TOP昭和歌謡曲 − あの時、あの歌


爽快倶楽部編集部


第五十四回 琵琶湖周航の歌(昭和37年)
作詞 小口 太郎 原曲 吉田 千秋 歌:ペギー葉山

歌にはメロディーと歌詞がある。クラッシク音楽では歌唱やオペラ、合唱曲を除いて多くはオーケスラ、器楽による。これはジャズなどの洋楽においても同様である。どちらも優劣をつけるというものではない。外国の音楽を他国の聞き手が鑑賞する場合、言葉を理解できないため、歌唱も器楽の一部として聞かれる。母国語で歌われている歌唱を鑑賞する場合は、器楽の持つメロディーやアンサンブルに加えて歌詞の意味を理解することができる。歌の聞き方とは本来こういうものであると思う。これは歌手が歌詞をしっかり理解して歌うことの重要性にも通ずるところである。

琵琶湖周航の歌、大正6年に生まれ今も歌い継がれている名曲である。メランコリックなメロディーを持つこの曲、歌詞がすばらしい。おそらくは琵琶湖の湖上で聞けばいっそうの興趣が湧くと思う。

われは湖の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
のぼる狭霧や さざなみの
志賀の都よ いざさらば

松は緑に 砂白き
雄松が里の 乙女子は
赤い椿の 森蔭に
はかない恋に 泣くとかや

浪のまにまに 漂えば
赤い泊火 なつかしみ
行方定めぬ 浪枕
今日は今津か 長浜か

瑠璃の花園 珊瑚の宮
古い伝えの 竹生島
仏の御手に いだかれて
ねむれ乙女子 やすらけく

矢の根は 深く埋もれて
夏草しげき 堀のあと
古城にひとり 佇めば
比良も伊吹も 夢のごと

西国十番 長命寺
汚れ(けがれ)の現世(うつしよ)遠く去りて
黄金の波に いざ漕がん
語れ我が友 熱き心

「のぼる狭霧や さざなみの」、「赤い椿の 森蔭に」は情景を写しその風景が目に浮ぶようである。また、「仏の御手に いだかれて」、「汚れ(けがれ)の現世(うつしよ)遠く去りて」は、命の尊さに思いを寄せる人の優しき心に我々を誘い、「われは湖の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと」は、訪れるものに旅情を誘う。これと土同様な歌に「真白き富士の嶺」がある。また、旅情を歌ったものに「夏の思い出」や「知床旅情」がある。どれも、永く残すべき、自然と残ってゆくすばらしい歌詞がある。

最近、こうした歌が生まれないのはどうしたわけであろか?日本人はここで使われた美しい日本語を捨て去ったのであろうか?日本の近代小説の黎明時代、文語或いは漢語と口語への変化があったが、口語が主流となった現代でも文語、漢語のすべてが失われたわけではない。が、歌謡曲の世界では最早、美しき言葉は見えない。


*「琵琶湖周航の歌」歌詞より転載
YouTube - 琵琶湖周航の歌 斉唱版

[この年流行った歌]
赤いハンカチ(石原裕次郎)
若いふたり(北原謙二)
下町の太陽(倍賞千恵子)
遠くへ行きたい(ジェリー藤尾)
星屑の街(三橋美智也)
恋は神代の昔から(畠山みどり)
霧子のタンゴ(フランク永井)

主な出来事 − 昭和37年(1962)
1-10 東京医科歯科大学柳沢教授等、中性洗剤の有害性を指摘
2-1 東京都の人口、推計で1000万人越える。
2-8 米国、南ベトナムに軍事援助司令部を設置
3-1 テレビ受信契約数1000万件突破(普及率48.5%)
4-26 防衛庁、愛国心、国防意識の高揚を強調した「学校教育に関する要望書」を次官会議に提出
5-3 常磐線三河島駅構内衝突事故(死者160人、重軽傷者325人)
5-12 ケネディ大統領、ラオス情勢に対して第7艦隊に出動命令
6-2 ばい煙排出規正法公布
7-10 当時最大のタンカー日章丸(13万トン)進水
7-31 コレラ予防で台湾バナナ輸入禁止
8-12 堀江謙一、単身ヨット太平洋横断に成功
8-24 三宅島噴火
8-30 初の国産旅客機YS−11試験飛行に成功
9-1 イラン大地震、死者2万人
9-12 国産第1号研究用原子炉に点火
10-22 ケネディ大統領、ソ連のミサイル基地建設を理由にキューバ海上封鎖を宣言
10-28 ソ連、キューバよりミサイル撤去を言明
10-30 最高裁、吉田岩松(岩窟王)の再審請求を認める
12-1 配給米、平均12%値上げ実施


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