TOP連載小説中島 敦 − 光と風と夢
過去の掲載

光と風と夢

中島敦




   一

 一八八四年五月の或夜遅く、三十五歳のロバァト・ルゥイス・スティヴンスンは、南仏イエールの客舎で、突然、ひどい喀血かっけつに襲われた。駈付けた妻に向って、彼は紙切に鉛筆でう書いて見せた。「恐れることはない。之が死なら、楽なものだ。」血が口中をふさいで、口が利けなかったのである。
 爾来じらい、彼は健康地を求めて転々しなければならなくなった。南英の保養地ボーンマスでの三年の後、コロラドを試みては、という医者の言葉に従って、大西洋を渡った。米国も思わしくなく、今度は南洋行が試みられた。七十トン縦帆船スクーナーは、マルケサス・パウモツ・タヒティ・ハワイ・ギルバァトを経て一年半に亘る巡航の後、一八八九年の終にサモアのアピア港に着いた。海上の生活は快適で、島々の気候は申分なかった。自ら「咳と骨に過ぎない」というスティヴンスンの身体も、先ず小康を保つことが出来た。彼は此処で住んで見る気になり、アピア市外に四百エーカーばかりの土地を買入れた。勿論、まだ此処で一生を終えようなどと考えていた訳ではない。現に、翌年の二月、買入れた土地の開墾や建築を暫く人手にゆだねて、自分はシドニー迄出掛けて行った。其処で便船を待合せて、一旦英国に帰るつもりだったのである。
 しかし、彼は、やがて、在英の一友人に宛てて次の様な手紙を書かねばならなかった。「……実をいえば、私は、最早一度しか英国に帰ることはないだろうと思っている。そして其の一度とは、死ぬ時であろう。熱帯に於てのみ私はわずかに健康なのだ。亜熱帯の此処(ニュー・カレドニア)でさえ、私は直ぐに風邪を引く。シドニーでは到頭喀血をやって了った。霧の深い英国へ婦るなど、今は思いも寄らぬ。……私は悲しんでいるだろうか? 英国にいる七・八人、米国にいる一人二人の友人と会えなくなること、それが辛いだけだ。それを別にすれば、むしろサモアの方が好ましい。海と島々と土人達と、島の生活と気候とが、私を本当に幸福にして呉れるだろう。私は此の流謫るたくを決して不幸とは考えない……。」

 その年の十一月、彼はようやく健康を取戻してサモアに帰った。彼の買入地には、土人の大工の作った仮小舎が出来ていた。本建築は白人大工でなければ出来ないのである。それが出来上るまで、スティヴンスンと彼の妻ファニイとは仮小舎に寝起し、自ら土人達を監督して開墾に当った[#「当った」は底本では「当つた」]。其処はアピア市の南方三マイル、休火山ヴァエアの山腹で、五つの渓流と三つの瀑布ばくふと、その他幾つかの峡谷断崖を含む・六百フィートから千三百呎に亘る高さの台地である。土人は此の地をヴァイリマと呼んだ。五つの川の意である。鬱蒼うっそうたる熱帯林や渺茫びょうぼうたる南太平洋の眺望をもつ斯うした土地に、自分の力で一つ一つ生活の礎石を築いて行くのは、スティヴンスンにとって、子供の時の箱庭遊に似た純粋な歓びであった。自分の生活が自分の手によって最も直接に支えられていることの意識――その敷地に自分が一杙ひとくい打込んだ家に住み、自分がのこぎりをもって其の製造の手伝をした椅子に掛け、自分がくわを入れた畠の野菜や果実を何時も喰べていること――之は、幼時始めて自力で作上げた手工品を卓子テーブルの上に置いて眺めた時の・新鮮な自尊心をよみがえらせて呉れる。此の小舎を組立てている丸木や板も、又、日々の食物も、みんな素性の知れたものであること――つまり、其等の木はことごとく自分の山から伐出きりだされ自分の眼の前でかんなを掛けられたものであり、其等の食物の出所も、みんなはっきり判っている(このオレンジはどの木から取った、このバナナは何処の畠のと)こと。之も、幼い頃母の作った料理でなければ安心して喰べられなかったスティヴンスンに、何か楽しい心易さを与えるのであった。
 彼は今ロビンソン・クルーソー、或いはウォルト・ホイットマンの生活を実験しつつある。「太陽と大地と生物とを愛し、富を軽蔑けいべつし、乞う者には与え、白人文明を以て一の大なる偏見と見做みなし、教育なき・ちからあふるる人々と共に闊歩かっぽし、明るい風と光との中で、労働に汗ばんだ皮膚の下に血液の循環を快く感じ、人にわらわれまいとの懸念を忘れて、真に思う事のみを言い、真に欲する事のみを行う。」之が彼の新しい生活であった。

   二

一八九〇年十二月×日
 五時起床。美しい鳩色の明方。それが徐々に明るい金色に変ろうとしている。遥か北方、森と街との彼方に、鏡のような海が光る。但し、環礁の外は相変らず怒濤どとう飛沫しぶきが白く立っているらしい。耳をすませば、確かに其の音が地鳴のように聞えて来る。
 六時少し前朝食。オレンジ一箇。卵二箇。喰べながらヴェランダの下を見るともなく見ていると、直ぐ下の畑の玉蜀黍とうもろこしが二三本、いやに揺れている。おやと思って見ている中に、一本の茎が倒れたと思うと、葉の茂みの中に、すうっと隠れて了った。直ぐに降りて行って畑に入ると、仔豚が二匹慌てて逃出した。
 豚の悪戯いたずらには全く弱る。欧羅巴ヨーロッパの豚のような、文明のために去勢されて了ったものとは、全然違う。実に野性的で活力的でたくましく、美しいとさえ言っていいかも知れぬ。私は今迄豚は泳げぬものと思っていたが、どうして、南洋の豚は立派に泳ぐ。大きな黒牝豚くろめすぶたが五百ヤードも泳いだのを、私は確かに見た。彼等は怜悧れいりで、ココナットの実を日向ひなたに乾かして割るすべをも心得ている。獰猛どうもうなのになると、時に仔羊を襲って喰殺したりする。ファニイの近頃は、毎日豚の取締りに忙殺されているらしい。
 六時から九時まで仕事。一昨日以来の「南洋だより」の一章を書上げる。直ぐに草刈に出る。土人の若者等が四組に分れて畑仕事と道拓みちひらきに従っている。おのの音。煙の匂。ヘンリ・シメレの監督で、仕事は大いにはかどっているようだ。ヘンリは元来サヴァイイ島の酋長しゅうちょうの息子なのだが、欧羅巴の何処へ出しても恥ずかしくない立派な青年だ。
 生垣の中にクイクイ(或いはツイツイ)の叢生そうせいしている所を見付けて、退治にかかる。この草こそ我々の最大の敵だ。恐ろしく敏感な植物。狡猾こうかつな知覚――風に揺れる他の草の葉が触れたときは何の反応も示さないのに、ほんの少しでも人間がさわるとたちまち葉を閉じて了う。縮んではいたちのように噛みつく植物、牡蠣かきが岩にくっつくように、根で以て執拗しつように土と他の植物の根とに、からみ付いている。クイクイを片付けてから、野生のライムにかかる。とげと、弾力ある吸盤とに、大分素手を傷められた。
 十時半、ヴェランダから法螺貝ブウが響く。昼食――冷肉・木犀果アヴォガドオ・ペア・ビスケット・赤葡萄酒あかぶどうしゅ
 食後、詩をまとめようとしたが、うまく行かぬ。銀笛フラジオレットを吹く。一時から又外へ出てヴァイトリンガ河岸へのみちを開きにかかる。斧を手に、独りで密林にはいって行く。頭上は、重なり合う巨木、巨木。其の葉の隙から時々白く、殆ど銀の斑点はんてんの如く光って見える空。地上にも所々倒れた巨木が道を拒んでいる。攀上よじのぼり、垂下り、絡みつき、輪索わなを作る蔦葛つたかずら類の氾濫はんらんふさ状に盛上る蘭類。毒々しい触手を伸ばした羊歯しだ類。巨大な白星海芋。汁気の多い稚木わかぎの茎は、斧の一振でサクリと気持よく切れるが、しなやかな古枝は中々巧く切れない。
 静かだ。私の振る斧の音以外には何も聞えない。豪華な此の緑の世界の、何という寂しさ! 白昼の大きな沈黙の、何という恐ろしさ!
 突然遠くから或る鈍い物音と、続いて、短い・疳高かんだかい笑声とが聞えた。ゾッと悪寒が背を走った。はじめの物音は、何かの木魂こだまでもあろうか? 笑声は鳥の声? 此の辺の鳥は、妙に人間に似た叫をするのだ。日没時のヴァエア山は、子供の喚声に似た、鋭い鳥共の鳴声で充たされる。しかし、今の声は、それとも少し違っている。結局、音の正体は判らずじまいであった。
 帰途、ふと一つの作品の構想が浮んだ。この密林を舞台としたメロドラマである。弾丸の様に其の思いつきが(又、その中の情景の一つが)私を貫いたのだ。巧く纏まるかどうか分らないが、とにかく私は此の思いつきを暫く頭の隅に暖めて置こう。※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)が卵をかえす時のように。
 五時、夕食、ビーフシチウ・焼バナナ・パイナップル入クラレット。
 食後ヘンリに英語を教える。というよりも、サモア語との交換教授だ。ヘンリが毎日毎日、此の憂鬱ゆううつな夕方の勉学に、どうして堪えられるか、不思議でならぬ。(今日は英語だが、明日は初等数学だ。)享楽的なポリネシア人の中でも特に陽気なのが彼等サモア人だのに。サモア人は自ら強いることを好まない。彼等の好むのは、歌と踊と美服(彼等は南海の伊達者ダンディだ。)と、水浴とカヴァ酒とだ。それから、談笑と演説と、マランガ――之は、若者が大勢集まって村から村へと幾日も旅を続けて遊び廻ること。訪ねられた村では必ず彼等をカヴァ酒や踊で歓待しなければならないことになっている。サモア人の底抜の陽気さは、彼等の国語に「借財」或いは「借りる」という言葉の無いことだ。近頃使われているのはタヒティから借用した言葉だ。サモア人は元々、借りるなどという面倒な事はせずに、皆貰って了うのだから、従って、借りるという言葉も無いのである。貰う――乞う――強請する、という言葉なら、実に沢山ある。貰うものの種類によって、――魚だとか、タロ芋だとか、亀だとか、むしろだとか、それに依って「貰う」という言葉が幾通りにも区別されているのだ。もう一つの長閑のどかな例――奇妙な囚人服を着せられ道路工事に使役されている土人の囚人の所へ、日曜着の綺羅きらを飾った囚人等の一族が飲食物携帯で遊びに行き、工事最中の道路の真中に筵を敷いて、囚人達と一緒に一日中飲んだり歌ったりして楽しく過すのだ。何という、とぼけた明るさだろう! 所で、うちのヘンリ・シメレ君はうした彼の種族一般と何処か違っている。その場限りでないもの、組織的なものを求める傾向が、この青年の中にある。ポリネシア人としては異数のことだ。彼に比べると、白人ではあるが、料理人のポールなど、遥かに知的に劣っている。家畜係のラファエレと来ては、之は又典型的なサモア人だ。元来サモア人は体格がいいが、ラファエレも六フィートインチ位はあろう。身体ばかり大きいくせに一向意気地がなく、のろまな哀願的人物である。ヘラクレスの如くアキレスの如き巨漢が、甘ったれた口調で、私のことを「パパ、パパ」と呼ぶのだから、やり切れない。彼は幽霊をひどく怖がっている。夕方一人でバナナ畑へ行けないのだ。(一般に、ポリネシア人が「彼は人だ」という時、それは、「彼が幽霊ではなく、生きた人間である。」という意味だ。)二三日前ラファエレが面白い話をした。彼の友人の一人が、死んだ父の霊を見たというのだ。夕方、その男が、死んでから二十日ばかりになる父の墓の前にたたずんでいた。ふと気がつくと、何時の間にか、一羽の雪白の鶴が珊瑚さんご屑の塚の上に立っている。之こそは父の魂だと、そう思いながら見ている中に、鶴の数が殖えて来て、中には黒鶴も交っていた。その中に、何時か彼等の姿が消え、その代りに塚の上には、今度は白猫が一匹いる。やがて、白猫の周りに、灰色、三毛、黒、と、あらゆる毛色の猫共が、幻のように音も無く、鳴声一つ立てずに忍び寄って来た。その中に、其等の姿も周囲の夕闇の中へ融去って了った。鶴になった父親の姿を見たと其の男は堅く信じている…………云々うんぬん

十二月××日
 午前中、稜鏡プリズム羅針儀を借りて来て仕事にかかる。この器械に私は一八七一年以来触れたことがなく、又、それに就いて考えたこともなかったのだが、兎に角、三角形を五つ引いた。エディンバラ大学工科卒業生たるの誇を新たにする。だが、何という怠惰な学生で私はあったか! ブラッキイ教授やテイト教授のことを、ひょいと思出した。
 午後は又、植物共のあらわな生命力との無言の闘争。こうしておのや鎌をふるって六ペンス分も働くと、私の心は自己満足でふくれ返るのに、家の中で机に向って二十ポンド稼いでも、愚かな良心は、己の怠惰と時間の空費とを悼むのだ。之は一体どうした訳か。
 働きながら、ふと考えた。俺は幸福か? と。しかし、幸福というやつは解らぬ。それは自意識以前のものだ。が、快楽なら今でも知っている。色々な形の・多くの快楽を。(どれも之も完全なものとてないが。)其等の快楽の中で、私は、「熱帯林の静寂の中で唯一人斧を揮う」この伐木作業を、高い位置に置くものだ。誠に、「歌の如く、情熱の如く」此の仕事は私を魅する。現在の生活を、私は、他の如何なる環境とも取換えたく思わない。しかも一方、正直な所を云えば、私は今、或る強い嫌悪の情で、絶えずゾッとしているのだ。本質的にそぐわない環境の中へ強いて身を投じた者の感じねばならない肉体的な嫌悪というやつだろうか。神経を逆撫する荒っぽい残酷さが、何時も私の心を押しつける。うごめき、まつわるものの、いやらしさ。周囲の空寂と神秘との迷信的な不気味さ。私自身の荒廃の感じ。絶えざる殺戮さつりくの残酷さ。植物共の生命が私の指先を通して感じられ、彼等のあがきが、私には歎願のように応える。血にまみれているような自分を感じる。

 ファニイの中耳炎。まだ痛むらしい。
 大工の馬が※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)けいらん十四箇を踏みつぶした。昨夕は、うちの馬が脱出して、隣(といっても随分離れているが)の農耕地に大きな穴をあけたそうだ。

 身体の調子はすこぶる良いのだが、肉体労働が少し過ぎるらしい。夜、蚊帳かやの下のベッドに横になると、背中が歯痛のように痛い。閉じたまぶたの裏に、私は、近頃毎晩ハッキリと、限りない、生々した雑草の茂み、その一本一本を見る。つまり、私は、くたくたになって横たわったまま何時間も、昼の労働の精神的復誦ふくしょうをやってのける訳だ。夢の中でも、私は、強情な植物共のつるを引張り、蕁麻いらくさとげに悩まされ、シトロンの針に突かれ、蜂には火の様にされ続ける。足許でヌルヌルする粘土、どうしても抜けない根、恐ろしい暑さ、突然の微風、近くの森から聞える鳥の声、誰かがふざけて私の名を呼ぶ声、笑声、口笛の合図…………大体、昼の生活を夢の中で、もう一ぺん、し直すのである。

十二月××日
 昨夜仔豚三頭盗まる。
 今朝巨漢ラファエレが、おずおずと我々の前に現れたので、この事に就いて質問し、やまをかけて見る。全く子供だましのトリック。但し、之はファニイがやったので、私は余りんな事を好まぬ。先ずラファエレを前に坐らせ、こちらは少し離れて彼の前に立ち、両腕を伸ばし両方の人差指でラファエレの両眼を指しながら徐々に近づいて行く、こちらの勿体ぶった様子にラファエレは既に恐怖の色を浮べ、指が近付くと眼を閉じて了う。其の時、左手の人差指と親指とを拡げて彼の両眼の瞼に触れ、右手はラファエレの背後うしろに廻して、頭や背を軽く叩く。ラファエレは、自分の両眼にさわっているのは左右の人差指と信じているのだ。ファニイは右手を引いて元の姿勢にかえり、ラファエレに眼を開かせる。ラファエレは変な顔をして、先刻頭の後にさわったのは何です、と聞く。「私に付いている魔物だよ。」とファニイが云う。「私は私の魔物を呼び起したんだよ。もう大丈夫。豚盗人は、魔物がつかまえて呉れるから。」
 三十分後、ラファエレは心配そうな顔をして、又、我々の所へ来る。さっきの魔物の話は本当かと念を押す。
「本当だよ。った男が今晩ると、魔物も其処へ寐に行くんだよ。じきに其の男は病気になるだろうよ。豚を盗ったむくいさ。」
 幽霊信者の巨漢は益々不安の面持になる。彼が犯人とは思わないが、犯人を知っていることだけは確かのようだ。そして、恐らく今晩あたり其の仔豚の饗宴きょうえんにあずかるであろうことも。但し、ラファエレにとって、それは余り楽しい食事ではなくなるだろう。

 此の間、森の中で思い付いた例の物語、どうやら頭の中で大分醗酵はっこうして来たようだ。題は、「ウルファヌアの高原林」とつけようかと思う。ウルは森。ファヌアは土地。美しいサモア語だ。之を作品中の島の名前に使うつもり。未だ書かない作品中の色々な場面が、紙芝居の絵のように次から次へと現れて来て仕方がない。非常に良い叙事詩になるかも知れぬ。実に下らない甘ったるいメロドラマに堕する危険も多分にありそうだ。何か電気でもはらんだような工合で、今執筆中の「南洋だより」のような紀行文など、ゆっくり書いていられなくなる。随筆や詩(もっとも、私の詩は、いきぬきの為の娯楽の詩だから、話にならないが)を書いている時は、決して、こんな興奮に悩まされることはないのだが。

 夕方、巨樹の梢と、山の背後とに、壮大な夕焼。やがて、低地と海との彼方から満月が出ると、此の地には珍しい寒さが始まった。誰一人眠れない。皆起出して、掛蒲団かけぶとんを探す。何時頃だったろう。――外は昼のように明るかった。月は正にヴァエア山巓さんてんに在った。丁度真西だ。鳥共も奇妙に静まり返っている。家の裏の森も寒さにうずいているように見えた。
 六十度よりくだったに違いない。

   三

 明けて一八九一年の正月になると、旧宅、ボーンマスのスケリヴォア荘から、家財道具一切をまとめて、ロイドがやって来た。ロイドはファニイの息子で、最早二十五歳になっていた。
 十五年前フォンテンブロオの森でスティヴンスンが始めてファニイに会った時、彼女は既に廿歳に近い娘と九歳になる男の児との母親であった。娘はイソベル、男の児はロイドといった。ファニイは当時、戸籍の上では未だ米国人オスボーンの妻であったけれど、久しく夫からのがれて欧洲に渡り、雑誌記者などをしながら、二人の子をかかえて自活していたのである。
 それから三年の後、スティヴンスンは、其の時カリフォルニアに帰っていたファニイの後を追うて、大西洋を渡った。父親からは勘当同様となり、友人達の切なる勧告(彼等は皆スティヴンスンの身体を気遣っていた。)をもしりぞけて、最悪の健康状態と、それに劣らず最悪の経済状態とを以て彼は出発した。果して加州に着いた時は、殆ど瀕死ひんしの有様だった。しかし、兎に角どうにか頑張り通して生延びた彼は、翌年、ファニイの・前夫との離婚成立を待ってようやく結婚した。時にファニイは、スティヴンスンより十一歳年上の四十二。前年娘のイソベルがストロング夫人となって長男を挙げていたから、彼女は既に祖母となっていた訳である。
 うして、世の辛酸をめつくした中老の亜米利加アメリカ女と、坊ちゃん育ちで、我儘わがままで天才的な若いスコットランド人との結婚生活が始まった。夫の病弱と妻の年齢とは、しかし、二人を、やがて、夫婦というよりもむしろ、芸術家と其のマネージャアの如きものに変えて了った。スティヴンスンに欠けている実際家的才能を多分に備えていたファニイは、彼のマネージャアとして確かに優秀であった。が、時に、優秀すぎるうらみがないではなかった。殊に、彼女が、マネージャアの分を超えて批評家の域に入ろうとする時に。
 事実、スティヴンスンの原稿は、必ず一度はファニイの校閲を経なければならないのである。三晩ないで書上げた「ジィキルとハイド」の初稿をストーヴの中に叩き込ませたのは、ファニイであった。結婚以前の恋愛詩を断然差押えて出版させなかったのも、彼女であった。ボーンマスにいた頃、夫の身体の為とはいえ、古い友達の誰彼を、頑として一切病室に入れなかったのも、彼女であった。之にはスティヴンスンの友人達も大分気を悪くした。直情径行のW・E・ヘンレイ(ガルバルジイ将軍を詩人にした様な男だ)が真先に憤慨した。何の為に、あの色の浅黒い・はやぶさの様な眼をした亜米利加女が、でしゃばらねばならぬのか。あの女のためにスティヴンスンはすっかり変って了った、と。此の豪快な赤髯あかひげ詩人も、自己の作品の中に於てなら、友情が家庭や妻のためにこうむらねばならぬ変化を充分冷静に観察できた筈だのに、今、実際眼の前で、最も魅力ある友が一婦人のために奪い去られるのには、我慢がならなかったのである。スティヴンスンの方でも、確かに、フアニイの才能に就いて幾分誤算をしていた所があった。一寸利口な婦人ならば誰しもが本能的に備えている男性心理への鋭い洞察や、又、そのジャアナリスティックな才能を、芸術的な批評能力と買いかぶった所が確かにあった。後になって、彼も其の誤算に気付き、時として心服しかねる妻の批評(というより干渉といっていい位、強いもの)に辟易へきえきせねばならなかった。「鋼鉄はがねの如く真剣に、やいばの如く剛直な妻」と、或る戯詩の中で、彼はファニイの前にかぶとを脱いだ。
 連子のロイドは、義父と生活を共にしている間に、何時か自分も小説を書くことを覚え出した。此の青年も母親に似て、ジャアナリスト的な才能を多くっているようである。息子の書いたものに義父が筆を加え、それを母親が批評するという、妙な一家が出来上った。今迄に父子の合作は一つ出来ていたが、今度ヴァイリマで一緒に暮らすようになってから、「退潮エッブ・タイド」なる新しい共同作品の計画が建てられた。
 
 四月になると、愈々いよいよ屋敷が出来上った。芝生とヒビスカスの花とに囲まれた・暗緑色の木造二階建、赤屋根の家は、ひどく土人達の眼を驚かせた。スティヴロン氏、或いはストレーヴン氏(彼の名を正確に発音できる土人は少かった)或いはツシタラ(物語の語り手を意味する土語)が、富豪であり、大酋長だいしゅうちょうであることは、最早疑いなきものと彼等には思われた。彼の豪壮(?)な邸宅の噂は、やがてカヌーに乗って、遠くフィジー、トンガ諸島あたり迄喧伝けんでんされた。

 やがて、スコットランドからスティヴンスンの老母が来て一緒に暮らすことになった。それと共に、ロイドの姉イソベル・ストロング夫人が長男のオースティンを連れてヴァイリマに合流した。
 スティヴンスンの健康は珍しく上乗で、伐木や乗馬にもさして疲れないようになった。原稿執筆は、毎朝決って五時間位。建築費に三千ポンドも使った彼は、いやでもかきくらざるを得なかったのである。

   四

一八九一年五月×日
 自分の領土(及び其の地続き)内の探険。ヴァイトゥリンガ流域の方は先日行って見たので、今日はヴァエア河の上流を探る。
 叢林そうりんの中を大体見当をつけて東へ進む。漸く河の縁へ出る。最初河床は乾いている。ジャック(馬)を連れて来たのだが、河床の上に樹々が低く密生して馬は通れないので、叢林の中の木につないで置く。乾いた川筋を上って行く中に、谷が狭くなり、所々にほらがあったりして、横倒しになった木の下をかがまずにくぐって歩けた。
 北へ鋭く曲る。水の音が聞えた。暫くして、そばだつ岩壁にぶつかる。水が其の壁面をすだれのように浅く流れ下っている。其の水は直ぐ地下に潜って見えなくなって了う。岩壁は攀登よじのぼれそうもないので、木を伝って横の堤に上る。青臭い草の匂がむんむんして、暑い。ミモザの花。羊歯しだ類の触手。身体中を脈搏みゃくはくが烈しく打つ。途端に何か音がしたように思って耳をすます。確かに水車の廻るような音がした。それも、巨大な水車が直ぐ足許でゴーッと鳴った様な、或いは、遠雷の様な音が、二三回。そして、その音が強くなる度に、静かな山全体が揺れるように感じた。地震だ。
 又、水路に沿って行く。今度は水が多い。恐ろしく冷たく澄んだ水。夾竹桃きょうちくとう枸櫞樹シトロンたこの木、オレンジ。其等の樹々の円天井の下を暫く行くと、また水が無くなる。地下の熔岩ようがんの洞穴の廊下に潜り込むのだ。私は其の廊下の上を歩く。何時迄行っても、樹々に埋れた井戸の底から仲々抜出られぬ。余程行ってから、漸く繁みが浅くなり、空が葉の間から透けて見えるようになった。
 ふと、牛の鳴声を聞きつける。確かに私の所有する牛には違いないが、先方では所有主を見知るまいから、すこぶる危険だ。立停り、様子をうかがって、うまくやり過ごす。暫く進むと、※(「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1-90-24)るいるいたる熔岩の崖に出くわす。浅い美しい滝がかかっている。下の水溜みずたまりの中を、指ぐらいの小魚の影がすいすいと走る。ざりがにもいるらしい。朽ち倒れ、半ば水に浸った巨木の洞。渓流の底の一枚岩が不思議にルビイの様に紅い。
 やがて又も河床は乾き、いよいよヴァエア山のけわしい面を上って行く。河床らしいものもなくなり、山頂に近い台地に出る。彷徨ほうこうすること暫し、台地が東側の大峡谷に落ちこむ縁の所に、一本の素晴らしい巨樹を見付けた。榕樹ガジマルだ。高さは二百フィートもあろう。巨幹と数知れぬ其の従者共(気根)とは、地球を担うアトラスの様に、怪鳥の翼を拡げたるが如き大枝の群を支え、一方、枝々のみねの中には、羊歯・蘭類がそれぞれ又一つの森のようにむらがり茂っている。枝々の群は、一つの途方もなく大きな円蓋ドームだ。それは層々※(「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1-90-24)々と盛上って、明るい西空(既に大分夕方に近くなっていた)に高く向い合い、東のかたマイル谿たにから野にかけて蜿蜒えんえんと拡がる其の影のおおきさ! 誠に、何とも豪宕ごうとうな観ものであった。
 もう遅いので慌てて、帰途に就く。馬を繋いで置いた所へ来て見ると、ジャックは半狂乱の態だ。独りぼっちで森の中に半日捨て置かれた恐怖の為らしい。ヴァエア山にはアイトゥ・ファフィネなる女怪が出ると土人は云うから、ジャックはそれを見たのかも知れぬ。何度もジャックに蹴られそうになりながら、ようやくのことでなだめて、連れ帰った。

五月×日
 午後、ベル(イソベル)のピアノに合せて銀笛フラジオレットを吹く。クラックストン師来訪。「壜の魔物ボットル・イムプ」をサモア語に訳して、オ・レ・サル・オ・サモア誌に載せ度き由。よろこんで承諾。自分の短篇の中でも、ずっと昔の「ねじけジャネット」や、この寓話ぐうわなど、作者の最も好きなものだ。南海を舞台にした話だから、案外土人達も喜ぶかも知れない。之で愈々いよいよ私は彼等のツシタラ(物語の語り手)となるのだ。
 夜、寝に就いてから、雨の音。海上遠く微かな稲妻。

五月××日
 街へ下りる。殆ど終日為替のことでゴタゴタ。銀の騰落は、此の地に於てはすこぶる大問題なり。
 午後、港内に碇泊ていはく中の船々に弔旗揚がる。土人の女を妻とし、サメソニの名を以て島民に親しまれていたキャプテン・ハミルトンが死んだのだ。
 夕方、米国領事館の方へ歩いて見た。満月の美しい夜。マタウトゥの角を曲った時、前方から讃美歌の合唱の声が聞えた。死者の家のバルコニイに女達(土人の)が沢山いてうたっているのだった。未亡人になったメァリイ(矢張、サモア人だが)が、家の入口の椅子に掛けていた。私と見知越しの彼女は、私を請じ入れて自分の隣に掛けさせた。室内の卓子テーブルの上に、シーツに包まれて横たわっている故人の遺骸を私は見た。讃美歌が終ってから、土人の牧師が立上って、話を始めた。長い話だった。灯明の光が扉や窓から外へ流れ出していた。褐色の少女達が沢山私の近くに坐っていた。恐ろしく蒸暑かった。牧師の話が終ると、メァリイは私を中に案内した。故キャプテンの指は胸の上に組まれ、其の死顔は穏かだった。今にも何か口をききそうであった。之程生々した・美しい蝋細工ろうざいくの面を未だ見たことがない。
 一礼して私は表へ出た。月が明るく、オレンジの香が何処からか匂っていた、既に此の世の戦を終え、こんな美しい熱帯の夜、乙女等の唄に囲まれて静かに眠っている故人に対して、一種甘美な羨望せんぼうの念を私は覚えた。

五月××日
 「南洋だより」は、編輯者へんしゅうしゃ並びに読者に不満の由。いわく、『南洋研究の資料蒐集しうしふ[#ルビの「しうしふ」は底本では「しうしう」]、或ひは科学的観察ならば、又、他に人もあるべし。読者のR・L・S・氏に望む所のものは、もとよりその麗筆に係る南海の猟奇的冒険詩に有之候』冗談ではない。私があの原稿を書く時、頭に浮べていた模範モデルは、十八世紀風の紀行文、筆者の主観や情緒を抑えて、即物的な観察に終始した・ああいう行き方なのだ。「宝島」の作者は何時迄も海賊と埋もれた宝物のことを書いていればいいのであって、南海の殖民事情や、土着民の人口減少現象や、布教状態に就いて考察する資格が無いとでもいうのか? やり切れないことには、ファニイ迄が亜米利加アメリカの編輯者と同意見なのだ。「精確な観察よりも、はなやかで面白いを書かなければ、」と云うのだ。
 大体、私は近頃、従来の自分の極彩色描写が段々いやになって来た。最近の私の文体は、次の二つを目指している積りだ。一、無用の形容詞の絶滅。二、視覚的描写への宣戦。ニューヨーク・サン紙の編輯者にもファニイにもロイドにも、未だに此の事が解らないのだ。

難破船引揚業者レッカー」は順調に進捗しんちょくしつつある。ロイドの他にイソベルという一層叮嚀ていねいな筆記者が殖えたのは、大いに助かる。
 家畜の宰領をしているラファエレに、現在の頭数を聞いて見たら、乳牛三頭、こうしめすおす各一頭ずつ、馬八頭、(ここ迄は聞かなくても知っている。)豚が三十匹余り。家鴨あひる※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)とは随処に出没するので殆ど無数という外はなく、尚、別におびただしい野良猫共が跋扈ばっこしている由。野良猫は家畜なりや?

五月××日
 街に、島巡りのサーカスが来たというので、一家総出で見に行く。真昼の大天幕の下、土人の男女の喧騒けんそうの中で、生温い風に吹かれながら、曲芸を見る。これが我々にとっての唯一の劇場だ。我々のプロスペロオは球乗たまのりの黒熊。ミランダは馬の背に乱舞しつつ火の輪を潜る。
 夕方、帰る。何か心たのしまず。

六月×日
 昨夜八時半頃ロイドと自室にいると、ミタイエレ(十一・二歳の少年召使)がやって来て、一緒にているパータリセ(最近、戸外労働から室内給仕に昇格した十五・六歳の少年、ワリス島の者で英語は皆目判らず、サモア語も五つしか知らない。)が、急に変な事を言出して気味が悪い、と言った。何でも、「今から森の中にいる家族うちの者に逢いに行く。」といって聞かないのだそうだ。「森の中に、あの子の家があるのか?」と聞くと、「あるもんですか。」とミタイエレが言う。直ぐにロイドと、彼等の寝室へ行った。パータリセは睡っている者のように見えたが、何かうわ言を言っている。時々、脅されたねずみの様な声を立てる。身体にさわると冷たい。脈は速くない。呼吸の度に腹が大きく上下する。突然、彼は起上り、頭を低く下げ、前へつんのめるような恰好かっこうで、扉に向って走った。(といっても、其の動作は余り速くなく、ぜんまいゆるんだ機械玩具のような奇妙なのろさであった。)ロイドと私とが彼をつかまえてベッドに寐かしつけた。暫くして又逃出そうとした。今度は猛烈な勢なので、やむを得ず、みんなで彼をベッドに(シーツや縄で)くくり付けた。パータリセは、そうやって抑え付けられたまま時々何か呟き、時に、怒った子供の様に泣いた。彼の言葉は、「ファアモレモレ(何卒なにとぞ)」が繰返される外、「家の者が呼んでいる」とも言っているらしい。そのうちにアリック少年とラファエレとサヴェアとがやって来た。サヴェアはパータリセと同じ島の生れで、彼と自由に話が出来るのだ。我々は彼等に後を任せて部屋に戻った。
 突然、アリックが私を呼んだ。急いで駈付けると、パータリセはいましめをすっかり脱し、巨漢ラファエレにつかまえられている。必死の抵抗だ。五人がかりで取抑えようとしたが、狂人は物凄い力だ。ロイドと私とが片脚の上に乗っていたのに、二人とも二フィートも高く跳ね飛ばされて了った。午前一時頃迄かかって、到頭抑えつけ、鉄の寝台脚に手首足首を結びつけた。厭な気持だが、やむを得ない。其の後も発作は刻一刻と烈しくなるようだ。何のことはない。まるで、ライダー・ハガードの世界だ。(ハガードといえば、今、彼の弟が土地管理委員としてアピアの街に住んでいる。)
 ラファエレが「狂人の工合は大変悪いから、自分の家の家伝の秘薬を持って来よう」と言って、出て行った。やがて、見慣れぬ木の葉を数枚持って来、それを噛んで狂少年の眼に貼付はりつけ、耳の中に其の汁を垂らし、(ハムレットの場面?)鼻孔びこうにも詰込んだ。二時頃、狂人は熟睡に陥った。それから朝迄発作が無かったらしい。今朝ラファエレに聞くと、「あの薬は使い方一つで、一家鏖殺おうさつ位、訳なく出来る劇毒薬で、昨夜は少し利き過ぎなかったかと心配した。自分のほかに、もう一人、比の島で此の秘法を知っている者がある。それは女で、其の女は之を悪い目的の為に使ったことがある。」と。
 入港中の軍艦の医者に今朝来て貰ったが、パータリセを診て、異常なしという。少年は、今日は仕事をするのだと言って聞かず、朝食の時、皆の所へ来て、昨夜の謝罪のつもりだろうか、家中の者に接吻した。この狂的接吻には、一同少からず辟易へきえき。しかし、土人達は皆パータリセの譫言うわごとを信じているのだ。パータリセの家の死んだ一族が多勢、森の中から寝室へ来て、少年を幽冥界ゆうめいかいへ呼んだのだと。又、最近死んだパータリセの兄が其の日の午後叢林そうりんの中で少年に会い、彼の額を打ったに違いないと。又、我々は死者の霊と、昨夜一晩戦い続け、ついに死霊共は負けて、暗い夜(そこが彼等の住居である)へと逃げて行かねばならなかったのだと。

六月×日
 コルヴィンの所から写真を送って来た。ファニイ(感傷的な涙とはおよそ縁の遠い)が思わず涙をこぼした。
 友人! 何と今の私に、それが欠けていることか! (色々な意味で)対等に話すことの出来る仲間。共通の過去をった仲間。会話の中に頭註や脚註の要らない仲間。ぞんざいな言葉は使いながらも、心の中では尊敬せずにいられぬ仲間。この快適な気候と、活動的な日々との中で、足りないものは、それだけだ。コルヴィン、バクスター、W・E・ヘンレイ、ゴス、少し遅れて、ヘンリィ・ジェイムズ、思えば俺の青春は豊かな友情に恵まれていた。みんな俺より立派な奴ばかりだ。ヘンレイとの仲違なかたがいが、今、最も痛切な悔恨を以て思出される。道理から云って、此方が間違っているとは、さらさら思わない。しかし、理窟なんか問題じゃない。巨大な・捲鬚まきひげの・あから顔の・片脚の・あの男と、蒼ざめたせっぽちの俺とが、一緒に秋のスコットランドを旅した時の、あの二十代の健かな歓びを思っても見ろ。あの男の笑い声――「顔と横隔膜とのみの笑ではなく、頭からかかとに及ぶ全身の笑」が、今も聞えるようだ。不思議な男だった、あの男は。あの男と話していると、世の中に不可能などというものは無いような気がして来る。話している中に、何時か此方迄が、富豪で、天才で、王者で、ランプを手に入れたアラディンであるような気がして来たものだ。…………
 昔の懐かしい顔オールド・ファミリアー・フェイシズの一つ一つが眼の前に浮かんで来て仕方がない。無用の感傷を避けるため、仕事の中に逃れる。先日から掛かっているサモア紛争史、或いは、サモアに於ける白人横暴史だ。

 しかし、英国とスコットランドとを離れてから、もう丁度、四年になるのだ。

   五

――サモアに於ては古来地方自治の制、極めて鞏固きょうこにして、名目は王国なれども、王は殆ど政治上の実権を有せず。実際の政治はことごとく、各地方のフォノ(会議)によって決定せられたり。王は世襲に非ず。又、必ずしも常置の位にも非ず。古来此の諸島には、其の保持者に王者たるの資格を与うべき・名誉の称号、五つあり。各地方の大酋長だいしゅうちょうにして、此の五つの称号の全部、もしくは過半数を(人望により、或いは功績により)得たる者、推されて王位にくなり。而して、通常、五つの称号を一人にて兼ね有する場合は極めてまれにして、多くは、王の他に、一つ或いは二つの称号を保持する者あるを常とす。されば、王は、絶えず、他の王位請求権保持者の存在に脅されざるを得ず。かかる状態は必然的に其の中に内乱紛争の因由を蔵するものというべし。
――J・B・ステェア「サモア地誌」――

 一八八一年、五つの称号の中、「マリエトア」「ナトアイテレ」「タマソアリィ」の三つをつ大酋長ラウペパが推されて王位に即いた。「ツイアアナ」の称号をつタマセセと、もう一つの称号「ツイアトゥア」の持主マターファとは、代る代る副王の位に即くべく定められ、先ず始めにタマセセが副王となった。
 其の頃から丁度、白人の内政干渉が烈しくなって来た。以前は、会議フォノ及び其の実権者、ツラファレ(大地主)達が王を操っていたのに、今は、アピアの街に住む極く少数の白人が之に代ったのである。元来アピアには、英・米・独の三国がそれぞれ領事を置いている。併し、最も権力のあるのは領事達ではなくて、独逸ドイツ人の経営に係る南海拓殖商会であった。島の白人貿易商等の間に在って、此の商会はまさしく小人国のガリヴァアであった。かつては此の商会の支配人が独逸領事を兼ねたこともあり、又其の後、自国の領事(此の男は若い人道家で、商会の土人労働者虐待に反対したので)と衝突して之を辞めさせたこともある。アピアの西郊ムリヌウ岬から其の附近一帯の広大な土地が独逸商会の農場で、其処でコーヒー、ココア、パイナップル等を栽培していた。千に近い労働者は、主に、サモアよりも更に未開の他の島々や、或いは遠くアフリカから、奴隷同様にして連れて来られたものである。
 過酷な労働が強制され、白人監督にむちたれる黒色人褐色人の悲鳴が日毎に聞かれた。脱走者が相継ぎ、しかも彼等の多くは捕えられ、或いは殺された。一方、遥かに久しい以前から食人の習慣を忘れている此の島に、奇怪な噂が弘まった。外来の皮膚の黒い人間が島民の子供を取って喰うと。サモア人の皮膚は浅黒、乃至ないし、褐色だから、アフリカの黒人が恐ろしいものに見えたのであろう。
 島民の、商会に対する反感が次第にたかまった。美しく整理された商会の農場は、土人の眼に公園の如く映り、其処へ自由に入ることが許されぬのは、遊び好きな彼等にとって不当な侮辱と思われた。折角苦労して沢山のパイナップルを作り、それを自分達で喰べもせずに、船に載せて他処へ運んで了うに至っては、土人の大部分にとって、全く愚にもつかぬナンセンスである。
 夜、農場へ忍び入って畑を荒すこと、之が流行になった。之は、ロビンフッド的な義侠ぎきょう行為と見做みなされ、島民一般の喝采かっさいを博した。勿論、商会側も黙ってはいない。犯人を捕えると、直ぐに商会内の私設監獄にぶち込んだばかりでなく、此の事件を逆用し、独逸領事と結んでラウペパ王に迫り、賠償を取るのは勿論、更に脅迫によって勝手な税法(白人、殊に独人に有利な)に署名させるに至った。王を始め島民達は、此の圧迫に堪えられなくなった。彼等は英国にすがろうとした。そして、全く莫迦莫迦ばかばかしいことに、王、副王以下各大酋長の決議で「サモア支配権を英国にゆだねたい」旨を申出そうとしたのだ。虎に代うるに狼を以てしようとする此の相談は、しかし、直ぐ独逸側にれた。激怒した独逸商会と独逸領事とは、直ちにラウペパをムリヌウの王宮からい、代りに、従来の副王タマセセを立てようとした。一説には、タマセセが独逸側と結んで、王を裏切ったのだとも云われる。兎に角英米二国は独逸の方針に反対した。紛争が続き、結局、独逸は(ビスマルク流の遣り方だ)軍艦五隻をアピアに入港させ、其の威嚇の下にクー・デ・タを敢行した。タマセセは王となり、ラウペパは南方の山地深く逃れた。島民は新王に不服だったが、諸所の暴動も独逸軍艦の砲火の前に沈黙しなければならなかった。
 独兵の追跡を逃れて森から森へと身を隠していた前王ラウペパの許に、或夜、彼の腹心の一酋長から使が来た。「明朝中に貴下が独逸の陣営に出頭しなければ、更に大きな災禍わざわいが此の島に起るであろう」云々うんぬん。意志の弱い男ではあったが、尚、此の島の貴族にふさわしい一片の道義心を失ってはいなかったラウペパは、直ぐに自己犠牲を覚悟した。其の夜の中に彼はアピアの街に出て、秘かに前の副王候補者であったマターファに会見し、之に後事を託した。マターファは、ラウペパに対する独逸ドイツの要求を知っていた。ラウペパは、ほんの暫くの間、独艦に乗って何処かへ連去られねばならぬ。但し、艦上に於ては前王として出来る限り厚遇すると、独逸艦長が保証していることを、マターファは附加えた。ラウペパは信じなかった。彼は覚悟していた、自分は二度とサモアの地を踏めまいと。彼は、全サモア人への訣別けつべつの辞をしたためて、マターファに渡した。二人は涙の中に別れ、ラウペパは独逸領事館に出頭した。其の午後、彼は独艦ビスマルク号に載せられ、何処へともなく立去った。彼の訣別の辞は悲しいものであった。
「……我が島々と、我が全サモア人への愛の為に、余は独逸政府の前に自らを投出す。彼等は、その欲するままに余を遇するであろう。余は、貴きサモアの血が、我故に再び流されることを望まぬ。しかし、余の犯した如何なる罪が、彼等皮膚白き者をして、(余に対し、又、余の国土に対し)くも憤らしめたか、余には未だにそれが解らぬのだ。……」最後に彼は、サモアの各地方の名前を感傷的に呼びかけている。「マノノよ、さらば、ツツイラよ。アアナよ。サファライよ……」島民は之を読んで皆涙を流した。
 スティヴンスンが此の島に定住するより三年前の出来事である。

 新王タマセセに対する島民の反感は烈しかった。衆望はマターファに集まっていた。一揆いっきが相継いで起り、マターファは自分の知らぬ間に、自然推戴の形で、叛軍の首領になっていた。新王を擁立する独逸と、之に対立する英米(彼等は別にマターファに好意を寄せていた訳ではないが、独逸に対する対抗上、事毎に新王にたてついた)との軋轢あつれきも次第に激化して来た。一八八八年の秋頃から、マターファは公然兵を集めて山岳密林帯に立籠たてこもった。独逸の軍艦は沿岸を回航して叛軍の部落に大砲をぶち込んだ。英米が之に抗議し、三国の関係は、かなり危い所まで行った。マターファは度々王の軍を破り、ムリヌウから王を追うてアピアの東方ラウリイの地に包囲した。タマセセ王救援の為に上陸した独艦の陸戦隊はファンガリィの峡谷でマターファ軍のために惨敗した。多数の独逸兵が戦死し、島民はよろこんだというよりむしろ自ら驚いて了った。今迄半神セミ・ゴッドの如く見えた白人が、彼等の褐色の英雄によってたおされたのだから。タマセセ王は海上に逃亡し、独逸の支持する政府は完全についえた。
 憤激した独逸領事は、軍艦を用いて島全体にすこぶる過激な手段を加えようとした。再び、英米、殊に米国が正面から之に反対し、各国はそれぞれ軍艦をアピアに急航させて、事態は更に緊迫した。一八八九年の三月、アピア湾内には、米艦二隻英艦一隻が独艦三隻と対峙たいじし、市の背後の森林にはマターファの率いる叛軍が虎視眈々たんたんと機をうかがっていた。まさに一触即発のこの時、天は絶妙な劇作家的手腕をふるって人々を驚かせた。かの歴史的な大惨禍、一八八九年の大颶風ハリケーンが襲来したのである。想像を絶した大暴風雨がまる一昼夜続いた後、前日の夕方迄碇泊ていはくしていた六隻の軍艦の中、大破損を受けながらも兎に角水面に浮んでいたのは、僅か一隻に過ぎなかった。最早、敵も味方もなくなり、白人も土人も一団となって復旧作業に忙しく働いた。市の背後の密林に潜んでいた叛軍の連中迄が、街や海岸に出て来て、死体の収容や負傷者の看護に当った。今は独逸人も彼等を捕えようとはしなかった。此の惨禍は、対立した感情の上に意外な融和をもたらした。
 比の年、遠くベルリンで、サモアに関する三国の協定が成立した。その結果、サモアは依然名目上の王を戴き、英・米・独三国人から成る政務委員会が之をたすけるという形式になった。この委員会の上に立つべき政務長官と、全サモアの司法権を握るべきチーフ・ジャスティス(裁判所長)と、この二人の最高官吏は欧洲から派遣されることとなり、又、爾後じご、王の選出には政務委員会の賛成が絶対必要と定められた。
 同じ年(一八八九年)の暮、二年前に独艦上に姿を消して以来まるで消息の知れなかった前々王ラウペパが、ひょっこり憔悴しょうすいした姿で戻って来た。サモアから濠洲ごうしゅうへ、濠洲から独領西南アフリカヘ、アフリカから独逸本国へ、独逸から又ミクロネシアヘと、盥廻たらいまわしに監禁護送されて来たのである。しかし、彼の帰って来たのは、傀儡かいらいの王として再び立てられる為であった。
 もし王の選出が必要とあれば、順序から云っても、人物や人望から云っても、当然マターファが選ばるべきだった。が、彼の剣には、ファンガリィの峡谷に於ける独逸水兵の血潮がちぬられている。独逸人は皆マターファの選出に絶対反対であった。マターファ自身も別に強いて急ごうとしなかった。いずれは順が廻って来ると楽観的に考えてもいたし、又、二年前涙と共に別れた・そして今やつれ果てて帰って来た老先輩への同情もあった。ラウペパの方は又ラウペパで、始めは、実力上の第一人者たるマターファに譲るつもりでいた。元々意志の弱い男が、二年に亘る流浪の間に、絶えざる不安と恐怖とのために、すっかり覇気を失って了ったからである。
 うした二人の友情を無理やりに歪めて了ったのが、白人達の策動と熱烈な島民の党派心とである。政務委員会の指図で否応なしにラウペパが即位させられてから一月も経たない中に、(まだ仲の良かった二人が大変驚いたことに)王とマターファの間の不和の噂が伝えられ出した。二人は気まずく思い、そして、又実際、奇妙な、いたましいコースをとって、二人の間の関係は本当に気まずいものに成って行ったのである。

 此の島に来た最初から、スティヴンスンは、此処にいる白人達の・土人の扱い方に、腹が立ってたまらなかった。サモアにとってわざわいなことに、彼等白人はことごとく――政務長官から島巡り行商人に至る迄――金儲かねもうけの為にのみ来ているのだ。これには、英・米・独、の区別はなかった。彼等の中誰一人として(極く少数の牧師達を除けば)此の島と、島の人々とを愛するが為に此処に留まっているという者が無いのだ。スティヴンスンは初め呆れ、それから腹を立てた。植民地常識から考えれば、之は、呆れる方がよっぽどおかしいのかも知れないが、彼はむきになって、遥かロンドン・タイムズに寄稿し、島の此の状態を訴えた。白人の横暴、傲岸ごうがん、無恥。土人の惨めさ、等々。しかし、此の公開状は、冷笑を以てむくいられたに過ぎなかった。大小説家の驚くべき政治的無知、云々うんぬん。「ダウニング街の俗物共」の軽蔑者けいべつしゃたるスティヴンスンのこととて、(かつて大宰相グラッドストーンが「宝島」の初版を求めて古本屋をあさっていると聞いた時も、彼は真実、虚栄心をくすぐられる所でなく、何か莫迦莫迦ばかばかしいような不愉快さを感じていた)政治的実際に疎いのは事実だったが、植民政策も土着の人間を愛することから始めよ、という自分の考が間違っているとは、どうしても思えなかった。此の島に於ける白人の生活と政策とに対する彼の非難は、アピアの白人達(英国人をも含めて)と彼との間に溝を作って行った。
 スティヴンスンは、故郷スコットランドの高地人ハイランダァ氏族クラン制度に愛着をもっていた。サモアの族長制度も之に似た所がある。彼は、始めてマターファに会った時、その堂々たる体躯たいくと、威厳のある風貌とに、真の族長らしい魅力を見出した。
 マターファはアピアの西、七マイルのマリエに住んでいる。彼は形の上の王ではなかったが、公認の王たるラウペパに比べて、より多くの人望と、より多くの部下と、より多くの王者らしさとをっていた。彼は、白人委員会の擁立する現在の政府に対して、曾て一度も反抗的な態度を執ったことがない。白人官吏が自ら納税を怠っている時でも、彼だけはちゃんと納めたし、部下の犯罪があれば何時でも大人しく裁判所長チーフ・ジャスティスの召喚に応じた。にもかかわらず、何時の間にか、彼は現政府の一大敵国と見做みなされ、恐れられ、はばかられ、憎まれるようになっていた。彼が秘かに弾薬を集めているなどと政府に密告する者も出て来た。王の改選を要求する島民の声が政府を脅していたことは事実だが、マターファ自身は一度も、まだ、そんな要求をしたことはない。彼は敬虔けいけんなクリスチャンであった。独身で、今は六十歳に近いが、二十年来、「主のこの世に生き給いし如く」生きようと誓って(婦人に関することに就いて言っているのだ)、それを実行して来た、と、自ら言っていた。夜毎、島の各地方から来た語り手を灯の下に集めて円座を作らせ、彼等から、古い伝説いいつたえ古譚こたん詩の類を聞くのが、彼の唯一つの楽しみであった。

   六

一八九一年九月×日
 近頃島中に怪しい噂が行われている。「ヴァイシンガノの河水が紅く染まった。」「アピア湾で捕れた怪魚の腹に不吉な文字が書かれていた。」「頭の無い蜥蜴とかげ酋長しゅうちょう会議の壁を走った。」「夜毎、アポリマ水道の上空で、雲の中から物凄い喊声かんせいが聞える。ウポル島の神々と、サヴァイイ島の神々とが戦っているのだ。」…………土人達は之を以て、来るべき戦争の前兆と真面目に考えている。彼等は、マターファが何時かは立上って、ラウペパと、白人達の政府マロとを倒すであろうと期待しているのだ。無理もない。全く今の政府マロはひどい。莫大ばくだいな(少くともポリネシアにしては)給料をむさぼりながら、何一つ――全く完全に何一つ――しないでノラクラしている役人共ばかりだ。裁判所長チーフ・ジャスティスのツェダルクランツも個人としてはいやな男ではないが、役人としては全く無能だ。政務長官のフォン・ピルザッハに至っては、事毎に島民の感情をそこなってばかりいる。税ばかり取立てて、道路一つ作らぬ。着任以来、土民に官を授けたことが一度もない。アピアの街に対しても、王に対しても、島に対しても、一文の金も出さぬ。彼等は、自分等がサモアにいること、又、サモア人というものがあり、やはり目と耳と若干の知能とをっているのだ、という事を忘れている。政務長官の為した唯一のこと、それは、自分の為に堂々たる官邸を建てることを提案し、既にそれに着手していることだ。しかも、ラウペパ王の住居は、その官邸の直ぐ向いの、島でも中流以下の、みすぼらしい建物(小舎?)なのである。
 先月の政府の人件費の内訳を見よ。

裁判所長チーフ・ジャスティスの俸給………………………………五〇〇ドル
政務長官の俸給………………………………四一五弗
警察署長(瑞典スウェーデン人)の俸給…………………一四〇弗
裁判所長秘書官の俸給………………………一〇〇弗
サモア王ラウペパの俸給………………………九五弗

 一斑いっぱん推して全豹ぜんぴょうを知るべし。之が新政府下のサモアなのだ。
 植民政策に就いて何一つ知りもせぬ文士のくせに、出しゃばって、無智な土人に安っぽい同情を寄せるR・L・S・氏は、宛然さながらドン・キホーテの観があるそうな。之は、アピアの一英人の言葉である。あの奇矯な義人の博大な人間愛に比べられた光栄を、先ず、感謝しよう。実際私は政治に就いて何一つ知らないし、又、知らないことを誇ともしている。植民地、或いは、半植民地に於て、何が常識になっているか、をも知らぬ。仮令たとえ、知っていたとしても、私は文学者だから、心から納得の行かない限り、そんな常識を以て行為の基準とする訳には行かない。
 本当に、直接じかに、心にみて感じられるもの、それのみが私を、(或いは芸術家を)行為にまで動かし得るのだ。所で、今の私にとって、其の「直接じかに感じられるもの」とは何か、といえば、それは、「私が最早一旅行者の好奇の眼を以てでなく、一居住者の愛著あいちゃくを以て、此の島と、島の人々とを愛し始めた」ということである。
 兎に角、目前に危険の感じられる内乱と、又、それを誘発すべき白人の圧迫とを、何とかして防がねばならぬ。しかも、うした事柄に於ける私の無力さ! 私は、まだ選挙権さえ有っていない。アピアの要人達と会って話して見るのだが、彼等は私を真面目に扱っていないように思われる。辛抱して私の話を聞いて呉れるのも、実は、文学者としての私の名声に対してのことに過ぎない。私が立去ったあとでは、屹度きっと舌でも出しているに相違ない。
 自分の無力感が、いたく私を噛む。この愚劣と不正と貪慾どんよくとが日一日と烈しくなって行くのを見ながら、それに対して何事をも為し得ないとは!

九月××日
 マノノで又新しい事件が起った。全く、こんなに騒動ばかり起す島はない。小さな島のくせに、全サモアの紛争の七割は、此処から発生する。マノノのマターファ側の青年共が、ラウペパ側の者の家を襲って焼払ったのだ。島は大混乱に陥った。丁度、裁判所長チーフ・ジャスティスが官費でフィジーへ大名旅行中だったので、長官のピルザッハが自らマノノヘ赴き、独りで上陸して(此の男も感心に勇気だけはあると見える)暴徒に説いた。そして、犯人等に自らアピア迄出頭するように命じた。犯人達は男らしく自らアピアヘ出て来た。彼等は六ヶ月禁錮きんこの宣告を受け、直ぐろうつながれることになった。彼等に附添って一緒に来た、他の剽悍ひょうかんなマノノ人等は、犯人達が街を通って牢へ連れて行かれる途中で、大声に呼びかけた。「いずれ助け出してやるぞ!」実弾の銃を担った三十人の兵に囲まれて進んで行く囚人等は、「それには及ばぬ。大丈夫だ。」と答えた。それで話は終った訳だが、一般には、近い中に救助破獄が行われるだろうと固く信じられている。監獄では厳重な警戒が張られた。日夜の心配に堪えられなくなった守衛長(若い瑞典人)は、遂に、乱暴極まる措置を思いついた。ダイナマイトを牢の下に仕掛け、襲撃を受けた場合、暴徒も囚人も共に爆破して了ったらどうだろうと。彼は政務長官に之を話して賛成を得た。それで、碇泊ていはく中のアメリカ軍艦へ行ってダイナマイトを貰おうとしたが拒絶され、やっと、難破船引揚業者(前々年の大颶風ハリケーンで湾内に沈没したままになっている軍艦二隻をアメリカがサモア政府に寄贈することになったので、其の引揚作業のため目下アピアに来ている。)から、それを手に入れたらしい。この事が一般にれ、この二三週間、流言がしきりに飛んでいる。余り大騒ぎになりそうなので、怖くなった政府では、最近、突如囚人達をカッターに乗せてトケラウス島へ移して了った。大人しく服罪している者を爆破しようというのは勿論言語道断だが、勝手に禁錮を流罪に変更するのも随分目茶な話だ。斯うした卑劣と臆病と破廉恥とが野蛮に臨む文明の典型的な姿態すがたである。白人は皆こんな事に賛成なのだ、と、土人等に思わせてはならない。
 此の件に就いての質問書を、早速、長官宛に出したが、未だに返辞がない。

十月×日
 長官よりの返書、ようやく来る。子供っぽい傲慢ごうまんと、狡猾こうかつな言抜け。要領を得ず。直ちに、再質問書を送る。こんないざこざは大嫌いだが、土人達がダイナマイトで吹飛ばされるのを黙って見ている訳には行かない。
 島民はまだ静かにしている。之が何時迄続くか、私は知らぬ。白人の不人気は日毎にたかまるようだ。穏和な、我がへンリ・シメレも今日、「浜(アピア)の白人は厭だ。むやみに威張ってるから。」と云った。一人の威張りくさった白人の酔漢がヘンリに向い山刀を振上げて、「貴様の首をぶった切るぞ」とおどしつけたのだそうだ。之が文明人のやることか? サモア人は概して慇懃いんぎんで、(常に上品とはいえないにしても)穏和で、(盗癖を別として)彼等自身の名誉観をっており、そして、少くともダイナマイト長官ぐらいには開化している。
 スクリブナー誌連載中の「難破船引揚業者レッカー」第二十三章書上げ。

十一月××日
 東奔西走、すっかり政治屋に成り果てた。喜劇? 秘密会、密封書、暗夜の急ぎ路。この島の森の中を暗夜に通ると、青白い燐光りんこうが点々と地上一面に散り敷かれていて美しい。一種の菌類が発光するのだという。
 長官への質問書が署名人の一人に拒まる。その家へ出掛けて行って説得、成功。俺の神経も、何と鈍く、頑強になったものだ!
 昨日、ラウペパ王を訪問す。低い、惨めな家。地方の寒村にだって此の位の家は幾らでもある。丁度向い側に、殆ど竣工しゅんこうの成った政務長官官邸がそびえ、王は日毎に此の建物を仰いでおらねばならぬ。彼は白人官吏への気兼から、我々に会うことを余り望まぬようだ。乏しい会談。しかし、この老人のサモア語の発音――殊に、その重母音の発音は美しい。非常に。

十一月××日
難破船引揚業者レッカーようやく完成。「サモア史脚註」も進行中。現代史を書くことのむずかしさ。殊に、登場人物がことごとく自己の知人なる時、その困難は倍加す。
 先日のラウペパ王訪問は、果然、大騒を惹起ひきおこす。新しい布告が出る。何人も領事の許可なくして、又、許されたる通訳者なしには、王と会見すべからず、と。聖なる傀儡かいらい
 長官より会談の申込あり。懐柔せんとなるべし。断る。
 くて余は公然独逸ドイツ帝国に対する敵となり終れるものの如し。何時もうちに遊びに来ていた独逸士官達も、出帆に際し挨拶に来られぬ旨を言いよこした。
 政府が街の白人達に不人気なのは面白い。いたずらに島民の感情を刺戟しげきして、白人の生命財産を危険にさらすからだ。白人は土人よりも税を納めない。
 インフルエンザ猖獗しょうけつ。街のダンス場も閉じた。ヴァイレレ農場では七十人の人夫が一時にたおれたと。

十二月××日
 一昨日の午前、ココアの種子千五百、続いて午後に七百、届く。一昨日の正午から昨日の夕刻迄うち中総出で、この植付にかかりっきり。みんな泥まみれになり、ヴェランダは愛蘭土アイルランド泥炭沼の如し。ココアは始めココア樹の葉で編んだかごく。十人の土人が裏の森の小舎で此の籠を編む。四人の少年が土を掘って箱に入れヴェランダヘ運ぶ。ロイドとベル(イソベル)と私とが、石や粘土塊をふるって土を籠に入れる。オースティン少年と下婢かひのファアウマとが其の籠をファニイの所へ持って行く。ファニイが一つの籠に一つの種子を埋め、それをヴェランダに並べる。一同綿の如くに疲れて了った。今朝もまだ疲れが抜けないが、郵船日も近いので、急いで「サモア史脚註」第五章を書上げる。之は芸術品ではない。唯、急いで書上げて急いで読んで貰うべきもの。さもなければ無意味だ。
 政務長官辞任の噂あり。あてにはならぬ。領事連との衝突が此の噂を生んだのだろう。

一八九二年一月×日
 雨。暴風の気味あり。戸をしめランプをける。感冒が中々抜けぬ。リュウマチも起って来た。或る老人の言葉を思出す。「あらゆるイズムの中で最悪なのは、リュウマティズムだ。」
 此の間から休養をとる意味で、曾祖父そうそふの頃からのスティヴンスン家の歴史を書始めた。大変楽しい。曾祖父と、祖父と、其の三人の息子(私の父をも含めて)とが、相次いで、黙々と、霧深き北スコットランドの海に灯台を築き続けた其の貴い姿を思う時、今更ながら私は誇に充たされる。題は何としよう? 「スティヴンスン家の人々」「スコットランド人の家」「エンジニーアの一家」「北方の灯台」「家族史」「灯台技師の家」?
 祖父が、およそ想像に絶する困難と闘ってベル・ロック暗礁岬の灯台を建てた時の詳しい記録が残っている。それを読んでいる中に、何だか自分が(或いは未生の我が)本当にそんな経験をしたかのような気がして来る。自分は自分が思っている程自分ではなく、今から八十五年前北海の風波や海霧ガスに苦しみながら、干潮の時だけ姿を見せる・此の魔の岬と、実際に戦ったことがあるのだ、と、確かにそう思えて来る。風の激しさ。水の冷たさ。はしけの揺れ。海鳥の叫。そういうもの迄がありありと感じられるのだ。突然胸をかれるような気がした。※(「石+角」、第3水準1-89-6)こうかくたるスコットランドの山々、ヒースの茂み。湖。朝夕聞慣れたエディンバラ城の喇叭らっぱ。ペントランド、バラヘッド、カークウォール、ラス岬、嗚呼ああ
 私の今いる所は、南緯十三度、西経百七十一度。スコットランドとは丁度地球の反対側なのだ。

   七

「灯台技師の家」の材料をいじっている中に、何時かスティヴンスンは、一万マイル彼方のエディンバラの美しい街をおもい出していた。朝夕の霧の中から浮び上る丘々や、その上に屹然きつぜんとして聳える古城郭から、遥か聖ジャイルス教会の鐘楼へかけての崎嶇きくたるシルウェットが、ありありと眼の前に浮かんで来た。
 
 幼い頃からひどく気管の弱かった少年スティヴンスンは、冬の暁毎に何時も烈しい咳の発作に襲われて、ていられなかった。起上り、乳母のカミイにたすけられ、毛布にくるまって窓際の椅子に腰掛ける。カミイも少年と並んで掛け、咳の静まる迄、互いに黙って、じっと外を見ている。硝子ガラス越に見るヘリオット通りロウはまだ夜のままで、所々に街灯がぼうっとにじんで見える。やがて車のきしる音がし、窓の前をすれすれに、市場行の野菜車の馬が、白い息を吐き吐き通って行く。…………之がスティヴンスンの記憶に残る最初の此の都の印象だった。
 エディンバラのスティヴンスン家は、代々灯台技師として聞えていた。小説家の曾祖父に当るトマス・スミス・スティヴンスンは北英灯台局の最初の技師長であり、その子ロバァトも亦其の職を継いで、有名なベル・ロックの灯台を建設した。ロバァトの三人の息子、アラン、デイヴィッド、トマス、もそれぞれ次々に此の職を襲った。小説家の父、トマスは、廻転灯、総光反射鏡の完成者として、当時、灯台光学の泰斗であった。彼は其の兄弟と協力して、スケリヴォア、チックンスを始め、幾つかの灯台を築き、多くの港湾を修理した。彼は、有能な実際的科学者で、忠実な大英国の技術官で、敬虔けいけんなスコットランド教会の信徒で、かの基督キリスト教のキケロといわれるラクタンティウスの愛読者で、又、骨董こっとう向日葵ひまわりとの愛好者だった。彼の息子の記す所によれば、トマス・スティヴンスンは、常に、自己の価値に就いて甚だしく否定的な考を抱き、ケルト的な憂鬱ゆううつを以て、絶えず死を思い無常を観じていたという。
 高貴な古都と、其処に住む宗教的な人々(彼の家族をも含めて)とを、青年期のロバァト・ルゥイス・スティヴンスンは激しく嫌悪した。プレスビテリアンの中心たる此の都が、彼には悉く偽善の府と見えたのである。十八世紀の後半、此の都にディーコン・ブロディなる男がいた。昼間は指物師をやり市会議員を勤めていたが、夜になると一変して賭博者とばくしゃとなり、兇悪きょうあくな強盗となって活躍した。大分久しい後にようやあらわれて処刑されたが、この男こそエディンバラ上流人士の象徴だと、二十歳のスティヴンスンは考えた。彼は、通い慣れた教会の代りに、下町の酒場へ通い出した。息子の文学者志望宣言(父は初め息子をもエンジニーアに仕立てようと考えていたのだが)は、どうにか之を認め得た父親も、その背教だけは許せなかった。父親の絶望と、母親の涙と、息子の憤激の中に、親子の衝突が屡々しばしば繰返された。自分が破滅の淵に陥っていることを悟れない程、未だ子供であり、しかも父の救の言葉を受付けようとしない程、成人おとなになっている息子を見て、父親は絶望した。此の絶望は、余りに内省的な彼の上に奇妙な形となってあらわれた。幾回かの争の後、彼は最早息子を責めようとせず、ひたすらに我が身を責めた。彼は独りひざまずき、泣いて祈り、己の至らざる故にせがれを神の罪人としたことを自ら激しく責め、且つ神にびた。息子の方では、科学者たる父が何故こんな愚かしい所行を演ずるのか、どうしても理解できなかった。
 それに、彼は、父と争論したあとでは何時も、「どうして親の前に出るとんな子供っぽい議論しか出来なくなるのだろうか」と、自分でいやになって了うのである。友人と話合っている時ならば、颯爽さっそうとした(少くとも成人おとなの)議論の立派に出来る自分なのに、之は一体どうした訳だろう? 最も原始的なカテキズム、幼稚な奇蹟反駁論はんばくろん、最も子供だましの拙劣な例を以て証明されねばならない無神論。自分の思想は斯んな幼稚なものである筈はないのに、と思うのだが、父親と向い合うと、何時も結局は、こんな事になって了う。父親の論法が優れていて此方が負ける、というのでは毛頭ない。教義に就いての細緻さいちな思索などをした事のない父親を論破するのは極めて容易だのに、その容易な事をやっている中に、何時の間にか、自分の態度が我ながらいやになる程、子供っぽいヒステリックなねたものとなり、議論の内容そのもの迄が、可嗤リディキュラスなものになっているのだ。父に対する甘えが未だ自分に残っており、(ということは、自分が未だ本当に成人おとなでなく)それが、「父が自分をまだ子供と視ていること」と相俟あいまって、こうした結果をもたらすのだろうか? それとも、自分の思想が元来くだらない未熟な借物であって、それが、父の素朴な信仰と対置されて其の末梢的まっしょうてきな装飾部分をはぎられる時、その本当の姿を現すのだろうか? 其の頃スティヴンスンは、父と衝突したあとで、何時も決って、この不快な疑問をたねばならなかった。

 スティヴンスンがファニイと結婚する意志を明かにした時、父子の間は再びけわしいものとなった。トマス・スティヴンスン氏にとっては、ファニィが米国人であり、子持であり、年上であることよりも、実際はどうあろうと兎に角彼女が戸籍の上で現在オスボーン夫人であることが第一の難点だったのである。我儘わがままな一人息子は、年歯とし三十にして初めて自活――それもファニイとその子供迄養う決心をして、英国を飛出した。父子の間は音信不通となった。一年の後、何千マイル隔てた海と陸の彼方で、息子が五十セントの昼食にも事欠きながら病と闘っていることを人伝ひとづてに聞いたトマス・スティヴンスン氏は、流石さすがに堪えられなくなって、救の手を差しのべた。ファニイは米国から未見のしゅうとに自分の写真を送り、書添えて言った。「実物よりもずっと良く撮れております故、決して此の通りとお思い下さいませぬよう。」
 スティヴンスンは妻と義子とを連れて英国に帰って来た。意外なことに、トマス・スティヴンスン氏は倅の妻に大変満足した。元来、彼は倅の才能は明らかに認めながらも、何処か倅の中に、通俗的な意味で安心の出来ない所があるのを感じていた。此の不安は、倅が幾ら年齢を加えても決して消えなかった。それが、今、ファニイによって、(初めは反対した結婚ではあったが)息子の為に実務的な確実な支柱を得たような気がした。美しく・もろい・花のような精神を支えるべき、生気に充ちた強靱きょうじんな支柱を。

 長い不和の後、一家――両親、妻、ロイドと揃ってブレイマの山荘に過した一八八一年の夏を、スティヴンスンは今でも快く思い起すことが出来る。それは、アバディーン地方特有の東北風が連日、雨とひょうとを伴って吹荒ふきすさ沈鬱ちんうつな八月であった。スティヴンスンの身体は例によって悪かった。或日エドモンド・ゴスが訪ねて来た。スティヴンスンより一つ年上の・この博識温厚な青年は、父のスティヴンスン氏とも良く話が合った。毎朝ゴスは朝食を済ますと、二階の病室に上って行く。スティヴンスンは寝床の上に起上って待っている。将棋チェスをするのだ。「病人は午前中は、しゃべってはいけない」と医者に禁じられているので、無言の将棋である。その中に疲れて来ると、スティヴンスンが盤の縁を叩いて合図する。すると、ゴスなり、ファニイなりが彼をかせ、そして、何時でも書きたい時に寐たなりで書けるように、布団の位置をうまく、しつらえる。ディナーの時間迄ステイヴンスンは独りで寐たまま、休んでは書き、書いては休みする。ロイド少年の画いていた或る地図から思いついた海賊冒険たんを、彼は書続けていた。ディナーの時になると、ステイヴンスンは階下したに下りて来る。午前中の禁が解かれているので、今度は饒舌じょうぜつである。夜になると、彼は其の日書溜かきためた分を、みんなに読んで聞かせる。外では雨風の音が烈しく、隙間風に燭台しょくだいの灯がちらちらと揺れる。一同は思い思いの姿勢で、熱心に聞きとれている。読終ると、てんでに色々な註文や批評を持出す。一晩毎に興味を増して来て、父親までが、「ビリィ・ボーンズの箱の中の品目作製を受持とう」と言出した。ゴスはゴスで、又、別の事を考えながら、暗然たる気持で此の幸福そうな団欒だんらんを眺めていた。「此の華やかな俊才のむしばまれた肉体は、果して何時迄もつだろうか? 今幸福そうに見える此の父親は、一人息子に先立たれる不幸を見ないで済むだろうか。」と。

 しかし、トマス・スティヴンスン氏は其の不幸を見ないで済んだ。息子が最後に英国を離れる三月前に、彼はエディンバラで死んだ。

   八

一八九二年四月×日
 思いがけなくラウペパ王が護衛を連れて訪ねて来た。うちで昼食。老人、今日は中々愛想がいい。何故自分を訪ねて呉れないんだ? などと云う。王との会見には領事連の諒解が必要だから、と私がいうと、そんな事は構わぬ、といい、また昼食を共にしたいから日時を指定せよと言う。この木曜に会食しようと約束する。
 王が帰ると間もなく、巡査の徽章きしょうのようなものをけた男が訪ねて来た。アピア市の巡査ではない。所謂いわゆる叛乱者側(マターファ側の者をアピア政府の官吏は、そう呼ぶ。)の者だ。マリエからずっと歩き通して来たのだという。マターファの手紙を持って来たのだ。私も今ではサモア語が読める。(話す方は駄目だが、)彼の自重を望んだ先日の私の書簡に対する返辞のようなもので、会い度いから来週の月曜にマリエヘ来て呉れという。土語の聖書を唯一の参考にして(「我誠に汝らに告ぐ」式の手紙だから、先方も驚くだろう。)承知の旨をたどたどしいサモア語でしたためる。一週間の中に、王と、其の対立者とに会う訳だ。斡旋あっせんの実が挙がれば良いと思う。

四月×日
 身体の工合余り良からず。
 約束故、ムリヌウの、みすぼらしき王宮へ御馳走になりに行く。何時もながら、直ぐ向いの政務長官官邸が眼障りでならぬ。今日のラウペパの話は面白かった。五年前悲壮な決意を以て独逸ドイツの陣営に身を投じ、軍艦に載せられて見知らぬ土地に連れ行かれた時の話である。素朴な表現が心を打った。
「…………昼はいけないが、夜だけは甲板に上ってもいいと言われた。長い航海の後、一つの港に着いた。上陸すると、恐ろしく暑い土地で、足首を二人ずつ鉄の鎖でつながれた囚人等が働いていた。其処には浜の真砂まさごのように数多くの黒人がいた。…………それから又大分船に乗り、独逸も近いと言われた頃、不思議な海岸を見た。見渡す限り真白な崖が陽に輝いているのだ。三時間も経つと、それが天に消えて了ったので、更に驚いた。…………独逸に上陸してから、中に汽車というものの沢山はいっている硝子ガラス屋根のおおきな建物の中を歩いた。それから、家みたいに窓とデッキとのある馬車に乗り、五百も部屋のある家に泊った。…………独逸を離れて大分航海してから、川の様な狭い海を船がゆっくり進んだ。聖書の中で聞いていた紅海だと教えられ、よろこばしい好奇心で眺めた。それから、海の上を夕陽の色がまぶしく赤々と流れる時刻に、別の軍艦に乗移らせられた。…………」
 古い、美しいサモア語の発音で、ゆっくりゆっくり語られる此の話は、大変面白かった。
 王は、私がマターファの名を口に出すことをおそれているらしい。話好きな、人の善い老人だ。ただ、現在の自分の位置に就いての自覚が無いのである。明後日、又、是非訪ねて呉れという。マターファとの会見も迫っているし、身体の工合も良くないが、兎に角承知して置く。以後、通訳は、牧師のホイットミイ氏に頼もうと思う。同氏の宅で明後日、王と落合うことに決める。

四月×日
 早朝馬で街へ下り、八時頃ホイットミイ氏の家へ行く。王と約束の会見の為なり。十時迄待ったが、王は来らず。使が来て、王は今、政務長官と用談中にて来られぬとのこと。夜七時頃なら来られるという。一旦家に戻り、夕刻又ホイットミイ氏の家に来て、八時頃迄待ったが、ついに来ない。無駄骨折って疲労甚だし。長官の監視を逃れて、こっそりやって来ることさえ、弱気なラウペパには出来ないのだ。

五月×日
 午前五時半出発、ファニイ、ベル、同道。通訳兼漕手こぎてとして、料理人のタロロを連れて行く。七時に礁湖を漕出す。気分未だすぐれず。マリエに着きマターファから大歓迎を受く。但し、ファニイ、ベル、共に余が妻と思われたらしい。タロロは通訳としては、まるで成っていない。マターファが長々としゃべるのに、此の通訳は、唯、「私は大いに驚いた。」としか訳せない。何を言っても「驚いた」一点張。余の言葉を先方に伝えることも同然らしい。用談進捗しんちょくせず。
 カヴァ酒を飲み、アロウ・ルウトの料理を喰う。食後、マターファと散歩。余の貧弱なるサモア語の許す範囲で語合った。婦人連の為に、家の前で舞踏が行われた。
 暮れてから帰途に就く。此のあたり、礁湖すこぶる浅く、ボートの底が方々にぶっつかる。繊月光淡し。大分沖へ出た頃、サヴァイイから帰る数隻の捕鯨ボートに追越される。灯をつけた・十二ちょう・四十人乗の大型ボート。どの船でも皆漕ぎながら合唱していた。
 遅いのでうちへは帰れず。アピアのホテルに泊る。

五月××日
 朝、雨中を馬でアピアヘ。今日の通訳サレ・テーラーと待合せ、午後から、又マリエヘ行く。今日は陸路。七マイルの間ずっと土砂降。泥濘ぬかるみ。馬のくびに達する雑草。豚小舎のさくも八ヶ所程飛越す。マリエに着いた時は、既に薄暮。マリエの村には相当立派な民家がかなり在る。高いドーム型の茅屋根かややねをもち、床に小石を敷いた・四方の壁の明けっぱなしの建物だ。マターファの家も流石さすがに立派だ。家の中は既に暗く、椰子殻やしがらの灯が中央にともっていた。四人の召使が出て来て、マターファは今、礼拝堂にいるという。其の方角から歌声がれて来た。
 やがて、主人がはいって来、我々が濡れた着物を換えてから、正式の挨拶あり。カヴァ酒が出る。列座の諸酋長しゅうちょうに向って、マターファが余を紹介する。「アピア政府の反対を冒して、余(マターファ)を助けんが為に雨中をせ来りし人物なれば、きょう等は以後ツシタラと親しみ、如何なる場合にも之に援助を惜しむべからず。」と。
 ディナー、政談、歓笑、カヴァ、――夜半迄続く。肉体的に堪えられなくなった余のために、家の一隅が囲われ、其処にベットが作られた。五十枚の極上のマットを並べた上で独り眠る。武装した護衛兵と、他に幾人かの夜警が、徹宵家の周囲に就いている。日没から日の出まで彼等は無交代である。
 暁方の四時頃、眼が覚めた。細々と、柔らかに、笛の音が外の闇から響いて来る。快い音色だ。和やかに、甘く、消入りそうな…………
 あとで聞くと、此の笛は、毎朝きまって此の時刻に吹かれることになっているのだそうだ。家の中に眠れる者に良き夢を送らんが為に。何たる優雅な贅沢ぜいたく! マターファの父は、「小鳥の王」といわれた位、小禽ことりどもの声を愛していたそうだが、其の血が彼にも伝わっているのだ。
 朝食後テーラーと共に馬を走らせて帰途に就く。乗馬靴が濡れて穿けないので跣足はだし。朝は美しく晴れたが、道は依然どろんこ。草のために腰まで濡れる。余り駈けさせたので、テーラーは豚柵の所で二度も馬から投出された。黒い沼。緑のマングロオヴ。赤いかに、蟹、蟹。街に入ると、パテ(木の小太鼓)が響き、華やかな服を着けた土人の娘達が教会へはいって行く。今日は日曜だった。街で食事を摂ってから、帰宅。
 十六の柵を跳び越えて二十マイルの騎行(しかも其の前半は豪雨の中)。六時間の政論。スケリヴォアで、ビスケットの中の穀象虫の様にちぢかんでいたかつての私とは、何という相違だろう!
 マターファは美しい見事な老人だ。我々は昨夜、完全な感情の一致を見たと思う。

五月××日
 雨、雨、雨、前の雨季の不足を補うかのように降続く。ココアの芽も充分水を吸っていよう。雨の屋根を叩く音が止むと、急流の水音が聞えて来る。
「サモア史脚註」完成。勿論、文学ではないが、公正且つ明確なる記録たることを疑わず。
 アピアでは白人達が納税を拒んだ。政府の会計報告がはっきりしないからだ。委員会も彼等を召喚するあたわず。
 最近、我が家の巨漢ラファエレが女房のファアウマに逃げられた。がっかりして、朋輩ほうばいの誰彼に一々共謀の疑をかけていたようだが、今はあきらめて新しい妻を見つけに掛かっている。
「サモア史」の完結で、愈々いよいよ、「デイヴィッド・バルフォア」に専念できる。「誘拐キッドナップト」の続篇だ。何度か書出しては、途中で放棄していたが、今度こそ最後迄続け得る見込がある。「難破船引揚業者レッカー」は余りに低調だった。(もっとも、割に良く読まれているというから不思議だが)「デイヴィッド・バルフォア」こそは「マァスタア・オヴ・バラントレエ」以来の作品となり得よう。デイヴィ青年に対する作者の愛情は、一寸他人には解るまい。

五月××日
 C・チーフ・ジャスティス・ツェダルクランツが訪ねて来た。どうした風の吹廻しやら。うちの者と何気ない世間話をして帰って行った。彼は、最近のタイムズの私の公開状(その中で彼をこっぴどくやっつけた)を読んでいる筈。どういう量見で来たのだろう?

六月×日
 マターファの大饗宴だいきょうえんに招かれているので、朝早く出発。同行者――母、ベル、タウイロ(うちの料理番の母で、近在の部落の酋長しゅうちょう夫人。母と私とベルと、三人を合せたより、もう一周り大きい・物凄い体躯たいくをもっている。)通訳の混血児サレ・テーラー、外、少年二人。
 カヌーとボートとに分乗。途中でボートの方が、遠浅の礁湖の中で動かなくなって了う。仕方がない。跣足はだしになって岸まで歩く。約一マイル干潟ひがたの徒渉。上からはかんかん照付けるし、下は泥でぬるぬる滑る。シドニイから届いたばかりの私の服も、イソベルの・白い・縁とりのドレスも、さんざんの目に逢う。午過ひるすぎ、泥だらけになって、やっとマリエに着く。母達のカヌー組は既に着いていた。最早、戦闘舞踊は終り、我々は、食物献納式の途中から(といっても、たっぷり二時間はかかったが)見ることが出来ただけだった。
 家の前面の緑地の周囲に、椰子やしの葉や、荒布で囲われた仮小舎が並び、大きな矩形くけいの三方に土人達が部落別に集まっている。実にとりどりな色彩の服装だ。タパをまとった者、パッチ・ワークを纏った者、粉をふった白檀びゃくだんを頭につけた者、紫の花弁を頭一杯に飾った者…………
 中央の空地には、食物の山が次第に大きさを増して行く。(白人に立てられた傀儡かいらいではない)彼等の心から推服する真の王者へと贈られた・大小酋長からの献上品だ。役人や人夫が列をなして歌をうたいながら贈物を次々に運び入れる。其等は一々高く振上げて衆に示され、接収役が鄭重ていちょうな儀礼的誇張を以て、品名と贈呈者とを呼び上げる。この役人は頑丈な体格の男で、全身に良く油が塗り込んであるらしく、てらてら光っている。豚の丸焼を頭上に振廻しながら、滝の様な汗を流して叫んでいる有様は、壮観である。我々の持参したビスケットの缶と共に、「アリイ・ツシタラ・オ・レ・アリイ・オ・マロ・テテレ」(物語作者酋長・大政府の酋長)と紹介される声を私は聞いた。
 我々の為に特に設けられた席の前に、一人の老いたる男が、緑の葉を頭に載せて坐っている。少し暗い・けんのある其の横顔は、ダンテにそっくりだ。彼は、此の島特有の職業的説話者の一人、しかも其の最高権威で、名をポポという。彼の傍には、息子や、同僚達が坐っている。我々の右手、かなり離れて、マターファが坐っており、時々彼のくちびるが動き、手頸てくびの数珠玉の揺れるのが見える。
 一同はカヴァを飲んだ。王が一口飲んだ時、全く驚かされたことに、ポポ父子おやことてつもなく奇妙な吠声ほえごえを立てて、之を祝福した。こんな不思議な声は、まだ聞いたことがない。狼の吠声の様だが、「ツイアツア万歳」の意味だそうだ。やがて食事になった。マターファが喰終ると、又しても奇怪な吠声が響いた。此の非公認の王の面上に、一瞬、若々しい誇と野心の色が生動し、直ぐに又消去るのを、私は見た。ラウペパとの分離以来、始めて、ポポ父子がマターファの許に来てツイアツアの名を讃えたからであろう。
 既に食物搬入は済んだ。贈物は順々に注意深く数えられ、記帳された。ふざけた説話者が、品名や数量を一々変な節廻しで呼上げては、聴衆を笑わせている。「タロ芋六千箇」「焼豚三百十九頭」「大海亀三匹」……
 それから、未だ見たこともない不思議な情景が現れた。突然、ポポ父子が立上り、長い棒を手に、食物のうずたかく積まれた庭に飛出して、奇妙な踊を始めた。父親は腕を伸ばし棒を廻しながら舞い、息子は地にかがまり、其のまま何ともいえない恰好かっこうで飛び跳ね、此の踊の画く円は次第に大きくなって行った。彼等のとび越えただけのものは、彼等の所有ものになるのだ。中世のダンテが忽然こつぜんとして怪しげな情ないものに変った。此の古式の(又、地方的な)儀礼は、流石さすがにサモア人の間にさえ笑声を呼起した。私の贈ったビスケットも、生きた一頭のこうしも、ポポにとび越えられて了った。が、大部分の食物は、一度己のものなることを宣した上で、再びマターファに献上された。
 さて、物語作者酋長ル・アリイ・ツシタラの番が来た。彼は踊らなかったが、五羽の生きた※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)、油入瓢箪ひょうたん[#「瓢箪」は底本では「飄箪」]四箇、むしろ四枚、タロ芋百箇、焼豚二頭、ふか一尾、及び大海亀一匹を贈られた。之は「王より大酋長への贈物」である。之等は、合図の下に、ラヴァラヴァをふんどしほども短く着けた数人の若者によって、食物群中から運び出される。彼等が食物の山の上にかがみ込んだかと思うと、たちまち、あやまり無き速さを以て、命ぜられた品と数量とを拾い上げ、サッと、それを又、別の離れた場所へ綺麗に積上げる。その巧みさ! 麦畑にあさる鳥の群を見る如し。
 突然、紫の腰布を着けた壮漢が九十人ばかり現れて、我々の前に立停った。と思うと、彼等の手から、それぞれ空中高く、生きた※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)わかどりが力一杯投上げられた。百羽に近い※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)が羽をばたつかせながら落ちて来ると、それを受取って、又、空へ投げ返す。それが、幾度も繰返される。騒音、歓声、※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の悲鳴。振廻し、振上げられるたくましい銅色の腕、腕、腕、…………観ものとしては如何にも面白いが、しかし一体何羽の※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)が死んだことだろう!
 家の中でマターファと用談を済ませてから、水辺へ下りて行くと、既に貰い物の食物は舟に積込まれてあった。乗ろうとすると、スコール襲来、再び家に戻り、半時間休んでから、五時出発、またボートとカヌーとに分乗。水の上に夜が落ち、岸の灯が美しい。みんな唱い出す。小山の如く厖大ぼうだいなタウイロ夫人が素晴らしく良い声なので一驚する。その途中、又スコール。母もベルもタウイロも私も海亀も豚もタロ芋も鱶も瓢箪も、みんなびしょ濡れ。ボートの底にたまった生ぬるい水に漬りながら、九時近く、やっとアピアに着く。ホテル泊まり。

六月××日
 召使達が、裏山のやぶの中で骸骨を見付けたと言って騒ぐので、みんなを連れて行って見る。成程、骸骨には違いないが、大分、時の経ったものだ。此の島の成人おとなとしては、どうも小さ過ぎるようだ。藪の・ずうっと奥の・薄暗く湿った辺なので、今迄人目に付かなかったのだろう。そこらを掻廻している中に、又、別の頭蓋骨ずがいこつ(今度は頭だけ)が見付かった。私の親指二本はいる位の弾丸の穴があいている。二つの頭蓋骨を並べた時、召使達は、一寸ロマンティックな説明を見付けた。此の気の毒な勇士は戦場で敵の首を取った(サモア戦士の最高の栄誉)のだが、自らも重傷を負うていたので、味方にそれを見せることが出来ず、此処迄這っては来たが、空しく敵の首を抱いたまま死んで了ったのだろうと。(とすれば、十五年前の・ラウペパとタラヴォウとの戦の時のことか?)ラファエレ達が直ぐに骨を埋めにかかった。

 夕方六時頃、馬で裏の丘を下りようとした時、前面の森の上に大きな雲を見た。それは、甲虫かぶとむしの如き額をした・鼻の長い男の横顔をはっきり現していた。顔の肉に当る部分は絶妙の桃色で、帽子(大きなカラマク人の帽子)、ひげ、眉毛は青がかった灰色。子供じみた此の図柄と、色の鮮明さと、そのスケールの大きさ(全く途方もない大きさ)とが、私を茫然ぼうぜんとさせた。見ている中に表情が変った。たしかに片眼を閉じ、あごを引く様子である。突然、鉛色の肩が前にせり出して、顔を消して了った。
 私は他の雲々を見た。はっと思わず息をのむばかりの・壮大な・明るい・雲の巨柱の林立。それ等の脚は水平線から立上り、其の頂きは天頂距離三十度以内にあった。何という崇高さだったろう! 下の方は氷河の陰翳いんえいの如く、上に行くにつれ、暗いインディゴオから曇った乳白に至る迄の微妙な色彩変化のあらゆる段階を見せている。背後の空は、既に迫る夜のために豊かにされ又暗くされた青一色。その底に動く藍紫色の・なまめかしいばかりに深々とした艶とかげ。丘は、はや日没の影を漂わせているのに、巨大な雲の頂上は、白日の如き光に映え、火の如く・宝石の如き・最も華やかな柔かい明るさを以て、世界を明るくしている。それは、想像される如何なる高さよりも高い所にある。下界の夜から眺める・其の清浄無垢むくの華やかな荘厳さは、驚異以上である。
 雲に近く、細い上弦の月が上っている。月の西のとがりの直ぐ上に、月と殆ど同じ明るさに光る星を見た。黒み行く下界の森では、鳥共の疳高かんだかい夕べの合唱。

 八時頃見たら、月は先刻より大分明るく、星は今度は月の下に廻っていた。明るさは依然同じくらい。

七月××日
「デイヴィッド・バルフォア」ようやく快調。
 キューラソー号入港、艦長ギブソン氏と会食。
 巷間こうかんの噂によれば、R・L・S・は本島より追放さるべしと。英国領事がダウニング街に訓令を請いたる由。余の存在は島内の治安に害ありとや? 余も亦偉大なる政治的人物にあらずや。

八月××日
 昨日又、マターファの招により、マリエに赴く。通訳はヘンリ(シメレ)。会談中マターファが私をアフィオガと呼んで、ヘンリを仰天させた。今迄私はススガ(閣下に当ろうか?)と呼ばれていたのだが、アフィオガは王族の称呼である。マターファの家に一泊。
 今朝、朝食後、大灌奠式ローヤル・カヴァを見る。王位を象徴する古い石塊にカヴァ酒をそそぐのだ。此の島に於てさえ半ば忘れられた楔形くさびがた文字的典礼。老人の白髯はくぜんを集めて作ったかぶとの飾り毛を風になびかせ、獣歯の頸掛くびかけをつけた・身長六フィートインチの筋骨隆々たる赤銅色の戦士達の正装姿は、全く圧倒的である。

九月×日
 アピア市婦人会主催の舞踏会に出席。ファニイ、ベル、ロイド、及びハガァド(例のライダア・ハガァドの弟。快男児なり、)も同行。会半ばにして裁判所長チーフ・ジャスティスツェダルクランツ現る。数ヶ月前不得要領な訪問を受けて以来の対面なり。小憩後、彼と組になってカドリルを踊る。珍妙にして恐るべきカドリルよ! ハガァドいわく、「奔馬の跳躍にさも似たり」と。我等二人の公敵が、それぞれ、厖大ぼうだいにして尊敬すべき二人の婦人に抱きかかえられつつ、手を組み足を蹴上げて跳ね廻る時、大法官も大作家も共に、威厳を失墜することおびただし。
 一週間前、チーフ・ジャスティスは混血児の通訳をそそのかして、私に不利な証拠をつかませようとあせっていたし、私は私で今朝も、此の男を猛烈に攻撃した第七回目の公開状をタイムズヘ書いていた。
 我々は、今微笑を交しつつ、奔馬の跳躍に余念がない!

九月××日
「デイヴィッド・バルフォア」漸く仕上。と同時に、作者もぐったりして了った。医者に診て貰うと、決って、此の熱帯の気候の「温帯人を傷める」性質に就いての説明を聞かされる。どうも信じられない。この一年間、煩わしい政治騒ぎの中で持続的にやって来た労作のようなものは、まさか、ノルウェーでは出来まいに。兎に角、身体は疲労の極に達している。「デイヴィッド・バルフォア」に就いては、大体満足。
 昨日の午後街へ使にやったアリック少年が、昨夜遅く繃帯ほうたいをし眼を輝かして帰って来た。マライタ部落の少年等と決闘、三・四人を傷つけて来たと。今朝、彼はうち中の英雄になっていた。彼は一本糸の胡弓こきゅうを作り、自ら勝利の唄を奏で、且つ踊った。興奮している時の彼は中々美少年である。ニュウ・ヘブリディスから来た当座は、うちの食事がうまいとて無闇に食過ぎ、腹が凄くふくらんで了って苦しんだことがあったが。

十月×日
 朝来、胃痛はげし。阿片あへん丁幾チンキ十五滴服用。この二三日は仕事をせず。我が精神は所有者未定アベイヤンスの状態にあり。

 かつて私は華やかな青年だったらしい。というのは其の頃、友人の誰もが、私の作品よりも私の性格と談話との絢爛けんらんさを買っていたようだったから。しかし、人は何時迄もエァリエルやパックばかりではいられない。「ヴァージニバス・ピュエリスク」の思想も文体も、今では最もいとわしいものになって了った。実際イエールでの喀血かっけつ後、すべてのものに底が見えて来たように感じた。私は最早何事にも希望を抱かぬ。死蛙の如くに。私は、凡ての事に、落着いた絶望を以て這入って行く。あたかも、海へ行く場合、私が何時もおぼれることを確信して行くのと同様に。ということは、何も、自暴自棄になっているのではない。それ所か、私は、死ぬ迄快活さを失わぬであろう。此の確信ある絶望は、一種の愉悦でさえある。それは、意識せる・勇気ある・楽しさを以て、以後の生を支えて行くに足るもの――信念にちかいものだ。快楽も要らぬ。インスピレーションも要らぬ。義務感だけで充分やって行ける自信がある。蟻の心構を以て、蝉の唄を歌い続け得る自信が。

市場いちに 街頭まち
私は太鼓をとどろと鳴らす
紅い上衣コートを着て私の行くところ
頭上にリボンは翩翻へんぽんと靡く。

新しい戦士を求めて
私は太鼓をとどろと鳴らす
わが伴侶ともに私は約束する
生きる希望と、死ぬ勇気とを。

   九

 満十五歳以後、書くことが彼の生活の中心であった。自分は作家となるべく生れついている、という信念は、何時、又、何処から生じたものか、自分でも解らなかったが、兎に角十五六歳頃になると、既に、それ以外の職業に従っている将来の自分を想像して見ることが不可能な迄になっていた。
 其の頃から、彼は外出の時いつも一冊のノートをポケットに持ち、路上で見るもの、聞くもの、考えついたことの凡てを、直ぐ其の場で文字に換えて見ることを練習した。其のノートには又彼の読んだ書物の中で「適切な表現」と思われたものがことごとく書抜いてあった。諸家のスタイルを習得する稽古けいこも熱心に行われた。一つの文章を読むと、それと同じ主題を種々違った作家の――或いはハズリットの、或いはラスキンの、或いはサア・トマス・ブラウンの――文体で以て幾通りにも作り直してみた。こうした習練は、少年時代の数年に亘ってまずに繰返された。少年期をわずかに脱した頃、未だ一つの小説をも、ものしない前に、彼は、将棋チェスの名人が将棋に於てつような自信を、表現術の上に有っていた。エンジニーアの血をけた彼は自己のみちに於ても技術家としての誇を早くから抱いていた。
 彼は殆ど本能的に「自分は自分が思っている程、自分ではないこと」を知っていた。それから「頭は間違うことがあっても、血は間違わないものであること。仮令たとえ一見して間違ったように見えても、結局は、それが真の自己にとって最も忠実且つ賢明なコースをとらせているのであること。」「我々の中にある我々の知らないものは、我々以上に賢いのだということ」を知っていた。そうして、自らの生活の設計に際しては、其の唯一の道――我々より賢いものの導いて呉れる其の唯一の途を、最も忠実、勤勉に歩むことにのみ全力を払い、他の一切は之を棄てて顧みなかった。俗衆の嘲罵ちょうばや父母の悲嘆をよそに彼は此の生き方を、少年時代から死の瞬間に至るまで続けた。「うすっぺら」で、「不誠実」で、「好色漢」で、「自惚うぬぼれや」で、「がりがりの利己主義者」で、「鼻持のならぬ気取りや」の彼が、この書くという一筋の道に於てのみは、終始一貫、修道僧の如き敬虔けいけんな精進を怠らなかった。彼は殆ど一日としてものを書かずには過ごせなかった。それは最早肉体的な習慣の一部だった。絶間なく二十年に亘って彼の肉体をさいなんだ肺結核、神経痛、胃痛も、此の習慣を改めさせることは出来なかった。肺炎と坐骨神経痛と風眼とが同時に起った時、彼は、眼に繃帯ほうたいを当て、絶対安静の仰臥ぎょうがのまま、ささやごえで「ダイナマイト党員」を口述して妻に筆記させた。
 彼は、死と余りに近い所に常に住んでいた。咳込んだ口を抑える手巾ハンカチの中に紅いものを見出さないことはまれだったのである。死に対する覚悟に就いてだけは、この未熟で気障きざな青年も、大悟徹底した高僧と似通ったものをっていた。平生、彼は自分の墓碑銘とすべき詩句をポケットにしのばせていた。「星影繁き空の下、静かに我を眠らしめ。楽しく生きし我なれば、楽しく今は死に行かむ」云々うんぬん。彼は、自分の死よりも、友人の死の方を、むしろ恐れた。自らの死に就いては、彼は之に馴れた。というよりも、一歩進んで、死と戯れ、死とかけをするような気持をっていた。死の冷たい手が彼をとらえる前に、どれだけの美しい「空想と言葉との織物」を織成すことが出来るか? 之は大変豪奢ごうしゃな賭のように思われた。出発時間の迫った旅人の様な気持に追立てられて、彼はひたすらに書いた。そうして、実際、幾つかの美しい「空想と言葉との織物」を残した。「オララ」の如き、「スロオン・ジャネット」の如き、「マァスタア・オヴ・バラントレエ」の如き。「成程、其等の作品は美しく、魅力に富んではいるが、要するに、深味のないお話だ。スティヴンスンなんて結局通俗作家さ。」と、多くの人がそう言う。しかし、スティヴンスンの愛読者は、決して、それに答える言葉に窮しはしない。「賢明なスティヴンスンの守護天使ジーニアス(その導きによって彼が、作家たる彼の運命を辿たどったのだが)が、彼の寿命の短いであろうことを知って、(何人にとっても四十歳以前に其の傑作を生むことが恐らくは不可能であろう所の・)人間性剔抉てっけつの近代小説道を捨てさせ、その代りに、此の上なく魅力に富んだ怪奇な物語の構成と、その巧みな話法との習練に(之ならば仮令早世しても、少くとも幾つかの良き美しきものは残せよう)向わせたのである」と。「そして、之こそ、一年の大部分が冬である北国の植物にも、極く短い春と夏の間に大急ぎで花を咲かせ実を結ばせる・あの自然の巧みな案排あんばいの一つなのだ」と。人、或いは云うであろう。ロシア及びフランスのそれぞれ最もすぐれた最も深い短篇作家も、共に、スティヴンスンと同年、或いは、より若く死んでいるではないか、と。しかし彼等は、スティヴンスンがそうであった様に、絶えざる病苦によって短命の予覚に脅され通しではなかったのである。
 小説ロマンスとは circumstance の詩だと、彼は言った。事件インシデントよりも、それに依って生ずる幾つかの場面の効果を、彼は喜んだのである。ロマンス作家を以て任じていた彼は、(自ら意識すると、せぬとにかかわらず)自分の一生を以て、自己の作品中最大のロマンスたらしめようとしていた。(そして、実際、それは或る程度迄成功したかに見える。)従って其の主人公ヒーローたる自己の住む雰囲気は、常に、彼の小説に於ける要求と同じく、詩をもったもの、ロマンス的効果に富んだものでなければならなかった。雰囲気描写の大家たる彼は、実生活に於て自分の行動する場面場面が、常に、彼の霊妙な描写の筆に値する程のものでなければ我慢がならなかったのである。傍人の眼に苦々しく映ったに違いない・彼の無用の気取(或いはダンディズム)の正体は、正しく此処にあった。何の為に酔狂にも驢馬ろばなんか連れて、南仏蘭西フランスの山の中をうろつかねばならぬか? 何の為に、良家の息子が、よれよれ襟飾ネクタイをつけ、長い赤リボンのついた古帽子をかぶって放浪者気取をする必要があるか? 何だって又、歯の浮くような・やにさがった調子で「人形は美しい玩具だが、中味は鋸屑おがくずだ」などという婦人論を弁じなければ気が済まぬのか? 二十歳のスティヴンスンは、気障のかたまり厭味いやみ無頼漢ならずもの、エディンバラ上流人士の爪弾き者だった。厳しい宗教的雰囲気の中に育てられた白面病弱の坊ちゃんが、急に、自らの純潔を恥じ、半夜、父のやしきを抜け出して紅灯のちまたをさまよい歩いた。ヴィヨンを気取り、カサノヴァを気取る此の軽薄児も、しかし、唯一筋の道を選んで、之に己の弱い身体と、短いであろう生命とをける以外に、救いのないことを、良く知っていた。緑酒と脂粉の席の間からも、其の道が、常に耿々こうこうと、ヤコブの砂漠で夢見た光の梯子はしごの様に高く星空迄届いているのを、彼は見た。

   十

一八九二年十一月××日
 郵船日とてベルとロイドとが昨日から街へ行って了ったあと、イオプは脚が痛くなり、ファアウマ(巨漢の妻は再びケロリとして夫の許に戻って来た。)は肩に腫物はれものが出来、フアニイは皮膚に黄斑おうはんが出来始めた。ファアウマのは丹毒のおそれがあるから素人療法では駄目らしい。夕食後騎馬で医者の所へ行く。朧月夜おぼろづきよ。無風。山の方で雷鳴。森の中を急ぐと、例のきのこの蒼い灯が地上に点々と光る。医者の所で明日の来診を頼んだ後、九時迄ビールを飲み、独逸ドイツ文学を談ず。
 昨日から新しい作品の構想を立て始める。時代は一八一二年頃。場所はラムマムーアのハーミストン附近及びエディンバラ。題は未定。「ブラックスフィールド」? 「ウィア・オヴ・ハーミストン」?

十二月××日
 増築完成。
 本年度の year bill が廻って来る。約四千ポンド。今年はどうやら収支償えるかも知れぬ。
 夜、砲声を聞く。英艦入港せりと。街の噂では、私が近い中に逮捕護送されることになっているらしい。
 カッスル社から「びんの悪魔」と「ファレサの浜辺」とを合せ、「島の夜話」として出そうと言って来る。此の二つは余りに味が違い過ぎて、おかしくはないか? 「声の島」と「放浪の女」とを加えてはどうかと思う。

「放浪の女」を入れることには、ファニイが不服だという。

一八九三年一月×日
 引続いて微熱去らず。胃弱もひどい。
「デイヴィッド・バルフォア」の校正刷、未だに送って来ない。どうした訳か? もう少くとも半分は出ていなければならない筈。
 天候はひどく悪い。雨。飛沫しぶき。霧。寒さ。
 払えると思っていた増築費、半分しか払えない。どうして、うちは斯んなに金がかかるのか? 格別贅沢ぜいたくをしているとも思えないのに。ロイドと毎月頭を絞るのだが、一つ穴を埋めれば、外に無理が出来てくる。やっとうまく行きそうな月には、決って英国軍艦が入港し士官等の招宴を張らねばならぬようになる。召使が多過ぎる、という人もある。やとってある者は、そう大した人数ではないが、彼等の親類や友人が終始ごろごろしているので、正確な数は判らない。(それでも百人を多くは越さないだろう。)だが、之は仕方がない。私は族長だ、ヴァイリマ部落の酋長しゅうちょうなのだ。大酋長は、そんな小さな事にかれこれ云うべきではない。それに実際、土人が何程いても其の食費は知れたものなのだから。うちの女中達が島民の標準よりは幾らか顔立が良いとかで、ヴァイリマをサルタンの後宮に比べた莫迦ばかがいる。だから金がかかるだろうと。明らかに中傷の目的で言ったには違いないが、冗談も良い加減にするがいい。このサルタンは精力絶倫どころか、辛うじて生きながらえている痩男やせおとこだ。ドン・キホーテに比べたり、ハルン・アル・ラシッドにしたり、色んな事をいう奴等だ。今に、聖パオロになったり、カリグラになったりするかも知れぬ。又、誕生日に百人以上の客をぶのは贅沢ぜいたくだという人もある。私は、そんなに沢山の客を招んだ覚えはない。向うで勝手に来るのだ。私に、(或いは、少くとも私のうちの食事に)好意をもって来て呉れる以上、之も仕方が無いではないか。祝宴等の際に土人をも招ぶからいけない、などと言うに至っては言語道断。白人を断っても彼等を招んでやり度い位だ。其等すべての費用を初めから計算に入れて、尚、結構やって行ける積りだったのだ。何しろんな島のこととて、贅沢はしようにも出来ないのだから。兎に角、私は昨年中に四千ポンド以上は書捲かきまくった。それでなお足りないのだ。サー・ウォルター・スコットを思う。突然破産し・次いで妻を失い・絶えず債鬼に責められて機械的に駄作を書き飛ばさねばならなかった・晩年のスコットを。彼には、墓場のほかに休息は無かった。

 又も戦争の噂。実に煮え切らないポリネシア的な紛争だ。燃えそうでいて燃えず、消えかかっていて、なお、くすぶっている。今度も、ツツイラの西部で酋長等の間に小競合があったばかりだから、大した事はなかろう。

一月××日
 インフルエンザ流行。うち中殆どやられる。私の場合には余計な喀血かっけつまで伴って。
 ヘンリ(シメレ)が実に良く働いて呉れる。元来サモア人は極くいやしい者でも汚物を運ぶことを嫌うのに、小酋長たるヘンリが毎晩敢然と汚物のバケツを提げては蚊帳かやをくぐって捨てに行っていた。みんなが大抵くなった今、最後に彼に感染したらしく、熱を出している。近頃彼のことを戯れにデイヴィ(バルフォア)と呼ぶことにしている。
 病中、又新しい作品を始めた。ベルに書取らせる。英国に捕虜となった一仏蘭西フランス貴族の経験を書くのだ。主人公の名がアンヌ・ド・サント・イーヴ。それを英語読みにして「セント・アイヴス」と題しようと思う。ローランドソンの「文章法」と、一八一〇年代の仏蘭西及びスコットランドの風俗習慣、殊に監獄状態に就いての参考書を送って呉れるよう、バクスタアとコルヴィンとに頼んでやる。「ウィア・オヴ・ハーミストン」にも「セント・アイヴス」にも、両方に必要だから。図書館の無いこと。本屋との交渉に手間どること。此の二つには全く閉口する。記者に追いかけられる煩わしさの無いのは良いが。

 政務長官も、裁判所長チーフ・ジャスティスも辞職説を伝えられながら、アピア政府の無理な政策は依然変らない。彼等は、税を無理に取立てるために、軍隊を増強してマターファを追払おうとしているようだ。成功するにしても、しないにしても、白人の不人気、人心の不安、この島の経済的疲弊は加わる一方である。
 政治的な事に立入るのは煩わしい。此の方面に於ける成功は、人格毀損きそん以外の如何なる結果をももたらさない、とさえ思う。…………私の政治的関心(この島に於ける)が減った訳ではない。ただ、長く病臥びょうがし喀血などすると、自然、創作に割く時間が制限されるので、此の上にも貴重な時間をとる政治問題が少々うるさくなることがあるのだ。しかし、気の毒なマターファのことを考えると、じっとしていられないような気がする。精神的援助しか与えることの出来ぬ腑甲斐なさ! だが、お前に政治的権力があるとすれば、一体どうしてやり度いのだ? マターファを王にする? 宜しい。そうなればサモアは立派に存続できると思っているのか? 哀れな文学者よ。お前は本当にそう信じているのか? それとも、近い将来に於けるサモアの衰亡を予想しながら、唯感傷的な同情をマターファに注いでいるに過ぎないのか? 最も白人的な同情を。
 コルヴィンからの手紙の中に、私の書信が余りに何時も「君の黒色人及び褐色人ブラックス・アンド・チョコレーツ」のことを書き過ぎる、と言って来ている。ブラックス・アンド・チョコレーツに対する関心が私の制作時間を奪い過ぎては困るという・彼の気持は解らぬことはない。しかし結局、彼(並びに他の在英の友人達)には、私が私のブラックス・アンド・チョコレーツに対して如何に親身な気持をっているかが本当には解っていないのだ。この事ばかりでなく、他の一般に就いても、四年間も会わないで全然違った環境に身を置いている中に、彼等と私との間に、越え難い溝が出来ているのではないか? 此の考は恐ろしい。親しい者が長く離れているのは良くないことだ。泣き度い程会いたく思いながら、会った途端に、案外、双方ともあじきなく此の溝を意識しなければならぬのではないか? 恐ろしいが、之は本当かも知れぬ。人は変る。刻々に。我々は何たる怪物であるか!

二月××日 シドニイにて
 自分で自分に休暇を与え、五週間位の予定でオークランドからシドニイヘ遊びに来たのだが、同行のイソベルは歯痛、ファニイは感冒、自分は感冒から肋膜炎ろくまくえん。何のために来たのだか解らぬ。それでも当市では、プレスビテリアン教会総会と芸術倶楽部クラブと、都合二回講演をした。写真を撮られ、像牌メダリヨンを作られ、街の通りを歩けば、人々が振返って私を指さし私の名をささやく。名声? 変なものだ。かつて自分がそれに成上ることを卑しんだ名士に、何時しか成上っているのか? 滑稽こっけいな話だ。サモアでは、土人の眼からは、大邸宅に住む白人酋長。アピアの白人連にとっては、政策上の敵か味方か、いずれかだ。その方が遥かに健全な状態だ。此の温帯地の・色彩のせた幽霊然たる風景と比べる時、我がヴァイリマの森の、何という美しさ! 我が・風吹く家の、何たる輝かしさ!
 此の地に隠退している、ニュージーランドの父、サー・ジョージ・グレイに会った。政治家嫌いの私が彼に面会を求めたのは、彼が人