| 6:端午の節句 |
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5月5日は"子供の日"である。
起源は中国漢代以降のこと。本来は「端午の節供」、5が重なる「重五の節供」として村や各家々で行う立派な年中行事であった。
「端」は初めの意味で、もとは月初めの午の日。
この「午」は暦などにある「午の日」のことで、月初めの午の日が端午と言うことになる。
当然、昔は他の月にも端午はあったのだが、それが次第に5月に固まり、しかも「午」は「五」と音波が通じるため5月5日を端午と称するようになった。
古来中国では5月は悪い月だとされているが、特にこの時期、野山では様々な植物の新芽が成長し、春の若草が爽やかな香りを運んでくる季節でもある。 男は野外で薬草を摘み、蓬(よもぎ)で作った人形を門口に立てて春蘭のお風呂に入り、右の腕に五色の糸をかけて(何で腕に糸をかけたのか?は不明)菖蒲を浸したお酒を飲んだりする習慣があった。
一方日本では、同じ時期に田植えと云う大事な農作業があり、大概、地方の農家ではこの作業を行う前には「五月忌」の行事があった。 春芽時の邪気や悪鬼を祓うために軒先に菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を指して魔よけにしたり、粽(ちまき)や柏餅をたべる習慣もあった。そこへ中国の「端午」の習慣が輸入され、蘭湯は菖蒲湯に、蓬人形は五月人形に、腕やひじに巻いた五色の糸はいずれ鯉幟の吹流しの五色に変化して行ったようだ。
ところで、男子の初節句には母親の実家から鯉幟を贈られる習慣がまだ残っている日本、皆さんは、発祥の中国では、黄河の流域(上流)にある竜門にまで登った鯉は、竜になれると言う伝説があることをご存知か? 中国では鯉は立身出世の象徴なのである。
日本では、江戸時代、菖蒲が尚武に通じることから武家社会の間で「菖蒲の節句」が流行し、家紋の入った旗挿しやのぼり、吹流し、甲冑などの武具を玄関先や庭に陳列した。
つまり、武士は跡取り誕生を広く知らしめ、武家であることを自慢したかったのである。
しかし、江戸の中期になると庶民の間にも男子誕生の節句を祝うイベントが多くなり、鎧兜は無いが、鯉の絵を描いた旗や菖蒲の幟を庭先に立てたりしたようだ。 やがてこれらの習慣が鯉の小旗になり、五色の吹流しが付いた。
また、武者人形の由来は、宮中を守るための役人の官人が端午の節供に儀礼用の金銀飾りの甲冑を付けて騎射の儀式に臨んだなごりで、鎌倉時代になってこれを似せた人形を室内に飾るようになった。
さらに明治になると眞鯉、緋鯉が誕生し現代の豪華絢爛な鯉幟が誕生するわけである。
何とも日本人の大らかで、類稀なお祭り好きの本性に感服するばかりである。
そこで、第二次大戦後からは「こどもの日」として国民の祝日になってしまった。
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井上象英
観象学講究総本部代表・京都比叡山赤山禅院鑑定士
17才で観象学人(易道観象派宗家)の門下生となり、暦法と神道学を修める
後に易学・気学・姓名学・墓相学及び風水学鑑定士資格取得す
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