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爽快倶楽部編集部


平成20年11月1日
母の匂い

佐藤垢石に「母の匂い」という小文がある。短いので全文を掲げる。
「 母はいつも、釣りから戻ってきた父をやさしくいたわった。子供心に、私はそれが何より嬉しかった。
 やはり、五月はじめのある朝、父と二人で、村の河原の雷電神社下の釣り場へ若鮎釣りを志して行った。父と私が釣り場へ行く時には、いつも養蚕に使う桑籠用の大笊(ざる)を携えるのであった。あまり数多くの若鮎が釣れるので、小さな魚籠(びく)ではすぐ一杯になってしまい、物の役にたたなかったのである。
 釣り場へ着くと大笊を、二人の間の浅い瀬脇へ浸けてから、鈎をおろすのを慣わしとした。道糸を流して流れの七分三分のところまで行くと、目印につけた水鳥の白羽がツイと揺れる。若鮎が、毛鈎(けばり)をくわえたのだ。軽く鈎合わせをする。掛かった鮎を、そのまま大笊の上へ持ってきて振り落とす。
 こうして、二時間もすると、大笊のなかは若鮎の背の色で、真っ黒になるのを常としたのであった。
 お腹が、すいてきた。
『お母さんは、もうきそうなものだね』
 と、私は無言のまま一心に道糸を見つめる父に話しかけた。腹がすいてくるのを覚えるといつも間もなく母がお弁当を持ってくる時刻になるからである。やがて、崖の上から、
『どうだい、釣れたかい?』
 と、言う和やかな母の声が、群れ泳ぐ笊のなかの鮎を、首を突っ込んで覗いている私に聞こえた。振り返ると母はにこやかに微笑(ほほえ)んでいる。
 母は坂路を下りてきた。お鉢とお重を近くの小石の上へ置いた。大きな平らな石が卓袱台(ちゃぶだい)である。母が給仕をして瀬の囁(ささや)きを聞きながら、親子三人で、水入らずの朝飯を食べたのである。お重のなかには、昨日釣った鮎が煮びたしとなって入っていた。プーンと、鮎特有の香が漂う。
 それからというもの、私はこの歳になるまで鮎の煮びたしに亡き母の匂いを感じる。」

垢石らしく鮎の煮びたしの香りに母の匂いを感じたという話である。
最近、認知症や寝たきりとなった老いた母への家庭介護の中で、介護する夫や家族が暴力をふるう、あるいはときとして命を奪う事件が少なくない。昼も夜もなく介護し、身体の疲れもとより心の疲れは、われらの想像を絶するものあるに違いない。その限界に達したとき、人は常軌を逸した行動にでるのかもしれない。これは介護する家族の責であろうか。あるいは、家庭内介助を補助すべき行政の貧困に責があるのであろうか。
私の母は、今年八十三歳になる。多少、耳は遠くなったが、幸いにも介護を必要とすることはない。が、同じ話をなんども繰り返す、こちらから話しかけるときに声が届かない、そんなとき、うとましく思うことがある。癇癪を起こした時にはつらく当たることもある。そして、その波が去ったとき、母に済まないと思うと同時に、自分を淋しくく思う。
人には幼きときがある。そのときの母の料理の味や匂いを大人になったときでさえも忘れるはずもない。その味や匂いはなにものも求めず、たたひたすら与えるだけの母の慈愛、優しさである。その母の慈愛、優しさにこたえられぬとは、なんと淋しいことであろう。
人は何故、母の愛を忘れるのか。
爽快倶楽部編集長 伊藤秀雄




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