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爽快倶楽部編集部


平成17年1月1日
企業不祥事について
 昨年、多くの企業で不祥事が発覚した。その各企業の謝罪会見に中で共通して使われた言葉がある。「コンプライアンス」というのがそれだ。この聞きなれない言葉は、法令遵守又は法令遵守を実行できる組織体制という意味に使われているようだ。要は、発覚した不祥事を二度と起こさないための社内体制作りということである。だが、この言葉を使った説明を聞くたびに、何か不思議な気持ちになる。不祥事を起こした社員は当然免職となるが、その上司や経営者においてはただコンプライアンスという言葉を連呼するだけで、何等形をともなった謝罪が見られない。
 先日、NHKの不祥事に関する特別番組を見た。NHK会長自ら出席したこの番組において、やはりコンプライアンスという言葉が使われていた。即ち、会長の進退は如何という問いに対して、コンプライアンスを実行するために会長職を続けることが責任の取り方であるというのである。人には分というものがある。この意味で言えば、現NHK会長は会長職までに上りつめたほどのひとかどの人格であり、その職が彼の分であったのだろうと思う。だが一方、人には道というものがある。分は彼をしてその職にとどめようとするが、道はその職を去ることを教える。彼は、その職にとどまろうとすることにより、道をはずれ分をも失うことに気がつかないのだろうか。
 NHKの放送作品に「蝉しぐれ」という時代劇がある。この時代劇は、映画を含めて、近年製作された時代劇ドラマの中で最も優れた作品の一つだと思う。しっかりとした脚本、演出、演技そして撮影、どれ一つみても時間をかけ、丁寧に作られていることが想像できる。そして、同時に一般の民放テレビドラマとは比較にならないほどの費用が使われていることは想像にかたくない。最近、NHKの不祥事を理由にして放送受信料を払わない人が多いと聞く。だが、この一作だけでも、受信料を払う価値があると思う。だからこそ、会長の道をはずした姿勢は残念でならない。責任と取るとは深く悔いて謝罪することであり、最高責任者の監督責任としてその職を辞すことである。再生のためのコンプライアンスは他の人に任せれば良いのである。
編集子




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