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大菩薩峠

禹門三級の巻

中里介山




         一

 宇治山田の米友は、あれから毎日のように夢を見ます。その夢は、いつもはんでしたように不動明王の夢であります。夢や新聞は、毎日変ったものを見せられるところにねうちがあるのだが、米友のように、毎夜毎夜同じ夢ばかりを見せられては、驚かなければなりません。
 夢からめたたびに米友の驚きあきれたかおも、やはりはんで捺したようなものです。米友はついに堪り兼ねて、床の間にかけてあった不動明王の画像を取外しました。この画像があるから、夢を見せられるのである、画像が無ければ、夢も無くなるであろうと思って、その晩は取外して床の間へ捲いておいたけれど、やはり同じように、不動明王の像が夢に現われました。米友はしゃくにさわってこの画像を、よそへうつしてしまおうと思って、今、かつぎ出したところであります。
 今日は例の手槍を持って出ることの代りに、かなり大きな不動尊の画像を担いで、例によって両国橋を渡りかけました。そこで米友が思うには、これを打捨うっちゃるにしても不動尊である、有難がっても有難がらなくっても、不動明王のおすがたである。芥溜ごみための中へ打捨るわけにはゆかない。さりとて、道の真中へほうり出してもおけない。また米友には、屑屋に売り飛ばすというほどの知恵も浮ばない。売り飛ばしてそれをおのれの巾着銭きんちゃくぜににしようというような知恵は米友には出ない。出て来たところで彼の良心が許さない。この場合、不動尊の殊勝な信心家が現われて、この画像を米友の手から乞い受けて、まつりあがめる人が出て来れば米友は一議に及ばず、その画像を譲り渡したものであろうと思われるが、不幸にしてその人を得ることができない。せっかく、不動尊を担ぎ出して来たものの、実際、米友はこれをどう扱っていいかということに迷いきっているのです。この点においては、かつて京都へ遊びに行った弥次郎兵衛と喜多八とが、梯子を買ってもてあまして、京都の町を担ぎ歩いたようで、米友のは梯子よりは有難い不動様であるだけに、なおさら捨場に困るのであります。
 ほかのことにはあまり頓着はしない米友が、こういうことになると真面目に苦心するのです。甲州の袖切坂そできりざかで鼻緒の切れたお角の下駄を、どう処分しようかと思って、二里も三里も持ち歩いたこともあります。今はその下駄とも違って、不動明王のおすがただから、担ぎ出しは担ぎ出したものの、その心の中の苦心は容易なものではありません。
 で、両国橋へ来て、フト思案半ばに思いついたのは、やっぱりここから川の中へ投げ込むのがよかろうということでありました。両国橋から物を投げ込んだことは、米友には今までに経験がないではありません。第一には、天誅組てんちゅうぐみの貼紙をした立札を引っこぬいて、この川の中へほうり込みました。第二には、金助から侮辱されて腹立ちまぎれに、頭からかぶって金助を、大川の真中へ抛り込んだこともあります。
 それで米友は、こんどもその伝で不動明王を、ここから川の中へ抛り込もうと考えたものらしい。それで米友は、恐る恐る画像を肩から取り卸して、橋の前後を見渡しました。あいにくのことに往来の人がかなりに多い。それがいちいち変な目つきをして、米友の挙動をジロジロと見るのが癪にさわる。どうも自分ながら盗み物でもするように気がとがめてならない。前に立札を投げ込んだ時のように、また金助を抛り込んだ時のように、端的に、痛快にやっつけてしまうことのできないのが忌々いまいましい。そこで米友は、せっかくの名案も実行が渋って、いったん肩から取下ろした不動尊の画像を、また担ぎ直して、非常な不機嫌な顔色をして、
「ちぇッ」
 舌打ちをしてれったそうに、また両国橋を渡り出しました。
 彼は事をなす時には端的にやっつけてしまうが、その端的が外れると、もう底知れずにぐずついてしまいます。一旦、川へ投げ込みそこねてみると、もう駄目です。大川へ投げ込めないものが、神田川へ投げ込めるはずがない。大川へも神田川へも投げ込めないものを、そこらの堀や溝へ投げ込めるものではない。米友は思案に暮れながら不動尊を担いで、どこを歩むともなく歩み歩んで行きました。
 しかしながら、いくら歩いてもこの上いい知恵の出ないことが哀れです。誰かしかるべき人に預けたのがよかろうと、それは幾度も思案にのぼらないではありません。けれども、こうなってみると、預けた先も心配になるし、預けるというそのことも心配になります。たとえば道庵先生とか、盲法師の弁信とかいうような者に、事情を打明けて頼めば、いやとは言うまいけれど、米友の気象では、そう言って頼むのが癪にさわります。なんだか自分が、この一幅の画像に怖れをなして、逃げ隠れでもするように見られるのが癪にさわらない限りもない。それで米友は、しかるべき相談相手を求めようとする気にもならないのであります。自分で自分の心が済むように始末しなければ、男の一分が立たないように思われてなりません。ですから、土にかじりついても、この画像だけは自分で始末をしようとして、煩悶はんもんしながら歩いているのです。
 ところが、これほど煩悶している米友の眼の前へ、ちらちらと不動様のお姿が現われます。今までは夢にのみ現われた不動様が、米友がこうして煩悶していると、ありありとその怖い面を向けて米友をにらみつけるのだから、米友はれるばかりです。いったい、不動尊という奴がなんの恨みがあって、おれにこうして附き廻るのだ。今までに米友は、なにも不動様に恨まれるようなことをした覚えがない。夢になり、うつつになって自分の眼先へちらついて、こうまで俺を苦しめる不動様という奴の了見方りょうけんかたがわからねえと、米友は腹が立ってたまりません。
 米友の風采ふうさいもかなり奇怪に出来てはいるが、どうも不動様とは太刀打ちができないらしい。ややもすればその不動様に睨みすくめられてしまうのが残念でたまらない。事実あるものならばそれでもよいが、画像はこうしてクルクルと捲き込んでしまってある以上は、この世のいずこを尋ねても、不動様なんていうものがあったらお目にかかる。ありもしないえそらごとの不動様に、夜も昼も睨められて、こっちの睨みが利かなくなるとは、腹が立って腹が立ってたまらない。腹が立つけれども、どうも喧嘩の相手がないには閉口です。相手といえばこの画像だが、さてこの画像を相手に、どう処分していいか、それの思案に思い悩まされているのだから、どうにもこうにも仕方がない。
 いつのまにか米友は、柳原の土手の通りを通り過ぎて、加賀ッ原のところまで来て見ると、加賀ッ原の真中に足軽のような者が、塵芥じんかいを集めて焼き捨てていました。多分、貧窮組の捨てて行った米の空俵や、ござむしろたぐいであろうと思われる。それをじっと立って見ていた米友が、また一思案を思い浮べました。
「そうだ、焼いてしまえば、元も子もなくなる」
 そこで、ブルブルと身を振わして、自分ながらこの名案を喜んだものらしい。けれども、ここで焼こうとするのではない、どこかしかるべきところを選んで、心静かに焼いてしまいたい。そう感づいたから、急ぎ足で歩き出しました。
 少しは遠くなっても、なるべくは、ずっと江戸の町を離れた人のいないところで、心静かに不動様を焼いてしまいたい。米友は、そう思って、跛者びっこではあるけれども達者な足を引きずって、昌平橋をずんずんとのぼって行きました。
 足に任せて歩いた米友は、幾時かの後に広々とした野原に出ました。そこは代々木の原であります。米友は、代々木の原とは知らないで、ここいらならばよかろうと思いました。そうして不動尊の画像は、木の枝にかけておき、それから四辺あたりの山林へ分け入って、杉の落葉だの、雑木ぞうきの枯枝だのというものを盛んにき集めて来ては山を築きました。さて、時分はよしと思ったのに、気のつかないことったら仕方がないもので、米友は火道具というものを持っておりませんでした。この人は煙草を喫わない人だから、常に火打道具を携帯しているというわけにはゆきません。途中で、そんなことに考えつきそうなものだが、この場に立至るまでそれと気がつかなかったのは、おぞましいともなんとも言いようがありません。泥棒をつかまえて縄をうような、ブマなことをしでかした自分を、米友は歯痒はがゆく思って地団駄じだんだを踏みました。
 四辺あたりを見廻したところで、その時分の代々木あたりは、深山幽谷も同じものであります。旅人をつかまえて火種を借りるというわけにもゆかないし、どうしても最寄もよりの百姓家へでも行って、火打道具を無心しなければならない羽目です。
 詮方せんかたなく米友は、代々木の原を立ち出でました。林のはずれを見ると、天気がいいものだから丹沢や秩父あたりの山々が見えるし、富士の山は、くっきり姿をあらわしていました。米友も久しく見なかった広い原と、高い山の景色に触れると、胸膈きょうかくがすっと開くようにいい心持になりました。原を出ると大根畑があって、その向うに生垣いけがきがあって、そこでギーッと刎釣瓶はねつるべの音がします。米友は、畑の中の道を突切って行って見ると百姓家です。その百姓家の門口へ立ってみたが、さて何と言って火種を借りていいか、ハタと当惑してしまいました。煙草の火とも言えないし、さりとて不動様を焼くのだからとはなお言えない。なんと言いこしらえて火種を借りようとグッと詰まって、むなしく百姓家の門口に突立っていました。そうすると百姓家の台所から、けたたましい声と羽バタキをして、大きな鶏が一つ飛び出して来て、戸惑いして、米友の頭に乗っかろうとしました。さすがの米友もこれには面喰って、鶏を払いのけると、そのあとから小犬が飛び出して来て、米友に向ってしきりに吠え立てるのです。
 こんなことでは駄目だと、米友は観念しました。まだ頼みもしない先から鶏にばかにされたり、犬に吠えられたりするようでは、頼み込んでみたところで剣突けんつくを食うか、そうでなければ泥棒扱いでも受けるぐらいが関の山だろうと思ったから、米友はそのままでスゴスゴとまた畑道を引返したものです。仕方がない、少しく遠くなっても町のあるところまで出かけて、銭を出して、火打道具を買い求めて来るよりほかはないと思いました。
 米友が畑道を引返して来ると、畑のくろで、百姓が一人、子供を相手に話しています。
「これ見ろ作十、誰かはんの木山ん中へ、こんな掛物を置きっぱなしにして行っただあ、ことによると泥棒かも知んねえ」
ちゃん、あにがえてあるだえ」
 百姓の老爺おやじと子供とがその掛物を拡げて見ようとするところだから、米友は眼の色を変えて駈け寄って、横の方から、それをひったくりました。
「おいらの不動様だイッ」
 百姓親子は、眼を円くしました。
 水に入れようとしてやりそこない、火に焼こうとしてまたやりそこなった米友は、ぜひなく不動尊の像をかついで、代々木の林を立ち出でました。
 その途すがら米友は、なおしきりにこの画像の処分方を考えていました。そうして最後に考えついたのは、前よりはずっと穏健な仕方であります。それは個人に頼むことこそ億劫おっくうだが、しかるべき堂宮どうみやへ納めてしまえば文句はなかろう。堂宮といううちには、神仏それぞれ持ち分があるのだから、不動様を閻魔様えんまさまもとに頼むわけにはゆくまい。不動様は不動堂に限ると思いました。で、住職か或いは堂守に、事情を言いこしらえて納めてしまえばイヤとは言うまい。イヤと言えばほうり込んで逃げてしまおう、とまで決心して、ようやく人通りのあるところへ出た時に、この辺にしかるべき不動堂はないものかと人に尋ねました。その人が、下総の成田山の出張所が、御府内のどこそこにあるということをよく教えて聞かせました。しかし米友は、江戸の市中まで持って帰りたくはないのだから、江戸に近い田舎でしかるべき不動様はないかというようなことを尋ねると、それはまた滝の川の不動様と、目黒の不動様だろうという返事でありました。
 その二つの不動様のうち、どれが近いかと尋ねると、ここからでは目黒の方が、ずっと近いということでしたから米友は、よし、それでは目黒の不動にしようと、その方角を、よくよく聞き取ってそちらに足を向けました。
 米友が不動尊の画像をかついで、目黒不動の境内けいだいまで来て見ると、そこが大変に賑やかで、お祭か縁日かであるらしい。あんまり賑やかで、かえってきまりが悪いと思いながら米友は、その人混みの中へずんずんと入って行くと、その日にこの庭で「とみ」があったものです。
 米友には、まだ「富」の観念がよく定まっておらないながらに、札場ふだばの中へ入って、人の蔭になって様子をながめていたものです。
 世話人が箱の中から、きり本札もとふだを突き出して番号を読むと、みんなが持合せの影札を見比べて、当ったものは嬉しそうに、当らないものは、しおらしいかおをしています。当った番号は紙に書いて、向うの柱へ貼り並べられました。それが大変な人気ですから、札には利害関係のない米友も、つい面白くなって頻りに富札の景気を見ていました。
 面白がって見ているうちに、一の富七十三番の札が落ちました。おどり上って喜んだのは品川宿の建具屋の平吉という若い男で、この百両が平吉の手に落ちることにきまると、当人も嬉ぶし、誰も彼も羨ましそうに見えました。平さんは札とひきかえにその百両を受取って、いそいそとその場を出かけると、平吉を知っている人が、あぶないものだ、平さんにあれを持たしては帰りがあぶないと言って眉をひそめたのは、その幸運をそねんで言うものとは思われません。また帰りに泥棒や追剥おいはぎにつけられるという心配でもなく、それは、平さんという男の人柄を見てもわかることで、持ちつけない大金を持ったため、途中、出来心でどんなところへひっかかってしまうかわからない。それをあぶながっているものらしくあります。
 果せるかな、この平さんは百両の富が当った嬉しまぎれに、友達を無暗に引っぱって角の店へ上って、景気よく一杯やり出しました。
 これは平さんがあまりよろしくないのです。こういう時は、何を置いてもいったん自宅へ帰って、女房の前へその百両を見せて喜ばせた上に、近所の者を呼んで一杯やるということにしなければ本当ではないのだが、嬉しい時は、なかなかそうは思慮が廻らないもので、ついここで百両の封を切って散財することになりました。
 そうすると、みんなしてこの平さんをチヤホヤした上に、店の女中を初め、見知らぬお客までが、その当り運にあやかりたいというわけで、一杯いただきたがるものだから、平さんは断わりきれないで、つい、うかうかと呑んでいるうちに、腹のしまりがつかなくなりました。どのみち、あてにしない金であるところへ、こうして福の神の生れ代りみたように、あがめ奉られては、平さんに限らずたがのゆるむのは仕方のないことです。
 ちょうど、この時に、五六騎くつわを並べて通りかかった侍の遠乗りがあったために大事が持ち上りました。いずれもしかるべき身分でもあり、年配でもあって、軽からぬ役目をつとめているものらしい人品です。わざと多くのともをつれないで、微行しのびていの遠乗りであったが、そのうちの一人が、たくましい下郎に槍を立てさせていました。
 その槍は九尺柄の十文字であります。それがちょうど、この店の下へ通りかかった時に、運悪く二階の上からクルクルと舞い下って、この十文字の槍のさやにひっかかったのが、鎖紐くさりひもの煙草入であります。根付ねつけかますとが、十文字の鞘で支えられたのだから、ちょうどいいあんばいにひっかかったのではあったけれども、それが大事の槍であったから、槍持のやっこかっとしました。槍持の奴とかおを見合せた馬上の侍は、むっとして言わん方なき不快の色を示して通り過ぎたけれど、この槍持奴だけは、根の生えたようにそこへ突立って動きません。
 仁王立ちに突立った槍持奴は、槍の鞘にひっかかった煙草入を取ろうともしないで、そのまま大地に突き立てて、頭から湯気を立ててこの家の二階をにらみ上げています。
 さしも騒がしかったこの店が、その時に水を打ったように静かになりました。店の者が一人も残らず面の色を青くしました。往来の人も歩みをとどめてしまいました。
 そこへ店の中から転り出したのが例の平さんでありました。実は平さん自身が飛び出さない方がよかったのだけれども、この男は正直者でもあり、あわて者でもあったから、店の者から何か言われると、慌ててここへ飛び出して来たものです。
 そうして槍持奴の前へ土下座をきって申しわけをすると、槍持奴はかみなりの割れるような声で、
「このかんぶくろはてめえのか」
 平吉は縮み上って、
「はいはい、手前のでございます」
「てめえのなら持って行け」
「はいはい」
「早く持って行け、何でえ、何で手なんぞを出しやがるんだい、この槍へ上って自分の手で取って行きやがれ」
 持って行けと言いながら、槍はそこへ突き立てたままです。
 この時に、前の五六騎づれの侍たちについていた仲間ちゅうげんたちが、ほとんど残らず取って返して、ズラリと平吉を取巻きました。
 人に揉まれて来た米友が、聞くともなしに聞いていると、事件の要領はこうです。
 百両の富に当った品川宿の平吉という建具屋が、嬉しまぎれに身近の人をんで、角の店の二階で飲んだ揚句あげく、連れの一人が、平さん大金持になった上は、こんな安っぽい煙草入はよしてしまいねえと言って、冗談にポンと往来へ抛り出す真似をしたのが、どうしたハズミか本気に手がすべって、二階から往来へ飛び出してしまいました。飛び出した煙草入が運悪く、通りかかった十文字の槍の鞘へからみついてしまいました。事件の要領はただそれだけです。事柄はただそれだけだけれど、煙草入のからみついた相手が悪かったから、全く始末のいけないことになってしまいました。
「いけねえ、いけねえ、平さんは鈴喜すずきの庭へ引張り込まれてしまった。あすこにはお歴々の方がお微行しのびで大勢休んでおいでなさるんだ、なんでもお奉行のお方や、与力の方で、いずれも飛ぶ鳥を落す御威勢のお方なんだそうだ。そのお槍へ平さんの煙草入がケチを附けてしまったものだから、納まりがつかねえ、なんでも平さんは、あのお槍でられちまうんだそうだ、あのお槍を持った殿様が、平さんを突き殺しておいて、あとで五人の殿様が試し斬りをなさるんだって言ってましたぜ。もう助かりません、何しろ、あっちが飛ぶ鳥を落すお歴々のお揃いだから、誰も口の出せるものがありゃしませんや、こればっかりはお庄屋様だって、不動院の御前ごぜんだって、後へ引いておしまいなさる。ああ平さんがかわいそうだ、平さんがかわいそうだ、こんなことだったら早く私たちが連れて帰りさえすればよかったんだが、ついここで飲み出したのが悪かった。平さん、友達甲斐がねえと恨んじゃいけねえよ、全く友達甲斐がねえんだから、恨まれても仕方がねえけれど、災難にしても、災難があんまり大き過ぎらあ。あれで皆さん、平さんには女房もあれば子供も二人まであるんですよ、おかみさんは今日の富を心待ちにして待っているんでございますよ、まさか百両の一番札が落ちようと思いませんが、もしいくらでも当りさえすれば、子供にああしてやろう、こうしてやろうなんて、出がけに算当さんとうを組んで笑いながら切火をきってくれたもんです。それがこんなことになったと言って、どうして私はおかみさんに合わすかおがありましょう、金さん、お前が附いてながら、早く連れて帰ってくれさえすればこんなことになりゃしないと言って、おかみさんに泣かれたら、わたしゃ何と言って言いわけをしましょう。私が友達甲斐がねえから平さんを、あんなことにしてしまった、皆さん、わたしゃ平さんに済まない、平さんのおかみさんに済まない、なんとかして下さいよう」
 こう言っておいおいと泣いているのは、同じ品川から平吉と一緒に連れ立って、今日の富へ来た友達の一人であります。多分、煙草入を手からすべらしたのがこの男でしょう。いい男が手放しで泣くのだが、この場合に限って同情の至りで、ほとんど貰い泣きをしたがるものばかりです。しかし、こう言って泣きつかれても今更、誰がどうしてやろうと言うこともできません。
 宇治山田の米友が、うなり出したのはこの時です。

 米友が鈴喜の家の裏手の竹藪たけやぶの中をうろついていたのは、それから間もないことでした。
 庄屋様に行っても、竜泉寺の住職をわずらわしても、おびのかなわないと言われるのを米友が、救い出そうとするつもりか知らん。
 例の不動尊の画像は刀でも差すように、腰へしっかとはさんで、藪の中にある大木へ攀上よじのぼりました。その大木の上から見下ろすと、鈴喜の家の庭から、開け放した間取りまでが手に取るようです。
 庭は思いの外ひっそりとしていたが、その一方の隅のかえでの木の下に、後ろ手にゆわかれているのは建具屋の平吉という人らしい。座敷の上には、お歴々の遠乗りの連中が食事の最中と見えて、誰も平吉を顧みる者がない。槍持のやっこの姿も見えなければ、仲間連中も一人としてその番をしている者はありません。ああして木の根へくくっておけば、あえて番人を附ける必要はなかろうけれど、うっかりしているのは、問題の十文字の九尺柄の槍です。あれほど大事な槍が、ここでは無雑作むぞうさにその楓の木へ、横の方から立てかけられてあるだけです。大木の上から事のていを一通り見下ろした米友は、その無雑作に立てかけられた十文字の九尺柄の槍を見ると、むらむらと悪戯心いたずらごころが起りました。
 問題の中心はあの男でなくて、あの槍であると思いました。それにからまった鎖紐の煙草入なぞは、もとより物の数ではないが、槍はたしかにあの連中のうちの表道具である。この場合、中へ飛び込んで、あの男を助けて来るのは容易なことではないが、あの槍を取り上げてしまうのは、さしたる難事ではないと気のついたのが、米友の悪戯心をそそったわけです。それをするには、ここから物置の屋根へ飛びうつって、母屋おもやひさしを渡り、そこに腹這はらばって手を延ばしさえすれば、楽々と槍を捲き上げることができる――と気がついてみると、それは面白い面白い、早く捲き上げて下さいと、槍の方で米友を手招ぎするように見え出したから堪りません。極めて身軽に米友は、大木の上から物置の屋根へ飛び下りてしまいました。
 飛び下りた途端に帯をゆすぶって、腰に差していた不動尊の画像を背中へ廻し、そのままズルズルと走って母屋の庇へ出ました。庭では牡鶏おんどりが一羽、小首をかしげて物珍しそうに、米友の挙動をながめているだけです。
 そこで米友は庇の上へ腹這いになって下をのぞいて見ると、食事をおわったお歴々の連中は、しきりに比翼塚ひよくづかの噂をしているらしい。ゆわかれている平吉はと見れば、死人のようになって、すすり泣きをしているのがかわいそうです。
 米友は右の手を差伸べると、楓に立てかけた槍をスルスルと引き上げました。同じ木の根に結かれていた平吉すらもそれを知らないくらいだから、誰あって感づいた者はありません。ただ、屋根の上を歩いていたブチ猫がこの体を見て、急に両足を揃え、背骨を高くして、威嚇いかくの姿勢を示したのが、米友を苦笑いさせただけのものでした。
 仕済しすましたりという面をして米友は、その槍を小脇にかい込むや、また以前の物置の上へ舞い戻って、そこから塀を伝わって、屋根の外へ出てしまいました。
 それからいくらも経たない後のこと、いざという時に、楓の木へ立てかけた槍がありません。槍持の奴は青くなり、誰にたずねても要領を得たのはない。平吉は打っても叩かれても知ろうはずがない。どうしても行方不明とあれば盗まれたのだ。盗まれたのは煙草入をからまれたよりは少し痛みが重い。ことに奉行であるか、与力であるか知らないが、そのお歴々が五六騎集まっている眼の前で盗まれたとすれば、いよいよ痛みが重い。
 こうして鈴喜すずきの家の内外では、槍の紛失から青くなって騒いでいる時分に、外から一つの報告がありました。
 不動の境内けいだいで、見慣れない小男が、しきりに十文字の槍をおもちゃにしているということです。槍をおもちゃにしているという報告は、穏かならぬ知らせです。鈴喜の家の内外を探しあぐねた連中が、ソレと言って我れ先に飛び出しました。
 これより先、槍をになった宇治山田の米友は、どういう了見か知らないが、不動の境内の人混みの中へ取って返しました。十文字の槍は肩にしているが、不動の画像は腰にたばさんでいます。
 いったい、この時分の米友の了見方というものは、米友自身にもよくわかりません。近来のことは世間にも、米友の周囲にも、あまり変兆へんちょうが多いから、この短気な正直者は精神に異状と言わないまでも、多少自暴気味やけぎみになっているかも知れません。槍を担ぎ出して、人目に触れない方角はいくらもあるのに、好んで人出の多い不動の境内へ取って返して、多くの人の注目に頓着せず、悠々と歩いて行くはあまりといえば非常識です。
「おーい、小僧待て!」
 かの槍持奴やりもちやっこをはじめ仲間ども、そのあとには鈴喜の家の主人雇人までがくっついて、ちょうど三仏堂の前まで来た時、その声を聞いて米友が、きっと後ろを振返りました。
 すわ、何事! と思ったのは、前から事のなりゆきを知っているものばかりではありません。
 待っていた! と言わぬばかりに宇治山田の米友は、九尺柄の十文字の槍を地に突き立て、三仏堂の前にわだかまりました。そのていを見ると、槍持の奴の癇癪かんしゃくが一時に破裂して、
「野郎、その槍はどこから持ってきた」
「鈴喜んちの庭から持って来た」
 米友はあえて驚かない。
「野郎、誰にことわって持って来た」
「屋根の上の猫と、庭にいた鶏にことわって持って来た」
「野郎、野郎」
 槍持の奴は、にぎりこぶしを両方から握り固めました。
「何が野郎だ」
 米友は短い両の足を、程よく踏張ふんばりました。
「よこしゃがれ」
 槍持の奴は、米友をけし飛ばそうとかかると、
「いやだい!」
 身体をこころもちらせて、かかって来た槍持を左の手で、ひょいと横の方へ突きました。そこで槍持の奴が、はずみを食ってもろくも右の方へゴロゴロと転がったから、見ているものが驚きました。
「おや」
 見ている者がかおの色を変えた時に、宇治山田の米友が地団駄を踏んで、
「ただはやれねえやい、この槍が欲しけりゃ、代りの品を持って来いやい」
 こう言って米友は、三仏堂の縁の前へ飛び上りました。
 驚くべきことには、その途端に十文字の槍のさやを払ってしまったものです。それはハズミで鞘が取れたのではなく、米友自身が心得て鞘を払った上に、当人がその鞘を丁寧に懐中ふところへ入れてしまったから、間違いという余地はありません。槍の中身は、さすがによく手入れが届いて明晃々めいこうこうたる長剣五寸横手四寸の業物わざものです。
 これは誰も気狂きちがいだと思いました。その気狂いが槍の鞘を払って、ともかくも寄らば突かんと構えたのだから、命知らずでも、これはうっかりと近寄れません。
 たとえハズミにしろ、槍持の奴を取って投げた今の早業からして見ると、かりそめに構えた槍の姿勢というものは、無茶に打ってかかるの隙が見出せないことが、不思議といえば不思議です。剣呑けんのんといえば剣呑です。
 宇治山田の米友がいま構えている姿勢というのは、心あってかなくてか、「大乱おおみだれ」という形になっていました。これは多数の太刀たちを相手に応対する時、十文字槍の人が好んで用ゆる姿勢で、槍を中取ちゅうどりに持つのを米友は、もう少し突きつめているだけが違います。この姿勢で充分に使わせると、左右をぎ立てることができます。近寄るのを追払って寄せつけないことができます。また薙刀なぎなたをつかうと同じように使って、敵を左右へ刎退はねのけ、突きのけることもできます。面と、腕と、膝との三段を、透間すきまもなく責め立てて敵を悩ますこともできます。太刀を取って向って来るものを上段に突き出して、脇架わきかに大きく引き取ることも自在です。米友は心あって宝蔵院流の大乱れの型を用いているのではなかろうけれど、その構えがおのずからそうなっていることは争えません。争えない証拠には、タジタジと後ろへさがる者はあっても、米友の槍先に向って行こうとする者がないのであります。
 米友が大乱れに取っていることが、米友自らの気取りでないくらいだから、立っている者もまた、本式にそれを受取ることのできないのは勿論もちろんです。ただ精悍無比せいかんむひ……というよりは無茶なその挙動が、すべての人の荒胆あらぎもをひしぎました。気狂いの刃物には、うっかり近寄らないがいいという聡明さが、タジタジと、さすがの命知らずをも後しざりさせたものと見えます。
 実際また竜之助に離れて以来、不動の夢を見つづけに見てからの米友というものは、気狂いにこそならないけれども、その心理作用に異常なあせりがありました。建具屋の平吉なるものの災難を聞いたところで、一種の義憤を含む例の短気がむらむらときざしたことは、この男としてはむしろ可愛いところであって、いつもいつもそれがために得をしてはいない。その度毎に命の綱渡りのようなことばかりしているのだが、幸いに、危ないところで一命だけはとりとめているのだが、それにしても今日のはあまりに無茶です。
 もし、取巻いている奴等が突っかかって来たら、縦横無尽に突き立てるつもりか知らん。いつか甲州道中の鶴川で、川越し人足を相手にやった二の舞を、そこでもやり出すつもりか知らん。あの時は幸いに、駒井能登守という思いがけない仲裁人が出て来て、頭を坊主にされて納まったけれども、今日はあの伝ではゆくまい。能登守のような物のわかった、押しの利く仲裁人が滅多に出て来ようとも思われないのに、もし一人でも負傷させたということになると、今度は甲州の山の中の川越し人足とは相手が違って、非常な面倒なものになる。その上に、またいくら米友があばれてみたところで、かえでの木にゆわいつけられている建具屋の平吉がゆるさるべきものでもなく、かえって米友が荒れれば荒れるほど、平吉の罪も重くなるというものでしょう。それですから、ここで米友がりきみ出したのは全く無茶です。義憤としては意味をなすかも知れないが、義侠の振舞としては全然事壊ことこわしであります。
「みんな聞いてくれ、おいらは品川宿の平吉なんて人は知ってやしねえんだ、煙草入が引っかかったのも、おいらの知ったことじゃねえや、ただ、あんまり癪にさわるから、時候のかげんで、この槍を持ち出したくなったんだ、鎌宝蔵院の九尺柄の使いごろの槍だから、虫のいどころで、今日は思う存分に使ってみたくなったんだ、使ってしまったら返してやるから、それまでおいらに貸してくれ」
 そう言ってクルクルとさせた眼中が、気のせいか、今日は殺気を帯びているようです。
 ややあって宇治山田の米友は、九尺柄の十文字の槍を、宙天高くハネ上げました。下まで落ちて来る間に手拍子をちょうと一つ打って、その手で受け止めると、右の手で水返しのあたりをつかんで、十文字を外輪そとわにして、自分の身体を心棒に、独楽こまのようにブン廻しをはじめました。これは鎌宝蔵院流七十三手のうちには無い手です。かりに積ってみると槍が九尺、米友の手の長さが一尺五寸として、直径二丈一尺の大独楽が廻りはじめたものです。しかもその独楽の外輪は鎌になっているのだから、当れば肉も骨も切れてしまいます。
 見ている者がきもを冷して遠退いたのは無理もありません。縁日で歯磨を売る香具師やしが、その前芸をやるために、あまり見物を近くへ寄せまいとして地面へ筋を引いて廻るのを、ここでは鞘を払った真槍しんそうで、無雑作にブン廻しをはじめたのだから、その乱暴さ加減は格別です。
 こうして見物を程よく追払っておいた米友は、一方の角から一方の角へ向けて、真一文字に走り出しました。
 これには見物は驚かされたが、その走り方が尋常ではありません。さながら鳥が両翼をひろげて、低く飛んで行くような走り方です。眼前にかなり広い沼があって、その沼の上を一文字に飛んではいるが、岸に着くと、はたと翼を納めてやすらわんとする気合の飛び方でありました。これはまさしく鎌宝蔵院でいう「飛乱ひらん」の型であります。
 一方の見物が、あっ! と飛び退いた時には、宇治山田の米友はクルリと背を向けて、また前の方角へ真一文字に走り出しました。前には中空を飛ぶ鳥のような姿勢であったが、今度は形を下段げだんに沈めて、槍を一尺ほどにつめて走るのが、さながら猛獣の進むが如き勢いであります。
 それで一方の見物がまた、はっと飛び散ったけれども米友は、素早く身を返して元のところに突立って槍を中取りに持ち、前へ突き出しかたと思うと、柄を返してはったと物を打つような形をしました。左から打ち込み、右から打ち込み、さながら棒と槍とを併せて使うように、九尺の十文字を両様に使いました。
 それが終ると、十文字の長剣だけは遊ばせて、横手の鎌だけをヒラリヒラリと胡蝶こちょうのように舞わしています。十文字を逆手さかてに持って、上から突き伏せる形をしてみるのかと思えば、躍り上って空飛ぶ鳥を打って落すように変化しました。穂先を三様に使い分け、槍の柄を二様に使い分けるのみならず、石突を返して無二無三に突いて引くかと見れば、飛び違いざまに敵の小手へ引鎌ひきがまをかけて滝落しの形がきまります。
 こうして宇治山田の米友は、たった一人で無茶苦茶に十文字の九尺柄をおもちゃにしています。おもちゃにしているわけではないが、見物の者にはそうとしか見えないのであります。しかし、そのおもちゃの扱いぶりの熟練と軽妙とを極めたさばきは、無心で見ている見物をも酔わせるほどの働きでありました。
 自棄やけにしても気狂きちがいにしても、これは面白い観物みものだと思わないわけにはゆきません。たしかに面白いには面白いが、あぶないこともまたあぶない。だからうっかり、いよいよ近寄ることはできません。怒気紛々として掴みかかろうとしている下郎たちも、どうにもこうにも米友に近寄る隙さえ見出すことができません。ひとりで無茶苦茶に使っている槍が傍へ寄れば、きっと物を言うにちがいない。物を言えば必ず田楽刺でんがくざしに刺されてしまいそうである。思いがけない気狂いだと思いました。誰もまだ、ほんとうに米友が槍を心得ているのだと気のついたものはありません。自棄に振り廻している槍の間から、本格と変則とが米友流に随処にころがり出すその妙処を、見て取ってくれる人のないのが気の毒です。気の毒であるのみならず、この時に、どこからともなく泥草鞋どろわらじが片一方、米友の面上を望んで降って来ました。その泥草鞋は身を沈めて避けたけれども、それを合図に石や、木や、竹切れが、雨霰あめあられと降って来ました。
 それと見るや米友は横っ飛びに飛んで、三仏堂の縁の上へ飛び上ったかと思うと、扉を押して堂の中へ身を隠し、素早く中から扉を閉してかんぬきを締めました。
 そこで、かの槍持奴をはじめ、仲間どもは扉の前まで押寄せたけれども、さて、それを踏み破って、一歩を堂の中へ踏み入れようということには、躊躇ちゅうちょしなければなりません。踏み込んだが最後、中に待ち構えた気狂いのために、田楽刺しにされることは請合いと思わなければなりません。そのほかの群集はいたずらに三仏堂のまわりを取巻いて、わいわいさわいでいるばかりです。
 ややあって、高い欄間らんまの間からかおを現わした宇治山田の米友が、群集を見下ろしてこう言いました。
「おいらは宇治山田の米友といって、生れは伊勢の国の拝田村の者だが、わけがあって江戸へ出て来たには出て来たが、江戸に来ても根っから詰まらねえや、時候のせいかこのごろは、気がいらいらしてたまらねえ、右を向いても、左を向いても、しゃくにさわる世の中だ、いったい、おいらのような人間は、見るもの、聞くものが癪にさわるように出来てるんだと、このごろつくづくそう思った、だから、死んでしまった方がいいんだろう、命なんぞは惜しかあねえや、この世の中に未練なんぞはありゃしねえんだ、おいらは気が短けえから、いやになると自分の命までがいやになってたまらねえ、親兄弟があるわけじゃなし、女房子供があるわけでもねえから、どうでもなる命だ、命のもてあましだ、そうかと言って、川へ飛んだり、首をくくったりするのも気がかねえからな、ちょうどいいところだ、あの建具屋の若いのに身代りになってやろうと思って、こんな悪戯いたずらをやり出したんだ、どうだい、あの若いのにはおかみさんもあれば、子供もあるという話だから、おいらは今いう通り、そんな厄介者は一人もねえ命のもてあまし者なんだから、身代りにしてくれねえか、つまり、あの建具屋の縄を解いてやって、その代りに、おいらをふん縛ってくれ、あの若いのを助けてやってくれさえすりゃあ、素直すなおにこの槍を返してやるよ、それが承知ができなけりゃ、当分このお堂の中でおこもりだ、無茶に踏み込んで来る奴がありゃ、この十文字でいちいちドテッ腹へ穴をあけて、冥途めいどへ道連れにしてやるまでのことだよ、断わっておくが、こう見えても、おいらは槍だけは一人前につかえるんだぜ、見る人が見たらわかるんだろうが、おいらの槍は天然自然に会得えとくしているんだぜ、それに木下流の磨きをかけているんだぜ、槍は身に応じたもので、おいらの身体では二間三間の槍はがらに合わねえ、九尺の十文字でさえ、ちっとばかり長過ぎるんだが、どうやらこれなら使えねえことはなかろう、本気にこの槍で、おいらがあばれ出した日には、死人、怪我人が山ほど出来るぜ、危ねえもんだが、おいらはそれをやらねえ、おとなしくこのお堂の中へ隠れているから、誰か確かな人を証人に、あの建具屋の若いのを、おいらの眼の前で許してやってくれ、そうすれば、この槍はちゃんと返してやった上に、おいらが身代りになって、牢ん中へブチ込まれようとも、見ているところで首をちょんぎられようとも不足は言わねえ、誰でもいいから話のわかる人を出して、しっかりと挨拶をしてくれ、それからついでに、お握飯むすび沢庵たくあんをつけて三つ四つ差入れてもらいてえ」
 聞いている者がその言い分の不敵なのにあきれ返りました。呆れ返りながらも、聞いてみると幾分の道理がないでもない。ことに最後に握飯むすびを差入れろということは、かなり虫のいい注文だと思いました。しかし腹が減っているだろうから、それも無理のない注文だと同情する者もありました。
 この事件はついに、泰叡山たいえいざん方丈ほうじょうを煩わして、解決をつけることになったのは幸いです。
 槍の主も、こうなっては事を好まないらしい。米友の言うような条件で、建具屋の平吉を許してやる代りに、米友が縛られることになりました。その証人は泰叡山の方丈です。十文字の槍は元の主へかえって、米友は縄をかけられて、名主の家へ預けられました。
 それでこの事件の当座の解決は出来たが、後難があるといえばその後難は、一に米友の身にかかって来るはずです。けれども、それは泰叡山の取扱いでどうにかなることでしょう。

         二

「ナニ、水戸の山崎? 山崎がここへやって来たのか」
 さすがの南条力も、何かあきがおでありました。
「さきから、お屋敷の前を行ったり来たりしておいでになりました」
「そうか、訪ねて来たものを会わないわけにもいくまい、ここへ案内してくれ給え」
 案内に立ったお松は、再び玄関へ取って返そうとすると、南条はお松を呼び留めて、
「お松どの、ちょっと待ってくれ、その山崎という男は、直接じかに拙者の名を言って尋ねて来たか、それとも、最初にほかの者の名を言うて訪ねて来たのではないか」
「いいえ、ほかにはどなた様のお名前もおっしゃりはなさいません、南条様にお目にかかりたいと申しました」
「そうか、それならばよろしい、間違っても宇津木兵馬を訪ねて来たと言いはしまいな」
「左様なことはおっしゃいません」
「ま、もう少し待ってくれ、いま訪ねて来たその山崎譲という男はな、宇津木兵馬に会わせてはならない人だ、兵馬がこの家にいるということを知らせても悪い人だ、先方がなんと言っても兵馬の名を出してはいけないぜ。それから、兵馬の部屋をよく始末して、山崎に中を見られないようにしておかなくてはいかん、この後とても、その辺はよく心得ておいてくれ給えよ」
 南条は立って行くお松を、わざわざ呼び留めて、これだけの注意を与えました。
 やがて案内を受けた山崎は、南条の部屋へ入ると、
「いつぞやは失礼」
と言って挨拶しました。
「その節は失礼」
 南条もまた同じようなことを言って、礼を返しました。
 してみればこの二人は、もう既にどこかで初対面が済んでいるものと見えます。多分、中仙道筋から相前後して、甲府の城下へ入ってから後、あの辺で相見るの機会があったものと見なければなりません。
「南条殿はいつごろ、こちらへおいでになりましたな」
「左様、あれからまもなく、こっちへやって参りましたよ」
「ははあ、左様でござるか」
「して山崎君、君は」
「拙者は、つい、この二三日前に出て来ました」
「左様でござるか。して、当分はこちらにおいでか、或いはまた甲州筋へお立帰りなさるかな」
「早速、甲府へ帰り、それからまた上方かみがたへ出かけるつもりであったが、江戸へ来て見ると、江戸にも存外、いたずら者が多いから、当分は帰らぬことになりましたわい」
「ハハハ、どこへ行っても当節は、いたずら者が多くて困りますな」
「仰せの通り。上方のいたずら者は禁廷のお庭の前でいたずらをする、江戸のいたずら者は将軍の膝元をつついてふざける、なかにはものずきなのがあって、拙者如きの首まで欲しがる奴があるから、全くやりきれたものではない」
 山崎はこう言って自分の首筋を撫でて見せると、南条は抜からぬかおをして、
「実際、あぶないものさねえ」
と言いました。
「あぶないことこの上なし、今の江戸は将軍家がお留守で、お膝元の警備がゆるんでいるところにつけ込んで、たちのよくないいたずら者がウヨウヨしている」
「それとても、たかの知れた浮浪人の仕業しわざゆえに、大したことは、ようせまい」
「ところが、事体じたいは意外に重大で、浮浪人の後ろには、容易ならぬ巨根おおねが張っている、その根を断つにあらざれば葉は枯れない。どうです南条君、その巨根をひとつ掘り返してみたいものだが、手を貸して下さるまいか」
「拙者共でお役に立つならば、ずいぶんお手助けを致すまいものでもないが、いったい、その巨根というのは何者だ」
「それは三田の四国町あたりに巣を食っている」
「なるほど」
「つまり、いたずら者の本家本元は薩摩だ、薩摩というやつは実に不埒千万ふらちせんばんなやつだ、その薩摩を取って押えて、ふかしたり、焼いたりしてしまいたいものだ」
「なるほど」
 南条はなるほどと言って、妙な笑い方をしました。
「薩摩を掘り返して、ふかしたり、焼いたりして食ってしまわなければ、江戸の市中はしずまらん」
 山崎が、今にもふかしたてのいもを食ってしまいそうなことを言うと、南条は皮肉な面をして、
「しかし、七十万石の薩摩薯だから、ふかしても、焼いても、かなり食いでがあるなあ。第一、ずいぶんあっちこっちへつるが張っているだろうから、掘り返すだけでもなかなか骨の折れる仕事じゃ」
「我々の仕業は、ただ蔓を手繰たぐってみりゃいいのだ、手繰ってみると、思いがけないところへその蔓が張っているから妙だ、本所の相生町あたりまで、その薯蔓が伸びているからなあ」
 山崎は胡坐あぐらをかき直して、煙草盆をつるし上げ、鼻の先まで持って来ました。
 そこで話が少し途切れているところへ、廊下を渡って来る人の足音がありました。南条の居間の前で、その足音が止まると、
「南条殿、おいででござりますか」
 障子をさっと押開いたものです。
「あ……」
 それで南条も、ややあわてました。障子を押開いた人も面食って、入りもやらず、さりとて立去りもならず、
「お客来きゃくらいでしたか、失礼」
 その人はぜひなく障子を締め直して立去ろうとしたが、そのお客とかおを見合せないわけにはゆきません。
「おお……」
 その声と共に障子をたてきって、さながら、見るべからざるものを見たように、あわただしくその場を辞して行きました。ここに来合せたのは不幸にして宇津木兵馬であります。山崎譲は南条に向って、
「南条殿、今のは貴殿のお知合いか」
「うむ、知っている」
 この時の南条の返答ぶりを聞いて山崎は、
「南条君、君、少年をそそのかしちゃいけないぜ」
 こう言って、すこぶる冷淡に構えました。
「そりゃどういう意味じゃ」
 南条もそらとぼけているようです。山崎は莞爾にっこりと笑いました。
「いったい、九州の人間は、婦人よりも少年を愛する癖がある、君もまた九州人だろう」
「以ての外、拙者が九州人でない証拠は、拙者のおんを聞いたらわかるだろう、婦人や少年のことはあずかり知らんことじゃ」
「ははあ」
 山崎は、なおひとしお思案のていで、南条の弁解をうっかりと聞き流していたが、また煙草盆を鼻の先へつるし上げて、煙草の火をつけました。こごんで煙草盆の火をつけないで、火をつけるたびに煙草盆の方を鼻の先までつるし上げるのがこの男の癖と見えます。
 南条が何かしら躍起のていに見えるのに、山崎はかえって冷淡に落着いて、煙草を一ぷく吹かしてから、
「それはどうでもよろしいことだが、南条殿、今のあの少年は、ちょっとみどころのありそうな少年でござるな」
「山崎君、みどころがあるかないか、君には一見して、そんなことがわかるのか」
「わかる」
と言いながら山崎譲は吹殻をハタくと、またしても煙草盆を持って鼻の先へつるし上げました。
 南条力は横の方を向いて、壁にかけた山水画をながめながめ、しきりに頬ひげを撫でている。山崎は煙草吸いだが、南条は煙草をのまない。
「というのは……」
 山崎は煙草を一ぷくしてから、お茶を取って飲みました。
 こうして、また二人が奥歯に物のはさまったような会談ぶりをつづけようとする時分に、廊下を逃げるように立去った宇津木兵馬は、お松の部屋の前に来て立っています。ここへ立寄るつもりで来たのではないが、ここへ来なければならないようになったらしい。
 相生町の老女の家を辞して出でた山崎譲は、両国橋を渡りながら腕を組んで、独合点ひとりがてんをして相生町の方を振返りました。
「ははあ、万事読めたわい、南条の奴が、宇津木兵馬をそそのかしてやらせたんだ、道理で小腕ながら、やにっこい斬り方ではないと思った。しかし、宇津木があすこにいたということも意外だが、あの先生が南条に頼まれたからとて、余人ならぬ拙者に斬ってかかるというのはわからない、宇津木もおれも、壬生みぶにいては一つ釜の飯を食った仲じゃないか、それに何を間違っておれにやいばを向けるのだろう、わからんな。ことによってあの先生、南条あたりに説かれて、我々に裏切りをするつもりでやったとすれば憎むべしだ、生意気な奴だ、打捨うっちゃってはおけないが、我々を敵とするほどに恨みのあるはずはないし、また敵にすれば損のいくことはわかっている、どういうつもりだろう、ひとつ会って詰問してやろうか、返答次第によっては不憫ふびんながらそのままでは置けん。しかし、あいつの腕は惜しい。むしろ、これは裏をいて、こっちがあれを逆に利用して、あの一味の動静を探らせてみようか。それがよかろう。まあ、しかし、この辺まで当りがつけば仕事は面白くなる」
 山崎はこう言って、ほほ笑みをしながら、両国橋を歩いて行きました。
 山崎は、江戸を騒がす総ての巨根おおねが薩摩に存することをよく知っております。この南条や五十嵐らは薩摩の者ではないが、薩摩とは密接の脈絡を保って、何か関東において事を起そうとしている野心のほども、よく見抜いていました。甲府城乗取りの陰謀は、これがために一頓挫して、南条らは一時、気を抜くために江戸へ退散したことも、山崎は最初から知っていました。
 江戸へ出て来ては、片手間に彼等の行先をつきとめてやろうと、半ばは好奇心でやって来たのが、大木戸の事件以来、こいつは一番、真剣で突っ込まなくてはならないと思いました。
 それでこの数日間、得意の炯眼けいがんを光らして見ると、つきとめたのが本所の相生町の老女の家です。南条や五十嵐がこの家に出入りしていること、時としてそこを住居として逗留していることを知るのは、山崎の手腕ではたいした難事ではありませんでした。
 それで、あらまし老女の家の内外の形勢の予備知識を得ておいてから、その内状をあばきにかかるべく、いかなる手段を取ろうかと考えたが、これはへたなことをするよりは、いきなり南条にぶっつかって、その度胆どぎもを抜いてやるのが面白かろうと、結局、こうして今日、押しかけてみたわけです。押しかけてみると南条以外に珍らしい獲物えものがありました。しかしながら、南条も宇津木も、それはまだ末で、例の巨根はそこからつるを張っている薩州屋敷にある。将軍不在に乗じて、江戸を騒がすことの根源はそこにある、ということのみきわめが大事であります。
 山崎はそれを考えながら、両国の見世物小屋のある方へと知らず知らず足を引かれて来ました。
 ところが、そのなかのひときわ大きな見世物小屋に「江戸の花 女軽業」の看板が掛っています。その看板の文字を山崎が眺めていると、筆蹟に見覚えがある。見世物小屋などに掲げるには惜しいほどの字だと思いました。
「そうだ、神尾の字に似ているな、甲府詰めになった神尾主膳の筆によく似ているが、いかに落ちぶれたとて、まさか神尾が看板書きにもなるまい。あの男は、今どこに何をしているかなあ」
 山崎はこう思って看板を見ていると、その次に白い布を長く垂れて、全く変った筆で、「清澄の茂太郎事病気の為、向う三日間相休み申候」としたためてありました。
 山崎がその小屋の前を通り過ぎると、後ろから肩を叩く者があります。
「山崎先生」
「おお、七兵衛か」
 振返って見ると、自分と同じようなよそおいをした七兵衛でありました。
「相生町へおいでになりましたか」
「うん、相生町へ乗り込んで見たところだが、お前はどこにいた」
「私は、この女軽業の親方というのを知っております故、ちょっと立寄って参りました。して、相生町の方の御首尾はいかがでございます」
「なかなか面白かった」
「これから、どちらへおいでになります」
「そうさな、お前と会って相談をしてみたいこともあるんだが……」
「それでは、この女軽業の小屋の中へおいでになりませんか、今も申し上げる通り、この小屋の親方というのが至極別懇べっこんなんでございますから、楽屋で休みながら、お話を伺おうではございませんか」
「なるほど、それもよかろう」
 いったん通り過ぎた女軽業の小屋の前へ、二人は立戻って来て、
「七兵衛、一体こりゃ何だ、この清澄の茂太郎というのは」
「これについては、一通りの魂胆こんたんがあるんでございます。清澄の茂太郎というのは、房州から仕込んで来たこの小屋の呼び物で、ずいぶん客を呼んでいたものですが、このごろ、その呼び物が逃げ出してしまったんですな。逃げた顛末てんまつは、私がよく存じておりますが、女同士の鞘当さやあてというところがおかしいんで、両方でイガミ合っているうちに、肝腎の当人が、行方知れずになってしまったんでございますよ。当人の茂太郎というのが、二人の女を出し抜いて、近所の馬を引張り出して、どこへ行ってしまったか、いまだに行方がわかりません。何しろ呼び物でございますから、こんなことをして三日の申しわけをしておくんでございます」
 七兵衛は山崎を案内して、路次から楽屋の方へ廻りました。お角は留守でしたけれど、女どもが取持ちをします。
 二人はそこで一杯やりながら、
「さて、七兵衛、これからまた一つ、お前の手を借りたい仕事が出来たのだ、それはほかではない、芝の三田の、俗に四国町というところをお前は知っているか」
「エエ、存じておりますとも、赤羽根橋を渡れば真直ぐに行ったところ、金杉橋を渡ると右へ曲ったところが、それでございましょう。あの辺には薩摩と、阿波と、有馬と、伊予の四カ国のお大名のお邸があるから、それで俗に四国町と申すことまで、ちゃあんと存じておりますよ」
「それだ、その四国町のうちでもいちばん大きな、薩摩の屋敷をお前は知ってるだろうな」
「それもよく存じておりますよ、あのお屋敷の前を俗に御守殿前ごしゅでんまえと申しましてね、門は黒塗りの立派なものでございます、屋根は銅葺の破風作はふづくりで、鬼瓦の代りに撞木しゅもくのようなものが置いてございます、正面三カ所にくつわの紋がありますから、誰が見たって、これが薩州鹿児島で七十七万石の島津のお屋敷だとわかります」
「なるほど」
 そこで山崎譲は懐中から紙入を取り出して、拡げたのは美濃紙大の一枚の絵図面でありました。
「これがその薩摩屋敷だ」
 今更のようにその図面を、しげしげとながめます。
「その薩摩のお屋敷が、どうかなすったのですか」
 七兵衛も傍からのぞき込みました。
「お前も知ってるだろう、近頃、江戸の市中を騒がす悪い奴は、大抵ここから出ているのだ」
「なるほど」
「ところで、この薩摩屋敷の中の模様を、すっかり調べ上げてみたいのだが、どうだ、お前によい知恵はないか」
「左様でございますなあ……あのお屋敷が物騒だということは、今に始まったことじゃございませんなあ、大分、眼をつけておいでなさる方がございましたはずですよ。お隣が阿波の屋敷でございましょう、その阿波様の屋敷の火の見櫓の上から、薩州のお屋敷の模様を、こっそりと探っておいでになったお方もありましたっけ」
「おや、どうしてお前は、そんなことまで知っている」
「ちょっとした通りがかりの節に、そんな噂をお聞き申しました。上の山藩の金子とおっしゃるお方なぞは、あれから薩摩の屋敷の中をのぞいて見ては、しきりに絵図を引いておいでになったことがあるそうでございますけれど、本当ですか、嘘ですか」
「ナニ、上の山藩の金子? それでは上の山の金子与三郎のことだろう、あの男ならば、やりそうなことだ」
「それでなんですか、山崎先生、あなたも、あの薩摩のお屋敷の様子を、くわしくお調べになりたいのですか」
「そうだ、それについてお前の知恵を借りたいものだが、何とかしてあの屋敷の中へ入ってみる手段はないものかな」
 こう言われて七兵衛は、とっくりと考えてみる気になりました。暫く考えていたが、やがて仔細らしく、
「先生が、あの屋敷へ入り込むというのは容易なことじゃござんすまい、私も少々勝手の悪いことがございますのです、ここに一つ思い浮んだのは、ほかじゃございません、甲州の山の中から出て来た勝っ気で勘定高い小倅こせがれが一人、あの近所に住んでいるんでございます、こいつが田作ごまめの歯ぎしりで、ヒドク薩州のおさむらいを恨んでいるんですから、あいつをつっついて、当らしてみたらどうかと思うんでございます……慾こそ深いが、目から鼻へ抜けるような小倅でございますから、つかいようによっては、ずいぶんお役に立ちましょう」
 話半ばのところへ、お角が帰って来ました。
「七兵衛さん、お待たせ申しました」
「どうでした、子供は見つかりましたかね」
「いいえ、見つかりません。何しろ、動物いきものの言葉がよくわかる子供ですから、動物に好かれて仕方がありません、蛇でも鳥でも、あの子を見ると、みんな友達気取りになって傍へ寄って来るし、当人もまた動物が大好きなんですから、あぶなくて仕方がありません、とうとうつないでおいた馬を引張ってどこかへ行ってしまいました」
 お角はこう言っているうちにもじれったそうに、
「この間、千住の方から来た人の話に、下総の小金ケ原に近いところで、たった一人の子供が裸馬に乗ったり、馬から下りて手綱たづなを引っぱったりして、遊びながら東の方へ歩いて行ったのを見た者があるといいましたから、それではないかと思います。それで、今日は、これから小金ケ原まで人をやってみようかと思っているところでした」
「なるほど」
「ですけれども、それは月夜の晩のことで、それを見た人も遠目のことですから、茂太郎だか、どうだか、わかったものじゃありません、土地のお百姓の草刈子供やなにかであったりしちゃあ、ばかばかしいと思いますけれど、それでも諦めのためですから」
 お角は、ただ茂太郎に逃げられたということのほかに、負けぬ気の業腹ごうはらがあるようです。けれども、ここでは別段に、お絹のことも恨んでもいないようです。お絹が連れて行ったはずの茂太郎は、七兵衛の知恵で、伯耆の安綱と交換して、無事に取返したものと見えます。今度、その少年が馬を連れて逃げ出したというのは、それから後の事件で、お絹はまるっきりこの事件にはかかわっていないようです。もし、お絹があのままで、いまだに茂太郎を誘拐して返さないようなことがあれば、それこそお角だって、これだけのれ方でいられようはずはない。お絹もまた、命がけで、そんないたずらを試みるほどに目先が見えないはずはありません。
 あれはあれで解決がついて、別に、清澄の茂太郎は感ずるところあって、月明に乗じ、れた馬をひきつれて、この見世物小屋を立去ったものと見えます。

         三

 三田の薩州邸の附近の、越後屋という店に奉公していた忠作が、その家を辞して、もっぱら薩州邸内の模様を探りにかかったのは、それから間もない時のことであります。
 いろいろに変装した忠作の身体からだが、薩州邸を中心に三田のあたりに出没していましたが、ある日、越後屋へ立寄って中庭を通りかかると、一室のうちで声高に話をしているさむらいの言葉を聞きました。そのさむらいは何者であるか一向わからないが、酒を飲みつつ威勢のよい話をしているうちに、薩摩ということが折々出るから、そこで何となく聞捨てにならなくなって――
「左様、なんと言っても薩摩で第一の人物は西郷吉之助だろう、西郷につづく者は……西郷につづく者は、ちょっと誰だか見当がつかない」
「西郷はエライには違いない。土佐の坂本竜馬が、西郷の度量はかるべからず、これを叩くこと大なれば、おのずから大に、これを叩くこと小なれば、おのずから小なり、と言って舌を捲いているところを見ると、かなりの人物であることがわかる。中岡慎太郎の手紙でも、この人学識あり、胆略あり、常に寡言かげんにして、最も思慮雄断に長じ、たまたま一言を出せば確然人腸じんちょうを貫く、且つ徳高くして人を服し、しばしば艱難を経てすこぶる事に老練と、め立てているところを見ても、かなりの大豪傑であろうと思われるが、しかし、薩摩において西郷ばかりが人物ではあるまい、小松帯刀たてわきや大久保一蔵は、西郷に優るとも劣ることなき豪傑だという評判じゃ」
「そりゃあ西郷以外にも豪傑がなかろうはずはない、まず殿様の斉彬せいひんが非凡の人物でなければ西郷を引立てることができようはずがない、知恵と手腕においては小松帯刀や大久保市蔵が西郷に優るとも、徳の一点に至っては、梯子をかけても及ぶまい、人物が大きくって徳がある、英雄こうべをめぐらせばすなわち神仙しんせんである、西郷は乱世には英雄になれる、頭の振りよう一つでは聖人にも仙人にもなれるところが豪傑中の豪傑だ、おそらく、薩州だけではなく、今の日本をひっくるめて第一等の大人物だろうと考えられる」
「エラク西郷に惚れ込んだものだな。ところで、その徳というものが問題になるのだ、聖人君子の徳というものは、ほどこして求むるところなきもので、その徳天地に等しという広大無辺なものになるものだが、英雄豪傑の徳というものは、一種の人心収攬術じんしんしゅうらんじゅつに過ぎんのだからな。西郷のその徳というのも要するに、薩摩一国に限られた徳で、大きいと言ったところで、たいてい底もあれば裏もあるものだから、このごろ、江戸の市中へ壮士を入れて、いたずらをさせているのも、一に西郷の方寸に出でるとのことではないか。あの男がこうして傾きかかった徳川の腹を立たせようとする策略は、なかなか腹黒いものだ。西郷にしたところで、徳川が倒れたら、そのあとを島津に継がせたかろうさ。長州は長州で、またこの次の征夷大将軍は毛利から出さねばならぬと思っているだろう。みんな相当の芝居気しばいっけを持っていない奴はなかろう。しかし、このごろの薩摩屋敷が江戸の町家を荒すのは、芝居の筋書が少し乱暴すぎる」
「ありゃあ、西郷がやっているのではない、益満ますみつがやっているのだ」
「益満というのはなにものだ」
「人によっては、西郷につづく薩摩での人物だと言っている。益満が采配さいはいふるって、ああして江戸の市中を騒がしているのだから、まだまだ面白い芝居が見られるだろう」
 立聞きをしていた忠作は、この言葉を聞いていたく興味に打たれました。それでは薩摩屋敷のあばものの采配を振っているのは益満という男か、その益満という男は、どんな男であろうと、忠作は益満という名を、しっかりと頭の中へ刻みつけました。
 そこを出てから忠作は、薩摩屋敷のまわりを一廻りして、芝浜へ向いた用心門のところまで来かかると、ちょうど門内から、忠作よりは二つも三つも年上であろうと思われる少年が出て来ました。少年に似合わず、少しく酒気を帯びているようであります。
 一目見ただけで忠作は、たしかに見覚えのある若ざむらいだと思いました。深く記憶を繰り返してみるまでもなく、目から鼻へ抜けるこの少年の頭には、甲斐の徳間入とくまいりの川の中で砂金をすくっていた時、あの崖道から下りて来て道をたずねたのが七兵衛で、川を隔てて向うの崖道を七兵衛と共に歩いて行ったのが、今ここへ出て来た若い人であります。
「よろしい、この人のあとをつけてみよう、自分は笠をかぶって、酒屋の御用聞のなりをしているのだから、勝手が悪くはない」
 忠作にあとをつけられているとは知らぬ若い人。ただいま、薩州邸の用心門を立ち出でたのは別人ではない、宇津木兵馬であります。あとをつける者ありとも知らぬ宇津木兵馬は、かなりいい心持になって、
武蔵野に草はしなじな多かれど
 摘む菜にすればさても少なし……
と口ずさみながら、芝の山内の方面へ歩いて行きます。
 増上寺の松林へ入り込んだ兵馬は、その中の松の一本の下をグルグルと廻りはじめたが、刀の小柄こづかを抜き取りその松の木に、ビシリと突き立てて行ってしまいました。
 兵馬の立去ったあとで、その松の木の傍へ寄って見て、はじめて小柄の突き立てられてあることを知り、忠作はそれを無雑作に引抜いて、松の木には目じるしのきずをつけ、またも兵馬のあとをつけて行きます。
 兵馬は朴歯ほおばの下駄かなにかを穿いている。忠作は草鞋わらじの御用聞。両人ともに歩きも歩いたり、芝の三田から本所の相生町まで、一息に歩いてしまいました。
 さて、相生町へ来ると兵馬が例の老女の家へ入ったのを、忠作はたしかに見届けました。
 ここまで来てみると、いったい、この家は何者の住居であるかということを突き留めて帰らねばなりません。忠作は屋敷の周囲を二三度まわりました。
「こんにちは、まだ御用はございませんか」
 裏口へ廻って、こんな声色こわいろを使ってみると、
「三河屋の小僧さん?」
「はい」
「ちょいとここへ来て手を貸して下さいな」
「へえ、承知致しました」
 呼び込まれたのを幸いに、くぐりから長屋へ入り、
「こんにちは」
「小僧さん、後生ですからここへ来て手を貸して下さい」
 薄暗い中でしきりに女の声。
「どちらでございます」
「かまわないから早く来て下さいよ」
「こちらから上ってもよろしうございますか」
「どこからでもよいから、早く来て手を貸して下さい」
 流し元のあたりでしきりに呼ぶものだから、忠作は大急ぎで行って見ると、一人の女中がますを膝の下に組みしいて、天下分け目のような騒ぎをしているところです。桝落しをこしらえて鼠を伏せるには伏せたが、どうしていいか始末に困っているところらしい。
「鼠が捕れましたね」
「小僧さん、早く、どうかして下さいな」
 忠作は上手に桝を明けて鼠をギュウとつかまえて、地面へ置くと、足をあげてそれを踏み殺してしまいました。女中はホッと息をついて、
「おや、いつもの小僧さんと違いますね」
と言って忠作のかおを見ました。
「どうか御贔屓ごひいきを願います」
 忠作は頭を下げました。
 そこへ、廊下を渡って、また一人の女の人が、
「お福さん」
と呼ばれて、鼠を押えた女中が、
「はい」
と答えました。
「後生ですから、これへ汲みたてのお冷水ひやをいっぱい頂戴」
 一つの銀瓶ぎんがめを手に捧げています。
かしこまりました、あの大井戸から汲んで参りましょう」
「済みませんね」
 廊下を渡って来た女の人は、手に持っていた銀瓶を、鼠を押えていた女中に手渡しすると、鼠を押えていた女中は、それを持って水汲みに出かけたもののようです。
「毎度有難うございます」
 忠作はいいかげんのことを言って立去ろうとする時に、銀瓶を捧げて来た女の人が、
「もし、小僧さん」
と呼び留めました。
「はい、御用でございますか」
「あの、お前さんは毎日ここへ来るでしょうね」
「はい、毎日伺います」
「それではね、ちょっと、わたしに頼まれて下さいな」
「へえ、よろしうございますとも、できますことならば何なりと」
 忠作を見かけて、何事をか頼もうとするこの女の人は、お松でありました。
 忠作は、その頼まれごとを勿怪もっけの幸いと立戻ると、お松は何か用向を言おうとして忠作の顔を見て、
「小僧さん、お前のお店はどこ」
「三河屋でございます」
 忠作は抜からず返答をしたつもりでいました。
 お松は暫く思案していたが、やがて何を頼むのかと見れば、
「小僧さん、ついでの時でいいから、岩見銀山いわみぎんざんの薬を少しばかり買って来て頂戴な」
と言いました。
「はい、承知致しました」
 岩見銀山の薬が買いたければ、特に改まって酒屋の御用聞に頼むまでもあるまいに、先刻も女中が鼠を伏せて頻りに騒いでいたが、今もわざわざ岩見銀山を注文するのは、よくよくこの屋敷では鼠で困らされているのだろうと思いました。そこへ以前の女が銀瓶に水を満たして持って来ると、
「どうも御苦労さま」
 お松はそれを受取って、もとの廊下を帰って行きます。忠作も、お松から岩見銀山を買うべく頼まれた小銭こぜにを持って屋敷の外へ出てしまいました。
 兵馬がいまだこの屋敷へ帰らず、忠作がそのまわりをうろつかない以前に、肩臂かたひじいからした多くの豪傑がこの屋敷へ入り込みました。集まるもの十五六名。
 例の南条力が牛耳ぎゅうじを取っていて、このごろ暫く姿を見せなかった五十嵐甲子雄も、そのわきに控えています。
「さて、諸君」
 南条が議長の役を承って、
「ここに一つ、諸君の志願を募りたいことがある、それは勿体もったいないような仕事で、その実さまで勿体ないことではなく、子供だましのような仕事で、実は相当の危険がある、やってみることは雑作がなくて、やりおおせた後にたたりが来ないとは言えない、金銭に積ってはいくらでもないが、ある方面の神経をじらすにはくっきょうな利目ききめのある仕事だ」
「そりゃいったい何だ」
「実はこういうわけなのだ、上野山内の東照宮へ忍び込んで……じゃない、闖入ちんにゅうしてだ、神前の幣束へいそくを奪って来るのだ、幣束に限ったことはない、東照権現の前にある有難そうなものを、すべてひっくり返して来るのだ、それを、こっそりやってはいけない、面白そうにやって来るのだ、東照権現が有難いものには有難いが、有難くないものにはこの通りだというところを見せて来ればいいのだ、そのおしるしに幣束を持ち帰って来るのだ。事は児戯に類するが、その及ぼすところに魂胆こんたんがある」
 南条はこう言いました。何のことかと思えば、徳川幕府の本尊様である東照権現の神前に無礼を加えきたれという注文であります。なるほど、一派の志士には以前から、こういうことをやりたがっている人がありました。頼山陽の息子さんの頼三樹三郎らいみきさぶろうなんぞという人も、たしか東照宮の燈籠が憎かったと見えて、それを刀で斬りつけて、ついにつかまって自分の首を斬られるような羽目になりました。ここでもまた、東照宮の神前の幣束が目のかたきになってきたようです。なるほど、燈籠や幣束をいじめたところで仕方がない、児戯に類する仕事であるが、それをやらせようという者には、相当の魂胆がなければなりません。
 果して、それは面白いからやろうという者が続出しました。
 全体がことごとく志願者ですから、指名をすれば不平が出る、よろしい、主人役を除いてその余の同勢が悉く、明夕みょうせき押出そうということにきまって会が終りました。宇津木兵馬が帰って来たのは、その散会の後のことであります。
 果してその翌日、上野の東照宮に思いがけない乱暴人が闖入ちんにゅうしました。
 内陣の正面、東照公の木像を納めた扉の前に立っている、三本の金の御幣ごへいを担ぎ出したものがあります。事のついでに左右の白幣も、拝殿に立てたぬさも引っこ抜いて担ぎ出しました。おいし散々さんざんにお神酒みきをいただいて行った形跡もあります。矢大臣の髯を掻きむしって行ったのもこのやからの仕業と覚しい。獅子頭ししがしらもかぶってみたが被りきれないと見えて、投げ出して行ったものと覚しい。
 階段の左右にかけた釣燈籠も外して行きました。それと聞いて寒松院の別当が僧侶や侍をつれて駈けつけた時分には、くだんの乱暴者の影も形も見えません。
 話によると、十数名の浪人ていの者が怖ろしい勢いで闖入して来て、居り合わせたものの支うるいとまもなく、瞬く間にこの乱暴を仕了しおおせて、ときの声を揚げて引上げてしまったとのことであります。
 腕に覚えのある者を択んで、そのあとを追わせたけれど、乱暴人の行方ゆくえはいっこう知れないとのことであります。
 ところが実際は、その乱暴人が大手を振って御成街道おなりかいどうを引上げるのを見た者があるということであります。東照宮の御前にあった三本の金の御幣を真中に押立て、これ見よがしに大道の真中を練って歩いて、まだ五軒町までは行くまいと沙汰さたをしているものもありました。
 けれどもまた、それは嘘だ、あいつらは風をくらって、もう逃げ去ってしまった、もう一足早かりせば、といって地団駄を踏むものもありました。
「追っかけて行ったけれども、あの勢いに怖れをなして逃げて来たのだ」
と悪口を言うものもある。
 なるほど彼等は、三本の金の御幣を真中に押立てて、大江戸の真中を大手を振って歩いている。
「下にいろ、下にいろ、東照権現様の出開帳でかいちょうだ、お開帳が拝みたければ、芝の三田の薩州屋敷へ来るがよい、我々は薩州屋敷に住居致すもので、今日、上野まで東照宮の出開帳をお迎えに参ったものだ、滅多なことを致すと神様のたたりが怖いぞよ」
 こう言って通行の人々を威嚇いかくしながら歩いています。通行の人たちは慄え上って道を避けて通しました。何も知らない老人夫婦は、本当に権現様が薩摩屋敷までお出開帳をなさるのかと思って、路傍に伏し拝む者もありました。
 そうすると一行の連中のうちから、わざと物々しげに拝殿から持ち出した細い紙のぬさで、その善男善女の頭を撫でてやり、
「神妙、神妙、一心に帰命頂礼きみょうちょうらいすれば、後生往生ごしょうおうじょううたがいあるべからず」
というようなことを言って、よけいに善男善女を有難がらせたりするものもありました。
「なお御信心がお望みならば、三田の薩州屋敷まで出向いて来るがよい、三田の薩州屋敷」
 しかつめらしく、そんなことを言って二言目には薩州屋敷を引出すのであります。まこと、薩州屋敷のものならば、たとえ何かの恨み、或いは企らみあって、こんなことをやらせたり、やったりしてからが、表向きに薩州の名前を出すようなことはなかりそうなものであるのに、好んで薩州を振廻すところを見れば、薩摩の勢力を看板にする、実は無宿浮浪の徒でもあろうかと思われるにも拘らず、その途中、この冒涜ぼうとく極まる浮浪者を取締る機関が届かないのは、よそに見ていても歯痒はがゆいようです。もしや市中取締りの酒井左衛門尉さえもんのじょうの手に属する者にでもでっくわそうものならば、血の雨が降るだろうと、町々の者はヒヤヒヤしているけれど、酒井の手の者も、ついにここまで行き渡らないで、この乱暴者の一隊は金の御幣を守護して、とうとう三田の薩州屋敷へ乗込んでしまいました。

         四

 下総国小金しもうさのくにこがねはらでは、このごろ妙なことが流行はやりました。
 月の出る時分になると、一人の子供が、一月寺いちげつじの門内から一人の坊さんを乗せた一頭の馬をき出すと、
やれ見ろ、それ見ろ
筑波つくば見ろ
筑波の山から鬼が出た
鬼じゃあるまい白犬だ
一匹吠えれば皆吠える
ワンワン、ワンワン
というこの地方の俗謡の節を、馬を曳き出した子供が面白く口笛で吹き立てると、小金の宿の者共が、我を争うて彼等の廻りを取巻きます。
 この寺から馬を曳き出して、口笛を吹いているのは、両国の見世物にいた清澄の茂太郎で、その馬にのせられている坊さんというのは、おしゃべり坊主の弁信であります。
 彼等はここを立ち出でて、どこへ行こうというのではない、毎晩、夕方になるとこうして馬を引っぱり出して、広い原の方へと出かけます。
 茂太郎に言わせれば、馬に水をつかわせ、不自由な弁信には、散歩の機会を与えるためかも知れないが、土地の人は、それを待ち兼ねた見世物でもあるように、駈け出して集まるのが毎晩のことです。集まったもののうちの子供たちは、地面を叩きながら茂太郎の口笛に合わせて、
やれ見ろ、それ見ろ
筑波見ろ
筑波の山から鬼が出た
と歌い出すものだから、娘たちや若い衆が面白くなって、それにあわして、
鬼じゃあるまい白犬だ
一匹吠えれば皆吠える
 興に乗って年寄までが、それに合唱して歌い出すと、おのずから足拍子が面白くなり、馬の前後に集まって、盆踊りの身ぶりで踊りながら町から原へと練り出します。
もしもし
あなたは誰ですか
わたしはめくらでござります
だれを探しに来たのです
秋ちゃんを探しに来たのです
三べん廻っておいでなさい
おいでなさい、おいでなさい
 この踊りがうわさに広がって、北は相馬、南は葛飾かつしか、東は佐倉の方面から、小金の町へ人が集まって来ます。
 噂を聞いて、踊りを見物せんがために来た者が、知らず知らず興に乗って、自らが踊りの人とならないのはありません。その伝染性の速かなことは、電波のようであります。
 一よさ、踊りの味を占めたものは、その翌日の暮るるを待ち兼ねて集まらないということはありません。二里、三里、四里までは物の数ではありません。五里、七里、八里も遠しとせずして来り踊る若い者があります。これは必ずしも、清澄の茂太郎が吹く口笛一つに引寄せられるのではありますまい。多くの人は、人の集まるところが好きです。ことに若い男は、若い女の集まるところを好みます。若い女とてもまた、若い男の踊るのを見ていやがるということはありません。
 多数の人が、興に乗じて集まる時には、老いたるもまた、若きに化せられて、そこには一種の異った心理状態が現われると見えます。
 小金ケ原に集まるほどの者は、みな踊りの人となりました。踊りを知らないものも動かされて、夢中に踊りの人となりました。
 踊らないのはただ馬上のお喋り坊主と、音頭おんどを取る清澄の茂太郎だけであります。
「茂ちゃん、これはいったい、どうなるのでしょうね」
 興に乗ずると我を忘れて、家を明けっ放しにして夜もすがら踊り抜こうという連中が、若い者や子供ばかりではありません。町の全体に、ほとんど幾人というほどしか留守番がいないで、声のいものは声を自慢に、踊りのうまいものは身ぶりを自慢に、茂太郎の馬の廻りは、たちまちの間に何百人という人の輪を作ります。
 その相歌あいうたう声は、さしもに広い小金ケ原の隅々に響いて、空にさやけき月の宮居にまでも届こうという有様です。しかしながら、その何百人が声を合わせて歌う声は、いつも茂太郎が口笛一つに支配されている。彼等の声がいかに高くなり、いかに雑多になろうとも、馬を曳いて真中に立つ茂太郎の口笛だけは高々として、すべての声と動揺との中にそびえています。その口笛によって音頭があり、音頭があって初めて身ぶりがあるのでした。
 単にそれは人間のみではなく、家々に養っている犬という犬がまたこの騒ぎに共鳴して、争って表へ出でて、踊りと踊りの間を面白く狂い廻り、トヤに就いている鶏は、しきりに羽ばたきをして、飛んで下りたがる。いよいよ広いところへ練り出して、馬をとどめて立つと、その周囲を輪になって、人という人が夢中になって踊り狂うのは、冷やかに見ていると、物につかれたとしか思われない振舞です。
 こう騒ぎが高くなっては、馬上に置かれたお喋り坊主の弁信も、そのお喋りを切り出す隙がありません。空しく馬に乗せられて、見えない目で、群集の騒ぎを聞いているだけであります。
 馬上の弁信は、その周囲に耳をろうするばかりの踊りの歌と、足拍子を聞きながら、馬の手綱を引っぱっている茂太郎に、馬上から問いかけました。
 その時、茂太郎は、もう口笛をやめておりました。最初は、いつも茂太郎の口笛から音頭が始まるのだが、こうたけなわになってしまうと、茂太郎は頃を見計らって、口笛をやめて、足踏みだけをして、群集をながめているのです。
「弁信さん、どうなるんだか、わたしにもわからないのよ、最初のうちは、わたしの口笛でみんなが集まったけれど、今となっては、わたしがみんなの踊りに引摺られているようなんだもの。もし、わたしが口笛を吹かなかったり、音頭を取らなかったりすれば、きっとみんなの人が、わたしを殺してしまうだろうと思ってよ」
 茂太郎は足拍子を止めないで、弁信を見上げました。
「毎晩毎晩、倍ぐらいずつ人がえてきますね、一昨夜の晩五百人あったものなら、昨晩は千人になっていました、明日の晩は三千人の人が集まるかも知れません。小金ケ原は広いから幾ら人が集まってもかまわないけれど、留守居をしている者から、きっと苦情が出ますよ、娘を持っている母親や、息子を踊らせておく父親や、留守を預かっている年寄たちが、長く黙ってはいませんよ、いつかこの踊りを差しとめに来るにきまっている。けれどもお気の毒ながらこうなっては、それらの人の力で差しとめることはできませんね、音頭を取る茂ちゃん、踊り出さないわたしでさえも手がつけられないのに、留守をしている人たちに、どうしてこの踊り狂う人たちの血気を抑えることができましょう。そうなると、きっとおかみのお声がかりということになるにきまっている、お役人が出向いて来て力ずくで差しとめるということにきまっているよ。その時にお役人から、この踊りの音頭取りとして、茂ちゃんとわたしが捉まったらどうしよう。別にわたしたちが悪いことをしたというわけではないが、わたしたちが音頭を取りさえしなければ、この踊りはしずまるという心持で、二人を捉まえ、牢の中へ連れて行かれたらどうしましょう。茂ちゃん、今のうちに何とか考えてお置き、わたしは、それが心配になるのよ」
 弁信は茂太郎と共に相警あいいましめる心でこう言いました。
 二人が相警めているにかかわらず、一方にはこの盛んなる人気を利用せんとする者が現われました。誰がしたものか踊っている間へ、八幡様や水天宮のお札をおびただしくき散らしたものがあります。人は天からお札が降ったものと思いました。
 また一方には、こういって言い触らす者もあります。
「世は末になった、近いうちに世界の立直しがある、踊るなら今のうち」
 このふれごとは、短いながら、人の眼前の快楽をそそるにはかなりの力を持っていました。
 当時、人の心はどこへ行ってもさまで穏かだというわけにはゆきません。先覚の人は国家の急を見て奔走しているが、なんにも知らぬ市井しせい村落の人たちとても、どこぞ心の底に不安が宿っていないということはありません。近いうちに世間に大変動が起るだろうという暗示は、女子供の心にまで映っていないということはありません。
「踊るなら今のうち」――そこで世の終りがなんとなく近づいて、人が前路ぜんろの短い慾望をむさぼり取ろうとする形勢が見え出します。
 小金ケ原のこの踊りが、ついに江戸にまで伝わるに至り、その盛んなる噂を聞いて、江戸から見物に出かける者があります。見物に行った者は必ずその仲間に加わって踊り出さねば止まないことです。
 今は、この踊りの場でうたう歌が、やれ見ろ、それ見ろ、筑波見ろ、というこの地方の民謡だけではありません。相馬流山そうまながれやまの節を持ち込むものもあります。潮来出島いたこでじまを改作する者もあります。ついに「えいじゃないか」を歌い出すものがあって、その踊りぶりも得手勝手の千差万別なものとなりました。
 その翌日は、お札の降ったところの原の真中に、白木造りの仮宮かりみやが出来ました。その晩には仮宮の前へ、誰がするともなく、おびただしい鏡餅の供え物です。紙に包んだ金何疋のお初穂はつほが山のように積まれました。
 多分、江戸から来た物好きがしたことでしょう。白の襦袢じゅばんに白の鉢巻の揃いで繰り込んで来た一隊が、鐘や太鼓で盛んに「えいじゃないか」を踊ります。
「一杯飲んでも、えいじゃないか、えいじゃないか」
 神前のお神酒みきをかかえ出して、自らも飲み、人にもすすめながら踊りました。
 小金ケ原の真中へ町が立ちます。物を売る店が軒を並べました。
 毎夜、一旦、ここへ集まって踊りの音頭を揃えた連中が、散々さんざんに踊り抜いて、おのおのその土地土地へ踊りながら帰る。水戸様街道を東へ踊り行くもの、松戸から千住をかけて江戸方面へ流れ込むもの、北は筑波根へ向って急ぐ者、南は千葉佐倉をめざして崩れて行くもの、それに沿道に残されたものが参加して踊って行くから、大河の流れのように末へ行くほど流れが太くなるのはあたりまえです。
 その中心地、小金ケ原へ一夜のうちに出来た仮宮の宮柱も、みるみる太くなりました。いつ任命されたものか、もうそこに一癖ありげな神主が、烏帽子直垂えぼしひたたれで納まっております。
 なるほど、この神主は一癖も二癖もありげで、ただ宮居の中に納まっているのみでなく、しゃくを振って手下の者を差図し、奉納の鏡餅は鏡餅、お賽銭はお賽銭でうやうやしげに処分をさせる。お供え餅は俵へ詰め、お賽銭はかますへ入れてどこかへ送らせてしまう。
 それからまたこの神主は、清澄の茂太郎と、盲法師の弁信の御機嫌を取ることが気味の悪いほどであります。仮宮は何の神様であるか知らないが、その御本体を大切にするよりは、茂太郎と弁信の御機嫌を取ることが大事であるらしい。
 憐れむべき二人の少年は、今はこの神主が怖ろしいものになりました。
 茂太郎と弁信は、このところを逃げ出そうとします。逃げ出さなければ、もう命が堪らないと思いました。
 けれども、こうなってみると彼等二人は、盲目な群集を利用せんとする連中のためになくてならぬ偶像です。逃げようとしても逃がすまい。いて出ようとすれば、ここに留まっているよりも危ない。額を突き合せて二人が相談をしたけれども、何を言うにも弁信は盲目であり、茂太郎は子供である。
「では、与次郎に相談してみましょうか」
「ああ、与次郎に相談してみましょうよ」
 二人は与次郎に向ってその苦しい立場を説明して、よい知恵を借りたいということを哀願すると、暫く眼をつぶって思案していた与次郎が……待って下さい、この与次郎というのは、一月寺いちげつじの食堂に留守番をしている七十を越えた老爺おやじのことであります。一月寺の貫主かんすは年のうち大抵、江戸の出張所に住んでいる。院代いんだいがいるにはいるが、これはほとんど寺のことには無頓着で、短笛たんてきろうして遊んでいる。与次郎が寺のことはいちばんよく知っていて、いちばんよく働くから、貫主も一目も二目も置くことがあります。与次郎老人が一月寺の実際上の執事しつじでありました。その与次郎が、弁信と茂太郎に相談をかけられて、暫く眼をつぶって首をひねっていたが、やがて、ずかずかと立って戸棚の中から引出して来たのが、竹の網代あじろおいであります。
「我、汝が為めに直綴じきとつ做得了つくりおわれり」
 与次郎老人があじなことを言い出しました。弁信はその声を聞いたけれども、その物を見ることができません。茂太郎はその物を見ているけれども、その言葉を悟ることができません。そこで老人は破顔一笑して、諄々くどくどと直綴の説明をはじめたようです。
 どんなことに納得なっとくさせたものか、その日の夕方には、例によって馬にまたがった弁信が、一月寺の門前に現われました。現われたには現われたが、今日はその現われ方がいつものとは違います。いつも前に立って馬を引張って口笛を吹くべきはずの茂太郎が見えないで、その代りでもあるまいが、馬上の弁信法師は、身なりに応じない大きなおいを背負って、自ら手綱を取っています。それに今までは裸馬であったが、今日は質素ながらもくらを置いて手綱をかませています。ただ、弁信の背中に背負っている笈が、いかにも大きいのに、弁信そのものが小兵こひょうの法師ですから、弁信が笈を負うのではなく、笈が弁信を背負って馬に乗っているように見えます。
 それと見て集まった人々は、今日の馬上の有様の変ったのに驚き、また前にいるべきはずの茂太郎のいないことを怪しみもしました。それにも拘らず、盲法師の弁信は自ら手綱をかいくって、徐々しずしずと馬を進めながら、今日は馬上で得意のお喋りをはじめます。
「皆さん、老少不定ろうしょうふじょうと申して、悲しいことでございます、長らく皆様の御贔屓ごひいきになっておりました茂太郎が死にました……お驚きなさるのも御尤ごもっともでございます、皆様がお驚きなさるより先に、私が驚きました、無常の風はあしたにも吹きゆうべにも吹くとは申しながら、なんとこれはあんまり情けないことではござりませぬか、昨日までは皆様と一緒に、ああして歌をうたい、踊りを見ておりました茂太郎が、僅か一日病んで、眠るが如くこの世の息を引取りましたと申しますのは、ほんとに私ながら夢のようでございます、これと申しても、みな前世の因縁ずくでございますから、誰をうらみ、何を悲しもうようもございませぬ、それで、私は友達のよしみに、せめてあの子の後生追善ごしょうついぜんを営みたいと思いまして、今夕こんせきこうやって出て参りました、私の背中をごらん下さいまし、この大きな笈の中に、この世の息を引取った清澄の茂太郎が、眠るが如くに往生を致しておりますのでございます、私は、これを持って江戸の菩提寺ぼだいじへ安らかに葬ってやりたいと思いまして、そうしてこうやって出かけたのでございます」

         五

 小金ケ原のちんな現象が、江戸の市中までも評判になると、そこに謡言ようげんがある。いわく、近いうちに江戸の町という町が火になる、その時は江戸の町民はことごとく住むところを失うて、一時、小金ケ原へ仮りの都を作らねばならぬ。その時に最も幸福に救われたいものは、今のうち小金ケ原の新しい神様を信心しておくがよろしいと、それはずいぶんばかばかしい謡言であります。多少、心ある者は、一笑に附して顧みざるべきほどの無稽むけいの言葉であるにかかわらず、それを信ずるものが少なくなかったということは、今も昔も変ることがありません。踊りに行くものよりは信心に行く者が多くなって、相当の身分あり財産ある者が、続々として詰めかけるようになった時分のことであります。
 例の道庵先生が、このことを洩れ聞くと、小膝を丁と打ちました。
「さあ、また乃公おれの出る幕になった」
 そこで近辺に住む子分たちに触れを廻し、馬鹿囃子ばかばやしの一隊を狩集め、なお有志の大連を差加えて小金ケ原へ乗込み、都鄙とひの道俗をアッと言わせようとして、明日あたりはその下検分に、小金ケ原まで出張してみようか知らんと思っていたところへ、宇治山田の米友が訪ねて来ました。
「先生」
「やあ、珍物入来ちんぶつにゅうらい
 さすがの道庵先生が舌を巻いて、額を逆さに撫で上げました。
「どうも暫く御無沙汰をしました」
「いやはや」
 道庵は額を逆さに撫でて米友のかおを見ながら、いやはやと言ったのは、どういう意味だかよくわかりません。
「このごろは先生、おいらは目黒の方に行っていますよ」
「なるほど、お前さん、このごろは目黒の方においでなさるのかね」
「目黒の不動様のお寺に御厄介になってるんだが、先生、近いうち旅立ちをするんで、旅の用意の薬をちっとばかり貰いに来た」
「そうですか、よくおいでなさいましたね」
 道庵はいやに御丁寧な挨拶をして、米友をながめています。
「この中へひとつ詰めておもらい申したいんだ。なあに、近所に医者もあるにはありますがね、素姓すじょうの知れた医者の方が安心だから、それで吉坊主きちぼうずにことわって、わざわざ先生のところまで貰いに来ました」
と言いながら米友は、懐ろから黒塗りの四重印籠を二組取り出して、道庵の前へ並べました。
「なるほど、近所に医者もあるにはあるが、素姓の知れた医者の方が安心だから、それで吉坊主にことわって、わざわざこの長者町の道庵先生までお運び下し置かれたというわけだね。それはそれは痛み入ったことだ、有難くおけをして、早速、薬は調えて上げるが、米友、もう少し前へおいで」
 今日の道庵の猫撫声ねこなでごえが大へんに気味が悪いのです。米友にとっては、女軽業おんなかるわざのお角というものが苦手であるとは違った呼吸で、この道庵もまた苦手であります。道庵に頭からケシ飛ばされる時も、米友は面食めんくらってしまうが、こうして猫撫声で出られる時も、気味が悪くてたまらない。もう少し前へおいでと言われて、米友が妙にハニカンでいると道庵は、
「薬のことは薬で、たしかに承知致したが、お前に少々物の言い方を教えてやるから、もう少し前へ出ておいで」
 なんでもないことですけれども、そういうことが気味が悪いから米友は、あまり道庵の家へ寄りつきません。道庵を恩人だとも思い、医術にかけてはエライところのある先生だと信じてはいながらも、米友が道庵になつかないのは、いつもこうして米友を苦しがらせては喜ぶといったような、人の悪いところがあるからです。
「お前、今、なんと言った、目黒から出て来たが、近所に医者もないではないが、素姓の知れたのがいいから、それでこの道庵まで尋ねて来たと、こう言ったね、お前とおれの仲だからそれでもいいけれども、ほかのお医者様の前へ行って、そんなことを言おうものなら、ハリ倒されるよ」
「そりゃどういうわけだろう」
 米友自身では、誰に向ってもハリ倒されるようなことを言った覚えはないのです。ここの先生に向って言い得べきことは、よその先生に向っても言い得ないはずはないと思いました。また、人によって言を二三にするような米友じゃあねえ、と腹の中は不平でしたが、道庵に向っては、口に出して啖呵たんかを切るわけにはゆきません。
「どういうわけということはなかろうじゃねえか、よく考えてみな、お前は目黒から来たと言ったろう、目黒はそれ、たけのこの名所だろう、筍はお前、どこへ生えると思う」
「そりゃ先生、筍は竹藪たけやぶの中へ生えるにきまってらあな」
「それ見ろ、つまり目黒は藪の名所だろう、その藪の中から出て来たくせに、近所に医者もあるにはあるがとは、道庵に対して随分失礼な言い分じゃねえか、いやにあてっこするじゃねえか、その位なら何も最初から、先生、わたしもこのごろ目黒におりまして、近所に藪もあるにはありますが、同じ藪でも長者町の藪の方が気心が知れて安心だから、それで、わざわざやって参りましたと、ナゼ素直に言わねえのだ、それをいやに、遠廻しに、近所に医者もあるにはあるが、わざわざ来てやったと恩に着せるように言われるのが癪だあな、おたがいにこう言った気性だから、物を言うにも歯にきぬを着せねえようにして交際つきあおうじゃねえか」
 実にくだらないこじつけです。あんまりな言いがかりです。それを真面まともに受けるのが米友の米友たる所以ゆえんで、
「先生、そ、そんなわけで言ったわけじゃねえんだ、近所に藪があるというような、そんなあてっこすりで言ったわけじゃねえんだ、藪なんぞは、目黒でなくったっていくらもあらあな」
「なおいけねえ!」
 道庵が両手を差し上げたから、米友のあいた口が塞がりません。
 けれども藪争いはそれより以上に根が張らず、道庵はいいかげんにして米友のために、二箇の印籠へ充分に薬を詰めてやりました。そうしていったい、旅へ出かけるというのはどこへ出かけるのだと尋ねると、米友の言うことには、このごろ、下総の国の小金ケ原というところへ山師が出て、目黒の不動様のお札をき散らしたり、荒人神あらひとがみのうつしを持ち出したりするということだから、三仏堂の役僧と、講中の重なるものとが、それを取調べのために小金ケ原へ出張することになり、その帰りには佐倉、成田の方面へ廻るということで、いま目黒の不動様に厄介になっている米友が、その附人つきびとの一人に選ばれたという次第です。
 それを聞くと道庵が珍重ちんちょうがって、ちょうど、その小金ケ原へは自分もひとつ下検分に行ってみたいと思っていたところだから、お前が行くならば一緒に行こうと、乗り気になってしまいました。
 そこで米友は薬を貰って、一旦目黒の不動院へ立帰る。発足はその翌日未明ということにきまっていて、道庵の一行は、上野の山下で不動院の一行を待ち合わせ、そこで相共に小金ケ原まで乗込もうということに相談がきまりました。
 翌朝、道庵は、いつぞや伊勢参りに連れて行った仙公というのを一人だけ引具ひきぐして、山下に待ち合わせていますと、まもなく不動院の一行がやって来ました。
 この一行が千住の小塚原こづかっぱらに着いた時分も、朝未明あさまだきでありました。
 なにげなく来て見ると、千住大橋あたりからお仕置場あたりまで、押し返されないほどの人出です。
「えいじゃないか」の踊りがある。木遣きやりくずしのような音頭がある。一天四海の太鼓の音らしいのも聞える。思うにこのおびただしい人数は昨夜一晩、踊って踊り抜いてまだ足りないで、ここまで練って来たものらしい。出かけた先は、やはり下総の小金ケ原でしょう。小金ケ原から踊り出して、小塚原へ来るまでに夜が明けてしまったと見える。夜が明けても彼等の踊り狂う熱はめない。この分では、江戸の町中を踊り抜いて、また日が暮れて夜が明けるまで、踊り抜くのかも知れません。
 不動堂の一行も、道庵先生の一行も、この人数をどうすることもできません。とても正面から行っては、この人数を押し破って通るというわけにはゆきません。さりとて、行手は千住の大橋で、川を徒渡かちわたりでもしない限り、裏道を通り抜けるというわけにもゆきません。やむことを得ずしてお仕置場の中へ避けて、この人数をやり過ごそうとしました。踊り狂って行く連中のほかに、この時分になると夥しい見物人です。
 あとからあとからと続く人数の真中に、馬にのせられた偶像がたった一つある。
 それは偶像ではない、たった一人の小坊主が、この人数にもあまり驚かない温良な黒馬に乗っかって、悲しそうなかおをして、人波に捲かれていることです。
 その小坊主は、誰が見ても盲目めくらで、おまけに身体からだよりも大きなおいを背負っていることがどうにも不釣合いです。この小坊主だけが、どうして馬に乗っているのだろう。馬に乗っているというよりは、見たところ、むりやりに馬へきのせられて、それを取捲く群集が、山車だしの人形のように守り立てて、山の上まで持って行こうという勢いですから、小坊主は騎虎の勢いで下りるにも下りられず、言いわけをしても、この騒ぎで聞き入れられず、ぜひなく多数にようせられて、行くところまで行こうという気になっているもののようです。
 周囲の人々が熱しきって、気狂きちがいじみているにかかわらず、この小坊主だけが、泣くにも泣かれない面色かおいろを遠くから見ると、ちょうど、ところが千住の小塚原であるだけに、さながら屠所としょの歩みのような小坊主の気色けしきを見ると、いかにも物哀れで、群集の熱狂がこれから何をやり出すのだか、心配に堪えられないことどもです。
「皆さん、ここはどこでございます、もうこの辺でおろして下さいまし」
 馬上の小坊主は、泣くが如く、訴うるが如く、こう言いますと、
「ここは、まだ江戸のとっつき、千住の小塚原だよ」
馬側うまわきから答える者がありました。
「ええ、小塚原ですって? あ、そんなら皆さん、ここでおろして下さいまし」
 馬上の小坊主は声を振絞ふりしぼりました。
「まだまだ小石川の伝通院までは、なかなかの道のりだ、もう少し乗っておいでなさい、伝通院の御門前までは、ぜひぜひ送って上げますからね」
 馬側から、またこう言って叫ぶ者がありました。
「いいえ、もうここでよろしいのです、ここが小塚原とお聞き申してみますと、わたくしはここを乗打ちができないわけがあるんでございます。もし、もうこの辺がお仕置場でございましょう、わたくしはここで、お地蔵様へお礼をして通らなければならないわけがあるんでございます」
 小坊主は、誰がなんと言っても、ここで下りようとしました。
 やがて、その大きなおいを背負った小坊主が、馬の背から下りて、小塚原のお仕置場の高さ八尺の石の地蔵尊の前へ、ようよういついた時に、それを見た宇治山田の米友が、
「ありゃあ、清澄から来た弁信だ」
 疲れきっているくせに重たそうな笈を背負った弁信は、ようように地蔵尊の前へのたりつくと、そのところへ平伏してしまいました。むしろ、その重い笈のために、つぶされてしまったようです。
 それを見た群集は、あわてて弁信を引起して、またも馬上へ運ぼうとしますと、弁信は力なき声をふり上げて、
「どうぞ、もうおゆるし下さいまし、わたくしは疲れきってしまったから、もう馬に乗るのはいやでございます、どこぞへ暫く休ませて下さいまし」
 弁信は、再び馬に乗せられるのをしきりにいやがるのに、多数の者は、
「もう少しだから、辛抱なさい、お前さんが御本尊だ、御本尊が馬の上にござらないと、踊る人が張合いがない、伝通院まで送って上げるから、ぜひとも辛抱なさい」
 弁信をむりやりに馬の背へ掻き乗せようとする。それを弁信はしきりにいやがっているのです。あれほど疲れてもいるし、いやがりもするのを、なんだって多数おおぜいして担ぎ上げようとするのだか、それがいよいよわからないから、米友は人を掻きわけて、ずっと傍へ寄りました。米友が人を掻きわけて行くと、その傍にいた道庵も、こいつはまた変ってると思って、抜からぬかおをして米友にくっついて行きました。
「おいおい、お前は弁信さんじゃねえか」
 こう言って米友が言葉をかけると、弁信が、
「はいはい、あなたはどなたでございましたか知ら」
おいらは米友だよ、友造だよ」
「ああ、友さんでございましたか、その後は御無沙汰を致してしまいました、お前さんもお壮健たっしゃで結構でございます、わたくしもまた、あれから、お前さんと別れましてからは、下総国小金ケ原の一月寺というのへ行っておりましたが、一月寺におりますうちに、わたくしは清澄の茂太郎と一緒になりました、あなたにも一度お消息たよりをしようと思っているうちに、つい御無沙汰になってしまいました……」
 この場合においても、お喋り坊主の弁信は、一別来の一伍一什いちぶしじゅうを喋り出そうとするから、米友も堪り兼ねて、
「弁信さん、御無沙汰どころじゃなかろうぜ、お前は今、弱りきって死にかけてるじゃねえか、いったい、そりゃどうしたんだい、大きなものを背負しょい込んで、死にかけていながら、御無沙汰でもなかろうじゃねえか」
「ええ、その通りでございます、友造さん、わたくしはごらんの通りに弱りきっております、死にかけているんでございます、どうか助けておくんなさいまし」
「どうしたんだ、いったい、わけがわからねえや、どうして助けりゃいいんだ」
「友造さん、わたしはもう、馬に乗りたくないのでございます、わたしを助けて下さろうと思ったら、わたしを馬に乗せないようにしていただきたいのでございます、馬に乗せないで、この笈物おいぶつのおもりをしながら、どこかそこらで、ゆっくり休ませていただきたいんでございます、皆さんがむりやりに、わたしを馬に乗せて、踊っておいでなさろうとするが、私はもういやでございます、このうえ馬に乗せられると、私も死んでしまいます、背中の笈物も死んでしまいます、どうか、お助けなすって、私をこのうえ、馬に乗せないようにして下さいまし、お願いでございます」
 そこで米友が、いよいよわからなくなってしまいました。わからないけれど、さしあたっての急務は、この小坊主を馬に乗せないで、どこかへ静かに休息させてやればよいのだと思いました。
 そこで米友が、大勢を相手にその掛合いをしようという気になっていると、
「なるほど……」
 米友の背後うしろから図抜けて大きな声を出して「なるほど!」と言って、人を驚かしたものがありました。一同がその声に吃驚びっくりして見ると、それは別人ならぬ道庵先生です。
「こりゃいけねえ、お前たちは、この盲目めくらの坊さんを人身御供ひとみごくうとして、むりやりに馬に乗せて引張って来たんだろうが、見た通り弱りきって、疲れ果てているのを、この上馬に乗せようとするのは惨酷じゃねえか。昔、神田の祭礼の時に馬鹿な奴があって、素裸すっぱだかうるしを塗って、生きた人形になって山車だしへ乗っかって、曳かれる者も得意、曳く者も得意でいたところが、いいかげん引っぱってから卸して見ると、その人形が死んでいたという話があらあ。この坊さんだって、もう二三丁も馬に乗せて行こうものなら往生しちまわあ。幸い道庵が通りかかった以上は、商売の手前、見殺しにはできねえ、この小坊主は暫く道庵が預かって、療治を加えてやった上、改めてお前たちに引渡すから、お前たち、暫くの間、ここで踊って待っていろ、この小塚原の亡者もうじゃどもが浮び出すほど、踊って待っていろ……ところでいったい、お前たちは無暗に踊ったり跳ねたりしているようだが、踊りのこつというものを知っているのか、それとも知らずに踊っているのか、おそらく知っちゃあいめえな。自分からこういうと口幅くちはばったいようだが、日本広しといえども馬鹿囃子にかけちゃあ、当時下谷の長者町の道庵の右に出でる者があったらお目にかかる、この道庵の眼から見れば、お前たちの踊りなんぞはあめえもので、からっきし、物になっちゃあいねえ」
 石の地蔵尊の台座の上に突立って、いつぞやの貧窮組の先達気取りで演説をはじめた道庵が、飛んでもないところへ脱線してしまいました。
 実際、馬鹿面踊ばかめんおどりの極意ごくいに達している道庵の眼から見れば、小金ケ原の場末から起り出した不統一な、雑駁ざっぱくな、でたらめな、このやからの連中の踊りっぷりなんぞは、見ていられないのかも知れません。そうだとすれば、道庵が思わず義憤を発して、この衆愚を啓発してやろうという気になったのも、無理のないところがあります。
「そもそも馬鹿囃子のはじまりは、伊奈半左衛門が、政略のためにやったということになっているが、道庵に言わせるとそうでねえ。ちうこうになって雲州松江の松平出羽守、常陸ひたちの土浦の土屋相模守、美作みまさか勝山の三浦志摩守といったような馬鹿殿様が力を入れて、松江流、土屋流、三浦流という三つの流儀をこしらえたが、馬鹿囃子の本音は、トテモ殿様のお道楽では出て来ねえ。つづいて旗本の次男三男のやくざ者が、深川囃子というのをこしらえると、本所に住んでいたのらくら者の御家人が負けない気になって、本所囃子というのをこしらえやがったが、やっぱり馬鹿囃子の本音は、生白なまじろい旗本や御家人の腕では叩き出せねえから、まもなく元へ返ってしまった。ところで、その元というのが、旧来の鍔江流つばえりゅうの五囃子だが、道庵に言わせると、こいつもまだ不足がある。ところで……」
 道庵は得意になって、馬鹿囃子の気焔をあげはじめました。この場合においてお喋り坊主以上のお喋りが始まりそうだから、気の短い米友がじっとしてはおられません。
「先生、いい加減にしねえと、この坊さんが死んじまうぜ」
「あ、そうだそうだ、馬鹿囃子より人の命が大事だ、大事だ」
 道庵は、あわてて地蔵の台座の上から飛び下りて、米友と力を合わせて弁信を笈ぐるみになって、近いところの休み茶屋に担ぎ込みました。
 道庵が、お喋り坊主を休み茶屋の中へ連れ込んで療治を加えている間、外に立っている群集は、相変らず踊り狂っていたが、暫くして頻りに、その偶像を返されんことを要求します。
「坊さんかえしてもえいじゃないか、えいじゃないか」
 休み茶屋の周囲を取巻く事のていが、最初から穏かではありません。ところで、おどり出した道庵が、公衆の眼の前へ現われて、
「さあ、お前たち、あの小坊主にいろいろと療治を加えてみたが、少なくともなお三日間は安静におらしむべき容態である、いま動かしては命があぶない。といってお前たちも、折角ここまで引出した人形なしにはうまく踊れまい。そこは乃公おれも察しているから相談ずくで、新しい人形を一つお前たちに貸してやる、これは鎌倉の右大将米友公という人形で、形は小さいが出来は丈夫に出来ている、ただいまのお喋り坊主と違って、ちっとやそっといじくったところで破損をする代物しろものではない、その代りいじくり方が悪いとムクれ出す、ムクれ出した日には、ちょっと手がつけられない、そのつもりでこの人形を伝通院まで貸してやるから、これを小坊主の代りに馬の上へ乗っけて踊れ、踊れ」
 お喋り坊主の代りに道庵が提供したのは、鎌倉の右大将米友公と言ったけれども、実は宇治山田の米友のことであります。いつのまにか道庵が米友に因果をふくめて、盲法師の身代りとなるべく納得なっとくせしめたと見えて、米友は甘んじて、彼等の偶像となろうとするものらしい。しかし、米友はしょうのままではそこへ現われて来ませんでした。どこにあったか天狗の面をかぶって、頭へは急ごしらえの紙製の兜巾ときんを置き、その背中には、前に弁信が背負っていた笈を、やはり頭高かしらだかに背負いなして、手には短い丸い杖を持って現われたから、それを金剛杖だと思いました。そうして誰ひとり、米友だと気のつく者はありません。
大山大聖不動明王おおやまだいしょうふどうみょうおう!」
 群集の中からわっときの声を揚げるものがありました。
「南無三十六童子、いけいら童子、うばきや童子、はらはら童子、らだら童子」
相和あいわするものもありました。
 要するにこの場は、変ったものでありさえすればよいのです。なんとか納まりそうな人形を提供して、馬に乗せさえすればよかったから、天狗の面が図に当りました。
「大山阿夫利山あふりさん大権現、大天狗小天狗、町内の若い者」
 そこで米友が馬に乗ると、彼等は以前に、しおれきった小坊主をむりやりに人形に奉って来た時よりは、一層の人気を加えて、再び踊り熱が火の手を加えて、
「大山大聖不動明王、さんげさんげ六根清浄ろっこんしょうじょう、さんげさんげ六根清浄」
 こうして新手あらてを加えた踊りの一隊は、小塚原を勢いよく繰出しました。
「鎌倉の右大将米友公の御入おんいり」
 声高らかに呼ぶ者があると、
「頼朝公の御入り」
とわけわからずに同ずるものもありました。これが小塚原を繰出すと、ゆくゆく箕輪みのわ山谷さんや金杉かなすぎあたりから聞き伝えた物好き連が、面白半分にうしおの如く集まって来て踊りました。その唄と踊りの千差万別なることは名状すべくもありません。大山大聖とあがめまつるものもあれば、鎌倉の右大将だというところから鎌倉ぶしを謡うものもある、木遣きやりを自慢にうなるものもある、一貫三百を叩き出すものもあろうという景気は、到底人間業とは見えませんでした。
 このうわさが程遠からぬ吉原のさとへ響くと、吉原の有志は、どう考えたものか、ぜひ道をげて、その一隊に吉原へ繰込んでいただきたいという交渉であります。
 ずっと伝通院まで乗込むはずであったのを、吉原遊廓の懇望こんもうもだし難く、大山大聖が、しばらくそこへげることになりました。吉原では、大樽の鏡を抜いてこの一行をもてなします。お賽銭が雨の降るようです。
 ここで暫く休んで、いざ出立という時に、米友の馬側うまわきに二人の童子が立ちました。その一人は金伽羅童子こんがらどうじ、一人は制陀伽童子せいたかどうじ、二人ともに絵に見る通りの仮装をして、これから大聖不動の馬側に添うて、どこまでもおともをつかまつろうという気色です。
 宇治山田の米友が心中の大迷惑は察するに余りあることで、米友としては面白くもなんでもなく、弁信の身代りのために、しばらく犠牲となって馬上に忍び、小石川の伝通院とやらへ、ひとまず送り込まれてしまえば、それで一通りの義務は済むものと思っていたのだから、道草を食わずに早く伝通院へたどりついて、仮面めんを取ってしまいたいのだが、まずもって吉原の信心家へ招かれて、退引のっぴきのならなくなったのが小面倒の起りです。
 彼等はこの踊りの一行が、世直しの大明神の出現だとでも信じているらしい。ことに一行の本尊様に祭り上げられている馬上の偶像に向っては、正真しょうしんの大天狗が天降あまくだったものとでも思っているのか知らん。そのもてなし方は有難いのが半分、面白がりが半分で、やたらにあがめ奉って、これから到るところ、そのお立寄りを願うことになりそうです。お立寄りをわれるたびに踊り子の連中には、相当の振舞があるにはあるが、いよいよ大迷惑なのは米友です。
 両側の家から、紙にひねったお賽銭を投げるのが、誰を目的めあてであろうはずはない、みんな米友の身体をめがけて投げられるのだから、
「痛エやい」
 米友はムキになって痛がっているところへ、馬の側に立った二人の童子は、ヒューヒューヒャラヒャラと節面白く横笛を吹きはじめました。その笛の調べが実にうまい。踊りの連中は、その笛の音でまたいい心持に踊り出しました。
 その時、一方、吉原の廓内では、思いもかけぬ天上から、ひらひらと落花の舞うが如く、幾多の紙片が落ちて来るから、或る者は欄干てすりから手を伸ばし、或る者は屋根へ上り、或る者はまた物干へ駆け上って、その紙片を手に取って見ると、それはいずれも、あらたかな神仏のお札であります。にわかにおしいただいて神棚へ上げるやら、お神酒みきを供えるやらの騒ぎとなりました。
 どうしてもこれには、何か黒幕がなければならないことです。
 それから後、かつて貧窮組が起った時と同じ伝染作用が、江戸の市中に起りました。前の時は不得要領な貧民どもが寄り集まって、おかゆを食って食い歩いたのだが、今度は無暗に踊って踊り歩くのです。甲の町内で阿夫利山の木太刀を担ぎ出すと、乙の町内では鎮守の獅子頭を振り立てるものがあります。山伏ていの男を馬に乗せて、法螺ほらを吹かせて押出すのもあります。貧窮組が不得要領であった如くに、この踊りの流行も不得要領です。ひとり馬に乗せられた天狗の面は、必ずしも最初の目的通り、伝通院へ送り込まれるものとは限りません。調子に乗ってここを振出しに、江戸八百八街を引き廻されることになるかも知れません。
 金伽羅童子こんがらどうじ制陀伽童子せいたかどうじが笛を吹いて行くと、揃いの単衣ひとえを着た二十余名の若い者が、団扇うちわを以て、馬上の天狗もろともに前後左右からあおぎ立てました。
 その煽ぎ立てている揃いの若い者の中を米友が見下ろすと、あっと意外に驚く人物が交っていたから、米友はかぶった天狗の面の中から、その男を見つめました。
 米友が驚いたその揃いの若者の中の男というのは、いつぞや本所の相生町の家で、米友の槍先にかけて、追払った浪人のなかの一人です。

         六

 それとは別に、小塚原のお仕置場の前の休み茶屋に収容されたおしゃべり坊主の弁信の枕許まくらもとには、道庵もいれば、清澄の茂太郎もいます。道庵のいることは不思議ではないが、茂太郎は、弁信が背負って来たおいの中から出たものです。
 疲労しきった弁信は、そこで前後も知らぬ熟睡にふけっているが、さて道庵の身になってみると、小金ケ原の踊りは、今やああして江戸の市中へ移って来てみると、これから小金ケ原まで視察に行くほどの必要もなく、またかえってこの江戸の市中のこれからの騒ぎを見のがすわけにゆかないから、そこで弁信、茂太郎の徒をつれて引返すことにきめました。不動院の一行は、ともかく米友は道庵に托しておいて、小金ケ原へ出かけて一応の視察を試むることになりました。
 弁信と茂太郎とを駕籠かごに乗せて、長者町の屋敷へ帰って来た道庵、はずしておいた門札をかけ返すと間もなく、病家の迎えを受けたから早速でかけます。
 弁信は一間のうちに死んだもののようになって眠っている。茂太郎はその枕許についていながら、退屈まぎれに庭を見ると、一叢ひとむらの竹が密生していました。その竹を見ると茂太郎は、笛が作ってみたくて作ってみたくて堪らなくなりました。笛を作るには作りごろの竹であると思いました。
 欲しくなるとじっとしてはおられないのがこの少年の癖で、とうとう庭へ下りて、丁々ちょうちょうとその一本の竹を切って取り、手際よくこしらえ上げたのが一管の、一節切ひとよぎりに似たものです。
 それを唇に当てて、ひとり微笑ほほえんで、思うままにそれを吹き鳴らして楽しもうとしたが、それではせっかく寝ている弁信を驚かすことを怖るるもののように、弁信の寝顔をながめました。
 実際よく寝ることであると思わないわけにはゆきません。自分は、あの狭い笈の中へ押込められて、馬の背に揺られ通して来たけれど、さして眠いとも思わず、またさして疲労も感じないのに、弁信さんの眠たいことと、疲れっぷりは随分ひどいと、今更のようにながめました。しかし、自分は、海へもぐっても覚えのあることで人並よりはズンと息が長いのだし、一晩二晩寝なかったところが何ともないように生れているが、世間の人がみんなそうではない。そこで、いささかでも弁信の安眠を妨げないように、自分も心置きなく、暫くでもこの笛を吹き試みて遊びたいという心から、また廊下へ出てみました。廊下へ出てみたところで、やっぱりその響きが、弁信を驚かそうという心配は同じことです。
 笛を携えて庭へ下りて、軒に立てかけた梯子はしごを見上げると、屋根の上高くやぐらが組んであるのを認めました。
 物干にしては高過ぎる、と思いながら、あそこなら誰憚らず笛を吹いてみるに恰好かっこうだと思いました。
 この櫓というのは、道庵先生が鰡八大尽ぼらはちだいじんに対抗して、馬鹿囃子ばかばやしを興行するために特に組み上げた櫓の名残りであります。
 茂太郎が屋根の上の櫓で、誰憚らず笛を吹こうと上ってみたところが、大尽の御殿の広間に多数の人が集まっているのが、そこから手に取るように見下ろすことができます。
 見れば、それは、やはり踊っているのであります。しかも踊っているのは、いずれも綺羅きらびやかな人ばかりであります。
 さても踊ることの好きな国民かなと、笛を携えた茂太郎があきれて、その広間の中をながめていました。
 小金ケ原から踊り抜いて来た連中は民衆の階級であります。彼等はのぼせ上ってところ嫌わず踊るから、ついにはふん縛られたりするようなことになる。ここの中で踊っている連中は