TOP昭和歌謡曲 − あの時、あの歌


爽快倶楽部編集部


第十九回 ヨイトマケの歌(昭和40年)(1965)
作詞: 丸山明宏 作曲: 丸山明宏 唄: 丸山明宏

 昭和40年、日韓基本条約成立し戦後のアジアにおける日本新しい歩みが始まった年である。朝永振一郎がノーベル物理学賞を受賞する。巨人軍、長嶋茂雄(当時28歳)が東京五輪のコンパニオン、西村亜希子さんと結婚する。2年前に日本中を騒がせた吉展ちゃん誘拐事件の犯人小原保が逮捕され、遺体が発見される。国のエネルギー政策中心であった炭鉱で大事故が続発する。 高度成長経済政策の下、人々の生活が徐々に豊かになって行く中、日本航空が企画販売したジャルパック海外旅行に人気が出る。アイビールックがはやり、おしゃれな若者が街を闊歩する。社会が豊かさに向い人々の生活に余裕が出始めた時、教育ブームが起こる。戦前を生き、戦後に子供たちを育てた親達にとって自らの生活の安定もさることながら、子供たちにいかに高等教育を受けさせ、大学に入れ、有名大企業に入学させるかが大きな目標となりつつあった。

丸山明宏は歌う。


  父ちゃんのためなら エンヤコラ
  母ちゃんのためなら エンヤコラ
  もひとつおまけに  エンヤコラ

  今も聞こえる ヨイトマケの唄
  今も聞こえる あの子守唄
  工事現場の昼休み
  たばこふかして 目を閉じりゃ
  聞こえてくるよ あの唄が
  働く土方の あの唄が
  貧しい土方の あの唄が

  子供の頃に小学校で
  ヨイトマケの子供 きたない子供と
  いじめぬかれて はやされて
  くやし涙に暮れながら
  泣いて帰った道すがら
  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

  姉さんかぶりで 泥にまみれて
  日にやけながら 汗を流して
  男に混じって ツナを引き
  天に向かって 声をあげて
  力の限り 唄ってた
  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

  なぐさめてもらおう 抱いてもらおうと
  息をはずませ 帰ってはきたが
  母ちゃんの姿 見たときに
  泣いた涙も忘れ果て
  帰って行ったよ 学校へ
  勉強するよと言いながら
  勉強するよと言いながら

  あれから何年経ったことだろう
  高校も出たし大学も出た
  今じゃ機械の世の中で
  おまけに僕はエンジニア
  苦労苦労で死んでった
  母ちゃん見てくれ この姿
  母ちゃん見てくれ この姿

  何度か僕もぐれかけたけど
  やくざな道は踏まずに済んだ
  どんなきれいな唄よりも
  どんなきれいな声よりも
  僕を励ましなぐさめた
  母ちゃんの唄こそ 世界一
  母ちゃんの唄こそ 世界一

  今も聞こえる ヨイトマケの唄
  今も聞こえる あの子守唄
  父ちゃんのためなら エンヤコラ
  子どものためなら エンヤコラ(*)

 この歌は、発売当時、放送禁止歌とされた。土方という言葉が差別用語であるという理由によるものであった。土方という言葉は当時差別用語の一つであったあろう。だが、この歌の意味するところはまったく違う。母の愛情に対する子の感謝の思いであり、親の愛情の美徳であり、同時に人は職業によっては差別をされ得ないことも歌っている。
 私の知る人に、まだ下水が完備していなかった頃、ある貧しい家にし尿の汲み取りををしていた父親がいた。彼が仕事を終えて家に帰る時、服にしみ付いたし尿が臭った。だが、近所の子供たちはそれをもってその家の子を差別しなかった。どの家庭もまだまだ貧しかったからである。彼の子供たちは県立高校に進み、大学こそ行かなかったが皆一流の大企業に入った。昭和の親とはこういうものであった。父であろうと母であろうと、子のためには身を粉にして働いた。そうした親達がいたからこそ、子も立派に育った。
 今、教育基本法の改正の中で、国を愛する心や公共道徳、親に対する尊敬などが謳われようとしている。だが、そんなもので子は育つはずもない。子は親の背中を見て育つ。今、必要なのは、子への教育ではなく親への教育なのだ。
 この歌はそれを教えている。

[この年流行った歌]
砂にきえた涙(ミーナ)
女心の唄(バーブ佐竹)
まつの木小唄(二宮ゆき子)
夏の日の想い出(日野てる子)
さよならはダンスの後に(倍賞千恵子)
北国の街(舟木一夫)
兄弟仁義(北島三郎)
二人の世界(石原裕次郎)
妻を恋うる唄(フランク永井)
ねむの木の子守唄(吉永小百合
新聞少年(山田太郎)
かえろかな(北島三郎)
愛して愛して愛しちゃったのよ(田代美代子)
明日は咲こう花咲こう(吉永小百合、三田明)(6月発売)
女ひとり(デューク・エイセス)
赤いグラス(アイ・ジョージ、志摩ちなみ)
馬鹿っちょ出船(都はるみ)
星娘(西郷輝彦)
下町育ち(笹みどり)
恋心(岸洋子)
涙の連絡船(都はるみ)
ごめんねジロー(奥村チヨ)
涙くんさようなら(マヒナ・スターズ)
函館の女(北島三郎
君といつまでも(加山雄三)
知りたくないの(菅原洋一)

主な出来事 − (昭和32)(1957)
1-11 伊豆大島で大火発生。340戸が全焼。
1-11 東京で二歩印日本初」のスモッグ警報が発令される。
1-17 朝日、毎日、読売、第1、3日曜夕刊廃止。
1-18 愛知県犬山市に「明治村」開設。
1-26 巨人軍、長嶋茂雄が東京五輪のコンパニオン西村亜希子と結婚。
2-7 米軍、北ベトナム爆撃開始。
2-16 都バスがワンマンカーの運転を開始。
2-17 椎名外相が訪韓し日韓基本条約に仮調印。
2-22 北海道夕張市の北海道炭鉱汽船・夕張鉱業所の炭鉱でガス爆発が発生、61人が死亡
2-28 日本テレビでエド・サリバンショーを放送開始。
3-6 山陽特殊製鋼が総額540億円余りの負債をかかえ、会社更生法の適用を申請し戦後最大の倒産となる。
3-10 富士山頂に気象レーダーが完成する。
3-18 愛知県犬山市に明治村が開村。
4- 警視庁に機動捜査隊発足。
4-1 日本国内航空が初の国産旅客機YS11を就航。
4-9 TBSでザ・ガードマン放送開始。
4-24 アメリカの北爆に反対する小田実らがベ平連を結成。
5-18 ファイティング原田がンボクシング・バンタム級世界選手権を獲得。
5-22 東京農大ワンダーフォーゲル部で登山訓練中のシゴキにより新入生1名が死亡。
5-28 田中角栄蔵相、山一証券に無制限無期日の日銀特別融資を発表。
6-1 福岡県稲築町山野炭鉱でガス爆発が起こり、作業中の237人が死亡、279人が重軽傷を負った。
6-2 新東京国際空港公団法公布。
6-6 日本サッカー・リーグが発足。
6- 東京都江東区「夢の島」にハエが大量発生。
6-1 東海道新幹線で列車公衆電話サービスが始まる。
6-11 日本テレビで0011ナポレオン・ソロ放送開始。
6-12 家永三郎博士、教科書検定は違憲と国を提訴する。
6-22 日韓基本条約が東京で調印。
7-1 名神高速道路が全線開通。
7-4 吉展ちゃん事件の被疑者、小原保を逮捕される。翌日自供により都内の円通寺の墓の下から吉展ちゃんの遺体が発見される。
7-14 参議員選選挙の小林章派選挙違反事件で、専売公社職員約100人が逮捕される。
7-27 静岡県登呂遺跡で弥生時代と思われる水田跡が発見される。
8-3 長野県松代町で群発地震が発生、以後67年まで多発する。。
8-19 佐藤首相、首相として戦後初めて沖縄を訪問。
8-21 東京上野の東京国立博物館でツタンカーメン展が開催され、期間中に100万人以上が入場した。
9-24 国鉄が「みどりの窓口」を開設。
10-1 完成乗用車の輸入自由化実施。
10-3 根上淳とペギー葉山が結婚。
10-21 朝永振一郎、ノーベル物理学賞。
10-24 日本テレビ、青春とは何だ放送開始。
11-1 東海道新幹線「ひかり」が東京−大阪間を3時間10分で走る。
11-8 日本テレビ、11PM放送開始。
11-17 第1回プロ野球新人ドラフト会議が開催され巨人軍が堀内恒夫を獲得。この年より巨人のV9が始まる。
11-19 戦後初の赤字国債発行を閣議決定。
11-30 皇太子妃美智子様が次男を出産。12月6日、文仁と名付けられ、称号は礼宮。
12-10 日本、国連安保理の非常任理事国に当選する。
12-26 シンザンが皐月賞、ダービー、菊花賞、天皇賞についで有馬記念を制し、史上初の五冠馬となる。


TOP昭和歌謡曲 − あの時、あの歌


  Copyright:(C) 2004 Sokai-Club.net. All Rights Reserved.