TOP連載小説中里介山
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大菩薩峠

みちりやの巻

中里介山




         一

 武州沢井の机竜之助の道場に、おばけが出るといううわさは、かなり遠いところまで響いておりました。
 ここは塩山えんざんを去ること三里、大菩薩峠のふもとなる裂石さけいし雲峰寺うんぽうじでもその噂であります。
 その言うところによると、この間、一人の武者修行の者があって、武州から大菩薩を越え、この裂石の雲峰寺へ一泊を求めた時に、雲衲うんのうが集まっての炉辺ろへんの物語――
 音に聞えた音無おとなし名残なごりを見んとて、沢井の道場を尋ねてみたが、竹刀しないの音はなくして、わらを打つ男のつちの音があった。
 昔なつかしさに、その道場に一夜を明かしてみたところが、鼠のおばけが出たということ。木刀を取り直して打とうとした途端、その鼠の顔が、不意に、馬面うまづらのように大きくなったということ。
 そこで、イヤな思いをして、翌日は早々、御岳山に登り、御岳の裏山から氷川ひかわへ出で、小河内おごうちで一泊。小河内から小菅まで三里、小菅からまた三里余の大菩薩峠を越えて、あの美しい萱戸かやとの長尾を通って、姫の井というところにかかると、そこでまた、右の武者修行が、ゾッとするものを一つ見たということであります。
 古土佐ことさの大和絵にでもあるような、あの美しいスロープの道を半ばまで来た時分。俗にその辺は姫の井といって、路傍には美しい清水が滾々こんこんと湧いている。
 朝は小河内を早立ちだったものですから、足の達者な上に、気を負う武者修行のことで、ここを通りかかった時分が日盛りで、ことにその日は天気晴朗、高山の上にありがちな水蒸気の邪魔物というのがふきとったように、白根、赤石の連山までが手に取るように輝き渡って見えたということです。それで、その、青天白日の六千尺の大屏風おおびょうぶの上をくだんの武者修行の先生が、意気揚々として、大手を振って通ると、例の姫の井のところで、ふいにでっくわしたのは、じゃの目の傘をさした、透きとおるほどの美人であったということですから、聞いていた雲衲うんのう固唾かたずをのみました。
 武者修行も、実は、そこで度胆どぎもを抜かれたということであります。
 第一、前にもいった通りの青天白日の下に、蛇の目の傘をさして来るということが意表でありますのに、どこを見ても連れらしい者は一人もなく、悠々閑々ゆうゆうかんかんとして、六千尺の高原の萱戸かやとの中を、女が一人歩きして来るのですから、これは、山賊、猛獣、毒蛇の出現よりは、武者修行にとっては、意表外だったというのも聞えないではありません。
 また、どうしても、細い萱戸の路で、れちがわなければ通れません。
 ところが右の蛇の目の美人は、あえて武者修行のために道を譲ろうともせずに、にっこりと笑って、自分を流し目に見たものですから、武者修行が再びゾッとしました。
 こいつ、妖怪変化ようかいへんげ! と心得たものの、やにわに斬って捨てるのも、うろたえたようで大人げない。一番、正体を見届けて、その上で、という余裕から来る好奇ものずきも手伝ったと見えて、その武者修行が、
「どちらからおいでになりましたな」
と女に向ってものやわらかに尋ねてみたものです。そうすると女は、臆する色もなく、
「東山梨の八幡村から参りました」
 ハキハキと答えたそうです。
「ははあ……そうして、どちらへおいでになりますか」
 再び押返して尋ねると、女は、
「武州の沢井まで参ります」
「沢井へおいでなのですか」
 武者修行は、わがやいばを以て、わが胸を刺されるような気持がしたそうです。
「はい」
 女は非常に淋しい笑い方をして、じっと自分の懐ろを見入ったので、武者修行は、
「拙者もその沢井から出て参りましたが、あなたはその沢井の、どちらへお越しです」
 三たび、その行方ゆくえを尋ねました。
「沢井の、机竜之助の道場へ参ります」
「え?」
 どうも一句毎に機先を制せられるようになって、武者修行は、しどろもどろのていとなりましたが、
「あなたも、沢井の机の道場においでになりますのですか……実は拙者も、昨日あの道場から出て参りました」
「おや、あなたも沢井からおいでになったのですか。いかがでございました、あの道場には、べつだん変ったこともございませんでしたか」
「イヤ、べつだん変ったことも……」
「わたしも久しく御無沙汰をしましたから、これから出かけてみるつもりでございます、皆様によろしく……」
といって、女は蛇の目の傘をさすというよりはかぶって、また悠々閑々として、萱戸かやとの路を行きかかりますから、暫くはくだんの武者修行も、呆然ぼうぜんとしてその行くあとを見送っていたということです。しかし、やがて気がついて、後ろから呼び留めて言いました、
「もし……」
 けれども、蛇の目に姿を隠した女は、再び振返ってそのかおを見せようとはしないで、
「はい……」
 返事だけが、やはり透きとおるような声であります。
「あなたは、お一人で、その八幡村から、これへおいでになったのですか」
「はい……」
「して、またお一人で、これから武州沢井までお越しになるのですか」
「はい……」
 武者修行は、そこでもう追いすがる勇気も、正体を見届けくれんの物好きも、すっかり忘れてしまっていたそうです。
 その時、青天白日、どこを見ても妖雲らしいもののない、空中がクラクラと鉛のようなものに捲かれて、何か知らんが圧迫を感じたのが、自分ながら歯痒はがゆいと言いました。
 そのうちに、右の女ははんの木の蔭に隠れて見えなくなってしまい、自分は早くも長兵衛小屋の下にたたずんでいたと言います。
 雲峰寺の炉辺ろへんで、雲衲うんのうたちに、武者修行がこの物語をすると、雲衲たちも興に乗って、なお、その女の年頃や、着物や、髪かたちなどを、念を押してみたけれども、本来、衣裳物の目ききなどにはざっぱくな武者修行のことであり、いちいち分解的に説明してみろといわれて、はなはだ困惑のていであります。ただ一言、透きとおるような美人、という形容のほかには持ち合せないのが、かえって一同の想像の範囲を大きくし、それは年増としまの奥様風の美人であったろうというようにも見たり、また妙齢の処女だろうと見立てるものもあったり、その衣裳もまた、曙色あけぼのいろの、朧染おぼろぞめの、黒い帯の、繻子しゅすの、しゅちんのと、人さまざまの頭の中で、絵を描いてみるよりほかはないのでありました。
 ほどなく、この炉辺の会話には、真と、偽と、事実と、想像との、差別がつかなくなりました。仏を信ずるものは往々、魔を信じやすく、真を語るには仮を捨て難く、事実の裏から想像をひきはなすことは、人生においてなし得るところではないと見えます。
 右の武者修行の現に見た物語をいとぐちとして、それから炉辺で語り出されるおのおのの物語は、主として甲州裏街道に連なる、奇怪にして、荒唐にして、空疎にして、妄誕もうたんなる伝説と、事実との数々でありましたが、この人たちは皆それを実在として、極めてまじめな態度を以て取扱っているのであります。
 これはあながち笑うべきことでも、あなどるべきことでもありません。つい近代までの学者は、精苦して八十幾つの元素を万有の中からき出してみたが、電子というものが出てみると、その八十幾つの元素がことごとくおばけとなってしまいました。
 しかもその電子の、過去と、未来とは、白昼の夢のわからない如く、わからないのであります。

         二

 次にその夜の物語。大菩薩峠伝説のうちの一つ――
 富士の山と、八ヶ岳とが、大昔、競争をはじめたことがある。
 富士は、八ヶ岳よりも高いと言い、八ヶ岳は、富士に負けないと言う。
 きょう、富士が一尺伸びると、あすは八ヶ岳が一尺伸びている。
 この両個ふたつは毎日、頭から湯気ゆげを出して――これは形容ではない、文字通り、その時は湯気を出していたのでしょう――高さにおいての競争で際限がない。
 そうして、下界の人に向って、両者は同じように言う、
「どうだ、おれの方が高かろう」
 けれども、当時の下界の人には、どちらがどのくらい高いのかわからない。わからせようとしても、その日その日に伸びてゆく背丈せいたけの問題だから、手のつけようがない。
 そこで、下界の人は、両者の、無制限の競争を見て笑い出した。
「毎日毎日、あんなに伸びていって、しまいにはどうするつもりだろう」
 富士も、八ヶ岳も、その競争に力瘤ちからこぶを入れながら、同時に、無制限が無意味を意味することを悟りかけている。さりとて、競争の中止は、まず中止した者に劣敗の名がきたる怖れから、かれらは無意味と悟り、愚劣と知りながら、その無制限の競争をつづけている。
 ある時のこと、毎日晨朝諸々じんちょうもろもろじょうり、六道に遊化ゆうげするという大菩薩だいぼさつが、この峰――今でいう大菩薩の峰――の上に一休みしたことがある。
 その姿を見かけると、富士と、八ヶ岳とが、諸声もろごえで大菩薩に呼びかけて言うことには、
「のう大菩薩、下界の人にはわからないが、あなたにはおわかりでしょう、見て下さい、わたしたちの身の丈を……どちらが高いと思召おぼしめす」
 かれらは、その日の力で、有らん限りの背のびをして、大菩薩の方へ向いた。
「おお、お前たち、何をむくむくと動いているのだ。何、背くらべをしている!」
 大菩薩は半空に腰をかがめて、まだ半ば混沌こんとんたる地上の雲をき分けると、二ツの山は躍起となって、
「見て下さい、わたしたちの身の丈を……どちらが高いと思召す」
「左様――」
 大菩薩は、稚気ちきあふれたる両山の競争を見て、莞爾かんじとして笑った。
「わたしの方が高いでしょう、少なくとも首から上は……」
 八ヶ岳が言う。
御冗談ごじょうだんでしょう――わたしの姿は東海の海にうつるが、八ヶ岳なんて、どこにも影がないじゃないか」
 富士が言う。
「よしよし」
 大菩薩は、事実の証明によってのほか、かれらの稚気満々たる競争を、思い止まらせる手段はないと考えた。
 そこで、※(「てへん+主」、第3水準1-84-73)しゅじょうを取って、両者の頭の上にかけ渡して言う、
「さあ、お前たち、じっとしておれ」
 そこで東海の水を取って、※(「てへん+主」、第3水準1-84-73)杖の上に注ぐと、水はするすると※(「てへん+主」、第3水準1-84-73)杖を走って、富士の頭に落ちた。
「富士、お前の頭はつめたいだろう」
「ええ、それがどうしたのです」
「日は冷やかなるべく、月は熱かるべくとも、水は上へ向っては流れない」
「それでは、わたしが負けたのですか、八ヶ岳よりも、わたしの背が低いのですか」
「その通り」
 大菩薩はそのまま雲に乗って、天上の世界へ向けてお立ちになる。
 その後ろ姿を見送って、富士は歯がみをしたが及ばない。八ヶ岳が勝ち誇って乱舞しているのを見ると、カッとしてのぼせ上り、
「コン畜生!」
といって、足をあげて八ヶ岳の頭を蹴飛ばすと、不意を喰った八ヶ岳の、首から上がケシ飛んでしまった。
めた! これでおれが日本一!」
 その時から、富士と覇を争う山がなくなったという話。
 しかし、この炉辺閑話の仲間のうちに一人、机竜之助の幼少時代を知っているものがあるということで、また榾火ほたびがあかく燃え出しました。
 それは雲衲うんのうの一人。年頃も机竜之助と同じほどのおだやかな人品。竜之助とは郷を同じうして、おさななじみであったとのこと。
 武者修行が、そのいとぐちを聞いて勇みをなし、膝を進ませて、それを引き出しにかかると、雲衲は諄々じゅんじゅんと語り出でました、
「あの人のお父さんがエラかったのですね、弾正様と言いました。どうして、なかなかの人物で、まあ、あのくらいの人物は、ちょっと出まいといわれたものですが、惜しいことに、病気で身体からだきませんで、やすんでばかりおいでになりました。そのうちに竜之助さんが悪剣になってしまったと、こう言われていますよ。お父さんさえ丈夫ならば、どうして、どうして、竜之助さんは、あんなにはならなかったろうと、誰もそう言わないものはありません」
「ははあ、お父さんという人が、そんなエラぶつだったんですか」
「まあ、身体さえおたっしゃなら、日本でも幾人という人になって、後の世に名を残す人だったに相違ないとの評判でございました」
「なるほど」
「そのお父さんに仕込まれたんだから、竜之助さんも子供のうちはようござんした」
「なるほど」
「頭も違っていましたし、剣術はたしかに天性でしたね」
「うむ、うむ」
「もっとも剣術はお父さんという人も、そのお祖父じいさんも、なかなか出来たので、代々道場を持って、弟子もあり、武者修行の方も、三人や五人遊んでいないことはありませんでした。そのうちには江戸で指折りの先生も、ずいぶんお見えになっていたのですから、本当の修行ができたに違いありません。お父さんは剣術も出来たが、槍がよかったと言います、宝蔵院の槍が……」
「なるほど」
「ですから、竜之助さんも、竹刀しないの中で育ったもので、十二三の時に、大抵の武者修行が、竜之助さんにかないませんでした。そうしてもし、自分より上手うわての者が来ると、幾日も、幾日も、その人を泊めておいて、その人を相手になってもらい、その人より上にならなければ帰さないというやり方ですから、ぐんぐん上達するばかりでした」
「なるほど」
「竜之助さんの修行半ば頃から、お父さんが病気にかかって、しが自由にならなかったもので、あの人の剣法が音無しの構えと言われるようになったのは、それから後のことだと聞きました」
「なるほど、なるほど」
「その時分には、もう、名ある剣客で、竜之助さんの前に立つ者は一人もなかったといわれます」
「うむ、うむ」
「けれども、あのお父さんばかりは許さなかったそうですよ――お父さんという人は、甲源一刀流の出ではありますが、柳生やぎゅう、心蔭といったような各流儀にわたっており、それぞれの名人たちの道場をも踏んで来た人ですけれども、竜之助さんの剣術というものは、ちょっとも自分の道場の外で鍛えた剣術ではないと言います。それだのに、腕はお父さんよりもすぐれているということですから、眼中に人のないのも慢心とばかりはいえますまい、人も許し、われも許していたのですが、お父さんばかりは、最後まで許さなかったと申します」
「なるほど」
「そのうちに、あの人が実地に人を斬ることを覚えるようになりました……今になれば、それが思い当ることばかりですが、その時分、そんなことを知った者は一人だってありゃしません」
 雲衲うんのうは伏目になって、もえさしの火を見ながら語りつづける。
「そこで、わたしは、今でも思い出してゾッとするのですが、竜之助さんが九ツの時でした、その時分はよく子供らが集まって、多摩川の河原でいくさごっこをしたものですが、ある時、あだ名をトビ市といった十三になる悪たれ小僧が、それがどうしたことか、竜之助さんの言うことを聞かなかったものですから、竜之助さんが手に持っていた木刀で、物をもいわず、トビ市の眉間みけんを打つと、トビ市がそれっきりになってしまいました……子供らはみんな青くなって、河原に倒れたトビ市をどうしようという気もなくているところへ、漁師が来てお医者のところへかつぎ込みましたが、とうとう生き返りませんでした……それでも後は無事に済むには済みました、が、その時から、子供たちも、竜之助さんの傍へは近寄らないようになりました。その後、御岳山の試合で、宇津木文之丞という人を打ち殺したのもあの手だと思うと、やはり子供の時分から争われないものです。あの時だって、あなた、トビ市を打ち殺しておいて、あとで人相がちっとも変りませんでしたもの……御岳山の時は、わたしどもは、あっちにはおりませんでした。こちらへ修行に来てしまいましたから……その後のうわさは、大菩薩峠を越える人毎に、何かとわたしたちの耳に伝えてくれます。いい話じゃありませんが、おさななじみのわたしどもにとってみると、どうもひとごととは思われない気がします」
 雲衲の一人は、しめやかに昔を追懐して、道を誤った幼き友のために、代ってその罪を謝するかのような調子です。
「なるほど、なるほど」
 武者修行の武士は、洒然しゃぜんとしてそれを聞き流し、
「宇津木なにがしを殺したことから以後は、ほぼわれわれも聞いている、それ以前が知りたかったのだ。つまり、机竜之助というものがああなったのは、宇津木を殺した時から始まるのか、或いはそれ以前に原因があったのか、そのきたるところを、もう少し立入って知りたかったのが、貴僧の話で、どうやら要領を得たような感じがする……」
 その時に、以前の雲衲の一人は、長い火箸でもえさしの火をあやしながら、
「左様でございますよ、天性あの人はああいう人でありました。宇津木文之丞さんとの試合以前、つまり、トビ市を殺してから後の壮年時代にも、いま考えてみれば、山遊びに行くといって、幾日も帰らないことがありました。その前後、よく街道筋に辻斬の噂なぞがありましたが、いま思い合わせてみると、あの山遊びは、つまり辻斬をしに行ったのではなかったでしょうか……ですから、あの人の一番最初の不幸は、お父さんの病気でありまして、次にガラリと変ったのは御岳山の試合の前後……あれは文之丞さんが相手ではありません、あれをああさせた裏には、悪い女がありました」
「うむ……」
「お聞きになりましたでしょうな。あれだけは今以て、わたしたちにも不思議でなりません。本来、竜之助さんという人は、女におぼれる人ではなかったのです、剣術より以外には振向いて見るものもなかったのに、あの女が来て、それからあんなことになりました。どっちが先に、どう落ちたのか、その辺がいっこう合点がてんが参りませんが……いい女でした。それはたしかに、知っていますよ。和田へ行く時も、このお寺の門前を馬で、大菩薩峠越えをしたものです、そのときふりかえった面影おもかげが、いまだに眼に残っておりますよ、妙にあだっぽい、そうしてキリリとしたところのある、あれでは男が迷います」
「なるほど」
と一句、壮士が深く沈黙した時分、雲峰寺の夜もいとど深きを覚えました。

         三

 一方、沢井の机の道場を、右の武者修行が立去って数日の後、雨が降りましたものですから、お松はじゃの目の傘をさして、川沿いの道を、対岸の和田へ行きました。
 お松が和田へ行くのは、今に始まったことではないが、このごろは、ほぼ一日おきのように和田へ行かなければなりません。
 というのは、和田の宇津木の道場が、机の道場と同じように廃物になっているのを、お松が新しく開いて、机の道場と同じように、学校をはじめたからであります。
 そこへ、多くの娘たちがあつまって、お松をお師匠さんとして、裁縫を学ぶべきものは学び、作法を習うべきものは習うように、一種の講習会を開いたのが縁で、その娘たちのうちの有志の者が力を合わせて、別にまた子供相手の寺子屋をはじめました。
 で、お松は、このごろは沢井の方と一日おきに往来するものですから、雨の降る日は傘をさし、足駄がけで、一里余の道を歩くことは珍しくはありません。
 おそらく、過日の武者修行が、裂石さけいしの雲峰寺で、炉辺ろへんの物語の種としたのは、途中、このお松の蛇の目姿にであって、それに潤色と、誇張とを加えたのかも知れません。
 しかし、お松のは、そういったような夢幻的の蛇の目の傘ではなく、また、お松自身も不美人ではないが、透きとおるような美人というよりは、もっと現実的な娘で、雨の日、途中で足駄の緒をきった時などは、足駄を片手にさげて、はだしでさっさと歩いて帰ることもあるくらいですから、白昼、蛇の目の傘を開いて、秋草の乱るる高原を、悠々閑々と歩むような気取り方をしないにきまっています。
 ただ、お松の行くところには、いつもムク犬がついて行くこと、その昔のあいやまの歌をうたう娘の主従と変ることがありません。
 それにお松は、子供の時分から、旅の苦労をめて足が慣らされていますから、この多摩川沿いの山間やまあいや、沢伝いのかくし道を平気で歩いて、思いがけないところで出逢でっくわす人を驚かすこともあり、この辺は古来、狼の名所とされているところで、今はそんなことはないにしても、人のかなりおそれる山道も、ムクがついている限り安心ですから、お松はかなり無理をしてまで、山々の炭焼小屋までおとずれ、そこに住む子供たちに、お手本を書いて与えて来ることなどもあるのです。
 それですから、いよいよ過ぐる日の武者修行も、思わざる所で、ひょっこりとお松の出現に驚き、それを大菩薩峠の上に移して、話に花を咲かせたと見れば見られないこともありません。
 そういった場合、お松自身には、そんなきどり方はないとしても、こういった山里で、ひとたびは京の水にもしみ、ひとたびは御殿づとめもした覚えのある妙齢の娘が、不意に、木の間、谷間から現われ出でた時は、少なからぬ驚異を誘うのも無理のないことであります。
 そんなところからお松の生活を見れば、詩にもなり、絵にもなりましょうが、お松自身にとっては、この頃ほど自分の現在というものに、喜びを感じていることはありません。
 人の現在を喜ぶのは、多くの場合、過去の経験を忘れ、未来の希望を捨てた瞬間の陶酔に過ぎない浅薄な喜びになりやすいが、お松のは、たしかにそうでなく、もはや、自分の立つ地盤の上に、この上のゆらぎは来ないだろうと思われるほど、自分ながら堅実を感ずるの喜びでありました。
 人生、喜びを感じない人はあるまいが、またその喜びの裏に、不安を感じないという人もありますまい。
 喜びが大きければ大きいほど、後の不安が予想される喜びに住みたくはないものです。
 お松は、自分の生涯が、もうこれで定まったとも感じません。これより後の前途は、平々淡々なりとも安んじてはいないが、少なくともこの道路に、これより以上の陥没はない、これよりは地を踏みしめて行くだけが、自分の仕事である――というような心強さは、ひしと感じています。

 夜になると、お松は夜ふくるまで針仕事をしていることがあります。
 道場の方でわらを打つ音。それと共に縷々るるとして糸を引くような、文句は聞き取れないながら断続した音律。お松は針先を髪の毛でしめしながら、
「また、与八さんがお経をはじめた」
 与八が東妙和尚からお経を教えられて、しきりにそれをしているのは、今に始まったことではありません。
 それは何のお経だか、与八自身も知らないはずです。或る時、東妙和尚に尋ねてみたら、和尚のいうことには、
「お経はわからないで読んでこそ有難味がある、ただ、有難いという有難さをみんな集めたのが、このお経だと思って読みさえすればよい、お経がわかると、有難味がわからなくなる」
 そう言われたから与八は、言われた通りに信じて、わからないなりに誦していることを、お松はよく知っています。
 けれども、お松はこのごろになって、特に、そのわからないなりで誦している与八のお経の声を聞くと、妙に引き入れられて、われを忘れるのを不思議なりとしておりました。
 今も、その与八の、わからない読経どきょうの声を聞いているうちに、何ともいえない心持で悲しくなりました。
 悲しいといっても、その悲しいのは、やる瀬ない、たよりのない、息苦しい悲しみ、もだえの心ではなく、身心そのままを、限りなき広い世界へうつされて行くような、甘い、楽しい、やわらかな色を包むの悲しみであります。
 ああ、わたしはこの心持が好きだ、この悲しい心持が何ともいわれないと、お松はそれを喜びます。昼のうちは、現実の働きに、お松としては、ほとんど余暇のない今日この頃、その働くことに充分の喜びを以て、たるみのない生活を楽しむことができるのに、夜になると、全く別な世界に置かれたような気持で、この悲しみに浸ることのできる幸いを、感謝せずにはおられません。
 お松はこうして、与八のわからないお経を聞くことの快感にひたされながら、ついぞ与八に向って、これを感謝したこともなく、またそれを、どうぞやめないで続けて下さい、とたのんだこともありません。わからないで読むお経を、わからないで聞いてこそ、それで有難味が一層深い。それを口に出していうのが、なんだか惜しいような気持がしてなりません。
 なんにしても、このごろのお松の心では、犠牲が感謝であり、奉仕がよろこびであり、忍辱が滅罪であることの安立が、それとはなしに積まれているようであります。
 与八としても、ほぼお松と同様で、平淡なるほど自分の立場の堅実を、感ぜずにはおられないと見えます。
 人が自分の立場の堅実を感ずるのは、必ずしも財産が出来たから、名誉が高くなったから、というのではありません。自分を打込んで、他のために尽し得るという自信が立ち、その道が開けた時に、はじめて起るのであります。
 おのれを放捨して、絶対愛他の生活に一歩進み入る時に、人は一歩だけその立場の堅実を感ぜずにはおられますまい。言葉を換えていえば、我慾を増長せしめた瞬間にこそ、人は自己の立場に不安を感じ、報謝の志を起した時に、はじめて自己の立場の堅実を悟るということが、逆に似て、順なる人生の妙味であります。
 お松も、与八も、期せずして、その妙理を会得えとくせんとするのは祝すべきことでありますが、一生の事は必ずしも、そう単純には参らない。大悟十八遍、小悟その数を知らずと、東妙和尚もよくいうことでありますが、今のところは、ほとんど逆転の憂いがないと見なければなりません。
 さればこそ与八のわからないお経も、ようやく妙境に入って、聞く人をしておのずから、神心を悦嘉えつかせしむるのかも知れません。
 しかしながら、こんな悦楽が、人間世界の夜の全部を占領するのは、悪魔の世界のねたみを受けるには十分であると見え、暫くして、この悦楽の世界が、たちまちにしてかきみだされたのは是非もないことでしょう。
「与八さん、エ、与八さん、エラク御精が出るじゃねえか、いいかげんにしなよ、いいかげんにして寝なよ、身体からだも身のうちだ、そうひどく使うもんじゃねえよ、ちっとは、身体にも保養というものをさせてやらなけりゃ毒にならあな、いいかげんにしなよ、え、ヨッパさんたら、ヨッパさん」
 経文をしながらわらを打っている与八の境涯をかき乱した声が、お松のところまで手に取るように聞えたものですから、お松もハッとしてにがい心持になりました。
「いいかげんにしなよ、いいかげんにして、一ぺえ飲んで寝なよ……」
 しつこく与八のそばへすりよって、とろんとした眼をえている酔いどれの姿を、ありありと見る気持。
「だが、与八さん、おめえは感心だよ、おめえの真似まねはできねえ……まあ、早い話がおめえは聖人だね、支那のきゅうという人と同格なんだね、聖人……大したもんだよ、だが、聖人にしちゃあおめえ、少しが抜けてらあ……」
「なあに」
 与八は相手にならないで、藁をすぐっているらしい。
「だが、おめえ、聖人なんて商売は、聞いて極楽、見て地獄さ」
 与八が相手にならないでいると、一方は、いよいよしつこく、
「こちとら、やくざだから、聖人なんざあ有難くねえ」
といって暫く休み、いやに猫撫声ねこなでごえで、
「ヨッパさん、おめえ済まねえが、いくらか持っていたら貸してくんねえか……」
 お松はそれを聞いて、またはじまったと思いました。
 梅屋敷の谷という船頭が、いつも、こんなことを言って与八をばかにしながら、いくらかせびりに来る。その度毎に与八が、ダニに食いつかれた芋虫いもむしのように窘窮きんきゅうするのを、ダニがいよいよ面白半分になぶる。
 今も、いい気になってくだをまき出したのを、にがにがしい思いで聞いていると、ダニはいよいよ乗り気になって、聞かれ果てないことをしゃべり出しました。どことかの後家さんをなぐさんでやって、このごろでは毎晩のように通っているが、はじめは口惜くやしがって、おれのつらを引掻ひっかきやがったが、今では阿魔あまめ、おれの行くのを待遠しがっていやがる、そうなってみると、焼杉やきすぎの下駄の一足も買ってやらなきゃあ冥利みょうりが悪いから、いくらか貸してくんな、おめえが持っていなけりゃお嬢様におねげえして、いくらか貸してくんなと、声高こわだかになる。
 何だいべらぼうめ、女をこしらえちゃ悪いのかい、女をこしらえねえような奴は、人間のくずだい……というような悪口も聞え出す。
 浄土の連想も、経文の柔軟も、あったものではない、ダニといわれた船頭の悪口で、すっかりかきまわされる。
 お松は、どうしても自分が出なければならないと思いました。こういう際の取扱いは、いつもお松が当ることになっていて、与八ではどうしても納まりのつかないのが例であります。
 縫物を押片づけたお松は、そのまま道場の方へと歩んで行きました。
「谷蔵さん、今晩は……」
「これはこれは、お嬢様」
 お松のことを、誰いうとなくお嬢様で通っている。お松が現われると、すっかり谷蔵の機鋒きほうにぶってしまうのが不思議であります。
「与八さん、そんな悪い奴は、かまわないから、つかみ出しておしまいなさい」
 お松がそう言っておどすと、ダニが顔の色をかえて、あわてふためいて逃げ出しました。力のあり余る与八を恐れないで、力のないお松を恐れることも不思議であります。
 こんなひょうきん者もあるにはあるけれど、お松の仕事は、次から次と根を張り、枝をのばしてゆくことは、自分たちさえも目ざましいほどでありました。
 つまり、一つの村から一つの村へと、お松のはじめた教育ぶりが伝染して行くのであります。それは大抵、お松を中心として、仕事を習う娘たちの同意から始まって、甲の村でも、乙の部落でも、しかるべき家を借受けて、第二、第三の講習会が起り、つづいて、子供たちのために寺子屋が起り、遊びどころが見つかってゆくというわけであります。
 これがために、お松の事業は、またたくまに発展して、村々を廻りきれないほどになりました。その苦労は、少しもお松のいとうところではありません。
 毎日、朝早く沢井を出でては、夜おそく帰ることもあります。
 多摩川を中にさしはさんでの上下へ、水の浸透するように、お松の事業が進んで行くのであります。今は秩父境までも、お松を中心とするの講習会が入り込んで行きました。
 そこでお松は、もうこれ以上、自分の足では覚束おぼつかないという時になって、与八がお松のために馬を提供しました。
 お松は毎日、馬に乗って村里めぐりをやり出しましたが、最初のうちは、与八が馬の口を取ったのですけれど、それでは労力の不経済だから、後にはお松自身で手綱たづなを取って、与八は家に残って働くようになりました。
 ただ、例のムク犬が始終、お松の行くところへ行を共にして、その護衛の任に当ることだけは、いつも変りません。
 そのうちに、誰が発起ほっきしたともなく、月の二十三日を地蔵講として、この日には、お地蔵様を祭って、楽しく遊ぼうではないか、という議が持上りました。
 つまり、お松の教え子たちが発起で、月の二十三日を、こぞっての祭日にきめようという計画が、たちまちの間に成立って、まず最初の記念祭を、この二十三日に、お松の発祥地で開き、それから至るところに及ぼし、二十三日には、それぞれお祝いをしようではないか、ということが、娘たちの間に、少なからぬ熱心を以て提唱されるようになったのです。
 地蔵中心の二十三日のお祭、お松も、与八も、それはよい思いつきの、よいくわだてだと思いました。与八は、それまでに間に合わせるといって、木をえらんで、一丈余りの地蔵尊をきざむことにとりかかる。
 その地蔵尊が出来上ると、従来のお堂をとりひろげて勧請かんじょうし、多摩川の岸までズッと燈籠とうろうを立てました。
 娘たちは乗り気になって、それぞれのものを寄附する。燈籠の絵も、さんも、大抵はその娘たちや、教え子たちの筆に成るものが多いのですから、期せずしてこれは、地蔵を中心としての共進会であり、展覧会であるようなことになります。
 お祭の前には、その娘たちが、それぞれひまを見ては、やって来て、お祭の準備の手伝いをする。
 そこで、また一方、お松は若衆わかいしゅたちに向って後援を依頼したものですから、若衆もいい気持になって、よしよし、一肌ひとはだぬごうという気になりました。
 そうすると、何か世話を焼きたがる老人たちも出て来て、何かと口伝くでんを教えるものですから、お祭の景気は予想外に大きなものになりそうです。
 赤飯せきはんをこしらえて配ろうというものもあるし、おまんじゅうを供養して、子供たちに分けようというものも出て来る。
 老人たちが肝煎きもいりで若衆たちの一団が、古風な獅子舞を催して、その一日は、踊って踊りぬいてみようとの意気組みを、お松も喜んで頂戴しました。
 お祭の日が進むにつれて、お松は毎晩、徹夜のようにつとめております。それは、娘たちの出品や、教え子たちの製作物の調べ、自分もまた、いくつかの燈籠を受持って、それに歌を書かねばならないし、すべて持込まれる相談は、大小となく、お松一人がそれを引受けて、あずかり聞くという役目であります。
 しかし、何といっても、こういう事の骨折りは、人間を疲労させるよりは、かえって元気を与えるものであります。
 どこから、どう伝え聞いて来たものか、その当日の景気は盛んなもので、多摩川の河原から、地蔵堂附近へかけての人出はおびただしいものである。
 向う岸の人は渡し場を渡ると、そこから、かけはじめられた燈籠とうろうが、おのずから地蔵堂の前へ人を導き、沿道には早くも縁日商人連が近在から出て来て、店を張ろうという景気です。
 地蔵堂に参拝すると、また燈籠に導かれて、机の家の屋敷へ上るように仕組まれてあります。道場から母屋おもやは、娘たちと教え子たちの成績品でいっぱいで、それを、昨晩から夜どおしで、お松と、娘たちとが、ようやく陳列を終りました。
 最初は、ほんのうちわのお祭のつもりでかかったのに、その規模と、景気が、予想外の人気になったのを、陳列を終ってホッと息をついたお松が、地蔵堂まで下りて行って見て、はじめて驚いたほどでありました。
 しかし、この人気は悪くない。平和と、勤労とを愛する人たちが、ここに浩然こうぜんたる元気のやり場を求めて、思いきり楽しもうとする人気そのものに、少しも害悪のないのを認め、働く人たちの嬉々として晴れ渡った顔を見ると、お松はこのお祭の前途を祝福して、よい心持にならずにはおられません。
 その日、東妙和尚が伴僧ばんそうを連れて来て、地蔵様の前で地蔵経を読んでくれました。特にその日は、和訓を読んでくれたものですから、お経はわからないものだと思っているお松の耳に、意外にもありありと字句の要領がわかりました。
 供養くようが終ると広庭で、若衆わかいしゅたちの獅子舞がはじまりました。
 この獅子舞がまた目ざましく盛んなもので、多数の牡獅子おじしと、牝獅子めじしと、小獅子こじしとが、おのおの羯鼓かっこを打ちながら、繚乱りょうらんとして狂い踊ると、笛と、ささらと、歌とが、それを盛んに歌いつ、はやしつつ、力一ぱいに踊るが、それは粗野ではない。花やかにはやすが、それは古雅の調べを失わない。人をして壮快に感ぜしめながら、野卑の態なくして、妙に酔わしむるリズムがある。
 お松はこの古風な獅子舞を、また得易えやすからぬものだと思いましたが、年寄に聞いてみても、ただ古くから伝えられているとばかりで、いつの頃、誰によって、この地方へ持ち来たされたものだか、それはわかりませんでした。
 その古風な舞いぶりを、今の若衆わかいしゅたちが老人の後見で、伝えられた通りを大事に保存しながら、威勢よく舞っているらしいのが、お松をして、いっそう珍重ちんちょうの念を起させたようであります。
 お松は上方かみがたにある時、ある舞と踊りの老師匠の口から、次のように聞かされたことがあります。
 今の世は、踊りの振りというものも、舞の手というものも、みんなきまるだけはきまってしまった。新作とはいうけれど、そのきまった形を、前後にくりかえしたり、左右に焼き直したりするだけのものだから、いくつ見ても、要するに同じようなもので、多く見れば見るほど、倦厭けんえんと、疲労とを催すに過ぎない。これは形が爛熟らんじゅくして、精神が消えてしまったのだ。舞踊の起った最初の歓喜の心を忘れて、末の形に走るようになったから、今、都の踊りに、見られた踊りは一つもない。そこへゆくと、古来伝わった郷土郷土の踊りを、生気のあふれたそぼくな若い人たちが器量一ぱいに踊ると、はじめて、人間の歓喜、勇躍の精髄が、かくもあろうかとおもわれて、手に汗をにぎることがある。都の舞踊を改革するならば、郷土の舞踊の精気を取入れなければならぬ。そうでなければ踊りは死んでしまう。いや、今の都の踊りはすべて死んでいるのだ――こう言ってその老師匠は、ひまさえあればいなか廻りをして、古来伝えられた民謡と舞踊とを、調べて歩くのを楽しみにしていた。それをお松は、この場に思い合わせて、人間には教えることのほかに、楽しむことの大なる意味を見出し、趣味の方面に、また一つの窓が開かれたように覚えました。
 獅子舞が済んだ時分に、与八が、ブラリとしてこの地蔵の庭へやって来ました。
 それを早くも見つけた子供たちが、
「与八さんが来たよ」
「お人よしの与八さんが来たよ」
 腰から下に、子供たちが群がったところを見ると、与八の巨躯きょくが、雲際うんさいはるかにそびえているもののようです。
「お人よしなんて言うのをよせやい、ねえ、与八さん」
 あるものは、与八の帯に飛びつく。
「与八さん、今日は一人なの?」
 女の子は、やさしく言う。
 与八が一人で、ブラリと出て来ることは珍しいことであります。大抵の場合には、その背中に子供を負うて、左右には何かを携えている。それが今日に限って、背中にも子供がいないし、左右も手ブラですから、それが子供の目にもついたらしい。
「与八さん、いい着物を着て来たね、たもとがあるのね」
 これもまた珍しいことです。与八がよそゆきの着物を着出すことも滅多にないことであるし、しかもその着物に袂までついた仕立おろしと来ているから、子供たちの驚異の的となるのも無理はありますまい。
 藍縞あいじまの、仕立おろしの、袂のついた着物を着た与八は、恥かしそうに、その巨大なる身体をゆるがせつつ動き出すと、無数の子供が身動きのできないほど、その前後左右に取りついてしまいました。
「与八さん、何かして遊ぼうよ」
 これは、単に子供たちの注意をひくのみならず、人並外ひとなみはずれた巨大な男が、子供の海の中を、のそりのそりとほほえみながら歩いている有様は、誰が見ても一種の奇観であると見えて、歩みをとどめて、手をひたいにして、その奇観を仰ぎ見ない大人もありません。
「与八さん、『河原の石』をして遊ぼうね、いいかい、みんな、ここで『河原の石』をして遊ぶんだぞ」
 与八は、早くも子供たちのために、杉の木の下の芝生の上へ押しえられてしまいました。
 与八を、杉の木の下の芝生の上へ押し据えてしまった子供たちは、あたりの小石を拾いはじめ、それで足りないのは、わざわざ河原まで下りて行って小石を拾い集め、それを与八の坐った膝のところから積みはじめ、肩の上に及びました。
「動いちゃいけないよ、これから頭だよ」
 膝と、肩の上へ、積めるだけ積み上げた子供らは、踏台をこしらえて、与八の頭の上まで石を積みにかかりました。
「頭の上はよせやい、与八さんだって、頭が痛いだろう」
「いいねえ、与八さん、いいだろう、お前の頭の上へ石を積んだって、かまやしないね、一重いちじゅう組んでは父のため、二重組んでは母のため……なんだから」
 与八は、だまってすわったまま、相変らずほほえんでいるばかりであります。
「三重組んでは……あ、いけねえ」
 頭の上は、膝の上よりも、肩の上よりも、いっそう、石の安定がむずかしいと見えて、せっかく積んだ石がくずれる。
 崩れた石が、下に積み上げた膝の上をまた崩す。子供たちはそれをまた下から積み直す。
 見ているところ、入りかわり立ちかわり、石を高く積んだものほど手柄に見える。
 人の積んだ石の上へ、自分の石を積みそこねたものは、自分のあやまちのみならず、人の積んだ石を崩すの罰まで、二重に受けねばならぬことになっているらしい。
 そこで子供らは、いよいよ高く石を積んで、いよいよその手柄を現わそうとするが、積み得て喜ぶ後ろに、崩れて悲しむの時が待っている。
 積んでは崩し、崩しては積んで興がる子供たちは、与八の存在ということを忘れてしまっている。しかれども、この男にあっては、遊ぶことと、遊ばせることとが同一で、子供らがわれを道具にして遊ぶ間は、その楽しみを妨げないことが、また自分の遊びであるらしく思われるのであります。
 ことに、与八はこの「河原の石」という遊びを妨げないために、子供らに向って、自分の義務というものの存することを悟っているらしい。
 それは、以前、子供らが「穴一」という遊びを盛んに流行はやらせている時分に、与八がそれをやめさせて、身を以て彼等の遊び道具に提供し、この「河原の石」を始めさせたという履歴を持っているものですから、ここへ子供を導いて、かりそめにも一重組んでは父のため、二重組んでは母のため……という言葉が、子供たちの口から唄われるということを悪くは思えないのです。
 そのうちに、与八が一つクシャミをしました。クシャミをしたことによって、頭の石が落ちると、はじめて与八が生きていたということを、子供たちが悟ったもののようです。
「あ、与八さん、動いちゃいけないよ」
と言ったけれども、生きているものを、いつまでも動かせないでおくということは無理である、圧制である、ということが、さすがに子供らにも気兼ねをさせたと見えて、
「与八さん、窮屈だろう、もう少し辛抱しておいで、ね……」
 しおらしくも、慰めの言葉を以て、その労をねぎらおうとする者もある。
 見物人は――見物のうちの大人です――皆、その事のていを見て失笑しないものはないが、なかには見兼ねて、
「みんな、いいかげんにしな、与八さんだって苦しいよ」
 そこで、この恬然子てんぜんしは解放されることになりました。
 その時分、ちょうど、河原で花火が揚り出したものですから、子供らは、与八の周囲に積んだ石を取払い、今まで下積みにしたお礼心でもあるまいが、大勢して、与八を胴上げにして河原まで連れて行って上げようと言い出し、与八の身体からだにつかまって、それを持ち上げようとしたけれど、彼等の力では、どうしても与八をかつぎ上げることが不可能だとあきらめたものと見え、ワッショワッショと与八のずうたいを後ろから、ひた押しに押して、河原の方へ押し出して行きました。
 子供らのなすがままにまかせて、自分から河原へ押し出して行く与八。渡し場のところへ来て、土俵に腰をかけていると、
「与八さん、これを上げるから、お食べ」
 五十か百もらって来たお小遣こづかいのうちから団子を買い、その二串を分けて与八の前に捧げた子供がありました。
 それを見ると、ほかの子供が負けない気になって、物売店へ行って、三角に切って、煮しめて、串にさしたこんにゃくを買って来て、与八の前へ持ち出し、
「与八さん、これをお食べ……」
 自分が一本食いつつ、一本を与八にわかとうというのであります。
 そうすると、ある者は氷砂糖を買って来て、それをふきの葉に並べて与八に供養し、ある者は紙に包んだ赤飯をふところから取り出して、
「与八さん、お食べ……」
 子供たちは与八の膝の上と、あたりの石の上と、土俵の上に、そのおのおのの供養の品を並べ立てました。与八は、実に有難迷惑そうな顔をして、これはこれはと言ったなり、どれに手を下していいかわかりません。そうすると一人の子供が、お団子の一串を目よりも高く差し上げ、
「与八さん、遠慮しないでお食べ、わたしが一番先に上げたんだから、あたしのあげたお団子から先にお食べ……」
とすすめると、一人が、
「どれから先に食べたっていいじゃないか、ねえ、与八さん、与八さんの好きなのから先にお食べ、お団子でも、てんぷらでも、お赤飯こわでも、かまわないから、遠慮しないでたくさんお食べ……」
 与八も、この御馳走には痛み入ったようです。
「どれでもいいから、与八さんの好きなのから先に食べさせることにしようじゃねえか」
と、一人が言います。
「そりゃそうさ、先に出したから、先に食べなくってはならねえときまったわけじゃねえ、与八さん、お前の好きなのから先にお食べ……」
 本人の趣味を無視して、御馳走を食べることの前後にまで干渉するのはよくない、と主張する者もあります。
 よんどころなく、与八は串にさしたお団子を取って食べました。
「そうら見ろ、おいらの出したのから先に食べた。与八さん、うまいだろう」
「うん」
「そうら見ろ、うんと言った。うまけりゃ遠慮なしに、モットお食べ……」
 子供たちは、なけなしの小遣こづかいで買った団子のすべてを提供して、悔いないような有様です。
「与八さん、このするめも食べてごらんよ、お団子ばかり食べないでさ……」
「いけねえやい、今度は、おいらのあげたてんぷらを食うんだぞ、てんぷらを――」
「静かにしろよ、与八さんの好きなのから先に食べさせるんだといってるじゃねえか」
「与八さん、モットお団子をお食べ。まだ三串あるよ……」
「与八さん、お団子を食べてしまったら、あたいのお強飯こわを食べて頂戴な……」
 ふところから、破れてハミ出した赤飯の紙包を持ち出したのは、五ツ六ツになるお河童かっぱさんの女の子であります。
「いけねえやい」
 十二三の悪太郎が、無惨むざんにも、そのお河童さんを一喝いっかつして、
「いけねえよ……おめえのお強飯こわは食べ残しなんだろう、自分の食べ残しを、人に食べさせるなんてことがあるかい、人にあげるには、ちゃんとお初穂はつほをあげるもんだよ、お初穂を――食べ残しを与八さんに食べさせようなんたって、そうはいかねえ……」
 悪太郎から一喝を食って、無惨にもお河童さんは泣き出しそうになると、同じ年頃の善太郎が、それをかばって言うことには、
「いいんだよ、与八さんは、残り物でもなんでも悪い顔しないで食べるよ」
 そこで与八の顔を見上げて、
「ねえ、与八さん、残り物でもなんでもいいんだね、志だからね、与八さんに志を食べてもらうんだから、残り物でもなんでもかまわないよ、ねえ、与八さん」
 ませたことを言い出すと、悪太郎が引取って、
「こころざしって何だい、こころざしなんて食べられるかい、へへんだ、こころざしより団子の串ざしの方が、よっぽどうめえや、ねえ、与八さん」
 しかし、それからまもなく与八は、お初穂であろうとも、残り物であろうとも、かまわずに取って食べてしまったから、この議論はおのずから消滅して、皆々、一心になって、与八の口許くちもとをながめているばかりであります。そのうち誰かが、
でけえからなあ!」
とつくづく驚嘆の声を放つと、一同が残らず共鳴してしまいました。
「大えからなあ!」
 実際、与八の身体からだの巨大なる如く、その胃のも無限大に大きいと見えて、あらゆる御馳走を片っぱしから摂取して捨てざる、その口許の大きさは、心なき児童たちをも驚嘆させずにはおかなかったものと見えます。
 その後、子供たちは遂に与八さんを、小舟に乗せて遊ぼうじゃないかと言い出しました。
「ああ、それがいいや、先に与八さんに石を積んで大勢して遊んだから、今度は与八さん一人を舟に乗せてやろう」
 たちまちに気が揃って、与八ひとりが舟に乗せられ、素早く裸になった子供たちは、ざんぶざんぶと川へ飛び込んで、その舟を前から綱で引き、両舷りょうげんと後部から、エンヤエンヤと押し出して、多摩川の中流に浮べました。
 従来、与八は、馬鹿の標本として見られておりました。今日とてもその通り。ただ馬鹿は馬鹿だが、始末のいい馬鹿というにとどまるのが与八の身上であります。
 狡猾こうかつなのは、この馬鹿の力を利用して、コキ使い、米の飯を食わせるといって、食わせないで済ますことが、子供の時分から多いのでありますが、与八はあざむかれたとても、あんまり腹を立てないことは今日も変ることがありません。
 欺かるるものに罰なし。それをいいことにして、ばかにし、利用し、嘲弄ちょうろうしている者が、暫くあって、なんだか変だと思いました。
 欺かるる者に平和があり、微笑があるのに、欺いた自分たちに幸いがない。与八を追抜いたつもりで、さて振返って見ると、後ろには与八がいないで、ずんと先に立っているのを見て、ハテナ、と首を傾けた者が一人や二人ではありませんでした。このごろでは、
「与八をだますと、ばちが当る」
 誰いうとなく、そんな評判が立つようになりました。
 というのは、与八をだまして利用した者の、最後のよかったものは一つもないからであります。
 与八が、ばかにされ通しで、ほとんど絶対におこらないのを見て、おこるだけの気力のないものと見込んだのが、おこる者よりも、おこらない者のむくいがかえっておそろしい、というように気を廻したものが現われるようになりました。
 だが、この男に、微塵みじん復讐心ふくしゅうしんの存するということを信ずる者はありません。
 表面、愚を装うて、内心睚眦がいさいうらみまでも記憶していて、時を待って、極めて温柔に、しかして深刻に、その恨みをむくゆるというような執念が、この男に、微塵も存しているということを想像だもするものはないのであります。
 馬鹿は馬鹿なりでまた強味があるものだ、と人が思いました。
 今でも、与八が馬に荷物をつけて通りかかるのを見て、
「与八さん、後生ごしょうだから、ちっとべえ手伝っておくんなさい、与八さんの力を借りなけりゃ、トテも動かせねえ」
といって、何か仕事をたのむことがあると、与八は二つ返事で承知をして、そのたのまれた仕事にかかるのですが、その時は、まず馬をつないで、それから馬につけた荷物を、いちいち取下ろして地上へ置いてから、はじめてたのまれた仕事にかかるのであります。そうして、たのまれた仕事を果すと、その荷物をいちいちまた馬に積みのせて、それから前途へ向って出かけるのであります。
 ある人が、そのおっくうな手数を見て、与八さん、ちょっとの間だから、馬に荷物をつけて置いておやりなすったらどうだい、いちいち積んだり、卸したり、大変な事じゃねえか……というと、与八は答えて、馬にも無駄骨を折らせねえように……と言います。そこが馬鹿の有難味だといって、みんなが笑いました。
 しかし、こういうような与八の無駄骨を見て、笑う者ばかりはありません。ある時、御岳道者が、この与八のおっくうな積みおろしを見て感心して、
「ちょうど、丸山教の御開山様のようだ」
と言いました。
 丸山教の御開山様というのは、武州橘樹郡たちばなごおり登戸のぼりとの農、清宮米吉のことであります。
 この平民宗教の開祖は、馬をひっぱって歩きながら、途中で御祓おはらいをたのまれると、これと同じように、いちいち荷物を積み卸しの二重の手間をいとわず、馬をいたわって、しかして後に御祓いにかかったものであります。
 この人は、また言う、
「おれは朝暗いうちから江戸へ馬をひいてかよったが、ただの一ぺんでも馬に乗ったことはないよ」
 いやしくも、一教を開く者にはこの誠心まごころがなければならない。与八のは、必ずしもその形だけを学んだものとは思われません。
 それから、また一つ不思議なことは、木を植えても、農作物を作っても、与八がすると、極めてよく育つことであります。
 同じように種をまいて、同じように世話をして、それで与八のが特別によく育って、よく実るのが不思議でありました。
 ある時、老農がこの話を聞いて、与八の仕事ぶりを、わざわざその畑まで見に来て、
「なるほど、まるで岡山の金光様こんこうさまみたようだ」
といいました。
 この老農は、どこで金光様の話を聞いて来たか知らないが、与八の仕事ぶりを見て、そこに共通する何物をか認めたと見え、
「作物をよく作る第一の秘伝は、作物を愛することだ」
とつぶやいて帰りました。
 それだけで老農は、与八のまいた種が、他と比較して特別によかったとも言わず、その地味が一段と立越えていたとも言わず、肥料が精選されていたとも言わずに帰りましたから、わざわざ連れて来た人が、あっけなく思いました。

 備前岡山の金光様は……と、それから右の老農が、附近の農夫たちを集めての話であります。
 これも日本に生れた平民宗教の一つ……金光教の開祖は、備州浅口郡三和村の人、川手文次郎であります。
 自分の子供を、先から先からと失って行った文次郎は、その愛を米麦に向って注ぎました。
 子を思う涙が、米や麦にしみて行きました。人を愛する心と、物を愛する心に変りはありません。子を育てるの愛を以て、米麦を育てるのですから、米麦もまた、その育てられる人に向って、親の恵みを以て報いないというわけにはゆきますまい。
 農夫と作物とは、収穫する人と、収穫せらるる物との関係ではなくして、育ての親と、育てられる子との関係でありました。
 ある年のこと、浮塵子うんかが多く出て、米がみんな食われてしまうといって、農民たちが騒ぎ出し、石油を田にまいて、その絶滅を企てたけれども、文次郎だけは石油をまかなかったそうです。それだのに収穫の時になって見ると、石油をまいた多くの田より、まかなかった文次郎の田の収穫がはるかにまさっていたということです。
 また、ある年のこと、米を作るのに追われて、麦を乾かさないで納屋なやへしまい込んでしまったが、文次郎の麦には虫が入らなかったが、同じように麦をしまい込んだ他の百姓は、みんな虫に食われてしまったということであります。
 これはなんでもないことです。ただ作物を人として扱うのと、物として扱うだけの相違であります。石油を注ぐことの代りに、愛情を注ぐだけの相違であります。日に当てなくとも、温かい心を当てていただけの相違なのに過ぎません。
 そう言って、老農は、植林も農業も、地味、種苗、耕作は第二、第三で、作物をわが子として愛するの心、これよりほかによき林をつくり、よき作物をつくる方法はないものだということを、懇々と説明して帰りました。
 つまり、この老農は、農政学も、経済学も教えない第一義を、与八を例に取って説明をして帰りましたのです。

 徳川の中期以後、日本には多くの平民宗教が起りました。
 法然ほうねん親鸞しんらん、日蓮といったように、法燈赫々ほうとうかくかく旗鼓堂々きこどうどうたる大流でなく、草莽そうもうかん、田夫野人の中、或いはささやかなるいなかの神社の片隅などから生れて、誤解と、迫害との間に、驚くべき宗教の真生命をつかみ、またたくまに二百万三百万の信徒を作り、なお侮るべからざる勢いで根を張り、上下に浸漸しんぜんして行くものがあります。
 びょうたる田舎いなかの神主によってはじめられた、備前岡山の黒住教もその一つであります。
 たれも相手にする者のなかった、おみき婆さんの天理教もその一つであります。
 金光教の金光大陣も、丸山教の御開山も、ほとんど無学文盲の農夫でありました――与八のことは問題外ですが、万一、こんな行いがこうじて、与八宗がかつぎ上げられるようなことにでもなれば、それは与八の不幸であります。

         四

 根岸の、おぎょうまつの、神尾主膳の新ばけもの屋敷も、このごろは景気づいてきました。
 それは、七兵衛が、例の鎧櫃よろいびつたくわえた古金銀の全部を、惜気もなく提供したところから来る景気で、これがあるゆえに、ばけもの屋敷に、一陽来復の春来れりとぞ思わるる。
 この黄金の光で、ばけもの屋敷がいとど色めいてきたのみならず、この光によって、いずくよりともなく、頼もしい旧友が集まって来たことも不思議ではありません。
 ある夕べ、主膳は、このたのもしい旧友の頭を五つばかり揃えて、悠然ゆうぜんとしてうそぶきました、
「黄金多からざれば、交り深からず」
 七兵衛が苦心して――資本もとでいらずとはいえ、あれだけ集めるの苦心は、資本をかけて集めること以上かも知れません――集めた古金銀の年代別の標本も、神尾らにとっては標本としての興味ではなく、実用(実は乱用)としての有難味以上には何もないのですから、早くもその古金銀は、最も実用に適する種類のぜに金に換えられて、当分は、それを崩し使いというボロい目を見ることができます。
 しかし、そこにはまた相当の用心もあって、このまま両替しては、かえって世間の疑惑を引きやすいと思わるるものは、そのままで筐底きょうてい深くしまって置いて、後日の楽しみに残すこととしました。
 これだけあれば当分は遊べる――無論その余徳がお絹に及ぶことはあたりまえで、余徳というよりは、むしろあの女がすべての管理を引受けたようなものですから、このごろはまた、それで屋敷にいつきません。久しくかわききっていたところへ、黄金の翼が生えたのですから、あの女はあの女で、またその黄金の翼に乗って、水を飲みに出かけ、夜も帰らないことがあります。
 主膳は、それをいい機会とでも思っているのか、例のたのもしい旧友を引入れて、「黄金多からざれば、交り深からず」とヤニさがっている。
 たのもしい旧友はまたたのもしい旧友で、持つべきものは友達だといって、神尾の友達甲斐ある器量をほめて、おのおのその余沢よたくに恐悦している。
 ただ不自由なのは一つ、この勢いで旧友すぐって、名ある盛り場へ、大びらに遊びに出かけられないことであります。
 どこへ行っても、もう主膳の顔はすたっている。よし顔はすたっても、金の光というものはすたらないのだから、そうおくめんをする必要もなかろうが、額のこの傷が承知しない――と酒宴半ばに主膳は、われとわが手で額を撫でてみました。
 けれども、また一方からいうと、今の主膳は、もう、それをさまでやきもきとはしていないようです。もう今までに、金で遊べるところでは大抵遊びつくしているし、金で自由になる女はたいてい自由にしているし、金にかつえている時分にこそ、金があったらひとつ昔の壮遊を試みて、紅燈緑酒のかんに思うさま耽溺たんできしてみよう、なんぞと謀叛気むほんぎも起らないではなかったが、金が出来てみると、そんな慾望がかえって鎮静し、紅燈とやらにこの傷をさらし、緑酒というものにこのはらわたを腐らせるような遊びが、古くて、そうして甘いものだという気になって、額を撫でながら、ニヤリニヤリと笑いました。
 同時に、ここに集まったたのもしい旧友とても、同じような経験に生きている連中で、もう一通りの遊び方ではたんのうができないし、遊ばれる方でも、こういった悪ずれのお客様は、あんまりたんのうしたくないということになっている。
 主膳は自分で、乱に至らない程度の酒を加減しいしい飲みながら、一座に向って、自分の胸底にひめていた新しい計画を、ソロソロとうちあけて、連中の同意を求めにかかる。
 ことあれかしと期待しているこの連中が、主膳の秘策なるものに共鳴せずという限りはあるまい。
 秘策といっても、それは別のことではない、われわれ世間並みの女という女を相手にしつくした身にとって、この上の快楽として、大奥の女中を相手にして遊んでみようではないか、というだけのことであります。
 こういうたくらみは、今までしばしばこの連中の想像にも上り、口のにも上ったのですから、特に奇抜な思いつきでもなんでもないのですが、この際、本気になって実行にとりかかろうという事の密議が、一座の者の固唾かたずを呑ませるだけのものであります。
 後宮三千というのは支那の話。事実、千代田の大奥に、ただいまどのくらいの女中がいるか知らないが、それらはみな、女護にょごしまの別世界をなして、幸いを望んでいる。
 密議半ばで、一座のいなせなのが、あんどんに向って、独吟をはじめました。
一肌一容いつきいちよう、態ヲ尽シけんヲ極メ、ゆるク立チ遠ク視テ幸ヒヲ望ム。まみユルコトヲ得ザルモノ三十六年……
 そこで一座は笑いながら、三十六年も大げさだが、これら女護の島の女人たちの多くが、性の悩みにこらえきれないでいることだけは明らかな事実で、その関を突破さえすれば、洪水のように流れ出して来るのだという。
 あるものはまた言う、
 大奥という池には、満々たる油が張りきっているのだ。こちらが行って堤をきれば、それは無論、一たまりもなくあふれ出して来るのだが、そうするまでもなく、どうかすると、あちらから堪えきれずして堤を破って動いて来る。江島えじま生島いくしまの事になったり、延命院の騒ぎが持上ったり、或いは長持に入れて小姓を運んだり、医者坊主が誘惑されたりするのは、ホンの小さな穴をあけて表に現われただけの落ちこぼれで、張りきった油は、その中にどろどろとして、人の来って食指を動かすのを待っている。
 その時分、夜も大分ふけて、屋敷の外でしきりに犬がほえだしたものですから、一同が、申し合わせたようにピタリと密議をやめて、
「イヤに犬がほえるじゃないか」
 何かしらの不安におびえる心持。それを神尾主膳も暫く耳をすましていたが、
「心配することはない、使の者が戻ったのだろう」
という。
「使の者とは……」
 神尾のとりすました言葉に、不審をいだく者がある。
 今時分、何のために、どこへ使を出したのか、せないことである。
「江戸城の、大奥の間取りを見て来るといって出かけたはずだが、多分、それが戻って来たのだろう」
冗談じょうだんじゃない」
 一座はあきれ返りました。神尾が抜からぬ顔でいうものだから、冗談とも思われないので、また呆れました。
 そんなら計画はそこまで進んでいたのか。これは今夕のやや程度の進み過ぎた座談とばかり思うていたのに、早や細作さいさくを、千代田の城の大奥まで入れてあるらしい神尾の口吻くちぶりには、真偽未了ながら、その進行の存外深刻なのに恐怖を抱く程度で、呆れたものもあります。
「冗談じゃない……」向う横町の貸家の、敷金と家賃をたしかめに行くのとは違い、いやしくも江戸城の大奥の間取りを、ちょっと見て、ちょっと帰って来る、というようなことが出来得べきことではない。そんなことは、われわれが駄目を押すまでもなく、神尾自身が先刻心得ていなければならないはずのこと。
「そりゃいったい、何のおまじないだ」
 犬は外でどうやらえやんだ様子。犬は静まったが気のせいか、周囲の竹藪たけやぶが、しきりにザワザワとざわついているらしいのが一層気になる。
「ハハハハ……」
と神尾は、わざとらしく高笑いして、このところへ、今その当人の現われ出づるのを待つもののようです。
 だがしかし、主膳の言うことは嘘ではありませんでしたが、見当違いでありました。
 その使の者というのは、戻って来たのではなく、これから出て行くところであります。
 出て行く時に、尋常に門をくぐらないで、門の中に生えた竹によじのぼり、その竹のしない具合を利用して、ポンと塀の外へ下り立ってしまったものだから、おりから通りがかりの野良犬を驚かしたものと見えます。
 この男は地へ下り立つと、パッパと合羽かっぱの塵を払い、垣根越しに屋敷の奥の方のともしの光をすかし、それから笠を揺り直し、草鞋わらじひもをちょっといじってみて、
「二足のわらじははけねえ……色は色、慾は慾」
とつぶやいてみたが、
両天秤りょうてんびんにかかると、命があぶねえぞ……」
とその足を二三度踏み慣らしてみて、それからかきけすように姿をかくしたのは、裏宿うらじゅくの七兵衛であります。
 七兵衛が姿をかき消したかと思う時分に、今ちょっと静まった犬が、またほえ出しました。一つがほえると、次から次へ、根岸の里の犬が総ぼえのていになって、寝ていた人をさえ驚かしてしまいました。
 いったん、姿をかくした七兵衛が、また御行おぎょうの松の下に姿を現わしたのはその時で、
「いけねえ……こう犬にほえられちゃあいけねえ」
と息をついて立った有様は、海へ泳ぎ出して、いくばくもなくふかにであって、あわてて岸へ泳ぎ戻ったような有様で、七兵衛としては、かなりに不手際といわねばならぬ。
 七兵衛は、夜歩きしても犬にほえられないような秘訣を知り、またほえられても、その瞬間に、それを手なずける秘訣を知っているのでありますが、今晩は思いがけないドジを踏んで、ちょっと手のつけられない程度に犬をコジらかしてしまったものだから、ぜひなくここまで舞戻ったものと見えます。
 もし、これを舞戻らないで強行しようものならば、わざわざ網にひっかかりに行くようなものですから、七兵衛としては、ここまで舞戻り、再び犬の鎮静するのを待って、繰り出すより賢い道はないと見える。
 七兵衛は今、その最も賢い方法を取って、御行の松の下に、ぴったりと身をひそめているが、多少イマイマしいとしゃくにさわることがないでもない。
 こういう種類の人間には、幸先さいさきや、辻占つじうらというようなものを、存外細かく神経にかけることがあるもので、七兵衛はそれほどではないが、全く無頓着というわけでもありません。
 この屋敷へ、夜毎出入りすること幾度。それは正当に出て、正当に戻ったことは少ないにかかわらず、まだ今夜のように犬にえ出されたことがないのに、しかも今夜ほど大望をいだいて、この屋敷を出かけたことはない。
 どうやら、仕事先が気にかかる。
「いけねえ、いけねえ……」
 そこで、七兵衛が、何となく気を腐らせてしまいました。
 七兵衛の心に、悔恨といったようなものが湧くのは、今にはじまったことではない。
 七兵衛は、今度の仕事を終ったら、これで切上げ……と決心のような事をするのも、今にはじまったことではない。その心持につきまとわれ、その心持で仕事にかかりながら、それをやり上げてしまうと、また新しい病が出ることを、自分ながら如何いかんともし難い。
 しかし、今度こそは一世一代……これで年貢ねんぐを納めるか、引退して余生を楽しみ得るか、という千番に一番。
 つまり、その大望というのは以前にいった通り、豊臣太閤伝来、徳川非常の軍用金、長さ一尺一寸、厚さ七寸、幅九寸八分、目方四十一貫ありと伝えられる、竹流し分銅ふんどうの黄金が、いま現に存在するか否かを確めた上、その一箇を手に入れてみたいということ。
 神尾主膳のいわゆる大奥の間取り調べという事の如きは、頼まれたとすれば、七兵衛にとっては、片手間でありましょう。
 暫くして、犬の吠え声が全くやみました。

         五

 それから、丑三うしみつの頃、大胆至極にも、江戸城の一の御門のへいを乗越して潜入した、一つの黒い影があります。
 この時の七兵衛は、根岸の化物屋敷を出た時のいでたちとは全く違い、笠も、合羽かっぱも、いずれへか捨ててしまって、目に立たない色の手拭で頬かむりをして、紺看板のようなのに、三尺帯をキリリと結んで尻端折しりはしょり、紺の股引ももひきと、脚絆きゃはんで、すっかりと足をかため、さしこの足袋をはき、脇差は背中の方へ廻して、その長い下緒さげおを、口にくわえていました。
 それですから、例の菅笠すげがさに合羽、という在来のいでたちとは全く趣を異にするのみならず、今までの七兵衛として、仕事ぶりにおいて、こうまでキリリと用心してかかったことはないようです。つまり一世一代の了簡りょうけんが、そのいでたちにまで現われて、今度の仕事は冗談じゃない、という気にもなったのでしょう。
 ところで、難なく一の御門の塀を乗越えて、その塀の下をズッと走るとお薬園やくえんであります。お薬園の築山の下へ来て、七兵衛の姿が見えなくなりました。
 見えなくなったのではない、動かなくなったのであります。鼠のように走って来た七兵衛が、とある木かげへ来て、ピッタリ吸いついてしまいました。
 これまで決行するからには、もうあらかじめ城内の案内は、手に取るように頭に入れておいたに相違ない。あらかじめ神尾主膳あたりの手から、江戸城内の秘密図といったようなものを手に入れておいて、要所要所は、ことごとく暗記しての上からでなければ、こんな仕事にかかれようはずはない。
 そこで、お薬園の木蔭にぴったり吸いついた七兵衛は、まず、ちょっと左へ寄ったうしろ、それが二の御門で、その裏が吹上の御庭構え。この門に、番人の気配のないことを見定めて後顧の憂いを絶ち、それから左前面に、こんもりとした紅葉山もみじやまをまともに見てから、その眼を右へ引いて行って、これが西丸……その西丸と、紅葉山との間を、七兵衛は暗いところから睨めているらしい。
『御宝蔵』はちょうど、その西丸と、紅葉山との間のところにある。
 それと相対あいたいした前面が御本丸。ここまで来て見ると、天地の静かなことが案外で、征夷大将軍の城内をおかしたとは思われない。田舎いなかの広い鎮守ちんじゅの森にでもわけ入ったような心持で、番人などはいないのか知らと思われる。いても急に出合うような弾力性のではなく、お役御免に近い老朽が、どこぞに居眠りでもしているのだろうとしか思われない。
 しかし、何といっても征夷大将軍の本城である、その鷹揚おうようなのに慢心してはならないと、七兵衛も、七兵衛だけの用心をして、容易にそのお薬園の茂みを立ち出でようとはしないらしい。それと一つは、まだ今晩のは瀬踏みに過ぎない。あわよくば進めるところまで進んで、本丸を突き抜いて、坂下御門を出て帰ろうとのもくろみまで立てているが、急いでそうせねばならぬ必要もないと考えている。
 とにかく、七兵衛が城内の用心の存外手薄いことと、空気に弾力の乏しいことを充分に感知しながら、軽々しくこの地点を動き出さないのは、一つは功を急がないという腹が出来ているのと、もう一つは、ある時間の程度にはキッと見廻りの役人が通過するに相違ないから、それのきたるのをここに待って、やり過ごしておいて、そうしてゆっくり進退をきめようとの了簡りょうけんと見える。
 忍びの上手は、立木の間にかくれると、立木そのものになる。立木そのもののようになり得た七兵衛は、少しも城内の夜の気分と、自分というものの心を乱すということなく待っているが、果していくばくもなく、人の気配がうしろの方から起りました。
「来たな」
と七兵衛は心得たけれど、動揺はしない。動揺というのは身体からだを動かすことだけではない、心を動かせば、空気は動くものであります。
 しかし、これは変だぞ……と七兵衛があやしみました。
 見廻りのお役人ではない。それは自分がしたのと同じように、吹上のお庭から、このお薬園の方へ、塀を乗越している者がある。
 以ての外と七兵衛が、暗いところでその眼をみはりました。
 生憎あいにくのことか、幸いか、七兵衛の眼は、暗中で物を見得るように慣らされていますから、今しも塀を乗越えて来る曲者くせもの。それは自分以上か、以下か知らないが、とにかく、このお城の中へ潜入した曲者を、別に眼の前に見ていることは確かです。
 そこで、さすがの七兵衛も固唾かたずを呑んで、その心憎い同業者(?)の手並を見てやろうという気になりました。
 見ているうちに、七兵衛はほほえみました。これはおれより手際てぎわが少しまずい、まあ素人しろうとに近い部類だわい――と思いました。
 だが、人数は自分より多く、いでたちもおれよりは本格だわい、と思いました。
 たしかにその通り、今しも、吹上の庭から塀を乗越えたのは、都合四人づれだということが明らかにわかり、その四人づれが、とにかく、本格らしい甲賀流の忍びの者のよそおいをしていることによって、やはり尋常一様の盗賊ではあるまいと鑑定される。
 さりながら、その忍入りの技術は、はなはだ幼稚なものだ――と七兵衛は、それをあわれむような気にもなりました。ナゼならば、彼等はいずれも一生懸命で、鳴りをしずめ、息をこらして、忍び込んでいるつもりではあるが、そのあたりの空気を動揺させることおびただしい。
 番人がなまけているからいいようなものの、気のいた奴に見つかった日にはたまらない。ああして下りて来るところを待構えていれば、子供でもあの四人をうって取れる……素人しろうとだな。気の毒なものだな。
 しかし、素人にしては、あのいでたちの本格。忍びの者として寸分すきのない、たしかにすおう染の手拭で顔をつつみ、ぴったりと身につく着込きこみを着て、筒袖、長い下げ緒の短い刀、丸ぐけの輪帯、半股引、わらじ。
 こういったようないでたちは、かいなでの町泥棒にはやれない。
 そこで七兵衛は、引続いて判断を加えてしまいました。
 これは物とりに江戸城へ入り込んだのではない。他に重大なる目的あって来たのだ。四人とも、いずれも武士階級に属するもので、潜入者としては素人だが、忍びの術において、相当の知識と経験とを教えられ、その一夜学問で、この冒険を決行したものに相違ない。
 事は面白くなった。七兵衛はそこで、玄人くろうとが、素人しろうとのする事を見て感ずる一種の優越感から、軽いおごりの心を以て、この新来の同業者――同業者でないまでも、同行者の仕事を、試験してやろうという気になりました。
 玄人から見れば、極めて無器用な潜入ぶり。しかし素人としては大成功に塀を乗越した四人づれは、七兵衛のあることを知らず、やはり取敢とりあえずの息つぎとして、このお薬園をえらんで、七兵衛のツイ眼と鼻の先へ来て、かがんで額をあつめたから、七兵衛も苦笑をしないわけにはゆきません。
「まずうまくいったな!」
「これからが大事おおごとだ。真暗まっくらでかいもくわからん、いったい、紅葉山はドレで、西丸はどっちの方だ?」
「左様」
 彼等は、最低に声をひそめてささやき合ったつもりだろうが、こんなことでは、やはり物にならない。おれの耳には、十町先でこの声が聞える――と、七兵衛はまた、その時にもそう思いました。
「ちえッ――西も東も闇だ」
 一人が懐中をさぐったのは、この場に至って、絵図面でも取り出すものらしい。まだるい話だ。七兵衛があきれる途端を、あっ! と驚かしたのは、他の一人が、この場でパッと火をすったからです。素人しろうとほどこわいものはない――七兵衛が呆れ返って、舌をまきました。
 この場に至って、絵図面を取り出して見ようという緩慢さはまだしも、パッと無遠慮に火をすって、その火で絵図面を調べてかかろうとする度胸のほどが、怖ろしい。
「おやおや、ひうちじゃねえんだな、この人たちは摺付木すりつけぎを持っているぜ」
と驚きながら、七兵衛があやしみました。
 甲賀流の寸分すきのないいでたちの忍びの者にしては、さりとはハイカラ過ぎる。今時ハヤリはじめの西洋摺付木を、この人たちは持っている――自分も三本ばかり人からもらったことがあるが、あれは便利なもので、木でも、石でも、壁でも、すりつけさえすれば火がつく。その摺付木を、かなり豊富に持っている様子を見ると、益々ますますこれはただ者ではない――と七兵衛は、その辺にも注意が向きました。
 ところが、この四人は、その摺付木で取った火をろうそくへうつすと、そこで、悠々と絵図面をひろげて、ささやき合っているのはいいが、なかの一人は、その火で煙草をのみはじめたから、
「あ、物になっちゃあいねえ……」
 七兵衛は、りかえってしまいました。その道の者からいえば、この忍びの連中のやることは無茶だ。本当の忍びは、呼吸そのものさえ絶滅してしまわねばならぬ。煙草を吸った日には、三里先にいる動物だって逃げるではないか。
 果して、一行のうちにも、多少は思慮の深いのがあって、
「君、煙草をのむことは、よした方がよかろうぜ」
と注意を与えると、
「そうか」
といって、素直にそれをみ消して、それからは極めてひっそりと、一本のろうそくひたいをあつめて、絵図面の研究をつづけているうちに、その中の一人が、また制禁を忘れて、
「失脚落チきたル江戸ノ城、井底せいてい痴蛙ちあハ憂慮ニ過ギ、天辺ノ大月高明ヲ欠ク……」
と、はなうたもどきにうなり出したものですから、その時に七兵衛が、
「ははあ、わかった、今時、薩摩屋敷の中で、こんな声がよく聞える、なるほどあの連中のやりそうなことだ」
と感心しました。
 そうか、そんならばひとつ、こっちもいたずらをしてやれ、という気になりました。幸い、額をあつめて、絵図面の研究にわれを忘れているのがいい機会だ。
 そこで七兵衛は、彼等のうしろへ手を延ばして行って、まず、かぎ縄をそっと奪い取り、次にめいめいの革袋を、そっと引きずって来て、動静いかにとながめている。
 絵図面の上に一応の思案をらした一行は、いざとばかりに、ろうそくの火をふき消して立ち上ったのは、いよいよ早まり過ぎたことで、四方を暗くして後に、かぎ縄がない、燧袋ひうちぶくろがない、あああの中に大切の摺付木マッチを入れて置いたのだが――とあわて出したのは後の祭りであります。暗中で彼等はしきりに地上を撫で廻してダンマリの形をつづけたが、結局、ないものはない。
 さすがの大胆者どもも、顔の色をかえたことは、その語調の変ったことでわかっている。そのささやき具合の狼狽ろうばいさ加減でわかっている。かぎ縄は、まんいち途中で落したかの懸念もないではないが、摺付木に至っては、現在このところで、ろうそくに火をつけ、あまつさえ、その火を煙草にうつしてのんだではないか――申しわけにも、途中で落したとはいえない。ろうそくは空しく手に残るが、それに点ずべき手段がない。
「何たるブザマなことだい、これじゃあ、一足も動けない」
「帰るにかず……」
「帰りもあぶないものだ」
 彼等は、暗い中で途方にくれているらしい。
 こうなっては、つえを奪われためくら同様で、引返すよりほかはあるまいが、その引返しでさえ、うまく行くかどうか。
 しかし、それは案ずるほどの事はなかったと見えて、この四人の一行は、それから間もなく、無事に江戸城外へ抜け出してしまって、八官町の大輪田という鰻屋うなぎやへ来ていっぱいやっているところを見ると、七兵衛が推察通り、薩摩屋敷の注意人物に相違ない。
 この時は、無論、忍びの装束なぞはどこへかかなぐり捨てて、いずれも素面で、いっぱいやっているところは、何のことはない、丸橋忠弥を四人並べたようなものです。
「ほかのものはとにかく、摺付木マッチをなくしたのが惜しい」
と忠弥組の一人、落合直亮なおすけがいう。
 その当時、長崎から渡って来たばかりのマッチは貴い。
「品物を手に入れて置いて、ろうそくを消せばよかった」
 忠弥組の第二、関太郎が残念がる。
 とにかく、手に入れたもの同様にかたわらへ置いたのが、あの際、見つからなくなったのは不思議だ――と、どこまでもせない顔だが、この連中は深く頓着はしないらしい。
 ただ、あれが幕吏の手に見つかった時は大騒ぎになるだろう。いまごろは血眼ちまなこになっているかも知れない。かぎ縄や、石筆や、マッチの類は、由々しき犯罪の証拠品となるだろうが、あの炭団たどんばかりは、何のためだか見当がつくまい、と笑う者がある。
 けだし、この連中は、かねての目的通り、江戸の城中へ火をつけに行ったものに相違ない。そうして今夜の瀬踏みが見事にしくじったので、やけ酒を飲んで気焔を揚げているとも見られるし、また、ある程度まで成功した祝杯を揚げているようにも見られる。
 ともかく、これだけに味を占めた上は、早速また、第二回目の実行にとりかかるに違いない。
 彼等は、何の恨みあって、こんなことをするのか。なんらの恨みがあってするわけではない、人にたのまれてするのである。人とは誰。それは西郷隆盛に――
 西郷隆盛は、益満ますみつ休之助、伊牟田いむだ尚平らをして、芝三田の四国町の薩摩屋敷に、志士或いは無頼の徒を集めて、江戸及び関東方面を乱暴させ、幕府を怒らせて、事を起すの名を得ようとしていることは、前にしばしば記した通りである。
 この、成功か失敗かわからない乾杯があって後、この一座の、うなぎを食いながらの会話は、忍術の修行の容易ならざることに及ぶ。
 一夜づくりの修行では、やりそこなうのは当然だ、といって笑う。
 いったい、盗賊というやつは、先天的に忍術を心得ているのだろう、という者がある。
 いや、忍びに妙を得ているから、盗賊がやってみたくなるのだろう、という者もある。
 盗賊としての条件は、第一、忍ぶことに妙を得て、第二、逃げることに妙を得なければならぬ、身の軽いと共に、足が早くなければならぬ、という者がある。
 僕の方に、一日のうちに、日光まで三十余里を行って戻る奴がある、と落合直亮がいう。
 いや一橋中納言の家中には、駿府すんぷから江戸へ来て、吉原で遊び、その足で駿府に帰る奴がある、という者がある。
 信州の戸隠山から、一本歯の足駄で、平気で江戸まで休まずにやって来る者がある、という。
 そんな雑談から、ついに石川五右衛門論にうつる。
 五右衛門は、果して忍術の達者であったろうか、という説。
 五右衛門を、盗賊として見るべきか、刺客せきかくとして見るべきか、の論。
 盗賊でも、刺客でもない、彼は一種の英雄として見るべし、という讃。
 左様な議論で火花を散らして、さんざんに飲み且つ食い、この四人は八官町の大輪田を辞し、大手を振って、例の四国町の薩摩屋敷に入ったのは、夜の白々しらじらと明けそめた時分でありました。

         六

 同じ日の同じ時刻。七兵衛は、やはり三田四国町の、薩摩屋敷に近い越後屋というのにはいり込み、わらじを取ったままで食卓の前に、どっかりとすわり込みました。
 この時の七兵衛も無論、もと通りの七兵衛になって、なにくわぬ旅の百姓でありましたが、この広い座敷には、七兵衛ひとりです。
 ここは、薩摩屋敷の豪傑がよく出入りするところ。料理屋にして、また酒保を兼ねているところ。百人以上も会合ができるようになっている、その座敷のまんなかに七兵衛ひとり。
 日中には眼の廻るほど忙しい店。こう早い時にはガラン堂のようなものです。そこで七兵衛も誰はばからず、とぐろを巻いているところを見れば、もう相当にこの店とは熟していて、木戸御免に振舞うだけの特権があるもののように見える。やがて七兵衛は、ズルズルと革の袋を一つひっぱり出して、その中へ手を差入れて、まず取り出したのがきせると、煙草入。
 それを目の子勘定のように食卓の上に置き並べ、次に取り出したのが新しい摺付木マッチであります。
「ああ、摺付木、これだ、これだ」
とほくそ笑みして、その箱を押して、一本のマッチをつまみ出し、食卓の上の金具に当ててシューッとすると、パッと火が出たからまぶしがり、あわててそれを煙管きせるにうつそうとしたが、あいにくまだ煙管には煙草が詰めてなかったものだから、大急ぎでその摺付木を火鉢の灰の中へ立て、あわただしく煙管へ煙草をつめて、その燃え残りの火にあてがい、大急ぎで一ぷくを試みて、その煙を輪に吹いて、大納まりに納まりました。
重宝ちょうほうなもんだて。どうしてまた毛唐けとうは、こんなことにかけては、こうも器用なんだろう。これを使っちゃ、燧石ひうちいしなんぞはお荷物でたまらねえ」
 七兵衛は、今更のように、マッチの便利重宝を、讃美渇仰せずにはいられない。
 それから、煙草の吸殻をポンと手のひらに受けて二ふく目を吸い――三ぷく、四ふく、その煙をながめては、ヤニさがっていたが、暫くあって煙草をやめ、また思い出したように、以前の革袋へ手を入れて、
「何だろう、このゴロゴロした丸いやつは?」
 首をひねりながら引き出して見ると、それは紙に包んだ炭団たどんでありましたから、七兵衛が、コレハ、コレハとあきれました。
 炭団が出て来やがった、何のおまじないだろう――合点がてんがゆかない心持で、その炭団をまた一つ一つ食卓の上に置き並べ、それをながめて、ははあ、やっぱりこれは火つけだな、と思いました。
 江戸城へ火をつけるつもりで、あの連中は忍び込んだのだな――なるほど、かんなくずかなにかに炭団たどんを包んで、火をつけて置けば、念入りに燃え出す。爆裂玉ばくれつだまのように、急にハネ出すこともなし、油のように、メラメラと薄っぺらな舌も出さず、くすぶり返って気永に焼くには、炭団に限ると思いました。
 七兵衛がこうして納まり返っているけれども、この広い座敷へは、無論、夜明け早々からの客のつめて来るはずもなし、そうかといって、主人なり、雇人なりがいるならば、とがめないまでも、何とか言葉をかけそうなものを、そんな気配は更になく、ひっそりかんとしたものですから、七兵衝は炭団をさかなに、また煙草をのみはじめ、座敷の中を見るとはなしに見まわしているうち、なんとなく無常の感というものにでも打たれたように、大きな溜息ためいきをついて、壁の一隅につるしてある薩摩屋敷のくつわの紋のついた提灯ちょうちんを見て、じっと物を考え込んでしまいました。
「つまらねえな」
 七兵衛が思わず口走った時分に、平常ふだんならばお銚子の一つもかえて、まぎらかそうというものだが、この時はそれができないで、
「つまらねえなあ、ほんとに……」
 七兵衛は煙管きせるを取落して、炭団をつくづくとながめました。
 七兵衛は今、急につまらなく、情けなくなって、あぶなく涙をこぼそうとしました。
 昨夜、七兵衛はあれから、江戸城内のどこまで忍び込んで、どこを出て来たかわからないが、夜が明けて見ると、なんとなくうちしおれていたのが、今になって一層目につきます。
 彼は、たしかに江戸城内を抜け出してきての今、
「浅ましいことだ」
という感慨が、ひしと胸にこたえているものらしい。
 何が浅ましい。自分のしたことが浅ましいのか、周囲の見るもの、聞くものが浅ましかったのか。七兵衛の胸に折々、里心さとごころが首を持上げるのは、今にはじまったことではないが、この時は、特に何かの感じが激しくこみ上げて来たと見えて、ほとんど涙を落さぬばかりに浅ましい色を見せましたが、気をかえようとして取り上げたのが、さかずきではなくて、火の消えた煙管でしたから、それが一層、七兵衛をめいらせるような気持にして、
「よくばちが当らねえものだなあ」
とつぶやいて、煙管を投げ出しました。
 七兵衛は常々そう思っている。何でも人の尊敬すべきものは尊敬しなくちゃならない。神仏が有難いといえば、有難がるのが凡人の冥利みょうりだ。長上をうやまえといえば、無条件にうやまうのが人間の奥ゆかしさだ。理窟も、学問も、いった事じゃない。尊敬と、服従の、美徳がうせては、人間の社会が成立たないじゃないか。
 それに、どうだ、おれに向って、大奥の間取りを見て来てくれとたのむ奴がある。たのまれるおれという奴も、またおれという奴、来て見れば、またそれにいっそう輪をかけた奴があって、城ぐるみ焼いてしまおうという。
 浅ましい世の中だ。おかみに対する人間の尊敬心というものが、地を払ってしまったのは、お上に威厳がないのか、人間がつけ上ってしまったのか。さてこの上の世の中が、どうなるだろう。七兵衛も今はそれを考えて、空恐ろしくなったもののようです。
 その持って生れたような盗癖を別にしては、七兵衛は、むしろ律義りちぎな男です。
 昨晩、江戸城内を抜け出して来た七兵衛の頭では、公方様くぼうさまは決してにくむべきお方ではなく、むしろかわいそうなお方である。その悪むべからざる公方様を目のかたきにして、これを陥れようとたくらむ奴等の気が知れない。
 よく人の話では、薩摩に西郷という男があって、それが手下の者をけしかけ、この四国町の薩摩屋敷に、ならず者を集めて乱暴をさせ、そうして公方様を怒らせて、日本を乱そうとするたくらみだと――その西郷という男は、公方様に何の恨みがあって、そういうことをするのだろう。天下というものを取るには、そういうことをしなけりゃならねえのか。
 そういうことをして、かりに天下というものを取ってみたところで、それがどうなる、それにはそれだけのたたりというものがあるぜ――西郷という男も、末始終はいい死にようはしねえだろう……といったようなことを、七兵衛が考え出しました。ははあ、ひとごとじゃねえ、おれももう盗人ぬすっとはやめだ。
 そう忌気いやけがさしてみて、さて、盗人をやめて、これからどうなる――ということを考えると、七兵衛が、どうでものがれられない縄にからみつけられているように思う。おれが盗人をやめて、穏かな百姓で終りたいという念願は、今にはじまったことではないのだが、それがそうならないで、そう考えるごとに悪い方へのみ深入りしてしまうのは、いったいどういうわけだろう。自分が意気地無しだから、とばかりは言えないではないか。
 それと同じように、天下を取るというような連中も、人殺しをするような連中も、自分でいてこのんでやるわけではない、どうでもそう行かなければならないように糸であやつられている。思えば人間というものは、ハカないものだ……
 七兵衛は今まで、こんなに浅ましさを感じたということはありません。
 天下の御宝蔵をうかがおうとも、九尺二間の裏店うらだなを荒そうとも、物を盗む、ということの悪いには変りはないはず。
 良心の責めというもののもだえならば、時も遅いし、その意味をも成さないわけでありますが、七兵衛のした仕事そのものよりは、何かにつけて、もっと大きな浅ましさを感じてしまいました。
 もしまた七兵衛にして、徳川十四代の当城のあるじ家茂いえもち公の不幸なる生涯の物語をつぶさに聞いていたならば、この男は、ほんとうに涙を流して、自分のした仕事のいかに罰当ばちあたりな、身の程知らぬ振舞であったかということに気がついて、西に向って、身を投げ出しておわびをし、血の涙をこぼして懺悔をしたか知れませぬ。
「なんだかツマらねえ、こういう時には、一ぺえやりてえのだが……」
 しかしながら、その近所には、火の消えた火鉢と、不可思議の目的に供せられた火のつかない炭団たどんがあるばかりです。
 そこで、所在なさに七兵衛は、くわえ煙管ぎせるで、ツラツラ室の中を見廻し、壁にはってあった一枚の美人絵を見出すと、それを念入りにながめた後、
「この御殿女中じゃあ……これじゃあ、コツの三百女郎としか踏めねえ」
 ニヤリと、皮肉に笑いました。
 その絵は、供をつれた奥女中の一枚絵で、あんまり上等の浮世絵とはいえない。英山、英泉あたりの末流の筆に成って、彩色だけは人目をひくように出来ている。
 けれども、このことから七兵衛は、江戸城の大奥の間取りを見て来てくれ、なんぞとたのまれたことを思い出したものですから、わざと、そのつまらない浮世絵が、当座の興味をいたと覚しく、コツの三百女郎にしか踏めないという奥女中の浮世絵も、腹も立たないで見ていました。
 七兵衛は、美術眼があるわけでもなんでもないが、奥女中は奥女中らしい気品とうま味が出ないものかなあと、淡い不満をいだいてこの絵を見ているだけのもので、頭の中に往来するのは、やはり昨晩、あれからこれまでの、自分のした仕事の吟味と、咀嚼そしゃくとであります。
 だが、やはり、七兵衛の眼は、その奥女中の一枚絵に向ったきりでありますから、よそから見れば、相当のたんのうなる鑑識家が、批評的にこの絵を吟味しているとしか見えないのであります――
 おれはいったい、美人と、美人画では、誰のがいちばん好きなんだろう。上代のことはいわず、比較的近代について見ると、狩野家かのうけにはもとより、円山、四条にもすぐれた美人かきはいないようだ。何といっても、美人画は浮世絵の畑だろう。もっとも美人というものの標準も、ちょっと問題ではあるが、人好きのする美人は、まず浮世絵と限ったものだろう……ところで、その浮世絵の美人も品々だが、いずれあやめという時は……左様、まずまあ鳥居派で清長、それから北川派では歌麿。
 清長にはしっかりしたところがある。歌麿は少しだらしないがたまらない。清長を本妻に、歌麿をおめかけとしたら申し分はなかろう。
 細田栄之えいし――あれはさすがに出がお旗本の歴々だけあって、女郎をかかしてもなんでも、ずっと気品があるが、そうかといって、大所帯向おおしょたいむきのおかみさんにするには痛痛し過ぎる――といってまた、並大抵のものが妾にしては位負けがする……そんなら勝川派はどうだね、何といっても春章はたしかなものだ。清長より少しやさし味があって、歌麿ほどにだらけてはいない。栄之のように上品向きでもないから、まず、相当の大家の御内儀として申し分はない方だけれども、いずれにしても、この辺を女房にするには、ケチな身上しんしょうではやりきれない……そんなら実用向きというところで北斎はどうです、北斎の女は……
 無論、七兵衛はまだ壁の一枚絵を一心にながめてはいるが、上に述べたる如き批評眼があるわけでもなんでもないが、あまり一途いちずに、絵にばかり眼をつけているものですから、よそで見ると、どうしても、その絵の吟味、批評に取りかかっているとしか見えないのも無理がありません。
 ところで北斎は……北斎の美人はどうだ。あの男は、御存じの通り剛健な、達者なかき手だが、美人をかかせると艶麗なものをかくから不思議なものさ。芸者なぞをかかしても、なかなかいい芸者をかくし、筆つきに癖はあるが、女にイヤ味はないよ、頂戴してもいっこう不足はない……
 しかし、世話女房としては、何といっても豊広だね……。豊広――歌川派の老手で、広重の師匠だといった方が、今では通りがよいかも知れぬ。広重の美人画は問題にはならないが、豊広の女には素敵な味がある。おっとりした世話女房としての味では、この人に及ぶ者はない。これはまた、清長や春章とちがって、大どころでなければ納まって行けないという女房と違い、ずいぶん世話場も見せながら、亭主にはつらい色も見せず、やわらかになぐさめて、しっくりと可愛がってゆく、という女房ぶりだ……豊国は役者の女房にしかなれず、国芳はがえんのおかみさん、国貞は団扇絵うちわえ
 明治になって……まさか七兵衛が、明治以後の浮世絵の予言までもすまいけれど、やはり、あんまり念入りに一枚絵を見ているものですから、浮世絵の現在を論じて、その将来に及ぶというような面構つらがまえにも見えて来るのが不思議であります。
 明治の浮世絵の中心は、何といっても月岡芳年さ。この男は国芳の門から出たはずだが、少なくも伝統を破って、よかれあしかれ、明治初期の浮世絵の大宗たいそうをなしている。見ようによっては浮世絵の型が芳年から崩れはじめた……とも見られるが、ああ崩して行かなければ、明治以後の複雑な世相を浮世絵の中にもり込むことはできなかったともいえる。
 江戸の女の持つ情味というものは、小さな挿絵一つにも漂わぬということはない。芳年以後に、巧拙はとにかく、あれだけ江戸の女の情味というものを含ませた絵をかき得るものはない。この点においても、芳年が最後のものかも知れない。
 転じて大正年間、生存の美人画家……芳年系統の鏑木かぶらぎ清方、京都の上村松園、いずれも腕はたしかで、美しい人を描くには描くが、その美人には良否共に、魅力と、熱が乏しい。
 その点に至ると、北野恒富の官能的魅惑の盛んなるには及ばない。
 新進で、国画創作会の甲斐荘楠音かいのしょうくすねが、また一種の魅惑ある女を描くことにおいて、異彩ある筆を持っている。あの時の展覧会で見た三井万里の江島がなかなかよかった。
 挿絵の方では、永洗えいせん系統の井川洗※(「厂+圭」、第3水準1-14-82)いかわせんがいが、十年一日の如く、万人向きの美人を描いて、あきもあかれもせぬところは、これまた一つの力であり、年英としひで門下の英朋は、美人を描くことにおいては、洗※(「厂+圭」、第3水準1-14-82)より上かも知れないが、その美人は、愛嬌あいきょうがなくてつめたい。近藤紫雲の美人にも、なかなか食いつきのいいのがある――
 七兵衛は際限なく、浮世絵の過去と将来を論じているわけでもなんでもないのですが、相変らず例の一枚絵をながめているものですから、そんなふうにも見えるので、人は往々、物をいい、手を動かすと、すっかりボロの出るものでも、仔細ありげにだまってさえいれば、意外なかいかぶりをされるものがあるものです。
 本人はその時分は、もう自分がいま見つめている絵のことなどは眼底から飛び去ってしまって、昨夜の城内の光景が、まざまざと頭のなかに浮び出でて、われを忘れていたのですが、その瞬間、「ハッ」としてわれに返ったのは、今まで人のというものはなかったところへ、さりとは、あまりに荒々しい戸のあけ方でありました。

         七

 その物音で、すっかり空想をブチこわされた七兵衛。
 夢からめたような顔をして、きょとんとその入口の方を見てあれば、そんなことはいっこう御存じなしに、数多あまたの人足が、店の土間へしきりにこも包を投げ込んでいる。
 鮭のこも包にしては長過ぎる。土間へ当りの響きで見ると、金物であるらしい。
 土間の左右へ人足がそれを積込んでいると、そのあとから抜からぬ顔で入り込んで来たのは、アツシを着た十五六歳の少年で、耳に仔細らしく矢立の筆をはさみ、左右に積み分けたこも包の中央に立って帳面を振分けて、これもしさいらしい吟味をしている。無論、七兵衛のあることは、誰もまだ気がつかない。
 帳面と、そのこも包とを、すっかり引合わせてしまったアツシを着た前髪の商人が何とも言わないのに、人足たちは、積込むだけのものを積み終わると、大八車を引っぱって、この店の前を立去る。
 帳合ちょうあいを終った少年は、しきりにそのこも包の荷造りを改めはじめる。余念なくその荷造りを調べている時、後ろで、
「忠どん?」
「え?」
 はじめて気がついた、そこに先客のあることを――
「おじさんかい」
「何だね、そのこも包は……」
「こりゃ、おじさん、こっちの包みが刀で、こっちが鉄砲の包みだよ」
「え……刀と鉄砲? どちらも大変に穏かでねえ。それをお前が、いったいどうしようというのだ」
「どうしようたって、おじさん、お屋敷へ売込むんでさあ」
「お屋敷……ドコのお屋敷へ?」
「そりゃ、おじさん、わかってるだろう、その薩摩守のお屋敷へさ……」
「お前が……その鉄砲と、刀を、薩摩のお屋敷へ売込もうというのか――?」
「そうさ」
「いつ、お前は、薩摩様のお出入りになったんだ――?」
「いつだって、おじさん、近いところにいりゃあ、いつ、どうした便宜で、お出入りになるかわかるまいじゃないか」
「お前に限って、そうしたはずじゃなかったなあ」
「だって、おじさん……」
「いったい、お前は、この薩摩屋敷に巣をくう浪人たちのために、せっかく苦労してこしらえた財産を奪われたその恨みで、こんなところへ来て、そのかたきを取返すのだといって、りきんでいたはずじゃないか」
「それは、それに違いないけれど、おじさん、商人は腹を立てちゃ損だということが、このごろわかってきたよ」
「なるほど……」
「そりゃあ一時は口惜くやしかったが、今となってみれば腹を立つだけが損で、本当の仕返しは、やっぱり算盤そろばんの上で行かなけりゃ嘘だと、つくづく思い当りましたよ。喧嘩をしないで、お得意にしちまえば、盗られたものを、楽に取り返すことができまさあね」
 七兵衛は、徳間とくまの山奥で砂金取りをしていたこの少年を見出だして以来、そのこましゃくれた面憎つらにくい言い分に、いつも言いまくられる癖がある。十五や十六の歳で、金儲かねもうけの話といえば寸分のすきもなく、金儲けの仕事といえばいっこう臆面がない。こんなのも珍しいと感心することもあるが、多くの場合には、そのこましゃくれを面憎く思う。
 今も、その生意気な言い分が、ハリ倒してやりたいほどしゃくにさわっているとも知らず、
「おじさん、近いうちに日本が二つに割れるよ、そうなると軍器だね、刀と、鉄砲が、売れるのなんのって……大儲けをするのはこれからだよ、おじさん、一口乗らないか?」
 そこで、この少年は上り口に腰をおろして、七兵衛を相手に、近くきたるべき天下の大乱によって、大金持になるべき秘訣ひけつを説き出して、七兵衛をけむにまく。
 この忠作という少年の説によると、近いうちに日本が二つにわかれるというのは、要するに徳川と薩摩との喧嘩であって、東の方は徳川のもの、西の諸大名はたいてい薩摩に肩を持つ。
 ところで、その争いの結果、ドチラが勝つか、負けるかわからないが、勝つにしても、負けるにしても、とにかく一朝一夕ではいかないこと。
 入り乱れて、何十年、何百年も、戦争がつづくかも知れないということ。
 そこで、軍器と、兵糧との、無限の需要がある、そこが目のつけどころだということ。
 とりあえず自分の仕事は軍器の御用商人で、つまり、戦争が長引けば長引くほどもうかる。
 そんなことをして、江戸にいながら、薩摩の屋敷へ武器を売込んだりなどすれば、江戸の方に恨まれて、ヒドイ目に逢うぞ……と、七兵衛がオドかせば、なあに、商人あきんどだもの、どっちでも割のいい方へ売る分には文句はないはず、今、逆縁のようなわけで、薩摩の家に取入ることができて、刀剣と、鉄砲との、買入れ方をたのまれたから、薩摩の御用をつとめているようなものの、これが、薩摩が江戸から追っ払われて、江戸の風向きがよくなれば、よろこんで江戸へお味方をして、御用にありつくまでのことさ……と忠作は、事もなげに放言する。
 そうしてなお言うことには、今こうして来た刀は、みんな駄物ばかりだが、今は駄物だの、名刀だの言っている時節ではない、数さえ多ければ何でもいい。鉄砲だってその通り、ここに集めて来たものは、大抵はチグハグや壊れ物だが、これを修繕して売込むと、立派な値段で買ってくれる――だが、本当に仕事をしようというには、こんなことではまだるくて仕方がない――どのみち、これからの戦争は、いい鉄砲を持っている方が勝ちにきまっているが、そのいい鉄砲は、外国からでなければ来ない。外国からいい鉄砲を仕入れるには、いい船を持たなければならない。
 いい船を持って、いい鉄砲を買込んで、これを盛んに売れば、人に戦争をさせておいて、自分が丸儲けをする。
 おじさん、日本一の金持になろうと思えば、これよりほかの道はあるまい、と忠作がしたり顔である。
 なるほど……七兵衛は、煙にまかれながら、サゲすみきって聞いていたが、こいつ、金儲けの前には、義理も、名分も、そっちのけ、その抜け目のないことにおいては、実際おそろしいほどだと舌をまき、
「忠どん、人に戦争をさせておいて、自分で丸儲けをしようなんていうのは、泥棒よりボロい商売だぜ」
と言ってみたが、七兵衛も、われながらマズい半畳だと思いました。
「ナーニ、おじさん、戦争をする人は、戦争をするように出来ている。金儲けをする者は、するような仕組みでするんだから、ちっとも恥かしいことはないさ。泥棒なんざあ、お前さん、馬鹿のする仕事さ、人に隠れて、コッソリとやって、見つかれば首が飛ぶ、それでいくら儲かるもんだ、泥棒のかせぎ高なんて、知れたもんじゃないか」
「ふふん……」
と七兵衛が、それを聞いてそらうそぶきました。しかし、何とも二の句をつぐ気にならないで、テレ隠しに摺付木マッチをすりました。
 なるほど、泥棒は人のものをただ取る稼業かぎょうだが、そのかせぎ高は知れたものだ。そうしてその運命も知れたものだ。
 しかるにこの小僧は、人に戦争をさせておいて、自分は重宝ちょうほうがられながら大儲おおもうけをしようとする。いつもながら、こいつの言うことだけでも、人を呑んでかかっているのが、返す返すもしゃくだ。いったいこんな奴が成功したら何になるのだ。ただ口前ばかりではない、着々として、そろばんに当る仕事をしているのだから、いよいよしゃくだ。
 言うだけのことを言って出て行った忠作のあとを見送って、七兵衛は、あの年で、人に戦争をさせて金を儲けようとは、言うだけでも末が恐ろしい、とあきれました。
 なるほど、これに比べては、盗賊商売などは問題にならない。
 人によっては、資本のかからない、割のいい商売として、盗賊を第一に置くが、よくよく考えてみれば、知れたものだ。
 現に自分が、今日までに盗んだ金額を、そっくり日割にしてみたところで、ちょっと気のいた日傭取ひようとりの分ぐらいにしか当るまい。それでいて、一歩あやまれば首が飛ぶのだ。実際、泥棒なんという仕事は、道楽でなければできる仕事ではない――見ること、聞くこと、今日はいやな日だ、と七兵衛は、そのままゴロリと横になりました。
 ゴロリと横になったけれど、七兵衛においては、ゴロリと横になることだけでさえが、相当の思慮用心を費さねばならないのです。
 たとえば、こうして横になっている間にも、疲れが出てツイうとうととした時分にでも、不意に御用の声を聞こうものなら、咄嗟とっさにハネ起きて、さばきをつけるだけの用心をしていなければならない。
 そこで、七兵衛は、横になった身体からだを、そのまま自分で衝立ついたての蔭まで引きずって行き、頭から合羽かっぱをかぶり、枕もとへは煙草盆を置いて、これが万一の場合は目つぶしになり、それと同時に、この衝立の上へ足をかければ、あの窓から外へ飛んで逃げられる――そこまで考えてからでなければ、昼寝もできないのです。
 いや全く、盗賊という商売は、手数のかかる厄介な商売だ――人に戦争をさせて、大金をもうけようという忠公などはああして、小威勢よく、天下晴れた顔をして飛び廻っているのに――なるほど、どちらから行っても、泥棒は馬鹿のする仕事で、割に合わないことこの上なし……なんぞと、愚痴を考えていながらも、昨夜の疲れがあるものですから、七兵衛はうとうとと夢路に迷い込みました。しかし眠りに落ちてからにしても、こういう人間は、なかなか手数がかかるので、前後も知らぬ熟睡ということは、一年のうちに幾度もあるものではない。眠れるが如く、眠らざるが如く、畳の足ざわりでさえ目をさます程度で熟睡をしなければならない。
 そういうふうにして、七兵衛が衝立ついたての蔭で、眠れるが如く、眠らざるが如き熟睡を遂げているが、その耳の中へ聞ゆるが如く、聞えざるが如く雑音の入り来り、夢とも、うつつとも、わからない心持でいることは是非もない。
 衝立を隔てて幾人かの人があって、その者の語るところは……近いうちにこの屋敷へ西郷が来るそうだ……イヤ、もう来ているよ……ナニ、西郷がこっちへ来ている、そりゃ嘘だろう……嘘ではないさ、中村と、有馬を連れて、やって来た、しかも東海道をテクでやって来た……あの大きなズウタイで、よく歩けたものだな……ナニ、足はなかなか達者だよ、西郷はあれで、あのズウタイで、乗物に乗らず、わらじばきで、前ぶれもなしにさっさとやって来ては、またいつのまにか帰ってしまう、だから、せっかく西郷に逢いたがっていたものが失望する……失望はいいが、そう軽々しく出歩いた日には、あぶなかろう……そこがつまり、一種の機略だろう……大びらに西郷江戸にきたるとなれば、江戸の天地が、安政の大地震以上に震動するかも知れない……ははあ、薩摩の陪臣ばいしん一人が出て来ると、江戸の天地が、安政の地震以上にゆれるとは大仰だ……西郷という男は、それほどエライ男かい、あれも人気者じゃないかな……薩摩というものを背負って、大舞台をにらんでいるその形に呑まれて、大向うがやんやと騒ぐだけのもので、事実、人気ほどの英雄じゃあるまい――長州の大村、同じ薩摩でも大久保あたりの方が、実力はズンと上だといっている……
 こんな途切れ途切れの言葉を、七兵衛は夢うつつに聞いておりました。
 つまりこの頃、右の薩摩屋敷に、西郷なるものが乗込んで来ているといううわさ

         八

 信濃の国、白骨しらほねの温泉――
 そこへ、このほど、山の通人が一人、舞込みました。
 もう、これだけ以上には、ここで冬籠ふゆごもりをしようというまでのものはないことと、誰しも了簡りょうけんしているところへ、山の通人が、同行者を一人つれて、不意に訪れたものですから、新顔が加わって、また新しい話題が湧きました。
 この山の通人は、ツマリこの辺の谷々をめぐることにおいては、かなり豊富な知識を持っているらしいから、その経験談は、おのずから炉辺ろへんの人を傾聴せしむるに足りるものがありましたが、惜しいことには、この人は少し高慢で、山のことなら自分に限ったものと鼻を高くして、人をさげすむの癖がありましたから、最初は多少尊敬していた人も、うんざりするようになりました。
 しかし、お雪ちゃんは、いつもの通り、よい心だてを以て、この新来のお客に対し、相変らずその持っている知識から、何かの収穫を見ようとする熱心さは、変ることがありません。
 山の通人は、出来星の博士が、小学校生徒に教えるような態度で、見おろしかげんに、
「お雪さん、あなたはこの間の手紙に、ツガザクラの下を歩いたように書いて出したそうですが、あんなことを書くと、笑われますよ」
「わたし、そんなことを書きましたか知ら?」
「は、は、あなたは、ツガザクラという植物を知らないのでしょう」
「ええ」
「あれは高さ四五寸の、灌木かんぼくというものだ、四五寸の植物の下を人間が通れますか、生物知なまものじりを書くと笑われますよ」
と言って山の通人が、ある晩のこと、炉辺に人が集まった時を見越して、わざとお雪ちゃんに向って、こんなことをいいましたから、お雪は真赤になって、
「そうでしたか知ら?」
 自分は、そんなことを書いた覚えはないのに、この通人は、わざと人前で、聞えよがしに言うのは、ツマリ自分の知識のほどを、人に見せつけたいという根性が、ありありと見え透きましたから、一座の人も、何となく不愉快に感じましたが、お雪はいてそれを争おうともしませんでした。
 山の通人は、いよいよソリ身になって、
「そんなに恥かしがることはありませんよ、この間も、馬琴の小説の常夏草紙とこなつぞうしというのに、多摩川の岸に、大和なでしこが咲き乱れていると書いてあったから、わしがウンと笑ってやりました」
 通人というのは、お召を着てオホンと取澄ますばかりが通人ではない。自分の持っている知識を鼻にかけて、人を見おろしたがるのは、山の通人にもあるのか知ら、と一座の者が思いました。
 いったい、山岳にでも登ろうとするほどの人は、もっと、気象高大に出来ていそうなものだが、クダらない通人もあるものだ、と思いました。
 それから、話があぶみ小屋の神主のことになると、山の通人が、それをもセセラ笑って、
「何ですって、神主様がぎょうをしていて、乗鞍の山へ平気で往復する――そんなことがあるものか、それは嘘だろう」
「いいえ、嘘ではありませんよ」
「神主様というものは、そんな行をするもんじゃない――それは修行者だろう。いったい、神主サンは高山に登らないものだよ」
 山の通人は、眼中人なきが如くに一座を見廻して、とりすましました。
 一座の中には、万葉学者の池田良斎先生もいれば、その他、多少の教養もあり、山の知識経験を持っているものもあるのですが、この博識ぶった山の通人は、天下に山のことを心得たものはおれ一人、という気位を見せたものですから、一座の中から、
「ヘエ、神主サンというものは、高山へ登らないものですかね?」
と、眠そうな声で、念を押したものがありました。
「左様、神主サンというものは、高山へ登らないものだ」
 山の通人が、いよいよそっくり返ったのは、相変らず出来星できぼしの博士が、小学校の生徒を相手にするような態度でありました。そうすると一座の中から、突然に、
「御冗談でしょう」
とひやかし気味に、やり返すものがある。
「何ですって?」
 山の通人も、気色けしきばむ。
「いつ、神主サンが、高山へ登って悪いという規則が出ましたか?」
「誰も、規則が出たとはいわないが、神主は高山へ登らないもので、高山でぎょうをするのは修験しゅげんのつとめだ」
「お前さん、博識ぶって、燈台もと暗しのことを言いなさんな、神主が、高山に登らないなんてタワ言を言うと、お里が知れますぞ」
「ナニ?」
「論より証拠を、お聞きに入れましょう」
といって、山の通人と喧嘩を買って出たのは、池田良斎の一行、北原賢次であります。
 一座のものは、傲慢ごうまん無礼な山の通人の博識ぶりに、不愉快を感じていたところですから、この喧嘩相手の出たのを、むしろ痛快に感じてだまっていました。
 山の通人は、自分の博識の権限をおかされでもしたように、ムッとして、
「論より証拠――証拠があらば聞きましょう、一体、神主は高山に登らないもので、高山修行は修験者しゅげんじゃに限ったものだ」
「ところで――物識ものしりの先生、この信州松本に、藤江正明老人という神主様のあることを、御存じですか?」
「それが、どうしたのだ」
「それは神主サンでございますよ、ねえ、池田先生、先生も御存じでしょう、松本の藤江正明老人は神主様であって、また歌人としても、相応に知られていますね」
 北原賢次は、池田良斎を顧みて駄目を押しますと、池田良斎は、無言でうなずいて見せました。
 そこで山の通人が、またせき込んで、
「その老人で、神主で、歌よみだという人が、どうしたのだ?」
「まあ、せき込まずにお聞き下さい。この老人は、今が七十歳の老年でございますが、日本の高山という高山は、たいてい登っておりますよ。念を押しておきますが、藤江翁は神主さんでございます」
「…………」
「もう少し詳しくお話し申しましょう。ある年、この藤江老人は加賀の白山はくさんに登りましたが、途中で暴風雨にあい、一週間、山中の小屋で水ばかりで生きており、雨がやむと、その足で頂上へのぼり、ゆるゆる遊覧して下山し、宿屋の者を驚かしました」
「そりゃ、あんまり……」
「まあ、お聞きなさい。それから藤江老人が、この乗鞍へ登った時も、頂上で暴風雨にあいました。動くとあぶないから、岩に身を寄せて待っていると、七ツ時から始まった暴風雨が、翌日の五ツ半時まで、ちょうど十七時間つづきました。その間、老人は単衣ひとえ一枚で、乗鞍ヶ岳の頂上の岩石に身を寄せて、その危険を逃れたのですが、いかがです、これらは人間業とは思われますまい……藤江老人は神主様でございます」
「そんなことが、有り得べきことでない、有り得べからざることだ」
と山の通人は、躍起となって叫び出すと、北原賢次は冷然として、
「有り得べきことか、有り得べからざることか、現在この拙者が、その老人の冒険を、実際に見聞しているのだから仕方がない。といっても、それだけの鍛練が、一朝一夕で出来るわけではありません、本来虚弱な藤江老人が、どうしてそれだけの胆力を養い得たかということをお話ししましょう。それというのも、あなたが、神主は高山に登らない、神主は高山で修行をしないとおっしゃったから、その証明として申し上げるまでですよ」
 北原賢次は、それから、神主であり、登山家であり、修行者である松本の藤江正明翁が、三十までしか生きないといわれた虚弱な身を以て、いかにして、それほどに超人的な身体からだをきたえ得たかという実験を、細々こまごまと語り出でたのは、一座の人を、本心から傾聴させるの価値がありました。
 そこで池田良斎も、日本の山岳と、神霊との間には、離るべからざる関係があって、大和の三輪山あたりは、山そのものが神社になっているあたりから説き出して、修験道しゅげんどうも、半ば神道のものであり、自分の知れる限りにおいては、まだまだいくらも高山に登ることを好み、高山を修行の道場とする神主のあることを、実例をあげて説き出そうとするものだから、山の通人がいよいよセキ込んで、
「イヤ、物はそう一概に言うものではない、例外というものもあるし……」
とさわぐのを、良斎が尻目にかけて、
「それから、あなたは、馬琴の常夏草紙とこなつぞうしの中に、多摩川の岸に、大和なでしこが咲き乱れていると書いてあったといいますが、どの辺に、そんなことがありましたか?」
「ええ、初めの方に、そんなことがあったようです……」
「さきほども聞いていますと、このお雪ちゃんが、ツガザクラの下を通ったとか、通らなかったとかいって、小言こごとをいっておいでのようでしたが、お雪ちゃんの文章は、たいてい一度は、わたしが見て上げますが、そんなことは書きはしなかったようですよ、よく読み直してごらんなさい」
「いや、わたしも、ちょっと眼に触れたままですから……」
「かりにも学者として、左様な粗末な、不親切な、見方をなさってはいけません。小説としても馬琴ほどの作者になれば、室町御所に虎を出そうとも、利根川の岸に芳流閣を築こうと、八丈島で馬に乗ろうと、安房あわの国で鯉をつろうとも、皆それだけの頭と、働きを以てやるのですから、あなた方が、一方向きの知識だけでかれこれいうのは、僭越というものです」
 池田良斎は穏かに、この博識ぶった一方向きの山の通人をいましめて、それをしおに立ち上り、浴室へ行くと、一座の者が、われもわれもとあとを続いて、炉辺に残れるはお雪ちゃんと、留守番の老爺おやじと、薄っぺらな山の通人と、その連れの者だけでありました。
 山の通人は、少しばかりテレていましたが、この席に、道庵先生が居合わせなかったことは仕合せでありました。道庵先生でも居合わそうものなら、たちまち御自慢の本草学を振り廻して、いっぱしの科学者気取りで、ブリキのようなメスをガチャつかせて、山の通人に食ってかかったに相違ありません。
 山の通人は、しばらくテレていましたが、そのテレ隠しのように、お雪の方へ向い、
「あなたは、どちらから、おいでになりましたね?」
と尋ねましたから、お雪は正直に、
「甲州の、上野原でございます」
と答えました。
「ははあ、上野原ですか」
「左様でございます」
 お雪がこの場合、英語を知らなかったのも幸いで、もし英語の少しでもカジっていて、ハイランドでございます……なんぞとしゃれようものなら、またこの通人からお小言こごとを食ったのでしょうが、ドコまでも素直なお雪は、通人をおこらせるだけの返答を与えませんでした。
「御商売は何ですか、お家は……?」
と尋ねられた時も、お雪は神妙に、
「上野原で、月見寺とお聞きになれば、すぐわかります」
 もし、この場合、お雪ちゃんが女学校出のお茶ッピーで、実家が高利貸でもしていて、「わたしの家はアイスクリームよ」とでも言おうものなら、この通人は真顔になって、「それはお菓子い御商売です」としゃれたかも知れません。
 こういう通人の入り込むこともまた、山の炉辺の一興でありましょう。

         九

 その翌日、お雪は柳の間にこもって、いつになくえない色をして、机に向って筆を執っている。

「弁信さん――
あたし、きょうもまた、ひとりで、無名沼ななしぬままで行って来たのよ。
四方の峰から、雪が一日一日に、谷に向って強い力でしてくる中を、毎日、悠々閑々ゆうゆうかんかんとして散歩にであるく、わたしをのんきだとは思わない……?
その実、沼まで行く道だって大抵じゃないのよ。けれども、天気さえよければ、毎日一度は、あの沼まで行って見ないと気が済まないの。それも、人にことわると留めますから、わたし一人で、ないしょで行きます。
以前にも申し上げました通り、この沼は、わたしを引きつける力が有り過ぎます。
あの事件があって以来、少しの間は遠ざかっておりましたけれど、どうしても引きつけられてしまいます。こわいという沼ではありませんもの……ほんとうは怖い沼かも知れませんが、怖いものほどかえって、人を引きつけるのではありますまいか。
わたしは毎日毎日、あの沼へ引きつけられて参ります。そうして離れ小岩の、絹糸のような藻のあるところ、御存じでしょう、最初にあたしが浅吉さんという人の死骸を見たところ、後にあのいやなおばさんがおぼれて死んだというところ。知らずらず、わたしはあの岩の上へ立たせられてしまうのです……
それで、わたしはいい気になって、あの岩の上で、藻の中をかき分けるようにして、何を見ているのでしょう。自分の姿を、水鏡にしているのですから、ほんとに自分ながら、気が知れないことだと思います。
きょうも……その通りにして、わたくしはあの離れ岩のところに立って、水鏡をうつしながら、万葉集の歌と思い合わせて、自分の髪の毛を腕で巻いたり、指先でひねったりして、ひとり楽しんでおりました……
弁信さん――
わたしは、そちらにいた時のように、銀杏返いちょうがえしや、島田に髪を結ってはいないのですよ。グルグル巻きにしたり、お下