんも否応なくそれを迎えてしまったものです。
 二人がこうしているのも、偶然、旅路の一つ宿へ泊り合わせたようなものだから、決して長い間ではないということを二人は心得ながら、しばしの生活を同じうしました。
 代官殺しと、お蘭誘拐の一切の検分をして、自分相応の観察があるらしく、兵馬は朝早く出て行って、帰りは不定であります。
 飛騨、信濃の高山が鳴り出したのは、その前後のことであります。
 今日も兵馬は、何か心当りあって早朝に出て行きました。あとに残ったお雪ちゃんは、イヤなおばさんの着物を縫い直すために針を運びながら、「死」ということを考えさせられておりました。
 ああ、わたしたちの行く道は、「死」というものよりほかは何物もないのではないかと。
 お母さんも死んだ、姉さんも死んだ、誰も彼もが死んで行く、あたりまえに死ねない人は殺されてしまう。
 どちらにしても、人間には死というものが待っている。若い身空のお雪ちゃん、無邪気な生の希望に満ちみちていたお雪ちゃんが、今日は死ということの予想に、かえって幾分の慰めを感じているのです。
 この世の中は、そんなに長く生きているところではない、人を離れてよく生きようとか、山へのがれて楽しく生きようとか、憧れていた自分の思いというものは一切空想で、行けば行くほど重しが加わってくるのが、結局この世の習いではないか、それで、早くこの世を去るということが、かえって人間のいちばん幸いなことではないか――
 お雪ちゃんは、それを空想ではなく、現実眼の前に眺めました。
 ほんとにそうでした。よく生きようの、好きに暮そうのと思えばこそ、一層の重荷が負わされるのでした。死んでしまいさえすればこんな重い悩みが、すっかり取れてしまう――自分の苦も、死ぬことによって一切解放されるから、人もみな同じこと、よくかすよりは、よく死なせることが本当の親切ものではないかしら。
 お雪ちゃんは、このことを厳粛に考えながら針を運んでおりましたが、やがて自分の針を進めている縫物の品が、例のイヤなおばさんの遺物かたみであることを見ると、
「おばさん――あなたはまだ本当に死にきれていないのではないのですか」
と、着物に向って呼びかけずにはおられませんでした。
 それと同時に、お雪ちゃんは、この着物がどうしてこうまで自分の手を離れないでいるのかと、それとこれとをじっと見くらべておりました。

         二十二

 そうして、もう日も入りかけて、兵馬も帰って来なければならない時刻になっても、お雪ちゃんは頭をあげませんでした。その時、不意に縁側に人影があって、
「お雪ちゃん」
「まあ、弁信さん!」
 縫物も、針も、物差も、香箱もけし飛んでしまいました。
「お雪ちゃん、わたくしは、そうしてはおられないのです、これからまた直ぐに出かけなければなりません」
 してみると、この僧はお雪ちゃんばかりを当てにして……来たのではないらしい。
「え!」
「どうぞ、おかまい下さいますな、そうしてはおられません」
「どうしたのですか、弁信さん、そうしてはおられないとおっしゃるのは」
「この足で、また出かけなければなりません」
「どこへですか」
「どうも、なんとなく、わたくしの気がせわしいのです」
「だって、弁信さん、わたしじゃありませんか……あなたの落着きなさるところと、わたしの待っているところとが、ここのほかにあるのですか」
「あります」
「おや――では、弁信さん、あなたはわたしを訪ねておいでになったのではないのですか」
「もちろん、あなたに引かされて、ここまで参りましたけれども、このままでは気がせいて、落着く気になれませんのです」
「まあ……」
 お雪ちゃんは全くあきれてしまいました。夢のように待ちこがれていた弁信さんその人が、現にここに来ているではないか。それだのにその人は、わたしを物の数とも思っていてくれないというのは、何という異った世界になったのでしょう。
「では、お雪ちゃん、わたくしはこれで失礼して、これから急いで、ともかくも行って見て参ります」
「どこへですか、弁信さん」
「どこへというのは、お雪ちゃん、わたくしの方であなたにお尋ねすべきところで、わたくしの方から答えるのは、逆問答になるのでございます」
「弁信さん、あなたの言うことがわかりません、以前の弁信さんなら、わかり過ぎるほどにわかっているくせに、ほんとうにあなたは僅かの間に別の人になっておしまいのようでございますね」
「いいえ、別の人になったわけではございません、お雪ちゃんが昔のお雪ちゃんなら、弁信もまた昔の弁信でございます、もしまたお雪ちゃんが、昔のお雪ちゃんでないならば、自然、この弁信も昔の弁信ではないことになります、変ったとすれば、それはどちらでございましょう」
「わたしは変りません」
 お雪ちゃんは意気込んで言いました。
 そうして、なお附け加えて言うことには、
「弁信さんは眼が見えないから、変ったとお思いになるかも知れませんが、わたしはこの通り、少しも変りません」
「そうですか、でも、わたくしにはどうしても昔のお雪ちゃんを懐かしがるように、懐かしがる気にはなれません」
「どうしてですか、弁信さん」
「どうしてだか知りませんが――わたくしのこの心が落着きません、わたくしの尋ねるお雪ちゃんという人の声は、ここでしているのには相違ないが、魂に触れることができません、お雪ちゃんの魂は……」
「弁信さん、久しぶりにお逢いしたのに、のっけからそんな理窟をおっしゃるものじゃありません。わたくしのほかにわたくしは無いのですよ、もし、あなたが、わたくしの声をお聞きになったのなら、それが本当のわたくしじゃありませんか。神様のように鋭い勘をお持ちなさるくせに、弁信さんは」
「そうではありません、わたくしは現在ここで声を聞くお雪ちゃんのほかに、もう一人のお雪ちゃんがあって、それが行方定めぬ旅に出ているとしか思えてなりません。しかもその行方定めぬ旅というのが、火のあなへ転げ込んで行く、お雪ちゃんの赤ん坊そのままです――あなたは自分の赤ちゃんが、地獄の火の坑へ這入はいって行くのをそのままに見ておられますか。でも世間には、自分の可愛ゆい片身かたみを、罪の塊りだなんて闇から闇に送る親もないではありませんが……」
「ほんとにいやな弁信さん、昔の弁信さんはさっし入りがあって、親切で、有り余るほどの同情をすべてに持って下さったのに、今、久しぶりでお目にかかった最初に、まあ、なんといういやなことばかりおっしゃるのですか」
「いやなことを申し上げるつもりで言っているのではありません、わたくしの尋ねるお雪ちゃんの片身が――片身というのもおかしいようですが、やっぱり、魂と申しましょうか、その魂がここにおりませんのです」
「ほんとに困ってしまいます」
 ああ言えばこう言う弁信の着早々の理窟に、お雪ちゃんは何と挨拶していいか、悲しいかおをして立ち迷うよりほかになくなっているのを、弁信は、そっけないもののように、
「では、わたくしは、これからそのお雪ちゃんのあるべくして、あるべからざるもののために出かけてまいります」
と言って、腰を一つかけるでもない弁信は、さっさと歩き出してしまいました。
「まあ、待って下さい、弁信さん」
 お雪ちゃんは、たまり兼ねて跣足はだしで飛び出したところへ、出逢頭に宇津木兵馬が帰って来ました。
 宇津木兵馬は、そのあわただしい光景を見て非常に驚きましたけれども、追いかけるお雪ちゃんよりも、追いかけられる当人が、あまりに痛々しい、弱々しい、見すぼらしい、おまけに盲目めくらとしか見えない小坊主でしたから、それをさえぎりとどめようとする気になれませんでした。
 いったん跣足はだしで飛び下りたお雪ちゃん、それでも草履ぞうりを突っかけたまま、坂路を下りて行く弁信のあとを、息せき切って追いかけました。追いかけると言ったところで、相手が、七兵衛でもがんりきでもありませんから、お雪ちゃんにも雑作なく追いつくことができました。
 追いついてさえしまえば、ここでお雪ちゃんが、弁信を手放してしまうはずはないにきまっております。

         二十三

 それから暫く経つと、宮川の岸の人通りの淋しい土手の上を、極めて物静かに肩を並べて歩いているお雪ちゃんと弁信とを見ることができました。
「よくわかりました、弁信さんのおっしゃることが、すっかり呑込めてしまいましたから御安心ください……わたしも、こうして、あなたを追いかけて来たのは、この辺でゆっくりとわたしからお話をしたいことがあったからなのです、あの寺ではくわしいお話のできない事情がありましたものですから」
「左様でございましたか」
「弁信さん、ほんとうにわたしは、物語にも書けないほど奇妙な縁に引かされて、きわどいところに身を置かされており、どちらにも同情を持たなければならないのに、そのどちらもが敵同士かたきどうしとは、因果なことではありませんか」
「そうでございますね」
「昨日までは、わたしはあの人のために、身を捧げて介抱をしておりましたが、今日はそれを敵とねらう人の情けを受けて、知らずらず生活を共にしてしまっているのです、そうしてわたしは、どちらも憎めないばかりでなく、弁信さんだから申しますが、わたしはどちらをも愛しているのです、どちらもわたしは好きな人で、どちらをも憎めないでいます」
「あなたのそれは、世にいう娼婦の情けというようなものではありません」
 この言葉が、お雪ちゃんにはよくわかっていなかったが、
「そういうわけではありませんが、今度の人は宇津木兵馬さんというのが本名で、それも今日にはじまった縁ではなく、上野原以来、奇妙な縁がつながっているのです。でも、あの人がいては、弁信さんに限っての話ができませんから、こうしてあなたの後を追いかけて、こんなところでゆっくりお話のできるのがかえって安心だと思いました。まあ、何からさきにお話ししていいかわかりませんから、思いついたまま、順序なくお話をしますから、弁信さん、ゆっくり聞いて下さいな」
 お雪ちゃんはこう言って、なんとなく暢々のびのびした気にさえなったのです。先程からの急促した気分はようやく消えて、ここではじめて、昔馴染むかしなじみに逢って、心ゆくばかり話のできるような気分にさえなりました。
 だが、あたりの光景を思い合わせると、決して左様な暢気のんきなものばかりではないのです。ただ、今日は不思議に噴火の爆音が途絶えたような気がする。毎日毎日連続的に聞かされていた焼ヶ岳方面の火山の音というものが、今日に至って終熄しゅうそくしたというわけではないが、噴烟ふんえんはここ十里と隔たった高山の宮川の川原の土手までも、小雨のように降り注いでいるのです。
 ですから、天地はやはり晦暝かいめいという気持を如何いかんともすることはできません。弁信の方は最初から、それは滞りがありませんでしたけれども、このごろ怖れおののいていたお雪ちゃんが、今はそれをさえ忘れて、春の日に長堤を歩むような気分に、少しでも打たれていることは幸いでした。ここで、弁信に向ってお雪ちゃんが、一別以来のことを、それから宮川の堤の長いように語り出しましたが、いつもおしゃべりの弁信がかえって沈黙して、いちいちお雪ちゃんの言うことに耳を傾けながら、緩々ゆるゆるとして歩いて行くのであります。お雪ちゃんとしては、白骨山中のロマンスや、グロテスクのあらゆる経歴を説いて、いかにあれ以来の自分の身の上が数奇を極めたかを、弁信の頭の中に移し植えようと試むるらしいが、弁信としてはいっこう感じたようでもあり、いっこう感じないようでもあり、ただ不思議に、あれほどのお喋りが一言も加えないで、お雪ちゃんの話すだけを、長堤の長きに任せて、話させて、歩調だけを揃えているのです。こうして、長い時の間、弁信はお雪ちゃんにお喋りの株を譲って、自分は全く争うことをしなかったが――そのはなはだ長い時間の後に、
「お雪ちゃん、ちょっとお待ち下さい、誰か人が来るようですから」
 そこで、お雪ちゃんが、はじめて長いお喋りの腰を折られました。
「え」
と言って、四方を見廻すには見廻したけれども、ここは長堤十里見通し、その一目見た印象では、誰も土手の前後と上下を通じて、人の近づいて来るような気配はありません。人の気配には気がつかなかったのですが、お雪ちゃんが、そのとき愕然として驚いたのは、直ぐ眼の前の宮川の岸辺に漂うた破れた屋形船であります。
 ああ、思い出が無いとは言わせない、この屋形船――あの大火災の時の避難以来。
 それと同時に眼を移すと、遥かに続く蘆葦茅草ろいぼうそうの奥に黒い塚がある。
 あ、イヤなおばさん――お雪ちゃんのかおの色が変りました。
「たれか人が来ますねえ」
 それに拘らず、弁信は、長堤十里見通しのくところで、人の臭いの近いことを主張してやみません。
 その途端のこと――思い出の屋形船の一方の腐ったすだれがザワついたかと見ると、それが危なっかしく内からき上げられると、ひょっこりと一つの人間のかおが現われました。その思いがけない人間の面の現出が、お雪ちゃんを驚かすと同じように、先方の面の持主をも驚かしたと見えて、現わすや否やその面を引込めてしまいました。
 この場合、先方よりはこちらの方が予備感覚のあっただけに、認められることが遅く、認めることが早かった勝味はありました。
 先方の当の主はおそらく、こちらが何者であるかということは突きとめる余裕がなくて首を引込めたことがたしかと見られるのに、こちらはその瞬間にも、存外よく先方の面体を認めることができたのです。
 お雪ちゃんは、その瞬間の印象では、この辺で、ちょっと灰汁抜あくぬけのしたイナセな兄さんだと認めると共に、どうもどこかで見たような男だと感じました。
 だが、わざわざ物好きにあの捨小舟すておぶねを訪れてみようという気もせず、むしろこんなところは早く通り過ぎた方がよいと考えて、今までよりは急ぎ足に弁信の先に立ちました。
 しかし、その捨小舟の近間を通り過ぎたかと思うと、また以前よりも増した緩々たる足どりで、弁信に話しかけながら、悠々ゆうゆうとして堤上を歩いて行くのです。

         二十四

 お雪ちゃんが、弁信に向ってまたこういうことを言いました――
「弁信さん、わたしはこのごろになって、つくづくと人間は慾だと思いました、親兄弟だとか、親類だとか言いますけれど、詰るところみんな慾ですね」
「どんなものですかね」
「あの、イヤなおばさんだって、家に財産があったからああなったのです。その後の騒動が、この高山の町を焼き払ってしまうまでになったのも、元はといえばみんな慾じゃありませんか。親が子を可愛がるのも慾、友達が助け合うというのも慾、みんな真実の皮をかぶった慾で、世の中に本当の思案だとか、親切だとかいうものは無いものじゃないかしらと、わたしはつくづくこのごろ、それを考えますよ」
「さあ、どんなものでしょうか」
「慾を離れて人間というものは無いのです。それを考えると、わたしはたまらないほど情けなくなりました、すべて人間は、物が無いほどしあわせなことはないのじゃないかしら、と考えるようになりました」
「なるほど」
「ですから、人間は、自分のものとしては何も持たないで、その日その日に食べるだけのことをして、それからできるだけ自分の好きなことをして、それでいけなくなったら、楽に自分の手で自分を死なしてしまうのが、いちばん賢い生き方じゃないかと思ってみたりすることなんぞもありますのよ。自分ひとりで死ねなければ、自分のいちばん好きな相手と一緒に死を選ぶのが、いちばん賢い生き方ではないか、生きているということは、そんなに幸福なことでも、価値のあることでもない、と思ったりすることもありますのよ……」
「お雪ちゃんとしては、珍しい心の持ち方ですね。わたくしも、生きているということが、そんなに幸福なこととは思いませんが、それでも、いて死のうという気にもなりません。生をむさぼるのはよくありませんが、それよりも、死を急ぐのはよろしくありません」
「ああ、人間はほんとうに、みんな慾のかたまりではありますまいか。恩だの、義理だの、人情だのと言いますけれど、自分の取分をほかにして何が残りましょう。恋というようなものも、慾の変形といったようなものです。弁信さんのように、神様仏様の信仰も、やっぱり根本を洗ってみると慾から来ているのじゃないか知ら、なんて疑ってくると、わたしは浅ましくてなりません」
「…………」
「慾ですよ、慾を離れたところに人間はありません。わたしは、慾を離れて人間界の別の天地といったようなところへ落着きさえすれば、それが白山の上であろうとも、畜生谷の底であろうとも、どこへでも行ってみるつもりでしたけれども、いま考え直してみると、どんな山奥へ行ったからとて、どんな谷底へ下ったからとて、慾のない世の中は無いのじゃないかしらと、つくづく悟りました」
「なるほど」
「そうして、まあこうして人間がすべて慾のかたまりで、親も、兄弟も、親類もなく、結局、持っているものを奪い合うという浅ましい世の中が、どうなって行くものでしょうかねえ」
「左様……」
「人間が、あんまり慾一方で浅ましいものですから、それだから山が裂けて、この世が一体に火になってしまうのじゃないかと言う人もあります。なかにはこんな浅ましい餓鬼のような人間は、一度、大掃除をしてしまった方がいいなんて言う人もあります」
「見ようによっては、そうも見られないではありませんね」
「人という人が、恩を忘れ、慾のために人を売るようになってしまっては、全く神様や仏様が、人間に水だのお米だのを与えて、生かして置くことがおいやになるのも無理はありませんね」
「なるほど」
「まあ、お聞きなさい、弁信さん、また山鳴りの音が轟々ごうごうと高くなってきました。あなたの眼には見えますまいけれども、どうです、実に怖ろしい唐傘からかさのような雲が湧き上ったことを、これこんなに灰が降って来ました」
 こう言ってお雪ちゃんは、東の空に濛々もうもうと立ちのぼる車蓋しゃがいの如き雲を眺めながら、弁信の法衣ころもの袖にかかるヨナを、しきりに払い除けてやっていました。
 今日の弁信は、おとなしいもので、いちいちお雪ちゃんの言うことに受身になって、それに異議を挟むこともなければ、その意見を訂正したり、訓戒したりすることの絶えてないのが変っています。
 つまりお雪ちゃんの人生観が、珍しいほどの変り方を示して、生存の否定と、死の讃美に近いところまで行っているのを知りながら、それに異見を加えない弁信の態度が、変っているといえば変っているのです。
「ねえ、弁信さん、世間の学者たちは、世の中がこんなに悪くなったのは、それは江戸の幕府の方が堕落してしまっているからだと申します。その堕落しきっている幕府の力を倒して、本当の天朝様の御代にすれば、この世の空気もすっかり立て直り、人間もみんな正直にかえるのだ、そうしてその堕落した江戸の幕府というものも、どちらにしても長い寿命ではないから、そのうちに天朝様の世になって、世界が明るくなると――今はその夜明け前だとこう申す人もございますが、それが本当なのでしょうか」
「さあ――そのことも、わたくしにはよくわかりませんが、政治向が変ったからとて、人心はそうたやすく変りますまい。人心が変らない以上は、いくら制度を改めたところで、どうにもなりますまい。慾にありて禅を行ずるは知見の力なりと、古哲も仰せになりました」
 弁信の返事は、お雪ちゃんのピントに合っていないようでしたが、さて、お雪ちゃんは、ちょっとその後を受けつぐべき言葉を見出し得ませんでした。

         二十五

「それはそうと弁信さん、あなたはこれから、わたしを捨てて、何の用があって、どこへ行くつもりですか」
「さあ……」
 お雪ちゃんに改めてたずねられて、弁信法師が返事に当惑しました。
「さあ、そう改まってたずねられると私は困るのです、白骨にいてどうも動かねばならぬ気分に追われて動いて来ましたが、ここでわたくしの頭が、わたくしの足を止める気にならないのが、不思議なのです」
「わたしに逢いに来てくれたんではないのですね」
「いや、やっぱりあなたに逢いたい一心で、命がけで白骨まで来たのですから、ここで逢いたいに違いないのですが、どうもわたくしの足が、この地にわたくしをとめてくれないので、どうにもなりません」
「どうしたのでしょう、わたしは、弁信さんが二人あるように思われてなりません、今ここにいる弁信さんは、弁信さんに違いないけれど、わたしの弁信さんは、まだほかにあるような気がしてなりません」
「そう言えば、わたくしもお雪ちゃんが二人あるように思われてなりません、ここにいるお雪ちゃんも、わたくしの尋ねて来たお雪ちゃんに相違ないけれども、まだ別に一人のお雪ちゃんがなければならないし、わたくしはそれを尋ね当てなければ、本当のお雪ちゃんに逢っているのではないというように思われてならないのです」
「ほんとうに、二人とも、おかしい気持ですね、まさか夢じゃないでしょうね。夢であろうはずはありませんが、二人ともに、逢えると思う人に逢っていながら、逢えないでいるのですね」
「そうです、わたくしは、もう一つ本当のお雪ちゃんを探すために、前途を急がねばならぬような気持に迫られているのです」
「どうも、おかしいですね。そうして、どこへ行ったら本当のわたしが見出せると思いますの」
「その見当はつきませんが、わたくしのこの足は、南の方へ、南の方へとこの飛騨の国を走れと教えているようです。飛騨を南へ走れば、美濃の国ですね――美濃の関ヶ原へ向けて、何はともあれ、急いでみたいという気分にられておるのです」
「美濃の国の関ヶ原――」
「ええ」
「関ヶ原といえば、古戦場じゃありませんか」
「そうです――その美濃の国、関ヶ原という名が、今のわたくしの頭の中にピンと来ているのは、そこへ行けばなにものかのつかまえどころがあるという暗示――ではないかと、私の経験が教えますから」
「それだけなのですか、その関ヶ原とやらに、あなたの知っているお寺だとか、昔のお友達だとかいうようなものがあるのですか」
「そんなものは一向、心当りはございません、ただわたくしのこの頭が、関ヶ原、関ヶ原と何か知らず私語ささやいて、見えない指さしが行先を指図してくれているんですね」
「なら、弁信さん、わたしもその関ヶ原へ行くわ」
「え」
「わたしも、その関ヶ原へ連れて行って下さい」
「でも、あなたは、わたくしのように身軽には歩けません」
「歩きます――このままでもかまいません、弁信さんと一緒ならば」
「困りました」
「何を困ることがありますか。では弁信さんは、わたしを振捨てる気でそんなことを言うのでしょう」
「そうではないのです、そうではないけれど、このままあなたを連れ出すということが、すんなり行