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爽快倶楽部編集部


平成18年9月1日
次期自民党総裁選挙に望む − 安心して暮らせる、豊かになれるという希望の実現
 かって池田隼人が掲げた所得倍増論、高度成長経済政策は、戦後の貧困からの脱出と庶民生活の質の向上として大きな成果を結んだ。勤労者にとっては、毎年給与が上昇し、物価の高騰があるものの生活の余裕が生まれ始めた。テレビを始めとする家電製品三種の神器が普及し始め、又、高値の華であったマイカーさへ手が届くようになった。この旺盛な購買力はさらに経済成長を伸ばしたが、一方で庶民は着実に預貯金を増やしていった。中小、零細企業、商店にとっては、程度の差はあるものの、作るもの、並べるものが売れ、この好景気の中、着実に商売を維持することができた。町の電器屋ではテレビが飛ぶように売れた。肉屋では、コロッケなどの惣菜を買うため主婦の列ができた。軽自動車や小型普通自動車に家族が乗って街中を走る姿が見え始めた。地方では農協の人々が大挙して海外旅行をする姿が見られた。主婦層にとってみれば贅沢品であった化粧品やニューモードの洋服を手に入れられるようになった。つぎはぎだらけの服を着ている子供の姿をあまり見かけなくなった。多くの家庭で子供達を大学に進学させ始めた。この驚異的な経済成長は、他方で公害などの社会問題を起こしたが、庶民生活における幸福感は戦後初めて実感できた時代であった。
 やがて、この高度成長経済も70年の大阪万博を頂点としてオイルショックを期に失速するが、田中内閣の日本列島改造政策によって、都市部をはじめ地方においても土地価格が上昇しはじめ、これを克服し、80年代末のバブル崩壊に至るまで好景気を維持した。だが、この好景気は高度成長経済とが質的に異なっていた。即ち、高度成長経済は生産、消費の拡大によってもたらされたが、田中経済は、地方における公共投資の増大によって一定の成果を見せたものの、本質的に土地、株式、商品そのものを投資対象とする、一義的なインフレ政策であった。だが、そうだとしても、NTT株上場の際に見られたような庶民による株式投資の例のように、その周辺にいた多くの庶民にとってもそれによってなんらかの豊かさを実感できた。
 バブル崩壊以降はどうだろうか、大きな負債をもった金融機関、大企業で大規模なリストラが始まり中高年層が職を失う。高度成長経済の中でおきた活発な購買需要に対応して登場した大規模量販店が、地域の商店を圧迫し始め、やがてあれほど栄えたどの町の商店街もシャッター通りへとさびれて行った。さらに、この大規模量販店さへも、資本力競争の中で淘汰されて行く。ここ数年に起きたITバブルを起因とする株バブルがようやく好景気を維持し始めるが、その恩恵は庶民の生活には届いていない。株式投資は、物を作り、売るという行為とは無縁だからだ。
 こうした状況の中、小泉内閣が多くの分野で規制改革を行った。その結果、不況にあえぐ多くの庶民にとって様々な起業の機会が与えられたが、いまだに庶民にとっての豊かさの実感を得るところへは行ってはいない。むしろ、逆に高所得者と低所得者との格差を生み出し、高度成長経済で言われた一億、総中流とはかけ離れた社会を生み出した。規制改革、構造改革が描いた誰にでもチャンスがある社会は、一見バラ色のように見える。だが、庶民の誰もが、社長になれるわけではない。また起業したとしてもすべてが成功できるわけでない。あれほど賑わした渋谷ビットバレーのベンチャー企業が今、どれだけ残っているか、多くの若者が起こしたネットビジネスを見れば、一目瞭然である。
 9月の自民党総裁選挙を控えて、自民党内部は安倍晋三候補支持で大勢がまとまりつつあるようである。彼の政治政策の詳しいところは知らないが、憲法改正をその政策の第一義においているように見える。日本の国家の在り様、国家の防衛は決しておろそかに出来うるものではない。大いに議論をされるべきと思う。だが、一方でバブル経済以降、痛めつけられてきた庶民生活に目を向け、小泉政治が作り出した所得の格差、地方と都市部の格差、年金、介護を初めととする高齢化社会不安、一向に効果が表れない一般会計、特殊会計の歳出削減にこそ本気で取り組むべきであろうと思う。小泉政治がなしたことは、バブル経済の後始末を上流側から行ったのであり、下流側には手が伸びていない。その結果、世界でも例を見ないゼロ金利政策が行われ、今もその基調は残っており庶民生活は忍従を強いられている。今度は、庶民が豊かを味わうべき番である。
 次期自民党総裁選挙、各候補者には、庶民の生活の豊かさの回復、これを第一義に考えて欲しいと思う。高度成長経済時代に戻れとは言わない、また、戻れもようもない。だが、ひたいに汗して働く人間が、その働きに応じて豊かなれる時代となること願う。少なくとも年金で暮らしが立ち、一生身を粉にして働き得た預貯金、退職金で生活の足しとなる程度の利息がつくようになって欲しいと思う。時代が必要としているのは安心して暮らせる、豊かになれるという希望である。
爽快倶楽部編集長 伊藤秀雄




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