誰にも言われず 互いに誓った かりそめの恋なら 忘れもしようが(誰よりも君を愛す)
潮来花嫁さんは 潮来花嫁さんは 舟でいく(潮来花嫁さん)
包丁一本 晒にまいて 旅へ出るのも 板場の修行 待っててこいさん(月の法善寺横丁)
アカシアの 雨に打たれて このまま 死んでしまいたい(アカシアの雨が止む時)
潮来の伊太郎 ちょっと見なれば 薄情そうな 渡り鳥(潮来笠) それでいいのさ あの移り気な
霧の波止場に 帰って来たが 待っていたのは 悲しいうわさ(霧笛が俺を呼んでいる)
わらにまみれてヨー 育てた栗毛 今日は買われてヨー 町へ行く(達者でナ)
オー ユー ニーズ タイミング アー ティカ ティカ ティカ グッドタイミング(ステキなタイミング)
この歌い出しをご覧になって、メロディーと歌った歌手の顔をすぐに思い出されるに違いないと思う。日米安保条約を巡って世情が騒然とするこの年、歌謡曲の世界では様々な曲が世に送り出されていた。ムード歌謡あり、股旅物、歌舞伎物、活劇物、ポップス物と百花繚乱である。6月15日、新安保条約批准国会審議中、580万もの人々が全国で批准反対のデモを行い、全学連が国会突入をはかり警察官と衝突し東大生・樺美智子(22)が死亡し、大きなニュースとなった。6月19日、国会承認当日33万人が国会を取り囲んだ。労働争議としては三井三池争議が巨大なエネルギーとして噴出した。又、5月24日、南米チリ沖に発生した大地震による津波が北海道南岸、三陸沿岸に押し寄せ死者139人、家屋全半壊4100戸、流失1200戸の大きな被害を与えた。一方、皇太子夫妻に長男徳仁(なるひと)親王誕生の明るい話題もあった。この年に流行った流行語の中に「家つき、カーつき、ババア抜き」がある。若い女性が望む男性結婚相手の条件をいった言葉であるが、持ち家や車が庶民にとって現実的なものになりつつあった。
守屋浩は「有難や節」をこの騒然とする世相に向かって歌いかける。
有難や有難や 有難や有難や
金がなければ くよくよします
女に振られりゃ 泣きまする
腹がへったら おまんまたべて
寿命尽きれば あの世行き
有難や有難や 有難や有難や
恋というから 行きたくなって
愛というから 会いたがる
こんな道理は 誰でもわかる
それを止めたきゃ 字を変えろ
有難や有難や 有難や有難や
有難や有難や 有難や有難や
デモはデモでも あの娘のデモは
いつもはがいい じれったい
早く一緒に なろうと言えば
デモデモデモと 言うばかり
有難や有難や 有難や有難や
近頃地球も 人数がふえて
右も左も 満員だ
だけど行くとこ 沢山ござる
空にゃ天国 地にゃ地獄
有難や有難や 有難や有難や
有難や有難や 有難や有難や
酒を呑んだら 極楽行きと
思うつもりで 地獄行き
どこでどうやら 道まちがえて
どなる女房の 閻魔顔
有難や有難や 有難や有難や
親の教えは 尊いものよ
俺もそろそろ みならおか
おやじゃええとこで 酒呑んでござる
勉強ばかりじゃ 親不孝
有難や有難や 有難や有難や(*)
これほど人を食った歌は珍しい。同時にこれほど生活の真実を歌った歌も珍しい。普通に生きる人間が普通に感じることを歌った歌である。一見投げやりとも思える空虚観が見える。が、その実、庶民の底知れぬ生活エネルギーを感じさせる。戦後の虚無が幸福の獲得へ反転し、この年末に始まった高度成長経済政策のスタートとともに、国民全体が幸福を求めて上昇を開始したことを告げる歌である。テレビではララミー牧場、ボナンザなどの外国ドラマが放送され、10月から放送開始されたサンセット77では、そこに映し出された当時の米国の生活が、一種の幸福な生活の到達点のように見えていた。家庭の食卓にはこの年発売されたグリコ・ワンタッチカレーや、ハウス印度カレーがのった。生活の最も根底である食文化も変わりつつあった。不満はあったが、その不満以上に未来への希望が見え始めた年である。
当時の首相の言葉を見てみたい。
「寛容と忍耐」(池田首相)、「声なき声」(岸首相)、「所得倍増」(池田首相)、「私は嘘は申しません」(池田首相)
戦後の貧困から繁栄へ、占領国から独立国家を歩み始めた日本の姿を象徴するこれらの言葉は一種の流行語ともなって庶民に浸透した。歴史は繰り返すという。この一つ一つの言葉は、まさに現在の姿を言い当てているようにも見える。
1980年代末に崩壊したバブル経済からおよそ16年、ますます加速する高齢化社会にあって、国民はどんな選択をするのであろうか。
誰かがどこかでこの歌をひっそりと歌っているのが聞こえるような気がする。
「有難や有難や 有難や有難や
近頃地球も 人数がふえて
右も左も 満員だ
だけど行くとこ 沢山ござる
空にゃ天国 地にゃ地獄
有難や有難や 有難や有難や」
(*)歌詞「有難や節より転載」
【守屋浩】
本名:守屋 邦彦(もりや くにひこ)1938年9月20日生まれ、千葉県出身。1958年に日劇ウエスタンカーニバルでデビュー。折からのロカビリーブームに乗りお茶の間にも知られる様になった。「僕は泣いちっち」「大学かぞえうた」が大ヒット、「有難や節」は彼のヒット曲の一つである。2006年現在、ホリプロのスカウト部長を兼務し、若い歌手等の教育・指導にも当たっている。 |