一
経済学と科学が、少しく働いて多く得ることを教えると、人間の慾望はそれに拍車を加えて、ついには最も少しく働くか、或いは全く働かないで、最も多くをせしめるように増長して行こうとするのに、最も多くを働いて、最も少なく得ることに満足し、それを楽しんで生きて行くものがあるならば、それは奇特というよりは、馬鹿という部類のものに属すべきものの仕事でしょう。
ところが、与八の働きぶりというものがそれでした。
この男が、甲州有野村の藤原家の
しかし、その仕事の
でも、苦情も不平も出ないのは、当人がその分配の席にいないからです。それで、頭割りをする役割は、当人の主張の無いのに、当人に代って割増しを主張するほどの好意はないから、常人足並みの労銀が、組の者に托して与八に向って支給されて納まってしまうのです。
それにしても、一人や二人は、与八という特種人物の力量が抜群であって、仕事ぶりに
つまり、与八はその非凡な力量を以て、常人の幾倍に当る仕事をしていることは確実なのですが、その仕事は、蔭日向がないというよりは、蔭ばかりで日向が無い、日向ばかりで蔭が無い、というような仕事ぶりになっているからでありましょう。
彼は山で石材を運び、土を掘り、木の根を起すにしてからが、なるべく離れたところを選び、離れたところの人の面倒がるところに好んで食いつき、いつのまにかそれを
ただ、いつも眼につくことは、与八の背に
こんなような働きぶりで、与八は幾日かを、藤原家の改築の工事のために働いておりましたのです。
二
ところが、この与八の経済学を無視した働きぶりを認めずにはおられないものが、ここに一人現われました。
それは誰あろう、藤原家の当主の伊太夫以外の何人でもありません。
伊太夫は、絶えずとは言わないが、思い出したように工事の見廻りをする。その見廻りの都度に、経済学を無視した一人のデカ物があることを、どうしても認めずにはおられませんでした。
それとなく注意して見ていると、最も多く働いて、最も少なく得ることに甘んじて、そうして分配の時は姿を没し、
同時に、このデカ物は、自分の子とも、他人の子ともつかない、一人の子供を親切に養っていることを認めずにはおられません。それはこの工事のうちに、乳呑児を背負ってエンヤラヤアの
それ以来、そのつもりで見ていると、見ているほど光り出して来るのが、このデカ物の働きぶりです――この男は経済学を無視している、分配の法則から飛び離れている。他の何事よりも経済学を無視しているということが、伊太夫にとっては不思議であり、驚異であり、無謀であることを感じずにはおられないらしい。何となれば、伊太夫の頭は、ほとんど全部が経済学から出立しているのです。
自分の家のすべての者が、自分に対して
つまり、すべての
前妻の子と後妻の子とに
大まかに経済学とはいっても、伊太夫のは、佐藤信淵や、河村
自分の威勢といったところで、兵力を持っているわけではなく、官位を持っているわけでもない、家は古いには古いが、摂家清華というわけではない、人がつくもつかざるも、要するにこの財産の威力のさせる業なのだ。
伊太夫はそれがよくわかっているだけに、人を使うにも、人の慾を見ることに抜け目がないのです。少なく与えれば
この経済の蔭に、家庭のあの暗い影のあるのは望ましいことではないが、やむを得ないことだと腹にこらえてもいるのです。家庭の暗い影は、もとより望ましいことではないが、この暗い影のために藤原家というものを
今日しも与八は、おひるの時分、いつものように大勢とは離れて、小高みになった
「あ! 旦那様」
と振返った与八が驚きました。自分の後ろに立っているのは、日頃見知りごしのこの家の主人、伊太夫その人でしたから、
「
伊太夫が一
「はい、はい、おかげさまで毎日、有難く働かせてもらっております」
「お前はほんとうによく働く」
杖をとめたなりで、伊太夫がちょっとその場を動こうとせぬのも、思いがけないことと言わなければなりません。
常ならば、番頭や書き役が附いて見廻りをなさるはずなのに、今は誰もついていないのみか、わざわざひとり、この藪をくぐって来られた
そこで与八も、大口をあいて無遠慮に
「
今度はなお特別ていねいに、さん附けであります。与八は答えました、
「はい、はい、恵林寺の和尚様からのお引合せで、御当家様へ御厄介になることになりましたのでございます」
「おお、そうそう、忘れていた、慢心和尚からの御紹介のはお前さんだったか」
「はい、はい」
「生れはどこだね」
「武州の沢井というところでございます」
「そうかね――当分、こちらにいなさるか」
「こちら様の御用が済みましたらば、これからまた西の方へ旅をしてみようと思っているのでございます」
「西の方へ――西はどこへ」
「どこといって当てはございませんが……」
「当てが無い――」
伊太夫は、ちょっと
「はい」
「当てがなければ、お前さん、当分わしのところにいてはどうだ」
「そりゃ御親切さまに有難うございますが、御用が済んだ上に、長く御厄介になっちゃあいられましねえ」
「用なんぞはいくらでもあるよ」
「はい」
「仕事なんぞはここにいくらでもある、この普請が終ったからといって、そうさっぱりと出て行かなくってならんというはずのものではない」
「そうおっしゃっていただくのはいよいよ有難うございますが、実は、わしたちも心願がございまして、諸国を巡ってみてえとこう思って出て参りました身の上でございます」
「そりゃ、諸国を巡ることは悪いとは言わないが、どうだ、もう少し、普請が終るとか、終らないとかいうような時をきめる必要はない、いやになる時節まで、わしがところにいてもらえないかな」
「はい」
与八は、伊太夫
「わしの家も、今こそこの通り混雑しているが、これが済んでしまった日には、ひっそりしてしまうのだ、雇人もかなりいるにはいるがね、急に、家中がにぎやかになるというわけにはいかないのだ」
与八は、なんだかこの言葉のうちに、痛々しいものがあるように思われてなりませんでした。
ああ、そうそう、そう言えば、この間の火事で、ここの奥様と、あととりの坊ちゃまが、焼け死んでしまわれたそうな。それに、一粒種のお嬢様というのが、一筋縄ではいかない方で、今、遠くの方へ旅をしておいでなさるとか。してみると、ここの御主人が
三
それから間もないこと、藤原家の番頭から別に話があって、与八はこの家の別扱いの雇人となりました。
臨時の人足として使われた男が、穀物庫の傍らの一室を給されて、この家の准家族のような待遇を与えられる身となりました。
与八としては、
だが、こうなっていることは、自分はとにかく、郁太郎の教育のためによいことだと思わずにはおられません。
ともかく、今までの
郁太郎、どうしたものかこの子の発育が、肉体、知能ともに世間並みの子供より鈍いことは、与八も知らないではありませんが、それでも、もう
哺乳の世話だけは、もう卒業したようなものだから、それを教育の方に振向けなければならないと与八が感じて、夜なべに米を
与八は焼筆をこしらえて、郁太郎のために板切れへ「いろは」を書かせることを教えながら、自分は
今晩は雨が降り出している。与八と郁太郎の師弟が、例によってこの雨夜を教育に
「与八」
「はい」
与八は直ちに、訪れて来た客人が、藤原家の当主の伊太夫であるということを知りました。
伊太夫が
「これははあ、旦那様」
与八は恐縮して、地殻つきから下りて来ました。郁太郎は、この来客にちょっと目をくれただけで、しきりに板の上へ焼筆をのたくらせている。
「与八、どうだ、お前ひとつ、お茶をいれてくれないか」
合羽を脱ぎ終った伊太夫は、自身携えて来た包みを取りおろして炉辺に置きながら、自分はもうその炉辺に坐りこんでしまいました。
「旦那様、まあ、お敷きなさいまし」
と言って、与八は有合せのゴザを取ってすすめます。
「今夜は雨も降るし、静かな晩だから、お前と一話ししようと思ってやって来たよ」
してみると伊太夫は、
何してもそれは与八として光栄でもあり、恐縮でもないはずはありません。
伊太夫は、抱えて来た包みを解いて、また別の一つの箱を取り出しました。その箱には
やがて湯が沸くと、主人伊太夫が手ずから茶を立てました。
茶を立てたといったところで、なにも与八のためにお手前を見せに来たわけではないから、持参の茶器へ、普通に民家でする通りお茶ッ葉とお湯を入れて、飲みもし、飲ませもしようという寸法だけのものです。
「さあ、お茶をおあがり、お菓子を一つお
ちょうど、この場合、主客が顛倒したように、伊太夫が二人をもてなすような席になりました。
「有難うございます、そりゃ、
郁太郎に菓子をすすめようとしたが、この子はそれを食べようとしないで、暫くじっとながめている。
与八は与えられたお茶を推し戴いて飲み、伊太夫も
こうして二人の話に、しんみりと雨夜の会話が進むことの機会が熟して行く。
「与八、今夜は、心ゆくばかり、お前の身の上話が聞きたいのだ」
四
この晩、伊太夫が、与八と打解けての会話の結果は、与八には特に附け加えるものはなかったが、伊太夫にとっては、それは自分とは全く方法を別にし、主義を異にした新しい一つの生き方をいきている人のあるということを、つくづくと知ることができました。
すなわち、自分というものは、有り余る財産というものに生きているのだが、世間には、それと反して、全く無所有の生活にいきて行く人と、またいき得るものだという実際上の知識でありました。
無所有には怖るるところは無いという論理は、伊太夫にも相当よくのみ込めます。無所有なるが故に、求めらるるところがなく、また無所有を生命とすれば、求むるところなくして生きて行けるという事実は承認できます。
だが、それだけのものです。それは一つの奇妙なる実例として、伊太夫にはながめられるだけで、自分がその生活に飛び込もうとか、そうすることが本当の生き方であったと、解悟したわけでもなんでもないのです。
ですけれども、与八と話をすることが、伊太夫にとっては無上の興味でありました。自分にとって、命令すべき相手はあるが、相談をすべき相手というものは、伊太夫にとっては今日まで無かったのでした。心置きなく話そうとすれば、直ぐにその心置きないところに附け込もうとするもののみです。教えようとすれば、かえっていじけるもののみでした。
全く打解けて
伊太夫はついに、この男を放すまいと決心してしまいました。
永久にこのデカ物を藤原の家に置きたいものだ、だが、当人の志というものは本来そこにあるのではないことをよく知っている。これから西へ向いて行って諸国の霊場巡りをするのだという希望のほどをよく知っている。何という名目と、誘惑で、この男を引きとめようか。伊太夫はこのごろ、こんなことまで苦心するようになりました。
与八の方では、そんな苦心や、好意だか慾望だか知らない伊太夫の心のうちには気がつきません――もうほどなく、この家をお暇乞いしようと心仕度をしています。
そのうちの、ある晩、伊太夫が与八を訪れて、ハッキリとこういうことを発言しました、
「与八さん、変なことを言うようだが、お前と、それから郁太郎さんと二人、わしの家の養子になって、永久にここの家にいてくれまいか」
「え」
与八も、これには多少驚かされましたが、伊太夫は真剣でした。
「お前さんの身の上も、郁太郎さんの生立ちもよくわかりました、そこで、わしはお前に頼みたいのだが、どうです、二人一緒にわしの家の養子になって、この家にとどまってはくれまいか」
「そりゃあ、どうも……」
と、さすがの与八も、即答のできないのは当然です。
伊太夫は、いよいよ真剣でつづけました、
「わしの家には、あととりがない、親類もあるにはあるが……これに譲ろうというのは一人もない。与八さん、お前は、お前としての心願もあることだろうが、どうだろう、お前さんにその心がなければ、この郁坊を、わしに養子としてくれるわけにはいくまいか?」
「そりゃ、どうも……」
与八は、やっぱり目をパチパチしている。
「さあ、それが、おたがいの幸福になるか、不幸になるかわからないけれど、これでも、わしは、この頃中、考えに考えぬいてこのことを言いに来たのだ、わしはお前のほかに頼もしい人を知らない、お前を後見として、この郁太郎さんという子に藤原家をそっくり
五
宇治山田の米友は、尾州清洲の山吹御殿の前の泉水堀の前へ車を
その洗濯というのは余の物ではない、彼は、今、泉水堀の前に引据えた
この熊の来歴たるや事新しく説明するまでもない。とにかく、米友はこの熊を洗ってやることに、会心と、念力とを打込んでいる。
「もっと、おとなしくしてろ、そんなに動くもんじゃねえや」
米友が親切を尽すほどに、子熊がそれを受けていないことは相変らずで、食事から、尻の世話までも米友にさせて、今はこうして気の短い米友に、甘んじて三助の役目をさせながら、
「ちぇッ――
米友は思わずこの世話焼かせ者の、恩知らずの動物に、
事実、米友がこの子熊を愛するのは、熊そのものを愛するのではない、熊によって彼は自分の無二の愛友であったムク犬のことをしのべばこそ、どんな
しかるに、形こそムク犬を
全く同じ
「なあに、こいつだってなんしろまだ子供のことだから、丹精して、うまく仕込んで行きさえすりゃあ、立派なムクのあと
と
かかる親切と信念の下に、米友ほどの豪傑に三助の役を勤めさせながら、それを恩にも威にも着ないこの動物は、
「兄い、もういいかげんでいいやな、そんなにめかしたって誰もかまっちゃくれねえんだ、それよりか、おいらを少しの間でもいいから野放しにしてくんな、あんなに広い原っぱがあるじゃねえか、あれ見な、あの森には
こういうような
けれども、米友は、親としても、師としても、左様な駄々っ児ぶりは許すべき限りでないと、あがく熊を抑えつけては、ごしごしと五体を洗濯してやっています。
六
かくして宇治山田の米友は、熊を洗うことに打ちこんで総てを忘れてはいるが、実はそれと
道庵先生の真骨頂は、平民に同情することと共に、英雄に憧るるところにある。さればにや、日頃は十八文を標榜して、天子呼び
さほどの義心侠血に燃ゆるわが道庵先生が、名古屋よりはいっそう懐古的であり、ある意味に於ては、天才信長の真の発祥地であるところのこの尾州清洲の地に来て、城春だか秋だか知らないが、葉の青黄いろくなっているのを見て、涙おさえ難くなるのも無理はありません。
くどいようだが、
そこで、道庵先生は今し(米友及び熊の子と程遠からぬ地点)清洲の古城址の内外を、やたらむやみに歩いております。歩きながらブツブツとしきりに
見ようによっては、それはまさしく狂人の沙汰です。ついに、土地の甲乙丙丁はいつしか集まり集まって道庵先生の挙動に眼をとめつつ指差し合って、しきりに
「どうもあの旅の人は少し変だ――あんな原っぱの中を独言を言いながら、さいぜんから行きつ戻りつして、時々はっはと言ってみたり、石を叩いたり、木を撫でたり、おめき叫んだりしている――様子が変だ、キ印ではねえか」
物事は、当人が
すなわち先生がブツブツとひとり言を言っているのは、織田信長勃興の地であり、信長が光秀に殺されてから前田玄以法師が三法師を抱いてこれに居り、信雄が秀吉と戦ったのもこの城により、後、秀次の
酒は酒屋に
よい茶は茶屋に
女郎は清洲の須賀口に
そうだ、それから考えてみると、出雲のよい茶は茶屋に
女郎は清洲の須賀口に
須賀口から熱田の方へ行く道に「義元塚」というのがあるから、ついでがあらば
人間五十年、化転 の内を較 ぶれば、夢幻 の如くなり
ひとたび生 をうけ、滅せぬもののあるべきか
世間並みのやり手は、芝居がかりで世間を欺くが、信長ときてはお能がかりだ。ひとたび
人間五十年、化転の内を較ぶれば……
道庵先生はこの時、異様な声を張り上げて、繰返し繰返しこの文句をこの異様なる音律を、繰返し繰返ししているうちに、道庵先生の自己感激が
しかし、それとても、無学文盲なるこの辺の児童走卒にこそ、道庵先生の為すところのすべてが異様にも異常にも感ぜられるのだが、実際はお得意の喜多流(?)によって、謡につれて
この先生が、
しかし、御当人は、買ってくれる人があろうがあるまいが、御当人の自己感激は、こうしていよいよ深み行くばかりで、もはや眼中に清洲の城址も無く、あたり近所の児童走卒も無く、古英雄信長もなく、今川義元もなく、ただ人生五十年の夢幻と、他生化転の宇宙実在とがあるばかり。自己感激はついに悠然として自己陶酔にまで進み入りました。
しかしながら、いつもの型の通りに、この
七
この場面へ、東の方より、つまり先刻道庵先生がファッショイ共を相手に一代の武勇をふるった枇杷島橋の方面からです、一梃の
これは雲助です。
道中をこうして駕籠をかついで走る者に、雲助以外のものがあろうはずはありますまい。
世間では往々、雲助と折助とを混同する者がある。混同しないまでも、ほぼ同様の性質を持っていると見るものがあるが、それは大きなあやまりで、雲助にとっては大きな
「
駕籠をそこにおっぽり出して、向う鉢巻勇ましく、やにわに走りかかって来たのは、意外にも道庵先生の身辺でありました。
右の二人の逞しい、いけ図々しい雲助らは、道庵めがけ近寄ると見れば、無茶にも、惨酷にも、あっと言う猶予も与えず道庵に飛びかかって、さながらパッチ網にかかった
「あ、こいつは、たまらねえ」
そうして道庵がうんがの声を揚げ得た時は、もう、軽々と引きさらわれて、道に置き放した商売道具の四枚肩中へ無理に押込まれたその途端のことで、かくの如く、有無をも言わさず道庵を取って抑えて駕籠の中へ押込んだ雲助は、群がる見物の驚き騒ぐを尻目にかけて、そのまま駕籠を肩にして、
「エッサッサ、エッサッサ」
飛ぶが如くに西の方――つまり木曾川から岐阜、大垣の方面、道庵主従が目指す旅路の方面と同じではありますが――へ、雲助霞助に飛んで行ってしまうのです。
これは実に、誰にも分らない雲助の振舞であり、今日まで、脱線と
それは、つもってみても分らず、
また、道庵先生がもう少し若くて、
だが、世間には、好んでお医者を担ぎたがる悪趣味者がある。
京都のある方面の、仏法僧の
或る
「友様――
八
熊を洗濯することに我を忘れていた米友は、道庵先生の九死一生の絶叫を聞き漏すことではありません。
俄然として
しかし、この際、米友の責任感としては、前後の事情を忘却することを許しません。わが師と頼む道庵先生が、またしてもの九死一生の危急を瞬時も猶予すべきではないが、同時に、この動物をこのままにして置いてはいけないということの、民衆的警戒性が
なぜならば、たとえ子供とはいえ、猛獣の部類である。日本に
先生の危急は危急として、それに赴くためにはまず、この駄々ッ子から処分してかからねばならぬ。賢くも米友は、こうも感づいたのですが、そこは上手の手からも水が漏れるので、米友が道庵の声に驚いて立ち上った瞬間の
「それ見たことか」
幸いにして、まだ子供を引裂いて食っているというわけではなく、子供の方へ向って馳け出しただけのところを、米友が後ろから行って
「ちぇッ――仕様がねえ熊の餓鬼だなあ」
米友は歎息しながら熊を取って抑える。事実、米友なればこそです、子熊とはいえ、
こうして子熊を取って抑えて、むりやりに檻の中に押込む米友、
「ちぇッ――聞きわけのねえ餓鬼だなあ」
全く今の場合は、熊と組打ちなんぞをしている場合ではないのです。師と頼み、主とかしずいて来たその先生が、
ようやくのことで小猛獣を取って抑えて、檻車の中へブチ込んで、さて当の主師の方を見やれば、雲助霞助の砂煙を巻いて行く後ろ影は早や小さい。
「ちぇッ」
米友は舌打ちをして地団駄を踏みました。無論、杖槍はもう
猛烈にはせ出したことははせ出したけれども、さて、自分の足では、これをどうすることもできないという自覚が、米友の心を暗く、胸をむしゃくしゃさせました。
というのは、腕に於ては相当に覚えがあり、胸に於ては
九
それは、
それを見ると、馬鹿でない米友の頭が
そうだ、この場合、おいらの足では、おいらでなくても普通以上の人間の足でも、あの先生の急に赴くことはできないことだ。
これを拝借するに限る――この四足の力を借りるに限る。この時、この際、自分の眼前に駒の蹄が躍り出したのは、渡りに舟というか、迎えに駒というか、ともかくも与えられたる天の助けであらねばならぬ。
それを頭に
少なくとも、こういう際だから、自分としては天の助けに反いてはならぬ。ただ先方として、それを諒とするか、しないか、その辺のことまでは、米友の悪くない頭も働く余裕がなかったというのは、この場合ではまた是非がなかったと言えば言えます。猛然として馬の前へ立ち塞がった米友は、
「この馬を少しの間、貸してくんな、おいらの先生が……の場合なんだから」
もうこの時には、馬子の手綱をふんだくって鞍の前輪へ手をかけて、ひらりと身軽く飛び乗ろうとする瞬間でした。
これが普通の馬子であったならば、この只ならぬ小冠者の気合に呑まれて、茫然として米友の為すままに任せて、天の助けの使命を全うさせたかも知れませんが、不幸にしてこの馬子が、軽井沢の裸松と甲乙を争うようなしれ者であって、また同時に、この辺の草相撲では後れを取ったことのない
「何でえ、何でえ、どうしやがるんでえ、馬泥棒の河童野郎!」
「後生だから――おいらの先生が、今かどわかしにひっかかって、あっちへ――あっちへ担がれて行ったんだ、九死一生の場合だ、だから貸してくんな、ちょっとの間だから、貸してやってくんねえな、頼むよ、おじさん」
米友のこの哀求は、このままで受入れられるべくもありません。
「ふざけやがるない、こん畜生、馬に乗りたけりゃ、
「そんなことを言わねえで」
「この野郎、餓鬼のくせに、馬泥棒をかせぎやがる、いけ太え畜生だ」
「おじさん、場合が場合だから、ね、貸してくんな、決して悪いようにゃしねえから、頼むから、後生だから」
「河童野郎、手前の方は場合が場合か知れねえが、おれの知ったことじゃねえ」
「わからねえおじさんだな、人助けになるんだからいいじゃねえか」
「ふざけるなよ、馬泥棒、手前の方は人助けになるか知れねえが、おいらの馬は助からねえ」
「そんなことを言わねえで、こういう場合なんだから」
「いけねえ……」
米友が再び馬の上に
「あっ! 痛え」
「あたりめえよ、手前、気がふれてやがるな、いきなり横から飛び出しやがって、人の馬に飛びついて、よこせの、貸せの、途方もねえ野郎だ、見せしめのためだ、この河童野郎、どうするか……」
常ならば、たとえ一つでもそう擲らせておく米友ではないが、実際、この時は、もうどうしていいか思案に迷い切っていたが、急に決心したのは、どうなるものか、後で話はわからあ、力ずくでも、この馬を一時借りなけりゃならねえ、そうしなけりゃ恩人の命の危急なんだ。
そこで、度胸を据えた米友が猛然として立ち直りました。
「話はあとでわからあな」
と言って、今までポカリポカリと擲らせていた甚目寺の音公の腕を取ると、物の見事に仏壇返しに地上に投げつけてしまいました。
「あっ!」
と驚いたのは甚目寺の音公でした。たかの知れた
あっ! と目がくらんだけれども、そこは甚目寺の音公も、草相撲の関を取るくらいの男であり、しかも郷党の先輩、加藤の虎や、福島の市松の手前もあり、投げられてそのまま、ぐんにゃりとしてしまうことはできない、直ちに残して起ち上るや、三たび鞍壺にかじりついていた米友の両足をとって、力任せにグングン引張り、ついにやっとすがりついたばかりの米友をまたしても地上に引きずりおろしてしまいました。
それから後は、ここでくんずほぐれつ
人通りが黒山のようにたかり出したのは、申すまでもないことです。
十
この
この音公は、軽井沢に於ける裸松のように、街道筋から毒虫扱いにされているというほどではないのみならず、草相撲で博した
事実この音公は、米友を馬泥棒以外の何者とも解釈のしようがなく、見物の人々も馬泥棒の
ただ、かくて見物しながらも、寄ってたかって米友を袋叩きにしてしまわないことは、米友の働きが俊敏であって、怖るべきものがある上に、その態度にドコやら
そういう事情から、米友の戦いにくいことがいよいよ
こんな形勢が続けば、いよいよ以て米友の立場が悪化するばかりです。米友としては、ほとんど進退に窮する場合にまで立至って、徒らに組んずほぐれつしていましたが、相手はいよいよ
こうなった上は、こっちを本当にやっつけておいてからでないと動きがとれない――
みるみる米友の眼に、すさまじい真剣の気合が満ち、
「やい――わからずや!」
音公をなげつけておいて杖槍を取り上げたものだから、音公が、
「
だが――騎虎の勢いです。米友を米友と知らない馬子は、名人としての米友の真骨頂を満喫しなければ納まらない運命になる。
だが、また米友としても、それは悲しい武勇伝の一つなのです。この時分に、偶然ではなく、もう少し早めにこの場へ到着せねばならぬ人が到着しました。
見れば前髪立ちのみずみずしい美少年――怖るる色なくその場へ分けて入りました。
その少年、岡崎の郊外で、友のために腕立てをした岡崎藩の美少年、梶川与之助というものです。
いや、梶川一人だけではない。
十一
梶川のともには、江戸からお角さんよりぬきの若い者もついている。自然この背後には
当然、通るべくして通り合わせたこの一行のうちの、目から鼻へ抜ける美少年の仲裁は、難なく成立してしまいました。その後始末として、お角さんの駕籠の中に呼びつけられた米友の油汗を流しながらの
米友を相手にあれまで働いた馬子の甚目寺の音公は、米友のお角さんに対する弁明を聞くと、
「そいつはお
音公はこう言って、米友はじめお角さんの一行に向って、委細呑込み顔に説明するところによると――
道庵先生のさらわれたのは、なるほど一大事突発のようではあるけれども、内容はそれほど驚くべきことでも、憂うべき性質のものでもないということです。
街道筋の雲助は、どうかするとこのぶったくりということをやる。つまり道庵先生は、雲助の策略であるところのぶったくりの手にひっかかったのだ。
ぶったくりというのは、人間の無断横領で、常にはやらないが、稀れには行われる雲助の政策の一つであるが、危険のようで、実は危険性の更に無いものであるということを、甚目寺の音公が委細語って聞かせました。
それをなおくわしく言えば、雲助が客を送り迎えのために、かなりの遠距離を、空駕籠を飛ばして行かねばならぬ使命を帯びたとする、空駕籠というやつは実のあるのよりも担ぎにくいことを常例とする、肩ざわりから言っても、足並の整調の上から言っても、駕籠の中には、どうしても人間相当の重味のあるものが充実していなければ、遠路を走るイキが合わないという結果になる。
こういう場合に、雲助は、人を頼んでロハで乗ってもらうか、そうでなければ無警告にこのぶったくりを強行することがある。
つまり、走りながら、空駕籠の
しかしながら雲助といえども、その辺には相当の常識と、社会性とを働かせている、ぶったくりとは言いながら、その人選は無茶に行われるわけではなく、ぶったくるにしても、なるべく迷惑のかかる範囲の狭いと見られるものを選んでぶったくることになっている。
そこで、無論、優良なる階級の旅人や、善良なる土地の住民をぶったくるようなことはなく、大抵は薄馬鹿だの、きちがいだの、酔っぱらいだの、或いは仲間のうちから自選した奴だの――というのを選定して、ぶったくる。
今日の道庵先生こそは、まさしく雲助の選定を
お角は、それを聞いて、
「お話にならないよ」
と横を向きました。全くそれはお話にならないことです――江戸ッ子のチャキチャキ、下谷の長者町の道庵先生ともあろうものが、木曾川くんだりの雲助にぶったくられるなんて、お話にも絵にも描けたものじゃないに相違ないけれども、一方、これが御当人の道庵先生その人になってみると、一時はあの通り、「後生だから助けてくれ!」と絶叫はしてみたけれども、今となっては、別仕立ての早駕籠を命じたつもりで、いい気になって、早くも
お角は米友に向って、
「そういうわけなんだから、ありそうなことだよ、あの先生のことだから、こちらが気を揉むほど、あちらはお感じがない、お前、そうやきもきしないで、わたしと一緒においで、わたしはちょっとこの先の山吹御殿というのへお伺いをして行くから、荷物があるなら後からでいいよ、先生の方は、先生の方で何とかなりまさあね」
お角一行は米友にこう言い含めておいて、いわゆる山吹御殿の方へと急がせて行きました。
すべての人が散じて、取残された宇治山田の米友――
「ガツガツするなよ」
と米友が言いました。
熊がキャッキャッと言って米友を迎えるのは、米友が無事で戻って来てくれたことを、なつかしがるわけではないことを米友はよく知っている。
この事件のために、食物をあてがう暇がなかった、それがための催促であり、不平であることを、米友はよく知っている。
「ガツガツするなよ」
彼はこう言って、用意の袋の中から、柿の実だの、栗だのを取り出して与えると、
むしゃむしゃと食事にありついている熊の子を米友はじっと眺めて、
「ムクはそうじゃなかったんだぜ」
と吐息をつきました。
物心を覚えてから、ムク犬は主人のお君に向っても、米友に向っても、かつて食事の催促をした覚えがない、まして不平がましい挙動を示したこともない。それは長い間には、自分たちも苦労をしたり、ムクにもずいぶん苦労をさせたが、ムクそのものがかえって我々に苦労をかけたことは一度もない。我々に苦労をかけないのみならず、我々が憂うる時は、我々と共に憂えたが、我々が喜ぶべき時に、彼を喜ばせなかったことが幾度あるか知れない。
それだのに、ついぞあの犬が、不平と反抗とを表現したことがあるか。あれほどの豪犬だから、食物だって世間並みでは不足があたりまえだのに、世間並みの栄養を給してやることができなかったばかりか、旅路の間では、二日も三日も食わせずに置いたようなこともないではなかったのだ。
その時、いつ、あいつがひもじい顔をして見せたことがあるか。食物の催促をして見せたことがあるか。今、この子熊がしたように、ガツガツして居催促を試みたことがあるか。
十二
宇治山田の米友は、こうして熊の檻車の前に腰打ちかけて、頬杖を突いて何か深く考え込んでしまいました。
今は、ちょっと立ち上る気にもなれず、立ち上ったところで、どこへどう車を引張り出していいのか、見当がつかず、深い沈黙のうちに若干の時が経ちました。
「君!」
後ろから肩を叩いた者がある。
「ああ」
「何を考え込んでいるのだ」
「何も考えていやあしねえ」
「ともかく、君、あの山吹屋敷まで来ちゃどうだね、君の尋ねるお医者さんのことは心配するがものはないそうだ」
「うん」
「生命には別条なく、これから西へ向って何駅かの間に、極めて無事に、あの先生を発見する見込みがあるそうだから――それはそれでよいとして、君には、あの先生よりも、この荷物が荷になるだろう」
「ううん」
ううんというのは、否定の意味だか、肯定の意味だかよく分らないが、そう言われてみると、この荷物が荷にならないではない、本来ならば、安否がどうあろうとも、あのことの解決のついたと同時に、道庵先生のあとを慕うて一文字に追いかけなければならぬはずのものが、ぼんやりこうして考え込んでしまっているのは、米友は米友としての深い感慨におちて、その言い知れぬ感慨が米友の頭を重くし、足を鈍くしたものには相違ないが、一方から言えば、このお荷物あればこそである。これさえなければ、ここにこうしてぼんやりと腰をかけている米友ではない。
「聞いてみれば、君がこの熊を手放せないのも
「うん……」
米友は、そこで、少し考えました。事実、この熊を手放そうとまでは思っていなかったのだが、実際、足手纏いといえば足手纏いに相違ないのである。熊も大事だが、人は更に大事である。この熊があるがために、主と頼む先生に対しても忠義を励むことができず、自分の身体をさえ拘束されるようなことになってはたまらないことの理義を、米友がわきまえないほどに没常識ではない。
といって、あれまで苦しんで、人様にもお頼み申して手に入れたこの小動物に対して、単に厄介払いという意味で、見捨てたり、置き捨てたりすることは、人情が許さない。いや、米友特有の道義が許さない。
さきほどから頭の重かった一部分には、たしかに、その処分法についての悩みも手伝っていたのです。そこで、美少年からこういって水を向けられてみると、ついムラムラと、
「いい預り手がありさえすりゃなあ」
と、歎息のように答えてしまいました。そうすると、岡崎藩の美少年は呑込み顔に、
「そりゃ、あるとも」
「ある!」
米友はいささか頭を上げて眼を円くして、
「あるったって、
「そんな者じゃない」
「だって、お前、馬なら荷物を運ばせたりなんぞして、駄賃をとって、暮しのたそくにするということもあるが、熊はお前、稼ぎをしねえから、飼ったところで食いつぶしだけのもんだぜ。だからお前、やにっこい
「そりゃ、そうだ」
「それからお前、子供だといったからって、熊は熊だぜ、犬や猫たあ違うんだからな、厳重な檻を
「君の言う、そのすべての条件に叶った飼主――預り主があるのだ、わしに任せてくれないか、で、また必要の時は、いつでも君に返してあげるようにする」
「そう
米友が、まだ半信半疑でいるところへ、岡崎藩の美少年は、次のように事実を証明して、米友の信用に訴えました。
それは、この清洲の城、あの背後に俗に山吹御殿という一廓があって、かなり広大な家屋敷を持っているが――こんどそこの当主が肥後の熊本へ旅立ちをする。都合によっては長くかの地で暮すようになるかも知れない。そこで相当の留守居をつけてこの屋敷を引払うことになった。その留守番に、否応いわさず、自分が引受けさせて、熊の養育を托して置いてやる。あそこならば邸内は広いし、熊一匹養いきれないほどの身上ではなし、留守居の人間も親切であり、動物好きだから、むしろ喜んで面倒を見るにきまっている。
それを聞くと、米友が深く
やがて米友が熊の檻の大八車を引き出すと、岡崎藩の美少年が、そのあと押しをして、えんやらやあと山吹御殿に引き込んで行くのを認めます。
十三
それからまたやや暫くの後、この屋敷から現われた二人の者の一人は、空身になった米友に相違ないが、もう一人の方は、これも確かに岡崎藩の美少年には相違ないが、これだけは
米友は依然として米友、車を曳かないだけの米友ですが、美少年は
こうして二人は街道を西へ向って急いで行きます。
木曾路の脱線から、怠りがちであった里程表を、この辺から、名古屋を起点にはじめてみますと、
名古屋より清洲へ一里半
そうして清洲から次の丁場を一里半、稲葉へ曲ろうとする六角堂まで、変装した美少年が先に立って急いでやって来ましたが、六角堂へ来ると堂の前で立ち止まりました。これより先、そこに待合わせていたらしい一行がある。
この一行はかなり物々しい乗物二梃に、数名の従者と、それが槍一筋を押立てていることによって、庶民階級の旅人でないことがよくわかります。
ここへ追いついて、ホッと息をついた岡崎藩の美少年の物ごしを見て、米友は、ははあ、この少年はこの一行に合するために、わざわざ変装して来たのだということが充分に呑込めました。
待合わせていた一行もまた、美少年の来り合したことを
美少年は、
「いや、お待遠さまでございました」
その時、前の乗物の戸が細目に開いて、それに挨拶の合図のように見えたばっかりで、何とも言葉はありませんでしたが、その乗物の戸を細目に開いた瞬間に、米友は、その白い
前なる乗物の主がわざわざ駕籠の戸をあけての挨拶にかかわらず、美少年はそれをちょいと振返ったばかりで、すっと自分が先頭をきってしまい、一行のすべてがそれに従って進みました。
この場合、米友としては、先頭をきってさいぜんの美少年と歩調を共にしたものか、それとも
こうして、このかなり物々しい一行は六角堂を乗出して、真直ぐに北へ行けば一宮から岐阜へ出る街道を、左に取って、
計らず
米友は今、名も知れぬ一行の殿を承って、茫然として進み行くばかりです。
これに従って行けば道庵先生の跡が確かまるというわけでもなく、お角さんその人はどの道をとったのかさえ明らかでないが、ともかく、あの美少年はなかなか目から鼻へ抜けている上に、お角さんとも充分に諒解のある間柄だということを信じているから、それに従って行きさえすれば悪いようにはなるまいという心だのみのみで、無心に足を運ばせて行くだけのものです。
やがて清洲から一里半の丁場、稲葉の宿を素通りして、同じような広い左右の田圃道を行くことまた一里半。
萩原――の宿で中食
萩原より起 まで一里
起より墨俣 まで二里――
墨俣より二里四町にして、ついに大垣の城下へ着いてしまいました。萩原より
起より
これを、かりに清洲からの発足としても約八里の道、女連れの旅としてはかなり急いだものと見なければならない。
ともかくも一行は、こうして無事に大垣の城下に着き、木村という本陣に宿を据えました。
米友も御多分によって、宿屋の中へまぎれ込み、一番最後に目立たないところで足をとめていると、
「友さん――」
「あっ!」
顧みて見ると、そこに立っているのはお角さんでした。
「友さん、お前、御苦労さまだがね……」
お角さんは存外他念なく、米友に対して物やさしい物の言いぶりでありました。
「御苦労さまだけれど、その足で、ちょっと頼まれてくれないかね」
「何だい」
その足で頼まれてくれというのは、今し取りかけた
「お前、今晩ここで泊らないで、関ヶ原まで行ってくれないか」
「えっ」
米友としても身心ともに相当に疲れている――ここへ着いたのをホッと一安心と心得ていないでもないところを、その足で……と来た。
「うん」
これもまたいやとは言えないようになっていたが、いったい、その関ヶ原とはどこだ。
十四
お角さんは、最早ここに先着していたので、その先着は米友の一行に先立つこと、ほんのしばしの間――万事はかの岡崎藩の美少年としめし合わせてしたことという筋道は、米友にもよくわかります。当然、米友もあの一行に伴われてここへ落着くのだということも、お角さんは先刻心得て待っていたに相違ない。そうして、米友の到着を待ってこのことを言おうと構えていたこともたしかです。
せっかく
そこで、いやとも言わず、応とも言わず、お角さんの頼みをなお念入りに聞こうとして草鞋を解く手を休めていると、お角さんは、いつもよりは角を立てないで、お気の毒だがねえと言って、米友に頼み込むわけというのはこうなのです。
実はお連れ申して来た、お前の知ってのあのお銀様が……また横紙破りをはじめて、わたしはどうしてもこの宿へ泊らない、これから先の関ヶ原というところまで行って、そこで今晩は泊るから――と言って、どうしても
言い出したら引く人ではないが、そうかといって、わたしはここで皆さんをお待受けしている約束があるから、そんならと言って、お嬢様の
友さん、お前は、それ、あのお嬢様にはお気に入りなんだろう。そこでお前がお嬢さんについていてくれりゃあ、わたしは本当に気が休まるよ。
御苦労だが、これからその足で関ヶ原まで行っておくれでないか――
こう頼まれてみると米友は、いよいよいやとは言えないのです。
御苦労だが……とか、お気の毒だが……とか、お角さんから米友に対しても、あまり使い慣れない辞令が連発される上に、頼まれるそのことも決して悪いことじゃない、仮りにも人の身の上の保護を托されるということになれば、米友としても男子の面目でなければならない。それに今、お角さんから言われてみると、あの難物のお嬢様という人に、自分はお気に入られているんだそうだ、なにもおいらはあのお嬢様にお気に入られようとも、入られまいとも企てた覚えはないが、そう言われてみると、親方のお角さんほどの
あのお嬢様なんてのは、つき合ってみりゃ、ちっとも怖くもなんともねえ、話しようによってはずいぶんおいらと意気が合わねえでもなかったなあ、なるほど――言われてみると、おいらはあの難物のお気に入りなのかも知れねえぞ。
お嬢様に気に入られるくらいなら、こっちもひとつお嬢様というのを気に入れてやろうじゃねえか――お角親方に向っちゃ、おいらはどういうわけだか、気が引けて頭があがらねえが、そのお角親方が恐れ入っているお嬢様というのには、てんで友達扱いでいられらあな――お安い御用だよと米友が思いました。
「じゃ、頼まれてあげよう。そうして、その関ヶ原というのは、これからどっちの方へ、何里ぐらいあるんだね」
「この街道筋を西へ向って行けば、二つ目の丁場がそれだとさ、この次が
今、草鞋を取ろうとする時に、これから四里も歩かせられるとしたら、米友といえどもうんざりしないわけにはゆくまいが、馬をおごってくれるという親方の好意で、帳消しにならないということはない。だが、米友の気性として、
「なあに、四里ぐれえの道は馬でなくたっていいよ」
と頑張ってみました。事実、米友は従来の旅で、ここと思って突っ放され、夜道も野宿も覚えがあるのだから、その気になれば四里ぐらいの追加はなんでもないし、また馬に乗せてもらうなんぞは、自分の分として
「なあに、そんなにみえを張らなくてもいいよ、そら、馬が頼んであるんだからね、あれがそうなんだよ――いいからお乗り。あのう、姉さん、お弁当が出来たら急いでこの人に渡して下さい」
お角さんは、門の中へ引き込んで来る一頭の駄賃馬の合図と、後ろの方、台所の方面へ向って女中へ弁当の催促を一度にしました。
女中は竹の皮包の握飯に、梅干かなにかを添えて持って来たものです。
さすがに万端抜かりがない、だしぬけに人を頼むには頼むようにする、こういうところだけは親方は感心なものだ。
米友は、お弁当を貰って腰につけ、そうして勧められるままに駄賃馬に乗せられてしまいました。お
十五
こうして米友は、美濃、尾張から伊勢路へつづく平野の中を、南宮山をまともに見、養老、
今し、この夕方、垂井の宿いっぱいにひろがる流言蜚語そのものは、
「明日になると、武田耕雲斎が押しかけて来て、この宿を占領する」
ということでありました。
中仙道と尾張路との岐れ路で、
だが、こういった程度の流言は、歴史と言わないまでも、近代的の常識さえあれば、忽ちに雲散霧消すべきはずのものですけれど、そうもいかないところに、やはり時代の不安があるのです。
武田耕雲斎が来る!
なるほど、水戸の武田耕雲斎が、手兵を
信濃路から侵入して来た耕雲斎の手兵が、大垣の兵に
垂井の宿の入口でその流言を聞いたのが、宿の中程へ来ると、
「
ということになっている。
そうして、二つの結合点が、東から武田耕雲斎が
これもまた、常識を加えるまでもなく、おかしいことです。西から毛利がやって来て、武田耕雲斎を相手に天下取りを、名代の関ヶ原で行うということは、少し釣合いがとれない。
今の毛利は、一族を以て日本全国を相手として戦い得るほどの力を備えているに拘らず、それが単なる武田耕雲斎を向うに廻さねばならぬというのは滑稽なことです。
果して、進むにつれて風聞がまた拡大してきました。
東から来るのは武田耕雲斎だけじゃない、水戸の中納言が、武田耕雲斎を先陣として乗込んで来るのだ。いや、引連れて来るのは武田耕雲斎だけではない、武州、相州、野州、房州、総州の諸大名が、みな残らず水戸様に率いられて来る!
それからまた一方、西の方から来るのは単に長州の毛利だけではない、備州[#「備州」は底本では「尾州」]も来る、雲州も来る、因州も、芸州広島も来る。薩州の鹿児島までが、後詰として乗込んで来る。それが関ヶ原で再度の天下を争うのだ!
そういうふうにまで変化してくると、いささか釣合いは取れてきたわけだが、それにしても、一方の毛利はよいとしても、東軍の総大将が水戸様はおかしいじゃないか。
尾州とか、紀州とかいうことならば、長州征伐のむし返しが関ヶ原で行われるという理窟にはなるが、水戸徳川は、むしろ長州はじめ勤王党のお師匠格である。
しかしながら
こういう空気の中を米友が垂井の宿を抜けきる時分に、宿を覆うた不安の雲が、
それは、この街道筋の東西の雲助という雲助が、明日という日に関ヶ原で総寄合を行うということの
雲助には国持大名が多い――彼等は長州と呼び、武州と呼び、因州と呼び、野州、相州と呼ぶことを誰人の前でも
つまり、明日の
そういう空気のうちに、米友は関ヶ原の駅へ乗込もうとして、その間の
そこにかなりの混乱を見ました。
とある
女中たちが総出で給仕をしてやっているが、その奥の屋台に控えて、
「さあ、みんな、遠慮せずに食いな、うんと食いな、ここは桃配りといってな、家康公が桃を配ったところだ。ナニ、桃じゃ
大盤振舞の
それを見て馬上の米友が、あっ! と仰天しました。
この大盤振舞の施主は、ほかならぬ道庵先生でありましたからです。
それとも知らぬ道庵先生は、
「さあ、遠慮をせずと、いくらでもお代りを言ってくんな、今日はお蕎麦でたんのうしてもらうんだが、明日という日は白いおまんまを炊き出して、兵糧をうんと食わせるから、すっかり馬力をかけて石田三成をやっつけてくんな、毛利も、浮田も、何のそのだ、さあ、お代り、お代り」
道庵が声をからしてどなっている。メダカが餌にありついたように、無数の雲助は寄りたかって、ハゲ
十六
道庵の昂奮した頭で説明された雲助礼讃は、言葉そのままで写すと支離滅裂になるおそれもある。よってこれを散文詩の形式で現わしてみると、こうもあろうかと思われる――
わが親愛なる雲助諸君こそ、現代に於ける最も偉大なる自然児の一人である。
しかるに世間には往々、この愛すべき自然児たる雲ちゃんをつかまえて、道中筋の悪漢の代表でもあるかの如く
わが雲助こそは、天真流露の自然児であるのに、かの折助は、下卑た、下等な、安直な、そのくせ小細工を
雲助諸君こそは、天地の
由来、道庵と折助とは
折助は暗いところで
まあちゃんと戯れ
夜鷹 を買い
緡 を折り
鼻を落し
小またを掬 い
狎 れ合い
時としては
デモ倉となり
時としては
プロ亀となり
まった、風の吹廻しでは
ファッショイとなり
国侍となり
景気のいい方へ
出たとこ勝負で渡りをつけ
お手先となり、お提灯持 となり
悪刷 を売り
世を毒し、人を毒する
要するに下卑た、下等な
安直な人間の屑は折助だ
道庵の見るところでは、折助はかくの如く下等なものだが、わが親愛なる雲ちゃんに至っては、決してそんなものじゃない。まあちゃんと戯れ
鼻を落し
小またを
時としては
デモ倉となり
時としては
プロ亀となり
まった、風の吹廻しでは
ファッショイとなり
国侍となり
景気のいい方へ
出たとこ勝負で渡りをつけ
お手先となり、お
世を毒し、人を毒する
要するに下卑た、下等な
安直な人間の屑は折助だ
銅脈もかつて、雲助の出所の
雲助是何者、更非雲助児、尋昔元歴々……
と言っている通り、このおよそ、当代の下劣なる流行と、野卑と煽動と
調べてごらんなさい、道中筋の悪漢の代表でもあるかのように見られているわが雲助が、今までに何を悪いことをしている。彼等は天真な自然児であると共に、善良なる労働者である。彼等あるが故に、箱根八里も馬で越せる。越すに越されぬ大井川も鼻唄で越せる。
彼等は、落ちたりといえども一国一城の主をもって自ら任じ、決して親のつけた名前なんぞを呼ぶものはない。
試みに、天下の街道から、この愛すべき雲ちゃんを取去ってみると――
交通はぱったりと止り、景気はすっかり沈んで、五十三次の並木の松には不景気が首つりをする。雲助があって天下の往還があり、天下の往還があって雲ちゃんがある。
おおよそこういったようなもので、道庵先生の雲助に対する礼讃ぶりは最大級のものに達しているのは、一つには、これは折助の卑劣なるものに対する日頃の反感が手つだっているとはいえ、また今日のぶったくりなんという振舞が、すっかり道庵の気に入ってしまったものと思われる。当時泣く子も黙るところの長者町の大先輩ともあるべきものを、一言の挨拶もなく、いきなりふんづかまえて、手前物の駕籠の中へ押込み、約十里というがもの宙を飛んで、ところも嬉しい関ヶ原の野上へ持って来て、さあ、どうでもなりゃあがれとおっぽり出した度胸なんぞは、まことに及び
一も二もなく雲助のきっぷに惚れ込んだ道庵が、ここで彼等の
すなわち、自分が雲助の大将として、大御所の地位に坐り、一方、石田、小西に見立てた西軍を編成して、あちらに置き、そうして明日はひとつ天下分け目の人騒がせをやるのだということを、道庵がしきりに口走っている。
ははあ、垂井からこっちへの
東は水戸様が出馬し、西は長州侯が出陣し、東西の国持大名が
米友は、道庵の雲助礼讃が終るのを待ち、清洲以来の自分の行動を物語って道庵の諒解を求めた上に、親方のお角から頼まれて、これから関ヶ原まで行かねばならないことの承諾を求めたけれども、雲助にのぼせきっている道庵の耳には入らない。
「ああ、いいとも、いいとも」
「ああ、いいとも、いいとも」
道庵は一切無条件で、米友の申し出を受入れてしまうものだから、米友としては手のつけようがなく、そうかといってこうまでのぼせ切っている道庵を、この多数の雲助の手から取り上げて、常道に引戻すことは不可能のことだ。
それともう一つ、今晩このところから道庵先生をテコでも動かせないことにしたところの理由が、まだ存在する。というのは、この野上の地点というものが関ヶ原合戦の時、まさしく大御所家康が本陣を置いたところなのです。桃配りという名は、家康が桃を配ったからだというのは道庵一流のヨタだが、この地点に徳川家康が百練千磨の
そこで、道庵先生、雲助に共鳴してはしゃぎ切っている一方、自分はいつしか大御所気分になって、のぼせきってしまって、ここに今晩の本陣を押据えて、明日は西軍を微塵に踏みつぶして、小関のあとで首実検をするという威勢に満ち満ち切っているのですから、米友が何を言うかなんぞは全く耳に入ろうはずもありません。
しかし、米友としては、この先生の気象は呑込んでいることだし、相手に心酔し、共鳴してやる仕事だから、危険性のないという見極めがついているから、道庵の為すがままに任せるよりほかはないと思いました。
「じゃ先生、おいらは先に関ヶ原へ行ってるよ」
かくて、てんやわんやの野上駅の騒ぎをあとにして、米友一人はまた馬に
十七
大垣より垂井へ一里十一町
垂井より関ヶ原へ一里半(その間に野上)
お角から指定された宿の恵比須屋へ米友が到着しました。垂井より関ヶ原へ一里半(その間に野上)
恵比須屋の上壇の座敷を二間も占領して、頑張っているのはお銀様でありました。お銀様はあの事あって以来、ことにお角との同行を好まないらしい。あの事というのは、お角がぜひなく岡崎藩の美少年と相駕籠で、自分の先をきったということでありましょう。それに、今日は、あの美少年としめし合わせて、どうやら、別にまた一行の他人と旅を共にする約束が出来たらしい。
相手の何者かはわからないが、ただでさえ毛嫌いをはじめたお銀様が、それをうべなうべきはずはない。お銀様は一行の頭をおさえて自由気儘な行動をとる。それだから無論、六角堂で待合わせて、大垣で落合うというようなことは知らない。
ただ、今晩はどうしても大垣でお泊りなさるようにと、お座敷まで取ってあるのを聞き流してお銀様は関ヶ原まで打たせてしまいました。お角、及び新たに加わった一行の空気と相触れることはお銀様としては絶対に許せない。お銀様としては、このまま全く自分勝手の自由行動をとって、行くところへ行ってしまいたいのだが、それは、旅慣れないお銀様の気持が許さないのではなく、保護者として、預り主としてのお角さんの立場が許さない。そこで、眼にも余り、手にも負えない
今夕も、関ヶ原まで
庄公は宿の一間、いつもお銀様へ眼の届くところに部屋をとって、監視の任に当っていたが、旅の疲れで眠りこけてしまいました。
夜更け、人静まった時分、お銀様は
お銀様は、まだ知らない行先の土地のことをよく知っている――これが、この行中もお角さんの最も驚異するところの一つでありました。
自分はかなり世間を歩いているのに、世間を知らないことが多い、はじめて旅に出たお銀様が一から十まで、まだ踏まないさきの土地のことを知っている。このことの驚異が、お角さんとして、お銀様というものを、いよいよ底気味の悪いものにしている。人は自分の持たぬものを見るのに過大な影を置くもので、まのあたり眼でみ、耳で聞くことのほかに知識の鍵をもっていないお角さんが、一室に閉籠って
それにしても、お銀様の知識というものは、単に普通の人のする読書や見聞から来る知識以上に豊富なものがあり、また同時に読書の知識と、旅の実際とを考証してみることに、少なからぬ興味を持っていたものですから、到るところの名所古蹟に対する予備知識に加うるに、その土地土地に於ての参考資料をおろそかにはしなかったのです。
名古屋にいる時にもうすでに、関ヶ原に関する史料を相当にととのえて持っていました。いま関ヶ原軍記を繙いているのは、明日は指呼歴々の
だが、お銀様の関ヶ原に興味を持つのは一日の故ではない――お銀様は関ヶ原合戦の歴史に於て、どうしたものか、西軍に同情を持っている。石田、小西に勝たせたいという
およそ関ヶ原軍記のうちに、お銀様をして、この人こそと、無上の共鳴と、同情と、贔屓を与えている人がたった一人あるのです。常の時でさえ、お銀様はその人のことを想い出でると、涙を流して泣くだけの同情と、贔屓とを持っている。それは誰人ぞ、
まして、この時、この場へ来て、夜更けて人静まった時分です。
十八
お銀様は、今ここで次のような大芝居を見ている。
宏大なる一室に紙帳を釣らせて、その中に敷皮を敷いて、白絹の陣羽織に
紙帳がよく透き通っているから、芝居の土間の二三あたりで見るよりも、はっきりとお銀様は、刑部少輔の
かく身体はいかめしく
誰人も、この名将の面影に、その無惨なる天刑(?)の存することをまともに見るには忍びないはずであります。
「石田治部少輔の家来、柏原彦右衛門にござりまする」
使者の者がこう言って頭を下げる。刑部少輔吉隆は
「うむ、彦右か、大儀であった、さいぜん治部殿から御手紙であったが、重ねて、そなたを使者としてつかわされた次第は?」
「主人よりの申附けにより、刑部少輔殿を、
「それは心得ぬ、我等このたびの出陣は、内府公の加勢をして会津発向のほかに用向はこれ無きはず、治部少輔がこの際、我等を途中より招かるるは、さだめて何ぞ別段の思惑もあることであろう、そちは使者を命ぜられたほどの者である故に、その仔細を存じておらるるはず、申し聞かせられい」
「主人事、私共へはなんらの申し聞けはござりませぬが、内府公の御手前の儀は、我等主人に於て何分にもおとりなし
刑部少輔吉隆は、それを聞いて、暫く打吟じて思案に
「よろしい、
と言い切って、
石田治部少輔三成のために――単なる一友人であるところの石田のために、せっかく越前の敦賀から踏み出して来て、江戸の家康の手にはせ加わって、会津の上杉征伐に向うつもりとばかり期待して軍勢を引連れて出て来た身が、ここでガラリと向きをかえて、江州なる佐和山の城――つまり石田の居城への招請を甘んじて引受けたこの名将の心理が、少しもその顔面の表情に現われてこないことを、お銀様だけが痛快に感じ、その崩れかかった顔面の中に大谷吉隆を見ないで、かえって自分の面体を見て、お銀様の心がよろこび躍りました。
舞台がそこで暗転の形となる。
十九
ここはいわゆる佐和山の城の大広間であろう。大谷刑部は以前と同じ姿形で一方の敷皮の上に
それと相対して、
かくて、両者の対話と問答がはじまる。
「実はこのたびの会津反乱というは仮りのこと、実は我等、多年思い立ち候事なり」
多年の企画がここに火蓋を切って、いよいよ徳川家康を向うに廻して天下分け目の大謀がその緒についたことを、三成が
それをいちいち聞いていた大谷刑部は、例の崩れかかった面を燈火に向けて言った、
「これは以ての外の不了見でござる」
「以ての外の不了見とは?」
心さわぐ三成を、吉隆は制して言った、
「貴殿という人は、江戸の内府を並大抵の人と見ておらるるのか。この点は我等よりはいっそう認識のことでござろうに、今更あの人を向うに廻そうなどとは、途方もない無謀である、拙者には貴殿の胸中がわからない」
「家康とても鬼神ではござるまい」
「なかなか以て。
三成はそれに答えて言った、
「それはそうでもあろう、貴殿の
三成は存外、失望することなく、右の如く吉隆に応答した。
それを聞き深めていた吉隆は、沈痛な返事をもってこれに答えた、
「意見の相違、是非に及ばぬことだ、
「全く以て、是非に及ばぬこと」
ここで舞台が暗くなると共に、幕が落ちた。
お銀様は関ヶ原軍記を前にして、自分が見ようとする芝居の筋書を、こんなふうに胸に描いているのでありました。
二十
やがて幕が下りたのではなく、やはり暗転の形で次の舞台が現われたのであります。
それは前の大谷刑部少輔吉隆が手勢を引きつれて出て来たには相違ないが、この時の装いは全く違っている。
かくて大谷の一行が街道の並木の中を上に向って行くと、ハタと行会ったところの一隊の軍勢がありました。
五七の桐の紋の旗じるし。
さんざめかした、きらびやかな一軍の中の総大将と見ゆる錦の鎧直垂――まだ年少血気の一武将であった。
「金吾中納言殿」
大谷刑部少輔の左右の者が言った。大谷はうなずいた――やがてこの両隊は行きあいばったりとなる。大谷吉隆はそれを知らざるものの如く眼をつぶって行き過ぎてしまった。
これは実に違礼であった。秀秋は高台院の
そうしてやり過した並木道。
刑部少輔の手の者が山蔭に形を没してしまった後、金吾中納言は、
「あれは大谷刑部少輔ではないか」
「御意にござりまする」
「無礼千万な奴、会津征伐に加わるために東下すると聞いたが、どこへ行くのだ」
「不審に候」
家老の松野主馬が答えると、他の一人の家老の稲葉正成が言う、
「大谷刑部も存外、目先の見えぬ愚将じゃわい」
「愚将とは?」
「あれは志を翻して、石田三成を助けに行くのでござる」
「治部少輔へ加勢にか……」
「
一軍の間に嘲笑が起ろうとする時に、家老の松野主馬がそれを
「大谷ほどの者がなんで成敗の道を知らぬはずがござろう、あれは石田を助けに行くのではない、三成に首を与えに行くのだ」
「首を与えに」
「あの汚ない首を……」
一軍の間に嘲笑の色が動くのを、松野主馬がまた抑えた。
「事の成るを知りつつ事を共にするは尋常のこと、わが不利を見て相手に節を売るは売女の振舞――成敗を眼中に置かず、意気を方寸に包んで、甘んじて弱きに味方する英雄の心情、それは英雄のみが知るものに相違ない、偉なる哉、刑部少輔――」
嘲笑の色が、この悲壮なる讃美の声で圧倒されてしまった。
小早川金吾中納言秀秋の血気の上に、
家老松野主馬は、それに附け加えて、全軍に諷するところあるが如く、主人に
「彼は、上杉征伐に従うべく、居城越前の敦賀を出て、この美濃の国の垂井の宿まで来た時分に、石田三成から使者を受けたのだ。年来のよしみで、石田に加勢を頼まれたのだ。彼はこれを意外とした。彼ほどの聡明な武人が、敵を知り、我を知らぬという法はござらぬ、今の世、徳川内府を向うに廻して歯の立つ者のござらぬという道理を噛んで含めるように三成に説いて聞かせたものだ。三成も、大谷が説くくらいのことは知っている。知ってはいるが、今、思い上っている――意見の相違。ついに物別れになって、かれ大谷は垂井の陣へ引返したのだが――彼は成敗の理数を知ると共に、朋友の義を知っていた、そうして垂井へ帰った後に、三たび使者をやって三成に反省を促したものだ。その効無きを知って、ついに一身を
松野主馬はそれから、主人金吾中納言の馬前に膝を突いて、言葉を
「あれをごらんあそばしませ、ただいま軍勢に向って申しました通り、あれは大谷刑部少輔が、石田のために命を与えに行く道すがらでござりまする。まことにもののふの
松野主馬はこう言って、主人の馬前から向き直って、ただいま大谷吉隆が過ぎて行った馬印の後ろかげを合掌して伏し拝んでいる。一軍粛として声がない。夕陽が松原のあなたに沈む。お銀様も、もらい泣きというにはあまりに溢れる涙を
その時、関のかなたで鶏が啼くような声がしたが、まだ夜明けではあるまい。
ああ、いい芝居、わたしはこの芝居を見たいために関ヶ原へ来た。
三成も悪い男ではないが……
吉隆はいい男ですねえ。
わたしは、日本の武士で、まだ大谷吉隆のようないい男を知らない。
今は、その人の討死した関ヶ原の駅頭に来ているのだ。あのいい男の首塚が、ついこの辺になければならぬ。
わたしは、何をおいても、あの人の墓をとむらってあげなければならぬ――明日、明朝――いいえ、今夜これから――ちょうど、月もあるし……
大谷吉隆の首塚を、わたしは、これから、とむらってあげなければならない。
二十一
あの晩、道場へ逃げ込んだために虎口を
しかしお雪ちゃんも、それが兵馬であると知って救いを求めたのではなく、兵馬もまたお雪ちゃんと知って、その急を救ったのではありません。
わかってみれば、それは上野原以来の
兵馬とお雪ちゃんとの名乗り合いがあり、その後のおたがいの変化のある身の上話があり、結局は再び相応院へ送られては来たが、その
そのうちにお雪ちゃんは、いろいろの方面から、それとなく聞き込んだところによると、どうも、あの代官を殺し、妾を奪うたという大悪人が、自分と生活を共にしていた竜之助ではないか、あの人に相違ない――というような心に打たれて、身も世もあらぬほどに驚き、同時に、竜之助はもはやここへは決して帰って来ないということを信ずるに至りました。
竜之助はいない――ということをお雪ちゃんが見極めてしまって、兵馬を迎えるような順序に知らず
二人がこうしているのも、偶然、旅路の一つ宿へ泊り合わせたようなものだから、決して長い間ではないということを二人は心得ながら、
代官殺しと、お蘭誘拐の一切の検分をして、自分相応の観察があるらしく、兵馬は朝早く出て行って、帰りは不定であります。
飛騨、信濃の高山が鳴り出したのは、その前後のことであります。
今日も兵馬は、何か心当りあって早朝に出て行きました。あとに残ったお雪ちゃんは、イヤなおばさんの着物を縫い直すために針を運びながら、「死」ということを考えさせられておりました。
ああ、わたしたちの行く道は、「死」というものよりほかは何物もないのではないかと。
お母さんも死んだ、姉さんも死んだ、誰も彼もが死んで行く、あたりまえに死ねない人は殺されてしまう。
どちらにしても、人間には死というものが待っている。若い身空のお雪ちゃん、無邪気な生の希望に満ちみちていたお雪ちゃんが、今日は死ということの予想に、かえって幾分の慰めを感じているのです。
この世の中は、そんなに長く生きているところではない、人を離れてよく生きようとか、山へ
お雪ちゃんは、それを空想ではなく、現実眼の前に眺めました。
ほんとにそうでした。よく生きようの、好きに暮そうのと思えばこそ、一層の重荷が負わされるのでした。死んでしまいさえすればこんな重い悩みが、すっかり取れてしまう――自分の苦も、死ぬことによって一切解放されるから、人もみな同じこと、よく
お雪ちゃんは、このことを厳粛に考えながら針を運んでおりましたが、やがて自分の針を進めている縫物の品が、例のイヤなおばさんの
「おばさん――あなたはまだ本当に死にきれていないのではないのですか」
と、着物に向って呼びかけずにはおられませんでした。
それと同時に、お雪ちゃんは、この着物がどうしてこうまで自分の手を離れないでいるのかと、それとこれとをじっと見くらべておりました。
二十二
そうして、もう日も入りかけて、兵馬も帰って来なければならない時刻になっても、お雪ちゃんは頭をあげませんでした。その時、不意に縁側に人影があって、
「お雪ちゃん」
「まあ、弁信さん!」
縫物も、針も、物差も、香箱もけし飛んでしまいました。
「お雪ちゃん、わたくしは、そうしてはおられないのです、これからまた直ぐに出かけなければなりません」
してみると、この僧はお雪ちゃんばかりを当てにして……来たのではないらしい。
「え!」
「どうぞ、おかまい下さいますな、そうしてはおられません」
「どうしたのですか、弁信さん、そうしてはおられないとおっしゃるのは」
「この足で、また出かけなければなりません」
「どこへですか」
「どうも、なんとなく、わたくしの気がせわしいのです」
「だって、弁信さん、わたしじゃありませんか……あなたの落着きなさるところと、わたしの待っているところとが、ここのほかにあるのですか」
「あります」
「おや――では、弁信さん、あなたはわたしを訪ねておいでになったのではないのですか」
「もちろん、あなたに引かされて、ここまで参りましたけれども、このままでは気がせいて、落着く気になれませんのです」
「まあ……」
お雪ちゃんは全く
「では、お雪ちゃん、わたくしはこれで失礼して、これから急いで、ともかくも行って見て参ります」
「どこへですか、弁信さん」
「どこへというのは、お雪ちゃん、わたくしの方であなたにお尋ねすべきところで、わたくしの方から答えるのは、逆問答になるのでございます」
「弁信さん、あなたの言うことがわかりません、以前の弁信さんなら、わかり過ぎるほどにわかっているくせに、ほんとうにあなたは僅かの間に別の人になっておしまいのようでございますね」
「いいえ、別の人になったわけではございません、お雪ちゃんが昔のお雪ちゃんなら、弁信もまた昔の弁信でございます、もしまたお雪ちゃんが、昔のお雪ちゃんでないならば、自然、この弁信も昔の弁信ではないことになります、変ったとすれば、それはどちらでございましょう」
「わたしは変りません」
お雪ちゃんは意気込んで言いました。
そうして、なお附け加えて言うことには、
「弁信さんは眼が見えないから、変ったとお思いになるかも知れませんが、わたしはこの通り、少しも変りません」
「そうですか、でも、わたくしにはどうしても昔のお雪ちゃんを懐かしがるように、懐かしがる気にはなれません」
「どうしてですか、弁信さん」
「どうしてだか知りませんが――わたくしのこの心が落着きません、わたくしの尋ねるお雪ちゃんという人の声は、ここでしているのには相違ないが、魂に触れることができません、お雪ちゃんの魂は……」
「弁信さん、久しぶりにお逢いしたのに、のっけからそんな理窟をおっしゃるものじゃありません。わたくしのほかにわたくしは無いのですよ、もし、あなたが、わたくしの声をお聞きになったのなら、それが本当のわたくしじゃありませんか。神様のように鋭い勘をお持ちなさるくせに、弁信さんは」
「そうではありません、わたくしは現在ここで声を聞くお雪ちゃんのほかに、もう一人のお雪ちゃんがあって、それが行方定めぬ旅に出ているとしか思えてなりません。しかもその行方定めぬ旅というのが、火の
「ほんとにいやな弁信さん、昔の弁信さんはさっし入りがあって、親切で、有り余るほどの同情をすべてに持って下さったのに、今、久しぶりでお目にかかった最初に、まあ、なんといういやなことばかりおっしゃるのですか」
「いやなことを申し上げるつもりで言っているのではありません、わたくしの尋ねるお雪ちゃんの片身が――片身というのもおかしいようですが、やっぱり、魂と申しましょうか、その魂がここにおりませんのです」
「ほんとに困ってしまいます」
ああ言えばこう言う弁信の着早々の理窟に、お雪ちゃんは何と挨拶していいか、悲しい
「では、わたくしは、これからそのお雪ちゃんのあるべくして、あるべからざるもののために出かけてまいります」
と言って、腰を一つかけるでもない弁信は、さっさと歩き出してしまいました。
「まあ、待って下さい、弁信さん」
お雪ちゃんは、たまり兼ねて
宇津木兵馬は、そのあわただしい光景を見て非常に驚きましたけれども、追いかけるお雪ちゃんよりも、追いかけられる当人が、あまりに痛々しい、弱々しい、見すぼらしい、おまけに
いったん
追いついてさえしまえば、ここでお雪ちゃんが、弁信を手放してしまうはずはないにきまっております。
二十三
それから暫く経つと、宮川の岸の人通りの淋しい土手の上を、極めて物静かに肩を並べて歩いているお雪ちゃんと弁信とを見ることができました。
「よくわかりました、弁信さんのおっしゃることが、すっかり呑込めてしまいましたから御安心ください……わたしも、こうして、あなたを追いかけて来たのは、この辺でゆっくりとわたしからお話をしたいことがあったからなのです、あの寺ではくわしいお話のできない事情がありましたものですから」
「左様でございましたか」
「弁信さん、ほんとうにわたしは、物語にも書けないほど奇妙な縁に引かされて、きわどいところに身を置かされており、どちらにも同情を持たなければならないのに、そのどちらもが
「そうでございますね」
「昨日までは、わたしはあの人のために、身を捧げて介抱をしておりましたが、今日はそれを敵と
「あなたのそれは、世にいう娼婦の情けというようなものではありません」
この言葉が、お雪ちゃんにはよくわかっていなかったが、
「そういうわけではありませんが、今度の人は宇津木兵馬さんというのが本名で、それも今日にはじまった縁ではなく、上野原以来、奇妙な縁がつながっているのです。でも、あの人がいては、弁信さんに限っての話ができませんから、こうしてあなたの後を追いかけて、こんなところでゆっくりお話のできるのがかえって安心だと思いました。まあ、何からさきにお話ししていいかわかりませんから、思いついたまま、順序なくお話をしますから、弁信さん、ゆっくり聞いて下さいな」
お雪ちゃんはこう言って、なんとなく
だが、あたりの光景を思い合わせると、決して左様な
ですから、天地はやはり
「お雪ちゃん、ちょっとお待ち下さい、誰か人が来るようですから」
そこで、お雪ちゃんが、はじめて長いお喋りの腰を折られました。
「え」
と言って、四方を見廻すには見廻したけれども、ここは長堤十里見通し、その一目見た印象では、誰も土手の前後と上下を通じて、人の近づいて来るような気配はありません。人の気配には気がつかなかったのですが、お雪ちゃんが、そのとき愕然として驚いたのは、直ぐ眼の前の宮川の岸辺に漂うた破れた屋形船であります。
ああ、思い出が無いとは言わせない、この屋形船――あの大火災の時の避難以来。
それと同時に眼を移すと、遥かに続く
あ、イヤなおばさん――お雪ちゃんの
「たれか人が来ますねえ」
それに拘らず、弁信は、長堤十里見通しの
その途端のこと――思い出の屋形船の一方の腐った
この場合、先方よりはこちらの方が予備感覚のあっただけに、認められることが遅く、認めることが早かった勝味はありました。
先方の当の主はおそらく、こちらが何者であるかということは突きとめる余裕がなくて首を引込めたことがたしかと見られるのに、こちらはその瞬間にも、存外よく先方の面体を認めることができたのです。
お雪ちゃんは、その瞬間の印象では、この辺で、ちょっと
だが、わざわざ物好きにあの
しかし、その捨小舟の近間を通り過ぎたかと思うと、また以前よりも増した緩々たる足どりで、弁信に話しかけながら、
二十四
お雪ちゃんが、弁信に向ってまたこういうことを言いました――
「弁信さん、わたしはこのごろになって、つくづくと人間は慾だと思いました、親兄弟だとか、親類だとか言いますけれど、詰るところみんな慾ですね」
「どんなものですかね」
「あの、イヤなおばさんだって、家に財産があったからああなったのです。その後の騒動が、この高山の町を焼き払ってしまうまでになったのも、元はといえばみんな慾じゃありませんか。親が子を可愛がるのも慾、友達が助け合うというのも慾、みんな真実の皮をかぶった慾で、世の中に本当の思案だとか、親切だとかいうものは無いものじゃないかしらと、わたしはつくづくこのごろ、それを考えますよ」
「さあ、どんなものでしょうか」
「慾を離れて人間というものは無いのです。それを考えると、わたしはたまらないほど情けなくなりました、すべて人間は、物が無いほどしあわせなことはないのじゃないかしら、と考えるようになりました」
「なるほど」
「ですから、人間は、自分のものとしては何も持たないで、その日その日に食べるだけのことをして、それからできるだけ自分の好きなことをして、それでいけなくなったら、楽に自分の手で自分を死なしてしまうのが、いちばん賢い生き方じゃないかと思ってみたりすることなんぞもありますのよ。自分ひとりで死ねなければ、自分のいちばん好きな相手と一緒に死を選ぶのが、いちばん賢い生き方ではないか、生きているということは、そんなに幸福なことでも、価値のあることでもない、と思ったりすることもありますのよ……」
「お雪ちゃんとしては、珍しい心の持ち方ですね。わたくしも、生きているということが、そんなに幸福なこととは思いませんが、それでも、
「ああ、人間はほんとうに、みんな慾のかたまりではありますまいか。恩だの、義理だの、人情だのと言いますけれど、自分の取分をほかにして何が残りましょう。恋というようなものも、慾の変形といったようなものです。弁信さんのように、神様仏様の信仰も、やっぱり根本を洗ってみると慾から来ているのじゃないか知ら、なんて疑ってくると、わたしは浅ましくてなりません」
「…………」
「慾ですよ、慾を離れたところに人間はありません。わたしは、慾を離れて人間界の別の天地といったようなところへ落着きさえすれば、それが白山の上であろうとも、畜生谷の底であろうとも、どこへでも行ってみるつもりでしたけれども、いま考え直してみると、どんな山奥へ行ったからとて、どんな谷底へ下ったからとて、慾のない世の中は無いのじゃないかしらと、つくづく悟りました」
「なるほど」
「そうして、まあこうして人間がすべて慾のかたまりで、親も、兄弟も、親類もなく、結局、持っているものを奪い合うという浅ましい世の中が、どうなって行くものでしょうかねえ」
「左様……」
「人間が、あんまり慾一方で浅ましいものですから、それだから山が裂けて、この世が一体に火になってしまうのじゃないかと言う人もあります。なかにはこんな浅ましい餓鬼のような人間は、一度、大掃除をしてしまった方がいいなんて言う人もあります」
「見ようによっては、そうも見られないではありませんね」
「人という人が、恩を忘れ、慾のために人を売るようになってしまっては、全く神様や仏様が、人間に水だのお米だのを与えて、生かして置くことがおいやになるのも無理はありませんね」
「なるほど」
「まあ、お聞きなさい、弁信さん、また山鳴りの音が
こう言ってお雪ちゃんは、東の空に
今日の弁信は、おとなしいもので、いちいちお雪ちゃんの言うことに受身になって、それに異議を挟むこともなければ、その意見を訂正したり、訓戒したりすることの絶えてないのが変っています。
つまりお雪ちゃんの人生観が、珍しいほどの変り方を示して、生存の否定と、死の讃美に近いところまで行っているのを知りながら、それに異見を加えない弁信の態度が、変っているといえば変っているのです。
「ねえ、弁信さん、世間の学者たちは、世の中がこんなに悪くなったのは、それは江戸の幕府の方が堕落してしまっているからだと申します。その堕落しきっている幕府の力を倒して、本当の天朝様の御代にすれば、この世の空気もすっかり立て直り、人間もみんな正直にかえるのだ、そうしてその堕落した江戸の幕府というものも、どちらにしても長い寿命ではないから、そのうちに天朝様の世になって、世界が明るくなると――今はその夜明け前だとこう申す人もございますが、それが本当なのでしょうか」
「さあ――そのことも、わたくしにはよくわかりませんが、政治向が変ったからとて、人心はそうたやすく変りますまい。人心が変らない以上は、いくら制度を改めたところで、どうにもなりますまい。慾にありて禅を行ずるは知見の力なりと、古哲も仰せになりました」
弁信の返事は、お雪ちゃんのピントに合っていないようでしたが、さて、お雪ちゃんは、ちょっとその後を受けつぐべき言葉を見出し得ませんでした。
二十五
「それはそうと弁信さん、あなたはこれから、わたしを捨てて、何の用があって、どこへ行くつもりですか」
「さあ……」
お雪ちゃんに改めてたずねられて、弁信法師が返事に当惑しました。
「さあ、そう改まってたずねられると私は困るのです、白骨にいてどうも動かねばならぬ気分に追われて動いて来ましたが、ここでわたくしの頭が、わたくしの足を止める気にならないのが、不思議なのです」
「わたしに逢いに来てくれたんではないのですね」
「いや、やっぱりあなたに逢いたい一心で、命がけで白骨まで来たのですから、ここで逢いたいに違いないのですが、どうもわたくしの足が、この地にわたくしをとめてくれないので、どうにもなりません」
「どうしたのでしょう、わたしは、弁信さんが二人あるように思われてなりません、今ここにいる弁信さんは、弁信さんに違いないけれど、わたしの弁信さんは、まだほかにあるような気がしてなりません」
「そう言えば、わたくしもお雪ちゃんが二人あるように思われてなりません、ここにいるお雪ちゃんも、わたくしの尋ねて来たお雪ちゃんに相違ないけれども、まだ別に一人のお雪ちゃんがなければならないし、わたくしはそれを尋ね当てなければ、本当のお雪ちゃんに逢っているのではないというように思われてならないのです」
「ほんとうに、二人とも、おかしい気持ですね、まさか夢じゃないでしょうね。夢であろうはずはありませんが、二人ともに、逢えると思う人に逢っていながら、逢えないでいるのですね」
「そうです、わたくしは、もう一つ本当のお雪ちゃんを探すために、前途を急がねばならぬような気持に迫られているのです」
「どうも、おかしいですね。そうして、どこへ行ったら本当のわたしが見出せると思いますの」
「その見当はつきませんが、わたくしのこの足は、南の方へ、南の方へとこの飛騨の国を走れと教えているようです。飛騨を南へ走れば、美濃の国ですね――美濃の関ヶ原へ向けて、何はともあれ、急いでみたいという気分に
「美濃の国の関ヶ原――」
「ええ」
「関ヶ原といえば、古戦場じゃありませんか」
「そうです――その美濃の国、関ヶ原という名が、今のわたくしの頭の中にピンと来ているのは、そこへ行けばなにものかの
「それだけなのですか、その関ヶ原とやらに、あなたの知っているお寺だとか、昔のお友達だとかいうようなものがあるのですか」
「そんなものは一向、心当りはございません、ただわたくしのこの頭が、関ヶ原、関ヶ原と何か知らず
「なら、弁信さん、わたしもその関ヶ原へ行くわ」
「え」
「わたしも、その関ヶ原へ連れて行って下さい」
「でも、あなたは、わたくしのように身軽には歩けません」
「歩きます――このままでもかまいません、弁信さんと一緒ならば」
「困りました」
「何を困ることがありますか。では弁信さんは、わたしを振捨てる気でそんなことを言うのでしょう」
「そうではないのです、そうではないけれど、このままあなたを連れ出すということが、すんなり行

