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爽快倶楽部編集部


平成23年11月1日
鯊釣り
さ~て、弱ったなあ~、これといって書く事がない。書けば愚痴になる、ぼやきになる、と思いを巡らせながら、ふと思いついたこと、ある老人の話である。
或る日の夕暮れ、と云っても数日前の事だが、仕事が一段落して事務所近くの川に自転車散歩に出たときのことである。数人が川で釣りをしていた。一人の人の良さそうな老人の前で自転車を止めた。魚篭をのぞいてみると数匹の鯊が元気に泳いでいる。大きさは、みな12~3cm程、褐色の肌にまだら模様が見えた。時折、魚篭から飛び出しそうに跳ねている。老人は頬が少しくぼんで、わずかだが無精ひげがあごに目立っている。縁の上部が黒く下部は金メッキされた昔ながらの眼鏡をかけて、赤い帽子のひさしの下には日に焼けた額に数本の深い皺があった。黒い運動靴を履いて護岸に置かれた石の上から釣竿を出していたが、ちょうど釣れる時であったのか、時を待つ間もなく竿が上がり、丸々と太った鯊が上がった。
「ほう、立派な鯊はつれましたねえ」
老人は私の声に愛好を崩しながら振り向いた。
「きょう、釣った中では一番でかいな」
「15cmくらいはありそうですね」
かぶっている赤い帽子のひさしを上げながら満足そうに微笑した。
鯊を針からはずそうとしているが、なかなかはずれない。
「飲み込んでしまったなあ」つぶやたが、決して悔しそうではなかった。
「このあたりで、鯊がよく釣れるんですか」
「ここは鯊の名所だよ」
「そうですか」
「毎年5月頃になると、たしか松戸だったかなあ、あっちの方から30人くらいの人が来て、ここで鯊釣り大会をやっているよ。」
「ほう」
「今年は、暖かいせいか、10月の末でもここで鯊が釣れるね。去年、最後に釣ったのは10月3日だった」
「陽気のせいですかねえ」
「そうだと思うよ」
彼の前の水面で魚が跳ねた音がした。
「ありゃ、なんの魚です」
「せいごか、ボラの子どもだよ」
「せいごとかボラは釣れないんですか」
「釣れるよ。でも釣ってもおいしくないからねえ」
「そうですか」
老人は、餌を付替えて再び竿を出した。
「そういえば、むこうで、筒で釣っている人がいましたけれど、あれはなんでしょうかねえ」
「あれかい、あれはね、筒の中に糸を通して石の間に立てて釣るんだな。筒の上に浮きが垂らしてあったろ、魚が食うと筒の上に浮きがのっかるという仕掛けだな」
「珍しいですね。初めて見ました」
「あの人は有名だよ。今の時期になると10本くらい筒を立てて釣っているだけどね、あんまり一人で場所をとるので、他で釣りをやっている人には評判が良くないねえ」
「そうですか」
「よくは知らないけどね、なんでも釣った鯊を屋台に売っているという話を聞いたことがある」
「売れるんですか」
「そうらしいね。今の鯊なら甘露煮や天麩羅にして出すんじゃないかな」
「そういうことなんですか」
「うん、でも、ありゃ釣りじゃないね。数釣るには効率がいいけれど」
「ここは鯊以外何か釣れんですか」
「うなぎが釣れる」
「うなぎですか」
「大きいよ、50~60cmくらいのが釣れる」
「釣って食べたんですか」
老人はますます愛好を崩した。
「うまいね、くさみがないんだな、白焼きにして食った。それとテナガが釣れる」
「テナガって何ですか」
「手長海老」
「へえ、海老も釣れるんですか」
「赤虫やサシを餌にして釣ると、いいときは40~50匹釣れる」
「ここで釣れるんですか」
「聖天様の前の水門あたりだな」
「聖天様というのはお寺ですか」
「うん、あそこの総武線のガードのちょっと先」
「どうやって食べるんですか」
「空揚が一番うまいね」
「へえ、そうですか。ところで、お住まいはお近くですか」
「うん、すぐそこの都営住宅。昔、抽選で当たってね。大変な倍率だった」
「ほお」
そこまで話し込んでいたら、一人の犬を連れた老人が通りかかって声をかけてきた。
「また、寝てる鯊を起こしているのかい」
老人の知己だった。
「それじゃあ、これで失礼」
自転車にまたがって、ふと空を見上げると夕日で空が赤く染まっていた。
平和な一日の終わりである。
爽快倶楽部 編集長 伊藤秀雄




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