TOP昭和歌謡曲 − あの時、あの歌


爽快倶楽部編集部


第一回 お富さん(昭和29年)
作詞:山崎正 作曲:渡久地正信 歌:春日八郎

粋な黒塀 見越しの松に
 仇な姿の 洗い髪
 死んだはずだよ お富さん・・・」*

 春日八郎は、大正13年、福島県会津に生まれ、戦後上京、歌手を目指し、昭和27年「赤いランプの終列車」により世に出る。この曲に続き「お富さん」「別れの一本杉」「あん時ゃどしゃ降り」「長崎の女」のヒットを放つ。「赤いランプの終列車」「別れの一本杉」は、その叙情的メロディーにより望郷歌謡として多くの支持を受けた。とりわけ、当時、就職夜行列車に乗り、地方から上京した多くの若者のみならず送り出す人々の心に深く入り込み支持を受けた。彼の歌う時の折り目正しく堂々とした立ち姿、張りのある声は、およそ望郷歌謡には似つかわしくない。だが、逆にその似つかわしくない部分こそ、望郷を単なる望郷に終わらせず、故郷に錦を飾る日を夢見る希望の歌として成立させた要因となっているのだと思う。彼の歌を聞いて故郷を思い、泣き、そして、涙が枯れた後に、沸々と湧き上がってくる勇気に包まれる。彼の歌とはそういう歌であったのだと思う。

 その路線とはまったく異なる雰囲気を持った「お富さん」は昭和29年に発売された「お富さん」は、戦後の復興に邁進しながらも、まだまだ日本中の多くの家が貧しく、その日その日を暮らして行かざるを得なかった、当時の生活の逼塞感に風穴を開けた。流れるようなメロディ、はずむリズムは、昭和の「ええじゃないか」にちがいない。その歌を聞き、あるいは口ずさむ時、多くの人々が毎日の生活の苦しさの重荷から一瞬解き放たれたように、身も心も軽くなった。戦後を担ってきた吉田内閣が倒れ、次の時代への変わり目という新たな不安感の中、この歌が多くの日本人の心を慰め、明日へのエネルギーを培ったのかも知れない。 

「生きていたとは お釈迦様でも
 知らぬ仏の お富さん
 エーサオー 玄冶店」*

 歌舞伎に題材を得たというものの、戯れ歌のような軽妙な歌詞、踊り出したくなるようなリズム、その歌を、春日八郎は曲調とはまったく関係がないように、折り目正しく誠実に朗々と歌う。それが、春日八郎である。彼以外に一体誰が、この曲を国民的歌謡として成立させることができただろうか?彼の歌の持つ品の良さこそ、この歌を、単なる戯れ歌から歌謡史に残る名曲に変えたのだと思う。

 春日八郎は、生涯現役歌手を貫いた。最晩年、病を得たためと思われるが、胸板が痩せ、歌声に張りがなくなった頃の彼の歌を聞いた時、心が痛む思いがした。が、その姿にこそ、生涯現役を貫き通す彼の矜持を見た。平成3年10月22日に永眠。享年67歳。

 「お富さん」、歌謡史に残る名曲である。

*「お富さん」歌詞より転載

[この年流行った歌]
真室川ブギ(林伊佐緒)
ひばりのマドロスさん(美空ひばり)
高原列車は行く(岡本敦郎)
岸壁の母(菊地章子)

主な出来事 − 昭和29年(1954)
1-2 皇居参賀者が混乱し16名死亡(二重橋事件)
1-7 米国アイゼンハワー大統領、沖縄基地の無期限保有を宣言。
2-1 ハリウッドの女優マリリン・モンロージョー・ディマジオと新婚旅行の途中に来日
2-17 プロレスのシャープ兄弟と力道山・木村組のタッグマッチが行われ、多くの大衆が街頭テレビにより観戦
3-1 米国のビキニ水爆実験で第五福竜丸被爆
3-8 日米相互防衛援助協定(MSA)調印
4-20 第1回全日本自動車ショー開催
4-21 犬飼法相、指揮権発動で佐藤栄作自由党幹事長逮捕許諾請求を阻止(造船疑獄)
6-3 学校給食法公布
6-13 NHKラジオ放送番組「ユーモア劇場」、政府干渉により中止
7-1 防衛庁・自衛隊発足
9-26 台風15号により青函連絡船「洞爺丸」遭難、死者行方不明者1698人
10-10 光文社「カッパブックス」刊行
11-5 徳島ラジオ商殺し事件起きる。内妻の富士茂子が逮捕され有罪とされたが、冤罪として本人死後1985年に再審で無罪が確定
12-7 第5次吉田内閣総辞職
12-10 第1次鳩山内閣組閣
12-22 政府、憲法第9条に関し自衛隊は合憲と発表


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