TOP昭和歌謡曲 − あの時、あの歌


爽快倶楽部編集部


第五十六回 皆の衆(昭和39年)(1964)
作詞:関沢新一 作曲:市川昭介 歌:村田英雄

村田英雄、昭和が生んだ大歌手の一人である。三波春夫、三橋美智也、春日八郎と並んで昭和30年代、歌謡曲全盛時代に彼らの歌が巷にあふれた。三波が浪曲劇場として大団円の歌声を張り上げ、三橋が土の匂いのする民謡歌謡を高らかに歌う。春日が朗々たる声量で圧倒する中、村田はより庶民の生活感情に近しいところで人生の応援歌を力強く歌った。人生劇場、王将、無法松の一生、夫婦春秋、花と竜など男、夫婦、人生など社会の底辺に生きる人生模様を歌った歌はどれも一級品である。

皆の衆 皆の衆
嬉しかったら 腹から笑え
悲しかったら 泣けばよい
無理はよそうぜ 体に悪い
洒落たつもりの 泣き笑い
どうせこの世は そんなとこ
そうじゃないかえ 皆の衆

皆の衆 皆の衆
腹が立ったら 空気をなぐれ
癪にさわれば 水を飲め
徳川家康 啼くまで待った
天下分け目の 関ケ原
どうせこの世は そんなとこ
そうじゃないかえ 皆の衆

皆の衆 皆の衆
好きと嫌いじゃ 恋にはならぬ
恋はその日の 風次第
風の吹きよで しんから惚れた
あの娘と別れた 奴もいる
どうせこの世は そんなとこ
そうじゃないかえ 皆の衆*

皆の衆と呼びかける村田、その言葉の一つ一つが心に染み入り、人生、たしかにそんなものと誰もが納得する。これは、浪曲で鍛えられた声と浪曲の持つ独特なリズム感、そいて彼の天性の歌心に拠るところが大きい。今、あらためてこの歌を聞いてみる。今の世の中に対するメッセージに聞こえる気がする。嬉しかったら腹から笑い、悲しかったら泣けばよい、腹が立ったら空気をなぐれ、癪にさわれば水を飲めと歌うとき、まさにそうするしかない今の庶民の心のように聞こえる。さらに、彼は最後に続ける、どうせこの世はそんなとこ、そうじゃないかえ皆の衆と。貧しかった時代も、豊かになった時代も、人の心は変わらぬということであろうか。

天国から、村田がにやりと笑いながら、皆の衆と呼びかけている歌が、今も聞こえる。

*「皆の衆」歌詞より転載

YouTube - 皆の衆

[この年流行った歌]
明日があるさ(坂本九)
智恵子抄(コロンビア・ローズ)
君だけを(西郷輝彦)
恋の山手線(小林旭)
ドミニク(ぺギー葉山)
君たちがいて僕がいた
ああ上野駅(井沢八郎)
ごめんねチコちゃん
ウナ・セラ・ディ東京(ザ・ピーナッツ)
幸せなら手をたたこう(坂本九)
ラ・ノビア(ぺギー葉山)
サン・トワ・マミー(越路吹雪)
お座敷小唄(和田弘とマヒナスターズ)
愛と死をみつめて(青山和子)
東京の灯よいつまでも(新川二郎)
皆の衆(村田英雄)
何もいわないで(薗まり)
忘れな草をあなたに(梓みちよ)
アンコ椿は恋の花(都はるみ)
学生時代(ベギー葉山)
涙を抱いた渡り鳥(水前寺清子)
柔(美空ひばり)

 主な出来事 − (昭和39年)(1964)
1-2 新春歌手かくし芸大会(フジテレビ)放送
1-5 赤穂浪士(NHK)第一回放送。
1-6 七人の孫(TBS)第一回放送。
1-29 インスブルック冬季オリンピック開催。
1-30 北陸本線親不知トンネル貫通。大石内蔵助−長谷川一夫。
4-1 海外旅行自由化。
4-1 木島則夫モーニングショー第一回放送。
4-8 上野国立西洋美術館でミロのビーナス展。
4-12 日本科学技術振興財団テレビ局(現テレビ東京)開局。
4-28 OECD(経済協力機構)加盟。
6- ビール、酒類が自由価格となる。
6-16 新潟大地震。山形県、秋田県を含め被災者8万6000人以上、死者26人、負傷者447人、家屋の全壊全焼は2250戸。
6-19 太平洋横断ケーブル開通。
8-1 東京で水不足。
8-1 首都高速道路開通。
8-15 東京靖国神社境内で全国戦没者追悼式が開催。
8-20 青函トンネル調査抗の鍬入れ。
9-17 東京モノレール開業。
9-30 義宮、津軽華子結婚。「常陸宮」の新宮号を天皇から贈られる。
10-1 東海道新幹線開業。
10-10 第18回東京オリンピック開催。
10-16 中国で初の核実験実施。
10-25 池田首相が辞意表明。
10-30 東京上野公園に水族館開業。
11-9 第一次佐藤内閣発足。
11-17 公明党結党。
11-26 長嶋茂雄(巨人)婚約発表。
12- 東京大空襲指揮官カーチス・ルメイ将軍に対し、日本政府は「戦後の自衛隊の育成に努力した」として勲一等旭日大綬賞授与。


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