| 19: 山開き・土用の丑 |
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山開き
昔3月21日〜4月15日まで江戸の深川八幡宮別当永代寺の山門を開いて、庭の見物を許したこと。その初日を称して言う。(広辞苑から)山門を開くから山を開く――→ 「山開き」となったようですが、私達のイメージとしては、登山や山神様の参拝解禁の日が山開きで、信者さん達はこの日を待ってお祝いの神事や村の祭り行事を行います。
今、団塊の世代でトレッキングや登山がブームになっていると聞きますが、本来はレクレーションとしての山登りではなく、山を相手に仕事をしている人々が山の神様への礼拝のために登っていたものです。まして信仰の山ともなれば、山岳信仰の修験者が入峰修行する神域となって、普通一般の観光者は登ってはいけない場所になります。この約束を破れば、金縛りにあったり石にされたり、中には天狗に追われる・・・など、沢山の祟り障りがあるらしい。
その山岳信仰とは、山に超自然的な霊的威力があることを信じたもので、日本では土俗信仰としてあったものが民間信仰として生き続け、後に仏教と習合して「役の行者」のような修験道が生まれたようであります。しかし江戸時代になると、各地で山岳信仰の講が出来、各地の山神様を参拝するため講行事が盛んになります。そのため、夏の決まった期間だけ登山が許されるようになりました。そこで、この登山参拝を記念してのお祝いや神事が山開きとなったようです。
その講の中で最も由緒のあるのが開祖長谷川角行の「富士講」です。その教義は「仙元大菩薩(浅間神)を信仰し、呪術・祈祷を行って日常の道徳を説く」。観ても美しい霊峰富士。日本人なら一度は登ってみたい富士山。毎年7月1日は富士山の山開き。昔は先達に導かれ、老若男女が夜中に手灯りを持って昼夜兼行で登って登拝した信仰登山でしたが、今日では5合目まで車でOK。一方では富士講の講中行事であって、他方では富士行者とも言われ、その服装も白装束で、手に鈴、金剛杖を持ち、精進を保って登ったものです。
ちなみに参拝する人達の口々では1:木花咲耶姫 2:徐福(中国) 3:ヤマト武尊 の順に拝むのだそうです。江戸の後期になりますと、講は400余りに膨れ、行者は幕府から弾圧を受けるようになったとのこと。
土用の丑
土用の丑はうなぎ屋さんのかき入れ時。「土用の丑の日はうなぎを食べよう!」と叫んだのは、平賀源内。これは江戸時代中期のこと。文人で科学者の平賀源内が行きつけのうなぎ屋の看板に「今日は丑」と書いてあげたのが始まり。ただこれだけのことですが、当時としては画期的なことで、庶民の間では大変評判になったようです。
本来土用は、暦の雑節の一つで、立春・立夏・立秋・立冬の前の18日間を言い、一年に四回あります。その内、夏バテする夏の土用はとくに精をつけたいですネ。
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井上象英
観象学講究総本部代表・京都比叡山赤山禅院鑑定士
17才で観象学人(易道観象派宗家)の門下生となり、暦法と神道学を修める
後に易学・気学・姓名学・墓相学及び風水学鑑定士資格取得す
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