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爽快倶楽部編集部


平成21年7月1日
変わらぬものは役人の世界なり
戦前昭和の時代、或いは明治、大正の時代も一家に男子が生まれ、物心がつき、利発だということになれば、どの親も我が子の未来に大いに期待したものである。そこまでの大望とは云はないが、戦後の昭和、高度成長時代、我が子の行く末を思う親たちは競って子を塾に通わせ、有名高校、有名私立学校に入学させた。そして有名大学に入学させることに執心した。こう云う私も、親の期待通りとなったかは別として、そういう子供の一人だった。有名大学に入り、有名企業に入る、それが人生の成功者の典型だった。
今の世を見ると、そうしたまさにそうした単純な出世一直線の生き方を許さぬようである。勉学に奮闘し、有名大学に入る、そして有名企業に入社試験に合格したが、その会社で実際に働く前に内定を取り消され、あわてて、どこでもよいからなんとか勤め先をと、奔走する始末である。有名大学を出たといって、安心してはいられない。学歴が将来の保障というわけではない。

一方、学歴とは別のもう一つの生き方として手に職を持つというのがある。たとえば板前になる、大工になる、左官屋になる、工員となる。こうした人々は若い頃から親方や先輩熟練技術者の元で修行を積み、やがて一人前となって行く。もちろん今もこうした世界はあろう。が、かってのように手に職をつけたからと云って、そう簡単に独立はできないのが今の時代ある。例えば、日本料理の世界で、修行を積んだ一人前の板前にのれん分けとして、金、客を含めて分けてやるほど、店に余裕がない。家一軒を建てる技を持ったとしても、その技の価値がわからず、昔ながらの大工職人を敬遠し、安直に住宅メーカーに頼む、そういう風潮である。そこでは、棟梁としての大工がそうしたメーカーの下請け職人として働く。また、一級の技術を持った職人でさへ、その技術を生かすべき仕事がない。すべてが右肩上がりに成長してきた時代とはがらっと変わってしまった。それゆえ、かってのようにこうすれば行末安泰などということはなくなった。大袈裟に言えば何を信じて、何を拠り所にして生きればよいのかわからぬ世の中である。

こうした時代変化の中にあって変わらぬもの、それは政治行政の世界である。およそ行政は、時代の変化に鈍感である。施策は民のため、公共のためではなく、己が役人組織の温存のために行われる。誰もがこれに気づいていようが、それを止められない。一度、ダムと作ると云えば、数十年経とうと、その計画を見直すことはほとんどない。これほどの無駄はない。これは国によるものだけではない。県や市町村の施政者によるところもまた大である。根本は国が一元管理する地方交付金、補助金制度及び、地方における公共事業神話にある。
今、政治は何をなすべきかが問われている。税の使い方を考えす時である。
爽快倶楽部 編集長 伊藤秀雄




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