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爽快倶楽部編集部


平成20年2月1日
向こう三軒両隣り
 戦後、特別な人を除いて一般庶民のほとんどが貧乏であった。誰もが貧乏であるから、それを恥じることはなかった。子供がつぎはぎをした服を着て学校に行っても誰もからかう者はいなかった。多かれ少なかれ誰もがつぎはぎの服を着ていたからである。住まいについては、いわゆる長屋住まいが多かった。今で言えば、アパートやマンションである。だが、当時の長屋は、およそ二間程度の木造バラック建てであり、少し大きな声で笑えば、隣りに聞こえる程度のものであった。割れ物の音がすれば、隣りでまた夫婦喧嘩が始まった、夜になり床の振動が伝わってくれば仲直りしたか、という生活である。
 誰もが貧乏であるから、子沢山の家ともなれば、もちろん生活は楽ではない。給料前ともなれば、時に、味噌がない、醤油がないと、女房殿があわてて近所の家に借りに行くことなど決して珍しくはなかった。借りにこられた家も、そこはお互い様ということで、自分で困らぬ程度には貸してやった。これが、云わば向こう三軒両隣りの生活である。
 戦後、およそ60年余を過ぎて、今の暮らしはどうであろうか。人々の暮らしは豊かになったように見える。どの家にもテレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンはあり、多くの人がその文化生活の豊かさを享受しているにちがいない。だが、ここに見過ごせぬ落し穴がある。最近の調査では、およそ30%近い世帯に貯金がほとんどないという。貯金のないことは戦後すぐの生活と同じである。だが、当時の生活では、向こう三軒両隣りの互助の中で生活はなんとか維持できた。いざ困った時には、無いもの同士助け合う互助精神があったからである。今は、決してそうは行くまい。働き手が病気などで無収入になった時、まず、電気、ガス、水道などの公共料金の支払いに困る。その後は食費に困る。やがて1個の握飯を買う金にも困る。見かけの豊かさの中で、誰も生活に困っているとは言えない。また、言おうとしても言うべき相手である向こう三軒両隣りがない。
 社会の片隅にある貧困、これを放置すれば、多くの人々が、特に身寄りの無い多くの高齢者が人知れず餓死していく時がくる。年金があるではないかという。が、厚生年金であるならまだしも、国民年金で暮らす高齢者にとっては、月6万円ちょっとの生活で最初から成り立つはずもない。
 今国会で、道路特定財源におけるガソリン暫定税が議論されている。多くの知事が暫定税撤廃によって地方には道路ができなくなると反対している。が、今、社会の底辺で進んでいる豊かな国の貧困状況に目を向けるなら、道路以前の深刻な問題があることにすぐ気がつくはずだ。最早、痛みを受け入れるだけの余裕は国民にはない。まずはガソリン暫定税を撤廃し、物価を下げることである。あるいは撤廃する代わりに一般会計に繰り入れ年金基礎部分の財源とし最低給付金額を引き上げることである。世の中から消えてしまった向こう三軒両隣りの代わりを政府ができるかどうか、これこそが生活重視の政策であろう。
爽快倶楽部編集長 伊藤秀雄




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