第二十九回 だまって俺について来い(昭和39年) (1964年) |
作詞:青島幸男 作曲:萩原哲晶 歌:植木等 |
敗戦後、初めて世界の桧舞台に立ち戻ったというべき東京オリンピックがこの年開催された。オリンピック開催に合わせて完成、開業した首都高速道路、東海道新幹線は日本の国力復活を全世界に大きく印象付けた言ってよいかもしれない。
かかる時代にあって、人々の生活は、池田隼人のよる高度成長経済の総決算というオリンピック開催の下、決して豊かとは言えないが大きな希望の中にあった。考えてみれば本来日本人とは祭り好きな国民であり、オリンピックはまさに国家的祭りとして機能していたように思う。実際、オリンピックのための三波春夫の「東京オリンピック音頭」はまさにそれを示していよう。
この年、多くの人の心に残る数々の歌がヒットした。明日があるさ、智恵子抄、君だけを、ああ上野駅、ウナ・セラ・ディ東京、幸せなら手をたたこう、ラ・ノビア、サン・トワ・マミー、、お座敷小唄、愛と死をみつめて、東京の灯よいつまでも、皆の衆、夜明けのうた、忘れな草をあなたに、アンコ椿は恋の花、学生時代、涙を抱いた渡り鳥、柔など、どれも題名を聞いただけで歌詞とメロディーが出てくる。何をとるべきか迷うところだが、今回は植木等の「だまって俺についてこい」をとろうと思う。
1961年から放送が開始された「シャボン玉ホリデー」は憶えておいでと思う。その番組の中でハナ肇率いるクレジー・キャッツの一員として植木等は「スーダラ節」の大ヒットにより一躍お茶の間の人気者になる。その人気ぶりは、その同時代に生きてこられた諸氏には周知のことと思う。その人気を背景にして彼らはテレビの世界から映画の世界に入った。そこで描かれたのは、当時の高度成長経済を支えるために必死に働くサラリーマンの世界であった。会社で働くとはどういうことであるのか、誰もが社長になれるわけではない。多くの人が若くして新入社員として入社し、いわば一段一段づつ階段を登るごとく出世の道を歩いていく。そこには仕事をおぼえる、上司、同僚、部下との付き合いもしなければならない。その苦労を指してすまじきものは宮づかいとはよく言ったものであるが、まさにその通りである。そういう世界をまるで笑い飛ばすように植木等は歌う。
ぜにのないやつぁ
俺んとこへこい
俺もないけど 心配すんな
みろよ 青い空 白い雲
そのうちなんとかなるだろう
彼女のないやつぁ
俺んとこへこい
俺もないけど 心配すんな
みろよ 波の果て 水平線
そのうちなんとかなるだろう
仕事のないやつぁ
俺んとこへこい
俺もないけど 心配すんな
みろよ 燃えている あかね雲
そのうちなんとかなるだろう
(セリフ)わかっとるね わかっとる わかっとる
わかったら だまって俺について来い
(*)「だまって俺についてこい」歌詞より転載。
ここには底知れぬ楽天性がある。何故だろうか。時代は高度成長経済に支えられた好景気、その中にあって多くの企業の雇用が拡大する。この時代の終身雇用制、年功序列制は、勤労者にとっての一つ支えとなっていた時代である。仮に社長になれなくとも、いつかは係長、課長、部長となる希望を持っていた。そこにこそ、この楽天性があったと思う。今や過去の悪しき習慣とも言われる終身雇用制、年功序列制は能力主義に置き換わり、企業で働くことの、企業という集団に属することの特別な意味を失っている。企業社員も未来を保障される存在ではなくなりつつある。その結果、短期的な目標の中で、社員同士の、社員からはずされた者との間に大きな格差が生まれている。
この歌は、高度成長経済を支えた日本型雇用形態そのものを歌った歌である。誰もが、会社に属することを誇りに思い、
「そのうちなんとかなるだろう」
と思いながら働くことができた。
こういう時代はもう来ぬものであろうか。 |
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[この年流行った歌] |
明日があるさ(坂本九)
智恵子抄(コロンビア・ローズ)
君だけを(西郷輝彦)
恋の山手線(小林旭)
ドミニク(ぺギー葉山)
君たちがいて僕がいた
ああ上野駅(井沢八郎)
ごめんねチコちゃん
ウナ・セラ・ディ東京(ザ・ピーナッツ)
幸せなら手をたたこう(坂本九)
ラ・ノビア(ぺギー葉山)
サン・トワ・マミー(越路吹雪)
お座敷小唄(和田弘とマヒナスターズ)
愛と死をみつめて(青山和子)
東京の灯よいつまでも(新川二郎)
皆の衆(村田英雄)
夜明けのうた(岸洋子)
何もいわないで(薗まり)
忘れな草をあなたに(梓みちよ)
アンコ椿は恋の花(都はるみ)
学生時代(ベギー葉山)
涙を抱いた渡り鳥(水前寺清子)
柔(美空ひばり)
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