TOP連載小説中里介山
過去の掲載

大菩薩峠

畜生谷の巻

中里介山




         一

 今、お雪は、自分の身を、藍色あいいろをした夕暮の空の下、はてしを知らぬ大きな湖の傍で見出しました。
 はて、このところは――と、右を見たり、左を見たりしたが、ちょっとの思案にはのぼって来ない光景であります。
 白骨谷しらほねだにが急に陥没して、こんな大きな湖になろうとは思われないし、木梨平の鐙小屋あぶみごやの下の無名沼ななしぬまが、一夜のうちに拡大して、こんな大きな池になろうとも考えられない。そうか知らん――いつぞや、白衣結束びゃくえけっそくで、白馬のいただきに登って、お花畑に遊んだような覚えがある。ああ、そうそう、あの時に白馬の上で、盛んなる天地の堂々めぐりを見せられて帰ることを忘れたが、では、あれからいつのまに、白馬の裏山を越えて、ここへ来てしまったのかしら。
 白馬の裏を越路こしじの方へ出ると、大きな沼や、池が、いくつもあると聞いたが、多分そうなんでしょう。でなければ、越中の剣岳つるぎだけをめざしていたもんだから、ついついあちらの方から飛騨ひだ方面に迷いこんでしまって、ここへきたり着いたのか知らん。
 涯しを知らない大きな湖だと思って、あきれているその額の上を見ると、雪をかぶった高い山岳が、あちらこちらから、湖面をのぞいているというよりは、わたしの姿を見かけて何か呼びかけたがっているようにも見られます。
「やっぱり周囲まわりは山でしたね、同じところにいるんじゃないか知ら」
 この夕暮を、急に真夏の日ざかりの午睡からさめたもののように、お雪ちゃんは、なさかがわからないで、暫く、ぼんやりとして立っていましたが、さて、自分の身はと顧みると、髪はたばねて後ろへ垂らし、白羽二重の小袖を着て、笈摺おいずるをかけて、足はかいがいしく草鞋わらじで結んでいることに気がつき、そうして白羽二重の小袖の襟には深山竜胆みやまりんどうがさしてあることを、気がつくと、ああ、なるほど、なるほど、間違いはありません、白馬からの下り道に違いはありません。
 ただ四辺あたりの光景が、こんなふうに変ってしまったのは、下り道を間違えたせいでしょう。それにしても、ちょっとも疲れていない自分の身を不思議だと思いました。
 どうも、なんだか、この白い小袖が、鶴の羽のようにふわりと空中に浮いて、白馬のいただきからここまで、自分の眼は眠っている間に、誰かが、からだをそっと持って来て置いてくれたもののようにも思われ、やっぱりすがすがしい心のうちに、なんとなく暖かな気持で、お雪ちゃんは岩の上に腰をかけて、はてしも知らぬ大きな湖の面の薄暗がりを、うっとりと眺めつくして、それ以上には、まだ何事をも思い浮べることも、思いめぐらすこともしようとはしません。
 その時鐘が一つ鳴りました。その鐘の音が、お雪ちゃんのうっとりした心を、よびさますと、あたりの薄暗がりが気になってきました時、湖のみぎわの一方から、タドタドと人の歩んで来る姿をおぼろに認めたお雪ちゃんは、じっとその方を一心に見つめていましたが、夕もやを破って、その人影がようやく近づいた時、
「あ、弥兵衛さんだ、弥兵衛さんが来る」
とお雪ちゃんが叫びました。
 朧ろながら、それと見えるようになった人の姿は、背に何物かを背負うて、杖をついて、かるさんのようなものを穿いた一人の老人にまぎれもありません。
 その老人は、湖畔をめぐって、お雪ちゃんの休んでいる方へと、杖をつき立ててやって来ましたが、いよいよ程近いところまで来ると、お雪ちゃんがまず言葉をかけました、
「弥兵衛さんですか」
「はい、弥兵衛でござんすよ」
 こちらが弥兵衛さんと呼び、あちらも弥兵衛さんと答えるのだから、これは弥兵衛さんに間違いはありますまい。

         二

 してみれば、お雪ちゃんは、とうにこの弥兵衛さんを知っていて、弥兵衛さんもまた、お雪ちゃんに頼まれるかなにかしていた間柄とみなければなりません。
 しかしながら、白骨へ来て以来の、お雪ちゃんの知合いには、かつて弥兵衛さんという人は一人も無いから、これは、このたびの山道に、臨時にやとった山の案内者か、強力ごうりきかなにかであろうと思われます。
「わたしは弥兵衛さんだとばっかり思ったら、やっぱり弥兵衛さんでしたわ」
「はい、その弥兵衛でございますよ」
と言って、至りついた老人は、お雪ちゃんの前へ来ると、腰をのばして、りを打ち、そこへ突立ってしまいました。
「まあ弥兵衛さん、どうしてこんなところへおいでなすったの」
「はい、わたしは、ここからあんまり遠くないところに住んでいるのでございますよ」
「そうですか、ちっとも知らなかったわ」
「はい、はい」
 お雪は突立っている弥兵衛老人の頭から爪先まで、今更のように極めて興味深く見上げたり、見下ろしたりしていました。
「ほんとうにそっくりよ」
「何でございます」
「弥兵衛さんに、そっくりよ」
「何をおっしゃります」
 どうも、ばつの合わないところがあります。弥兵衛さんが、弥兵衛さんにそっくりだということは、別段、念を押すには及ばないことだろうと思われるのに、お雪には、これは容易ならぬ興味の的であるようです。
 それにもかかわらず老人は、極めて無表情に突立って、背に負うたものを、さも重そうにしていました。
 この空気を見ると、お雪ちゃんと、弥兵衛さんとは全く他人です。かつて知合いになっていたのでもなければ、この際頼んだ人でもない、単に呼び名だけが暗合したようなもので、そのほかには、なんらの共通した感情も、理解も、漂うては来ないらしい。
 そこで、お雪ちゃんは、極めて手持無沙汰に、それでも、充分なる興味の眼は弥兵衛老人からはなすことではなく、無言に見詰めていますと、この老人は、さながらお雪ちゃんに興味を以て見つめられているために、ここに現れて来たもののように、どこからでも存分に御覧下さいと言わぬばかりに、いつまでもじっと立ちつくしているのです。そうしているうちに、弥兵衛さんの輪郭が、最もハッキリしてきました。
 何のことだ――これは弥兵衛は弥兵衛だが、只の弥兵衛ではない、平家の侍大将、弥兵衛兵衛宗清やへえびょうえむねきよではないか。
 弥兵衛兵衛宗清の本物を、お雪ちゃんが、いつ見知っていた? それは申すまでもなく、弥兵衛宗清は弥兵衛宗清だが、それはしょうのままの平家の侍大将ではなく、お雪ちゃんが江戸見物に行った時分に見た、小団次だったか、松助だったか知らないが、その頃の名人役者のした弥兵衛宗清が、義経公のために、「弥兵衛兵衛宗清、暫く待て」と呼びとめられて、ギクッと胸にこたえながら、しらを切る弥兵衛さん――最初から、それに違いないと気がついたから、さてこそ弥兵衛さんと、旧知の思いをもって呼びかけてみたら、それが全く的中してしまったまでのことです。
 今、弥兵衛さんの重そうに背負っているもの、それが、やっぱりおあつらえ通りの鎧櫃よろいびつと見えました。それを卸しもやらずに、立ちつくしている老人を気の毒だと思いましたから、親切なお雪ちゃんが、
「弥兵衛さん、重いでしょう、それをここへ卸して、少しお休みなさいな」
「はい、有難うございます、ではお言葉に従いまして」
と言って、弥兵衛は、これは制札ではない杖を置き、砂の上へ鎧櫃よろいびつをどさり落した途端に、腰が砕けてまた立て直すところの呼吸なんぞ、ちい高の舞台でする調子そっくりでしたから、お雪ちゃんはわけのわからないながら、ほほえまずにはいられません。

         三

 老人が、やっと重い鎧櫃を下に置いて、ホッと息をつき、お雪ちゃんの横の方に腰を卸して煙草をのみはじめたものですから、自然お雪ちゃんは、親しく話しかけないわけにはゆきません。
「おじいさん、あなたは平家の落武者なんでしょう」
「へ、へ、へ」
 弥兵衛老人は人相よく笑って、
「山奥へ行きますてえと、どこへ行っても、平家の落武者はいますねえ」
「でも、お前さんこそ、本当の落武者なのでしょう」
「やっぱり、先祖はね、そんな言いつたえもあります、珍しい遺物も、残っているにはいますがねえ」
「どこなんですか、お住居すまいは」
「あの山の裏の谷です」
「え」
「そら、あの真白い、おごそかな山が、北の方に高くそびえておりましょう、御存じですかね、あれが加賀の白山はくさんでございますよ」
「まあ、あれが加賀の白山でしたか」
 お雪はいま改めて、群山四囲のうち、北の方に当って、最も高く雪をかぶって、そそり立つ山を惚々ほれぼれと見ました。
「はい、あの白山の山の南の谷のところに、わしらは一族と共に、六百年以来住んでおりますでな」
「きまってますよ、平家の落人おちうどにきまってますよ、白川郷っていうんでしょう」
「はい、その白川郷の……」
「白川郷は、いいところですってね」
「え、いいところにも、悪いところにも、先祖以来、わしどもは、その白川郷から足を踏み出したことがございませんから、比較するにも、比較すべきものを持ちませんでな」
「自分が住んでいて、いいか、悪いか、わからないくらいのところが、本当にいいところなんでしょう。全く悪いところはお話になりませんが、ああいいところだと思えば、きっとドコかに悪い影がさすものです。永年住んでいて、いいところか、悪いところか、わからないくらいのところは、本当にいいところにきまっていますねえ」
「そんなものかも知れませんが、まあいいところとしておきましょう」
「実はねえ、おじいさん、わたしもその白川郷というところへ行って、一生を暮らしてしまいたいと思っているのよ」
「そうですか」
「平家の公達きんだちも、そこに落ちて、居ついているくらいですから、わたしなんぞも、住めないはずはないと思います」
「それは住めば都と申しましてな、お天道様の照らすところ、草木の生えるところで、人間が住んで住めないという土地はございませんけれど、お嬢さん、買いかぶってはいけませんよ、平家の公達だって、白川郷が住みよいからそこへ来たわけではありません、それは花の都に栄耀えいよう栄華を極めているに越したことはございますまいけれど、居るには居られず、住むには住まわれないから、よんどころなく、こんな山奥の奥へ落ちて来たものでしょう、それを夢の里か、絵の国でもあるように、あこがれて、わざわざ住みにおいでなさろうなんぞというのは、お若いというものです。平家の公達は命がけでございました、ほかの世界には生きられないから、この白川郷へ来たものでござんすよ」
「それはわかっててよ、わたしたちだって、同じ心持ですわ、どこへ行っても安心して住めるところがないから、一生をその白川郷へ埋めてしまいたい、という真剣な心持がお爺さんにはわからないの?」
「ははあ、お若いに、どうして、そうまで突きつめておいでですね」
「何でもいいから、わたしたちは、誰もさまたげることのない世界へ住みたいのです、ほかに希望のぞみもなにもありゃしません。白骨谷だって、人が来てあぶなくってなりませんもの。どうしても白川郷へ行きますよ、単にあこがれや、物好きの沙汰さたではありません。お爺さん、後生ですから白川郷へ行く道を教えて下さいな」

         四

「それは教えて上げない限りもございませんが、白川郷へ行く道は、並大抵の道ではありませんよ、まあ、あの白山をごらんなさい」
「はい」
「富士の雪は消える時がありましても、白山の雪は消えることがございません、あの高いけわしいところを、ずっとなぞいに左の方をごらんなさい、滝が見えましょう」
「え、え」
 お雪ちゃんはひとみをこらして、老人の指さすところを見ると、なるほど、山の腰のあたり、山巒重畳さんらんちょうじょうするところに、一条の滝がかかってあるのを明らかに認めます。ここで見てあのくらいだから、傍へよったらどのくらいの大きさの滝だかわからないと思いました。
「あれが、加賀の白山の白水はくすいの滝でございます、有名な……」
「まあ、そうですか」
「その白山の白水の滝が落ちて流れて、この白川の流れになるのでございます」
「ずいぶん大きな滝ですこと、ここで見てさえあのくらいですから」
「高さが三百六十間ありまして……」
「まあ……」
「滝より上が白水谷はくすいだに、滝より下が大白川おおしらかわ、白山の神が白米をとぐために、水があんなに白くなると言われます。その上下を通じて白川の山々谷々の間にあるのが、俗にいう白川郷でして、一口に白川郷とは言いますが、あれで四十三カ村でございますよ」
 そこで、お雪はそのうちの、どの村へという当てはないのでした。老人も、それをたしかめようとはしないが、
「で、あの白水の滝のあるところまでは、これからどのくらいありますか、あそこまで行ってみたいと思います」
「それはいけません」
「どうしてですか、道がないのですか」
「道はあります、道はありますけれども、女は行ってならないことになっておりますのでございますよ」
「それは、またどうしてでしょうか」
「あそこに千代ちよさかというのがありましてな、八石平はっこくだいらからあちらは、女はんで、通ってはならぬことになっているのを、千代という若い女の方がいて通りましたところ、翌日になると、その坂の木の枝に、女の五体がバラバラになって、かけられておりましたということで、それから、あれを千代ヶ坂と名附け、あの辺は決して女の方は近寄れないことになっております」
「まあ、それは本当ですか」
「それは古来の言い伝えでございますけれども、わしらが覚えてからも一つございました、ある坊さんが、あの温泉で眼をなおそうとしまして、尼さんを一人つれて参りましたが、そのせいでしたかどうでしたか、急に雨風が烈しくなって、とうとうその尼さんの行方ゆくえがわからなくなりました」
「え、それでは、あの滝の下あたりに、やはり眼によい温泉があるのですか」
「ありますとも、白山三湯はくさんさんとうと言いまして、そのうちにも楢本ならもとの湯というのは、眼病、そこひのたぐいには神様のようだそうです」
「そのお湯へも、女は行ってはいけないのですか」
「え、あれから先は只今申し上げた通りです、行って行けないことはございませんが、行けば必ずたたりがあると言われていますから、おいでにならない方がよろしうございましょう」
「お爺さん、わたしは、どうも、そういうことは嘘だと思います――男だって、女だって、同じ人間ではありませんか、女は罪が多いと言いますけれども、男にだって罪の少ない者ばかりはありません、たまに女が災難に逢うと眼に立ちやすいから、それ見ろと笑いものにしますけれど、男だって盗賊に逢って、林の中で斬られた人も幾人もありましょう、雨風のために行方知れずになったものも、ずいぶんありましょうと思います。ですから、わたしは、行って行けないことはないと思いますが、それはそれとして、お爺さん、いやな名前ですけれども、この白川郷のうちに、畜生谷というところがあるそうですね」
 そう言った時に、老人のかおに、何とも言えぬようないやな色が現われたので、お雪ちゃんがハッとしました。

         五

 その何とも言えない、いやな色を見て、お雪ちゃんは急に、言わでものことを言ってしまったと、自分ながら気の毒と、それから一種の羞恥心しゅうちしんというようなものにられ、我知らず面をあからめて、だまってしまいました。
 畜生谷と言われて、何とも名状し難い嫌な色を、面に現わした老人は、暫くうつむいていましたが、
「人は、いろんなことを言いますねえ。それは、広い世界とはかけ離れたこの谷々の間のことですから、風俗も、それぞれ変ったことがございましょうよ」
「でも、畜生谷なんて、いやな名前ですねえ、ほんとに」
と、お雪は慰めのような気分で、老人に向って言いかけたことほど、老人の不快な色を気の毒に思ったからです。気の毒に思ったといううちには、もしかして、この老人が、その世間の人の悪口に言われる畜生谷の部落の中の一人ではなかったか、ということに気が廻ったことほど、胸を打たれたものがありましたからです。
 そこで、お雪は、もう再びこの老人の前で、そんな言葉を口にすまいという気になりました。その老人の前だけではなく、どんなところでも、人前でうっかり、畜生谷なんていう言葉を出すものではない、ついついそれに言葉がわたった自分というもののたしなみの浅いことを、一方ひとかたならずじもし、悔いもする心に責められました。
 そこで、半ばはその思いをまぎらわすようにお雪は、
「それはそれとしまして、ねえおじいさん、わたしは今、誰が何と言いましても、その白川郷の中へ、落着きたい心持でいっぱいなのよ。人が世間並みに生きて行きたいというのは、義理人情にせまられるか、そうでなければ利慾心にからまれて、どうしても、そうしなければ生きて行かれないからなんでしょう、わたしは、そんなことはあきらめてしまいました、といっても、死ぬのはいやなのです、生きて行きたいのです、静かに生きて行きたいのです。そんなら、わたしを静かに生きて行かせないのは何者でしょう。それはわかりません、誰もわたしを縛っているのではないけれども、わたし自身が縛られているような気持で、あの静かな白骨谷でさえが、わたしを落着かせてはくれないのです。白川郷ならば、全く浮世のつまらない心づかいから離れて、生きられるように生き、何をしようとも、他人様ひとさまにさえ手を触れなければ、思いのままに生きて行ける世界――他人様もまた、それぞれ、思うままのことをしながら、自分たちも生き、わたしたちをも、生かせて行ってくれる世界――それが欲しいのです。白川郷には、その世界が、立派にあるそうです。なんでもかんでも、許してもくれ、許しもする世の中、それで人間が、気兼ねなしに生きて行かなければならないはずじゃありませんか」
「それは人間の世界じゃなく、それこそ畜生道というものじゃありませんかねえ、お嬢さん」
と言って、老人が反問したので、
「え」
とお雪が驚かされました。
「人間の生きて行く道よりは、畜生のいきて行く道の方が、気兼ね苦労というものが、かえって少ないのじゃありますまいか、ねえお嬢さん」
「何ですって、おじいさん――もし人間の生きて行く道が、つまらない気兼ね苦労ばかりいっぱいで、畜生の道が素直で、安心ならば、わたしはいっそ……」
「何をおっしゃります、お嬢さん、それが、あなた方のお若いところです……あの白山へ登るよりは、この白水谷を下る方がずっと楽には楽なんですがね」
と言って老人は立ち上り、砂上に置き据えた鎧櫃よろいびつに手をかけた時、お雪が急に、そわそわとして、
「おじいさん――まあ待って下さい、急に気がかりなことがありますから、その鎧櫃の中を、ちょっとでいいからわたしに見せて下さいな、今になって気がつくなんて、ほんとに、わたしはどうかしています」

         六

 お安い御用と言わぬばかりに、弥兵衛老人が鎧櫃のふたを取って見せると、井戸の底をでも深くのぞき込むように、お雪は傍へ寄って、
「わたしが頼んでおきましたのに、今まで忘れていました、さぞ、御窮屈なことでしたろうにねえ」
 鎧櫃の中には、人の姿がありありと見えているのであります。
「先生、ずいぶん御窮屈でございましたでしょうねえ」
 人の姿は見えているけれども、返事はありません。
「先生」
 やはり手ごたえはない。
「おや!」
 お雪は一方ならずあわてました。
「先生、お休みでございますか」
 でも、やっぱり何ともいらえがない。
「ほんとうに……眠っておいでなさるんでしょうか、先生」
 お雪は狼狽ろうばいの上に、不安の心をうかべて、井戸側深くのぞき込むようにすると、人の姿はいよいよ、ありありと見えるけれども、一向にうけこたえのないことが、またいよいよ明瞭であります。
 本来、鎧櫃の中というものは、一匹一人の人間を容れるには足りないものであります。せいぜい十代の少年ならばとにかく、普通の大人一人が、鎧櫃の中にいることは至難の業であります。ましてその中で酣睡かんすいむさぼるなどということは、あり得べきことではありません。
 それだのに、ありありと見える中の人は、立派な一人の成人であって、それは身体骨柄しんたいこつがらせてこそいるけれども、月代さかやきはのびてこそいるけれども、押しも押されもせぬ中年の男性が、身にはお雪と同じような白羽二重に、九曜の紋のついているのを着て、鎧櫃の一方の隅に背をもたせかけて、胡坐あぐらをくみ、そうして、蝋鞘ろうざやの長い刀を、肩から膝のところへ抱くようにかいこみ、小刀は腰にさしたままで、うつむき加減に目をつぶっているのであります。さばかり、窮屈な鎧櫃の中に、かなりゆったりと座を構えて崩さないところを見れば、眠っているものに違いあるまいが、眠っていたとすれば、こうまで呼びかけられて、さめないはずはありますまい。
 お雪が、狼狽し、且つ不安に堪えぬ色をあらわしたのは、あまり深い眠りに驚かされたのみならず、その眠っている人のかおの色の白いこと、さながら透きとおるほどに見えたからなのでしょう。
「先生、どうぞお目ざめ下さいまし、わたしが冗談じょうだんにおすすめ申して、この鎧櫃の中へ、あなたがお入りになれば、わたしがおぶって上げて、白川郷までまいりますと申し上げたのを、いつのまにか、あなたは本当にこの中へお入りになりました。わたしは、まさか、あなたがこの鎧櫃の中へお入りになろうとは、思いませんでした。どなたにしても一人前の大人が、この中へ納まりきれるものではないと安心しておりましたのに、もしやと気がついて、あけて見ると、この有様です。ほんとうに御窮屈なことでしたろう、ささ、どうぞ、お目をおまし下さいまし」
と、のぞき込んだ顔を、押しつけるようにして呼びましたが、その人は、ガラス箱の中に置かれた人形のように、姿こそは、ありありとその人だが、返答がなく、表情がなく、微動だもありません。そのくせ、蝋のようなかおの色が、みるみる白くなってゆくものですから、お雪は、自分の身体そのものが、ずんずん冷たくなってゆくような心地がして、
「先生、らさないように願います、わたし、心配でたまりません、後生ごしょうですから、お目ざめくださいまし。それとも、もしや、あなたは……生きておいでなのでしょうね、もしや……もしや、もしや」
 お雪は、ついに鎧櫃にしがみついて見ると、これは透かし物のような鎧櫃の前立まえだての文字に、ありありと、
「俗名机竜之助霊位」
「おや――」
 ――お雪はついに声をあげて叫びました。

         七

「どうしたのです、お雪ちゃん」
 事はまさに反対で、声の限り人を呼びさまし、呼びさますことに絶望の揚句、絶叫したその声を聞いて、かえって呼びさまされたのは、当のお雪ちゃんで、呼びさましたその人が、鎧櫃よろいびつの中にあって、返答もなく、表情もなく、微動もなく、ろうのようにかおの色の白かった人。
 しかも、ところは窮屈な鎧櫃の中ではなく、飛騨の国の平湯の温泉の一間、せんだって宇津木兵馬もこの室に宿り、仏頂寺、丸山の徒もここにきたり、その時の鎧櫃、物の具のてい、あの時と、ちっとも変らない一室の中でありました。
 夜具の中からこちらに寝返りを打った竜之助は、ぼんやりとした有明の燈の光に、自分の面を射させて、そうして、二つ並べた蒲団ふとんの一方に、夢にうなされているお雪を、こちらから呼んでみたところです。
「まあ、こわかった」
 あたりを見廻したお雪は、狼狽と、不安との上に、茫漠とした安心の色を少し加えて、ホッと息をついたが、寝汗というもので、しとどとわきの下がうるおうていたのを快くは思いません。
「また、夢を見たね」
「夢なら夢でいいのですけれど、どうもこのごろは、夢と本当のこととがぼかされてしまって、つぎ目がハッキリしませんから、覚めても、やっぱり夢でよかったという気にはなれないから、いやになっちまいますね、まるで夢にからかわれているようなんですもの」
「夢がいいねえ、いつぞや、お雪ちゃんから聞かされた、白馬へ登った夢なんぞはよかったよ。拙者は今まで、ロクな夢という夢を見たことはないが、白馬へ登った夢だけは格別だ。あの時、あのままで、二人が白馬の上から白雲の上まで登って、永久に降りて来なければ、一層よかったろうに――あれから、また降りて来たばっかりに、畜生谷というところまで落されてしまうのか知らん」
「いやなことを、おっしゃいますな」
 お雪は、そこで、またちょっと不快な気持になっていると、その際に、ずっと以前から外で呼び続けられてはいたのだけれども、お雪ちゃんの耳に、はじめて入るけたたましい人の声を聞きました。
「駒さんよ――」
「聞えたかえ、もう一ぺん戻って下さいよう、聞えたかえ、駒さんよう」
「早く戻らさんせよう」
「早く帰らさんせよう」
 極めて単調の声で、野卑な哀音が夜をこめて、やや遠いところから、絶えず呼びつづけられていたらしいが、急に目ざめたお雪には、今となってはじめて聞えて来たものです。
「何でしょうね、先生、あの声は」
「あれはね、この近所の家で人が死んだのだそうだ、人が死ぬと、この土地の習いで、ああして三日三晩の間とか、その名を呼びつづけているのだということを、さいぜん、女中が来て話して行った、ぬけ出した魂魄こんぱくを呼び戻そうというのだろう」
「いやな習わしですね」
「うん、気にして聞いていると、自分が地獄から呼び戻されてでもいるようだ」
「でも、よろしうござんした、こちらは首尾よく呼び戻してしまいましたから。ねえ、先生、ここに鎧櫃がございますね、ここへ休まれる前に、あなたに向って、わたしが冗談を言いましたが、先生、あなた、この鎧櫃へお入りなされば、わたしが白川へでも、白山へでも、おぶって行ってあげると言いながら、二人が眠ってしまいましたのね。ところがどうでしょう、あなたが、ちゃあんと、この鎧櫃へはいっていらっしゃるじゃありませんか。それだけならいいけれど、鎧櫃の中のあなたのお姿といったら、いやいや、思い出してもいやですわ、どう見たってこの世の人じゃございませんでしたもの。わたしは一生懸命、あなたの魂を呼び戻そうとして、叫びましたが、呼び戻しているわたしが、かえってあなたのために呼びさまされて、こうして汗をかいているわけじゃありませんか。夢でよかったというには、あんまり気持が悪過ぎる夢でした。でも、こうしてめてみると、安心しました」

         八

 そこで、暫く静かである間、例の、
「早く戻らんせやい」
「早く帰ってござらせ」
という叫び声を、うるさく小耳にしないわけにはゆきません。
 半ば習慣的に繰返される野卑なる哀音も、竜之助の耳に、「帰るにかず」とささやくようです。お雪が言いました、
「ほんとうに耳ざわりですね、先生、いくら呼んだって、叫んだって、死んで行く人を呼び戻すことなんか、できやしませんね」
「そうさなあ」
「でも魂魄この世にとどまりて……ということもありますから、ほんとうに人間の魂は、死んでも四十九日の間、屋の棟に留まっているものでしょうか」
「いないとも言えないね」
「そんなら、あのイヤなおばさんなんて、まだ魂魄が、白骨谷か、無名沼ななしぬまあたりにとまっているでしょう、怖いことね」
「左様、あのおばさんの魂魄は、もう白骨谷には留まっていまいよ」
「どうしてそれがわかります」
「飛騨の高山が家だというから、いまごろは、高山の方の屋の棟にかじりついているかも知れない、それとも途中、この温泉場がにぎやかだから、今晩あたり、この宿の棟のあたりに宿っているかも知れない」
「イヤですね、先生、そんなことをおっしゃってはイヤですよ」
「でも、お雪ちゃん、お前はだいぶあのイヤなおばさんに、なついていたようだ」
「それは、あのおばさん、イヤなおばさんにはイヤなおばさんでしたけれど、それでも憎めないところがあって、イヤだイヤだと思いながら、どこか好きになれそうなおばさんでした、本来は悪い人じゃないのでしょう」
「は、は、は、あぶないこと、お前も二代目浅公にされるところだったね、あんなのに好かれると、骨までしゃぶられるものだ」
「全く、浅吉さんていう人は、なんてかわいそうな人なんでしょう、おばさんの方は自業自得じごうじとくかも知れないが、浅吉さんこそ浮びきれますまいねえ」
「だらしのない奴等だ」
と言いながら、竜之助は不意に起き上ったのは、かわやへ行きたくなったのでしょう。それを察したお雪は、自分も起き上って、かいがいしくしごきを締め直して案内に立ち上ります。いつもならば竜之助は、そんなことを辞退するか、お雪が知らない間に寝床を抜け出して、ついぞ手数をかけたことはないのですが、ここははじめての宿ですから、勝手が悪いと思ったのでしょう、お雪ちゃんのする通りに竜之助は導かれて、縁の外へ出ると、その間、お雪は肌の寒さをこらえて障子の外に立って待っていました。そうして、見るともなく夜の空を見ると、ここも山国とはいえ、白骨よりは、はるかに天地の広いことを感ぜずにはおられません。
 白骨は壺中こちゅうの天地でありましたけれど、ここは山間の部落であります。溶けて流れない沈静が、ここへ来ると、なんとなく陽気に動いていることを感じます。
 お雪は、白骨に残して置いた同行の久助さんのことを考えました。
 わたしたちは一足先に平湯へ行っているから、荷物をとりまとめ、強力ごうりきを頼んで、二日や三日は遅れてもかまわないから、あとから来て下さいと言って置いて、白骨を抜け出すには抜け出したが、お雪ちゃんの本心を言うと、この辺で久助さんをまいてしまいたいのです。
 これは大きな冒険でもあり、謀叛むほんでもあるけれど、この場合、そうするよりほかはないと考えています。あの人は決して邪魔になる人ではないが、忠実過ぎるほど忠実であることが、大きな邪魔のように思われてなりません。
 どうしたものだろう、ほんとうに……それを今も思案しているところへ、竜之助が廊下を渡って出てきました。それを見るとお雪ちゃんは、素直に柄杓ひしゃくを取って、竜之助の手に水をかけてやりました。
 その時に一番鶏がきました。

         九

 かくて三日を過している間に、白骨から久助が、委細をとりまとめて、抜からぬかおでやって参りました。
 うわさを聞くと、白骨にこもっているあの一種異様な人たちが、根っからこの冬を動こうともしないらしく、ことにまだお雪ちゃんとその連れである不思議な病者が、ここを去ったということをも気がつかないで、
「お雪ちゃん、またこのごろ雲隠れ、お嫁さんにでも行ったのか」
なんぞと噂をしているとのことです。久助はそれとなく、平湯から高山へ行って、また戻るようなそぶりで、なにげなく荷物をまとめて出て来たとのことです。
 お雪ちゃんは、久助が万事よくしてくれたことを表面は喜びましたが、内実は、また一当惑と思います。
 この久助さんを、ズッと白骨に残して置けるものならば残して置きたかったし、なおできるならば、国へ先に帰してしまいたいと思うけれども、それはどうしても、できないことだし、そんならばいっそ久助さんをもまき添えに、白川郷まで引張りこんでしまおうかしら。
 それはいけない、久助さんは国へ帰ることだとばっかり思っている、わたしたちが白川郷へ行こうなんぞという気持が、全く理解のできる人ではない。こうなった以上は、途中でまいてしまうよりほかはないとも考えました。
 だが、ここで、私たちにまかれた後の久助さんはどうなるのだろう。そうでなくてさえ忠実すぎるほど忠実なあの人が、この遠国の旅路で、わたしたちをはぐらかしたとしたら、その心配と、狼狽ろうばいが思いやられる。ところが、いくら心配しても、狼狽しても、わたしの行方が絶望となった日には、あの人のしおれ方が思いやられるばかりでなく、おそらく、ひとりで無事に故郷へ帰る気にはなるまい。
 お雪はこのことの思案だけで、かなり頭が疲れ、旅の仕度も手につきませんでしたが、久助さんはいい気なもので、明日の出立の日和ひよりを見たり、これから飛騨の高山から、美濃の岐阜へ出て東海道を下るか、そうでなければ木曾路へ出て、ゆるゆると故郷の上野原方面へ帰ることを、若い時、伊勢参りの思い出から、子供のように喜んで、お雪に語り聞かせているのです。その間に地の理を見定め聞き覚えたお雪は、これはどうしても、久助さんのいう通りに、明日にもここを出立して、飛騨の高山までは、どうにもこうにも同行をまぬがれないものと思いました。
 万事は高山で――と決心のほぞを固めました。
 高山へ行けば、あれを後ろに廻って、船津ふなづから越中へ出る街道がある。南へ折れれば南信濃か、岐阜方面へ出るが、真直ぐに行くと白川街道だと教えられる。
 どのみち、こうなった上は、高山まではありきたりの路を踏まねばならぬ。そこまでは約八里、そんなに遠いほどの道ではないのに、途中、平湯峠というところが少々難所だけで、あとは坦々たんたんたる道、馬も駕籠かごも自由に通るとのことだから、やっぱり、万事は高山まで。高山へ着いてから、久助さんをまいてしまわなければならぬ。それは気の毒なことではあるが、それよりほかに道はない。
 白川郷へ、白川郷へというお雪ちゃんの空想がさせる大胆な冒険は、もう心のうちでひるがえす由もありません。
 それとは知らぬ従者役の久助は、宵のうちに馬と駕籠とを頼み、お雪は荷物と共に馬に乗り、竜之助は駕籠に乗せ、自分は、その傍らに徒歩かちでつきそって、平湯の湯を立ち出でることになりました。
 平湯峠の上、峠といっても、この辺では最も容易たやすい峠のうちで、乗物ですれば知らぬ間に過ぎてしまうほどの峠――それでも峠の上の地蔵堂らしいところの前で、ちょっと馬を休ませ、駕籠の息杖を休ませました。馬上で、平湯の方をふり返ったお雪は、なんとなく名残なごりの残るものがあるように覚えました。
 万事をいたわる久助を――かりそめながら犠牲にあげるという心持に打たれて、見るに忍びない気にもなりました。

         十

 平湯峠の上で一行が暫く休んでいる時に、後ろから、つまり自分たちがいま出て来たところの平湯の方から、息せき切って上って来る数多あまたの人々を認めました。
 まもなく、その一行は、ここまで登りつめてしまった。非常に急いでいた旅ではあるらしいが、さすがにここに来ると、一息入れないわけにはゆかないから、その一行も、お雪ちゃんの馬の程遠からぬところへ荷物を置いて、ちょっと挨拶あいさつのようなことを言いながら休みました。
 都合七八人の人が、いずれも弓張提灯ゆみはりぢょうちんを絞って、つき添っているのは、夜通しの旅であったことを想わせ、その人たちが、真中にしてかついで来たものが釣台であり、戸板であるのに、蒲団ふとんを厚くのせていることによって、これは急病人だと思わせられます。
 その急病人の上には、形ばかり蒲団をかけてあるが、その上に白布しらぬのをいっぱいにかぶせてあるていを、馬上にいたお雪ちゃんが、最もめざとく見て、そうして、はて、これは急病人ではない、もう縡切こときれている人だ、お気の毒な、急病の途中、高山までよいお医者の許へとつれ出してみたが、もうイケないのだ、気の毒な――とお雪は、よそながら同情してしまいました。
 久助さんも、同じように見たとみえて、その人たちに向って、
「御病人でございますか」
「はい――どうも、いけませんでな」
 一行の肝煎きもいりが、はえない返事。
「お気の毒でございます、こんな山方やまかたで、急病の時はさだめてお困りのことでござんしょう」
「はい、どうもなんにしても、こんな山坂の間でござんすから」
「どちらからおいでになりました」
「白骨から参りました」
「え、白骨から、左様でございますか、いつ白骨からおいでになりました」
「昨晩、夜どおしで参りました」
「それは、それは」
 久助さんも改めて、その釣台を見直すのでありました。
 それというのも、自分も昨日、白骨を立ったのであるが、こんな人には行逢わなかった。多くもあらぬ白骨谷にこもる面々には、みんな近づきになっているはずだのに、あの中には、いずれも一癖ありそうな人ばかりで、急にこんなになって運ばれねばならぬ人は、一人も見かけなかったのに、はて、不思議のこともあればあるものと見直したのですが、お雪ちゃんも同じ思いです。
「そうして、なんでございますか、御病人は、白骨で病み出しておいでになりましたか」
「はい、どうもとんだ災難でしてね」
「どちらのお方でございますか」
「高山の者なんですが、ついつい、あんなところに長居をしたばっかりに、こんなことになってしまいました、ホンとによせばよかったのですがね」
「ははあ」
 久助も、お雪ちゃんも、ほとんどけむにまかれてしまいました。
 白骨は、つい今まで自分たちの隅々隈々すみずみくまぐままでも知っていたわが家同様のところ、どう考えても、急にこんなになりそうな人は思い出せないから、二人はかおを見合わせたっきりでいると、
「さあ、それでは皆さん、もう一息御苦労」
「はいはい」
 釣台をかつぎ上げた時に、揺れた調子か、山風にあおられてか、面のあたりにかぶさっていた白い布の一端が、パッとはね上ると、その下に現われたのは、久助は傍見わきみをしていたが、馬上のお雪ちゃんは、ハッキリとそれを認めて、
「あっ!」
 あたりの誰人をも驚かした声をあげたが、それよりも当人のお雪ちゃんが、土のようになってふるえたのは、覆われた白布のうちから見せた死人の面は、例のイヤなおばさんに相違なく、まだつやつやしい髪の毛がたっぷりと――あのあぶらぎった面の色が、長いあいだ無名沼ななしぬまの冷たい水の中につかっていたせいか、真白くなって眠っているのを、たしかに見届けました。

         十一

 それは、お雪ちゃんが気のついた瞬間に、釣台をかついだ人夫が、あわてて覆いをしたものですから、ほかの誰も気のついたものはありません。
 一息入れて釣台の一行は、こうしてお雪ちゃんの一行におくれて来たが、先立ってしまいました。
 そのあとから、おもむろに手綱たづなをとりだした馬子が、
「お客さん、これが平湯峠の名物、笹の魚というのでがんすよ、おみやげにお持ちなさいましな」
 それは笹の葉が魚の形に巻き上ったもの。
「これが渓河たにがわへ落ちると岩魚いわなという魚になるんでがんす」
 笹の葉化して岩魚となるという、名物のいわれ面白く、手折たおってくれた好意も有難いが、お雪はうわの空で受けて、やがて馬は平湯峠を下りにかかる時、
「平湯峠が海ならよかろ、いとし殿御と船で越そ――という唄がござんしてな」
 馬子が、そういって教えたのも、いつものお雪ちゃんならば、「それをひとつ唄って下さいな、ぜひ」とせがむにきまっているが、今はその元気さえありません。
 たったいま、見たものを、誰ぞに話してよいものか、悪いものか、それにさえ惑いきっているのであります。久助さんが見なかったことがかえって幸い、見ずにいれば見ないで済んだものを、ここでいやなことを言い出したら、みんなの気を悪くするにきまっている、自分ひとりの胸に納めて言わないで済ましてしまうのが本当だと、お雪ちゃんはひとり心に思い定めてしまいました。
 心には、思い定めたけれども、胸はいよいよ不思議でいっぱいです――あの、夏以来、温泉場の座持であったイヤなおばさん、あの人の最期さいごを考えてみると、何から何まで合点がてんのゆかないことばかりです。
 浅吉さんが死んでまもなく、あの無名沼にイヤなおばさんの死体が浮いていたということ、たしかそれを引き上げて、宿でお通夜があったとか聞いていたが、その時、自分はとても、傍へ寄って、あのおばさんの死面しにがおを見る勇気はなく、それに、あんなものは出世前の人は見ないがよいなんて、北原さんあたりも言うたものだから、自分は逃げてしまったが、それからどうなったのか聞きもしないし、聞かせてくれた人もありません。
 多分、もう、うの昔に人が来て、その死体を引取ってしまったこととばっかり思っていたのに、今日このごろになって、あの死体に行当ろうとは、どう考えても腑に落ちないことばかりです。
 人違い――となれば万事は解決するが、一目見ただけのお雪ちゃんの印象で、どうしてもあの人が、イヤなおばさん以外の人であるとは思い直すわけにはゆかないのです。けれども、もし本人であるとすれば、時間に於て著しい錯誤がある。それともすべてが物の怪で、前の晩に、魂魄こんぱくがこの土に留まるとか、留まらないとか言って、先生が今晩あたり、この賑やかな平湯の温泉宿の屋の棟あたりにかじりついているのかもしれないと、冗談じょうだんを言われたのが、たたりとなって、イヤなおばさんの魂魄が、自分たちのあとを追いかけて来たのではないか。そうだとすれば早く浮んで下さい。
 だが、こればっかりは、争われぬ眼前の事実で、夢だとも、幽霊だとも、思直しようがありません――お雪ちゃんの、はっきりした頭では、もしやと、こんなふうにも想像してみました――
 あの時、無名沼のおもてに、おばさんの死体が浮いたことは本当だろうが、それを引き上げようとする間に、水の底へかくれてしまって、そうして今日になって、はじめて探して引き上げることになった。あの冷たい沼の底に、長い間氷詰めのようにされていたから、それであの通り形も崩れずに、そっくり病人のていで運ばれて行くことになったのかも知れない。ああ多分そうなんでしょう。いずれにしても、あのイヤなおばさんの魂魄だけではない、その肉体とまで前後して、自分たちは行くところまで行かねばならないのか――お雪ちゃんは飛騨ひだの高山を怖れました。

         十二

 これに先立つこと幾日、宇津木兵馬は同じ道を、すでに飛騨の高山の町に入って、一の町二丁目の高札場こうさつばの前に立っておりました。
 大きな柳の枯枝に、なぶられている立札を見ると、「御廻状うつしの事」というものがある。本文を読んでみると、
「近来浪人共、水戸殿浪人或は新徴組などと唱へ、所々身元宜者共へ攘夷之儀を口実に無心申懸け、其余公事出入等に、彼是申威まうしおどし金子為差出さしださせ候類有之候処これありさふらふところ、追々増長におよび、みだりに勅命抔と申触まうしふらし在々農民を党類に引入候類も有之哉これあるやに相聞き、今般御上洛被仰出折柄難捨置おほせいださるるをりからすておきがたく、依之已来いらい御料私領村々申合せ置き、帯刀いたし居候とも、浪人ていにて恠敷あやしく見受候分は無用捨ようしやなく召捕り、手向いたし候はば切殺候とも打殺候とも可致旨被仰出候間、其旨可存候
右之通り万石以上以下不洩様に相触れ、且右之趣板札に認め、御料私領の宿村高札場或者あるひは村役人宅前抔に当分掛置候様可被相達候
  亥十二月」
 これは、新しいものではない、今に始まった警告ではない。
 つまり、近来、浪人と称するものが、或いは水戸家の浪人とか、新徴組とかいって、相当の資産ありそうな家へ無心に押しかけて、迷惑をかけ、追々増長して、或いは勅命だとかなんとかいって、横行するのにてこずった揚句、左様な者に対して斬捨御免を表示したものである。
 左様、飛騨の高山は、やはり幕府の直轄地であって、諸侯の城下ではないために、勤王を標榜ひょうぼうするやからよりは、水戸とか、新徴組とかいって入り込む方が今のところ、便宜がよろしいものと見える。
 兵馬は、いたる所でこんな高札を見かけることを珍しいとはしなかったけれど、これほど明瞭に保存されているのは少ないと思いました。立てるとまもなく汚したり、壊したりして、みじめな有様になっているところも多いのに、ここは相当年月を経ながら、かなり完全に保存されて、明瞭に読み得られることに、物珍しさを感じたくらいです。
 しかし、顧みてみると、自分もこれで年少ながら、浪人の端くれとしての形を備えているようだ。怪しいとにらまれれば、怪しいと睨まれても仕方がないのだ。とがめ立てをされれば、一応は弁解をしなければならない身だし、万一その弁解ぶりに疑点をさしはさまれて、土地の人気にでも触れようものなら、相当に冒険が無いとは言えない身の上だが、甲府城下では、あんなことになったのは是非もないが、その他のところでは、まずどこへ行っても、挙動不審と見られたことのないのは、一つは少年のせいでもあろうが、一方から言うと、こんな高札を立てたこと、そのことがすでに幕府の警察力の薄弱を充分に暴露したもので、怪しいと見た奴は容赦なく召捕れとか、手向い致さばきり殺すとも、打ち殺すとも勝手次第と触れてみたところで、おかみ役人そのもののもてあます浪人を、進んでとがめたり、からめたりしようという向う見ずは、人民の中にそうたくさんありそうな理窟はない、有名無実な高札だとして、さのみ心に留めてはいませんでした。仏頂寺、丸山の徒ならば、横目で睨んで冷笑を浴びせて通るべく、南条、五十嵐あたりならば、墨を塗って走り去るかも知れません。
 ともかくこの高札が、数年前に掲げられたまま無事であるということが、この地が何というてもまだ直轄の有難さであり、それだけ山間の平和を示しているものと見られないでもない。だが、兵馬は、この高札場へ立寄ったのは、これを読まんがためではなく、何かの道しるべを見たかったからです。
 仏頂寺、丸山が教えることには、飛騨の高山はあれで幕府の代官地だ、ことに先年やって来た旗本の小野朝右衛門のせがれ鉄太郎は、今は山岡姓をおかしているが、この地に於て剣術の手ほどきをしたものだ、ここで井上清虎に就いて剣を学びはじめたのが、そもそもあの男の剣術の振出しだというようなことを言ったから、兵馬はそれに好奇を感じ、一つにはその鉄太郎の修行の名残なごりをたずねよう心構えをしていたのです。

         十三

 先年、飛騨の郡代として来任した小野朝右衛門高福たかよしの次男に鉄太郎というものがあって、それが後に山岡姓をついで、当時江戸の講武所で名うての剣道者となっている。
 この飛騨高山が、その人の発祥地とはなつかしいようだ。左様の人物を育てたくらいの所だから、今も相当にその道の達人がいるかも知れない。第一その鉄太郎が、最初に師として学んだという井上清虎という人は、今もこの地にいるかどうか、必ずや、相当の達人に相違あるまい。健在でおられたら、ぜひとも見参げんざんして行きたい。
 兵馬はくだんの高札場のところから、この市中のしかるべき武術家の門に向って、まずその辺をたしかめてみようと足を進めました。
 しかるべき武術家といったところで、誰と目星をつけて来たわけではない。右の小野鉄太郎と、井上清虎の名をふりかざしてたずねてみたが、要領ある返事をしてくれるものは極めて稀れです。
 でも、ある人が、こんなことを教えてくれました、
「剣術のことでしたら、お代官屋敷へおいでなさいまし。新お代官が、ばかに剣術がお好きで、毎晩毎晩、お盛んな稽古をやらせていらっしゃいます。先のお代官は、剣術の方も名人でいらっしゃいまして、御自身で誰にも剣術を教えていらっしゃいましたけれども、新お代官は、御自身ではどうでいらっしゃいますか知れませんが、お好きにはお好きでいらっしゃいまして、お屋敷の道場をお開き申して、誰にでも自由に剣術を習わせるようにしていらっしゃいます――」
 いらっしゃいます、という言葉を、ふんだんに使って紹介してくれたから、ついこちらでも左様でいらっしゃいますか、それは結構でいらっしゃいます、と返事をしてやりたいくらいに滑稽にも感じたけれど、なんにしても耳よりな話には違いない。
 お代官といえば、この飛騨の郡代のことであろう。徳川幕府よりつかわされたるこの国の支配者で、この国ではなかなか軽からぬ地位である。その新お代官なるものが、道場を開放して、四民の間に剣術を習うことを許すというのは、今時いまどき、世間の物騒なのにつれて備うることの必要を感じたのか知れないが、人民に対して、威張り腐ることの代名詞になっているような代官その人が、進んで武術開放及び奨励とは感心なことである。
 兵馬は、それを聞くと早速に、教えられた通り代官屋敷の道場を叩いてみると、その時に、もはや戞々かつかつとして竹刀しない打ちの最中でありました。
 その音を聞くと勇みをなして、兵馬は玄関から正当に案内を申し入れ、型のごとく出て来た取次の用人に向って、自分が武者修行の旅行中のもので、御英名を慕いて推参したということ、兼ねて「英名録」や、その他旗本の要路の紹介免許状等が口をきいて、一議もなく、快き諒解りょうかいの下に、
「暫くお控え下さい」
 次の案内を、兵馬が玄関先で暫く控えて待っている間、この代官屋敷の奥の一方で、しきりに三味線の音と陽気な唄の声が立上たちのぼるのを聞き、兵馬は一種異様の感を起さないわけにはゆきません。
 庭前では、道場を開放して四民の間に武術を奨励するかと見れば、奥の間ではしきりに三味線の三下さんさがり、それも、聞いていれば、今時のはやり唄、
紺のぶっさき
丸八まるはちかけて
長州征伐おきのどく
イヨ、ないしょ、ないしょ
もり(毛利)ももりじゃが
あいつ(会津)もあいつ
かか(加賀)のいうこときけばよい
イヨ、ないしょ、ないしょ
の調子で、荒らかに三味線をひっかき廻し、興がっている。
 それを聞いて兵馬が興ざめ顔になったのも無理がありません。

         十四

 庭前では尚武の風を鼓吹し、奥の間では鄭衛ていえいの調べをろうしている。
 それをはなはせない空気に感じながら、用人の案内で道場へ通されて見ると、なるほど、盛んは盛んなものでした。
 もう数十人の稽古者が集まって、入りかわり立ちかわり、師範か代稽古か知らないが、大兵だいひょうの男を中心にぶっつかっている。他の隅々には、それぞれドングリ連が申合いの試合をしている。その景気を見て兵馬も一時は感心に打たれましたが、そうかといって、その盛んさがどうも雑然として締りがない。やっている連中を見ると、だらしなく参るのや、勢いこんで猛牛の如くあばれ廻るのや、先後の順も、上下の区別も血迷ってしまっているのが多い。そうして、なお、後から後から繰込んで来るかおぶれを見ると、百姓や、町人風はまだいいとして、ドテラを引っかけた博徒、馬方のたぐいとしか見えないのが、懐ろ手で乗込んで来るのを見ては、唖然あぜんとして口のふさがらない次第です。
 これらの連中、ともかく、一応の礼儀をする、次に道具のつけ方を見ていると、正式に結ぶのもあるが、股引ももひきの上へじかに胴をくっつけるのもあり、ドテラの上へ直ちに道具をつけるのもあって、それらが申合いをすると、見ている者がドッと笑います。
 やがて代稽古らしい大兵の人が、稽古をやめ、道具を取って兵馬の方へ来て挨拶をしました、
「どうか、これらの連中に、一本稽古をつけてやっていただきたい」
とのことです。兵馬はかえって、それを面白いことに思いました。
「おやすい御用です」
 士分連も相当にいたのですけれども、それらは、少年兵馬を見るに異様な眼を以てして、進んで稽古をこおうとはしませんから、兵馬は、それにかまわず、借受けた道具をつけて道場の一方に立ち上ると、代稽古の紹介を待たず、勢いこんでおどり出したのは、猛牛のような一人。
 少年兵馬の物々しさを侮って、いきなり、
「お面!」
と打ちこんで来ました。
 それを兵馬が、ちょっとかわして、肩のところを竹刀しないで押えると、地響きを立てて横に倒れました。その、鮮かな初太刀が、集まっているすべての竹刀を休ませて、兵馬一人を見つめて、仰天のていです。
 出鼻をぶっ倒された猛牛は、起き上るが早いか、覚えたかといわぬばかりに滅多打ちに打ちかかって来るのを、兵馬は軽くあしらい、軽くはずし、あんまりくっついて来る時は、また軽い突きで二三間ね飛ばすと、猛牛がたちまちヘトヘトになってしまいました。
 猛牛が難なく退治せられたと見ると、道場内の空気が忽ち一変します。
 しかし、やや怖れをなしたのは、多少心得ある者だけで、猛牛に次ぐに野牛、野あらし、野犬、まき割り、向うずねの連中が、得たり賢しと自分たちの稽古をやめて、我勝ちにと兵馬の周囲まわりに集まって来たことです。
 でも、最初のように、いきなり、ぶっつかることはなく、一応は礼儀をして、一本お稽古を願う態度を示したはいいが、その後のぶっつかり方は、相変らず乱暴極まるもので、頭から力ずくで、このこざかしい若武者をやっつけろ、という意気組み丸出しでかかって来るから、兵馬はおかしくもあり、それが一層こなしやすくもあり、猛牛も、野牛も、野犬も、野あらしも、薪割りも、見る間にヘトヘトにしてしまい、入りかわり立ちかわり、瞬く間に三十人ばかりをこなしたが、こなす兵馬が疲れないで、入りかわり立ちかわり連がかえって、道具をつける時間を失い、あわてて兵馬に暫時の休戦を乞うの有様でしたから、兵馬は居合腰になって竹刀を立てたまま、暫く休息していました。
 士分連も今は侮り難く、謹んで兵馬に稽古をつけてもらうことになったのはそれからです。

         十五

 誰が復命したものか、この、素晴しい少年の道場荒しが乗込んで来たという報告が、いつのまにか、主人の耳に伝えられたと見えて、奥の間から、現われて来たその人は、いわゆる「新お代官」という人なのでしょう。肥った、色のドス黒いところに赤味を帯びた、それで背はあんまり高くはない男が、小姓に刀を持たせて、よい機嫌で、そこへ現われて来て、家来を相手の兵馬の稽古ぶりを、無遠慮にながめながら、ニタニタ笑っているのを見ました。
 御機嫌はいいに違いないが、それは一杯機嫌であることもたしかです。
 稽古が済んでから、兵馬は、この「新お代官」に引合わせられる。「新お代官」は兵馬の腕の見事なのをほめた上に、どうかできるだけ長く留まって、指導してもらいたいということ、自分はこれから出かけるが、今晩は、ゆっくり君と話したい――というようなことを言うて出て行きました。
 その夜、兵馬は改めて、この「新お代官」に招かれて、御馳走になりつつ話をしたが、わかったようでわからないのは、この「新お代官様」だと思いました。
 水戸の生れだということだが、そうだとすれば、どうして直轄地の代官になれたかということが判然しない。当然、士分の生れの者でなければならぬことはわかっているが、その口調や態度が、ややもすれば、どうしても前身が、バクチ打か何かであったろうとしか思われないものが飛び出す――それだけまた、お役人としては、風変りの苦労人であり、相当に分ったところもあるようです。御主人の出身は、まだよく判然しないが、その口から小野鉄太郎のことは、かなり明瞭に聞くことを得ました。
 その語るところによると、鉄太郎はこの土地で育ったが、生れはやっぱり江戸だ、本所の大川端の四軒屋敷で生れたのだ、祖父の朝右衛門がここの郡代になるについて、当地へやって来たのが十歳とおぐらいの時でもあったろう、おふくろも一緒に来たよ、おふくろといっても、鉄はああ見えてもあれで妾腹めかけばらでな、と言わでものことまで言う。剣術の方かい、ここで手ほどきをしたというわけではない、江戸で近藤弥之助やなんぞについて、その以前にやったのだが、引続いて、この地で学問剣術をやった。鉄に剣術を教えた井上清虎てのは、まだこの地にいるかって? 今はいないよ。よっぽど出来る先生かって、左様、よくは知らんがな、土佐の人だとかいったよ、真影しんかげだ、それと甲州流の軍学を心得ていたということだ。そのほか、この土地の先生に就いて学問もやれば、習字もやったが、なんにしても飛騨の山の中では本当の修行はできやせん、まもなく江戸へ上って、鍛えたから、まあ当今あれだけになったものさ。ははあ、そんなに強いかね。天性力はあったね。鬼鉄おにてつ、なるほど、そうかも知れぬ。だが、感心に若い時分から信心家でな、八つぐらいの歳から観音様を信仰していたものだとさ。面白い話が一つある、叔父さんかなんかのためによろいをこしらえていたが、その出来が遅いと言って怒られた、その晩、先生素裸すっぱだかで、黒の桔梗笠ききょうがさをかぶって、お盆の上へ蕎麦そばを一杯うやうやしく盛り上げ、そいつを目八分に捧げて、その叔父さんかなにかのところへ出かけて、まじめくさって、門口に突立っていたものだから、みんなギャッと言って肝をつぶしたことがある。素裸で、お蕎麦一杯を恭しく捧げて、まじめくさって突立った形は絵になるじゃないか、白蔵主はくぞうすのお使といったような形だね。そんな人を食ったところもあったそうだ。六百石の小野家から、百五十石の山岡へ押しかけむこに行ったところも面白いな。君も知ってるだろう、山岡は静山せいざんといって、日本一の槍の名人さ――とにかく飛騨の高山は、昔、悪源太義平、加藤光正、上総介かずさのすけ忠輝といったような毛色の変った大物が出ているよ。毛色の変った人物といえば、近頃てこずった難物――と申し上げては少々恐れ多いが、とても扱いにくいエラぶつがおいでになって、拙者も弱り切っている。そうだ、君でも当分あの方のお傍にいて、おとぎをつとめてもらうと助かるがなあ――

         十六

 兵馬は、その「新お代官」のうところの難物――というのが、何人であるかを知らず、押して尋ねてもみないで、その夜は辞して帰り、その翌日はまたも昨日と同じ道場で、稽古をつけてやっていると、そこへ不意に、一人の小冠者がせつけて来ました。
 小冠者といっても、これは兵馬がしばしば驚かされつけている宇治山田の米友のたぐいではありません。年は十七八、ほぼ兵馬と同年輩だが、一見、小冠者というよりも、貴公子というべきものであることは確かです。
 薄化粧しているかとおもわれる白面紅顔に、うるしのような髪の毛を、紫紐できりりと結び、直垂ひたたれを着て、袴をつけ、小刀は差して太刀たちき、中啓様ちゅうけいようのものを手に持って、この道場へ走り込むと、さしもの猛者もさどもの中を挨拶もなく、ずしずしと押通り、兵馬の稽古している直ぐ後ろへ立入り、じっと瞳をらして兵馬の稽古ぶりを注視したものです。
 ところが、道場に満つる人々が、この傍若無人の小冠者の振舞を怪しともせず、彼が入りきたった最初から、ほとんどが膝を組み直し、頭を下げて、ひたすら尊敬の意を表する有様が、いかにもいぶかしい。
 二三名を、こなしている間、とくと兵馬の剣術ぶりを注視していたこの小冠者は、
「おお、見事見事、わたしにも指南してたも」
と、早くも道具をつけにかかる。兵馬には、稽古中から、この異様な貴公子の挙動が解しきれないものであったが、いかにも小気味よく稽古をこうのだから、辞すべき理由は少しもありません。
 竹刀しないを取れば、天下に有数の宗師は知らぬこと、大抵の場合に、自信を傷つけられるということのない兵馬は、稽古をつける気位で立合ってみました。
 無論、兵馬の予想通りで、術としては、さのみ怖るるにも足らないが、気象の烈しいことが太刀先に現われて、美音の気合と共に、息をもつかず打ち込む気力はあなどり難い。この稽古を終ってから、右の貴公子が、兵馬に挨拶をして言いました、
「そなたほどの年で、それだけに使える人は全く珍しい、どこで修行なされたか、流儀は直心蔭じきしんかげじゃの」
「はい」
「そなた、剣術ばかりか、他の武芸は?」
「はい、槍も少し覚えました」
「ほう、それは頼もしい、して、馬は?」
「馬――も少しばかりせめてみたことがございます」
「おお、それは一段、では、桜の馬場で、わしと一緒に一せめして、それから小日和田こひわだへ野馬をこなしに行ってみようではないか」
「はい……」
「武芸ばかりかの、そなたは、ほかに何ぞたしなみはないか」
「何も存じませぬ、未熟者でして」
「いや、そうではあるまい、そなたの剣術は本当に修行している、して、泳ぎは?」
「水泳でございますか」
「左様、水泳をそなたはやりますか。わしは水泳が一番の得意じゃ」
「ははあ」
「熊野にいた時は、時候もよくあったし、海が近いから、毎日泳ぎに行って、遠海まで泳ぎ廻り、二三日もやかたへ帰らぬことがあったから、領主が泣いていた。この飛騨には海がないのみならず、わしが食い足りるほど泳ぎたい池も、沼も、湖もない」
「ははあ」
「そなた、何ぞ、芸に遊ぶ心得はないか、たとえば、歌をよむこと、絵を描くこと、香を聞くこと、管絃をかなでることでもよろしい、さもなくば囲碁か、双六すごろくか」
「はい、いっこう何も心得ませぬが、囲碁ならば少々」
「ああ、それはよろしい、わしのところへ来て相手をしてたも……わしもここに閉じこめられて、鬱積して堪え難いのじゃ、わしを不憫ふびんと思うて慰めてもらいたい」

         十七

 兵馬も竹刀しないを取っては、充分にこなし切れるが、このたてつづけの挨拶には、ほとんど応接に困るのでありました。
 第一、このたてつづけの質問の主は、誰人であるかわかりもせず、また名乗りもしない先に、自分の注文だけは遠慮なく提出し、ただ提出するだけならよいが、いちいちそれが命令的になってしまうのです。
 兵馬というものを、この山中の都会で見つけ出して、遮二無二しゃにむに、自分のとぎにしてしまわねば置かぬという権高と、性急とが、全く兵馬をして挨拶に困らせました。
 だが、その身元素姓すじょうを反問するまでもなく、その風采から、服装から、言語挙動のすべてが説明するように、誰もがはばかる堂上の貴公子のたぐいであって、それが多分、何かの仔細で、この山国の小都会に預けられているのだ。かなり身辺の自由は保留されているらしいが、それでも、鬱積して堪え難いものを、自分から解いて任意の行動を取ることは許されていない。つまり、身分ある人が、この高山の地へ幽閉をこうむっているというほどでなくても、ここで謹慎を命ぜられているものに相違ない。ありそうなことだ、この気象では……と兵馬はその点だけは合点がいって、ようやく、隙を見出したものだから、
「して、あなた様は、どちらにおいでになりますか」
「わしは、この川西に家をあてがわれているけれども、わしの周囲まわりは、みんな他人じゃ、わしの気に入った同志たちは、一人もわしの傍へ寄りつかないようにされている、わしが身は当分、この飛騨の高山あたりを外へは出られないことになっている、それが堪えられぬ苦痛じゃ。この地の者共には相手になるのが一人もない、このごろは書物を借りて読んでばかりいるが、もう書物も読みつくした、歌を詠んでも見せる人がない、碁を打ちたいと思うても、その相手すらないのじゃ。それで、わしは無聊ぶりょうに堪えられない、今日、ひとり馬をせめていると、下部しもべの申すことには、昨日、これへ珍しい少年の剣客が見えたとのこと、なにほどのこともあるまいとは思うたが、来て見ると、全く、天晴あっぱれなる手練、そなたというものを見つけたのは嬉しい。これから当分、剣術の相手、馬の遠乗り――もしやそちが、歌を詠むことを学びたいなら、わしが知れる限りは教えてもよい、囲碁、双六すごろくの相手もしてたも」
 そう言って、委細かまわず、兵馬を自分の相手として任命してしまうところ、全く眼中に人はないのです。
 左右の様子を見てみると、代官の役人共、この我儘わがまま貴公子の申し出でを、別段に抑止する模様もなく、むしろ、やんちゃ若様の子守役を、兵馬が引受けてくれれば有難いといったような気色けしき。それを見て、兵馬はいよいよ昨晩の「新お代官」のもてあましの難物というのに思い当りました。すっかり面食ってしまっている兵馬をとらえて、この貴公子は、
「さあ、わしが屋敷へ行こう。わしが屋敷といっても仮の宿じゃ、本当の家は京都の今出川いまでがわにあるが、ここでわしのために定めてくれた家は、今まで空家あきやになっていた――この幽霊の出そうな空屋敷に、いわば座敷牢といったようなものに、わしはひとり納められて、出入りにも人がつき、身の廻りの世話は代官から、むくつけなのが交代で給仕に来てくれるのみじゃ。そなた、これからわしと一緒に、そのわび住居ずまいまで同道しや」
 貴公子はこう言って、のっぴきならず、兵馬をらっして、その自分が幽閉されているらしい屋敷へ連れ込もうというのです。
 それは前に言う通り、それを預かる代官の家中も、かえって同意的に黙認しているらしいから、やがて兵馬はこの貴公子に引き立てられて、道場を立ち出でました。
「飛騨の高山には海が無い……その代り、思う存分駒に乗って、国内を飛ばせてみよう」

         十八

 かつて、仮りに高村卿と呼ばれていた英気溌剌はつらつたる貴公子があって、多少の同志の者を連れて随所を横行し、江戸の三田の四国町の薩摩屋敷の中へ乗込んで、若干の兵を貸せ、その兵をもって甲府を抑え、飛騨を取らんと申し入れて、さしもの豪傑連に舌を捲かせた上に、羅陵らりょうを舞って悠々と引上げたことを――その前後に、武蔵、相模の山中に、異様な物鳴りがあって、時ならぬ時、笛や太鼓の物の音が、里人や、猟師、杣人そまびとを驚かしつづけたことを。
 現に兵馬も、その驚かされたうちの一人で、右の怪しい物音のために、猟師と共に武相の山谷に探検を試みたこともあったということを。
 白骨谷へ集まった、お神楽師かぐらしを標榜する連中が、その崩れでないとは保証ができない。彼等の中には、幕府を制するには甲府をおさえ、飛騨を取らねばならぬということに精細な研究を積み、今や、よりよりその実行にうつりつつあるが、実行にはかなりの大兵と、軍費とを要すること。それに行悩んでいるらしい形跡はたしかにある。
 彼等一味の有志連が、こぞってかつぎ上げるところの盟主は、白面俊秀にして、英気溌剌たる貴公子であった。今このところに鬱屈せしめられている、当の貴公子は、まさにその人であるに相違ない。
 兵馬は今はじめて、その人を見、まず煙に巻かれてしまって、言句が出ないのです。
 たとえば、この人は、初対面の自分をつかまえても呼捨てであるが、いわゆる「新お代官」の胡見沢くるみざわをつかまえても呼捨てであり、のみならず尾州家を呼ぶにも同じく呼捨てであり、談が長州、薩摩の大守のことに及ぶと、これらの大名をつかまえ、自分の家の子のように呼捨てにしてはばからないことのみならず、江戸の将軍一族に対しても、或いは家茂いえもちがと呼び、慶喜よしのぶがと呼んでいる。それが夜郎自大やろうじだいでするような、衒気てらいげにも、高慢にも響かないで、いかにも尋常に出て来る。さながら、そう呼んで差支えないだけの家に生れた子が、そう呼んでいる通りの自然にしか響かないのです。
 おそらく、この貴公子の唇頭からは、日本の国の中では天皇すめらみこと御一人に対し奉りてのほかは、色代しきだいを捧ぐる必要のない、御血統に生れ給うたお方ではないかと思われるほど、それほど自然に、この貴公子の尊大な言語挙動が、兵馬の耳と眼に、尋常に映じきたることであります。
 そこで、この貴公子にらっせられた兵馬は、宮川を前にした大きな一構えの中へ引張り込まれてしまいました。これが多分、川西の屋敷とでもいうのでしょう――兵馬が連れられて来る背後を、ものの一丁ずつも離れ、たしかに三人のさむらいたちがつき従って来るのを認めました。
 御家来ではなし、これは代官から、従者とお目附をかねた附人つけびとたちだなと、兵馬は感づきました。
 川西の屋敷へ着いて見ると、そこに用人らしいのが、玄関に頭をつけて待っている。
 貴公子は、さっさと奥へ通って、自分の居間と覚しいところの一室に座を占め、兵馬を坐らせて、涼風を煽って、汗ばんだ肌を押しくつろぎ、
「そなた、もう食事は済みましたか。これから桜の馬場へ馬をせめに行こう――明日は午前に、そちに剣術を教えてもらい、午後には馬に乗り、夜分は双六……そちは双六を知らぬとな。では碁を打とう。ああ、よい友達を見出し得て、わたしはしあわせじゃ」
と言って、中啓を閉じて、ハタハタと刀架かたなかけを叩いたのは、人を呼ぶためらしい。
「そなた、さしつかえる事なくば、この屋敷に来てたもらぬか。朝夕、わしと一緒にここに起臥おきふししてたもらぬか。いいや、代官に断わるまでもなく、そちがよいと言い、わしが望むと言えば、それで仔細はない」

         十九

 その晩、貴公子と兵馬とが碁を囲んでいるところへ、恐る恐る用人が、次の間からうかがいを立てました、
「御清興中恐れ入りますが、ちとお願いの儀がござりまして……」
「何事じゃ」
「まことに恐れ入りまする儀ではござりますが、お聞届けの儀をひらにお願いつかまつりまするでございます」
「は、は、は、お願いの儀とか、お聞届けの儀とか言うて、その儀の本義を言わぬ先に、恐れ入ってばかりいてはわからない」
「実は、この家の主人が立戻って参りました儀で……」
「ナニ、この家の主人が戻って来たとな。それは不思議じゃ、この家の血統は死に絶えて、幽霊が出るなんぞというて、誰もすみてが無いというから、これほどの屋敷を惜しいものじゃ、そんなら、わしにくれと言うておいたのに、今になって主人が戻って来たとは奇怪な……」
 白石しろを指頭にハサミながら、貴公子の挨拶が用人の頭の上を走ります。
「はッ、御不審御尤ごもっともでいらせられまする、実はその、当家の主人がかえって参りましたと申しましても、生きて戻ったわけではござりませぬ」
「ナニ、生きて戻ったのでなければ、死んで戻ったのか」
「はい」
「それはまた、死人がどうして、これへ戻ったのじゃ」
「ええ、もう無いものとあきらめておりました死体を、ゆくりなく、このほど、水の底から見つけ出しまして、今日、引取って参ることになりました」
「何と言いやる、今まで水の底にかくれていた当家の主人の亡骸なきがらが、このたび、見つかったゆえに、それを引取って参ったとな」
「はい、左様の次第でござりまする」
「生きているのでないならば、もはやこの家の主人ではあるまい」
「左様の儀でござりますが、なにぶんにも、親類縁者が数多くござりまする故」
「親類縁者が多数にあっても、この家のあとを継ぐべき者は無いというのではないか」
「御意の通りにござりまするが、なにぶんにも、死体とはいえ、当家の主人が見つかりました上は、親類縁者一同寄り集まり、相当のとむらいの営みをしてやらねばならぬと、そのように申しておりまする」
「いかさま、それはありそうな儀じゃ」
「就きまして、恐れ入った次第でござりまするが、葬儀万端を営みたいと申しまするために、当分当家を拝借したいが、この儀いかがのものにやと、親類縁者共の願いでござりまするが……」
「この屋敷で、葬式を営みたいと申すのか」
「恐れながら、左様な不浄の次第ゆえに、公家様くげさまにはこのところを御動座あそばされるようにお願いでござりまする、二の丸に新たに御座所の用意を仕り置きました故に、明日にもあれへ、御動座のほどお願い致したい儀でござりまする」
 次の間で、用人がこれだけのことを、平身低頭して申し入れたのを、問答ていに聞いて、これまで来ると、貴公子が暫く沈黙してしまいました。でも、兵馬との碁を打つ手は休めないで、返答のみ途切れていたが、やがて、
「それは一応聞えたが、それまでには及ぶまいにな。生きて戻ったものならば、わしも一儀なく、この屋敷を明渡してよろしいが、主人が死んでしまっている上は、主人とはいえまい、やっぱり、わしが主人じゃ、わしが許すから、遠慮なくこの屋敷で葬儀をとり行え」
「えッ」
 用人はあきれてしまう。
「死んだ人が生きたものを走らせることは、諸葛孔明しょかつこうめいのほかにはないことじゃ、おうおう、これは其方そのほうが何かと言いかけるものだから、死んだはずの宇津木の石が、どうやら生き返ったわい。よしないことを其方が言うものだから、わしが仲達ちゅうたつの憂目を見せられる」

         二十

 この貴公子が、どうしても動座をがえんぜざるがために、用人の面上に現われた苦渋、難渋の色は、見るも気の毒なほどでありました。よって見兼ねた兵馬が、
「ほかに家はないのですか、ただお葬式を済ますだけの家はありませんか」
と、あまり巧妙ならぬ調停の言葉をはさんでみました。
「それがその、ほかの事と違いまして、現在自分の家がありながら、葬式の席をかせと申しがたいことでもござりまするし、それに、当人が、第一よろしくござりませぬ、それ故に死んだ後までも親類中にみ嫌われて、葬式の席を貸そうと申し出でる者も無いこと故に……」
 用人が、かく弁解すると、貴公子は、
「だから、この家でやるがよい、わしはいっこうかまわぬのじゃ」
「それが、はなはだ恐れ多い儀でござりまして、当人は不浄の上に、人より天罰と申されるほどな非業ひごうの死を遂げた人間でござりまするが故……」
「うむ、天罰、何かよほどの悪いことをしたのかな」
「淫楽にふけりまして、目も当てられぬ挙動ふるまいをのみ、致しおったそうでござります」
「ナニ、淫楽に耽った……」
「はい」
「淫楽――というのも程度問題じゃな、これだけの家を踏まえている主人として、めかけの一人や二人あったからとて、死んだ後まで、そう嫌わんでもよいではないか」
 貴公子が存外、さばけて挨拶をするのを、用人は、いっそう恐縮して、
「それがその、男性でござりませぬが故に……」
「男性? 男ではないのか、この家の元の主人は」
「はい、夫なるものは死に失せまして、後家を立てておりましたが、いやはやどうも、箸にも棒にもかからぬ淫婆でござりまして……」
「おお、そうか、女主人であったのか」
「はい」
 しかしながら、女主人であるが故によいとも、悪いとも言わず、碁の手が難局になったと見えて、そこで貴公子は沈黙してしまいました。せっかく、ここまで話をすすめた用人は、その結論が聞かれないので、がっかりしたが、やっと少しばかり膝をにじらせて、
「左様な不所存者の非業の死体をこのところに引取り、御座元ござもと間近をけがすことは、恐れ入った儀でござりまする、さりとて、当人の死体のために席を貸すという家は一軒もござりませぬ、よって、この不浄の家を……」
「待て、待て」
 貴公子は石をパチリと落し、
「そのほうは、よく不浄の家、不浄の家と申したがるが、わしがいる間は、この家の主人じゃ、不浄呼ばわりは聞き苦しいぞ」
「恐れ入りました」
「いったい、その非業ひごうの死を遂げたという婦人、この家の女主人というのは、いかなる死に様をしたのじゃ」
「はい、水死をいたしました」
「水死――水に落ちて死んだのか」
「はい」
「このあたりには、落ちて死ぬほどの水たまりは無いではないか」
「はい、実はその、これより国境を越えて信濃分になりまする白骨谷というところで、水死を遂げました」
「白骨で……」
「はい」
「一概に水死というが、あやまって水に落ちて死んだのか、得心で水に投じて死んだのか」
「それが、いずれともわかりませぬ」
「ははあ……」
 今や局面の定まるところに一石を下ろした貴公子は、うわの空で用人に向い、
「いずれにしても苦しうはない、今晩でもよろしい、明日でもかまわぬ、その死体をこの家へ運ぶがよい、遠慮なく。次第によってはわしが施主となって、その淫楽の女主人とやらのともらいをしてやってもよい」
「恐れ入りました」

         二十一

 用人としては、もはや、それ以上には押すことができません。
 ぜひなく、この事を、主人たる代官に向って申し上げ、その復命を待って事を決するよりほかはないと思いました。
 夜更くるまで、兵馬を相手に碁を囲んでいた貴公子は、やがて、極めて機嫌よく寝室に入りました。兵馬のためにも、すでに、この家に泊るべく、代官の方から用意が充分にしてあったのです。
 しかし、その晩のうちに、淫楽の後家さんの非業の死体というのが、この家へ乗込んで来た形跡はありませんでした。
 その翌朝、未明に貴公子は兵馬を促し、二人が飄然ひょうぜんとして、この屋敷を出かけてしまったから、あとのことはわかりません。多分昨日約束しておいた通り、日和田ひわだとやらへ野馬をせめに行ったのではないかと思われます。だが、その日の七ツ時になると、果して、右の淫楽の後家さんの死体というのが、この屋敷へ乗込んで来ました。
 自分の家へ、自分の死体が乗込んで来たということは、少しも不思議のことではありません。
 ことに、新たに家を預かっている人の、あれほどの諒解を得ているのだから、なおさら不思議のことはないのです。やかましく言った代官の方でも、貴公子の充分なる諒解があったから、黙認の形式を取ったものだろうと思われます。
 広間の真中へ置かれた一つの新しい寝棺ねかん。その中には、当主であるべき例の淫乱の後家さん、白骨谷の通語でいえば、イヤなおばさんの亡骸なきがらが、白布に覆われて、いとも静かに置かれてある。
 夜になるとその周囲に、幾台もの燭台がともっている。昼のように明るいと言いたいが、その光が湿っている。棺の後ろには阿弥陀如来の掛像があり、棺の前には、さまざまの供物くもつがある、香炉がある。すべての調度は遺憾いかんなく整っているところに、ボツボツと集まった親類縁者というものが、それでも、いつのまにか、その広間にあふれるほどの景気となったのは、何といっても、この土地きっての大家の余勢でしょう。おのおのが線香をあげたり、水をやったりする。
 時としては、こういう席が、かえって賑やかになるもので、故人の徳をたたえてみたり、その邪気つみのない失敗談をすっぱ抜いてみたり、また泣く泣くも、よい方を取るべき遺品かたみ分けの方へ眼が光ったりして、湿っているうちにも、かなりの人間味が漂うべきはずであるが、この席に限ってほとんどそれがないのです。
 お義理だから集まっては来たけれども、いずれも、むっつりとした顔をして、特に何かの故人のしのびごとを言い出でようという者もなく、どうして発見して、誰がいつ持って来たかということを、念を押す者もなく、よく見つかったという者もなく、悪く持ち帰したという者もなく、全くお義理で、イヤイヤながら寄って来たという空気が充満して、全く白けきったお通夜の席が出来上りました。
 こんな空気の中に、たった一人、目立ってハシャイでいるのは、新家しんやの徳兵衛といって、イヤなおばさんにはおいか何かに当る、それでも、もう相当の年配で、三十七八というところ、女房も、子供も、充分に備わってしかるべき分家の主人であります。
 この男が、万事をとりしきって、白けきった席の蝋燭ろうそくしんを切らしたり、湿っぽい席に笑いの種をかせたり、ひとりで、座を取持とうとしている努力が見えます。その努力が報いられて、一座の連中とても無言のぎょうをするために集まって来たのではなく、相当の社交性に動かされて来ているのだから、やがてはその空気も、幾分か緩和されて、世間話も出たり、笑い声も聞えたりするにはしました。その時分に、いきなり表から飛び込んで来た若い男がありました。眼はうわずり、口はひきつって、
「お、お、おじさん……お前は畜生を、人でなしを、生きたけだものを、家へ連れて来て、葬式をなさるそうだ、わ、わ、わしが不承知だ、わしが不承知だ」

         二十二

 この声で、満堂のお通夜の客が、一時に、そちらに眼を集めると、血相を変えて立っている若い男は、これも、この家には一族に当る角之助という江名子村えなこむらの山持ちの息子でした。
「何じゃ、角之助、あわただしい、そちゃ何事を言うのだ」
 徳兵衛も、穏かならぬ応対です。
「お、お、おじさん、こ、この死人というのは、人間じゃござんせんぜ」
「ナ、ナ、何を言わしゃるのだ、皆様もきいてござるに」
「何を言うものか、そ、そ、そこに、長い箱に寝そべっている、そりゃ何者じゃ」
ほとけじゃわい、阿房あほう言うな」
「仏、仏、おかしいわい、けがらわしい、そ、そ、そんな仏があるかい、畜生じゃ、畜生じゃわい」
「ナ、ナ、何を言いくさる、おぬし、気が違ったか」
「気は違やせんわい、お、お、おじさん、お前が気が違ったろう、お前ばかりじゃない、ここへ集まる、皆さんが、みんな気が違っていなさるのじゃわ」
「ナ、ナ、ナ、ナニを御無礼なことを言わっしゃる、わ、わしはいいが、皆様を気違いじゃとは、そのおとがい――……」
「気違いでなくて何じゃ、この、この人でなしは、この家へ入れるべきもんじゃない、皆様、皆様も、こんな人でなしの畜生のために、なに、御回向ごえこうがいろうぞい、おかしいわい、へそがよれるわい」
「わりゃ、わりゃ、まだぬかすか、ほんとうに慢心じゃ、ほんとうに気違いじゃ」
「いいや、わしは気は狂わぬ、この人でなしをここへ連れて来た者が狂っている、ここへ集まった者は性根しょうねが腐っている」
「まだ言うか、われ、そのおとがいを打砕ぶっくだいてくれる」
「砕けるものなら砕いてもらおうわい、その前にわしが言うことを聞いて置きや、この仏、仏ではない、人でなし、地獄、畜生婆あはこの川杉屋で何をしたか、皆様、知ってござろう。これほどの身上しんしょうを滅茶苦茶にして、病気の養生をさし置きながら、男三昧おとこざんまいのしたい放題、角力すもうが来れば角力、役者が来れば役者、外にいるやくざ者、家へ置くのらくら男、みんな手を出したり、足を出したり、世間の物笑いは苦にもせず、親類一同の顔に泥を塗り、それのみか、御亭主の直右衛門殿の病気でふせっている眼の前で、浅公という若い奴ととち狂い、世間のうわさでは、毒を盛って直右衛門殿を殺したといわれる。それで、その浅公という若いのを連れて、温泉びたり、いい気になって湯水のように身代をつかい散らす、あれでばちが当らなければ当る人はないと、皆さんまで、みんな評判をなさったじゃないか。ところがどうです、お天道様はムダ光りはござんせんや、とうとう白骨の谷で神隠し、沼へ落ちたとか、岩にぶっ裂かれたとかいって、今日まで行方知れず、ほんとに天罰は争われないものだと、皆様もおおっぴらにおっしゃった。こっちも、やれやれ浅ましいことじゃ、せめてものこと、その浅ましい死様しにざまさらされず、神隠しになっているがお慈悲じゃ、沼へ落ちたなら、死体がまったく底へ沈んでしまって浮き出さないように、岩にぶっ裂かれたんなら、鳥獣の餌になってしまって骨も残らないように、それだけを念じて、今日まで見つからなんだのを仕合せと思っていたら……なんという因果じゃ、今日このごろになって、業晒ごうさらし、恥晒し、不浄晒しな死体が見つかったという。わしは、あっちで焼くなり、埋めるなり、よう処分して、こっそり帰って来ると思ったら、そのけがらわしい、業晒しを、正のまま、ここへ持って来て、この家で葬式をするそうな。なんという、ナ、ナ、なんという阿呆、何という物知らずの集まりじゃ。この葬式とむらいは、わしが不承知、そ、そんな地獄の、畜生のばちあたりに、この畳一畳でも汚しちゃ済まぬ、引き出せ、叩き出せ、ほうり出して犬になと食わせてしまえ」
 憤慨のあまり、吃弁が雄弁となり、たけり立った角之助が、棺箱に向って飛びつきました。

         二十三

「こ、こ、こ、これ、何をしくさる」
 今度は徳兵衛が、どもり且ついらって、棺に向って飛びついた角之助をおさえ、
「いまさら、お前が、それを並べんでも、わしも知っとる、皆様も御存じじゃ、この席で、それを並べ立てて何になる、生きている間は生きている間、死んだ者は死んだ者じゃ、たとえ生きている間は畜生であろうと、死んだ上は、相当のとむらいをしてやるのが礼儀じゃ、人情じゃ、それをお前は……」
「いけません、おじさん、そ、そ、そんな礼儀や、人情は、この場では通りません、とむらいをしてやるならば、してやるようにして、それからなさい、こいつは、この人でなしの亡骸なきがらは、この家から引き出さにゃなりませぬ」
「こ、これ、阿呆するな、ばかな真似まねをするな」
「誰が何と言っても、わしが不承知じゃ、これは追い出さにゃ置かぬ」
「理不尽な、それでは、わしが承知じゃ、わしが承知で、この葬式はする、お前の知ったことじゃない、お前こそ、この席からほうり出してしまうぞ」
「わしを、抛り出す、本当の人間の道を言うわしを、ここから抛り出して、人でなし、畜生の亡骸を、上壇でおとむらいなさる、面白い、それができるなら、おやりなさい」
「できるとも、さあ、わりゃ、出てうせろ、出てうせろ」
「わしを手込めになさったな、おぶちなさったな、おじさん、お前にも言い分がありますよ、お前だって、この死人が、人でなしが生きている時は、わしと一緒に、さんざんに悪口を言って、人間の皮をかぶったけだものじゃとばかりおっしゃって、交際つきあいも、口きくこともせなんだじゃないか、それを何と思って、こんなに肝煎きもいりぶりをなさるのは、たいがい様子が知れたものじゃ、お前はこの、川杉屋の身代が欲しくって、そうして、それで今更、取ってつけたような追従ついしょうをなさるのやろ」
「何、何を言いやる、わしが川杉屋の身代が欲しいから、それでこの席を取持つ、阿呆もほどほどにしておきなされや、ほかの言い分とは違うぞや。生きてるうちはともかく、死んでしまってみれば、こうもするのが世間様への礼儀、人情じゃ、たとえ犬猫が死んでも、道路へほうりっぱなしにもしておけない、そ、それを、わしが好きこのんでするのみか、ここの身代が欲しくてするとは、聞捨てのならないたわごと。せても枯れても新家の徳兵衛は、妻子を食わすだけの用意は欠かさぬぞ、貴様こそ、そんな言いがかりをして、この身代が欲しいのやろ」
「笑わせなさんな、親類寄合いの時、わしをこの家の後嗣あととりにと、相談のきまったのを、こんなけがらわしい家はいやと、きっぱり断わったわしの舌の根を見ておくんなされ。おじさん、お前こそ、お前こそ怪しい」
「怪しいとは、何が怪しい」
「胸に聞いてごろうじろ、お前は、お前はとうからこの川杉家をねらっていた」
「聞捨てならん、こいつが、この席で、皆様の前でこうしてくれる」
 徳兵衛は、よほどこたえたと見えて、いきなり、角之助の頬っぺたを、したたかにつねり上げる。
「あいた、た、た」
「うぬ、こうして、こうして、その横に裂けた口をいたしめてくれよう」
合点がってんだ、人でなしをかばうは人でなし、おじとは思わん」
「うむ」
「こん畜生」
「獄道」
 叔父と甥とが棺の前で、組んずほぐれつ、大争いを捲き起したのはほとんどつかの出来事で、最初から、この寄合いがつかみ合いになるまで手を束ねて、呆気あっけに取られていた会衆が、ここに至るとじっとしてはおられません、一時に仲裁に向って立ち上りました。

         二十四

 叔父は甥の口を両手で引裂こうとし、甥は叔父の両鬢りょうびんをむしり取ろうとして、取っ組んで、棺の前に重なり合い、転がり合っている二人の身体からだに、立ち上った仲裁の会衆も手のつけようがありません。そのうちに、また他の一方で物争いが持上りました。
 これは仲裁として立ったお通夜の者の中に、また別に、二つの説があって、
「角之助さんの言うのがもっともだ」
と言うのと、
「新家の旦那の言い分が人情だ」
と言うのが衝突して、早くも組打ちがはじまってしまったことです。
 仲裁する者が仲裁されるようになると、今夜はどうしたものか、最初から空気そのものが只事でありませんでした。妙に人の心を沈めて、そのくせ神経をイライラさせるような低気圧が、この家の周囲に覆いかぶさっていたのか、それとも、この室内の空気がら、おのずからそういう悪気をはらみ出したのか、それは知れません。
 仲裁が、二説にわかれては、争いがあるばかりで、妥協の望みは壊されて行くのみです。
 口をいているうちに、それがついに物争いになってしまいました。日頃、温厚を以て聞えた分別ふんべつの者までが、言葉にとげを持って、額に筋を張ってりきみ出したことは、ものにつかれたようです。ですから、血の気の多いものは、言葉より手が早くなりました。どうしても、そういう空気が、そうさせるとしか見えないのです。
 今や、棺の周囲に喧々囂々けんけんごうごうとして、物争いのののしりと、組んずほぐれつの争いと、棺を引摺り出そうという者、そうはさせまいとする者とが、座敷いっぱいに荒れ狂うている形相ぎょうそうは、どうしても、この室の内外に、何か力があってそうさせると思うよりほかありません。そうでなければ、石占山いしうらやまから取って来てお茶うけのつもりで出したあのきのこの中に、きちがい茸があってそれを食べたために、すべての者が狂い出したのでしょう。
 そう言われれば、たしかにそうです。家の外の低気圧でもなく、室の中の悪気でもなく、あの茸です、あのきちがい茸です。それを食べたから、食べたすべての者が、こうして狂い出してしまったのです。ただ、罵る者、組んずほぐれつする者、棺を引き出そうとする者、そうはさせまじとする者のみではありません、大動乱の半ばに、大きな顔をして笑い出す者が起りました。とめどもない高笑いをしながら、かたえの人のまげを持って引きずり廻していると、引きずられながら高笑いをしつづけている者もあります。
 柱へ登ろうとして、すべってまたのぼり、
「廻るわ、廻るわ、この家屋敷がグルグル廻る、廻り燈籠どうろうのように廻らあ、廻らあ」
と、天井を指しながらわめく者も起りました。
 原因はわかりました、茸のせいです、毒のある茸のせいです。
 もし、たった一人でもいいから、その茸を食わなかった者があるならば、早く走って医者のところへ行きなさい。
 ところが、走り出そうとすれば、どっこいとつかまえられてしまいます。
 深夜のことで、大きな構えですから、あたり近所からも急にせつけて来る者はないようです。
 行燈あんどんも、蝋燭ろうそくも、線香も、メチャメチャです。畳をこがしただけで、消えてしまった蝋燭は幸い、座敷の一隅へころころと転がって行った鉄製の燭台に火のついたままのが、障子のところまでころがりついて、パッと燃えて、障子にうつったのは、ワザと火をつけに行ったようなものです。
 障子の紙を伝って、天井へメラメラと火がのぼると、折悪おりあしく、そこへ油単ゆたんの包みが破れて、その紙片が長く氷柱つららのようにブラ下がっていたのを、火の手が、藤蔓ふじづるにとりついた猿のように捉えると、火は鼠花火の如く面白く走って、棚の上なる油単の元包みそのものに到着してしまうと、暫く火の手だけは姿を隠したが、やがておびただしい煙の吹き出して来たのを、組んずほぐれつの座敷の者は、誰あって気がつきませんでした。

         二十五

 これはまさしく一大椿事ちんじです。
 きのこのさせる業と見るよりほかにみようはないが、それにしても、一応食物を分析した上でなければ科学的の立証はできないが、巷間こうかんの伝説に従えば、左様の例は決して無いことではない。
 茸のために一家狂死くるいじにをしたということもあれば、笑死わらいじにをしたということもあるにはある。
 この附近の石占山いしうらやまというところは、文化文政の頃から茸の名所となってはいるが、そこで取れる茸は、松茸まつたけ湿茸しめじ小萩茸おはぎたけ初茸はつたけ老茸おいたけ鼠茸ねずみたけというようなものに限ったもので、そこから毒茸が出て、人を殺したというためしはまだ無い。
 しかし、茸の生える所がこの国で、石占山ときまったものでない限り、どこにどのような毒茸が真茸顔まだけがおをして、人間をたぶらかしていたか知れたものではない。天狗茸てんぐたけ蠅殺茸はいころしたけ虚無僧茸こむそうたけ落葉茸おちばたけ萌黄茸もえぎたけ月夜茸つきよたけ笑茸わらいたけ、といったようなしれものが、全く真顔をして、茸には慣れた山人をも誘惑して、毒手をたくましうするという例も絶無ではありません。
 すべて、この場の突発椿事の一切の責任を、挙げて茸氏にしてしまおうとするのは、右に挙げた類の茸族のうちのいずれがその加害者であるか、或いはほとんど全部の共謀のような形になっているか、或いはその中のほんの一種類だけの悪戯いたずらに過ぎないか、その辺を再応吟味してみる必要はあるのです。いかに毒茸族が憎いからといって、茸の方から進んで人の口に飛び込んだのではない。その現行犯でないものをまでも捕えて、罪に落すのは酷といわねばなりません。
 しかし右の毒茸族のうちでも、今宵の犯罪者は、極左に属したものでないことだけは、不幸中の幸でありました。
 毒茸党の極左に属するものには、人間が手を触れただけで、その触れた部分を腐らせてしまうものがある。もしそれを取って胃袋の中へでも送ろうものならば、たちどころに内臓の全部を顛覆し、人間の外体を一昼夜もころげ廻って悩乱させ、その全身を紫斑色にして虐殺してしまう。それに比べると、今晩この連中を昂奮せしめた茸氏は、社民系に属するものと見てよいかと思う。
 昂奮させ、反抗させ、或いは笑いを爆発せしめることはあるが、生命を奪うまでに、人体を苦しませることはしていないようです。だが、どちらにしても茸にあたった毒は、河豚ふぐに中った時と同じことに、その薬がなく、救済方がなく、ただ時という医者をもって、生かすか、殺すかの処分を待つほかは手段がないそうですから、この場のなりゆきも、手をつかねて見ているよりほかはありますまい。
 右の如く、底止ていしすることなき、突発の椿事が椿事をうみ、天井から先に火がついて、室内をパッとすさまじい明るさにしてしまいました。それと共に、大入道の出すような赤い舌がメラメラとして、室の四隅を上から下へとめ廻して来たので、さすが動乱している会衆も、その異様な赤味と、赤味があおる熱さとに、いたたまれなくなったと見えます。
 そこで彼等のうちの一隊は、イヤなおばさんの入れられた寝棺を、無意識に担ぎ出しました。われも、われもと、その寝棺に手がかかり、肩がかかると、お神輿みこしむが如くに、その寝棺を揉み立てると、それを自然に、後ろから火勢が煽るものですから、ちょうど水が溢れて、船が動き出したと同じように、いつか知らず、寝棺は家の外へとかつぎ出されましたが、棺にとりついていた幾多の人々は、半面火傷やけどの者もあり、衣服にまで火のついたものもある。
「あ、あつ!」
「熱!」
 火が室外に追い、熱さが、この一行を宮川河原まで追い出してしまいました。
 やはりお神輿を揉むように、揉みに揉んで宮川の河原へ、一同が押し出した時分になって、あたり近所がようやく騒ぎ出しました。打てば響くように代官所が出動したのは、単にこれは、一民家の騒動だけではないと見たからであります。

         二十六

 かの高村卿と呼ばれた公達きんだちと、宇津木兵馬とは、この時、右の屋敷に居合わさなかったのは確実です。
 それは、この葬式のために右の屋敷を立ちのいてしまったものではなく、公達と兵馬とは、この日、早朝から馬を並べて、日和田まで野馬をせめに行って、まだ戻って来ないうちの出来事がこの通りなのです。
 もとより、二人とも、遠乗りのつもりで行ったので、泊って来る予定ではないのだから、こんなに遅く帰らないということは、出先で、その野馬ぜめなるものが、帰ることを忘れしめるほどに面白かったものか、そうでなければ、途中何かの事故を生じたために、こんなに遅くまで戻らないのでしょう。
 左様、事実はその前者でありました。
 日和田というのは飛騨の国内ではあるけれども、信濃、木曾御岳の境に当り、その辺の村の家々に飼われた馬は、毎朝、夜の明くるを待ちびて、うまやの戸をハタハタと叩く。
 早く、戸をあけてくれよとの、持主に向っての合図です。
 持主の家では、馬の催促に従って厩の戸をあけてやる。家々の馬は、いななき合って、勇ましく打群れて走り出す。誰もく人もなく、御する人もないのに、思うまま野に出でて、終日を遊び暮らす。
 或いは馬首をあげて、北風か、南風か知らないが、風に向っていななくのもある。或いは軽俊にせ違って飛行するのもある。或いは打連れて谷川をかち渡るのもある。或いは子をいたわって丘を上るのもある。或いは牝牡めすおす、むつまじく交尾するのもある。かくして夕陽の峰に隠るる頃になれば、やはり人間のきたって迎えざるに、おのおの隊伍を組んで、また以前の厩に帰って、おとなしく納まる。
 公達きんだちと兵馬とは、親しくその光景を見て、動物の有する相互扶助と、それから、無政府状態にして一糸乱れざる統制ぶりに、まず感心させられました。感心して後、彼等の仲間に分け入って、公達がいきなり、駒の勇ましい奴を一つつかまえて、乗ろうとすると、その駒はいたく驚いたようでしたが、周囲まわりの馬もまた、長い面と、黒い眼を驚かせつつ、いたずら者の為すところに、やや恐怖の念を抱いたようではありました。
 さりながら、この二人連れの者にいささかも害心がなく、やはり駒同様の、はずみきった若い人間種族が、我々と遊びたいがために、わざわざここまでやって来たに過ぎないのだ、我等をとって以て、肉親の愛を剥ぎ、これを市場に売ろうとして出て来たばくろうたぐいでないことを知り、いわば、これは、我等のための珍客であるというよりは友達である、この珍しき友の、遠方よりきたるものに向っては、充分の好意を披瀝せねばならぬとでも考えたのでしょう、暫くして馬共は、よろこんで二人のために背中を貸しました。
 背中を貸すだけではなく、やや疲れたと見た時分には、草にふしたその腹を提供して、そこにもたれて眠ることをさえ許すの風であります。
 かくて、二人はえりどりに、甲馬から乙駒、乙駒から丙丁へと、のり替え、かけ替え、その終日を、馬と共に遊び興じて、ついに帰ることを忘るるほどの興味にられて、事ここに至ったのです。
 行く時のつもりでは、ここでめぼしいのがあったら、二人で一頭ずつ曳いて帰るつもりでしたけれども、こうして馬を見ると、そのうちのどの一頭を選んで、自分のものにしようとの気分が、全くなくなってしまいました。
 これはこのままでよろしい、やはり野に置け――と言い捨てた時分に、ああ、日がもう御岳へ隠れてしまった、さあ、帰りを急がねばならぬ……

         二十七

 そこで、二騎相つれて帰路にはついたけれども、せっかく、ここまで来た以上は、雌沼めぬま雄沼おぬまへ廻ってみようじゃないかという動議が成立し、ついにこの神秘なる二つの沼を探って帰ったために、帰りは全く夜になりました。
 それでも、二人は馬乗提灯をともし、上手に馬を御して、あえてあせらずに、打たせて来たものですから、ところによっては、世間話に興を催す余裕さえあります。
 二人は、こうして若い同士に、清興と、冒険とを兼ねて、いい心持いっぱいで打たせて行きましたけれど、ここに気の毒千万なのは三騎のお附人つきびとです。
 出立の時から、相離れて、つき従っては来たけれども、この連中は、いずれも公達と兵馬ほどの乗り手ではなかったものです。お役目やむことを得ず、慣れぬ馬にくらを置いて来たが、道の難所へ来ては、かじをさらわれた舟のようにわずらわされきって、おのおの泣かんばかりに鞍壺にとりついて歩ませたり、なかには下り立って、馬の口を取って、馬をいたわり歩かせて来る有様でしたから、自然、前なる二騎とは遠い隔りが出来てしまいます。
 高村卿は、世間話が、ちょっと時事に触れて来た時、一種の慷慨に満ちた憂色をもって、
「左様――何がどこへ落着くかわからない時代じゃ、宇津木、そなたはどう思います、関東の政治が続くか、公家の世となるか……そなたも、諸国を歩いている、そちの見るところの形勢では……」
「拙者共には、いっこう天下の形勢などわかりませぬが、しかし、もはや関東の勢力も末で、世の改まるのは時間の問題に過ぎないとは、誰も感じているようでござります」
「その通り、武家の政治にはみなきた、武家自らも、わが身でわが身が持扱いかねている、そうすれば当然、政権は公家の手に戻り、大日本は一天万乗の君の御親政となる。そちは、それを悦ばしいとは思わぬか、早く、左様な時勢の来ることを望む気はないか」
「それは、いずれの贔屓ひいきという儀はござりませねど、人民一般のためより言えば、斯様かような内憂外患の不安極まる世が明け渡って、天日を仰ぐような朗らかな時勢が来ることを、望まないはずはござりませぬ」
「それそれ、遠からずその世が来るのじゃ、夜が明けますぞ、北条、足利の時代が終って、万民の待ち望む中興の時代が来るのは、ホンの目睫もくしょうかんである」
 貴公子は、慷慨と共に前途に希望を置いて、おのずから、昂奮を禁じ得ざる態度であります。しかし兵馬は、自身、風雲児をもって任じておらぬだけに、この問題には、いつも、かなり冷静に見もし、聞きもしておりましたものですから、この時も、極めておとなしく言葉を加えてみました――
「しかし……かりに徳川家が倒れましても、第二の幕府が起るようではなんにもなりませぬ。北条が倒れて、後醍醐ごだいご天皇の御親政は、ほんの僅かの間、また足利氏が出て、武家でなければ治まらなかったのではありませぬか。今、かりに、江戸の幕府が倒れても、長州とか、薩摩とかが代って天下を取るようになりますと、つまり公家の御威勢を肩に着て、やはり武家の世になってしまうのではござりますまいか。この点は、公家に於て、よく御考慮なさるべきところじゃと、心ある人はそれを憂えているようでござりまする」
「そこじゃ、それそれ、次の時代を中興の時代とするはよいが、漁夫に利を与えてまた足利にしてやられてはならぬ、公家の英雄をして、遠く護良親王もりながしんのうや、近く中山忠光卿のあとを踏ませてはならぬのじゃ……公家に人ありや、否や」
 貴公子は再び慷慨に落ちた時、馬は美女峠の高みに立って、飛騨の平原を見おろしておりました。無論、高山の町の夜が眼下に見える。
「あれ、火が……高山の町の中に火が起ったのではござりますまいか」
と馬首をとどめて、兵馬が言いました。
 なるほど火だ、火事としても小さからぬ火事だ。

         二十八

 イヤなおばさんの亡骸なきがらが、川西の旧宅へかつぎ込まれたその少し前つ方に、お雪ちゃんの一行は、ほとんどそことは目と鼻と言ってもよい、同じ宮川の岸の浅羽という宿屋に無事に到着しました。
 白骨から平湯へ来ると、とみに明るくなり、またこの高山まで来て見ると、全く人里へ出て来たような心持です。
 他国にあってこそ、飛騨の高山といえば、山また山の奥の山里のように聞えますけれど、山から出て来れば、立派に一つの都会へ来た感じに打たれずにはおられません。
 ここは昔の城下町として、今の代官の所在地として、長い間のこの国の行政の中心地を成しているだけに、すべて、それ相応の都会としての気分が、しっくり整っている。
 もしお雪ちゃんが、一度京都あたりを見て来た人であるならば、この宮川のほとりへ来て、鴨川を思い起さずにはおられないはず、そうして周囲の光景がなんとなく、山城やましろの王城の地を想わせて、詩人でなくとも、これにまず「小京都」といった風情ふぜいを感じ得られたかもしれません。
 ただ、そんな比較を別にしても、久しく山谷の間にうずもれて来たお雪ちゃんは、ここへ来て、明媚めいびという感じに打たれて、思わず気分に多少のびやかさを感じたのみならず、宿の自分たちの部屋が、ちょうど宮川にのぞんでいて、小さいながら行く水の面影に、人の世の情味をきくし、部屋も相当に綺麗きれいだし、風呂場も気持よく出来ている間に、やや陶然たる気味をよび起されました。
 風呂から出て、日暮の宮川のもやを眺めながら、燈の明るい座敷で、夕餉ゆうげの膳に向った時などは、お雪ちゃんの心も春のようになって、今のさきまで、ついて廻ったイヤなおばさんの思い出などは、この瞬間に、すっかり忘れてしまうことのできたのは何より幸いです。
 まして、この近辺は花柳のちまたでもあるのか知らん、お雪ちゃんがうっとりしている間に、三味線の音締ねじめなどが、小さな宮川の小波さざなみを渡っておとずれようというものです。座敷も、幾間も明いていたものですから、竜之助だけは二階へ案内して置いて、自分は下に、その次の座敷には久助さん。
 そうして、この夜は、落着いて、ぐっすりと休むことができました。
 だが、お雪ちゃんに限らず、人というものは、生きている以上は、周囲が穏かならば、自分の心の中が動き出すし、自分の心がやっと落着いたかと見れば、何かまた周囲で煩わしいことが、大きかれ小さかれ、そのいずれかの翻蕩ほんとうの中に生きているようなものですから、せっかく、静かなお雪ちゃんの夢が、また夜中に破れきたったということは、ぜひもないことかもしれません。
 それはまず、犬の盛んに吠え出したことによって破れていると、次におびただしい人のわめき声が、つい目と鼻のところらしい人家の中から起り出して来たことで、
「何だろう、もう時刻も夜中を過ぎていようのに……」
 お雪ちゃんが、寝床の中で、やや長いこと聞き耳を立てている間に、その人家の罵り声はいよいよ高くなり、全く只事ではないと思わせられました。
 それのみか、今まで、家の中でばかり騒いでいると聞えたその声が、今は室外へあふれ出して来たものです。そうすると、ワッシ、ワッシと何か担いで来るような模様で、それも河原へ飛び出して、川を渡って、お雪ちゃんの泊っている、この座敷の直ぐ下のところあたりへ、押しかけてくるらしいから、何はともあれ、もう床の中で聞流しにしているわけにはゆきません。
「お祭のお神輿様か知ら、御祭礼があったようにもないが、おかしいねえ」
 お雪ちゃんは、寝巻のまま立って、雨戸へ手をかけて無雑作に引きあけてみた途端に、
「あっ」
と言って、眼も口も打たれて、開くことのできなくなったのは、濛々もうもうとして外から捲き込んだけむりでした。

         二十九

 この辺で、名古屋で大持てのために有頂天うちょうてんになった頭の上へ、したたかに冷水をあびせられた道庵先生の近況にうつりましょう。
 あの時の水かぶりで、危うく陸沈をまぬかれたが、先生の鼻息すこしも異状なく、宿へ帰ってつぎたしをして休みながら、宇治山田の米友のいないことなんぞも、一向お気がつかれませんでした。
 先生は更に明日からの日程を、夢みながら……なお有頂天うちょうてんで、その得意さ加減、とどまるところを知りませんでしたが、こうして泰平楽たいへいらくに酔いきっている時、江戸で、その本城をかれていることなんぞも、更にお気附きのあろうはずがありません。
 江戸に残された、道庵の股肱ここうと頼まれたデモ倉とプロ亀――の二人が、道庵不在を好機として、容易ならぬ反逆を試みたことは、以前にも少し記しました。
 本来、デモと言い、プロと言い、道庵ある間は、天晴れ貧民の味方で、先棒をかついでいたが、本来何も特別の主義信念があって、道庵と行動を共にしていたというわけではなく、道庵に一杯飲ませられたのと、道庵の一面に備わっている暴君的独断に圧迫されて、寄りたかっていたのだから、少しでも、そのおみきと、圧迫から離しておかれれば、どっちへどうにでもなる連中です。
 それのみならず、盟主と頼む道庵は、十八文をふりかざして、大いに貧民の味方らしくは振舞っているが、酒気に乗じて横暴をふるい、独断を通し、時には暴力を以て、子分の者の頭にガンとくらわすことなんぞもあるものですから、内々、反抗気分を蓄えていないではなかったが、存在する間は道庵の威力如何いかんともし難く、暴力をもってガンと食わせられても、道庵のはあんまり痛くありませんでしたから、我慢をしていましたが、我慢しきれないのは、さほどに横暴を極めながら、同志の者に廻す小遣こづかいがいかにも道庵並みにシミッタレていたことです。
 これではたまらない、いつかしかるべき親分に乗り替えて、もっと飲めるようにしてもらわねばならないと考えていました。
 ところで、このたびの上方かみがたのぼりこそ究竟くっきょうである。この留守中に、すっかり長者町に於ける、道庵の人気をさらってしまおうとの計画が実行され、その一つとして、多年十八文で売り込んでいる道庵よりは、三文安の十五文を看板にして、年も道庵よりはグット若い橋庵きょうあん先生というのを、担ぎ上げ、この方が道庵よりは少なくも三文は格安で、それだけ大衆向きであるという宣伝をさせました。
 どうだ、これで胸が透いたろう、道庵の奴、いい気持で、江戸へ帰りつく時分には、お株はすっかり橋庵先生に奪われて、立場を失って、ベソをかくつらがまえが見てやりたい、どんなものだい。
 デモ倉と、プロ亀があごを撫でましたが、ここに風のたよりに名古屋に於ける道庵の人気を聞くと、たまらないものがあります。名古屋に於て道庵が、ほとんど国賓待遇を受けているということを聞くと、デモ倉と、プロ亀が、躍起となりました。
 この分で、上方へやっては、道庵の上方に於ける人気が思いやられる。ほうっておけば当時天下に、道庵のほかは人が無いようになってしまう。江戸の方で、天晴れ足許あしもとをさらったつもりでいる間に、道庵の翼が日本中へ伸びてしまった日にはたまらないと、デモとプロが、嫉妬と、狼狽に堪えられない気持になりました。
 しかし、デモとプロもさるもの、たちまち智嚢をしぼって、この道庵の人気に対する対抗策を考えついたというのは――仲間中から人を選んで、道庵の行くところにさし向け、つきつまといつして、すれつもたれつして、向うを張らせることだ。そうして道庵をいやがらせ、うるさがらせ、汚ながらせて、ペチャンコにしてしまう。
 その人選には、折助のマアちゃんに限ると思いました。折助のマアちゃんというのも、別に本名はあるのだろうが、当時は、折助のマアちゃんで通って、誰知らぬ者もない。

         三十

 マアちゃんに限る。むこッきが強くって、おだてがいて、ちょっと雑俳ぐらいはやれる、講釈仕込みの武芸も心得ている――あいつに限ると見立てました。
 だが、マアちゃんの名では、道庵の向うを張らせるには重味が足りないから、何としよう、そうそう三文安の先生もあることだから、「安直先生」あたりがよかろうではないか。
 そうして右の、「安直」の相役にはデモ倉が、名も「金茶金十郎」と改めて同行することになり、日ならずして、この安直先生と金茶金十郎の同行が、道庵の跡をしたい、これにくっつき、すりつき、もたれかけ、さんざんに牽制運動を試みようとする作戦が熟しました。
 人はいかなる場合に、いかなる敵を持つか知れたものではありません。かかる大敵が後門に迫るとは、神ならぬ身の知る由もなき道庵は、翌日眼覚めると、自室にも、次の間にも、頼みきったる宇治山田の米友がいないことに気がつきました。
 これは破格のことです。今まで、米友が道庵を見失うことはあろうとも、道庵が、米友を見失ったことはないはずです。
 道庵が米友を見失ったのは、ある格別の事情によって、米友のいることを不利益と考えた場合や、また計画的ではないにしても、ついつい興に乗じて、行違いになってしまうことも、一度や二度ではありませんでした。
 その度毎に、道庵の方では、友様の野郎をまいてやったと大得意でふざけきっているが、米友の方では、その忠実厳正なる責任感から、血眼ちまなこになって主と頼む人の行方ゆくえを探し廻ったことも、一度や二度ではありませんでした。
 これは道庵としては、はなはだ罪のあるやり方ですけれども、一方から言えば、忠実すぎ、厳正すぎる監督者の眼をかすめたくなることも、日頃、品行方正な道庵としては、せめて旅行中ぐらいは、大目に見てやらなければならぬ事情もあります。
 今朝は、まさしく、その前例と違って、道庵の方で米友を見失ったので、道庵が米友をまいたのでないことはわかっています。そこで、さしもの道庵も少々しょげて、
「はて、友様はどうしたろう、あれから、ああして、あの時までは、あれだったが、ああしてその後が……『水祝い』の時は、奴、いなくってよかったと思ったが……奴がいてごろうじろ、軽井沢の伝で、棒切れを振り廻された日には、せっかくの御趣向が水にもならねえ、あの時ばっかりは友様がいてくれねえのがおあつらえだと思ったが、はて、それから、ちょっと外へ出てくるから許してくれと、言われた覚えはあるようだが、それから後――奴、出て行ったらどうしたって、その日のうちには帰って来ねえような人間ではねえ、三時間で済む用事は、一時間半で済ましてくるだけの、目から鼻へぬけたところのある野郎だが……それがお前、一晩、わしをおっぽり出して帰って来ねえなんて、全く今までに例のねえことだぜ。一晩泊り込んで、きまりの悪い顔を見せるような代物しろものとは代物が違うんだが……第一あの男の気性として、御当人はとにかく、仮りにも主と頼むこの道庵を、一晩たりとも置去りにして、よそへ泊ることのできるような男ではねえ、それが昨晩はいなかったんだぜ、こいつは一大事だ、あいつがおれをおっぽり出して外泊するなんてえことは、まさに一大事でなければならねえ、何か間違いが起りはしねえかなあ。間違いが起ったとしても、あいつのことだから、自分が怪我をするようなブマなことはねえにきまっているさ、だが、気が短けえし、人間の見境がつかねえから、むくれ出すと手におえねえ――なんにしても、こいつはこのままじゃあおけねえ、今までは道庵がずいぶんあの男に世話を焼かせたが、今日はどうしても、こっちがあいつに世話を焼かせられる番だ。さあ、こうしちゃいられねえ」
 道庵は狼狽ろうばいして飛び起きざまに、いきなり次の間の戸棚をあけて、もしやと調べてみたが、戸棚の隅にも、火鉢の抽斗ひきだしにも、わが忠実無二の保護者たる宇治山田の米友の、影を見出すことができませんでした。

         三十一

 その夜、宇治山田の米友は、鳴海の宿の旅籠屋はたごやの一室で、何かの物音に、ふと夢を破られました。
 夢を破られて見ると、自分というものが、蒲団ふとんの上には寝ていないで、こちらの方の大きな熊の皮の上に、仰向けに、大の字なりに寝そべっていることを知りました。
 大抵の場合に於て、この男は、素肌に盲目縞めくらじまの筒袖一枚以上を身にまとうことを必要としないように出来ているし、夜分に於ても、それ以上の夜具があってもよし、なくてもよいことになっているが、今宵の場合は特に疲れが激しいから、用が済むと共にこの敷皮の上に寝そべったまま、ついに夜更けに立至ったものと思われます。
 そのはずです。日中には名古屋の市街から、宮、熱田を七里の渡しの渡頭ととうまで行って、更に引返して、呼続よびつぎはま裁断橋さいだんばし――それから、まっしぐらに、古鳴海こなるみを突破して、ついに、ここまで落着いたのだから、前後左右を忘れるほどに疲れきって、つい寝そべってしまったことも無理はありません。
 半ば以上無意識で、睡眠をとろりとさせていたが、やはり夢を破られても夢心地で、
やんなっちゃあな
と、米友は、ひとりでこうつぶやきました。
「やんなっちゃあな」というのは、更に正しくてにをはをはめてみると、「いやになってしまうな」ということで、これに漢字を交えてみると、「いやになって仕舞うな」ということなのです。何が忌になってしまったのか、それをいて穿鑿せんさくする必要はありません。ただ眼が覚めた途端の口小言と見ればよいのです。たとえば、転んで起き上る時に、「どっこいしょ」というようなもので、字句そのものに拘泥して、何がどっこいしょだか、どっこいしょでないか、それを詮議せんぎする必要はないのと同じことです。
 そこで、米友は、半ば以上無意識の朦朧もうろうたる眼をもって、
「やんなっちゃあな」
と言いながら室内を見廻したけれど、うたた寝では毒だと気がついて、あわてて起き直るでもなし、かろうじて、自分の寝そべっているところと向う前の隅に、きちんと、寝床がのべられてあり、枕が据えられてあることを、まず見出したもののようです。自分がうたたねをしている間に、宿でやってくれたものだか、自分を起すことを忘れたものか、起したけれども起きないから、そのままにしていたのか、或いはまた、せっかくよく眠っているのを起すのも気の毒だと思っているうちに忘れてしまったのか、それはどうでもいいが、せっかく、用意して待構えていた夜具蒲団に対しては気の毒だと思いました。
 しかし、米友が夢を破られたというのは、単にそれだけの理由ではありません。この男は、例えば、打って叩いても、熟睡からめないほどに眠りに落ちていたからといって、それが身辺に、いささかでも異例をもってこたえて来る場合には、必ず、眼を醒ますように出来ている男です。
 心がけのあるさむらいは、くつわの音に眼を醒ますというたしなみが、さむらいではないけれども、米友には、先天か、後天かに備わっているのです。ですから、女中共が親切で起そうと、ゆすぶり震動させても、ついに呼び起すことのできない場合にも、怪しの者があって、抜き足して近づけば、必ずガバと醒めて、その手がおのずから、首の下にあてがわれた杖槍に届くようになっているのです。
 ですから御覧なさい、半ば無意識で、夢うつつの境にぼんやり眼を据えながらも、その右の手は首の下に廻って、スワといわば、かの杖槍を変化へんげ自在に扱い得るように、あてがわれているのです。

         三十二

 果して、この一室へさいぜんから、怪しいものが闖入ちんにゅうしていたのです。だが、安心あってしかるべし、それは裏宿の七兵衛でもなく、がんりきの百蔵でもなし、今し、この室の一方の障子を押破って闖入し、今もうろうろとそこを歩いているのは、一つの真黒な動物でありました。
 半ば以上を、今や三分の二以上といっていいほど意識を取戻した米友は、この真黒い動物に気がつきました。
 その瞬間――猫にしてはズンと大きい、犬にしては