第六十一回 暁に祈る (昭和15年)(1940年) |
作詩 野村俊夫 作曲 古関裕而 |
この年2月11日、神武天皇が即位して2600年目として全国11万の神社で紀元節の大祭が行われた。11月10日には天皇皇后ご出席のもと、宮城前広場に約5万人を集めて奉祝式典が行われ、君が代の大斉唱がされる。一方で、6月24日、近衛文麿が新体制運動推進の決意表明を行い、10月12日には大政翼賛会が結成された。さらに、9月11日には
内務省から各都道府県に「部落会等整備要綱」という訓令が通知、全国で1万9000の町内会、部落会で約20万の隣組が整備され、11月2日には大日本帝国国民服令が公布された。翌年の太平洋戦争開戦を控えた国情の中にあって、この歌が生まれた。
ああ あの顔で あの声で
手柄頼むと 妻や子が
ちぎれる程に 振った旗
遠い雲間に また浮かぶ
ああ 堂々の 輸送船
さらば祖国よ 栄えあれ
遙かに拝む 宮城の
空に誓った この決意
ああ 傷ついた この馬と
飲まず食わずの 日も三日
捧げた生命 これまでと
月の光で 走り書
ああ あの山も この川も
赤い忠義の 血がにじむ
故国まで届け 暁に
あげる興亜の この凱歌 (*)
歌は、国威発揚に満ち満ちている。外地へ向かう輸送船からの家族への別れ、洋上にあっての決意、戦場の生活、報国、勇ましい限りである。この歌で送られ再び故国の地を踏まなかった者は少なくない。同時に、この歌で子を夫を送り出した女達の慟哭が、歌が勇ましくあるほどに心に響いてくる。いつの時代においても愛する者を失って喜ぶ者はだれもいない。
平成の今、時代は大きな転換点を迎えようとしている。戦後日本を戦争から回避させてきた日米安保条約が大きく見直されようとしている。それはそれで悪いことではない。が、そのことによって、わが国に再び徴兵制度が復活し、国際情況によっては再び戦火を交えることはあり得ぬことではない。
この歌が再び歌われるときがくるのであろうか。
(*)「暁に祈る」より歌詞転載
YouTube- 暁に祈る |
|
[この年流行った歌] |
湖畔の宿(高峰三枝子)
紀元二千六百年 みんなで肩を くみながら 唄をうたった 帰りみち
りんごのひとりごと
目ン無い千鳥(霧島昇/松原操)
蘇州夜曲(霧島昇/渡辺はま子)
長崎物語
隣組(徳山たまき)
月月火水木金金
|