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大菩薩峠

めいろの巻

中里介山




         一

 信濃の国、白骨しらほねの温泉――これをハッコツと読ませたのは、いつの頃、誰にはじまったものか知らん。
 先年、大菩薩峠の著者が、白骨温泉に遊んだ時、机竜之助のような業縁ごうえんもなく、お雪ちゃんのようにかしずいてくれる人もない御当人は、独去独来の道を一本の金剛杖に託して、飄然ひょうぜんとして一夜を白槽しらふねの湯に明かし、その翌日は乗鞍を越えて飛騨ひだへ出ようとして、草鞋わらじのひもを結びながら宿の亭主に問うて言うことには、
「いったい、この白骨の温泉は、シラホネがいいのか、シラフネが正しいのか」
 亭主がこれに答えて言うことには、
「シラフネが本当なんですよ、シラフネがなまってシラホネになりました……シラホネならまだいいが、近頃はハッコツという人が多くなっていけません――お客様によってはかつぎますからね」
 シラホネをハッコツと呼びならわしたのは、大菩薩峠の著者あたりも、その一半の責めを負うべきものかも知れない。よって内心に多少の恐縮の思いを抱いて、この宿を出たのであったが、シラホネにしても、ハッコツにしても、かつぐどうりは同じようなものではないか。こんなことから、殺生小屋を衛生小屋と改めてみたり、悲峠かなしとうげをおめでた峠とかえてみたりするようなことになってはたまらない。
 そんなことまで心配してみたが、きょうこのごろ、風のたよりに聞くと、白骨の温泉では、どうか大菩薩峠の著者にもぜひ来て泊ってもらいたい、ここには四軒、宿屋があるから、一軒に一晩ずつ泊っても四晩泊れる――と、何かしらの好意を伝えてくれとか、くれるなとか、ことわりがあったそうである。してみれば、ハッコツの呼び名が宣伝になって、宿屋商売の上にいくらかの利き目が眼前に現われたものとも思われる。しかし、宣伝と、提灯ちょうちんが、どう間違っても、白骨の温泉が別府となり、熱海となる気づかいはあるまい。まして日本アルプスの名もまだ生れてはいないし、主脈の高山峻嶺とても、伝説に似た二三の高僧連の遊錫ゆうしゃくのあとを記録にとどめているに過ぎないし、物を温むる湯場ゆばも、空が冷えれば、人は逃げるように里に下る時とところなのですから、ある夜のすさびに、北原賢次が筆を取って、
白狼河北音書絶(白狼河北、音書いんしょ絶えたり)
丹鳳城南秋夜長(丹鳳城南、秋夜しゅうや長し)
と壁に書きなぐった文字そのものが、如実に時の寂寥せきりょうと、人の無聊ぶりょうとを、物語っているようであります。
 その時、その温泉に冬越しをしようという人々――それはあのいやなおばさんと、その男妾おとこめかけの浅吉との横死おうしを別としては、前巻以来に増しも減りもしない。
 お雪ちゃんの一行と、池田良斎の一行と、俳諧師はいかいしと、山の案内人と、猟師と、宿の番人と、それから最近にかおを見せた山の通人――ともかくも、こんなに多くの、かなり雑多な種類の人が、ここで冬を越そうとは、この温泉はじまって以来、例のないことかも知れません。
 そこで、この一軒の宿屋のうちの冬籠ふゆごもりが、ある時は炉辺の春となり、ある時は湯槽ゆぶねに話の花が咲き、あるときはしめやかな講義の席となり、ある日は俳諧の軽妙に興がわくといったような賑わいが、不足なく保たれているのだから、外はいかに寒くなろうとも、この湯のさめない限り、この冬籠りに退屈の色は見えません。
 ことに、この冬籠りに無くてならぬのはお雪ちゃんであります。見ようによれば、お雪ちゃんあるがゆえに、この荒涼たる秋夜に、不断の春があると見れば見られるのであります。誰にもよいお雪ちゃん――どうかすると、このごろめっきり感傷的になって、ひそかに泣いているのを見るという者もあるが、それでも表に現われたところは、いつも気立てのよい、人をそらさぬ、つくろわぬ愛嬌あいきょうに充ち満ちた微笑を、誰に向っても惜しむことのないお雪ちゃん――
 お雪ちゃんは今、柳の間で縫取りをしている。
 縫取りといっても、ここでは道具立てをしてかかるわけにはゆかないから、ただあり合せの黒いびろうどに、白の絹糸でもって、胡蝶こちょうの形を縫い出して楽しんでいるまでのことです。手すさみに絵をかいて楽しむような気持で、針を運ばせながら、浮き上って来る物の形に、自分だけの興味を催して、自己満足をしているまでのこと――風呂敷には狭いし、帛紗ふくさには大きい。縫い上げて、自家用にしようか、贈り物にしようかなどの心配はあと廻しにして。
 物を縫うている女の形を見れば、それが若くとも処女というものはない。いな、娘というものはない。Wifeワイフ という文字には、物を縫う女という意味があるそうですが、いかなる若い娘さんをでも、そこへ連れて来て縫物をさせてごらんなさい。それはもう、娘ではない、妻である。否、妻であるほかの形に見ようとしても、見えないものであります。
 自然、悍婦かんぷも、驕婦きょうふも、物を縫うている瞬間だけは、良妻であり、賢婦であることのほかには見えない。
 自分の娘を、いつまでも子供にしておきたいならば、縫物をさせてはならない。
 老嬢の自覚を心ねたく思う女は、決して針さしに手を触れないがよろしい。
 独身のさびしさを心に悩む男は、淫婦いんぷを見ようとも、針を持つ女を見てはいけない。だが、安心してよいことには、お雪ちゃんがこうして針を持っているところを、誰ひとり見ている者はないし、お雪ちゃんとても、誰に見せようとの心中立てでもなく、無心に針を運んでいるうちに、無心に歌が出て来る。心無くして興に乗る歌だから、鼻唄はなうたといったようなものでしょう。
 それはお雪ちゃんが、名取なとりに近いところまでやったという長唄ながうたでもない。好きで覚えた新内しんないの一節でもない。幼い時分から多少の感化を受けて来た、そうして日本のあらゆる声楽の基礎ともいうべき声明しょうみょうのリズムに、浄瑠璃じょうるりなまりがかかったような調子で、無心に歌われる歌詞を聞いていると、万葉集でした。
 このごろ中、心にかけて習っている万葉集の中の歌が、そこはかとなく、例の声明と、浄瑠璃のリズムで、お雪ちゃんの鼻唄となって、いわば運針の伴奏をなして現われて来るらしい。
いはほすら
行きとほるべき
ますらをも
恋てふことは
のち悔いにけり
 これだけはリズムの節調ではなく、散文の口調くちょうで、すらすらと口をついて出でました。
 なぜか、お雪ちゃんはこの歌が好きです。それは歌の心が好きなのではなく、口当りがいいから、それで思わず繰返されるのかも知れない。そうでなければ、相聞そうもんの歌では、これがいちばん男性的であるというような意味で、良斎先生の愛誦あいしょうとなっているところから、その口うつしが、思わず知らず、お雪ちゃんの口癖になっているのかも知れない。
 万葉の歌は上代の歌人の――上代の歌人とのみいわず、すべての人類の血と肉との叫びであります。人生に、恋にいて恋を歌うほど苦しいものはなく、恋を知らずして、恋歌をうたうほど無邪気なものはありますまい。
 その時、湯槽ゆぶねの方で高らかに笑う男の声がする――まもなく、トントンとかなり足踏みを荒く三階の梯子はしごを上る人の足音がする。もしやとお雪ちゃんは狼狽ろうばいしました。ここへ誰か訪ねて来るのではないか知ら。あの遠慮のない北原さんでも押しかけて来るのか知ら……それではと、あわただしく縫取りを押片づけて心構えをしていましたが、足音はそれだけで止んで、ここへ渡って来る人もありません。
 きたるべき人が来ないと思うと、淋しさはまさるものです。ことに、あれほど荒っぽく三階の梯子段を踏み鳴らしながら、上ったのか、下りたのか、それっきり立消えがしてしまったのでは、いたずらに人に気を持たせるばかりのものです。
 いやなおばさんと、男妾おとこめかけの浅吉とがいなくなってから後、この三階は、わたしたちで占領しているようなもの。上ったならば、当然、わたしたちを訪れる人であろうのに……立消えになってしまった。
 お雪ちゃんは、また縫とりをとり上げる気にもならず、相聞の歌を繰返す気にもならず、手持無沙汰のかげんで、しばらく所在なくしていたが――その時、ゾッと寒気さむけがしたものですから、急いで、ぬぎっぱなして置いた黄八丈の丹前を取って羽織りかけ、そうして、こたつのそばへずっと膝を進めて、からだをすぼめて、両手を差しこんで、ずっと向うのふすまを見つめたままでいました。
 この時、湯槽は急ににぎわしくなって、高笑いと、無駄話の声までが、手に取るように響いて来ますけれども、お雪ちゃんはそこへ行ってみようという気にはなりません。
 以前は、誰がいても遠慮なく入って行ったものですが、このごろは、どうしたものか、なるべく人目を避けるようにして、誰も入っていない時をねらうようにしては、こっそりと、お湯につかるようになりました。
 それというのは、いつぞやあのいやなおばさんから、からかわれて、乳が黒いといわれたのが、突き刺されたように胸の中に透っているものですから、それが気になって、昨日までは、人に見せても恥かしくないと思っていたこの肌が、今日は、自分で見るさえも恐ろしくなることがあるのです。
 お雪ちゃんの不安はそのところから始まりました――それがない時には、無邪気に、晴れやかに、誰にも同じように愛嬌あいきょうを見せ、同じように可愛がられているお雪ちゃんが――ふとそのことに思い当ると、暗くなります。
 何ともいえない不安がこみ上げて、こんなはずはない、そんなことがあろうはずはないと、さんざんに打消してはみますが、打消しきれないで、とうとう泣いてしまうことが、この頃中、幾度か知れません。
 ああ、弁信さんが言う通り、こんなことから、わたしは、生きてこの白骨の温泉を帰ることができないのかも知れない――あれは、わたしの身の上の予言ではなくて、その運命は、いやなおばさんだの、意気地のない浅吉さんだのが、代って受けてくれてしまったのではないか。今に始まったことでない弁信さんの取越し苦労――それを他事よそごとに聞いていたのが、追々にわが身にむくって来るのではないか。それがために、お雪は書いても届ける由のない、届いても見せるすべのない盲目法師めくらほうしの弁信に向って、ひまにまかせては手紙を書いているのは、ただこの心の不安と苦悶くもんとを、他に向っては訴える由もないからです。
 つい今まで、晴れ晴れしていたお雪ちゃんの心が、また暗くなりました。
 ぼんやりと、見るともなしにふすまを見つめていた眼から、涙がハラハラとこぼれました。ついにこらえられなくなって、かおこたつふとんの上に埋めて、なきじゃくってしまいました。
 だが、自分ながら、なんでそんなに悲しいのだかわかりません。身に覚えがない、何も知らない、と自分で自分をおさえつけていながら、それがおさえきれないで泣いてしまう心持が、どうしてもわかりません。
 そこでお雪ちゃんは、思い入り泣いてしまいましたが、身を入れていたこたつの火が消えてしまっているというのを知ったのは、その後のことでありました。
 ああ、火が消えてしまった。それでもお雪ちゃんは少しの間、身動きもしなかったが、やがて立ち上って、炭入と十能を取って、丹前を引っかけたまま、障子をあけて廊下へ出ました。

         二

 お雪ちゃんが、炭取と十能を持って外へ出たのは、自分の冷めた炬燵こたつへ、新しく火と炭とを追加のためかと思うとそうでもなく、静かに廊下を通って、右へ鍵の手に廻ったいちばん奥の部屋まで来て見ました。
 そこへ来ると、上草履うわぞうり綺麗きれいに一足脱ぎ揃えてあるのを見て、ホッと安心したような思い入れで、外からそっと障子を引き、
「お休みでございますか」
「いいえ、起きていますよ」
「御免下さいまし」
 お雪は障子を引開けて中へ入りました。ここは松の間というけれども、実は源氏の間とでもいった方がふさわしいのでしょう、十余畳も敷けるかなり広い一間ですが、そのふすまの腰にはいっぱいに源氏香が散らしてある。
「めっきり、お寒くなりました」
「寒くなったね」
 室の主というのは机竜之助であります。竜之助も同じような丹前を羽織って、片肱かたひじを炬燵の上に置いて、頬杖ほおづえをしながら、こちらを向いて、かしこまっておりました。
 何を考えるでもなし、考えないでもなし、白骨の湯にさらされて、本来蒼白そうはくそのもののおもてが、いっそう蒼白にえているようなものだが、思いなしか、その白い冴えた面に、このごろは光沢というほどでもないが、一脈の堅実が動いていると見れば見られるでしょう。例の五分月代ごぶさかやきも、相当に手入れが届いて、底知れず沈んでいること、死の面影おもかげのようにやつれていることは、以前に少しも変らないが、どこかにかがやかしい色が無いではない。
 お雪ちゃんは、前へ廻って、そっと炬燵こたつのふとんを開いて手を入れてみて、
「まあ、先生、すっかり火が消えてしまっているじゃありませんか、お呼び下さればいいのに」
と言いました。この娘は自分の炬燵が冷めたのに驚いて、他のことを心配して、ここへまで調べに来て見ると、これは全く火の気が絶えている。
 この人は、長い間、こうして火のない炬燵によりかかって、うつらうつらとしているのだ、かわいそうに……
 お雪ちゃんは、済まない心持になって、炭取を下に置くと、十能だけを持って、自分の部屋へ取ってかえしました。そうして、自分の炬燵から火種をうつそうとしてみたが、これもあいにく、小指ほどのかたまりと、蛍ほどのが総計五個もあるぐらいで、とてもこれでは、他の火勢を加えるしにならないとあきらめて、でも、その五個ばかりの火を、丹念に十能の上に置いたまま、その十能を大事に持って、三階の梯子段を下におりてゆきました。土間の炉辺まで行って、烈々たる炭塊を十分に持ち来らんがためであるに違いない。
 残された竜之助は、この時、クルリとこたつの方へ向き直って、やぐらの上へ両肱りょうひじをのせて、てのひらでかおをかくして、じっとうなだれてしまいました。
 こうしている姿をごらんなさい。心は無心でも、姿そのものが何を語っているか。
 ああ、おれはもう、生きることに倦怠した……とうめいているのか。
 生きていることが不思議だ……とあきれているのか。
 いやいや、おれはまだまだ生きる。自分が生きるということは、つまり人を殺すことだ……何の運命が、何の天罰が、この強烈なる生の力をさえぎる……と叫んでいるのか。
 さりとは長い長夜ちょうやの眠りだ。もういいかげんで眼をさましたらどうだ。
 いつの世に永き眠りの夢さめて驚くことのあらんとすらん――と西行法師が歌っている。誰かきたって、この無明長夜むみょうちょうやの眠りをさます者はないか……かれは、天上、人間、地獄、餓鬼、畜生に向って、呼びかけているかとも見られる。
 その時、お雪ちゃんが火を持って来ました。それを上手に組み合わせて、自然に、おこるようにして置いて、灰をかけ、蒲団ふとんをかぶせて、お雪ちゃんも、多少遠慮をして、炬燵の一方に手をさし込んであたりながら、
「先生、これからは、もう当分外へ出られません。おひとりでこうしておいでになって、淋しいとは思わない、つまらないとはお思いになりませんか」
「思ったって、仕方がないじゃないか」
「仕方がないっていえば、それまでですけれど……わたしはほんとうに、あなたをかわいそうだと思うことがありますのよ」
「思うことがあるだけじゃつまらない、いつでも思ってくれなくちゃあ」
「でも、怖いと思うこともありますのよ、憎らしいと思うこともありますのよ……そうしてどうかすると、心からかわいそうだと思って、涙をこぼすこともありますのよ。どれが、本当のあなたの姿だか、どれが本当のわたしの心だか、これがわからなくなってしまいます」
 お雪ちゃんはこういっているうちに、またなんとなく悲しくなりました。
 しかしまた気を引立てて、
「先生、きょうは一日、お傍でお話をお聞き申しとうございます。お邪魔にはなりません……お邪魔にならなければ、わたし、自分の部屋へ帰って縫取りを持って参りますから、それをやりながら、ゆっくりお話を伺おうではありませんか」
 こう言って、お雪ちゃんはこたつから出て、自分の部屋へ縫取りを取りに行きました。
 その間に竜之助は、横になって、長いきせるをかきよせて、こたつの火を煙草にうつして、腹ばいながら一ぷくのみました。
 机竜之助は煙草を一ぷくのんでしまって、吸殻を手さぐりで煙草盆の灰吹の中に、ていねいにはたき、それから暫く打吟じて、二ふく目の煙草をひねろうとするでもなく、そのまま長煙管ながぎせるを、指の先で二廻しばかり廻してみました。
 何か縫取物をとりに行ったはずのお雪ちゃんが、存外手間がとれる。待ちこがれているわけでもないが、ちょっと行って、すぐ戻るはずの人が、存外時間をとるのは、多少共に気を腐らせるものです。
 来なければ来ないでいいが、来るといってそこへ出た人が、容易に来ないのは、人をじらすようにもあたる。お雪ちゃんという娘が、決して人をじらすようには出来ていないのだが、故意でないにしても、偶然であるにしても、女は人をじらすように出来ているのかも知れない。
 ところで、その間のちょっとした穴明きの所在に、竜之助は長煙管をカセに使っている。で、二三度クルクルと指の先で廻してみた長煙管を、今度はピッタリと自分の頬に当てて、ヒタヒタと叩いてみました。
 無論、これは寝ていての芸当で、そう食うほどに煙草が好きというわけではないから、自然、煙管の方が扱いごろの相手になります。
 ちぇッ、長い煙管がどうしたというのだ。
 ふと、かれの眼前に、都島原のくるわの里が湧いて出でました。
 島原がどうした?
 朱羅宇しゅらうの長い煙管の吸附け煙草がどうした。
 ははあ――御簾みすから扇の間へ出る柱のあの刀痕かたなきず――まざまざと眼の底には残るが、あれが机竜之助のした業だと誰がいう。その時分には、おれも眼が明いていたのだ。あの里の太夫というもの――京美人の粋といったようなものにも、おれだって見参げんざんしていないという限りはない。
 さあ、それがどうした。
 東男あずまおとこを気取ったやからが、かなりいい気な耽溺たんできをしていたたあいなさ。
 まあしかし、そのたあいないところが身上だ、少しの間でも溺れ得る人は幸いだ、売り物の色香にさえも、つかのまでも酔い得る間が、人生の花というものだな。
 おれは酔えない――おれは溺れることができない。
 不幸だ、この上もなく不幸だ。
 竜之助は、朱羅宇しゅらうでも、金張きんばりでもない、ただの真鍮しんちゅうの長煙管で、ヒタヒタと自分の頬をたたきながら、我と我身を冷笑するのは、今にはじまったことではありません。
 その時です、ちょうど、この室から幾間かを隔てた――多分三階ではありますまい、二階の菖蒲あやめあたりでしょう。そこで、
「デーン」
と張りきれるような三味線の音がしました。眼の働きを失って、しかして、耳の感覚が敏感になったというのみではなく、こんな静かなところで、思い設けぬを聞かされた時は、誰だって耳をそばだてます。
 いわんや、それが引きつづいてかなりの手だれな調子で、デンデンデンデンと引きほごされてゆくと、机竜之助の空想もその中に引込まれて、
「珍しいなア、太棹ふとざおをやっている」
 全く珍しいことです。日本アルプスのふもとの、ほとんど人音ひとおと絶えた雪の中で、よし温泉場とはいいながら、不意に太棹の音を聞かせようなんぞとは、心憎いいたずらには相違ない。
 といって、必ずしも、それは妖怪変化ようかいへんげの為すわざでもあるまい。何といっても温泉場は温泉場である。宿のあるじが気がきいて備えて置いたか、或いはお客のある者が置残して行ったのを、いい無聊ぶりょうの慰めにかつぎ出して、手ずさみを試むる数寄者すきものが、この頃の、不意の、雑多の、えたいの知れぬ白骨の冬籠ふゆごもれんのうちに、一人や二人、無いとはいえまい。
 例のお神楽師かぐらしにいでたつ一行のうちにも、しかるべき音曲の堪能者たんのうしゃが無いという限りはありますまい。

         三

 だが、その手は何をいているのだか、正直のところ、机竜之助にはよくわからない。
 しかし、なかなかの手だれであることだけはよくわかる。
 そうだなあ、お染久松の野崎村のところに、あんな三味線の調子があったっけ――といって、それには限るまい。三味線の調子にもそれぞれ型というものがあって、それをいいかげんのところへ、つぎはぎして、そうして一曲をでっち上げるのだ。まあ、何だって大抵は手本の種はきまったものだ――少し数を聞いていれば、これは新しいというのは、ほとんど全く無いものだ。
 しかし、撥捌ばちさばきはあざやかだといってよかろう、なかなかの芸人が来ているな。
 太夫たゆうは語らないで、三味だけが聞える。それは竜之助が聞いて、野崎か知らと思った瞬間もあれば、そのほかの手も連続して出て来る。何がどうしてどこへハマるのだか、竜之助にはわからなくなる。竜之助にわからないのみならず、玄人くろうとでない限りは、その弾く手と節の変りを、いちいちそうていねいに説明するわけにはゆくまいではないか。
 ただ、弾き手自身は、よほど三味線そのものに興味を持っているところへ、思いがけなく、その好物を探し当てたものですから、ことに、無聊至極ぶりょうしごくに苦しみきっているためでしょうから、ふるいつくように三味にくいついて、自分の知っている、有らん限りの手という手を、弾きぬいて見る気かも知れません。竜之助とても、それを聞いて悪い気持はしない。太棹ふとざおは、やっぱりこのくらい離れて聞いた方がいいな、ことに、なまじいな太夫が入らないのがいい、三味線だけがいい――と、多少の好感を持つことができたのは幸いです。
 そこで、いつのまにか長煙管もほうり出して、肱枕ひじまくらになって、やはり、いい心持できまくっている三味線を聞いているところへ、ようやくのことにお雪ちゃんが戻って参りました。
「お待たせ申しました」
「長いじゃないか」
「でも、火をおこしますと、あんまりよくおこって勿体もったいないものですから、これで安倍川あべかわをこしらえて、あなたに差上げようという気になったものですから、つい……」
といって、お雪ちゃんは、片手には縫取りをかかえ込み、片手にはお盆に載せた安倍川をどっさり持って来たものです。
「一つ召上れ」
「これは御馳走さま」
 竜之助は起き上りました。
 そこで、炬燵櫓こたつやぐらの上で、二人はお取膳とりぜんの形で、安倍川を食べにかかりました。
 竜之助は、これは無邪気なものだと思いました。これが、「何もございませんが、一口ひとくち召上れな」と言って、お銚子ちょうし洗肉あらいをつきつけられたところで、いやな気持はしないが、わざわざ安倍川をこしらえて来て食べさせるところが、お雪ちゃんらしいなと、竜之助も人間並みに、その御馳走が有難く見えたのでしょう。
 二人はこうして、さし向いで安倍川を食べながら、お雪ちゃんが、しかけて置いた鉄瓶の湯を急須きゅうすに注ぎました。
 安倍川を食べてしまうと、お雪ちゃんは縫取りを取り出して、例の胡蝶の模様を余念なく縫い取りにかかりました。
 その時分とても、下の三味線はいよいよ興に乗るので、針を運ぶお雪ちゃんの気もときめいて、
「池田先生のお弟子さんには、芸人がいらっしゃるわ――ずいぶん御熱心ね」
といって、自分も針を運びながら、その三味線の音色には聞きれているらしい。
 机竜之助は、もう横にならないで、やぐらの上に頬杖をついたまま、キチンと坐って、沈黙しているのは御同然に、三味線の音色そのものに、暫しわれを忘るるの余裕を与えられているのかも知れません。
 ややあって、お雪ちゃんが、針の手を休めないで、
おととしの十月
なか
炬燵あけた祝いとて
ここで枕並べてこのかた
女房のふところには
鬼がすむかじゃがすむか
それほど心残りなら
泣かしゃんせ
泣かしゃんせ
その涙が
蜆川しじみがわへ流れたら
小春が汲んで
飲みゃろうぞ
と三味線に合わせて口ずさみましたから、たれよりも最も多く机竜之助が驚きました。
 何だ――お前それを知っているのか、いつそんなことを覚えたのだね、小娘は油断がならない、と心底から驚いたかも知れません。
 それには頓着なく、お雪ちゃんは、ただもういい心持になっているようです。
 そうこうしている時に、さしもの三味線がやみました。誰も御苦労さまというものもなく、もう一段と所望する者もない。
 一息入れてまた弾き出すかと思うと、それで全く一段の終りです。
「お雪ちゃん、今のを、もう一ぺん歌ってごらんなさい」
と竜之助が言いました。
「でも……」
 お雪ちゃんがハニカミながら、
「あのイヤなおばさんが、よくこれを語りますから、わたしもつい覚えてしまったんですもの……それに浅吉さんもなかなか上手でしたわ、どうかすると、三味線もよく弾いていました」
「感心なものだ」
「泣かしゃんせ、泣かしゃんせ……あそこのところがなかなかようござんすね。あのイヤなおばさん、あんな様子をしていながら、いい声でしたよ。どうかすると、わたしたちでさえほれぼれするようないい声を出して、あのさわりを語りました」
 お雪ちゃんは相変らず余念なく、縫取りの針を運ぶように見せながら、
それほど心残りなら
泣かしゃんせ
泣かしゃんせ
その涙が
蜆川しじみがわへ流れたら
小春が汲んで
飲みゃろうぞ
 別段得意にもならないで、たのまれたから繰返してお聞かせ申す、というわけでもなく、素直にそのさわりのアンコールを繰返すところは、たあいないものです。
「それから……」
 竜之助がそのあとを所望すると、
あんまりむごい治兵衛さま
なんぼお前がどのような
せつない義理があるとても
二人の子供は
お前なんともないかいな……
 ここへ来て、お雪ちゃんがどういうものか、しくしくと泣いて、あとがつづけられなくなりました。竜之助は憮然ぶぜんとして、もうそのあとを所望はしません。
 お雪ちゃんは、どうしたものか、とうとう縫取りを投げ出して、炬燵こたつの上にうつぶしになって、聞えるほどの声を出して泣いてしまいました。
「どうしたの……」
「二人の子供は、お前なんともないかいな……というところで泣けました、泣けて泣けて、仕方がありません」
 お雪ちゃんは、わっと泣いてしまいました。この娘が近頃、感傷的になっているというのは、多分こんなところをいうのでしょう。
 三界流転さんがいるてんのうち、離れ難きぞ恩愛のきずななる――といったような、子を持った親でなければわからない感情のために、お雪ちゃんが泣きました。
 子を持った親でなければわからない感情のために、子を持たぬお雪ちゃんが泣くくらいだから、少なくとも子を持って、人の親として経験を経てまでいる竜之助はいかに。
 単に小娘の口ずさむ浄瑠璃じょうるりさわりの一ふしぐらいに、やすやすと涙を流すほどの男ならば、文句はあるまいに、それが、どうしたものか、横をむいてしまいました。
 もし、彼の見えないところの眼底に、この時、一点の涙があるならば、それは春秋の筆法で慶応三年秋八月、近松門左衛門、机竜之助を泣かしむ……というようなことになるのだが、泣いているのだか、あざけっているのだか、わかったものではない。
 お雪ちゃんは、何が悲しいのか泣いている。竜之助は何ともいわないで、横を向いたまま静かにしている。
 そうして、しめやかな沈黙がかなり長くつづいた時分に、以前の柳の間の廊下の方で、
「お雪ちゃん、お雪ちゃん」
と呼びながら廊下を渡って来る人。そこにいないものだから、たしかにここと、バタバタと草履ぞうりを引きずりながら、
「お雪ちゃん、こちらにおいででしたね、ちょっと」
「久助さんですか」
「はい」
 姿は見えないけれども久助に違いないから、お雪はあわててその涙のおもてを隠そうとした時、
「あの、皆さんが、俳諧の運座をはじめますから、お雪ちゃんにも、ぜひ、いらっしって下さいって……」

         四

 その日の午後の浴室。北原賢次は板の間の上で、軽石で足のかかとをこすり、小西新蔵は湯槽ゆぶねのふちにぼんのくぼをのせて、いい気持になっている。
 窓越しに、初冬の日の光が浴室いっぱいにさしている。
 この二人は、どちらも池田良斎の一行で、この白骨の湯で冬籠ふゆごもりをし、春のきたるのを待って、飛騨の方面へ飛躍しようとする一味の者。
「お雪ちゃんは、とうとう運座へ出て来なかったね」
 湯槽のふちにぼんのくぼをのせて、いい心持につかっていた小西新蔵が言う。
「うむ、出て来なかった。あの娘はこのごろ少しどうかしているよ」
と北原賢次が、かかとをこすりながら答える。
「そうだ、快活なあの娘が、このごろ少しふさいでいる、呼ばないでも出て来て、われわれをにぎわしたあの子が、めっきり引込思案になってしまったのは気になるよ」
 そこで二分間ばかり話が切れ、
「あの娘は看病に来ているんだよ――病人を連れて来てるんだね、その方が忙しいんだろう」
「え……病人を連れて、あの久助という老人のほかに、あの娘に連れがあったのかい」
「あったにもなんにも……だが、誰もまだ同じ宿にいながら、その人の姿を見た者が無いんだ、よほどの重体で枕が上らないんだろう」
「なるほど……その看病でお雪ちゃんが出て来られないのだな」
「多分、そんなことだろうと思う」
「それは何人なにびとだろう、あの娘の身うちの者か、それとも……」
「さっぱり正体がわからないんだ、また、いて尋ねても悪かろうと遠慮もしているが、とにかく、身内の者には相違あるまい」
「近親の看病のためにふさいでいるならいいが……万一ほかの事情であの娘の性格が一変するようでは、かわいそうだ、あんな性格の娘は、どこまでもあのままで保護存養して行きたい」
「そうでなくてさえ、このごろは番人がヒヤヒヤしている、飛騨の高山の者だというあの油ぎった後家ごけさんと、その男妾おとこめかけの浅吉とやらが変死してから……留守番や、山の案内がこわがっている、この上、お雪ちゃんでも病みつこうものなら、鐙小屋あぶみごやの神主でもはらいきれまいよ」
 二人は、いい気持で、こんなうわさをしているが、窓の上高く、三階の勾欄てすりのあたりを見上げた時、何かこの晴れ渡った白骨温泉場の空気の底に、抜け穴があって、張りきったものが、そこから無限の下へもれて行くような気持がしないでもない。
 かかとをこすり終った北原賢次も、何かちょっとそんな気分にさわったことがあると見え、
「時に、根も葉もあるではないが……あのお雪ちゃんが、妊娠しているという噂を聞かないかい」
「え……妊娠、あの娘が」
 小西新蔵が、ちょっと枕を立て直す……そこで二人の会話が、また五分間ばかり途絶とだえる。
 やがて、声高に、笑談まじりに、二人は何か話しはじめたが、ばったりと立消えになってしまうと、暫くあって、森閑たる浴室の外へ聞えるのは、小西新蔵がやや得意になって、
聞くならく
雲南うんなん瀘水ろすいあり
椒花せうか落つる時、瘴煙しやうえん起る
大軍徒渉とせふ、水、湯の如し
いまだ十人を過ぎずして
二三は死す……
と断続して、「しばらク喜ブ、老身今ひとリ在リ、しかラザレバ当時瀘水ノほとり、身死シテ魂ニ骨収メラレズ、マサニ雲南望郷ノ鬼トナルベシ……」と、急転直下、朗読体に変って行ったのが、白日の浴室の中に、恨みを引いて糸の如し、と見れば見られないこともないのです。
 果して、お雪ちゃんはその日一日を、源氏の間で暮してしまいました。
 暗くなって帰る時、ちゃんと竜之助のそばへ行燈あんどんをつけて、自分の部屋へ帰り、そこでまた行燈をつけて、炬燵こたつのうずみ火をき起して、やぐらの上へ頬ずりをするほどに身を押しつけてしまったくらいですから、別段、あわてた素振そぶりも、うろたえた様子も見えません。
 けれども、そこで、ぐったりとして、改めて仕事にかかろうでもなし、別に蒲団ふとんをのべて寝ようとするでもありません。
 じっと、炬燵櫓こたつやぐらの上に身を押しつけたままで、動くことさえがおっくうのように見えました。
 こうして、半時ばかりも、じっとしている間に、ひとりでにお雪ちゃんの眼が、涙でいっぱいになりました。
 いっぱいになった涙が、ハラハラと頬を伝って流れましたけれども、それを拭おうともしない間に、相次いでの感情がこみ上げて来ると見えて、ついつい本当に泣いてしまいました。本当に泣くと、ここでは、思うさま、誰に遠慮もなく、泣いて泣いて、泣けるだけ泣いてしまいました。
 若い娘ははしのころんだのにも笑いたがると共に、あしの葉のいためるのにも泣きたがるものです。
 お雪ちゃんという子は、今まであまり泣きたがらない子でありました。それは泣くべき必要がないからでした。誰をも同じように愛し、同じように愛されている者に、泣くべき隙間の起るはずがありません。
 お雪ちゃんは、その晩、改まって床に就いたのか、就かないのかわかりませんでしたが、翌朝になると、かいがいしいみなりをして、机に向って一心に物を書きはじめました。

「弁信さん――」
 弁信の名は、まさしくこの娘のためには救いであるらしい。
「苦しうございます――」
と、お雪ちゃんが書き出したのは、少なくとも異例です。
「苦しうございます、あなたのおっしゃる通りの運命が、わたしの上に落ちて参りました。
穂高、乗鞍、笠ヶ岳の雪が日一日と、この白骨の温泉の上を圧して来ますように、わたくしの胸が……ああ、弁信さん、わたしは、もうトテも筆を取って物を書いているに堪えられません。
弁信さん――
どうぞ、わたしのそばに来ていて下さい。あなたがいなければ、わたしは助からないかもしれません――殺されてしまいましょう」

 一方、お雪ちゃんが帰ってからの机竜之助は、行燈あんどんの下で暫くぼんやりとしておりました。
 行燈の光なんぞは、有っても無くってもいいわけですが、それでも、有れば有るだけに、何かしらの温か味が、身に添わないという限りもありません。
 暫くぼんやりとしていたが、やがて無雑作むぞうさに左の手を伸ばすと、水をくように掻きよせたものが、かなり長い袋入りの一品であります。
 この人のことだから、それは問うまでもなく、手慣れの業物わざものと思うと案外、その黒い袋入りの一品を手にとって、クルクルと打紐うちひもを解いて取り出したのは、尋常一様の一管の尺八でありました。
 極めて簡単にそれを引き出して、歌口を湿してみましたが、相応に興も乗ったと見えて、いずまいを直して、吹き出したのを聞いていると「竹調べ」です。
 机竜之助は、どの程度まで尺八を堪能たんのうか知らないが、おそらく、この男が、この世における唯一の音楽の知己としては、これをいてはありますまい。
 これは父から習い覚えたものです。父は幼少の竜之助に、本曲のほかは教えませんでした。竜之助もまた、父の教えた本曲のほかには、何を習おうともしませんでしたから、知っているのは本曲ばかり。興に乗って吹いてみるのも、興に乗らずして手ずさみに笛を取ってみる時も、やはり本曲。
 つまり、本曲のほかには、吹くことも知らず、吹こうともしませんでした。
 といって、本曲、そのものの玄旨に傾倒して、他を顧みずというほどに、妙味がわかって吹くというわけでもないのです。父から、やかましい伝来の由緒を、教えられるには教えられたけれど、そんなことは、てんで頭へは寄せつけなかったくらいだから、頭に残っている由がありません。
 ただ、ここで思い起すのは、父が尺八の師であった青梅鈴法寺れいほうじの高橋空山が、ふと門附かどづけに来て吹いた「竹調べ」が、ついにわが父をして短笛たんてきというものに、浮身をやつすほどのあこがれを持たしめてしまったことです。
 ここにヅグリという手があって、これはなかなかやかましい。これがうまく出来なければ虚無僧こむそうではない……といったのはそれ。自分は虚無僧になるつもりはない、父も虚無僧にするつもりで教え込んだのではないが、この手が妙味で、ここが難所という時は、意地でもそれをこなそうと勉めた覚えはある。
錦風波きんぷうは」の吹き方は、日本海の荒海のように豪壮で、淡泊で、しかもその中に、切々たる哀情が豊かにこもっている。そうしてどこにか、落城の折の、法螺ほらの音を聞くような、悲痛の思いが人のはらわたを断つ……山形の臥竜軒派では、これをこう吹いて……
 それにつけても思い起す、父が尺八というものに対する、あこがれと、理解の程度の、尋常一様でなかったことを。
 高橋空山師とはかって、附近の虚空院鈴法寺の衰えたるをおこさんとして果さなかった。あの寺は関東の虚無僧寺の触頭ふれがしら、活惣派の本山。下総しもうさの一月寺、京都の明暗寺と相並んで、普化ふけ宗門の由緒ある寺。あれをあのままにしておくのは惜しいと、病床にある父が、幾たびその感慨を洩らしたか知れない。自分が孝子ならば、その高橋空山という父の師なる人を探し当てて、そうして父の遺志をついで、あの寺を再興するようなことにでもならば、追善供養として、これに越すものはなかろうに……
 父はまたよく言った、人間の心霊を吹き得る楽器として、尺八ほどのものは無く、人間の心霊を吹き現わし得る楽器として、尺八ほどのものは無いと――父といえども、世界の楽器の総てを知りつくしたわけではなかろうが、以てそのあこがれの程度を想い知ることができる。
「竹調べ」から「鉢返し」――「鉢返し」から「盤渉ばんしき
 世界もちょうど――平調ひょうじょうから盤渉にめぐるの時――心ありや、心なしや、この音色。

         五

 宇津木兵馬は、今宵月明に乗じて中房なかぶさを出で、松本平の方へ歩みます。
 どうして、特に月明の夜を選んだか知らないが、その足どりから見れば、中房の温泉にも望みを失して、すごすごともと来し道を引返す心のうちが、察せられないでもありません。
 それにしても、歩みぶりが甚だ悠長ゆうちょうで、旅装たびよそおいは常習のことだから、五分もすきはないが、両腕を胸に組んで、うつらうつらと歩いて行く歩みぶりは、いくら月明の夜だからといって、案外な寛怠かんたいぶりであります。
 兵馬は、それでも、少し自分の足が早過ぎたなという心持で、振返って立ちどまると、後ろに一つ、うつむいて草鞋わらじひもを結び直すらしい人影がある。
 さてはつれがある――察する通り、その伴の人は、杖を下に置いて、しきりに草鞋の紐を結び直しているものに相違ない。
「どうです、うまく結べますかな」
と兵馬が、寛怠ぶりで問いかけると、
「結べやしませんわ、結んでも結んでも、解けてしまうんですもの」
 それは女の声であります。
「ちぇッ、世話を焼かせるなあ」
と兵馬が、少しじれったがりました。
「でも仕方がありませんわ、草鞋なんて、足につけたのは、今日が初めてなんですもの」
といって女は、しきりに草鞋の紐を結び直しているが、思うように結べないらしい。結んではみても、ためしてみると、足につかないで、また解きほごして、結び返しているものらしい。
 当人よりも、それを見ている兵馬が、もどかしがって、二三間小戻りをして来て、昼のような月明に、当の女の足もとをとくかして見ました。
「そんな手つきじゃ、駄目駄目」
 兵馬は、ついにうつむいて、自分の手を女の足もとにかけて、その草鞋の紐を受取ってしまいました。
「済みません」
 女は手をつかねて、兵馬のなすところに信頼している。
「それ、ここをこうしてにかけて、それから後ろであやに組んで、前でこう結ぶのです。こんなことをしていた日には、一町も歩けば、横に曲ってしまう」
 草鞋の紐を結ぶということは、あながち、先輩長者に向ってすることだけではないらしい。やんちゃな、扱いの悪い、弱者に対して、そうしなければ道が行けないためしもあるに相違ない。
 兵馬は、こくめいに、この女のために草鞋の紐を結んでやりました。
「どうも有難うございました、穿き心がすっかり違いますわ」
 女はすげの笠をかぶって、女合羽を着て、手甲てっこう脚絆きゃはんをした、すっかり、旅の仕度の出来ているところ、兵馬とは十分しめし合わせた道づれのようであります。
 そこで兵馬は、先に立って歩き出したが、以前のように、両腕を胸に組み上げながら、悠々閑々ゆうゆうかんかんと歩いていても、それでも女は歩み遅れる。どうしても、二人の間が二間、三間と隔たりの出来るのは免れないらしい。
 これは行き過ぎたと思っては、踏みとどまって待受けて、また、そろそろ踏み出すと、たちまちまた二三間の隔たりが生ずる。
「片柳様、誰も追いかけて来やしませんから、もう少しゆっくり歩いて下さいな」
と女が訴えました。
 兵馬としては、これより以上の寛怠かんたいはできないらしいが、その寛怠が女の足では、追従のできないほどの急速力とも見られるようです。
「その足で、松本までは覚束おぼつかない」
 兵馬は憮然ぶぜんとして突立って、念入りに女の足もとを見ました。
 これは、また奇妙なる一つの道行みちゆきといわねばならぬ。
 兵馬の道づれの女は、浅間の温泉で、芸者をしていた女であります。
 酔って、手古舞姿で、兵馬の室へ戸惑いをして一夜を明かしたために、大騒動を持上げた女であります。その結果、八面大王の葛籠つづらの中へ納められて、中房の温泉場へ隠された女であります。それを兵馬が、夜具蒲団のとりでの中で、偶然発見した女であります。
 この数日来――期せずして、どうも、兵馬の先廻りをして歩いているもののようです。
 今や、こうして、月明の夜、二人同じく旅よそおいをして、道を共にしてみれば、夫婦としては少し釣合いがまずいようだが、力弥りきやとしては、兵馬に少し骨っぽいところがあり、小浪こなみとしては、この女に少しあぶらの乗ったところがあるようだが、誰がどう見ても、尋常の旅とは見えないでしょう。
 しかし、依然として二人の間は離れ過ぎている。待ち合わせても、待ち合わせても、いつか知らず二三間は隔たりが出来てくるのです。道行としては、こんな離れ離れの水臭みずくさい道行というものがあるべきものではありません。
 兵馬がこうして、ついつい、連れの足弱を置去りにするような歩み方ばかりするのは、人目を気兼ねするのではなく、また、二人ばかりの山路の夜道に、人目を気兼ねする必要が毛頭あるのでもなく、ただ、兵馬の頭が、全く別なことを考えているから、足がふらふらとしてその空想にられて、現実を忘れがちにするの結果と思われます。
「それじゃ駄目ですよ、松本どころではない、この先一里も覚束ない――困ったな」
 兵馬はまたも、立ちどまってつぶやきました。
「そんなに小言こごとをおっしゃらなくってもいいじゃありませんか、置去りになすったり、お小言をおっしゃったり、ほんとうにたよりのない道行……」
と女が息を切りました。
「仕方がない……」
 兵馬が、やはり途方に暮れた返答ぶりです。
 仕方がないといえば、全く仕方がない。ほかの道中と違って、馬や、駕籠かごをたのむ便宜もなし、そうかといって、自分が引背負って行くわけにもゆかず、万一の場合には、たたき起すべき旅籠屋はやごやすらも当分みつかるべき道ではない。そのくらいなら、いかに月明に乗じたとは言いながら、夜分、こうして出て来るがものはないじゃないか。だが、そのほかの理由で、二人が、馬も駕籠も借らずに、夜を選ばねばならなかった筋道は、相当にあるだろうと想われます。
 ただ、兵馬として案外なのは、女の足が弱過ぎたことです。想像以上に、この女の足が弱過ぎました。
 草鞋わらじをつけたのは、生来これが初めて――それはよいとしても、一町行っては息を切り、二町歩いては休む、これで前途の旅をどうするのだ。
 前途といえば、二人はどこを目的めあてとして行くのだ。さし当り、このまがいものの道行、離れ離れの水臭い道行も、行をともにしている以上は、落着くところもきまっていそうなものに思われる。
 兵馬としては、求むるものは、いつも与えられずして、求めざるものに、ついて廻られるような結果になる。ついて廻るならまだいいが、時としては、それに引きずられるような危なっかしいことさえしばしばあるのには困る。世間の事実は往々逆説になって、足の強いものが、足弱を引きずらないで、足弱が、健足のものを引きずるためしが、ザラにないとはいえない。
 兵馬としては、この予想外に足の弱い女を、自分が引きずりながら歩いているのだか、引きずられて困惑しているのだか、ちょっと、わからない立場でありましょう。
「もう歩けません、あなたお一人でいらっしゃい――どちらへでも」
といって、女は有明明神の社壇の下に、腰を下ろしてしまいました。
「ちぇッ」
 兵馬はまゆをひそめて、突立っています。
 その時、暫く思案していた宇津木兵馬は、足を踏みならして、
「そうですか、では、あなたは疲れの休まるまで、休息していらっしゃい、拙者は、ひとりでブラブラと出かけます」
といって、彼はそこを歩き出してしまいました。
「まあ――ひどい人」
 女の驚愕きょうがくをあとにして、兵馬は以前の通り悠々閑々たる足どりで、両腕を胸に組んで歩き出します。日本アルプスの大屏風おおびょうぶを背景にして、松本平を前に望むところ――孤影飄々ひょうひょうとして歩み行くあとを、女が追いかけました。
「まあ、片柳様、あなたはほんとうに、わたしを打捨うっちゃっておいでなさるのですか」
 兵馬はそれに答えずして、フラフラと歩いて行きます。片柳とは宇津木の変名。
「あんまり、ひどい」
 女は追いかけて、追いすがりました。
「それでは、あなた、約束が違やしませんか」
「約束とは?」
「わたしを救い出して下さる、あなたのお約束じゃありませんか」
「救い出す――いつ、わたしが、そんなことを言いましたか」
「あら、また、あんなことをおっしゃって……あなたをお力にすればこそ、こうして、わたしは、逃げ出して来たんじゃありませんか」
「人をたより過ぎてはいけません、拙者は人にたよられるほどの人間ではありません、人にたよりたいくらいの人間ですよ」
「では、わたしというものを、どうして下さるの……」
「浅間の、もとの主人まで送り届けるだけのことはします」
「それだけじゃいけません」
「いけませんといったって、それより以上のことは、拙者の役目にないことで、またしようとしてもできないことです」
「ねえ、あなた、浅間へ帰ると言いましたのは嘘なんですよ、わたしは、あんなところへ帰る気はありません」
「帰らなければ、どこへ行きます」
「わたしは、江戸へ帰りたいのです」
「それは事情が許しますまい、江戸へ帰るならば、帰るようにして帰らない以上は、迷惑が湧いて、災難を求めるようなものです」
「ただは帰れませんから、逃げて帰るよりほかはありません」
「一里二里も覚束ない足で、どうして江戸へ帰ります」
「ですから、わたしは、あなた様におすがり申しているじゃありませんか、どうぞ、このまま、わたしを連れて逃げて下さい」
「何をおっしゃる――そなたを連れて、拙者に江戸へ逃げろといわれるのですか」
「お江戸でいけなければ、どこでもようございます――京でも、大阪でも、いっそ、誰も知らない山の中でも、海のはてでも、どこでもようございますから、このまま、わたしを連れて逃げて下さいまし」
「なるほど」
 兵馬は、この間も、腕組みをして、悠々閑々と歩いていることを少しも止めないでいましたが、この時から、以前、二三間ずつは必ず離れていた女が、兵馬の袖にすがって離れません。
「ねえ、片柳様、押しつけがましいことですけれども、わたしはそう思います、因縁いんねんだと思います、金にあかしても、わたしを欲しがる人には行きたくありません、かゆいところに手の届くほど親切にして下さるお方のところへも行きたくありません、ホンの袖すり合うたような御縁のあなた様におすがり申します、このまま、わたしを連れて逃げて下さい」
「…………」
 兵馬は、やはり腕組みをしたまま、無言で歩きつづけながら、身ぶるいをしました。
 この手にはかかっている――商売人の用いたがる手だ。江戸の吉原で、おぞくもこの手に引っかかって、苦い経験をめたのは、そんなに遠い過去でもない。
 実はこの手を警戒すればこそ、この道行も、ワザと離れ離れのよそよそしさを、兵馬自身から仕向けていたのではないか。
 まあ、最初のかかり合いから言えば、戸惑いとは言いながら、自分の座敷へころがり込んだ、あれが間違いのもとなのだから、相当の責任感をもって、この女のために証明の役目も果し、浅間の元の主人のところへ落着けてやるまでは、旅の道草としても、意義のないことではないと思って、頼まれるままに、浅間へ送り届けることだけは、引受けたに違いない。
 だが、あぶない。女がなかなかのあだものであるだけに、またその道の玄人くろうとだけにあぶないものだ――先方があぶないのではない、こちらがあぶないのだ。
 ここに至って、兵馬の懸念けねんと、不安とが、まともにぶっつかって来ました。
冗談じょうだんをいってはいけません」
 歩きながら兵馬はこう言いました。
「冗談ではございません――あなたには冗談に聞えるかも知れませんが、わたしは真剣でございます、命がけでお願いしているじゃありませんか」
「そういう頼みは聞かれない」
「では、わたはどうなってもいいのですか、どうすればいいのですか」
「それまでは考えていられない、浅間へ送り届けるだけで、拙者は御免こうむる、拙者には、拙者としての仕事があるのですから」
「どのつらさげて、わたしが浅間へ帰れましょう、あれは嘘です、嘘よりほかには、申上げられようがありませんでしたもの」
「嘘はそちらの勝手、拙者は、拙者だけの勤めを果せばいいのだ」
「ようござんす」
 そこで、ふっと、今まですがっていた兵馬の袖を、女がはなしました。
 兵馬は多少のハズミを食ったが、やはり最初の調子の、悠々閑々ぶりを改めず、あとを振返ることもなくして、フラフラと歩んで行くのであります。
 女は、どうしたものか、恨めしそうに兵馬の後ろ姿を見てはいるが、以前のように追いすがろうともしない。また、静かにそのあとをしたって来ようとするの様子も見えない。じっとその地点に立ち尽しているのです。
 そうなってみると、兵馬も、多少の不安を感じないわけにはゆきません。だが、自分のいて、つれなく言い放した言葉の手前からいっても、いまさら未練がましく後ろを振返って見るというわけにもゆきません。
 いや、そう言っているうちに、また追いかけて来るだろう、追いかけて来ないまでも、何とか呼びかけてはみるだろう、というような期待もあって、兵馬は相変らずの調子で、日本アルプスを後ろに、松本平を前に、月明の夜、天風に乗じて人寰じんかんに下るような気取りで歩いて行きましたが、今度はさっぱり手ごたえがありません。後ろから呼びかける声もなく、追いすがる足音もなく、そうして、とうとう一町半ほど歩んで来てしまいました。
 その時に、兵馬も、不安を感じないわけにはゆきません。
 実は、不安を感ずるのはいけないのだけれど、最初の機鋒を最後まで通して、女が泣こうが、追いすがろうが、立ちどまろうが、退こうが、押そうが、動ぜずして振切り通すだけの切れ味があれば、さすがなのだが、これが無いところが、兵馬の兵馬たるゆえんかも知れません。
 一町半ほど、そうして歩いたところで、やむなく兵馬は後ろを顧みてみました。
 そこには誰もいない。
 月夜で、見通しのく限り、その一町半の間には紆余曲折うよきょくせつも無かったところに、女の影が見えません。
 あっ! と兵馬はかおの色をかえました。今ここで面の色をかえるくらいなら、最初から、あんなつれない真似まねをする必要は無かったではないか――

         六

 呼びかけると思った女が、呼びかけません。追従しきたると思った人が、追従して来ないのみならず、影と、形とが、見ゆべきところから消え去っています。
 この案外には、兵馬が手脚しゅきゃくを着くるところなきほどに惑乱しました。
 われに追従して来なければどこへ行く――この場合、その方向転換の目的が、人の身として考えても、自分に比べて考えても、皆目わからないのであります。
 行くところの道を失えば、当然、その帰結は自暴やけのほかにありません。
 自暴――女にとって、その恐るべきことは、破滅を恐れないのでわかります。しかし、その点は心配するほどのものはあるまい、処女ではないのだから。処女でないのみならず、商売人なのだから。自暴やけのために身をあやまる時代はすでに過ぎている。
 しかし――という余地はないはず。その切れ味のにぶいところが、それがいけない。
 よろしい、去る者は追えない。ねる者をあやなす引け目もないはず。
 一処にその未練を残すから、万処がみな滞るのだ。
 進むにかず――さりながら、兵馬は一つところを歩いているような心持で、月明を松本平に向って下って行くのです。
 とりがないた。何番鶏か知らないが、もう夜明けの時だ。
 ふと、馬の高くいななくのを聞いた。
 馬――暫くぼんやりしていて、ハッと気がついたように、その馬のいななきの方へ、桑の畑を分けて進んで行くと、とある農家のうまやの前に、わらべがしきりにかいばをきざんでいるのを見る。
「お早う」
「お早うございます」
「済まないがね、君」
「はい」
「少し馬を頼みたいのだが」
「この馬は、等々力とどろきへ豆を取りに行く馬でございますが」
「そこをひとつ折入って頼むのだ、有明明神のところまで……」
「明神様までなら、そんなに遠くはねえのだが……」
「うむ、ちょっとの間だ、そこへひとつ馬を連れて行って、多分、あの辺に、旅に疲れた女の人が一人いるはずだから、それを馬に乗せてつれて来てもらいたい」
「ここまで連れて来ればいいのかね」
「ここまでではない、左様、穂高の村まで連れて来てもらいたい」
「穂高のどこまで連れてくだね」
「左様、よくは知らないが、あの穂高神社の附近に拙者が待っているから、そこまで連れて来てもらおうか」
「旦那様は、一緒においでなさらねえのかね」
「ああ、拙者は一足先に待っている」
「ようござんす、ちょうど、この馬も等々力まで行く馬ですから、穂高へは順でございます。では、旦那様、物臭太郎ものぐさたろうあたりでお待ちなすって下さいまし」
「物臭太郎とは?」
「穂高の明神様の前のところでございます、物臭太郎でお待ち下さいまし」
「では、そうしよう」
 物臭太郎というのが奇抜に聞えましたけれど、それは何か因縁があるのだろう。その因縁はここで問うべき必要はない。指示された通り穂高神社を標準として、物臭太郎を目的としていれば差支えない。
 兵馬は、子供に若干いくらかの手間賃を与えて、またも悠々閑々ゆうゆうかんかんとして、松本平へ下りました。
 これとても、おぞましいことです。見殺しにする気なら、見殺しに殺しつくすがよい。
 最後まで助けおおすつもりならば、人の手や、馬の力を借る必要はない。あくまで自分の背に負い通して行くこと。
 ここに至って、切れ味がまたにぶる――所詮、これは仕方がないと思ったのでしょう。
 穂高神社の物臭太郎をたずねて来た宇津木兵馬。
 くすぐったいような思いをしながら、物臭太郎をたずねてみると、どうもちょっとわからない。
 所在がわからないのではない、教える人の、教え方がまちまちなのだ。ある者は、その後ろの方にあるべき塚を教えて、それが物臭太郎だといい、ある者は、その末社の一つに物臭太郎が祭られてあるといい、ある者はまた、その本社そのもの、つまり、穂高神社そのものが物臭太郎を祭ってあるのだともいい、なおある者は、物臭太郎とは、その社前の接待の茶屋がそれだ、その茶屋のある所に、昔、物臭太郎がいて、思いきった怠慢ぶりを発揮していたもののようにもいう。
 兵馬には何だか、物臭太郎の正体がわからない。その名前だけは昔噺むかしばなしのうちに聞いているが、しかし、徹底した怠け者が神に祭られているとは、ここへ来てはじめて聞く。
 ともかくも、その接待の茶屋。
 これは今、ふうの変った立場たてばということになっている。土間には炉があって、大薬缶おおやかんがかかり、その下には消えずの火といったような火がくすぶっている。その周囲には縁台が置きならべてある。
 まだ早いから、誰もこの立場へ立寄ったものはないらしいが、火だけは、人がいても、いなくても、ひねもす夜もすがらくすぶっているから、自然、何となしに、人間の温か味も絶えないように見えます。
 兵馬は縁台の一つに腰をかけると、そのままゴロリと横になって、頭をかかえてしまいました。
 来るならば、馬の足だから、もううに着いてもいいはずだ。自分より先へ着いてもいいはずだ。道は例によって悠々閑々と歩いて来たのだから、途中で追い抜くくらいになってもいいはずなのだが、それがまだ着かない。
 自分で振切ったものを待っているというようになっては、後ろめたい話だが――そうかといって、約束は約束だ。
 こういう時に、吉原でさんざんに翻弄ほんろうされた、つい遠からぬ頃の記憶が、芽を吹き出さないということはない。実は翻弄ではない、あれがあたりまえなのだ。玄人くろうと素人しろうとをあやなす手はあれにきまったものなのだが、こっちが真剣でかかればかかるほど、その結果が翻弄ということになってしまうのを、兵馬も今は気がついているでしょう。
 多分、苦い味はめさせられたけれども、まだそこまでは、人生というものを軽蔑はしきれないのだろう。商売だから仕方がないものの、その多数の客のうちでは、自分だけがいちばん可愛がられていたという思い出は、まだどうしても去らないに違いない。
 だが、先方は玄人くろうとだ。こっちがあせればあせるほど、擒縦きんしょうの呼吸をつかむことが、今になって、わからないでもない。武術の上から見ても、この点は段違いだと、きもを奪われたことが幾度か知れない。夢中に夢を見て、それが夢だとは思われないと同じこと、玄人であり、商売人であり、かけ引きと、翻弄とのほかに真実味は何もない――と悟らせられながら、やっぱりそれにひっかかる。
 みようによっては、どこを見ても、ここを見ても、すきだらけだと、腹に据えかねながら、それに打ち込めない。打ち込めば、思う壺というように、あやなされてしまう。
 その太刀筋たちすじがよくわかる時と、まるっきりわからないことのあるために、煮え切らない、腑甲斐ふがいのない、ふんぎりのつかない、なまくら者にされてしまうことが、我ながら愛想の尽きるほど心外千万だ。
 だが、あの女も、ああして老人としよりのお囲い者となって、あれで満足していようはずはない、別に何か生涯の考えはなければならないはずだ――と、兵馬はよけいなことを考えてみる。よけいなことではないのだ。つい先頃までは、自分の心持のほとんど全部を占領していた重大事には相違ないのだが、いてそれを、ツマらないこととして葬ってしまおうと苦心している時、入口ののれんさっとあいたので、われにかえりました。
「来たな……」
 来たのは女だ……と思いました。それは今まで頭の中にこびりついていた元のなじみの女の顔だか、それとも馬を以て迎えにやった、かりそめの道中づれの女だか、ちょっと、兵馬の頭では混乱しましたけれども、来たのは、まさに女に違いない――と兵馬は、バネのようにはね起きました。
 バネのようにはね起きなくとも、むしろこの場は、来ても、来なくてもいいように、悠然ゆうぜんと横になっていた方が形がよかったかも知れないが、兵馬はとにかく、バネのようにはね起きてから、自分の軽挙を、多少にがにがしいように思い直し、わざと落ちついて、のれんの方を見ると、ほとんど音もなくはいって来たにははいって来たが、それは女ではありませんでした。
 女でないのみならず、男のうちでも筋骨のたくましい、風采ふうさいのいかめしい、面構つらがまえのきかない、そのくせ、はいりばなに兵馬とかおを見合せて、ニヤリと笑った気味の悪い武芸者風の壮漢でありました。
「やあ、仏頂寺」
 バネのように起き直った兵馬がそれを見て、驚愕と、苦笑とを禁ずることができません。
「宇津木、ここにいたのか?」
 仏頂寺の後ろには、影の形におけるが如く、丸山勇仙も控えています。
 物騒なのが二人、連れ立って来るからには、もう少し肩の風が先吹きをしていそうなものだと思えないでもないが、そこはうに亡者の数にはいっている二人の者、音もなく、風も吹かさず、入り込んで来たからとて、そう驚くがものはないのだが、兵馬は驚いたのみならず、多少、狼狽ろうばいの気味でさえありました。
 気味悪く、ニヤリニヤリと笑いながら仏頂寺は、兵馬のそばへ寄って来て、横の方の縁台へ腰をおろすと、丸山勇仙もまたそれに向き合って腰をかけ、
「宇津木君、君あ存外人が悪いな」
と勇仙が言いました。
「なに、別段悪いことをした覚えはない」
 兵馬が申しわけをする。
「いかん、いかん……君は悪いことをしたつもりはなかろうが、その飛ばっちりがことごとくわれわれの身にかかって、いい迷惑をしてしまったよ」
 仏頂寺がいう。兵馬はそれにも申しわけ。
「諸君に御迷惑をかけたつもりはないのだが……」
「あとのことは君は知るまい……時に、女はどうしたえ、どこへ連れ込んでしまったのだ、え、宇津木君」
 仏頂寺がすり寄ると、兵馬は迷惑そうに、
「女というのは、誰のことだ」
しらを切っちゃいかん、浅間の温泉場を沸き返るような有様にして、置去りにしたわれわれに一切の尻拭いをさせ、自分だけがいい子になって、お安からぬ道行とは、年にも、かおにも、似合わない君の腕、全く穏かではない」
「それは諸君の勘違いだ、なんで拙者が、そんなばかげたことをするものか、第一、拙者がそんなことをするくらいなら……」
「言いわけはいよいよ暗い。浅間では、たしかに君が、あの女をかどわかして逃げたと、みんなそう信じている。よく聞いてみると、なるほどそう信ぜられても弁解のことばがないほど、すべてが符合するのだ」
「それには、事情がある……偶然の戸惑いで……」
「その弁解を聞く必要はない、その女が、君の手にあるかどうかを聞けばいいのだ。現在、ここにいなければ、どこへ隠したか、それを聞けばいいのだ。それを聞いたからったって、なにも君からその女を取り上げようの、どうのというのではない、君もその女が好きだというし、女もまた君にたよりたいという心があるなら、われわれも一肌ぬごうではないか。女をどうした、それを白状しろ」
「知らない、左様な女には、全くかかり合いがない」
 兵馬がいいきった時に、表で馬の鈴の音です。兵馬の顔の色が少し変りました。

         七

 よくないところへ――頼んでおいたわらべが馬を引っぱって来たが、その馬の上には、あつらえ通りの女の人が乗っていたが、下りようともしないで澄ましている。
 手綱たづなをかいくったままで、童はのれんをかきわけて、
「旦那様、おいででしたかね」
「うむ」
「頼まれたお方を、お連れ申しましたよ」
「それは御苦労」
 そこで、はじめて、女は馬から下ろしてもらうと、笠を取って、杖を持ったままで、しゃなりしゃなりとはいって来て、
「あなた、あんまりよ」
といって、流し目に兵馬をにらみました。
 兵馬は何とも答えないで、炉の火に手をかざしていたが、仏頂寺と、丸山とは、眼を円くして、女の方を穴のあくほどながめ、
「それ見ろ」
と口には言わないが、さげすむような、あざけるような目を、ジロジロと兵馬の方へ向けて、仏頂寺がその肩を一つたたいて、苦笑いをしました。
「宇津木」
「うむ」
「お前を尋ねて、お客様が来たよ」
「うむ」
 丸山勇仙は底意地悪そうな、そうしてイヤに、ていねいに女に向って、
「さあ、どうぞ、こちらへお掛け下さいませ、さあ」
「有難うございます」
 女は杖を羽目に立てかけて、やはり、しゃなりしゃなりと、かなり人見知りをしない態度で、火の方へ寄って来ました。
「あなた、あんまりだわ、足の弱いものを打捨うっちゃって、かわいそうじゃありませんか」
「打捨ったわけじゃない、おたがい同士だ」
 兵馬が苦しそうに言うと、女は、
「そなはずじゃありますまい、途中で、あなたに打捨られるつもりなら、わたしは、こうしておともをして来やしませんもの」
「それにして、お前は足が弱過ぎる」
「だって仕方がないわ、足の弱いことは、あなただって御承知の上なんでしょう。歩けるだけ歩いてごらんなさい、どうしても歩けなければ、また方法がある、とあなたはおっしゃったじゃありませんか、行詰った時に、その方法というのを取って下さらずに、おいてけぼりはひどうござんすね」
「だから、あとから馬が迎いに行ったろう」
「どうも御親切さま。せっかくでしたけれども、あのお馬には乗るまいと、わたしは考えちまいましたのよ、あの明神様の前で死んでしまおうか知らと思いましたのよ……ですけれども、また考え直して、御親切なお馬に乗せていただいて、おめおめこれまで参りました。ほんとうに御親切なお方ね、あなたというお方は……」
 兵馬は何とも答えないで、テレきっていると、ニタリニタリ笑っていた仏頂寺弥助が、傍から口を出して、
「宇津木、何とかいえよ、この御婦人が、お前を恨んでいらっしゃる」
「恨まれるほどのこともないのだ、偶然道づれになって、向うは足が遅いし、拙者の方は少し早いものだから、それで、途中、別れ別れになってしまったまでのことだ」
というと、女が少し乗り出して来て、
「そりゃ、それに違いありません、あなたがお足がおたっしゃで、わたしは生れて初めて草鞋わらじというものを着けたような弱い女なんですもの……それを打捨っておいでなすったのですから、あたりまえのことですわ、足のたっしゃなお方が先に立って、足の弱いのが残されるのは、ほんとうに、あたりまえ過ぎるほどあたりまえのことなんです、どうしてお恨みなんぞ致すものですか」
 仏頂寺がそれを聞いて、しきりにうなずいて、
「その通り、その通り、足のたっしゃな者が、足の弱い者を置去りにするのは、あたりまえすぎるほどのあたりまえだ、そうでなかった日には……」
 仏頂寺は女の方に向き直って、
「時に御婦人、申しおくれたが、拙者はこれなる片柳兵馬の友人で、仏頂寺なにがしと申す亡者でござるが、以来お見知り置きを願いたい。いったい、御身と兵馬と、なんらの因縁があるのだか、拙者共には更にわからないが、兵馬も歳が若いから、君もあまり、兵馬をいじめないようにしてもらわなければならぬ」
と言われて、女はにっこりと笑い、
「わたくしこそ申し後れましたが、改まってあなた様方へ、お近づきが願えるほどのものではございませぬ……浅間におりました時に、御厄介になりましたのが御縁でございます」
「なるほど……どんなふうに御厄介になったのだね」
「わたしが悪い癖で、戸惑いをしてしまったものですから、大変に御迷惑をかけちまいましたことがございますんです」
「ははあ……実はね、その飛ばっちりが、われわれの方までも飛んで来て、えらい迷惑をしてしまったよ。君はあの、松太郎という浅間の芸者だろう」
「お察しの通りでございます」
「よくない、はなはだよくない、われわれの友人、兵馬を君がたぶらかして、あっちこっちへ引っぱり廻すなんぞは、甚だよくない」
と仏頂寺が、ワザワザにらみのかないような眼つきをして見せると、女は少し真面まがおになって、
「いいえ、それは違います、どちらがたぶらかしたの、引っぱり廻したのというわけではありません、こなた様にはほんとうに、はからず御迷惑をかけたり、お世話になったりして、お礼をこそ申せ、お恨みを申し上げるような義理じゃございませんのですけれど、昨夜ゆうべのなされ方が、あんまりお情けないものですから……」
「なるほど昨夜、この宇津木が、君に対して、何か不人情な仕打ちに出でたものと思う、そりゃ宇津木が悪い」
 仏頂寺が呑込み顔にいうと、女は、
「いいえ、こちら様がお悪いことは少しもございません、ほんとうは、わたしがわがまますぎたんでございますよ……恨みや、愚痴なんて、申し上げられた義理じゃないんですけれど、そこは女というものはね、つい、ホホホホホ」
と妙な笑い方をして、それで、恨みも、愚痴も、すっかり帳消しにしようとさばけて来たのを、仏頂寺がなおしさいらしく、
「それはどうでもいい、そんなことはどうでもいい、君たちが打捨うっちゃろうと、打捨られようとも、おいたちごっこをしようとも、それはわれわれの知ったことではないが、君たちが行方をくらましたために、浅間では大騒ぎだ。宇津木はいいようなものの、君の方は、主人とか、抱え主とか、旦那とか、後援者とかいうものがあるだろう、それに無断で出奔するというのは甚だよくない……実はその飛ばっちりで、拙者なども、痛くない腹を探られたのみならず、膝っ小僧へ火をのせられて熱い思いをした」
 仏頂寺弥助が真顔になってこう口走ると、丸山勇仙が、
「フフフフフ」
とふき出しました。それにも拘らず、仏頂寺は大まじめで、
「おたがいに若い同士で、一時の出来心では仕方がないとして、以後は注意するこったね、そうして君は尋常に、元の雇主へびをして帰らなければならん。実は、多分、二人が中房の温泉あたりと、あたりをつけて、これからわれわれが、捜索に出向いて行こうとしたところだ」
 その時まで、だまって聞いていた宇津木兵馬が、かおを上げて、
「仏頂寺君、それは違う、君は、どこまでも、ひとりぎめで、その婦人と拙者とが、しめし合わせて駈落かけおちでもしたように思っているが、以ての外だ、なんらの関係はない、偶然に出会でっくわして、偶然の道づれになったまでのことなのだ、情実関係も、利害関係も、一切ありはしないのだよ」
「なるほど……」
 仏頂寺が、なおしさいらしくうなずいてみせたが、やがて、
「そうか、全く情実関係も、利害関係もないのか。果してその通りならば、君の手から、われわれがこの婦人をもらい受けて、連れて帰っていいか」
 それは、どうも急に返事はできがたいあぶなげが伴うけれど、さきほどの口上の手前、異議は唱え兼ねて、
「それは御随意……」
と言い終ると、仏頂寺はさもさもと言わぬばかりに、
「しかと……異存はないかな。君の手からこの婦人を受取って、われわれが護衛をして、無事に抱え主のところまでかえしてやる、そのことに君は異議はないのだな」
「有るべきはずがない」
 兵馬は内心苦しく言い切ると、仏頂寺が、
「ならば、事は簡単だ。丸山、もうこれから中房まで行くがものはない、浅間へ引返そうではないか」
「そういった理窟だな」
 丸山勇仙が、空うそぶくような調子で返答しました。そこで仏頂寺は、事改めて女の方を向いて、
「ねえ、君、君はどうしても一応はその抱え主まで、わびをして帰らなければならん。そのおわびには不肖ながら、われわれが立会って、今後にむごいことのないようにして上げる。ここからは乗物か何かあるだろう、善は急ごうじゃないか、君の方に異存がなければ、これからわれわれと一緒に浅間へ帰ろう」
「どうぞ、お連れ下さいまし」
 女はわるびれずにいいました。仏頂寺はそこで、丸山の方にあごを向けて、
「丸山君、君ひとつ、そこらを駈けまわって、乗物を一挺探して来ないか、何でもいい、人間の乗れるものなら何でもさしつかえない」
「よろしい」
 丸山勇仙は命をかしこんで、さっさと物臭太郎を外へ飛び出してしまいました。
 そこで仏頂寺弥助が、改めて兵馬の方に向って、
「君、宇津木君、抜けがけをしちゃいかんよ、われわれとても、君の立場には同情し、どうか成功させて上げたいと、これでも、蔭になり、日向ひなたになって、相当苦心しているのだ、それを君が買ってくれないで、事毎に、われわれを出しぬくような真似まねばかりされたんでは、われわれとしてもやりきれない、第一、われわれ亡者と違って、前途ある君の生涯をあやまらせたくないのだ」
 あんまり有難くは聞けない諫言立かんげんだてを、聞いているのがばかばかしい。
「君たちのいいようにし給え」
と兵馬は、聞きようによっては自暴やけに聞けるようなことを言って、また最初の通り、縁台の上へゴロリと横になってしまいました。そうすると、仏頂寺は女の方へ向いて、
「ねえ、松太郎君、君もそうだよ、いかに商売柄とは言いながら、少しは分別というものをおいてもらわなくちゃならん、無茶苦茶をやっては、つまりおのれの身が詰まるばかりだ」
「それはよくわかっていますけれども、どうも仕方がありませんわ、運命というものなんでしょう、わたしたちの身の上なんぞは、世間並みにごらんになると違います」
「その運命というやつが不思議なものなんだ。ところで、どうだ、正直のところ、ああは言ったものの、君も一旦は浅間へ帰るとしても、末長くあの地にもいづらかろう、どうだ、われわれと一緒にどこぞへ行かないか」
「どうせ、ひびの入ったからだでございますから、どちらへでも、住みよいところへ行って、たよりになれるお方にたよりたいと思います、どうぞ、よろしく」
「は、は、は、は」
 なにゆえか仏頂寺が、わざとらしい高笑いをしたのが、兵馬の耳にたまらないほどのいやな思いをさせました。
 そこへ、丸山勇仙が、とつかわと立戻って来て、
「やっと山駕籠やまかごを一挺探して来たよ、駕籠はいくらもあるにはあるんだが、人手が無いんだ、おどしつ、すかしつするようにして、ようやく一挺仕立てて来た」
「そうか。では、出立としよう、君」
と女を顧みて、
「駕籠が来たそうだから、乗り給え」
「はい」
 女も無雑作むぞうさに立ち上りました。

 ひとり残された宇津木兵馬。
 これではなんにもなりはしない。
 自分が空遠慮をしていたために、その御馳走を、横合いから頼もしからぬ者共に、むざむざ食われている心持もしないではない。
 これを、厄介払いしたと、思いきるわけにもゆくまい。
 物臭太郎にあやかったわけでもなかろうが、兵馬は、急に立ち上る気にもなれないものと見え、包みを解いて、中から取り出したのが信濃国の絵図。それを縁台の上へ繰りひろげて、あれからこれと、指で線を引いてながめている。
 そこへ神主のような人が来たから、兵馬も、ちょっと身を起して、あいさつをする。
 神主なかなかなれなれしく、炉辺へ腰をおろして話しかけるものだから、兵馬も、
「いったい、この物臭太郎というのは何です」
「物臭太郎でございますか――それをいちいち説明して上げるよりも、ここに絵巻物がございます」
 神主は頼まれもしないのに、立って床の間から一巻の絵巻物を持って来て、
「物臭太郎物語――ね、これでございます、なかなか名文章でございますよ、竹取、うつぼ、源氏物語などとは違った面白味がございます。滑稽味のある古文では、ここらが第一等でござんしょう。日本人にはいったい、滑稽味が乏しいなんて言う人もありますが、どうして、この辺になると、古雅で、上品で、そうしてたまらない可笑味おかしみがございます。ひとつ、読んでお聞かせ申しましょう、ようござんすか、お聞きなさい」
 神主はこういって兵馬の前に、その絵巻物を繰りひろげ、
「東山道、みちのくの末、信濃の国、十郡のその内に、つくまのこほり、新しのさとといふ所に、不思議の男一人はんべり、その名を物臭太郎ひぢかずと申すなり……」
 ここで兵馬は、ははあ、物臭太郎にも名乗りがあるのだな――物臭太郎ひぢかず、ひぢかず――という字は、どう当てるか知らないが、ともかく、物臭太郎も名乗りを持っているということを、この時はじめて知りました。
「ただし、名こそ物臭太郎と申せども、家づくりの有様、人にすぐれてめでたくぞはんべりける……」
と読まれて、では、名こそ有難くはない名だが、家はこのあたりの豪族にでも生れたのだろう。そうしたものかと考えていると、神主はすらすらと読み続けて、その宏大なる家の構えぶりに抑揚をつける。
「四面四方に築墻ついぢをつき、三方に門を立て、東西南北に池を掘り、島を築き、松杉を植ゑ、島より陸地へ反橋そりはしをかけ、勾欄こうらん擬宝珠ぎぼしを磨き、誠に結構世に越えたり、十二間の遠侍とほざむらひ、九間の渡廊、釣殿、梅の壺、桐壺、まがき壺に至るまで、百種の花を植ゑ、守殿十二間につくり、檜皮葺ひはだぶきにふかせ、錦を以て天井を張り、桁、梁、木の組入には、白銀黄金しろがねこがねを金物に打ち、瓔珞やうらく御簾みすをかけ、うまや、侍所に至るまで……」
 これは大変なものだ、と兵馬が思いました。
 なるほど名こそ物臭太郎だが、この住居の結構は藤原時代で、三公をしのぐものだ、なるほどと、兵馬が深く思い入れをした様子を見て神主は、ちょっと朗読を中絶して、
「大したものでござんしょう、これでは平安朝時代、藤原氏全盛の頃の並びなき公卿くげさんのお住居です、物臭太郎が、こういった宏大な家に住んでいたと思うと不思議でございましょうが、まあ、もう少しこの先をお聞き下さい、いいですか」
うまや、遠侍に至るまで、ゆゆしく作り立てなさばやと心には思へどもいろいろ事足らねばただ竹を四本立ててぞゐたりける
「どうです、すっかり人を釣っておいて、最後に突放した手際はあざやかなものじゃありませんか、ゆゆしく作り立てなさばやと心には思えども、いろいろ事足らねば、ただ竹を四本立ててぞいたりける……がうまいじゃありませんか」
 兵馬もばかにされた思いをしながら、それでも行文の妙味に、少なからず感動させられたようです。
 眼の前にころがる餅を取ることがおっくうで、三日の間、人の通るのを待っているという徹底した物臭ぶり。
 それでも、鳥や、犬の横取りを怖れて、棒をもって、それをうだけの労はいとわず、三日目に馬上で来た役人をつかまえて、その餅を取らせようと試みたが、それが無効なので、さては天下にわれより以上の物臭がある、僅かに馬から下りて、餅を拾ってくれるだけの労をさえ厭う者がある、と感服していた男。
 それが、ある大納言に見出されて京都へ上り、首尾よく勤め上げて、また信濃へ帰ろうとする時の話――
 国への土産に、よい女房をつれて帰りたい。
 よい女房を求めるには「辻取り」ということをせよと教えられて、清水きよみずのほとりに出でて、女の辻取りをやる。
 侍従のつぼねという、すばらしい女房をとっつかまえて、歌を詠みかけたりなんぞして、とうとうものにする。
 この女房が、物臭太郎を七日の間、湯につけて、二人の侍女に磨かせると、真黒な物臭太郎が、玉のように光り出す。
 これに直垂ひたたれを着せ、衣紋えもんをただし、袴をはかせて見ると、いかなる殿上人てんじょうびともおよび難き姿となって、「おとこ美男」の名を取る。
 それに、歌を詠ませると、なかなかの名歌をよむ。
 物臭太郎では勿体もったいない――新たに歌左衛門という名を、豊前守ぶぜんのかみがつけてくれる。
 みかどの御前に歌をよみ、御感ぎょかんにあずかり、なんじが先祖を申せとある時、はじめて国許を仔細に探ると、人皇にんのう五十三代のみかど、仁明天皇の第二の皇子、深草の天皇の御子、二位の中将と申す人、信濃へ流されて……という系図が現われて、信濃の中将になり、甲斐、信濃の両国を賜わり、この女房を具して任国へ下り、一門広大、子孫繁昌というめでたさ。
 この物臭太郎がすなわち穂高の明神となり、女房が朝日権現とあらわれる――これは文徳天皇の御時なりし……とある物臭太郎一代記を神主の口から、かいつまんで聞かされてしまった宇津木兵馬。
 すすめられた渋茶に咽喉のどをうるおして、いざとばかり、再び立ち出でた前路に日が高い。
 物臭太郎一代記――思い出してもばかばかしさの限りだが、時にとっての何かの暗示。
「辻取り」というのは、初めて聞いた。
 刀には「辻斬り」というのがある。柔術やわらには「辻投げ」というのがある。ならば「辻取り」というのもあってよかろうはず。いや、その物語によれば、辻取りは、辻斬りや、辻投げの流行せしずっと以前に行われていたはず。
 結婚は、ついに掠奪りゃくだつであるというような思想が、兵馬の頭をかすめた時に、かれは浅ましい思いをする。物臭太郎の場合は、それが無邪気に実行されたのみだが――歴史は無邪気のみを教えない。
 兵馬の頭が、奪われたる女ということに向う。「辻取り」は今の世、今の時にも行われる。現に、たった今、その災難に逢ったのは自分ではないか。
 奪われた心。奪われたのではない、いわば厄介払いをしたのだが、なんとなく安からぬ心を、如何いかんともすることができない。
 人もあろうに仏頂寺、丸山のやからに、むざむざと一人の女性を渡してやったその不安。
 日が高くなるほどに、兵馬にはその不安がこみ上げて来る。
 ついに決心して、自分はそのあとを追わねばならぬ、追いかけて、二人の手からあの女を取り戻して……取り戻さないまでも、あの女の先途せんどを見届けてやらねばならぬ。これは単に女というものに対するの未練執着ではないのだ、義の問題だ、人間の道だ。
 女の性質がどうあろうとも、こうあろうとも、むざむざと食い物にせらるべき運命をよそにして、ひとり悠々閑々の旅行ぶりが続けられるか、続けられないか。
 兵馬はにわかに腰の刀をゆり上げて、松本街道の一本道を、駈足で走り出しました。

         八

 雪にうもれんとする奥信濃の路とは違い、ここは明るい南国の伊豆、熱海街道の駕籠かごの中に納まって、女軽業おんなかるわざの親方のおかくが、駕籠わきについている、いつも、旅には連れて出るいなせな若い衆に向って言うことには、
「ねえ、まさどん」
「はい」
「向うに見える山はありゃどこだろうねえ」
「左様でございますねえ」
 右に青い海を隔てて、まゆずみのようにかすむ山を主従がながめて、
「大方、上総、房州あたりだろうと思うんでございます」
 若いのが、親方から尋ねられて、覚束おぼつかなげに返答をすると、親方のお角が、
「そうだろうねえ、上総、房州の方角だと、わたしも、さっきからそう思って眺めているところさ」
 上総、房州では一けた違う、伊豆の半島の東南から見た眼前の突出は、当然三浦半島でなければならないのだが、この二人の頭では、陸地が海へ突き出していさえすれば、それは上総、房州に見えるものらしい。
「え、間違いありません、あれが上総、房州です、ほら、ごらんなさい、あの高いところが、あれが鋸山のこぎりやまでござんしょう、そうして、あれが勝浦、洲崎すのさき……間違いございません」
 政どんなるものが、一桁ちがいの親方の裏書をいいことにして、自説の誤りなきことを指で保証すると、お角も納得なっとくして、
「そうそう、あの辺が洲崎に違いない、洲崎はいやなところだねえ」
と、若いのが指さした岬の突端あたりに、遠く眼を注いでいると、
「親方が命拾いをなさったというのは、あれでござんすか、いやに波の穏かな、そのくせ、舟や人をさらって、いいようにおもちゃにするという、ふざけた海はあの辺でござんすか」
「ほんとに、いやな海だよ、だけれどもねえ……いやな海には違いないけれどもねえ」
 いやな海には違いないけれども、どうしたものか、さいぜんから、そのいやな海の方面に注いだ眼をいっこうはなさないで、
「いやな海は、いやな海だけれども、わたしにとっては、ずいぶん思い出がないでもないのさ」
「そうでござんしょうとも」
「ねえ、政どん」
「はい」
「お前、どう思ってるの」
「何をでございます」
「あの、ほら、東海道の三島の宿から下座げざへ入った、お君っていう子ね」
「ええ、よく存じておりますよ……きれいな子も多いが、君ちゃんは品が違いましたよ。ようござんしたね、人柄がようござんした、ほんとうに惜しいことを致しましたよ」
「わたしも、本当に惜しいことをしたと思っているのさ、ああなるくらいなら、別に考えようもあったものをね」
「全くでございます、好いが好いにはなりません、悪いが悪いにゃなりません」
「そうして、あの君ちゃんの殿様てのは、その後どうなったか、おまえ知ってる?」
「存じませんが、ありゃ馬鹿ですよ、馬鹿殿様の見本みたようなものでございますよ」
「何をいってるの」
「え」
 お角の言葉に少し険があったので、若いのは急にしりごみをしていると、
「出放題をいうものじゃありません、馬鹿だか、エラぶつだか、お前なんぞにわかってたまるものか」
「でも、親方……」
「女に迷ったってお前、それが何で馬鹿なもんか、迷えるくらい結構じゃないか、高い身分で、低い身分の女を可愛がって、それがどうして悪いの、思案のほかのところがあってこそ、人間のエラさがあるんだよ、お前なんぞに、あの殿様のエラさがわかってたまるものか」
 政どんは、なにゆえに親方が急に不機嫌になったのだかわからない。
 熱海へ湯治とうじといっても、この女の仕事と、気性では、そう長く湯につかっているわけにゆかないから、今日でようやく一週間――早くも帰りの旅について、これはちょうど、根府川ねぶかわあたりでの物語。
 駕籠かごたれを明けっぱなして、海を一面にながめながら、女長兵衛式に納まって、外にいる若いのを相手に話すお角さん。悠々ゆうゆうとして迫らぬ気取り方もあり、ジリジリとれったがる舌ざわりもあって、まずはお角さんぶりに変りはない。
 ここは雪に埋れんとする白骨の奥とも違い、こがらしに吹きさらされた松本平とも違い、冬というものを知らぬげな伊豆の海岸の、右には柑橘かんきつみのり、眼のさめるほどあおい海を左にしての湯治帰りだから、世界もパッと明るい。
「そうでござんすかねえ」
「そうだとも、お前」
「やっぱり、あの殿様というのは、エライお方なんでございますか」
「エライともお前……お前なんぞに何がわかるものか」
「でも、世間の評判では、あんまりおりこうな方じゃないって、もっぱら、そう言っているようでござんすが……」
「世間の評判なんて、何が当てになるものか、世間が何と言おうとも、エライ方は、やっぱりエライんだから仕方がないさ」
「そうでござんすかねえ」
「そうだとも、お前」
 若いのには、どうして、親方がこうも躍起やっきになるのだか、さいぜんからめんくらっているらしい。
 まあまあ、三千石も取る、そうして前途有望で、ドコまで出世するかわからないと言われた人が、タカの知れた身分違いの女一人のために、名誉も、身上も、棒に振ってしまった、全く馬鹿殿様と言われても仕方があるまいではないか。それを、親方のお角が、何でこんなに身を入れて、弁護するのだかわからないが、うっかりその殿様の悪口あっこうをいえば、親方の御機嫌がこの通りにそこなわれるということだけは、この際、ハッキリと経験したから、以後は自分も慎み、朋輩ほうばいにも申し聞けておかねばならぬという戒慎の心だけは起ったらしい。
「そうでしょうね、やっぱり、エライ人は、エライんでござんしょうよ」
 詮方せんかたなく感心しておくと、
「それからね、政どん」
「はい」
「わたしは、申し置いて来るのを忘れたが、あの絵の先生ね」
「ええ、田山白雲先生でございましょう」
「そうそう、あの先生に、一言おことわりをしておくのを忘れちまったから、あとからもしや間違いがなけりゃいいと気のついたことが、たった一つありますよ」
「それは何でございますか」
「もしや、がんりきの兄さんが、留守中にやって来て、例の調子で、先生に失礼なことをしやしないか、それが、あとで心配になり出して、ことわって来ればよかったと、いまさら気をんでいるのさ」
「なるほど、その辺もありましたねえ」
「お前、がんりきがあの通り気の早い男でしょう、絵の先生ときたら、お前、かなりの豪傑者なんだから、間違いがなけりゃいいがと心配するのも、無理のない考えだろう」
「そうでございますとも……ですけれどもね、絵の先生の方は、豪傑は豪傑でいらっしゃるけれど、人間が出来ておいでなさるから、まさか、がんりきの兄さんを相手に、大人げのないこともなさるまいと思います、御心配ほどのことはござんすまいよ」
「そりゃそうかも知れない」
「大丈夫でございますよ」
 一けた間違えられた房総の半島がワキに廻って、当面の風景は、大山阿夫利山おおやまあふりさんであり、話題は留守中の人に向っている時、後ろでしきりに人の呼ぶ声がします――最初は自分たちを呼ぶのではあるまいと思ったが、今になってみると、自分たちを呼んでいるのに相違ないと疑われる。
 どうも自分たちを呼びとめるような声だけれども、待ってみると誰も来ず、来ても全く当りさわりのない人間ですから、そのまま駕籠かごを進ませると、
「お気をつけなさいましよ、胡麻ごまはえが一匹ついて参りましたようですから」
 芳浜よしはまの茶屋あたりで、通りすがりに注意してくれた旅の人がありました。
 それとも、自分たちに注意してくれたのだか、ほかの者に気をつけていったのかわからないうちに、その旅人は行き過ぎてしまいました。
 道中に胡麻の蠅はつきものである。いちいち胡麻の蠅を怖れていては、道中はできない。またそれが一匹や二匹とまってみたからとて、驚くお角さんではありません。
 真鶴まなづるを通り越した時分に、またしても後ろから呼びかける声です。そうそうは振返ってもおられない。頓着なしに駕籠をやってしまうと、果して何事もなく、七ツには小田原着。
 今日はここで泊る。
 夕飯を終って、按摩あんまを取って、まだ寝るには早い。安閑と早寝をするのを、身体を腐らせるほどにいやがるお角さんは、寝るまでの間に何か仕事をしたい。
 といって、仕事がない。ぶらぶらと夜の小田原宿の景色でも歩いて見ようか知ら――と考えているところへ、
「お客様、講釈をお聞きにいらっしゃいませんか――いい太夫さんがかかったそうです、席はついこの後ろでございますよ」
 可愛らしい小女の女中が、突然にこういって案内をする。
「講釈?」
とお角さんが聞きとがめました。なるほど、ここは東海道筋の目貫めぬきと言い、箱根、熱海の温泉場の追分のようなものだから、湯治場かせぎの講釈師があふれそうなところだ。
 お角は、そこで講釈を聞いてみようという気にはならなかったが、講釈の席へ入ってみたいという気にはなりました。
 この女は、転んでもただは起きない女であります。たとえば往来を通りながらも、見どころのありそうな子守女を発見すると、その親許までつきとめてみたがる女であります。今夜も宿やどのつれづれに、宿しゅくを散歩してみようかという気になったのも、小田原宿の夜の気分に浸って、そうして旅心を漂わせてみようというのでもなく、何かしかるべき商売柄の掘出し物にでもありつき得れば、ありつき得なくても元は元だが、どこかに抜け目のない心の働きが、自然とそんな思い立ちをさせるものと見えます。
 講釈――と聞いて、講釈そのものには興味は催さなかったが、さて、この土地の席亭の模様はいかに、客種はいかに、講釈といううちにも一枚看板でやるのか、また色物か、真打しんうちは――いずれ、聞いたことのない大看板が、イカサマでおどかすものに相違なかろうが、そのうちにもまた、存外の掘出し物が無いとは限らない――お角は掘出し物に、興味と、自信とを持っている。
 それは大看板を大看板として、大名題おおなだいを大名題として、大舞台で、大がかりな興行をやる分には、かお資本もとでさえあれば誰にもやれる芸当で、本当の興行師の腕とはいえない、誰も知らないものを、誰も知らないところから引抜いて来て、それを養成して、そうして付焼刃つけやきばではないところの本値ほんねを見せて、あっといわせるところが、興行師の腕であり、自慢である、と心得ているお角――いまだ知られざる名物を発見しようとする熱心と、炯眼けいがんとは、先天的といっていいかも知れない。
 だから、ここでも、講釈を聞きに行かないかとすすめられて、打てば響くように、その商売心をそそのかされたものですから、二言にごんともなく、
「行きましょう、行ってみましょう、案内をして下さい」
 キリキリと帯をしめ直して、さて、考えたのは、若い衆を連れて行こうか、それとも一人で行こうか――ということであったが、若い衆は旅の疲れもあるから、ゆっくり寝かしておいてやれ、近いところだということだから、一人で行って見てやれ――という気になりました。

         九

 講釈場へ案内されて行って見ると、かなりの席で、かなりの入りがあります。
 大看板には「南洋軒力水りきすい」と筆太ふでぶとにしるしてある。当時、江戸で有名な講釈師といわず、その下っぱにいたるまで、お角は名前を知っているし、また親しく会ってもいる。南洋軒力水なんていうのが、誰の社中の化け物か、そんなことを詮索せんさくに来たのではない。
 前座はどうだったか知れないが、幸いにしてお角の臨席した時は、かなり時間もたっていた時だから、しんを打つ例の「南洋軒力水」が高座に現われて間もない時でありました。
「あれが南洋軒の太夫たゆうさんです」
 講釈の太夫さんもオカしいが、お角はいわゆる太夫さんのかおよりも、場内の模様をズラリと見廻しました。
 席の建前たてまえから、お客様といったようなものを一わたり見渡してから、改めてまた太夫さんの方を見直すと、これは浪人風の態度の男で、黒い被布ひふを着ているところが、講釈師らしいといえば講釈師らしいが、人品骨柄はどうも、はえぬきの講釈師とも思われない。見台を前にして、張扇はりおうぎでなく普通の白扇はくせんしゃに構えたところなんぞも、調子が変っている。
 外題げだいは「太閤記小田原攻め」の一条、
「天正十八年七月……北条の旗下きかに属せし関八州の城々一カ所も残らず攻め落して、残るところはこの小田原一カ城……これを囲むところの関白秀吉の軍勢、海と陸とを通じて総勢六十万騎……しかれども小田原城中少しも屈せず、用心きびしく構えて寄せ手を相待つ。そもそも当城は北条五代の先祖早雲入道これを築き、そののち氏綱再粧して、北は酒匂川さかわがわを総堀となし、南は三枚橋、湯本、箱根、石垣山まで取入れ総構えとなし、東は海を限り、西は箱根山の尾先へ続き、その広大なることは日本無双、城中には矢種やだね玉薬たまぐすりは山の如く貯え、武具、馬具、金銀財宝まで蔵に満ち、こもるところの兵十万騎、いずれもすぐったる武勇絶倫のともがらなれば、何十万の大軍を以て、一年二年攻むるとも更に恐るるなしと見えたるところに……情けないことに、籠城途中、わざわいが中から起った、小田原の老臣の中でも一二を争う松田尾張入道という奴が、早くも秀吉に内通して裏切りをしようという事を申し出でた。なあに秀吉の胸中では、松田一人が内通しようとも、すまいとも、この城を落すのは時の問題とこう考えていたに相違ないが、松田の内通でこの石垣山というのへ有名な一夜城を築いて敵味方のきもを奪うたのは、いかにも太閤秀吉のやりそうなこと……その時に、太田三楽斎入道というのが、これは有名な太田道灌の子孫で、関東では弓矢の名家です、この三楽斎が秀吉の前に出て申すことには、城中の松田尾張守の陣中に返り忠の模様が見える、手を入れてごらんそうらえ――とある。松田が内通は筒井定次の手引で秀吉よりほかに知った者がない、それを早くも旗色で太田三楽が見て取った頭の働きには、太閤秀吉も舌を捲いて、かたわらの前田利家を見て、秀吉が申さるるようは、いかに前田、この席に三つの不思議がある、その方にはわかるか。利家答えていわく、一つはわかりますが、他の二つはわかりません。その一つは何ぞ。申すまでもなく太田三楽が頭脳の働きの鋭敏なること。秀吉笑いて、他の一つは余が匹夫より起りて天下の主となること不思議ではないか、もう一つは太田三楽ほどの知恵が廻りながら、まだ一国も持てないこと、これ不思議ではないか――一座その言葉になるほどと感心をしました」
 お角はスラスラと聞いていたが、やっぱりこれは生え抜きの講釈師ではないと思いました。そうしてどこかで見たことのあるさむらいだと思いました。
 この旅の講釈師が素人しろうとであろうとも、素人に毛の生えたものであろうとも、それはお角のかまったことではないが――どうも、さいぜんから少し気になるのは、お角よりも少しおくれてやって来た一人の男が、お角と並んだところに席をとり、そうして、いやにニヤニヤと脂下やにさがりながら、高座の講釈師のかおをながめていることです。
 お角がよそ目で見ると、この男は講釈を聞きに来たのではなく、講釈師の面を見に来たもののようであります。
 それもただ見に来たのではなく、いやに皮肉に、そうかといって別に弥次を飛ばすでもなく、ニヤリニヤリと見ている様子が変です。
 変なのは、そればかりでなく、この男がまた、百姓とも町人ともつかず、人品を見ると武士階級に属しているようなところもあるし、そうかといって両刀は帯びていないが、道中差は一本用意している。
 寄席よせへ来るに道中差を用意するほどのこともなかろうが、なお左の膝の下に合羽かっぱを丸めているところを見ると、たしかに旅の者だ。旅の通りがけに、この席へ立寄ってみる気になったもので、いったん旅籠はたごへ着いて出直したものではない。それにしても、何であんなにニヤニヤ笑いながらやにさがって、講釈師の面ばかり見ているのだろう。べつだんイヤ味があるではないから、イヤな奴とは思わないが、変な男だと見るには充分です。
 そのうちに一席が済んで、つまりこの講釈師は、長講二席のうちの前講一席が済んで、暫く高座が空虚になった時分、変な男が、チラリと横を向いて、お角に話しかけて来ました、
「南洋軒力水なんて講釈師が江戸にありましたかねえ」
「聞きませんねえ」
 お角はかさず応答しました。
「わたしも、あんまり聞きませんが、うまいには旨いですね」
「気取らないところがようござんすよ」
「そうです、あいつは素人しろうとですね」
「あなたは、どちらから、いらっしゃいましたか」
「わっしですか、わっしは常陸ひたちの水戸在のものでございますよ」
上方かみがたへおいでなさるんですか」
「ええ、上方の方へ出かけて、帰り道なんでございますよ」
「講釈がお好きですか」
「嫌いでもありません、まあ、英雄豪傑の話や、忠臣義士の事柄を聞いていると、見て来たような嘘と思いながら、悪い気持はしませんですよ」
「あなたの御商売は何ですか」
 これは随分ぶしつけな問い方でしたけれども、お角はこういって突込んでしまいました。つまりお角としては、大抵の人品は見当もつき、判断もつくのですけれど、この男はどうも判断のつき兼ねるところがあったと見え、そのもどかしさから、一息に、無遠慮に、突込んでみたものでしょう。そうすると、その男は笑いながら、
「何と見えますか。わかりますまい、さすがのお前さん方にも、わっしの見当はつきますまいね」
「つきませんね、おっしゃってみて下さい」
「言ってみましょうか」
「どうぞ」
「その以前に、あなたの名を言ってみましょうか――お前さんは、江戸の両国の女軽業の太夫元、お角さんていうんでしょう」
「おや」
「驚いちゃいけません、よく知っているんですよ、裏宿うらじゅくの七兵衛から聞いてね」
「七兵衛さんから?」
「ええ、七兵衛につれられて行って、お前さんの小屋も見ているし、おかおもよそながら拝んでいる、私は水戸の山崎、山崎譲ってたずねれば、七兵衛がよく知っていますよ」
 お角がすっかりけむにまかれてしまっている時に、第二席、長講の御簾みすがあがる。
 御簾が上って、以前の南洋軒力水先生が再び現われて長講をつづけるかと思うと、そうではなく、みすぼらしい盲人が一人、三味線を抱えて、高座へ現われ、これから説教浄瑠璃の一段を語り聞かすとのことです。
 そこで山崎譲は一笑して、帰ろうとしますから、お角もこれ以上、観察する必要もないと考えて、同じように席を立ちました。しかし一般のお客には、前の講釈よりも、この説教節がききものであると見えて、一人も座を立つものがありません。
 お角は、山崎譲という旅人と連れ立って宿まで帰る途中、
「は、は、は、あれは素人しろうとも素人、南条力といって九州あたりの浪人者ですよ、とっつかまえるとことが面倒だから、茶々を入れて、邪魔をして、けむにまいて追払うだけが、われわれの仕事というものだ」
 山崎譲がこう言ったので、どちらも生地きじが現われたようなものです。
 察するところ、例の南条力と五十嵐甲子男とは、甲州の天険をほぼきわめつくしたから、今度は小田原を中心として、箱根、伊豆の要害を秘密調査にかかるものらしい。
 荻野山中おぎのやまなかを騒がしたのも、必定ひつじょうかれらの所業、いつ、何をしでかすかわからない、それを十分ににらんでいながら、譲が自ら手を下して彼等を捕えようともせず、他の力をしてそれを押えさせようともしないで、ただつけつ廻しつしては、茶々を入れたり、邪魔をしたりしているところは、かなり不徹底のようだが、一方から言うと、彼等は形においては勤王と幕府とわかれているようだが、勤王系統と、水戸の系統とは、切っても切れぬものがあるように、内心では、骨にきざむほどの憎しみは、おたがいに持ち合せていないらしく思われる。
 しかし、そんなようなことは、どちらがどうあろうとも、お角にはあんまり興味をかない――ただ、ああいった種類の男同士は、ああいった種類の男同士で、また相当の意気張りずくで争っているだけのものだろうと思う。
 宿の入口で山崎譲と別れたお角は、自分の座敷へ入って、寝しなに一ぷくやろうとして、そこで変なものを感じました。
「おや、そそっかしい女中さんだ、何を間違えてるんだろう」
 見れば、自分の蒲団ふとんには枕が二つ並べてある。しかも、その一つは男物――寝巻までが、ちゃんと二人前揃えてある。
 お角はあきれて、せせら笑いながら、一ぷくのみ終って、静かに女中を呼びました。
「姉さん、間違えちゃいけないよ、こっちは独身者ひとりものなんですから」
 可愛らしい小女の女中は、そう言われて、いっこうのみ込めず、
「でも、お客様、さっき、あなた様のあのお若い衆さんとは別なお連れだという方が、ちょっとお見えになりまして、おそく帰るかも知れないから、こうしてお床をのべておくようにと、お指図をしておいでになりました」
冗談じょうだんじゃありません、そりゃお門違かどちがいですよ」
「それでも、たしかに、こちらへお帰りになるからとおっしゃいました」
「いけない、いけない、戸惑いもいいかげんにしないと罰が当りますよ、かまわないから、片づけちまって頂戴……」
「それでも……」
「遠慮することはないじゃないの、一晩でもとめてもらった以上は、わたしというものがこのお座敷の御主人なんだから、誰にも遠慮はいらない、片づけて下さい」
「それでも、あれほど頼んでおいでになったのに……」
「くどいねえ、誰が頼んだか知らないが、かんのせいで、雄猫一匹でも、男と名のつくやつを膝の上に乗せないお角さんだよ、けがらわしい!」
といってお角は、手をのべて蒲団の上の男枕をとるや、力任せに座敷の外へほうり出してしまいました。
 そこで、男物のいっさいがっさいをおっぽり出して、いささか溜飲を下げ、お角は床についたが、まだなんだか癪に残るようなものがあって、蒲団から首を出して煙草をのんでおりました。
 はてな――この間違いは、間違いとすれば、ばかばかしい間違いだが、いたずらとすれば、かなり念の入ったいたずらだ。お角は癇癪かんしゃく半ばに、ふいとこのことを気にしていたのですが、煙草を一ぷくのんでいるうちに気が廻って、ははあ――と、灰吹に雁首がんくびをかなり手荒くはたいたものです。
 油断が出来ないぞ――それそれ、今日も七里の道中で、誰となく注意をしてくれたものがある。
 胡麻ごまはえがついたから御用心をなさい、と。
 胡麻の蠅という奴は、見込んだ相手が笠を捨てるまで離れない。こいつは通り一ぺんに腹を立てっぱなしではいられないぞ。お角だけに、気がついて、ほほえみ、急に室内を見廻してみたが、別に異状はありません。
 ふふん、目先のかない胡麻の蠅だ、人を見て物を言っておくれ、というようなかおつきで、嘲笑を鼻の先にぶらさげて、お角は、さて仰向けに寝返りを打って、眠りにとりかかろうとした途端に、夜具の襟でチクリと頬を突かれたものだから、見ると、不思議千万にも、珊瑚さんごの五分玉の銀のかんざしが、夜具の襟の縫目にグッと横に突きさしてあって、その一端が自分の頬ぺたを突いたことを知りました。
 何だい、今日はいやに、小間物でおどかされる晩だ――お角は、その五分玉の銀の簪を、夜具の襟から引きぬいて、じっと枕行燈まくらあんどんの光で、仰向けになりながらながめると、どうも覚えがあるようだ。見たことのあるような簪であります。
 わかった、これですっかりお里が知れちゃった。がんりきだ、がんりきの百蔵だ、これは百のいたずらだよ。
 そんなら、それでいいじゃないか。つまらない、ふざけた、子供じみたいたずらをして見せたものだ。ばかばかしい。お角が再びあきれ返って、せせら笑いました。
 胡麻の蠅というのは、つまり百の野郎だ。百の野郎が、熱海あたりから、くっついて来ているのだ。がんりきの百蔵ならば、何だって、こんな、しみったれたいたずらをするのだ。
 お角は、がんりきの、はなはけちな野郎であることを、あざけってみましたけれども、もう少し同情して、思いやってみると、これには、また相当の仕立てがあるかも知れない。
 奴、何か人目が忙しいものだから、遠廻しに附いては来ているが、大びらでは立寄れないのだろう。明らさまには、それといって話もいいかけられないのだろう。つまりあいつの身の忙しいのも、今にはじまったことではないが、その忙しさも、世間晴れての忙しさでないことも、大抵はお察し申している。
 それでさとれよがしに、こんないたずらをしての思わせぶりだ。
 そうだとすれば、笑ってやりたいくらいのものだが、それにしても、やり方がしみったれていると、お角は、やはりあざ笑いをき消すわけにはゆかない。
 お角としては、この頃中、とかく、がんりきが焼きもちを焼きたがるのに、うんざりしないでもありません。
 思い出してみると、あんな男と一時腐れ合ったのは、お角さん一代の不覚だといわれないこともない。あの時、あんなに熱くなったのは、いま考えてみるとお恥かしい。あれは、一つはお絹という大の虫の好かない女と、意気張りのような具合になったから、それで、まあ、ああものぼせて甲州くんだりまで、追いかけてみたというような役廻りではあったが、冷めてみればばかばかしくって、お話にならないという感じがする。
 それにあの時は、本職の方を少し休んで、閑散な身であったから、そこへ多少、魔がさしたのか知れないが、今はせても枯れても、一本立ちのお角さんだ。
 がんりきの奴、その時分とは、こっちの歯ごたえが少し違うものだから、やきもきしている。
 だが、あいつも、あいつだけに、意地の張った男だから、ことに、いつも色男一手専売の気取りで、女ひでりはないようなつらをしてるだけに、引け目を見せないところが、可愛いといえば可愛いところだ。ことにその引け目を見せない結び目から、やきもちがころがり出すなんぞは、いっそう可愛らしいところだ――と、お角がにやりと、小気味のよかりそうな思出し笑いをする。
 なるほど、それはその通りで、がんりきの野郎、女には飢えていない面をしていながら、やきもちを焼きたがるものだから、お角から、こう見くびられても仕方のない理由はある。
 お角がことに笑止がっているのは、お角と、駒井甚三郎との間を、がんりきが、ひどく疑ぐっている。お角は海山千年の代物しろものだし、駒井はああ見えて、あれでなかなかのろい殿様だから、内実はどんなふうにもつれ合っているのだか、その辺は知れたものでない。
 秘密というものは、一つ疑えば、いくつも疑えるものだから、その辺から、がんりきがいい心持をしていないらしく、時々、両国の控え宅へおとずれて見える時も、どうも気がさして、なんだか、自分のほかに先客がありはしないかとさえ、気が置かれる――その神経が少しとがり過ぎて、先日は田山白雲に於て見事に失敗した。
 こいつは色男じゃねえ――とばかばかしくもあったり、ホッと胸を撫で下ろしてみたりしたのは、ついこのお角の留守中のことだから、それはお角の知ろう由もないが、とにかく、がんりきが自分に対してやきもちを焼いているということが、お角をして、多少得意がらせていることは確かです。どうです、わたしの方が役者が一枚上でしょう――といったような優越感が、この女の負けず嫌いを満足させて、悪い心持にはさせていないようです。
 この辺で止まっていればよかったのですが――お角も、女だけに、もう一歩進んだのがよくありません。つまり、こちらの強味に乗じて、先方の弱気をからかってやろうという気になったのです。どっちみち、こうなると――それは、そそっかしい女中の間違いだか、果して、がんりきのいたずらだか、どちらだか、まだしかと突きとめた次第ではないが、お角はもうそうに違いないときめてしまって、がんりきの奴、いつもの伝で、夜中時分に忍んで来て、いやがらせをやるにきまっている。もしかした差しさわりで、今晩来なければ明日、つまり江戸へ着くまでの間には必ず、何か皮肉な仕打ちで現われて来るに相違ない。
 してみれば、それに対するの応戦計画として、こちらにも了見がなければならないと、意地張り出したのがよけいなことです。
 お角は、その晩、どうしてやろうかと思いました。
 向うの、いたずらの裏を行って、こっちがほかの男と枕を並べて見せて、忍んで来た奴の立場を失わせたら、痛快だろう――だが、差当って、その相手に選ぶべき役者がない。
 ともにつれて来た若いのなんぞを使ってみたのでは、子供だましにもならない。
 お角の、いたずら心が挑発されて、せっかくのことに、がんりきのために、思いきった濃厚な当てっぷりを見せてやろうと、むらむらしたが、どう考えてもこの場合、相手に選ぶべき役者がない。
 そうこうしているうちに、踏み込まれでもした日には、台なしだ。こいつは一番――どうしてくれよう。この際、早急に、ふざけたいたずら者にねやの外で立場を失わせ、今後をきっとつつしませるような手きびしい狂言はないものか――この、さし当っての狂言の選択には、お角もてこずってみたが、とうとう名案が浮ばず、旅の疲れがおっかぶさって、ついうとうとと夢に入ると間もなく熟睡に落ちて、眼をさました時分には、夜が明けていました。
 全く無事で、がんりきの字も聞えず、今日もいい天気で、障子の外に老梅の影が、かんかんとうつっている。

         十

 果して、お角の想像にたがわず、がんりきの百は、たしかに小田原の町へ乗込んでいて、お角がまだ床を離れない時分に、早くも八棟やむね外郎ういろうに、すましたかおで姿を見せたのがそれです。
 この男が、南条、五十嵐の手先となって、案内者ぶりをしているのは、今にはじまったことではないが、このごろでは、どうやら山崎譲の方とも妥協が出来て、ずいぶん、その方の御用もつとめているらしい。
 当人は、のほほんで、両方のお役に立ち、その間に自慢の女漁おんなあさりと、うまい汁を吸うつもりでいるらしいが、相手が相手だから、いつまでも、そんな虫のいい商売が続くものではなかろうが、こっちもこっちだから、いいかげんにタカをくくっているものらしい。
 何のつもりか、外郎ういろうを二丁買い込んで、それを胴巻の中へ、しまおうとする途端に、店頭みせさきの一方から不意に、
「御用!」
 当人にとっては、お約束のような掛声で、やにわに組みついて来たのを、そこは心得たとばかり、たいを沈めると、組みついた手がはずれるのをキッカケに、するりとすり抜けて、表へ飛び出したのは型のような鮮かさで、それから後は得意の駈足です。
 御用の声が、二三人、かさずそのあとを追っかけて、小田原の町の朝景色をき乱す。
 当人は心得きっているのだから、ここを逃げるのは、それこそ本当の朝飯前だ。山谷さんやや袋町の行詰りとは違い、四通八達の小田原城下を、小路小路まで案内知った常壇場じょうだんばのようなものだから、がんりきとしては、子供相手に鬼ごっこして楽しむようなものかも知れないが、大手通りの町角で、また不意に飛び出した、
「御用!」
の声に面食めんくらって、
「こいつは、いけねえ」
 敵に用意のあることを知ったがんりきは、ここで真剣になりました。寄手よせてはもう、ちゃんと手筈をきめて、つまり非常線を張って自分を待ちかけているのだ。それを悟らずに、甘く見てかかったのは手落ちだ。この分では、袋の鼠にされちまっている。
「ちぇッ、ドジを踏んじまった」
 がんりきは、自分をたのむだけに、相当に敵をも知っている。たとえ行止りであろうとも、一方から追われる分にはなんでもないが、白昼、しかも城下町で、非常線を張って包まれた分には、たまるまいではないか。何だって、外郎なんぞを買いに出たんだろう。いよいよおれもヤキが廻ったかなと、歯がみをしたが、やはり同じように、御用の手先をスリ抜けて、真直ぐに走ると大手門の前へ出る。ますますいけない。引返そうとすればさいぜんのが追いかけて来る。ままよ――横っ飛びに飛んで、侍町の生垣いけがきの下を鼠のように走ると、御用の声を聞き伝えた家並いえなみが騒ぎ出す。
 夜ならば、身をくらます手段はいくらもあるのだが、こうなっては、どうも仕方がない。屋根へも上れず、井戸へも飛び込めない。突当り路地へでも追いつめられて、ギュウの音も立てず、名も無き敵に首をかれるようでは、がんりきとしても浮びきれない。
 よし、こうなった以上は、二三人はたたき斬っても本街道まで出てしまえ、天下の東海道筋へ出て、そこでつかまるなら、つかまっちまえ、人の垣根の下を、つくばって走るような真似まねは、この際みっともねえ……
 がんりきは、そんなふうに見得みえを切って、いったん路地奥へ逃げ込んだのを、引っぱずして、いわゆる天下の東海道筋を望んで走り出したが、それはいよいよ油を背負って火に向うようなもので、追いかけるほどの者は、誰でもがんりきの後ろ姿を見ることができるから、総弥次で、それを追っかける形となる。単に追っかけるだけなら覚えがあるが、前からふさがるのではたまるまい。
 ちょうど、その時分が、お角が起き上って面洗かおあらいに出た時分で、窓の外で御用騒ぎを聞くと、はっと胸をヒヤしたのは、その騒ぎに狼狽したのではなく、御用という声の途端に、
「さては!」
と思ったのであります。なんだか、それが必然的に、昨夜来の頭に上って来たところとうつり合って、その御用のぬしが、がんりきの百でなければならないように直覚してしまった。それがお角の胸をヒヤしました。
 それで万一には、百がここへ逃げ込んで来たらどうしよう。その場合は、昨晩のとは性質が全く違うから、それは見殺しはできまい。いやな奴であろうとも、なかろうとも、ここはかくまってやらねばなるまいと、お角は早くも心構えをして、手水ちょうずもそこそこに座敷に帰って、戸棚の中なんぞを調べてみたりして構えていたが、外の騒ぎはかなり騒々しいのに、ここへは虫けら一匹も飛び込んでは来ない。
「どうしたんだね、あの騒ぎは」
 なにげなく例の女中さんにたずねてみると、それは、この小田原の出城でじろの一つで、荻野山中おぎのやまなかの陣屋を焼討ちした悪者が、この城下へまぎれ込んだものだから、それをつかまえるためにあの騒ぎだと聞いて、おやおや、それは少し当てがはずれたかな、がんりきの百も、相当の悪党がりではあるが、陣屋を焼討ちするようなことはすまい。では、自分の想像が、すっかり外れたのだ、御用の主は、もっと大きな魚なのだ――それで安心のような、不安心のような思いをしながら、朝飯を食べる。
 一方、がんりきの百は、しにもの狂いで小田原の町々、辻々を、かけめぐっているが、前に立ちふさがる者も、