| 7:入梅 |
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別名梅雨。雨が降り続く時期になること。しかし、日本の暦では6月を「水無月」と言う。
毎日が雨ばっかりでうんざりの頃なのに水無月?と思った方がいるのではないだろうか。
その理由は実に簡単。当時の暦はすべて旧暦なのである。
今の暦では7月の下旬頃で、ダムの水がめを心配し始める時期と重なり、田植えも済んで田ごとに水を張るため「水張り月」、そして、天候不順で湿度も高くカビも生えやすいので「黴雨」や「露」がなまったのではないかと言われている。
ところで、梅雨時期に入る入梅は、立春から数えて135日目を言い、毎年6月11日頃。これは二十四節気以外の節・雑節の一つで、地球から見た太陽の黄経が80度に達した時を言う。しかし、南北に長い日本、なかなか暦通りに梅雨(ツユ)に入ってくれません。
むかし、この入梅を五月節(芒種)の後にくる初めの「壬の日」としていた時期があった。
しかし、江戸時代に西川如見と云う天文地理学者(現代では気象予報士)が南北に長い日本の地形を考え、暦における時間的経過のギャップと矛盾をお国に忠告。農民に向けて警告を発したと云う事実がある。でも、今日のように日々の天気予報がなかった時代は、農作業する上で暦は生活の必需品だったのである。
これを科学的に分析し統計的見地から記載しようとした江戸時代の暦学者はさぞかし大変だったのではないだろうか。
茅の輪
毎年6月30日の夏越の払いにくぐる茅(ちがや)を束ねて作った大きな輪のこと。
本来は旧暦6月晦日に行う払いの行事を「夏越祓い」と言い、12月の晦日に行う年越しの払いの行事が「年越祓い」と言うのである。 この茅の輪くぐりは夏の大祓い神事である。
夏越は名越とも書き、邪神をまつり、これを払いなごめるので、「和し」が基だと言うが、神社の鳥居などにこの茅の輪を吊るして、そこをくぐらせ身の罪や穢れを祓い清めるのだ。
邪神を和(なご)めるために行うから「なごし」と名づけられたとも伝えられている。
とくに各々の神社でくぐる茅の輪は『備後国風土記』に登場する蘇民将来が一夜の宿を貸した武塔の神から"疫病にあった時は茅(ちがや)で作った輪を腰に付けるように"と教えられ、これを腰に付けていた人々はその後の疫病の災難から逃れることが出来たそうだ。
武塔の神・・・スサノオノミコトの化身と称されている。
平安時代以前の公式行事には登場しなかった神事だが、中世以後の文献にはたび度登場してくる。 つまり、疫病が蔓延していた平安時代に当時のスーパーヒーローだった陰陽師安部清明あたりが、この茅の輪くぐり神事を宮家に対して積極的に薦めたのではないだろうか。 彼は陰陽師。神主であり加持祈祷が出来た人物。もしかして霊験あらたかだったのかも知れない
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井上象英
観象学講究総本部代表・京都比叡山赤山禅院鑑定士
17才で観象学人(易道観象派宗家)の門下生となり、暦法と神道学を修める
後に易学・気学・姓名学・墓相学及び風水学鑑定士資格取得す
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