TOP昭和歌謡曲 − あの時、あの歌


爽快倶楽部編集部


第十六回 有楽町で逢いましょう(昭和32)(1957)
作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正 歌:フランク永井

今は、大型ディスカウントショップ「ビッグカメラ」となった東京有楽町前の読売会館ビルにそごうデパートがあったことを多くの人がおぼえていると思う。昭和32年、関西のそごうグループが東京地区初の店舗として進出したのが、この有楽町そごうである。この時、キャンペーンソングとして登場したのがフランク永井の歌う「有楽町で逢いましょう」であった。多くの若い恋人たちが、有楽町駅前のそごうデパートで待ち合わせて銀座や丸の内周辺の映画館に出て行ったという。世は、裕次郎を代表とする映画の黄金期、戦後12年、ようやく人々が娯楽を楽しむ余裕が出てきた時代である。戦後復興の象徴となる東京タワーの起工式、南極昭和基地の設置、国際連盟の非常任理事国への任命、一方台頭著しいテレビ放送は契約数は50万件を突破し、新しい娯楽番組がぞくぞくと登場する。後に登場する高度成長経済の前夜の様相でもあった。

「あなたを待てば 雨が降る 濡れて来ぬかと 気にかかる
 ああ ビルのほとりの ティー・ルーム 
 雨も愛しや 唄ってる 甘いブルース 
 あなたと私の合言葉 有楽町で逢いましょう

 心に沁みる 雨の唄 駅のホームも 濡れたろう
 ああ 小窓にけむる デパートよ 
 今日の映画は ロードショウ かわす囁き
 あなたと私の合言葉 有楽町で逢いましょう

 悲しい宵は 悲しいよに 燃えるやさしい 街灯り
 ああ 命をかけた 恋の花 
 咲いておくれよ いつまでも いついつ迄も 
 あなたと私の合言葉 有楽町で逢いましょう」*

この歌をあらためて聴いてみると、不思議な気がする。この歌からその当時の他の歌が持っている時代感覚が聞こえてこない。曲調としておよそヒットするべき歌謡曲特有の泣きがない。また、これと言ったメリハリがない。要するにヒットするべき要素がほとんどない。恐らくはB面向きの曲と言える。曲の成り立ちがデパートのキャンペーンソングであったから当然なのであろうが、それが突如として大ヒットする。恐らく歌った本人も、作詞家、作曲家も何故ヒットしたのかわからなかったであろうと想像される。何故ヒットしたのか。その問いの答えることがこの歌の意味を知る鍵となると思う。

歌詞をあらためて読んでみると、この歌は、デパートの最大の顧客である女性を主人公にした物語であることが読み取れる。女が雨の宵に「ビルのほとりのティールーム」で男の来るのを待っている。ティールームの窓越しに女の幸福の象徴としてのデパートが見える。やがて女は男と連れ立って「ロードショー」を見に行き、映画の中の恋の物語の中に自分たちの姿を見る。ここには女性にとっての幸福のすべてが暗示されている。こう考えると、これは戦前、戦後と揶揄され続けられてきた若い独身女性が有楽町、銀座という繁華街に出て男を待つという新しい女性像の歌であったことが見えてくる。そしてこの歌を女性が支持した。時代は女性の時代へと変化し始めたのである。後の高度成長経済の中では多くの女性がビジネスガールとして社会に進出していくことになる。この歌は女性だけを意識し、女性だけのために作られた歌であり、それこそが歌手、作詞家、作曲者の思いを大きく超えてヒットしたのであろう。そのために必要な要素とは劇的なドラマではない。ただこの甘い曲調、フランク永井という歌手の甘い歌声であったことがわかる。

「有楽町で逢いましょう」は、戦後民主主義日本がもたらした新しい女性文化のための最初の歌であったのかもしれない。

*「有楽町で逢いましょう」歌詞より転載

【フランク永井】
1932年3月18日生まれ。)本名は、永井清人(ながい きよと)。宮城県志田郡松山町出身。独特の低音ボイスで多くのファンを獲得した。歌手にあこがれて上京し進駐軍のキャンプ地でのバイト生活を経て米軍のクラブ歌手となりジャズなど歌った。1954年(昭和29年)にビクターと契約。作曲家・吉田正の目にとまり、1957年(昭和32年)の「有楽町で逢いましょう」が爆発的ヒットする。君恋しが1961年(昭和36年)第3回日本レコード大賞を受賞。紅白歌合戦には1982年(昭和57年)の第33回まで連続26回出場。1985年(昭和60年)10月21日に愛人との間の子の養育費の請求を苦に、首吊り自殺を図り一命は取り留めたが、後遺症を患いリハビリ治療によってある程度は回復したが、現在にいたるまで復帰の目処はたっていない。

主なヒット曲:
有楽町で逢いましょう 1957年(昭和32年)
夜霧の第二国道 1957年(昭和32年)
13800円 1957年(昭和32年) 13800円は当時の大卒初任給の平均額
羽田発7時50分 1958年(昭和33年)
西銀座駅前 1959年(昭和34年)
夜霧に消えたチャコ 1959年(昭和34年)
東京ナイトクラブ 1959年(昭和34年) 松尾和子とのデュエット曲
君恋し 1961年(昭和36年) 第3回日本レコード大賞受賞曲
大阪ろまん 1966年(昭和41年)
おまえに 1972年(昭和47年)

[この年流行った歌]
俺は待ってるぜ(石原裕次郎)
チャンチキおけさ(三波春夫)
バナナ・ボート(浜村美智子)
東京だよおっ母さん(島倉千代子)
港町十三番地(美空ひばり)
あン時ゃどしゃ降り(春日八郎)
丘にのぼって(若原一郎)
錆びたナイフ(石原裕次郎)
喜びも悲しみも幾歳月(若山彰)
東京のバスガール(コロンビア・ローズ)
13,800円(フランク永井)
東京午前三時(フランク永井)
青春サイクリング(小坂一也)
船方さんよ(三波春夫)

主な出来事 − (昭和32)(1957)
1-13 美空ひばりが国際劇場で塩酸をかけられ全治3週間の負傷。
1-29 南極学術探検隊が観測船「宗谷」からヘリコプターでオングル島に上陸、「昭和基地」と名付けた。
1-31 石橋首相、病気のため岸信介外相を臨時首相代理に任命。
3-8 日本、国際連合に加盟。
3-13 最高裁は、チャタレー事件の上告棄却。
3-15 KRT=現TBSでアニーよ銃をとれの放送開始。
3-21 自民党大会で岸信介氏を総裁に選出。
4-1 売春防止法実施。
4-18 スキーヤーのトニーザイラーが初来日。
5-25 鉄道技術研究所が東京−大阪間3時間の超特急列車構想を発表。
6-6 東京都の小河内ダムが貯水を開始。
6-15 NHKテレビ受信契約数が50万突破
6-25 日本テレビでヒッチコック劇場放送開始。
6-29 東京タワー起工。
7-6 幸田露伴「五重塔」のモデルにもなった東京都台東区天王町(現=谷中7丁目)の天王寺五重塔が焼失。
7-20 砂川事件
7-21 自然公園法制定。
7-25 九州大水害に見舞われる。 長崎県、熊本県で死者・行方不明992人、負傷者3774人。
8-1 日本初のフィルターつきたばこ、みどり発売。
8-20 糸川英夫教授による日本初の観測用国産ロケット「カッパー4C」1号機打ち上げ成功。
8-22 ソ連が大陸間弾道ミサイルの発射実験に成功。
8-27 茨城県東海村の日本原子力研究所で日本初の「原子の火」が灯る。
8-28 ソ連のボリショイ・バレエ団が日本で初公演を行う。
9-3 KRT=現TBSで名犬ラッシー放送開始。
9-23 大阪市京阪電鉄千林駅前にダイエーの一号店「主婦の店ダイエー」が開店。
10-1 日本、国連安保理事会非常任理事国に当選。
10-1 五千円札発行。
10-4 ソ連、史上初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功。
11-3 ソ連、ライカ犬を乗せた「スプートニク2号」の打ち上げに成功。
12-10 天城山心中。伊豆天城山中で、学習院大学の同級生の男女のピストル心中自殺死体がされる発見。
12-11 100円硬貨発行。
12-22 日教組、勤評反対闘争のため非常事態宣言を発表。
12-24 NHK東京がFM実験局放送開始。


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