| 10:酉の市・七五三 |
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酉の市
11月の酉の日に行われる鷲(おおとり、大鳥)明神さまのお祭りである。
この「酉」は干支(子、丑、寅・・・)の中の10番目に当たり、毎年1〜3日ある。
鷲明神様は、大阪堺市の大鳥神社が本社で、東京や地方に散らばる神社は末社になる。
"おとり様"と呼ばれる「酉の市」は高いところを悠々と飛ぶ大鳥にあやかって、江戸時代には、鷲明神は武士や町人の出世の縁起社とされていた。
本来は、武運を守護する神様として武士の参拝者が多かったが、今日では商売繁盛や開運の神様として信仰され、とくに水商売の料理屋や役者などの信仰が厚い。
また、祭りの当日には境内一杯に市が立ち、昔農具だった熊手が"福を掻き込む"とか"福を取り込む"とかの縁起を担いで大いに売られている。 稲穂を添えた熊手やお多福面、船を象った縁起物をたっぷり付けた熊手は大いに人気があり、商売人が買うようだ。
この酉の市は13日ごとに巡ってくるが、11月の初酉を一の酉、ニ番目をニの酉、三番目を三の酉と呼んでいる。もちろん、酉の市で最も盛んなのは一の酉である。
今日では大阪よりも関東、とくに浅草の鷲神社、目黒の大鳥神社が有名である。
ちなみに、今年の一の酉は11月9日(水)である。
七五三
平安や鎌倉の時代、11月の吉日に子供の無事成長を願う行事があった。
もともと公家や武家の間にあった男女2,3歳の髪置き、4、5歳の男子は初めて袴をはく袴儀、また男女5,7,9歳ごろに行う帯解きなどであるが、やがてこれらが一まとめになって、11月15日に行うようになったのが七五三である。
祝う年齢も何時しか、男子は数え年三歳と五歳。女子は三歳と七歳と決められた。
始めに11月15日に祝いをしたのは、徳川綱吉の子、徳松君。 なぜこの日を選んだかと言うと15日は万事が吉日とする鬼宿日(二十八宿の一つ)に当たったのである。
また、この行事が庶民に広まったのは江戸時代中期。公家や武家の間での通年行事を見習い、上流意識を持ちたい庶民の間で広く普及したのである。
とくに明治以降、祝う年齢を明確に「七五三」と云う呼び方になったようである。
そこで不思議なのが、七五三に買う千歳飴である。
この千歳飴は"千歳"という名称に縁起を感じないではいられない。
本来、1615年(元和1年)大阪で「平野あめ」を売っていた平野甚左衛門という人物が、江戸に来て浅草寛永寺境内で売り出したのが始まりだと言う。
また、元禄(宝永年間)に江戸のあめ売り七兵衛が「千年飴」とか「せんざい飴」「寿命糖」と云う名称で売り始めたのが最初という説もある。 なんとPRが上手ではないだろうか。
* 二十八宿:古代中国で黄道に沿って天空を28の不均等な区域に分割し、天体の位置を明確にしたもの。陰陽道でこれを月や日に割り当て、吉凶を占うのに使った。
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井上象英
観象学講究総本部代表・京都比叡山赤山禅院鑑定士
17才で観象学人(易道観象派宗家)の門下生となり、暦法と神道学を修める
後に易学・気学・姓名学・墓相学及び風水学鑑定士資格取得す
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